管理人 海外へ行く
~ボスニア・ヘルツェゴビナ編~
2018年10月23日 ~ 2018年10月31日


ひときわ目立つ近代的なビル
「アヴィス・ツイストタワー」

10月24日(木)
第2日目 その2

1.今日は見るだけ

電車を待っていると、派手なラッピングが施された車体が滑り込んでくる。こいつに乗って、再び市街地へ戻ろう。席に着いて窓から外を眺めていると、ある停留所で大きな男が3名程乗ってきて何か言ってくる。どうやらボスニア語らしいが、当方にはさっぱりわからない。「え??何?」と言うと「チケット、チケット」と言っている。ああ、検札に来たのか、こいつは驚いた。というわけで、手のひらサイズの切符を手渡すとしげしげと眺めて、返してくれる。


ラッピング電車の登場

たかだか1.6マルク(100円)の切符の検札に大きな男を3名も使っているとは、何か「ユーゴスラビア」時代の名残を感じる。そんな人件費を使って、検札する意味があるのだろうか。因みに、ポルトガルの路面電車なんて、みんな切符を買っているとは思えず、検札にも来ない。当方以外は皆、ただ乗りししているようだったなぁ、と補記しておこう。

そんなことを思い出していると、電車は「スナイパー通り」に入ってくる。そして「ホリデイ・イン」前で下車してみる。というのも、往路で見たところ、この辺りが市街地の中心だと思われるからだ。まあ、特に何をするわけでもないのだが、周辺をうろうろする。ああ、昨日タクシーの運転手が言っていた背の高いガラス張りのビルも見えるなぁ。後で行ってみよう。おや、マクドナルドもあるのか。旧東ヨーロッパの国ではあるものの、西側のものもどんどんと入ってきているのだ。また、イスラム教の寺院に交じって、キリスト教の教会もあるところがこの国らしい。

さらに周りを歩くと、前述のホテル、国会ビル、いくつかのショッピングセンターの入る背の高いビル、博物館などがある。今でこそ普通に街が機能しているが、後日衝撃的な写真を見て、それが普通ではないことを思い知るることになる。ともかく、散策開始だ。まずは、何を買うわけでもないが、どんなものが売っているのか気になるので、北西角に立つその名も「Alta」ショッピングセンタービルに入ってみる。


付近の交差点の様子
(マクドナルドやキリスト教の教会も見える)


国会ビル


ショッピングセンタービル「ALTA」
(いかにも西側的な外観)

1階にはカフェスペースがあり、多くのテーブルが用意してある。そして、その頭上は吹き抜けになっており、5階までそれを取り囲むように店が入っている。ここは旧共産圏の国であるが、商業施設に関してはそういう面影は全く見られない。いや、当方は共産圏時代を知らないのだが、昔、テレビでみたソ連の映像とはあまりにも違うので、そう思ったのだ。

一応エアロビ他のインストラクターなので、運動靴を見てみる。おお、日本でも良く見かけるメーカーの物も多くあるな。値段はと・・・ええ、100マルク以上(6,500円)もするのか。日本で買う場合よりも安いことは安いが、この国の物価からすれば高価であるだろうと思われる。こういう舶来ものの値段は、物価が安い国でも結構高い。これは、しばしば見られる現象だ。

次に普段着を売る店「LC WAIKIKI」というブランドの店に入ってみる。ここは品揃えはもちろん、値段的にもシャツが15~25マルク(1,000~1,700円)と悪くない。その中で、防寒のジャンパー売り場に目が留まる。一応ユニクロの薄型ダウンを持ってきているので問題はないのだが、ちょっと古めのデザインで渋めの物が気になる。値段も65マルク(4,000円)とお手頃だ。

「土産に一着買っていこうかな」とその場で唸りながら悩むが、今日のところは「街の偵察」ということで、ひとまず店を出る。

2.小休止から午後の部開始

今日は比較的暖かくて、気温は15度以上ありそうだ。ここは東ヨーロッパの北緯43度に位置する国であり、冬季オリンピックも開催されたことのある国だ。もっと寒いかと思っていたので、嬉しい誤算だ。さて、それはそうと、時刻は13時だ。朝飯をたくさん食べたとはいえ、小腹がすいた。ただ、本格的な食事をする程でもないので、何かおやつ的なものはないかと、三又交差点付近をウロウロしてみる。すると、手にパンを持った人々を見かける。それが売られている店はどこだろうか、あ、ありました。古ぼけたアパートの1階が店になっているようなので、早速入ってみる。

