2021年北海道ツーリング
~5年ぶりの北海道~

2021年9月11日~9月18日


開陽台展望台の屋上から南を望む
(本当に地球が丸く見える)

9月15日(第4日目)
その1

1.起床

早くに就寝したので、朝5時30分頃に目が覚める。それにしても、今日も冷え込んでいる。体感5℃位だったと思う。一応、気象データーを調べてみると5.6℃ということなので、ほぼ正解だ。使っている寝袋は0℃以上に耐えうる仕様だが、これは「死なないよ」という気温であり、快適に過ごそうと思うと+10℃ぐらいで考えなくてはいけない。全くその通りで、夜中に寒さで目が覚めて、ライディングジャケットやらGパンを上から掛けて寒さをしのいだと告白しておこう。

少しウダウダした後、6時過ぎには起床していつものカロリーメイト、そしてオレンジジュースで朝食とする。ついでに天気予報を確認しておくが、その際天気図も写しておく。数日は高気圧が次々と通過するので、安定した晴天ということだ。しかし、九州付近には台風があり、秋雨前線が近畿地方の沿岸まで伸びているようだ。こいつがどのように影響するかはわからないが、何事もないことを祈ろう。また、北海道でも北の方はあまり天気が良くないようで、このまま東に進むことにする。

ゆっくりしていたら、7時を回ってしまっている。そろそろ出発しないと、走行時間が短くなってしまう。荷物をまとめて、狭い階段を降りてマシンの所まで荷物を運ぶ。これでツーリングも4日目ということで、荷物の積載も慣れてくる。さっさと準備を完了させて、出発だ。


出発準備完了!

2.出発

準備完了で、Vストに火を入れる。その頃、ちょうど宿のご主人がトウモロコシの売店の準備をしていたので、一言お礼を述べておく。とその時、黄色いマシンが横切る。ちょうどSPADA君も走り始めたようで、手を挙げて挨拶する。そして、わざわざ戻って来てくれるので、改めて挨拶を交わす。そんなに気を遣われると恐縮しちゃうが、それだけ礼を大事にしている青年なんだと感心してしまう。彼は足寄に泊ったらしく、今日は釧路方面へ行くということだ。

こうして、7時30分頃に螺湾を、機首を090°に向けて出発する。それにしても寒いなぁ、Vスト自慢の気温計を起動してみると、11℃を表示している。ただ、太陽は眩しい程に照らしているので、昼間は気温を上がることを期待しても良いだろう。

国道241号線を阿寒湖方面へ向けて走るが、まずはオンネトー湖へ寄っていく。ここは湖面の色が美しい湖であり、機会ある毎に立ち寄っている。国道を右に逸れて、道道949号線を進んでいく。すると、ある地点から急に強烈な硫黄臭が漂ってくる。それもそのはずで、湖の手前に野中温泉があるからだ。ここは2014年に立ち寄ったことがあるが、成分の濃い温泉であったと記憶している。檜の湯船も味があったと報告しておこう。

温泉を過ぎると、オンネトーが見えてくる。早朝にもかかわらず、既に何台か車が止まっていて、湖面の色を楽しんでいる。そうそう、見る角度によっても、湖面の色が変化して面白いんだよね。あと、湖と雌阿寒岳、阿寒富士の組み合わせも、いかにも北海道らしくて良いと思う。写真を撮るが、強烈な逆光線であるのが残念だ。


オンネトー
(早朝のため、強烈な逆光線)

景色を楽しんでいると、SPADA君もやって来る。「阿寒湖じゃあなくて、是非オンネトーを見て欲しい」と助言していたので、それを忠実に守ってくれたようだ。自分で言うのもなんだが、良いところでしょ?ちょうど入れ替わりだったので、お互い手を挙げてこの先の無事を祈る。

走行を再開して、足寄峠を越えていく。おお寒い、しかし、これを下ればちょっとはマシになるだろう。そう思っていると、国道240号線と241号線の分岐点が見えてくる。今回は東へ向かうので、阿寒湖へ通じる241号線を選択する。

阿寒湖の湖畔まで来るが、相変わらず寒いのでさっさと通過する。そして、双湖台へ向けて再び標高を上げていく。おっと、ここでオドメーターが22,222kmを表示している。これは珍しいので、記録しておこう。そして、さらに標高を上げていくと、前述の双湖台だ。


22,222kmを表示

3.今日はツイているのか?

