成田‐中部便で見た富士山
朝は7時頃に起床した。このホテルでは朝飯も頼んでおいたのだが、この日は中国人の団体が泊まっているということで、8時までに済ませて欲しいということだった。混み合ってはゆっくり食事もできないだろうと、早速1階の食堂へ下りていく。いやあ、米の飯と生卵、納豆、味噌汁、これぞ日本の朝だ。味噌汁って何でこんなに旨いんだろうか、いや、ポルトガルや機内でも食事は十分に美味しかったはずだが、やはり日本の食べ物にはかなわないということか。
今日は9時55分発の日本航空3083便で帰宅するので、あまりのんびりもできないな。さっさと支度をして、8時の送迎バスで空港第2ターミナルまで送ってもらう。今日は往路と違ってよく晴れているので、景色がよく見えそうだ。そんな期待をしながら、JALのカウンターで搭乗手続きを済ませる。座席はもちろん、当方の指定席である翼の付け根の窓側27Kだ。荷物を預けて、駐機している飛行機を観察していく。ここはアジアの準拠点空港の成田だ。中部では見られないような「エア・インディア」とか「Fly Scott」そして「Finnair」の飛行機もいる。それよりも、最新鋭のB787が至る所に駐機してあるのは驚きだ。
エア・インディアの787-8型機
珍しい、フィンエアのA340-300
もともとANAが注文したことにより開発が始まったこの機種だが、JALも大量発注している。この2社だけでも80機近くの注文があり、そのうち半数ぐらいは納入されているようだ。それでも、中部空港ではほとんど見かけないのは、使用している路線がセントレアには無いということなんだろう。
さて、ターミナル内は早くも多くの人で混み合っている。中には修学旅行にいくのだろうか、高校生の一団も見えた。高校から海外とは、うらやましい。俺たちなんて、長野だったじゃんか。
北ウイングの様子
気を取り直して、Rのゲートへ向かう。この旅の最終レグに乗る機体は、やはりB737-800だ。登録記号は「JA340J」で、2014年10月納入の機体だ。ちょっと前ならば、MD87とかもあったのだが、残念ながら全て退役してしまっている。
陽の光を浴びて、体内時計を調整している(つもり)と、搭乗開始時刻となった。席に座り、いつものように非常口の書かれたカードを確認する。そして、ドアは定刻の少し前に閉じられた。やはり、定時出発世界第一位のJALはダテではない。プッシュバックされて、ヴェトナムエアラインズのB787の後ろについて移動を開始する。後方にはポーラーエアカーゴのB744も見えた。
機内から見た南ウイングの様子
着陸機待ちのヴェトナム航空B788
ホーチミン行きが離陸して、いよいよ当機の順番だ。いつもの加速でふわりと浮きあがり、高度を稼いでいく。今日のルートは往路と違い、離陸してそのまま西へ向かう航路だ。外を見ていたら、10分程で羽田上空を通過した。こっちは24時間稼働で、滑走路が4本もあるんだから、いずれ成田は廃れていくかもしれないな。
そう思っていたら水平飛行に移り、機長のアナウンスがあった。もうすぐ降下を開始する旨、そして富士山が見えるということだった。さっき水平になったばかりなのに、もう降下かよ。12時間も乗っていた後だから物足りなく感じるなぁ。
羽田空港上空を通過
富士山や、天野家、ヤマハの袋井テストコース、浜松などを通過していくと、渥美半島が見えてきた。そして、伊良湖の先で右旋回して、セントレアのR/W34に正対する。右に野間や内海を送ってどんどんと高度を下げ、11時ちょうどに着陸した。降機して荷物を待っていたら、11時30分を過ぎていた。従兄の息子である磯部航大氏に土産を渡していこうと思うが、丁度休息中ということだった。では、こちらも回転寿司で昼食にしよう。今朝もそうだったが、日本の飯は格別である。この後、航大氏に土産を渡し、電車と徒歩で14時頃に帰宅した。
中部国際空港に到着した
JA340J号機
初めての海外は全てが初めてなので、喜んでいる間にそのまま過ぎ去ってしまったという感じである。
本日の移動距離 180海里
総移動距離 12,000海里
こうして、再び日常の時計が動き出した。旅が終わった寂しさはあるが、無職生活の時間もまた、容赦なく過ぎていく。現実に戻るのはあっという間だ。しかし、日本以外の国へ出かけて、それなりに遊んで、帰ってきた。事実はこれだけなのだが、自分の中では飛行機で高速移動したこと、時差を飛び越えたこと、必要に迫られて英語を使ったこと、全てが初めての経験であった。それ故に疲れたが、喜びもひとしおである。
旅行前とは何も変わらない日常だが、心の中には確実に何かが残ったと気がついた。それは何だろうか。今までよりもちょっとだけ複雑な旅行をした、その達成感だろうか。確かに、周りから「初めての海外をよく一人で行ったね」としばしば驚かれる。自分としては、基本は今までのツーリングと変わらないと思うが、わりと頻繁に驚かれる。自分の評価と他人のそれは大きく離れていることも珍しくないが、この件についても同様である。
つまり、こんな当方であっても、少しは難しいことができる力を持っているのかもしれない、と感じるようになった。また、自信とまではいかないが、多少マシなこともできるようだ。そんなわけで「そんなに自分を責めないで、バイトから始めてみようかな」と思い、12月から軽作業のバイトを開始した。
それにしても、飛行機の旅行もかなり楽しい。毎日成田空港のHPを見ては、乗り入れ航空会社を確認したり、フライトレーダー24を見ては、自分が搭乗した便がどのあたりを飛行したのか、何時に離陸するのかを見届けたりしている。自分は確かに飛行機に乗り、西経9度の地へ行き、帰ってきたのだ。この場で旅行記を書いて、自分の足跡を何回も反芻していくうちに、旅の実感はあとからあとから波のように押し寄せてくる。
初めてのツーリング、特に北海道ツーリングもそうだった。このように、旅の思い出はそれが終わった後も、その存在感を増してくるものだ。さらに、これは自分だけのものであり、誰も奪うことはできない。そして、それは死ぬまで心に残るのだ。そんなわけで、ポルトガル紀行を終わりにしようと思う。2か月以上にも渡る長編にお付き合いいただき、ありがとうございました。また、次回の旅でお会いしましょう。
2017年3月17日
管理人記す。
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