日本ならば愛想良く「いらっしゃい」と言われるだろうが、ここではそういうことはない。いや、ただ少し混んでいて、他のお客の対応で忙しいだけかな。さて、何にしようかと、ガラスケースに並んでいる30種類ぐらいのパンを見て、クリーム入りとピザに決める、「これとこれをくださいな」と言ってみる。反応がない。どうやら英語は通用しないみたいなので、欲しいものを指で指して意思を示す。お、何とか伝わったようだ。

指で2.4マルク(160円)と示してくる。ええ、激安じゃあありませんか。そして、紙袋に入れてもらい受け取る。おいおい、実際に手に取ってみるとめちゃくちゃデカいじゃあありませんか。どちらか1つでよかったね。そう思いつつ、店の壁際にあるイート・インスペースで食べる。やっぱり、日本のものとは比べ物にならないぐらいに美味しい。小麦の使用量や発酵方法があるべき姿を保っているからだろう。


激安・ドデカいパン2個

結局クリームパンは食べられそうにないので、リュックに入れて店を出る。腹が満たされたので、ショッピングセンター周辺をウロウロしてみる。そうだ、この通りの北側に鉄道の駅があるな。ちょっと見に行ってみよう。もちろんトラムが通っているので、切符を買って乗ってもよいのだが、ほんの500mぐらいなので歩いて行ってみる。

途中の道沿いにある、工業大学の敷地を通る。大学生と思われる人達が楽しそうに語らっているのを見て、ああ、いいなぁ。俺も大学時代に戻りたいと思ってしまう。でも、仮にそれが実現したとしても、今度は遊んでばかりいないでしっかり勉強しなくてはいけないぞ。一方、道の反対側には「アメリカ大使館」がある。そうだ、アメリカの大使館と言えば、ダカールに行った時に「ヴェルデ岬」に行こうとタクシーに乗り、アメリカの大使館周辺で降車したら、役人がすっ飛んできて「立ち去れ!!」と怒鳴られたね。やっぱり、セネガルでは良からぬことを考えている者が多くいて、大使館に爆発物なんかを投げ込まれないようにピリピリしていたのだろう。ただ、この国ではそんなことはなく、随分平和な空気が流れている。

そんなわけで、道の突き当りにある鉄道の駅に到着だ。

サラエボ駅は思っていたよりも大きくて、立派だ。いかにも一昔前の駅ビルという感じが良い。そういう自分も昭和の人間であり、平成が終わろうとしているこの時代ではアナクロな存在になっているので、共感してしまうのだ。ガイドブックによれば、鉄道はあまり運行されていないようである。それが証拠に建物の中にはほとんど人がおらず、切符を売る窓口でさえ、ばあさんが一人いるだけだ。日本は鉄道天国なんて呼ばれるが、ボスニアと比べればその言い方は全くもって正しいと言えよう。


サラエボ中央駅の様子
(左は中央郵便局)

駅前の広場には、そこそこ人がいる。しかし、その人達は鉄道を利用するというわけではなさそうだ。いわゆるバックパッカーと呼ばれる旅人が多く、隣のバスターミナルから流れてきたと思われる。また、治安の維持をするためか、警察官も巡回している。また、隣には中央郵便局がある。職業柄、ちょっと気になってしまうが、あまり見るべきものは無さそうだ。

さて、駅前の人々をさりげなく観察していると「闇の両替屋」らしき人もいるようだ。「闇の両替屋」と言えば、当方の兄である「フトシ君」だろう。この逸話は彼の武勇伝の中でも1、2を争う程にウケるようで、紹介しない訳にはいかない。

彼はその昔、バックパッカーの真似事をしていたことがある。その際、インドを旅したのだが、長期滞在が祟り「腹を壊した」そうだ。それも余程辛かったようで、帰国を早めるために航空券を手配したのだ。しかし、よりによってそのフライトがキャンセルとなり、代金が返金される。それも米ドルを支払って購入したのにもかかわらず、現地通貨の「ルピー」でだ。彼によればそれは「札束の山」であったということだが、そんな山は国際的に見れば大した価値はない。さらに、体調も戻ったので帰国するのも後回しになった。そこで、その「大金」を米ドルに戻すために「闇両替商」となり、同じバックパッカーに「ちょっとだけ」良いレートで両替をしたということだ。

