管理人 海外へ行く

~ポルトガル編~

 

2016年 10月17日~10月26日

 

ヴァスコ・ダ・ガマタワー

(万博記念公園)

第8日目(10月24日)

 

1.起床

 

昨日は遅くに寝たが、朝はいつも通り8時頃に起床した。残念ながら、今日は日本へ向けてリスボンをたつ日だ。先週の火曜日にここに降り立ったのだから、ほぼ1週間滞在したことになる。もっと長く居ることは可能だが、日本の食事が恋しくなったり、疲れがでてきたりしている。ま。この辺りが引き際なのかもしれない。もしまた来たかったら、また来るだけのことだ。そのために仕事をし、体力維持のためにジムでエアロビクスを踊る、当方の理想の人生は、そういうサイクルで回ることなのだ。

 

まずは朝飯を食べよう。いつものように食堂で、旨いパンをついつい食べ過ぎてしまう。それも今日が最後かと思うと、何だか切なくなってくる。腹いっぱいになって部屋に戻る途中、ロビーでボーイの「JOAN」さんに会う。今日は月曜日なので、田舎から戻ってきて出勤している。挨拶を交わし「仕事をして、また来年来いよ」と励まされるが、それはわからない。「来年ではないかもしれないが、また来るよ」と生真面目とも思わる答えをした。

 

ボーイのJOANさんと

 

また「今日はオリエンテ駅に寄って行くのだろう?」とたずねられる。ええと、確か「ヴァスコ・ダ・ガマ センターは・・・、そうそう、オリエンテ駅」だ。「何でわかったのか」と聞くと、したり顔で「その人の気持ちになって、頭を目いっぱい使って考えるのが仕事だからね」と。彼はボーイとして、誇りを持って仕事をしていると感じた。そして、一緒に記念撮影をお願いし、お世話になったお礼にチップを渡す。そして握手をした後、彼は忙しそうに他の宿泊客の荷物を運ぶ仕事に戻っていった。この旅では「JOAN」さんのおかげで、随分と助かった。ありがとう。

 

2.出発

 

部屋に戻り、飛行機で使う荷物をリュックに入れて、要らないものはスーツケースに放り込む。この作業を宿でしておかないと、空港で店を広げるようなことになりかねない。これはバイクの長距離ツーリングで、フェリーに乗る時と同じ考え方だ。6泊した部屋をもう一度よく見て回る。おや、古風な航海図があったのかぁ。このテラスからの眺め、風呂場・・・。名残惜しく、その扉を閉めた。

 

ホテルからの眺め

(これも見納めだ)

 

ロビーに下りて清算をしてもらう。基本的に支払いは予約時にカードで落としてあるのだが、ポルトガルでは観光客に対して、最高で7日間、1日あたり€1の観光税がかかる。また、今回は途中で洗濯も頼んだので、€26.35の料金が発生している。これらを含めて€32.35を支払い「サナ・レクス ホテル」を出発した。いつも通ったスーパーがある「サン・セバスティアーノ」に行く時に歩いた石畳の坂、この道ともお別れかぁ。

 

3.オリエンテ(万博記念公園)

 

感傷的な気持ちでメトロの駅に到着した。切符は昨日チャージしているので、カードをかざして改札を通過する。空港が終点の「赤ライン」に乗り、8駅先の「オリエンテ」駅で降りる。そういえば、滞在中はこちらの方へは行かなかったなぁ。そう思いつつ駅を降りると、今まで見てきたリスボンとはまったく違う街が見える。その代表は「ヴァスコ・ダ・ガマ センター」であろう。カラベル船(高速帆船)をイメージした対になったビルは、この名前にふさわしい。

 

ヴァスコ・ダ・ガマセンター

 

その先は、1998年に開催された万博跡の公園であり、数多くの国旗が並んでいる。もちろん、われらが「日の丸」もあったよ。そして、ここも警察車両が巡回していて、治安維持にも抜かり無い。

 

万博記念公園を行くパトカー

(後方には国旗が並ぶ)