ここの駐車場には誰もいないが、ちょうど反対側からニンジャ400がやって来る。この時は「ああ、誰か来たな」ぐらいにしか思っていなかったが、この後ちょっとした出来事が起こる。さて、若干霧が出ているが、何とかペンケトーが見えることだろう。

期待をしつつ、展望台へ続く坂を歩いて行く。あれ、ササが随分と伸びていて視界を遮っている。どうするか、と周囲を見ると丸太があるので、この上に乗ってみよう。ああ見えるよ、ちょうど北海道の形に見えるんだよな。因みにこの奥にパンケトーという別の湖もあるのだが、それは山の向こうなので見えない。尚、ペンケは「川上」で、パンケは「川下」を意味するアイヌ語だそうだ。また、トーは「湖沼」だそうだ。

そんなことを思い出していると、さっきのニンジャのライダーもやって来る。しかも、若い女性じゃあないか。珍しいので話してみたくなるが、声をかけると嫌がられそうなので、知らん顔をしておこう。しかし、前述のように自分の背丈(175㎝)程にササが茂っているので、当然湖は見えない。そこで「ここに上れば見えるよ」と乗っていた丸太を譲る。すると「ああ、見えますね」と。「北海道の形に見えますか」と言うと、驚いたように「え?ああ、そう言われてみれば」という答えが返ってくる。

彼女はペンケトーがそういう形をしていることを知らなかったようなので、前述のパンケトーのこと、ペンケとパンケの意味を話してみる。すると「教えてくれてありがとう」と礼を言われる。「全部受け売りだけどね」と告白すると、それはそれでウケていたようだった。「教えてもらわなかったら、見て終わりだった」ということなので、当方によるガイドまがいの行為は多少役に立ったようだ。


双湖台からみるペンケトー
(北海道の形をしている)

ニンジャ女史と別れて、Vストに乗り双湖台を後にする。ここからはワインディングの下りなので、ちょっと走りを楽しめそうだ。うんうん、やっぱりこういう道をバイクで走るのは楽しいなぁ、V-STROM最高だよ。今日は荷台に大きな荷物を載せているが、それが良い重しになってリアステアを感じつつコーナーをクリアしていく。

ワインディング区間を抜けると、直線になる。ここは以前速度取り締まりをしていたことがあるので、注意が必要だ。因みに、こちらのネズミ捕りは本州のものとは異なる。すべてではないが、北海道の場合はパトカーにレーダーが内蔵されているようで、草むらの中に車両が隠れている。そして、違反車両が通過する時に速度を計測して捕まえるようだ。赤コーンも出ていないので、全く不意にやられることがあるようだ。とにかく、市街地の入口と草むらの直線には気をつけた方が良いだろう。

今日はまだ朝が早いせいか、取り締まり車両を見ることはなかった。ホッとして弟子屈の市街地に入っていくる。峠を越えてきたので体が冷えてしまったなぁ。そう思ってマップルを見ると、JR摩周駅には足湯があることを発見する。これはよかった、ということで駅へ向かうが、その前におやつとコーヒーを購入しておこう。ちょうど街の中心にコンビニがあるので、ここでシュークリームと熱いカップのコーヒーを購入する。

この後、国道243号線、道道53号線と乗り換えてJR摩周駅に到着する。時刻は10時前だが、駅には人は全く見られない。タクシーも止まっているが、客は来るのだろうか。それよりも早く温まりたいので、駅の端にある足湯へ向かい、靴下を脱いで足湯に入る。くぅ~、冷えた足には染みわたるなぁ。湯加減もちょうど良い。どれ、おやつでも食べようか。もちろん、誰もいないので全く気にすることはない。せっかくなので自撮りをしておこう、何か顔が引きつっているなぁ。それに、随分と歳をとってしまった、オッサンの顔だ。


