2021年北海道ツーリング
~5年ぶりの北海道~

2021年9月11日~9月18日


自宅アパートにてご機嫌の管理人

0.序

コロナウイルスが蔓延して、早くも2回目の夏が過ぎた。ワクチンの接種も幾分進み、我々中年世代にも順番が回ってきた。接種を受けるかどうかは本人が判断するのだが、当方は迷うことなく受けることにした。旅を趣味とし、それだけを目標に仕事をしているのだから、一刻も早く自由の身になりたい。

そういうことで、8月下旬と9月上旬にそれぞれ1回目、2回目の接種を受けてみる。もちろん、これで「感染しない」わけではない。ただ「感染しにくく」なり、さらに「重症化しにくく」なっただけだ。つまり、密を避けてマスクを着用、手洗い、消毒などの対策を続ける必要があることには変わりなはい。しかし、そろそろ限界だ。ここは自己責任ということで、旅に出ることに決めたのだ。

そうなれば休暇の申請、行先や手段の検討を始めなくてはなるまい。海外は依然として無理なので、国内で行けるところを探す必要がある。まあ、ニューマシンのV-STROM 650も購入してしまったことだし、ここはロングツーリングといこうではないか。行先は・・・、東北地方、九州、いや、ここは密を避けるために北海道が妥当なのではなかろうか。

しばらく悩んだ挙句、観光地ならば部外者も受け入れてくれるだろう、そうなればやはり、北海道だ。そうだ、それしかないよ。

そういうわけで、早速準備にとりかかる。休暇の申請は問題なく行ったので、次はフェリーの切符を手に入れよう。最近は便利なもので、ネット上で予約を入れて、クレジットカードで決済するだけだ。ポチっと完了。予約番号だけ控えておいて、当日フェリーターミナルで発券してもらえばO.K.だ。因みに、利用会社は新日本海フェリーで、料金は人間が往復で20,710円(ツーリストA)、バイクが20,140円(750cc未満)、合計で40,850円である。また、これらの料金は復路が10%の割引になるようになっていて、それを加味していると補記しておこう。

それはそうと、9月の渡道は初めてである。また、当然だが北海道は地元と比べて気温が低い。管理人の目安としては「2か月のズレ」としている。つまり、6、7、8月はマイナス2か月、9、10,11月はプラス2か月としている。これに従えば、9月は居住地の11月に相当する。11月ならばズボンの下にはヒートテック、ジャケットは晩秋の仕様だ。靴下も当然厚めのものを履いている。

そうだ、宿泊はどうするか。キャンプはできるかなぁ?まあ、他の人のレポートを見る限り、9月でも暑い日はあるようなので持っていくことにしようか。寒ければお得意のライハを使っても良いからね。ああそうだ、今回はニューマシンで行くわけだから、荷物の固定方法も検討しておかなければなるまい。

そんな感じで慌ただしく準備をしつつ、出発当日を待つ。尚、今回はバイクでは11回目の渡道となり、スズキ式のマシンでの渡道は管理人史上初の試みだ。さて、どんなツーリングになるだろうか。

9月11日(第0日目)

1.出発

当日は仕事を終えてから帰宅し、最終の準備を整える。前述のように、フェリーは「敦賀‐苫小牧東」航路で予約と決済を完了している。しかし、今日は運よく仕事を定時で終えることができた。それならば、ということで航路を「舞鶴‐小樽」変更する。通常、予約の変更は「1回に限り」可能(2回目以降は有料)なんだけど、今回はコロナ禍ということで回数に制限がないようだ。

しかし、何でわざわざ遠くの港の便へ変更するのか、と疑問に思われる方も多いだろう。これは当方の好みであり、北海道上陸後に「宿泊場所」の選択肢が多いからだ。というのも、苫小牧東は「工場地帯にある港」であり、周囲には工場しかなく、宿泊場所まではいくらか走る必要があるからだ。しかも、到着は20時を過ぎている。知らない場所で、しかも夜にはなるべく移動したくないし、野生動物の飛び出しなどもあるので危険だ。加えて、いつも利用していたライダーハウスも閉鎖になってしまった。それ故に、可能ならば小樽が良いな、と思っていたのだ。

さて、時は来た。恒例の出発前の撮影をして、いよいよV-STROM 650のエンジンを始動する。セルボタン一発で力強い鼓動を伝えてくるエンジンは、今日から1週間自分を移動させてくれる心強い相棒だ。ゆっくりとクラッチを繋いでR/W24から滑り出る。


今回はどのくらい距離が伸びるかな?