 

ちょっと風が出てきたが、海沿いのベンチに座って「ヴァスコ・ダ・ガマ橋」を眺める。頭上にはロープウエイが行き交い、その向こうには「ヴァスコ・ダ・ガマタワー」が見える。「ヴァスコ・ダ・ガマ」だらけだが、インドまでの航路を発見した彼は、ポルトガルでは英雄なのだ。

 

ヴァスコ・ダ・ガマタワーとヴァスコ・ダ・ガマ橋

 

日本にはこれほど国民に愛される偉人はいるだろうか、いないよなぁ。そんなことを考えつつ、妙に身に染みる秋風に吹かれて海を眺める。そうか、今日は日本に帰る日なのなかぁ。この1週間は随分歩き回ったよ。ちょっと脛骨筋や腓腹筋が発達して、下肢が強くなった感じがする。

 

遠くに見えるあのガマ橋、渡ってみたかった。計画段階ではガマ橋経由「セトゥーバル」に行きもあったのだが、前述のように「ファティマ」に行ったので、計画を果たすことはできなかった。

 

この1週間の出来事や気持ち、が次々に思い出されてきた。旅の終わりにはよくあることだが、この瞬間は毎度ながら寂しさを覚える。それに拍車をかける秋風を感じながら、公園内を歩いていく。すると、ドーム状の建物である「アトランティック・パビリオン」が見える。今週末に向けて、何かの展示を準備しているようだ。

 

アトランティックパビリオン

 

4.ショッピングセンターへ

 

ドームを横目に、先程のカラベル船のビルの間にある、ショッピングセンターへ行ってみる。今日は月曜日なのでそれ程込み合ってはいないが、多くの人が買い物に来ている。まずはホームセンターに入って、自動車のオイルなどを見る。海外の方が自力でメンテナンスをする人が多いと聞いているが、意外にも品揃えは日本と同じ程度だった。車を持つ人の人口がそれ程多くないのかもしれない。そして、隣にあるスーパーへ流れて行く。ここも、滞在中に通ったスーパー「エル・コンテ・イングレス」と同様に、品数が豊富で、しかもお値打ちだ。いつも朝食に出るキュウリがやけに太いのだが、その正体を見ることもできたと補記しておく。

 

ショッピングセンターの様子

 

魚屋

 

これがきゅうりの正体

 

何気に缶詰のコーナーにやってきたのだが、結構おいしそうなのでお土産に購入する。これならば扱いも楽だし、日持ちするからね。レジで支払いを済ませたら、2階の専門店街へ移る。追記だが、ここでビニール袋をもらっておかなかったことは失敗した。と言うのも、各人に配る際、袋も重要であるからだ。さて、2階では特に買うものはないのだが、どんなものがあるか見て回る。やはり、電化製品や時計などは日本のメーカーが幅を利かせているなぁ。そんなものは日本で買えばいいのだが、この「フェラーリー」の腕時計は興味をそそる。値段もアナログ文字盤ので、何も装備のないものなら€120とそれ程でもない。どうしようか、まあ、一旦落ち着いて考えよう。

 

この後、センターの奥にある喫茶店で一息入れる。ポルトガルでは、コーヒーと言えば「エスプレッソ」が主流のようである。当然苦いので、甘い「パステル・デ・ナタ」を一緒に注文する。レシートが無いので値段は失念したが、全部で€5以下だったと思う。窓からは、今歩いてきた万博公園、ガマ橋が見える。しかし、秋晴れの海はどことなくさびしげな雰囲気であり、これからリスボンを離れる自分の心境と同じである。

 

コーヒーで一息

 

5.名残惜しく空港へ

 

時刻は12時を回っているので、そろそろ空港へ行くとしよう。尚「フェラーリー」の時計の件だが、やはり購入は見送ることにした。「オリエンテ」駅から、終点の「エアロポルト」までメトロに揺られる。これも今日で最後かぁ。そう思っていると、この間の3駅はあっという間に過ぎて空港へ到着した。この後、15時50分出発TK1760便に搭乗する予定なので、まあ良い時刻でしょう。