というわけで、当方にとって「闇両替商」とは兄貴のことであり、それを見ると直ちに彼を連想してしまうのだ。余談だが、当方がセネガルのダカールに行った際、ATMで12,000セーファーフラン(約2500円)を引き出す際、誤って120,000フラン(25,000円)をおろしてしまったことがある。まあ、滞在日程がまだあったので「使い切れるかな」と思っていたが、結局60,000フランぐらい余ってしまったのだ。そこで、ホテルの兄ちゃんに相談したら「ドルに戻してくれる人を紹介するよ」と電話してくれ、闇両替商を呼んでくれたことがある。結局135米ドルに替えてもらったんだけど、交換比率はかなり悪かったなぁ。以上、闇両替商の世話になった話でした。

3.高みの見物

それにしても、昨日の雨とは違って今日は良い天気だ。タクシーの運転手が「明日は晴れるよ」と言っていたのだが、その通りとなった、ということで、駅の隣にある「アヴィス・ツイスト・タワー」に登って、サラエボの街を見下ろしてみよう。冒頭の写真はそのビルの雄姿だ。

そのタワーであるが、新聞社の「アヴィス社」が入っており、2009年に完成したようだ。また、高さは142mと、この国では最も高いビルである。ガラス張りの窓がずらりと並び、少しだけヒネリが入っている。これならば西側の国でも十分に通用するものだと思われる。

駅からわりと急角度の坂を上って、タワーを目指す。おいおい、結構きついなぁ。これでもスポーツ・インストラクターの資格を持っているのだが、体力的には素人ではないか。こうして、やっとの思いでタワーの入り口に到着する。

タワーの中に入り、受付カウンターに向かう。「あのう・・・」と言うと女性職員が「展望台ですか?」と。「そうです」と答えるとすかさず「両替して35階のカフェで料金を払ってくれ」と言う。それもすごい早口で。言われたことを復唱しようと思っていると「もういいわ」と言わんばかりに、エレベーターの方へ誘導される。女性はエレベーターを操作して「35階へ行け」と態度で示している。そして、エレベータ-が到着すると、さっさと持ち場に戻っていく。

ところで、レポート上では結構上手く英語を駆使しているように見えますが、実際は言われたことを復唱して内容をいちいち確認しながら会話しているんですよ。誤解していたら大変ですからね。

エレベーターに乗り、すごい速さで上昇しながら外の景色を見る。だんだんと遠くが見えるようになり、サラエボの街が小さくなっていく。それはそうと、さっきのせっかちな姉ちゃんは、両替してどうのこうのと言っていたなぁ。まあ、マルクはたくさん持っているんだから、その必要性はないだろう、と勝手に解釈する。

さて、35階に着いたので、カフェに料金を払いに行く。「展望台に行きたいのだが」と切り出すと、おかみさんが「コインはあるか?」と聞いてくる。確か下で料金は2マルクと言っていたので、10マルク札を出すと・・・。もういいわという態度で、誰かの名前を呼ぶ。すると、中年の男が出てきて「ついて来い」と言う。

どうなるのかと思うと、展望台の入り口にある回転式のゲートを操作して「行け」と手で示す。「料金は?」とたずねると、手で「行け行け」と示す。ああ、なる程。お釣りがないから、タダで通してくれたというわけか。こいつは運が良かった。両替しておけとはこのことだったのか、納得。それにしても。この国の人達はせっかちで早口である。旧共産圏のイメージだと、どちらかというとのんびりしていそうな気がするが、それはただの思い込みだったようだ。のんびりしていると言えば、ポルトガルの方がはるかに緩い。そんなことを思いつつ、展望台のドアを開ける。

さて、ここでも逸話を一つ。今回は「お釣りがないからタダで通してもらった」わけだが、某友人の父上がそれを巧みに利用した作戦を展開していたようだ。その友人が子供の頃、国道のバイパスの通行料(確か50円って言っていたか??)を払うのに、父上はわざわざ1万円札を出していたそうだ。すると料金の収受員は「もういいから行け!」となるそうだ。もちろん、マネをしてはいけませんよWW。