舞鶴までは200㎞以上あるので、休憩時間も含めて3時間ちょっとを見ておけばよかろう。因みに、繁忙期ではないので、乗船手続きは出航60分前までに行えばよい(繁忙期は90分前まで)。今日からしばらくは仕事をしなくて済むし、ツーリングでバイク三昧の日々だ。そう考えるだけで心躍るではないか。しかし、それにより事故を起こしては話にならないので、引き締めていこう。

まずは近所の県道に乗り、東名高速の名古屋I.C.を目指す。この区間はいつも混みあっており、さらに帰宅時間とも重なっているのでそれに拍車がかかっている。しかし、慌てる必要はない。時間はたっぷりとあるし、仕事ではないので、いついつまでに到着しなくてはいけないという制約もないのだ。

今回、V-STROMにはETCを載せていないので、入口で高速券を取り京都方面へ向けてランプウエイを加速する。もちろん、今回は長距離ツーリングなので荷物を多く載せているが、Vストはそんなことは全く気にしていないようで、いつものように鋭い加速を見せてくれる。今日の東名は若干混みあっているが、ランプで十分加速しているので合流は簡単だ。

ひとまず速力55ノット辺りで巡航を開始、少し落ち着いて計器の表示、荷物のズレがないかなどをチェックしていく。うん、全て問題無し。そうなると少し落ち着いて、我に返る。ああそうだ、今俺は北海道へ向けて走り出したのだ。急にツーリングの実感が湧いてきて、シートの上に立って踊りだしたくなる程に嬉しくなる。ちょっと無理してバイクを買って、やめときゃ良かったかと思う時もあるが、まあこれもアリだなと納得する。

遅い4輪を追い越しつつ速度を維持しながら走行を続け、小牧J.Cを通過、名神高速に入る。ところで、小牧と言えば、5年前に通っていた職業訓練校だ。ここは高速道の脇にあり、その校舎がよく見える。やっぱり、年齢がいってから新しいことをやってもダメなんだよなぁ。あと、5年は早く決断すべきだったと後悔するも、今や48歳、年男だ。過ぎた時は戻せないので、前に進む以外方法は無かろう。.

後悔を置き去りにすべく、スロットルを空けて先へ進もう。全ては順調だが、ここに来てちょっと問題が。だんだんと交通の流れが悪くなってきて、岐阜県との県境付近で完全に止まってしまう。何で渋滞なのか?事故か?と疑問に思うが、考えても渋滞はどうにもならない。流れるように進む他はなかろう。

さて、いつも記載していることだが、県境には川が流れていて、そこは直線の橋が掛かっている。また、川は3本あるので、この付近は直線が続く。そして、高速道の横には新幹線の橋もあり、名古屋駅を出発した車両はこの辺りでは時速200㎞以上で走り去る。もし、馬力が自慢のカワサキのマシンに乗っていているならば、新幹線と「川重対決」もできることだろう。

しかし、今日は渋滞で川重対決をする人はいないようだ。それにしても長い渋滞だなぁ、すり抜けしようかと考えるが、高速道路のすり抜けには意外な落とし穴が待っている。パンクである。高速道路の路肩には意外にも金属片なんかが落ちているようで、TDM時代に高速すり抜けで数回パンクを喰らっている。旅の初めからパンクしていては話にならないので、ここは大人しくしていよう。

結局羽島I.C.付近まで渋滞が続くが、リフレッシュ工事のそれであることが判明する。ここでは30分ぐらいの損失となったが、時間には余裕があるので何も焦る必要はない。こうして渋滞を抜けて、再び55ノット付近で巡航できるようになり、北陸道との分岐点である米原J.C.が近づいてくる。

ここで、針路を北にとるので看板を見ながら走行していると、結構な速度で走るミニに抜かれる。ああこいつは良いペースメーカーだ、そう思い即座に追い越し車線に乗り換えてミニを追う。ところが、J.C.手前で迂闊にもミニを追い越してしまう。まあ、ミニは名神をまっすぐ行ってしまうのだろう、そう考えて米原から北陸道に乗り換える。

ぐるりとランプを回り、北陸道で今度は北に向けて走り出す。ひとまず、速度を抑え気味で走行車線を走っていると、さっきのミニがまたもや追い越していく。こいつは運が良い、ということで、再び追い越し車線に入ってミニを追撃する。いや、ここは車間を十分に空けて前に出されないようにしよう。