 

予約確認は入国日に行っているので、問題はない。余裕をもって電光掲示時刻表を確認し、E-TICKETとパスポートを準備して、チェックインカウンターの列に並ぶ。「Bon Dia」の挨拶もやっと板についてきた。にこやかに、係員は端末をたたいで航空券を出してくれるが、預け入れ荷物のタグを発行する段になり、難しい顔をしている。ちょっと不安になり「何か問題がありますか」とたずねた。すると「いいえ」と笑顔でこちらを向くが、続けて「東京(成田)からNGOの便は、日にちをまたぎますよね。荷物はNGOで受け取りますか」と聞かれた。ああそうだわ。成田で1泊して、翌日セントレアに行くんだった。「いや、東京で受け取ります」と答えたら、タグを「From LIS to NRT via IST」と発券してくれた。

 

その中身を確認して安心し、出国手続きエリアに向かう。ここでは単に印を押してもらうだけだ。そして、セキュリティ・チェックを受ける。ここでは液体は持ち込みできないので、昨日買った水は放棄せざるを得ない。まだたくさん残っているが、ゴミ箱に捨てた。そして、パーカーを脱いで、財布、チェーン、時計、リュックを別々のトレイに置き、金属探知ゲートを通過する。今回は問題なくクリアした。

 

この段階で時刻は13時過ぎなので、まだまだ時間はたっぷりとある。ご存知の通り、セキュリティーエリア内には免税店がたくさん並んでいる。酒やタバコはもちろん、さっきのフェラーリの時計も€105で置いてある。ああ、当たりまえだけど、免税だから結構安くなるんだね。そんなことを思いつつ、想定する友人達に土産を購入して、指定された搭乗口「46」番へ行く。ターキッシュエアは、成田でも一番端だったし、ここでも一番端だ。空港使用料金を抑えているに違いない。

 

免税店エリア内の様子

 

出発までには1時間程度あるので、空港に駐機している飛行機を眺める。ここは「TAPポルトガル航空」の拠点なので、その傘下である「PGAエア・ポルトガル」の機体も多く見られる。TAPはA330やA320がほとんどだがが、TAGはフォッカー100という珍しい機種を使っている。また、イギリスの格安航空会社「RYANAIR」や聞いたことがない「EURO ATLANTIC」もいる。

 

PAGのフォッカー100

 

一方、当方が乗る予定の「TURKISH AIRLINES」のB737-800は既にスポットに入っており、給油等の折り返し準備に忙しい。

 

土砂降りの中、給油作業中のTC-JHU号機

(後方には、雨ざらしになった荷物が見える)

 

徐々に乗客が集まってきているが、その中に「シントラ」に行った時に電車で一緒になった、大阪の女性の姿が見えた。そういえば「同じ便かもしれない」と話していたっけ。ちょっと声をかけるが、あまり乗り気ではなかったので早々に切り上げた。彼女は当方みたいに動き回っていたのではなく、街をブラブラしてすごしていたようだった。

 

6.搭乗開始 さようなら

 

搭乗開始時刻になり、搭乗橋を渡って飛行機に乗り込む。今回は4レグ目の搭乗なので、最初に比べれば幾分落ち着いて楽しめそうだ。尚、今回の座席もフラップが見える。翼の直後の窓際だ。それにしても、午前中は天気が良かったのに、この頃になると雨が強く降ってきた。このくらいでは離陸に問題はなかろうが、窓の外ではその雨の中を、山積になったスーツケースを運んだ車がやってくる。布製のバッグだったらびしょ濡れだよ。

 

若干荷物が心配だったが、機体はほぼ定刻にスポットを離れ、誘導路を進んでいく。しかし、丁度離陸機が並んでおり、着陸機もバンバン降りてくるので、20分ぐらいは待たされた。そして16時24分頃にR/W21Lに正対し、離陸する。

 

滑走路21Lに進入中の当機

 

