管理人 海外へ行く
~ボスニア・ヘルツェゴビナ編~
2018年10月23日 ~ 2018年10月31日


市街地「バシチャルシア地区」の中心にある泉

10月24日(木)
第2日目 その1

1.準備

朝4時頃に目が覚める。もっとも、日本時間では11時なのだから、当たり前だ。いわゆる時差ボケ状態になっているのだが、これを一発で解消するには無理やりにこちらの時間に合わせることだ。ということで、6時過ぎまでベッドでウダウダする。しかし、何かが大音量で流れ出す。うん、これ以上は無理なので、日の出前だがひとまず起床してシャワーを浴びる。ああ、ちゃんとお湯が出るので問題はない。さっきから何を「お湯お湯」と騒いでいるのかと思っているあなた、シャワーからお湯が出るのは当たり前ではないのだ。昨年行ったセネガルのダカールでは、シャワーからは「日光で少し温まった程度の水」しか出なかったのだ。もっとも、気温が高いので、それ程問題にはならなかったのだが。

さっぱりして風呂場を出るが、前述のように電灯が1つしか機能していないので部屋が薄暗い。これについては、出かける時にフロントに直してくれるように言っておこう。そう言えば、ポルトガルの時は電気が入らなかったり、ダカールでは便座が取れてしまったりして、フロントに修理を依頼したな。こういう、必要に迫られることがあると英語も上達するというものだろう。日本人が英語は苦手というのは、結局「必要がないから」なんだと思う。もしも、日本でも「英語が理解できなかったら死んでしまう」という状況になったら、皆達人となることだろう。

窓から外を見ると、山が見え、すぐ隣にイスラム教のモスクとそのミナレットが見える。なるほど、朝から「何か」が大音量で流れていたが、あれはコーランだったのか。一方、遠くではキリスト教の教会からと思われる盛大な鐘の音が聴こえてくる。イスラム教とキリスト教が同居するとは、とても驚きだ。しかし、それは当然のことかもしれない。と言うのも、この国はヨーロッパでも東寄りに位置しており、古くはローマ帝国、中世にはオスマン帝国(こちらでは「オットマン」と呼ばれる)に支配された事があるからだ。そんなことを考えていると、時刻もちょうど7時となったので「Ground Floor」に下りて、レストランへ向かう。フロントでは何か話している人がいるので、その後に「207号室の管理人だが、朝飯を食べてもよいか」とたずねると「もちろん、イイよ」と。


窓から見える風景

おお、台の上には種類が豊富な料理が並んでいる。定番の卵、ソーセージに加え、キャベツや人参、キュウリなどの野菜、リンゴやミカンなどの果物、スープなど、普段は貧しい食事しかしない当方にとっては、まさに朝からご馳走である。


朝から豪華な食事が用意されている

上記のものを皿に盛り、席に着いて「いただきます」とガツガツ食べ始める。うひょー、やっぱりパンが旨い。毎回記載しているのだが、これがパンだとすると、日本で食べているパンって何なんだろうか。少量の小麦粉を無理やり生地にして、膨らし粉で何十倍にも膨らませた「パンのような食べ物」といったところだろう。いやあ、朝からこんなご馳走を時間も気にせずに食べていられるなんて、旅って最高だよ。そう思いつつ、2杯目を盛ってくる。今度はチーズやシリアルも食べてみる。やっぱりおいしいよ。


このくらい平気で食べちゃいました

大満足で部屋に戻り、いよいよサラエボの街へ出かける準備をする。今日は「市街地の概要を知る」というテーマでブラブラしてみようと思う。毎度おなじみのガイドブック「地球の歩き方」に掲載されている地図をよくよく眺めて、ポイントを確認しておく。