寒さでひきつった笑顔の管理人

朝から冷える場所を走ってきたので、30分ぐらい足湯でゆっくりしてしまう。どうせならば、オンネトーの手前の野中温泉に入るべきだったかな。それはそうと、今日は0日目から数えて5日目で、折り返し日を過ぎた。感覚的にはやっとツーリング生活に乗れてきたというところだが、もうそんなに日にちが過ぎたと思うと、少し残念だ。いや、そんなことは考えずに今日、この瞬間を楽しもう。

4.さらに東へテイクオフ

冷えた体もだいぶ回復したので、そろそろ出発しよう。元来た道道53号線で国道243号線に戻り、さらに東へ進む。この243号線は別名「パイロット国道」と呼ばれており、気分は上空43,000フィートである。途中で道道1040号線との分岐点を通過するが、ここは言わずと知れた多和平へ続く道であり、大きな看板も出ている。どうしようかと思うが、今日は開陽台と決めているのでパスする。一度にたくさんの場所へ行こうとするとどうしても忙しいし、今は9月なので走行時間も少ないからやむを得ないだろう。

この辺りはこのパイロット国道を基に開拓した場所であろう、牧場や牧草地が広がる。空は少し雲が多く、気温は18℃ぐらいと少々肌寒いが、いかにも北海道に来たよという風景が続く。さて、この多和平への分岐を過ぎれば、開陽台へ続く道道885号線の分岐点も近い。分岐点待機、左折して磁方位040°へ向けて飛行せよ、左折して040と自分で管制官と管制される機の2役をこなして、分岐を確認する。

ここからは10㎞ぐらい直線道路が続くのだが、それはマップルにも記載されている。この辺りも周囲は畑や牧草地が続き、所々に防風林が現れる。今は盛秋で穏やかな気候だが、真冬は風速20mとかの風が吹くのだろう。防風林はそういう時に備えてつくられた人工の林だ、また、道路の先に水たまりみたいに見える場所が現れる。これが砂漠であれば「オアシスがある」と騙されるパターンだろう。

冬の暴風を想像しながら走行を続けると、養老牛の交差点を通過する。ここを左折すると山に「牛」と文字が浮かぶ場所があるのだが、今回はパス。今もやっているのだろうか。これは地元の酪農を営む青年部の方々が「牛乳」とモアン山に文字を書こう、と始めたものらしい。しかし、牛の字を大きく書きすぎたので、それしか書かなかったということだ。それ以来「牛」と書いているそうだ。

養老牛を過ぎれば道道150号線に道路名が変わるが、そのまま進行していく。途中、何回か左折や右折があるので注意が必要だが、150号線さえ見失わなければ問題はなかろう。おお、牧草ロールを作っているじゃあないか。夏場はこういう風景は良く見られるが、この時期ではそれ程ない。しばらく見学させてもらおうか。

聞いた話だが、牧草ロールはまず適度に伸びた牧草を刈って数日間そのまま干しておくそうだ。そして、後日乾いたところを専用の機械で回収してロールにして、ビニールを被せるということだ。しかし、ここでは刈った牧草をロールにしながらビニールを巻いており、行程を短縮しているようだ。また、それを見ているとなんだか物悲しい気持ちになるのは、巻き取っているのは草だけではなく、去り行く短い夏までもロールしているように見えるからだろうか。


牧草ロールと共に何を巻き取るのか

さて、開陽台へもう一息だ。悲しさを吹き飛ばすように、エンジンを回してどんどんと高度を上げて行けば「開陽台」の案内版が現れる。そして、そこを曲がり、結構急な坂をぐんぐんと上ると象徴的な展望台が見えてくる。何回も訪れている場所なのだが、やはりここはちょっと特別な感じがして「来たな」という達成感が湧いてくる。