「さようなら、リスボンの街。また逢う日まで」と思っていたらすぐに雲に入り、ガタガタと揺れが続く。また、今日はさらに気流が悪いようで、縦揺れもひどい。「血の気が下がるぅ~」と呟いて我慢していたら、雲の上に飛び出した。すると揺れは収まり、さらに上昇を続けていく。

 

モニターに表示された予定経路を見ると、今日はイベリア半島を横切り、フランス、イタリア、ブルガリア上空を飛んでいくようだ。ああ、旅も着実に終わりが近づいているんだ。まさに、夢のようにあっという間に過ぎた8日間だったなぁ。さらに、これから太陽の動きと一緒に飛ぶのだから、時間がかなり早く過ぎることだろう。憂鬱な日々の予兆だ。

 

飛行予定コース

 

雲の上は快晴である

 

そう思っていたら、機内食がやってくる。朝飯をたっぷりと食べて腹が一杯だったので昼は食べていなかったが、夕方になって丁度何か食べたいと思っていたところだ。今回は肉が食べたかったので「チキン」を選択した。それにしてもバターライスもあるのに、パンも配られているのだが、そういうもんなのだろうか。

 

機内食

(パンとライスが同時に出されている)

 

食事をした後は、疲れが出て眠くなってしまった。石田あゆみ姉妹の長姉が出場した、オリンピック開催地「グルノーブル」上空を通過した辺りまでは覚えているが、その後は記憶がない。毎日しこたま歩いたのつけがここにきて回ってきた。

 

7.イスタンブール アタチュルク国際空港

 

ウトウトした後、気流の乱れで目が覚めると外は真っ暗で、イスタンブールまではもう30分ぐらいの場所だ。水を飲んで落ち着いた頃に、大きく左旋回して滑走路に正対し、モスクのような建物が並ぶトルコの首都に着陸した。そして、往路と同じく、どこか遠くの方のスポットに停止したので、巨大なバスに乗り換える。おっと、その前に機体のエンジンなんかを写しておこう。この737シリーズは、おむすび型のナセルのCFM56型エンジンが特徴である。「気圧計の空気取り入れ口はここかぁ」なんて喜びつつバシバシ写真を撮るが、あんまりのんびしていると置いていかれてしまうぞ。

 

これがパワーの源

CFM56型エンジン

 

急いでバスに乗り、往路と同じように滑走路や誘導路を無造作に横切っていく。本当に、この車には滑走許可が下りているのか不安だ。まあ、空港が広いので問題がないのだろう。そう考えていたら、何事もなくターミナルに到着した。寝起きのボーっとした頭で、乗り換えするゲートに向かう。ここで、危うく「国内線乗り換え」の方へ行くところだったよ。大丈夫か??

 

「国際線乗り換え」の階やってきたのだが、ここは往路にも来た場所だ。今日は40トルコ・リラ程残っているので、両替は不要だ。いや、大体の店ではリラとユーロが併記されているのだから、別にそのままユーロを持ってきても問題なかったようだ。ちょっと喉が渇いたので、有名なトルコのアイスクリームでも食べよう。ちょうどフードコートの入り口付近にアイスの屋台が出ていたので、早速注文してみる。もちろん、英語が通じるので「おすすめ」を聞いて、チョコレートとバニラのミックス(15.7トルコ・リラ)を選択した。味は至極日本人向けであり、甘ったるさやくどさは全くない、たいへんおいしいものだった。

 

アイスクリームを購入

 

海外版「アイスナメナメ」で、エリアをぶらぶらする。このでっかい瓶に入ったマシュマロみたいなものは、一体なんだろうか。今思えば、購入して食べてみるべきだっただろう。仮に、アタチュルクの免税エリアに行かれた方は、是非食べてみてね。

 

見たこともないお菓子が並ぶ

 

次にコンコース中央にある掲示板へ行き、成田行きTK52便のゲートを確認しておく。それによれば、ゲート「303」で、出発は1時40分だ。現在のイスタンブールは11時過ぎなので、時間は2時間以上とたっぷりとある。この広い免税店エリアをできるだけ楽しもうと、いろいろな店を見て回る。