ミニは「ついて来れまい」という感じで速度を上げていくが、たかだか85ノットぐらいのことだ。それくらいならばVストでも何の問題も無いし、なんなら追い越しもできるくらいの余裕はある。しかし、それではペースメーカーの意味がないので、車間を広く空けて後方からついていく。これで、渋滞で遅れた分をいくらか取り返せそうだ。

2.休息からターミナルへ

なかなか良いペースを保って北陸道を走行し、賤ケ岳S.A.の手前まで来る。腹が減ったので、そろそろ休憩しようか。ここでミニを見送り、S.A.に滑り込む。ここは屋根付きの駐輪場があり、ガソリン補給もできる大きなS.A.だ。因みに、2006年の北海道の時もここで休憩しているようだ。もっとも、この時はツーリングをコントロールする当方の「勘違い」で、同伴のR1-Z氏に迷惑をかけてしまった。もう、あれから15年も経つのね。

それにしても、随分と閑散としている。それもそのはずで、今は緊急事態宣言下にあり、移動は自粛しなくてはいけないからだ。また、当然、店もほとんど閉まっており、売店が細々と営業をしているだけだ。とりあえず、すぐに食べられそうな巻き寿司とカップ麺を購入して、休憩スペースで食べることにする。

食事をしながら、この後のルートと航法を確認しておく。敦賀J.C.で北陸道から舞鶴若狭道へスイッチし、小浜を過ぎて「舞鶴東I.C.」で降りるのか。決して「舞鶴西」ではない、と自分に言い聞かせる。その理由は、前述の2006年の北海道ツーリングのレポートを読んでいただければと思う。


簡単な食事

眠気覚ましにコーヒーを飲みつつ、駐輪場へ戻る。改めて駐車場を見るが、本当に車が少なく、数える程しか駐車されていない。それはそうと、V-STROM 650は良いマシンだ。ミニをペースメーカーにしてきたが、鼻歌交じり走行できる。硬めの足回りが安定感を生み、高いスクリーンが素晴らしい防風性能を発揮する。3年前まで乗っていたTDM 900は「今までで一番当方のスタイルに合ったマシン」と思っていたが、まさかその上をいくマシンがあったなんて。世の中広いというか、管理人がまさに「井の中の蛙」だったということを、自ら証明してしまった形だ。

さて、そろそろ出発するか。時刻は20時30分、ここから2時間ぐらいあれば舞鶴港まで行けるので、丁度良い時間だ。エンジン始動許可を得て、駐車場からランプウエイに入り100㎞/h辺りまで加速する。幸いにも本線は空いているので、すんなりと合流することができる。エンジン回転数で言えば4000 r.p.m程度というところか。.

予定通りに敦賀J.C.から舞鶴道へスイッチし、磁方位を270°に変えて順調に走行を続ける。ちょっと寒くなって来たなぁ、ここはお得意の温度計で確認してみよう。24℃を表示しているので、実際は20℃ちょっというところか。冷えてきたわけだ。

敦賀の夜景が見えるが、その後は小さな集落の明かりが時々現れるだけで、その代わりに星が良く見える。分岐点を越えて余裕もあるので、ここでふと我に返る。そうか、今日から1週間はツーリングで北海道に、しかもバイクでは5年ぶりの北海道なのか(実際には2020年2月に流氷観光に行っている)。夢ではなかろうか、いやそんなことはないぞ。

急にテンションが上がるが、そこは落ち着いて淡々と走行を続ける。予定通りに美浜、小浜、おおいなど原発に関係のある街を通過していく。日本海側のこの地域は原発のメッカなので、原子炉が停止している現在はどうなっているのだろうか。

おおっと、もうすぐ舞鶴東I.C.だ自動車道離脱に備えて待機しなくては。さて、名古屋からここまでの料金はと・・・。4,150円もするの??まあそうか、200㎞ぐらいはあるので、そのくらいはかかるよなぁ。渋々?料金を支払って、後はフェリーターミナルへ向かうだけだ。ええと、ああ、看板に従って右へと。県道28号線で行くと、国道27号線にぶつかり、左折していけばもうすぐだな。いやいや、フェリー乗り場はもうすぐか、20時間も船上でゆっくりとできる。夢ではなかろうか。