2.いよいよ街へ

8時30分頃にフロントに下りていき、鍵を預ける。そして、あまり愛想が良くない女性従業員に「部屋の電気が1つしか点かないのだが・・・」と言う。すると「帰りまでに直しておきます」と事務的な返事が返ってきた。「じゃあ、お願いします」とホテルを出る。昨夜降っていた雨は上がり、外はヒヤリとした空気に包まれている。細い路地を抜けて石畳の道を降りていくと、両脇には金物を作る工房、喫茶店などが並んでいて、坂を降りきると旧市街地の中心となる「泉」が見えてくる。まだ朝が早いせいか人は少ないが、近くを通る路面電車の停留所では出勤する人々が並んでいる。今日は木曜日だから当然平日なわけで、そんな日に日本から来てブラブラと遊んでいるのはちょっと申し訳なく思ってしまう。やはり、根は日本人なのだ。


停留所付近の様子
(この写真の逆側は、冒頭の写真のようになっている)

さて、まずはツーリストの情報を提供する場所である「i」マーク(Information)の場所を確認して、行ってみる。しかし、地図で示された場所にそんなものはない。おかしいなあと該当する場所の壁を見ると「11月20日まで休暇をいただきます」って、休暇を取ってきたツーリストをもてなす「i」が休暇って、そんあのありかよ。まあ、ここはボスニア、日本ではないのでそんなことを言うのは全くもって場違いである。情報を提供するのも人間の仕事であり、人間ならば当然休暇が欲しい。いや、休暇無くして仕事などあり得ない、そう考えるのが人間のあるべき姿であろう。

まあ、ガイドブックを参照しながら行けば良いでしょう、とひとまず大きな通りへ出てみる。その通りは川沿いに続いており、その名前はミリャツカ川と言うようだ。そして、川には橋が何本かかかっている。そう、サラエボの市街地は、ちょうど大学時代に住んでいた瀬戸市のような感じだ。このヨーロッパの東の街と学生時代に住んでいた場所に共通点があるとは、何とも妙である。ということで、その川沿いに歩いていくことにする。


川の両側に街が広がる

最初は、旧市庁舎前から公園のような緑地を行くことにする。この時、ふと我に返り「そうだ、俺は日本から丸一日かけてこのサラエボにやって来たのだ。やはり夢ではないのだ」と感激の波にさらわれる。日々面倒なことや辛いことばかりだが、俺はこの瞬間のためだけにそれらに負けないで耐えてきたのだ。やはり、旅には底知れない魅力があり、それだからこそ辞められないのだ。


旧市庁舎

そんなことを考えつつ歩いていくと、ある建物の前を通る。どうやらホテルのようだが、半分は新品ながら、半分はかなり古くてすすけている。よくよく見ると、穴が多数空いている。そうだ、これは内戦の跡なのだ。すすけているのは、火事になったからだろう。そして、さらに歩いていくと、そういった建物がずーっと続いているのだ。内戦がいかに激しかったか、容易に想像できるので、今まで浮かれていたのだが、ここで気持ちが引き締まる。


左の建物は穴が無数にあいている

そして、ある橋のたもとにやってくるが、それは「ラテン橋」という名前だ。案内板によると、ここは第一次世界大戦の引き金となった、あの有名な「サラエボ事件」の現場であるようだ。そこには「MUSEUM」と書かれた博物館もあり、写真が展示されている。そうか、俺は世界史で登場したあの場所に来ているのか。やはり夢ではないようだ。


ラテン橋

さて、博物館の開館は10時からでまだまだ先であるし、今日は街の様子を探るのことをメインとしているので、ひとまず流しておく。橋の向こう側はどうなっているのかな。そう思いながら、橋を渡っていく。そこは広場になっていて「オーストリア広場」と呼ばれているようだ。そこにトロリーバスのターミナルがあり、周囲にはキオスクもある。しかし、市街地側とは雰囲気ががらりと変わり、野犬がいたりして少し物騒な空気が流れている。因みに、日本大使館はこのすぐ上の建物らしい。

さて、現在のサラエボは「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」の首都であるが、この国は相変わらず、ボスニア人とセルビア人が共存している。内戦で戦った2つの民族が同じ国に住んでいるのか。答えは否である。地図をよくよく見てみると、サラエボの南側は「セルビア人共和国」と書かれている。つまり、内戦時にサラエボを包囲していたセルビア人の陣地は、そのまま居住地となっていて、自治が認められているということだ。もちろん、いわゆる国境はないのだが、ガイドブックには「見えない境界線がある」と記載がある。川を挟んで雰囲気が変わるのは、このことが影響しているのかもしれない。民族の問題はとてもデリケートなものであり、むやみに境界線の辺りをウロウロしない方がよさそうだ。そう思い、ひとまず橋の北側に戻ることとする。