 

そして、喫煙所近くにあるバーを通り過ぎた時、ある男の人と目が合った。「こっちに来いよ」と手招きしているが、すこしためらった後「空港だからいいか」と判断し、誘いに乗ってみた。そして「ご馳走してやるから、好きなものを飲め」と言うので「水がいい」と返答した。「あー、水???」という表情をしたが、カウンターの方へ行き水と自分のビールを持って帰っていた。

 

匂いをかいでみたが、間違いなく水だ。「おいおい、心配するなよ、ただの水だよ」と言う彼、名前は「ジャッキー」で、スイス出身だそうだ。今は彼女が待つ「バンコク」へ行く途中で、乗り継ぎ便待ちだそうだ。こっちも「リスボン」の帰りで、乗り継ぎ待ちだと話す。そして、いつももたずねられる「何でポルトガルに行ったのか」という質問を受けた。「いやね、日本はユーラシア大陸の東の端だろう、ポルトガルは西の端だろう。ロカ岬を見たかったのさ」と、いつもの答えをする。「おー」と驚きなのか、呆れたのか、よくわからない返事をしていたのは、印象的だった。また、車の話になり、当方は「スズキ」に乗っており「T社はFXXKING」だと熱くなってしまう。それに対してジャッキーも「そうだそうだ、あんな人を奴隷みたいにする会社はFUCXXGだ」となぜか話が合った。

 

彼が「タバコを吸いたい」と言うので場所を外の喫煙場所に移し、話を続けていると、アメリカ人の新婚さんがやってきた。ご主人の名前は失念したが、奥さんの名前が「ロビン」ちゃんであり「ロボコンだけじゃなく、本当にいるんだぁ」と感心しつつ、握手をする。そして、ご主人に「こんな美人の奥さんがいて、羨ましいなぁ」と冷やかしたら、けっこう照れていたと補記しておこう。そこへ、季節外れのバカンス中であるフランス人がやって来た。彼はとても英語が上手く、どこかで仕事の研修を受けるので、早く現地へ行って楽しむということだ。また、名前が「シェ???」であり「いかにもフランス人だろう??」って言っていた。うんうん、全くその通りだよ。

 

スイス人のジャッキーと管理人

 

ここで1時間以上は話していただろうか、新婚さんもフランス人も「飛行機の時間だ」と言って去っていく。時計を見ると、時刻は12時を回っている。あと、30分もしたらゲート「303」へ行かなくてはいけない。因みに「ジャッキー」は、4時台の飛行機に乗るということだった。12時30分を過ぎた頃に、ジャッキーと別れてゲートへ向かう。その前に、トルコリラを全てドルにもどしておこう。往路に利用した両替所の向い側のそれに行き「全部ドルにして」と19.7トルコリラを渡す。すると、$6ぴったりとなった。

 

一つ一つの行動が旅の終わりに向かう寂しさと、これで帰れることができるという安ど感を両方味わいつつ、ゲート「303」の列の最後尾につく。「今日はこの旅で一番話したなぁ。もっと英語に慣れて、流ちょうな意思相通が図ることができるよう、帰ったら勉強しようか」と思うが、こういう生の経験は動機づけには最適である。

 

既にできた長蛇の列は、さらに長くなっていく。まだ出発までには1時間以上あるのだが、皆さん気が早いですな。ちょっと待ちくたびれたと思っていたら、出発の30分ぐらい前に巨大バスに乗るよう指示があった。尚、今回は役人のパスポートチェックはなかったと補記しておこう。気まぐれで仕事ができるとは、うらやましい限りである。

 

8.日本へ向けて

 

