食事をした店「イナット・クチャ」
疲れたなぁと思い、ベッドで横になる。そして、隣のモスクから流れる「コーランの大合唱」でが再び聞こえてくる。どうやら寝ていたようで、目が覚めると18時を過ぎているではないか。腹も減ったことだし、食事出かけよう。それはそうと、どこへ食べに行こうかな。治安的には夜に出歩いても問題ないだろうが、一応警戒しておいた方が良い。そこで、ガイドブックを用いて歩いて5分以内の店を探し出し、そのうちの1軒を選択する。
グランドフロアである1階に、3階にあるセカンドフロアの部屋から降りていく。フロントで「出かけてきますね」と言い、鍵を預けて外へ出る。今回は男性従業員に見送られての外出だ。
外へ出てもそれ程寒くはない。前述のように、サラエボはかなり冷え込むと思っていたのだが、大したことはない。地元と大して変わらない気温だ。そう思いつつ、慣れない石畳の急坂を降りていくのだが、その途中には何軒か営業しているカフェがある。そこでは、夕刻のひと時を楽しそうに過ごす、帰宅途中と思われる人達で賑わっている。
日本人は仕事だけをして一日を過ごしている感が強いが、こちらの人達は仕事はあくまでも「生活の一部」という認識で、それは時間が来れば終了し、それ以外の時間を楽しむという感じが見て取れる。「羨ましいなあ」と心で呟きながら、トラムが走る通りへやって来る。ここも夕方の混雑でごった返しており、車道にも人がはみ出している。それ故に、トラムもなかなか進めないのではないかと心配してしまう。
通りを渡り、市街地の中心である「泉」を通り過ぎて、細い路地へ入り込む。こちらはまだまだ稼ぎ時と言わんばかりに、多くの店が煌々と明かりをつけて営業している。先ほど飲んだコーヒーが入っていた銅製の器などを製作・販売する店が多く並び、見ているだけでも楽しくなってくる。また、食事ができる店も多くあり、肉を焼く煙が良いにおいと共に流れてくる。「肉料理も良いな」と思うが、今日は行く店を決めているので、誘惑を振り切って進んでいく。
路地は旧市庁舎の裏に通じており、その前にあるコーナー前の信号機を渡り、さらに川を渡ると目的の店である「イナット・クチャ」である。入口にはメニューの看板があり、そこには良心的な値段が表示してある。これも、ガイドブックの記載通りである。おや、その横にはなにやら案内文が書かれいるぞ。それによると、この店は「オーストリア・ハンガリー帝国」が支配していた時、ある頑固おやじが住んでいた家であったようだ。国がそこにある建物を建設したいから家を壊すぞ言われるが、頑として譲らなかった。国はその頑固さに根負けして、慰謝料と手作業でレンガを運びながら移築するという解決案を提示し、これで合意がなされたということだ。その結果、今の川沿いのこの位置にある、まさにその建物を利用してこの店が開店したのだ。
こういう歴史がある建物で食事できるとは、何か嬉しいぞ。そう思い店に入ると・・・、誰もいないぞ。いや、ホール担当の店員が1人いるが、2階の席の接客で忙しいようだ。奥の厨房からも声がするので、営業中であることは間違いない。店内は鉄砲や剣などが壁に飾られており、ちょっと威圧的な印象を受ける。しげしげと店内を観察していると、店員が降りてくる。そして、後からやって来た客が英語で「食事はできるか」とたずねている。「ああ、そうやって言うのか」と感心していると、店員は当方にも「好きな席にどうぞ」と促してくれる。
店内には銃などが飾られている
ホール全体が見渡せる、厨房に近い位置にある席に着く。さて、何を食べようか、いや、そもそも何が食べられるのかも知らない。そう考えていると、ウエイター氏がメニューを持ってきてくれる。
ざっと目を通すと、料金はそれ程高くない。せいぜい30マルク(1,800円)ぐらいだ。よーく内容を吟味していると「Bosnian Specialty」つまり「ボスニアの料理盛り合わせ」を発見する。よくわからないのだから、これが一番手っ取り早いだろう。値段も12マルク(750円)とお手頃である。