駐輪スペースにVストを止める。ここはスタンドがめり込まないように、ちゃんと板が敷いてあるのが嬉しい。いかにも「ライダーの聖地」らしい配慮だ。そう、ここは我々バイク乗りにとっては「聖地」と呼ばれているようだ。それはそうと、9月にもなると聖地も随分さみしいものだ。バイクは3、4台、4輪も2、3台しか見られない。おまけに風があって寒い。

そんなものかと展望台に向かうと、屋内スペースへ入るドアには「コロナウイルス感染防止のため閉鎖」と張り紙が出ている。なるほど、それでこんな閑散としているのか。妙に納得して屋上の展望スペースに上ると、いつもと変わらない絶景が広がる。

ちょっと雲が多いのが残念だが、地平線まで視程は良好だ。東側を見れば、国後島の姿もはっきりと見える。ああ、4日も走ってこんな東の果てに来たのかと思うと、これまたちょっと達成感のようなものが湧いてくる。自分の足だけではとても来られないが、相棒のスズキ式 VP56A型機ことV-STROM 650の力を借りてここまで来ているのか。それでも、出発から数えて5日もかかっているのだから、人間のやれることなんて小さいものだなぁ。


うっすらと見える国後島

展望台を回りながら、景色を楽しむ。北側には武佐岳と思われる山、そして眼下にはキャンプ場。西側は今日まで走ってきた方向で、雄阿寒岳、雌阿寒岳、阿寒富士らしき山、そして、南側は防風林に区切られた牧草地や畑などが延々と広がっている。これは宇宙からも見えるらしくて、スペースシャトルに搭乗した、北海道は余市出身の飛行士である毛利衛さんがこの件について言及している。


武佐岳か?
(左下はキャンプ場)


南東側の景色
(冒頭の写真同様に、防風林で区切られた区画が見える)

そんなことを思っていると、隣から「この防風林の区画割りは宇宙からもみえるらしいぞ」と声がする。そうなんだよなぁ、と独り心の中でうなずいてみせる。

何回か展望台を回り、同じ景色を何度も見てはその素晴らしさを感じる。もちろん、写真にも撮るのだが、その感動を写しとることはなかなか難しい。さて、そろそろ下りようかと階段を行くと、昔日の展望台の写真のプレートがある。これも何回も見ているが、初めてここに来た時の展望台がこれだったと当時のことを思い出す。


先代展望台の写真も見られるプレート

ああ、それはそうと何回も話している思い出だが、また語らせてくれ。ここに初めて来たのは1994年の8月だが、その日は霧の酷い日であった。よく覚えていないのだが、どこかで知り合ったライダーと一緒に来ていて、その人から「ここはライダーの聖地だ」と教わったような気がする。そして「キャンプ場にも行ってみよう」と誘われて、駐車場の脇にある「バイク登り口」の看板のあるドロドロの細い道に入ろうと言われた。

当時、カワサキのGPX750Rで来ていたのだが、荷物も満載だし、750のロードバイクでヌタヌタの道なんて行けるわけない。心の中でそう思っていたし、後でえらい目に遭いそうなので「ここは無理ですよ」と丁重にお断りした。すると、その人は随分と不満そうだったが、その人も結局キャンプ場への道を行くことはなかったように記憶している。恐らく、当方を先発隊として送り込み、その様子を見て自分の行動を決めようとしていたのではないかと推測する。

幸い、今日は「登り口」はヌタヌタではないが、道は細く急で湿っている。こんなところは軽い250のオフ車で、しかも、それなりの腕のあるライダーが、両足をついてバタ足で進めるセロー等でなければ入れないと思われる。ヌタヌタの時にGPX750、しかも荷物満載、おまけに総飛行時間1,000時間ちょっとの腕しかないライダー、えらい目に遭うことは必至だ。当時の判断は正しかったなと改めて思う管理人だった。


本日の「バイク登り口」
(今日でも行きたくない)

9月15日 第4日目 その2へ続く

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