バスに乗って、帰りの飛行機横に到着した。復路の機材もB777-300ERで、その大きさには驚く。B737が乗用車としたら、こっちは大型バスくらいの差があると言えばよいだろうか。写真を撮って、タラップを上り、客室乗務員に迎えられて席に着く。尚、今回搭乗の機体「TC-JJI」は2010年12月の登録で、777としては909番目の製造となるようだ。もちろん、この便の座席も、翼の付け根付近の窓際である25Aである。

 

旅客機最強の推力を誇る

GE90-115B型エンジン

 

「ああ、次の着陸は成田空港なので、これで海外とはお別れか」と思いながら、緊急時の脱出扉等が書かれたカードを見ておく。すると「ガタン」とトーイングカーが機体を押し始めた。時刻は2時前なので、まあ定刻通りと言えよう。緊急時の対処法のデモ・動画を見て滑走路まで移動していく。そして、夜中なので待ちも少ないようで、そのまま滑走路に入って正対した。しかし、暗いのでどの滑走路に入ったか不明だが「35R」だと思われた。ここで首を前に向けて、加速Gに備える。最初のようなミスはもうしないのさ。

 

B737よりも強力な加速で飛び立っていくのだが、この離陸時の滑走はとても興味深い。最初はガタガタと振動がある。しかし、離陸決心速度から機首上げの速度に達する頃には、スーッと振動が消える。代わりに、座面に押し付けられるようなGを感じて、上昇する。この一連の流れは、何回でも味わいたいし、飽きも来ない。離陸後は、飛行時間とルートをモニターで確認する。復路はジェット気流の追い風があるので、飛行時間は10時間30分の予定である。ルートは「黒海」の南端沿いに090で飛び、そこから070に変針して「カスピ海」を横断するようだ。関係無いが「カスピ海」と言えば、ヨーグルトであろう。

 

そう思っていたら、食事のメニューが配られ、最初の機内食時間となる。飲み物はリンゴジュースにして、メインはメニュー通りに「ペンネ」と言う。すると「私は日本語がわからない」と乗務員に言われてしまう。いやいや、これは違うんだけどとおもっていたら「パスタかチキンか」と聞き返されたので、迷わず「パスタ!!」である。もちろん、ターキッシュエアラインズの食事はとてもおいしいし、量も十分だ。

 

成田行き、1回目の機内食

 

食事の後は、モニターの音楽機能で「トルコの音楽」を聴いてくつろぐ。おや、対地速度が時刻1,000㎞を超えているジャン。対気速度は往路と変わらないのでマッハ数は同じだが、確実に速い速度で移動していると分かった。そうしていたら眠くなってきて、いつの間にかアイマスク無で寝てしまった。そして、時々「ガタン」と揺れて目が覚めるのだが、すぐに眠りに落ちることができた。よく寝たなぁと思い時計を確認すると、午前9時頃だ。しかし、これはイスタンブール時間なので、ここで6時間進めて日本時間に戻す。ということは15時だから、丁度昼寝の時間だ。飲み物の残りを飲んで、再びウトウトする。そして、再び起きると、いつの間にか夕方になっていた。そりゃそうだ。太陽の動きと一緒に移動しているのだから、あっという間に暗くなっていくのさ。

 

夕焼けの空を飛行中

(B777ER型機の翼端が特徴的)

 

せっかくなので、映画でも観ようかな。機内誌で「良いのはないか」と探していたら「有村架純」ちゃんが主演のものがある。これにしようと思うが、よく見るとこれは「来月から」のラインアップであった。仕方ないので「この世から猫がいなくなったら」というのを観た。

 

その後モニターで航空路を見ると、中国の東北部まで来ていることがわかる。その頃、乗務員がガタガタと2回目の食事の準備を開始した。前回の食事は日本時間の9時頃で、今は16時30分を過ぎている。腹も減るわけだ。もちろん、この間にもおやつ的なものが用意されていて、今回は「おにぎり」であった。メニューを見て「注文すればよかった」と思うが、後の祭りである。

 

今回の食事は選択肢はなく、皆が同じものが配られた。ナスのひき肉詰めであり、これも旨いよ。さらによかったのが、イモの煮っ転がしみたいな小皿だ。これはイスタンブールで搭載した食事なのだが、トルコにもこういうものがあるのかな。