橋を渡って博物館横を通り過ぎ、大きなイスラム教の寺院である「カジ・フスレヴ・ベイ・ジャミヤ」にやって来る。ここはボスニアの重要なイスラム教の寺であり、学校や公衆浴場、商業施設を併せ持つ大きなものだ。確かに大きくて、カメラには収まらない。ただ、内部は写真撮影が禁止となっているので、フラフラと眺めるだけにしておく。また、薄着の女性も入ってはいけないと絵表示が出ている。これは、イスラム教徒の女性がいつもスカーフを巻いていることからも想像できよう。また、礼拝堂の内部はとても豪華な造りとなっており、神聖な雰囲気が漂っている。ガイドブックによると「ミフラーブ」と呼ばれる祭壇がメッカの方向を向いているということだ。確かに、南向きだね。


カジ・フスレヴ・ベイ・ジャミヤ

寺院を出て、再び近隣の通りを当ても無く歩いてくのだが、この国では歩きたばこも普通だし、店番をしている人も平気でタバコを吸っている。それも、女性が意外にも多く、タバコを吸うのに性別は関係無さそうだ。日本では、男性に比べて女性がタバコを吸うのは好ましくないという感覚だが、それは日本だけのものろうか。そう考えると「日本の常識は世界の非常識」という言葉もうなずけよう。

さて、この寺院の北側の通りは賑やかな商店街と言う趣であり、朝早くから開店の準備に忙しい・・・というわけでもない。皆さん、携帯片手にタバコを吸ってボチボチである。そう考えると、日本人は本当に勤勉でアクセク働いていると思い知らされる。そしてその通りに面した、由緒正しそうな建物を発見する。ガイドブックによると「カジ・フスレヴ・ベイ・ベジスタン」と言うようだ。「ベジスタン」は商業取引所のことで、さっきの「ジャミヤ」は寺院のことなのだろう。ドアから中を見ると店がズラ~リと並んでいるが、開店前で薄暗い。後日来ることとしよう。因みに「カジ・フスレヴ・ベイ」とは人の名前で、ボスニアの総督だったようだ。

ここまでは前述の「泉」から西方向へ歩いてきてが、一旦ホテルのある東方向へ戻る。この辺りはとにかく小さな店がたくさんあり、すべて開店したら面白いことになりそうだ。それはそうと、ちょっと寒くて疲れたので、喫茶店に入って休息したい。すると、泉の広場の端に良さそうな店を発見したので、ここで休息する。


左端が喫茶店
(街のシンボル時計塔も見える)

うわ、店内はタバコの煙がたちこめているが、ここはボスニアなので仕方ない。「何か熱い飲み物はあるかな?」とたずねると「トルコ式のお茶がある」ということなので、それを注文する。数分待つと、それが運ばれてくる。ああ、この特徴のある器のお茶ね、沢木耕太郎の小説「深夜特急」を映像化し、大沢たかおが出演している、あのドラマで見たことがあるものだ。飲み方は簡単で、砂糖を入れてかき混ぜ、別の器にいれるのだ。うん、おいしいじゃあないか。紅茶は紅茶なんだけど、ちょっとスパイスらしきものも入っていて不思議なおいしさがある。


トルコ紅茶で一息

周囲の人々は朝からのんびりと茶を飲んで、タバコを吸って寛いでいる。仕事は大丈夫なのかと心配になるが、そもそも仕事をしている人かどうかもわからないし、休みかもしれない。因みに、この国は失業率が40%程度となっているようで、これも普通の光景なのかもしれない。この原因はやはり、民族の問題に端を発しているようである。前述のように、この国には見えない国境があり、セルビア人とボスニア人は居住区が分かれていて、それぞれ自治が認められている。それ故に、統一した経済政策が打ち出せないということらしいのだ。

