夜のリスボン市街の裏通り
今日はリスボンで過ごす最後の夜なので、街へ出て本物の「ファド」を聴いてみようかな。そんなことを考えて窓の外を見ていたら、見慣れた街並みが見えるようになって、セッテ・リオス・バスターミナルに到着した。往路復路と合わせて2時間近くは居眠りしたので、疲れはそれほど感じない。
一旦ホテルへ戻ってシャワーを浴びて一服し、その後に夜の街へ出てみよう。そうと決まればVIVAカードに€6を課金して、メトロに乗る。これで交通局の乗り物は24時間乗り放題だが、残念ながら「明日のこの時間はトルコの上空にいるよなぁ」と現実を知る。
リスボンを離れる寂しさに襲われるが、まだ今夜は終わっていない。大いに楽しもうではないか。「ジャルディン・ズーロジコ」駅に入って、椅子に座る。前述のように、地下鉄は次の電車が来るまでの時間を電光掲示板に示してくれるので、大変ありがたい。「まだ5分近くはあるな」と思っていたら、視線を感じたのでそちらを見る。すると、日本人と思われる若い男性がこちらをみて笑っている。
思わず「日本の方ですか」と話しかけてしまった。すると「まあ、一応そうだね」という返事が返ってくる。「一応」って何だろうか。その後の話によると、どうやら生まれは日本だが、ご両親の仕事の都合で、アメリカやヨーロッパを転々としたとういうことだ。しかし、大学は日本の大学を卒業したそうなので、彼の話す日本語には、ほぼ違和感がない。また、今はスペインを拠点して仕事をしているそうで、今日は仕事が終わってホテルに戻る途中だったようだ。
こちらは無職で旅行中であり、今日は「ファティマ」に行ってきたと話す。すると呆れたというか、意外だったようで「良い所に行きましたね」と驚かれてしまった。そうだろうね、今日は今まで日本人には一人も会っていないのだ。だいたいリスボン近郊にいれば、日に1回は同じような日本人の観光客を見かけるものだが、さすがに「ファティマ」に来るような物好きは、当方だけだったようだ。
続けて「お城とか行きましたか」と聞かれたので「サンジョルジェ城はポルトガルに来て、3日目に行きました」と答えた。その後も色々と名所の名前を挙げてたずねられたが、大体の主だった名所はほぼ行くことができたようだ。そして「今日は最後の夜なので、ファドを聴きに行く予定だ」と話す。すると、久々に日本語を話して嬉しいかったらしく、「ご馳走するので、一緒に飲みましょう」と誘われた。本来ならば低調にお断りするのだが、こちらも勢いで「ご一緒したいです」と言ってしまった。
こうして、地下鉄で「マルケシュ・デ・ポンバール」駅まで行き、彼の泊まっているホテルを教えてもらう。そして、入口で20時に待ち合わせすることとした。そうと決まれば急がなくては、ちょっと速足で坂を上り「カスティリオ・アベニュー」にある、当方が泊まるホテルへ急ぐ。毎日毎日、宿に戻る時はこの坂を上って億劫に感じる時もあったが、明日でお別れかと思うと急に悲しくなってしまう。しかし、味噌汁や刺身が恋しくなってきたのも事実であり、帰る場所は日本の愛知県なんだと思い知らされる。
部屋でシャワーを浴びてさっぱりし、水を飲んで早々に部屋を出る。一応フロントで「今から出かけて夜中12時以降に帰ってくるけど、入口は空いているか」を確認しておく。すると、当然だという笑顔で「24時間開いているよ」と返事があった。ありがとう。
今度は坂を下って、ポンバル侯爵広場へ下りていく。彼の宿は「OLLA LISBOA」というレストランが1階にある建物で、後日調べたところ「セントラル ホテル」だとわかった。ここは、台所やシャワーは共用だが、部屋は個室ということだ。ちゃんと仕事をしている人が安宿に泊まり、当方のような無職が三ツ星のホテルに泊まっている。仕事だと、経費を浮かせるために安い方がいいもんなぁ。
タクさんの宿
セントラルホテル
そう思っていたら、彼が出てきた。さて、彼は自分のことを「タクと呼んでくれ」と言うので、今後は「タクさん」という呼称を使用する。もちろん、管理人も「下の名前」で読んでもらうことは、言うまでもなかろう。