 

成田行き、2回目の機内食

 

地面に対しては、時速1133㎞で移動中

 

食事が終了してモニターを見ていると、福井市付近から富山、長野、山梨辺りを通過していくようだ。このまま旋回して名古屋に降りてくれれば手間が省けるのだが、そうはいかないだろう。茨城上空で急旋回して、成田の滑走路のダウン・ウインドに入る。速度も時速600㎞程度になっており、いよいよ着陸も間近だ。ベースからファイナルに入ってフラップも全開になり、いよいよ着陸かと思っていたら・・・。エンジンが出力を上げて上昇し始めた。そこへ機長から「天候の都合で着陸をやり直します」とアナウンスがあった。いわゆる「ゴーアラウンド(着陸復行)」ってやつか。最後まで楽しまさせてくれるじゃあないか、トルコ航空よ。

 

さっき通った茨城の上空を回って再び滑走路に正対し、34Lに無事着陸した。着陸したらすぐに到着とならないのが、飛行機の常だ。滑走路は3,000 m以上あるので、その分を並行する誘導路で戻ってこなくてはならない。さらに、成田は変な所が用地未買収になっているので、誘導路も変則的に曲がっていたりする。有名なのは34R側の「東峰神社」とその周辺だ。畑があって、ラッキョウを栽培しているらしい。

 

10分以上かけてターミナルのゲートに到着する。ここはイスタンブールと違い、搭乗橋があるスポットに止めてくれた。周りの人達はいそいそと出ていくが、当方はその波が過ぎてから降機準備を始めた。余韻に浸っていたいからね。

 

9.成田到着

 

それにしても、成田でも十分に広い。南ウイングの一番端のスポットから入国のブースまでは、これまた10分近くはかかっているのではなかろうか。パスポートを提出して、顔を確かめられて終了だ。また、機内で渡された入国時の物品申請等のカードも、そのまま提出して終了だった。傑作なのは、後ろの席の人は中国人用のカードを配布されたらしく、当方に「ここはどうやって書くのか」とたずねてきたのだ。それを見て「これは中国人用じゃあないですか。日本人用のものをもらいなおした方がよいですよ」と助言しておいたのだ。

 

10日振りに日本に戻ってきたのは良いが、日本円が1円もない。別にクレジットカードで払えばよいのだが、どうも現金がないと不安だ。しかし、ここで銀行のキャッシュカードを自宅に置いてきたことが判明した。しょうがないので、キャッシングをして急場をしのぐことにした。これについては、銀行口座でもないのに、お金が出てくるのはとても気持ち悪く感じる。

 

さて、時刻は19時過ぎなっている。もちろん、成田発名古屋便は18時台に出発してしまっている。そこで、前もって「スカイコート成田」というホテルを予約しておいたのだ。電話をして予約を確認し、送迎のマイクロバスを待つのだが、タイミング良く10分ぐらいでやってきたので助かった。

 

受付を済ませて料金を支払い、6階の部屋へ行く。やれやれとベッドに横になる。機内では寝てばかりいたが、疲れたのでもっと寝たい。時差で考えれば、今はポルトガルでは昼の12時、イスタンブールでも14時だ。普通ならば今夜は寝られないかもしれないが、疲れていることはは幸いだった。時差ボケは寝て整えられそうだ。

 

スカイコート成田にて

 

シャワーを浴びて備え付けの緑茶を入れる。あー、やっぱり飲み物は緑茶だねぇ。俺はやはり、骨の髄から日本人なんだ。そう思ってテレビをつけると、フカキョン他2名が座っていて「UFO」の最初の節が流れてきた。「何だこりゃ」と思っていら「ユーキュー」って、ここで日本人に戻るトドメを刺された。いかにも日本のCMだ。その後23時頃までメモをつけたり写真を観たりしていたが、眠気に負けてお休みなさい。

 

本日の移動距離 7,000海里

 

最終日へ続く