まあ、仕事だけが人生でもないし、今日は旅に来ているので仕事のことは忘れよう。そう思い直し、トルコ茶を飲んではやはり「俺はサラエボに来たのだ」とほほをつねるのである。支払は2マルク(130円程度)であり、とても安い。こんなんだったら、しょっちゅうお茶を飲めそうだ。そう思い支払いをして「レシートをちょうだい」と頼んでみる。すると店員は「????」という顔をするので「勘定書=Billの細長い紙を・・・」と言ってみると、わかってもらえる。こちらの英語はイギリス式が普及していることがここで確信となる。

3.電車に乗って

さて、元気が復活したので、路面電車に乗って新市街地へ行ってみよう。旧市街地の広場前にある停留所に行き、路面電車に乗ることにする。しかし、料金の支払い方法がわからない。ガイドブックによれば「車内で購入できる」とあるが、できればあらかじめ切符を用意しておきたい。そう思っていると、この停留所には切符売り場が併設されている事に気がつく。これで問題解決だ。

売り場で「大人片道を一枚」と言うが、店番をしているおばあさんは英語が全く理解できないらしい。「困ったな」と思うが、窓口のアクリル板に切符の種類が表示されて「それを指してくれ」というジェスチャーをしている。そこで、一番上のものを指さした後、指で「1」と「6」を示す。これで理解できたのだろう、1.6マルクの切符を差し出してきて「これでよいか」という表情でこちらを見てくる。「O.K.だ」と指で示して、切符の購入が完了だ。
因みに切符と言っても日本のものとは大きく異なり、手のひらサイズの厚紙であり、一応磁気テープが貼ってある。そして、それを車内の改札機に通すのだ。まだかな、と10分ぐらい待っていると、路面電車がやってくる。街中を通り過ぎて終点の「イリジャ」地区へは3系統に乗るのだが、方向幕を見ないで乗車してしまう。まあ、路線はそれ程複雑ではないので、何とかなるでしょう。


路面電車が来ました

列車に乗り込み走り出して気になるのは、やはり宗教や民族の多様性だろう。前述のように、この地はローマ帝国やオスマントルコ、ロシアなど様々な国に支配された歴史があるのが実感できる。車窓からはロシア教会、カトリック教会、ユダヤ教の「シナゴーグ」、そして再三登場するイスラム教寺院が見える。また、街を歩く人もスラブ系、ユダヤ系、トルコ系の人々、さらに、その民族によらない、イスラム教徒と思われるスカーフを巻いた女性達が多く見られる。

最近でこそ日本を訪れる外国人も増え、ちょくちょく街中でも見かけるようになったが、まだまだ少ない。そんな単一民族国家からやってきた日本人のオッサンは驚くばかりである。それにしても、スラブ系の女性は本当に美しい。一説によると「世界で一番女性が美しいのはスラブ系」と言われているようだが、まったくその言葉は正しいと言えよう。

電車はなかなかボロで、ギシギシと走り出す。しかし、車内はわり広いので、輸送力は高そうだ。おや、運転席と客室の仕切りのアクリル板に、何かに赤字で記載してある。ああ、無賃乗車をすると8倍の料金=26マルク(1,500円)が請求されるのか。そんなもん発覚しようもなし、ケチっても仕方ないよね。


車内の様子

そんなことを思っていると、電車は狭い旧市街地を抜けて広い通りへ出てくる。多くの車が通行し、また人々も思い思いに歩いている。そして、通り沿いには真新し高層ビルが並び、ほんの30年前までは「ユーゴスラビア」と呼ばれていた共産圏の国とは思えない様相だ。

地図で自車の位置を確認しながら、車窓を流れている建物を見ていると、黄色いホテルが見える。これは有名な「HOLIDAY INN」であり、90年代の内戦の時に各国の報道記者がたむろしていた建物だそうだ。ということは・・・、ここがかの有名な「スナイパー(狙撃者)通り」ということか。何が有名なのかと言うと、内戦時には、この通りのビルに敵対していた「セルビア人」が占拠しており、通りを行く「動くもの」はすべて狙撃の対象となったと言われているのだ。もちろん、女性、子ども、老人の区別は無い。これにより、かなり多くの犠牲者が出た模様で、その悲惨さからこの名前が付けられたということなのだろう。