いつもは「リベルターデ通り」は地下鉄の乗って通過しているので、タクさんの提案で歩いて行くことになった。途中、消防署があり、消防車や救急車が待機していた。通りを変えて「サン・ノゼ」続いて「サン・アントニオ通り」へ繋いで「レスタウラドレース」駅付近の旧市街地へ下りていく。途中で、昨日利用したケーブルカーの「ラヴラ線」の駅前を通る。昼間は閑散としていて暗い雰囲気だったが、夜になると店がたくさん出て賑やかだ。何のことはない。夜の方が安全だと感じる程だ。
リスボンの消防署
目指すはタクさんの「行きつけのレストラン」だが「喉が渇いたので早く飲みたい」と言う。「じゃあ、引っかけてから行きましょうよ。僕は構いませんよ」と答えた。ということで、一生懸命客引きをしている「Restrante St. Antao」の屋外席に着く。タクさんは早速ビールか何かを注文しているが、俺は酒は飲めない。すると彼は「こいつはアルコールは飲めないので、水を出してくれ」とポルトガル語で言ってくれたようだ。
乾杯をして、話を続ける。すると大雨が降ってきたので、店内に入れてもらうことにした。リスボンには6泊したのだが、この日はそのうちで一番激し降りだったし、雷も鳴りだしたので、驚いてしまう。
さて、タクさんは正直というか裏表のない人である。例えば、当方は「全て自分のために行動している。それが結果人のためになることもあるが、それは偶然だ」と持論と展開した。すると「ああ、徹底して合理的な考えですね。しかし、それはともすると犯罪者になる可能性がある」と言うのだ。つまり、度が過ぎると「自分の利益のために手段を選ばなくなる可能性がある」ということなのだろう。まあ、確かにそうだ。強盗なら、生活のためという大義名分のもとに人を脅すものだろうからね。
また、自動車や飛行機の話をしていていると「管理人さんは論理的に、順序立てて説明することが上手いですね。学校の先生かと思いましたよ」と言われた。まあ、時々そう言われることがあるが、見ず知らずの人にその点をいきなり突かれたのは初めてだ。ともすると「理屈っぽい」と言われることは多々あるが、それはものを説明する時に因果関係とか、背景とか、必要な事項を適切に並べていかなくては、真意が伝わらないからそうしているのだ。
そうこうしていると、雨が小降りになってきた。「そろそろ(タクさん行きつけのレストランへ)行きましょうか?」と切り出すと、タクさんは「さすがは日本人だ。空気を読んで察することができるね。海外で暮らしていると、そんなことは絶対にないからね」と嬉しそうにしていたのが印象的だった。まあね、40年以上日本人をやっていれば、それなりにできるようになるものだが、それは喜ばれることもあるんだなぁ。
この発見を実感し、礼文島で買った傘を開いて「アルファルマ地区」深くへ入っていく。そして、クネクネと細い路地を行くと「おおここだ、ここだ」とこじんまりした、看板もない所へ入っていく。因みに、名前は失念したが、このレストランは超穴場で、地元の人が好んで来店するそうだ。奥の席に着いて「あさりと豚肉の煮込み」を注文する。タクさん曰く「リスボンの代表的な料理」ということで、ガイドブックにも掲載がある。しかし、ウエイターが「今日はできない」と言っているようで、タクさんが「何とかならないの?」と食い下がるが、やはりダメのようだ。そこで、牛肉の煮込みに変更した。
隣にはスコットランドからの初老の夫婦が座っており、成り行きで会話が始まった。さて、タクさんのポルトガル語のおかげで、ここまで随分助かったが、彼は英語があまり得意ではないようだ。傑作なのは、住んでいる場所を聞かれて「博物館」と答えたことだ。当方は思わず吹きだしてしまったが、それを見てご主人の方が「お前は今の冗談がわかったな」と笑いかけてくる。しかし、タクさんはイマイチ話の筋が理解できていなかったようで「え、何?ひょっとして住んでいる場所を聞いてきたの??」と当方にたずねてきた。そうだよ、博物館には住めないよ。