店内の様子
簡素であるが、何か歴史を感じる
ウエイター氏を読んで「このBosnian Specialty」をと注文する。「飲み物は?」と聞かれるので「ヨーグルトを」と。おいおい、何で飯を食うのにヨーグルトなのかと思われた方、正解です。日本人の感覚ではあり得ないだろう。せいぜい牛乳がギリギリの線だからね。しかし、ガイドブックによると「ボスニアでは料理を食べつつ塩味のヨーグルトを飲むことは一般的」であるということなのだ。それ故にマネをしてみたのだが、ウエイター氏も「ああそれね」という顔をして、全く不思議には思っていないようだ。
料理を待っていると、次々にお客が入ってくる。老夫婦や観光客と思われるグループが多いのだが、ウエイターは1人だけだ。しかし、ウエイター氏はキビキビと動きつつも、焦る様子はない。そうさ、サービスの向上とか言って「自身の首を絞める」ようなことを強要される国とは違うのだ。
それでも、15分もすれば、山盛りのパンと共に「Bosnian Specialty」がやってくる。パンは別料金だろうが、それでも構わないさ。うん、期待した通り、数種類の料理が一皿にまとめられている。肉や野菜を煮込んだシチューである「ボサンスキ・ロナッツ」、それには玉ねぎに具材を詰めた「ドルマ」、またブドウの葉に具を巻いた「ヤプラク」が入っている。また、米も入っていて、ヨーグルトが添えられている。
ボスニアミックス
まずはヨーグルトドリンクである「アイリャン」から。あら、本当に塩味だ。続いてドルマを。オホホー、肉汁と鶏のスープ?がドボドボであり、出汁の味がしっかりと染みている。それにはちょっと塩が加えられているようで、派手な味はしない。基本の味で勝負と言ったところだ。もちろん、パンもしっかりと小麦の味、バターの味、発酵した風味を楽しむことができる。
こういうものが本当に旨いものだと思うのだが、いかがだろうか。それに比べると日本の食べ物は、なんか味がトゲトゲしい。これはおそらく、化学調味料をバンバン使っていることが原因なのだろうと思う。パンにしても料理にしても、知らないうちに日本人はかなりマズイものを食べさせられているようだ。
そして、件のヨーグルトだが、本当に料理に合う飲み物だ。サラエボはヨーロッパでもアジアに近く、その歴史から様々な文化を持つ国々に支配されてきたのだから、このような意外な組み合わせが生まれたのだろう。まさに、歴史が生んだ多様性である。
しっかりと料理を味わって完食し、料金を支払いにレジへ向かう。これでしめて15マルク(料理が12マルク、飲み物が3マルク)と超お買い得である。ナント、パンは料金に込だったのだ。こんなに量があって美味しくて、800円ちょっととは驚いた。その際、ウエイター氏に「めちゃウマだったよ」と話すと、とても喜んでいたと補記しておこう。
大満足で店を出て、橋を渡る。案内銘盤によると、この橋は2005年に国の文化財に指定されており、16世紀の中ごろに建造されたようだ。何気に街を歩いているが、ここは東欧、ボスニアのサラエボだ。そう思うと急に
「そうだ、俺はやはりサラエボに来ているんだ。夢ではないのだ」と改めて嬉しくなり、足どりも軽く急坂を上ってホテルに戻る。
わりと汗もかいたので、シャワーを浴びる。もちろん、問題なくお湯も出る。これだけでも嬉しいから、旅は止められない。それはそうと、手持ちのお金を計算しておこう。10マルク札2枚、5マルク硬貨2枚、1マルク硬化2枚、10フェニンガ硬貨6枚、32.6マルク(1,900円)だ。まあ、明日足りなくなったらおろせばよいでしょう。
ボスニアのお金
さっぱりしてテレビを観つつ、メモをつけていると急激に眠気が襲ってきて、21時30分に就寝となった。明日はどこへ行こうかな。
第3日目 その1へ続く