スパイパー通りの様子
(中央がHOLODAY INN)

それはそうと、海外の乗り物では当たり前のことだが、停留所の名前や乗り換えの案内と言った類のサービスは全くない。それ故に、こうして地図を片手に建物を追っていくことはとても重要だ。どこで降りればどこへ行けるか、を自分できっちりと把握しておく必要があるのだよ、ヤマトの諸君。

繁華街抜けると、高層アパートや緑地が広がる地域となる。いかにも郊外という様相であり、人々の日常生活の時間が流れているという雰囲気だ。当方はどちらかというとこういう場所の方が好きであり、仮にサラエボに住むのならこの辺りが良いなと思う。

そうこうしていると、終点「ILIDZA」が近くなってくる。そこは空港の西の端に当たり、ちょっと栄えている街である。果たして、ここにはバスのターミナルがあり、ここから乗り換えれば、さらにあちこちへ行けるようだ。サラエボ版の「ローカル路線バスの旅」なんてテレビ番組を作るなら、ここは重要な場所となろう。さて、電車を降りるが、今日は街の偵察なので特に何をするわけでもなく、周囲をブラブラする。


ILIDZAバスターミナルの様子

4.少しだけ見てみよう

ここは街の中心なので、人も多く出ている。まあ、サラエボについてはそれ程心配は無いようだが、バスターミナルや鉄道の駅はひったくりやらスリが多い。因みに、南アフリカのガイドブックを読むと「地元の人でも敬遠する程に治安が悪い」なんて記載を読んだこともある。

そういう目でみると、確かにちょっと背筋がひんやりするような雰囲気がある。まあ、いつも貴重品は見えないようにして「周囲を注意しているぞ」というオーラを出しつつウロウロしてみよう。街の中に入ってみると、薄汚れたというか、モノトーンのコンクリート造りの建物がある。「何の建物かな?」と思って近づいてみると、救急車が止まっているので病院だとわかる。中に入ってみたかったが、用もないのに病院に入るのは良くない。いや、こんな怪しい外国人が病院に入るなんて、危険だろう。テロリストか何かに間違えられたらコトだからね。そう言えば、以前、大澤たかお主演の「深夜特急」を観た時に、映画館に入ってみたものの、つまらないのですぐに出てきたところ「爆弾を仕掛けた」と勘違いされるくだりがある。あんなことになったら思い出にはなるだろうが、心臓がバクバクであろう。

病院の前を通り過ぎ、広い道に出る。この先に空港があるので行ってみようと思うが、空港はとても広いので歩いたら何時間もかかるかもしれない。今日はあくまでも街の様子を偵察することに徹したいので、ここで引き返えそう。

病院の駐車場を歩いていく。そういえば、サラエボではどんな車が走っているのかな。駐車場ならばその傾向を掴めるだろうと思い、しばし観察してみる。多いのはメルセデス、VWだろう。ついでプジョー、ルノー、オペル、日本車はヤリス(日本名ヴィッツ)やランドクルーザー等のTヨタ、マツダがチラホラというところか。


病院の駐車場にて
(欧州車、日本車が多く見られる)

ここで、尿意を催す。やはり、さっきの病院で用を足すべきだったかと思う。だって、海外では公衆トイレは有料なんだもん。しかし、我慢していてもロクなことがないので、ここは公衆トイレを使うことにする。やっぱり、入り口の前にオッサンがいて手を出している。「1マルクだよ」と。はいはい、1マルクね。中に入ると、これまたやっぱり、やけに背の高い小便器だ。当方は日本人としては平均的な175㎝なのでギリギリ使えるが、ちょっと背の低い人ならばきっと難儀するだろう。

スッキリしたところで、一度市街地へ戻ることにする。売り場で1.6マルクを払い、切符を買う。そして、ホーム(のような場所)で電車を待つ。

第2日目 その2へ続く

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