また、奥さんが「あなたたちは友達なの?」と聞いてきたので「さっき、メトロの駅で会ったんですよ」と答えた。これについて、ご主人は「そういうのが旅だ」と言って、若い頃にアメリカ横断ウルトラ旅行をした時のことを話してくれる。それは、西海岸の「シアトル」で出会った旅行者に、南部の「フロリダ」のどこかで再会したというエピソードだった。そして、彼は重ねて「こういう出会いこそが旅だ」と嬉しそうに話していた。
料理も運ばれてくるが、おいおい、こんなにいっぱい誰が食うのだろうかという量だ。タクさんも驚いたようで「管理人さん、遠慮せずに食べてね」と言う。いやいや、半分ずつ食べてくれないと、腹がパンクするよ。さて、この料理はブイヨンで肉を煮込んだ、単純だが深い味のするものだ。肉の味はアメリカ産でも日本産でもなく、どちらかと言うとオーストラリア産に近いものだ。そこにブイヨンと塩味がよく調和している。凝った料理ではないが、手間はかかっていると思われた。そして、付け合せのフライドポテトだが、肉料理にはよく合う。隣のご主人はこれが大好きらしく「これがおふくろの味」と言って、ムシャムシャ食べていた。
牛肉の煮込み
(フライドポテトとの相性も抜群だ)
タクさんとの話は続く。「管理人さんは結婚しないんですか?」って、そんな昔のことを言われてもなぁ。「いや、実はね、14年前は結婚していたんだよ。今はやめちゃったけど」と。「えー、何で別れちゃったの??」と鋭く攻められる。「まあ、性格の不一致ってことになるんだけどね。俺の理解を遥かに超える人だったよ」と返した。その後、解凍途中の食品が出されたり、油やマヨネーズギトギトのもの、いつも何か足りない味のもの、その他まずいものを毎日食べるのは苦痛だったねと付け加えた。「作ってくれるなら、良い嫁さんじゃあないですか」と言われるも「まずいものを毎日食うのは本当に苦痛だよ」と話すも、わかってもらえなかった。「俺が自分でやった方が旨いものを食えるから、そういう結末になるのさ」と言うと、ようやく少し理解できたようだった。
レストランは23時頃に閉店となったので、食事代€18をおごってもらいそのまま路地裏を歩いていく。あんだけ食べて、飲んでもこのお値段は超お得と言えよう。尚、こんな時間の裏路地でも、警官がウロウロしているのには驚いた。次の店を探して歩いて行くと、マリファナの売人が寄ってきた。「俺は要らないよ」と通り過ぎるが、タクさんは買うわけでもないのに、売人達と親しげに話している。何やってるんですか?? 仕方ないので、当方も会話に参加する。売人は「お前ら中国人か?ニーハオ」とか言ってやがる。「日本人だ」と言い返すと「おおそうか、コンニチハ。アリガトウ」って、口だけは達者だなぁと呆れてしまった。まあ、商売人だから、広く浅く知っている必要があるのだろう。
タクさんに「何でこんな人達を相手にするのか」と聞いてみると「話すことが好き」ということだった。売人達と別れてさらに進んでいくと、小さい店から歌声が聴こえてきた。「ねえ、タクさん。ファドを聴いていかないか?」と半ば強引にその店に入る。中は広さは12畳ぐらいで、小さいテーブルが6つぐらい、客は20人近くいただろうか。タクさんが店員と話をして、席料はかからないことを確認してくれた。そして、酒と水を注文して歌い手に近いテーブルに着く。
ファディストさん熱唱の図
ちょうど女性の「ファディスタ」さんがセツセツとコブシを利かせて歌っていて、ランニング姿の男性「ファディスト」さんが力強く、またコブシを利かせていた。また、飛び入りで男の歌い手が入ってきて、場は一層盛り上がる。もちろん、詩の内容は全くわからないのだが、何かメッセージ性の高いことを歌っているに違いない。男女の歌い手の掛け合いもあり、これは間違いなく恋愛に関することを言い合っていると雰囲気から想像できた。こうして集い、歌を聴いて手をたたき、酒を飲むのはポルトガルの人々にとって最高の癒しとなり、明日への活力へと結びつくのだろう。「仕事が終われば楽しく過ごすだけさ」という、いかにもラテンのノリという雰囲気が印象的だった。
時刻が24時を回り、歌い手さんの休息時間となったようだ。タクさんは別の飲み屋に行きたそうなので、ここを勘定して店を出る。ここも彼のおごりだが、酒が€3なのに水は€5もしたそうだ。そういえば、さっきのレストランでも水は€5程度請求されていたようだ。夜は酒よりも水の方が高いとは、全く驚きだ。