展望台からは素晴らしい景色が見えると同時に、街の様子もよくわかる。まずは、真下に見える鉄道の駅だが、本当にほとんど列車は来ないようだ。貨物の受け渡し所みたいな所にも、全く荷物は無い。一方、スナイパー通りの方を見ると「ホリデイ・イン」の周りには背の高い現代的なビルが建っていて、道路には車がたくさん走っている。そして、滞在する旧市街地方面を見ると、古い建物が多く見え、新市街地はとは対照的である。さらに回り込んで北側を見ると、山に沿って家が立ち並び、墓地なんかも見える。地図を見てみると、そちらがオリンピック・スタジアムがある方角のようだ。そうだ、景色を楽しんだ後は、歩いてスタジアムの方へ行ってみよう。


駅前広場の様子


市街地方面の様子


バシチャルシア地区方面

2,30分景色を楽しみ、カフェでお礼を言った後、タワーを後にする。そして、慎重に方角を定めて歩き出す。地図によれば、この道を行くとスタジアムに出るようだ。距離的には2、3㎞ぐらいなので何とかなるだろう。そう思って歩き出すと、急に寂れてきて、なんだか治安が悪そうな雰囲気になる。さらに悪いことに、やけに坂が急になってくる。

おいおい、こんな所で道に迷って疲れ果てては、今後の旅に影響しそうだ。今日は辞めておこう。歳を取ったせいか、ちょっとマズイことがあると諦めムードになってしまう。が、ここは何もわからないサラエボであり、無理をして厄介なことになってはつまらない。というわけで、1㎞ぐらい歩いた所で駅に引き返すことにする。

4.さて、どうするか

駅前まで戻ってくるが、歩き疲れてしまう。しかし、ここにもトラムの線路があるので、電車は来るはずだ。そう思って待っていると、10分ぐらいで古ぼけた車両が滑り込んでくる。「バシチャルシアへ行く?」と運転手にたずねると「ああ」とうなずく。因みに、駅前からの路線番号は「1」であり、午前中に行った「イリジャ」は「3」であることが後に判明する。じゃあということで、1.8マルクで切符を買って、電車に乗り込む。前述のように、運転手から切符を買うと0.2マルク高いのだ。明日は回数券を買うことにするかな。そう考えていると電車は動きだし、スナイパー通りから川沿いの道を進んでいく。

さっき歩いてきた通りの、川を挟んで反対側を電車は行く。石でできた古めかしい建物が所狭しと建っており、いかにもヨーロッパ的な雰囲気だ。しかし、中には最初に見たような穴だらけのものあり、内戦があったことを思い出させる。また、電車を利用する人は多く絶えず乗り降りがあり、欠かせない足となっているようだ。

こうして、旧市庁舎前のヘアピンカーブを曲がれば、バシチャルシアの停留所だ。あ、そのカーブには「コーナー」というホテルもあるので、上手いなと思う。まさしく、名前が体を表しているからだ。

陽も暮れかかってきているが、旧市街地は賑やかだ。ちょっと喉が渇いたので、何か飲んでいくかな。そう思って、ちょっと奥まった所にある店に入る。「ハロー」と挨拶されるのだが、これは英語と同じだ。因みに、この国は「ボスニア語」が話されていて、文字はロシア語のようなものを使用している。

「カファ」つまりはコーヒーを注文する。しかし、この国のコーヒーは、いつも飲んでいるものとは違う。銅製の小さなポットと、日本酒のおちょこみたいなものが運ばれてくるのだ。ガイドブックによると、これは「ボスニアン・コーヒー」と呼ばれていて、銅製のポットにコーヒーと水を入れて沸かし、少し放置してから上澄みを飲むということだ。

一応店員に「どうやって飲むのか」とたずねてみる。すると「砂糖を入れて、かき混ぜ、少しおいてからおちょこに注ぐんだ」と、ガイドブックの通りに説明してくれる。さて、そのようにして飲むコーヒーだが、洗練された味ではない。しかし、この苦味のみならず、渋味も一緒に味わうところがいかにも「ボスニック」という感じだ。悪くないね。


これがボスニアコーヒーだ
右上の銅のポットの上澄みを、その下の陶器のおちょこに注ぐ

2マルク(130円)を払って、店を出る。喫茶店のお茶はあまり高くないので、気軽に飲めるところが嬉しいな。そう思い満足して、ホテルに戻る。すると、朝とは違うとても可愛らしい女性がフロントの番をしている。明日から頑張って、お友達になろう。そう思って、部屋に戻るとドッと疲れが出てくる。時刻は16時だが、日本時間ならば既に23時だ。道理で眠いわけだ。ここで少し休んでから、夕食に出かけるとしよう。

第2日目 その3へ続く
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