3年以上も同じ仕事をしているのに、なかなか上達しない仕事に嫌気を覚えつつも毎日頑張った甲斐があったな。そう考えつつ市街地を抜けると「フェリー乗り場」の看板を見つける。ついに来たよ。前方を走るBMWについて直線を飛ばしていくと、遠くに明かりが見えてくる。ああ、今日乗船するフェリーだ。

3.ついに来たよ

結局、21時過ぎにターミナルに到着する。係員に誘導されて、列の後ろにつく。緊急事態宣言下ではあるが、30台ぐらいは集まっている。やっぱり、行きたい人はいるし、行きたい時に行きたいものだよ。ひとまず建物に行き、乗船券を出してもらおう。おお、最初に体温を測るのか。もちろん問題無しの36.4度であり、その証明に小さい証明書を取っておく。そして、カウンターに行き、復路分の乗船券と一緒に発行してもらう。帰りは18日土曜日、苫小牧東を23時30分出航だ。

後は出航を待つばかりだ。食事はさっき済ませたし、特にやることはないので他のマシンを見てウロウロする。いつもならそのバイクのオーナーと話すことがあったりするが、今年は挨拶すらすることはない。やはり、なるべく接触を避けているということだろう。話すのは好きというわけでもないが、何もないのはちょっと寂しい気もする。

ハヤブサ、CBR600、W800、新型のV-STROMなど多彩なマシンが並ぶが、なぜか自分のV-STROMがツーリングには一番良いように思えてくる。こうなると、相当の親バカならぬオーナーバカであろう。自分でも笑えてくる程だ。あはは。意外なことは、若い人が多いことだ。最近は若い人にバイクの小さな波が来ていると聞いているが、確かにそれはありそうだ。


乗船待ちのバイク達

こんなことを思っている間にも、コンテナの積み込みが進んでいて、トレイラーが頻繁に往復している。一応免許は持っているものの、当方はこんな所では役立たずであることは間違いなかろう。職人さん達の素早さには感心しきりである。

それでも時間が余るので、友人に連絡を入れておこう。この間、ワクチンの副反応で苦しんでいる時、食料などを差し入れてくれたマキチャンにも、お礼を言いつつ連絡を入れておく。この場を借りて、再びお礼を申し上げておく。本当に助かりました、どうもありがとう。

そんなことをしていると乗船時刻の23時20分となる。乗船券のQRコードをスキャンしてもらい、慎重にタラップを上っていく。ああ、この瞬間、いかにも「旅に出ます」という雰囲気で気分も最高に盛り上がる。でも、つなぎ目の段差で転倒してはダメよ、ダメダメ(古いか)。

係員の指示通りに鎖を跨ぐようにバイクを止める。もちろん、船室持ち込みの荷物を分けてあるので、それだけを持っていく。残りは網棚へと。ええ、みんな荷物は降ろさないの?結構揺れるときがあるから、降ろした方が良いと思うんだけど、まあその分網棚を広く使えるので良いか。


車両甲板の様子

船室へ上がるとここにも係員がいて、寝台の場所を教えてくれる。これもいつもの儀式だが、とても嬉しく思えてくる。直前の変更だったせいか、一番入口から遠い部屋の寝台が充てられている。しかし、一番奥だし、他には1名しかいないようだ。こんなガラガラの船室は初めてだなぁ。

ベッドを整えて落ち着きたいが、風呂に入らなくてはいけない。仕事を通常通りこなし、200㎞以上走行してきたのだから疲れている。さっぱりして寝るとしよう。タオルとカミソリを入れた袋を下げて、階段を上がる。さすがに乗船時間なので人は多く見られるが、いつもの半分もいない印象だ。しかも、皆、無口だ。当たり前だが、なんか調子が狂うなぁ。俺だけがハイテンションみたいじゃあないか。

風呂も3、4名が入っているだけなので、ガラガラだ。脱衣所で服を脱いで体重を測ると、56㎏って少なすぎだ。ここのところ忙しかったので、こんなにガリガリになってしまった。ガツガツ食べて、少しは戻さないと。北海道では何を食べようかと考えつつ、体を洗い湯船に浸かる。ああ、長い一日だったなぁ、と全身の力が抜けていく。窓の外を見ると、いつの間にか出航している。あっけない出航だ。

ノボシビルスクになる前に上がり、スリッパとサイダーを買って寝台に戻る。スリッパは持参するのを忘れてしまったのだ、260円也。今日のも出来事をメモしてグダグダしていると、時刻は既に25時近くになっている。もう寝よう。

本日の走行 210 ㎞

9月12日 第1日目へ続く
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