店の外に出ると、歌い手さん達が立ち話をしている。ここでタクさんが、当方の思い出づくりに協力してくれた。何と、歌い手さん達と写真を撮ってやるというのだ。彼が自ら交渉して、難なく話がまとまった。これは願ってもないことで、独りで来ていたらまずできなかったことだろう。ファティマ巡礼のご利益だろうか、旅の出会いがもたらした大きな副産物に感謝だ。
歌い手さん達と
さらに少し歩いて、バーに入る。今日は日曜日なのだが、店は満員でカウンターに座ることになった。当方はもちろん水を注文し、タクさんはウイスキーか何かを頼んだようだ。こういう所にはめったに来ないので、どうしたらいいのかよくわからない。キョロキョロしていたら、隣のスイス人女性が話してきた。よくよく聞いてみると、彼女の向こう隣に座る男性と一緒に旅行中ということだった。
仕事の話になり「今は無職だ」と話すと「じゃあ、ポルトガルに仕事を探しに来たんだ」と解釈されてしまった。いやいや、そんな気は全くないのだが「俺はポルトガルで仕事を見つけられるかな?」と聞き返した。すると「何を言っている。あなたは英語を話しているし、その素敵な笑顔もある。ポルトガルだけでなく、世界中どこでも働くことができるよ」と。そうなのかなぁ、全く理解できないが、世の中広いね。
おや、タクさんはどうした。あらら、隣の酔っ払いに捕まっている。これはご愁傷様だと思っていたら、上手く左隣の「ロシア人やスペイン人の女性グループ」に乗り換えていった。俺も連れていってよと思うが、後の祭りだ。今度は当方がこの酔っ払いのフランス人の相手をすることとなる・・・。少し身の上をたずねてみると、この酔っ払いじいさんは日本の現地企業で働いていたらしく、少し日本のことを知っているようだ。ただ、かなり酔っていて「・・・愛してる、わかるだろう?・・・・♪」という歌を歌っては「俺は日本が好きだ」とか「日本のことはよく知っている」とくどくどと繰り返していた。そして「ああそうですか」と流すと、再び「・・・愛してる、わかるだろう?・・・♪」と歌い出す。そしてまた、同じことの繰り返した。
バーカウンターにて
(背後にフランス人のオッサン)
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。時刻は25時を回っているので、眠たいのが限界だ。タクさんには申し訳ないが、今日はここで引き上げることにする。一方、タクさんは夜明けまで飲んで、翌朝は9時頃に起きて仕事に取り掛かる、という生活をしているそうだ。いやあ、タフですなぁ。彼と握手をして、見送られつつ店を出る。そして「マルティン・モニス」辺りの広場でタクシーを見つけた。
彼の話では「値段を聞いて、交渉してから乗るとよい」と助言をくれたので、運転手さんに「カスティリオ通りのサナレクスホテルまで、いくらになるか。場所は知っているか」とたずねた。すると「俺はタクシードライバーだよ(当然知ってるぜ)、料金は€8ぐらいかな」と言う。「€5ぐらいに収まらないか」と交渉するが「メーターに聞いてくれ」ということだった。まあそうだな。「じゃあ、頼むよ」と言い、メルセデス190のステーションワゴンの車両に乗り込む。
運転手さんは陽気な人で、かつ有能なようだ。「日本人か」などと会話をしながら、信号のない道をスイスイと走り坂を上っていく。そして、いつの間にか「ポンバル侯爵広場」を過ぎて、10分弱でホテルに到着した。そしてメーターの示す料金は、何と€4.8だ。ここで当方は「俺のためにメーターがまけてくれたんだね」と言ってみる。すると、運転手さんは真面目に「夜中だから渋滞がなかったので、この値段で収まったんだよ」と。€5札を渡して「釣りは要らないよ。領収書を頼む」と言うと、なぜか「€6」の領収書を切ってくれた。ありがとうね。ああ、リスボン最後の夜は何と楽しかったことか。こうして、26時頃に部屋に戻り、就寝した。
本日の移動距離 約250㎞
第8日目へ続く