管理人 海外へ行く

~ポルトガル編~

 

2016年 10月17日~10月26日

 

アルカンターラ展望台から見るリスボン市街

第6日目(10月22日)

1.起床

 

今日は10月22日で、ポルトガルに来て5日目である。リスボンの街も少しずつわかってきて、随分とリラックスして楽しむことができるようになってきた。ところで、昨日も記載したように、連日坂道を歩いていて足腰に疲れを感じてしまっている。本日は安息日とはいかないまでも、のんびりの日にしよう。ということで、いつもより遅い7時30分頃に起床し、8時ごろに食堂に下りていく。何回も記載して申し訳ないのだが、ここのホテルのパンは本当においしい。ついつい食べ過ぎてしまうが、旨いものを食べるのは旅行の楽しみであるから、やはり仕方のないことだろう。また。今日は土曜日なのでボーイのJOANさんは休みで、実家に帰っており、会うことはなかった。

 

部屋に戻って、今日の作戦を立てる。リスボンの街を歩いていると、4月25日橋の向こう、テージョ川の対岸に巨大なキリストの像が見えており、ちょっと気になっている。ここはそれ程距離もないので、フェリーに乗って行ってみるとしよう。

 

2.まずは対岸へ出発

 

まずは「サン・セバスティーアノ」駅で交通局の1日券を購入する。今日は€9の「フェリーにも乗り放題」をチャージしておく。尚、これははガイドブックに記載されておらず、危うく見逃すところだった。

 

今日の足を確保して、メトロに乗り「アラミーダ」経由で「カイス・ド・ソドレ」へ向かう。因みに、フェリーは対岸の「アラビダ半島」へ5系統もあり、大変充実していると補記しておこう。

 

地下駅から地上へ出ると、雨が降ってきた。しかし、キリストの像はよく見えているので、計画を続行する。同駅は改札を通ると船着き場で、ちょうどフェリーが来ている。ちょっと錆が目立つ古めかしいが、そこが味のあるところだ。また、大きさ的には、礼文島に渡った時の船よりも小さいぐらいだ。少し風がでてきたので、揺れを覚悟した方がよさそうだ。

 

対岸の街へ出発

 

そう思いながら席について、雨が叩く窓の外を眺める。しばらくしてエンジン音が高まり、出航となった。思った通り、少々揺れながらテージョ河を進んでいき、20分ぐらいで対岸の「カシーリャス」という港に入ってくる。すると、海面に直径が1 m近くはある「クラゲ」が多数見えた。あんなもんがスクリューに引っかかったら、エンジンが止まってしまうのではなかろうかと心配するも、それは杞憂であったことは、言うまでもなかろう。

 

カシーリャスの港に到着すると雨は上がっており、キリスト像も良く見えている。また、雲の切れ間には青空も見えているので、当方の「晴れ男パワー」は衰えていないことを実感する。ここからは101系統のバスに乗るのだが、運行が交通局ではないようである。「ボン・ディア。この(VIVA)カードは使えるか」と運転手に聞いてみたら「ノイン(No)」とあっさり言われてしまった。ここは€2で往復の切符を購入する。尚、この切符だが、一応「名前」を自分で記入する欄があるが、ただの「レシート」であると追記しておこう。

 

カシーリャスのバスターミナル

 

バスの発車までは時間があるので、折り返しでリスボンに戻っていくフェリーを眺めながら時間を過ごす。港町リスボンを反対側から見ると、とてもエキゾチックJAPAN、いやポルトガルである。これで天気が良ければ文句ないのだけどね。

 

リスボンの街並み

 

カシーリャスの路面電車

 

かっこいい路面電車の横から、バスが発車する。その線路が敷かれた石畳の道をゴーゴーと進んでいき、途中からは路地みたいな狭い、住宅街の中の道を行く。そして、坂道をぐんぐんと上って、15分ぐらいで山の頂上に着いた。前述の「晴れ男パワー」のおかげだろう、さらに天候は回復して、雲量がかなり減っていた。

 

バス停から歩いて大きな門をくぐると、巨大なキリストさんが現れた。高さはなんと110 mもあるようで、リスボンの街からもいつも見えていたのは当然と言えよう。

 

キリスト像

 

さらに歩いていくと、像の足元にはいくつもの小さいオブジェがある。各オブジェには宗教的な文句が書かれているのだが、信仰に興味がないことに加えて文体にも慣れていないので、理解ができない。

 

オブジェたち

 

例を出してみよう。「とても愛されている男の心を、その男はとても愛されているが故、その愛を証明するために、すり減らすこと、疲弊させることはなく、その代りに不恩な感情を受けるのみだ????」何のこっちゃ。こんなのもあるぞ。「セントポールがおっしゃるには、希望というものは確かで確実な魂の拠り所である。希望の中においては、我々は救われるのだ。希望それ自体を求める希望は、求める希望を希望する人のためのものではない。しかし、仮に求めないことを希望するならば、忍耐を持って待つことができよう」って、やっぱり何のこっちゃ。

 

難しいことはこのくらいにして、間近に見える4月25日橋を眺める。この橋は海上橋のように見えるが「テージョ河」にかかる橋である。その河を行く船、橋上をビュンビュンと走る車、遠くにかすむベレンの塔、リスボンの市街地、この橋の景色は心にグッとくる。英語にも「Breath taking」という言い方があるのだが、まさに「息を呑む」感動的な風景だ。

 

4月25日橋

(背後はリスボン市街)

 

また、雨は止んで晴れ間が出ているが、雲に煙っている場所もあり、景色にアクセントをつけている。そして、港町の首都である「リスボン」をこんなに明確に意識できる場所は、ここをおいて他にはないかもしれない。

 

ところで、ポルトガル史上で1974年の4月25日は、サラザールの独裁政権がクーデターによって倒れた日である。そして、1966年に完成した、元々は「サラザール橋」と呼ばれていた橋の名前が、この日を境に変更されたということだ。何も知らない極東の国から来た当方には、前述のように吊り橋の景色が美しく見えるのだが、その背後には民衆の苦しみもあるということだ。光と影は表裏一体で切り離すことはできない、人生も同様なんだ。

 

そんなことを考えていたら「写真をとってくれないか」とカップルから頼まれる。「Sureのoff course」である。「橋を背景にするよ」と言い添えると「頼むよ」ということだった。大げさなぐらいにお礼を言われて、恋人同士ならこんなことでも嬉しく思うのだな、と少々呆れるというか、羨ましいと言うか。

 

3.雲の流れが速くて

 

おっと、バスの時間が近づいてきた。ここは30分に1本しかないので、非常に名残惜しいがそろそろ対岸に戻ることにしよう。「巨大キリスト像よ、また会おう」とつぶやいて、バス停に歩いていく。すると、景色を見ている時は何とか晴れていたのに、また天気が悪くなってくる。当方の晴れ男パワーもアテてにはできない。

 

バスを待っていると、同じような黒人の旅行者がおり、成り行きで話をする。彼はフランス人でスペインを通って、ポルトガル入りしたそうだ。また、仕事の話になって「仕事のために生きるのか、生きるために仕事をするのか」という問答をする。こんな旅をしているのだから、当たり前のように同じ答えになる。そりゃそうだ。

 

そんなことを言っていたら、雨の「カシーリャス港」に到着した。「じゃあ、またどこかで」と握手を交わし、それぞれの旅に戻っていく。それはそうと、バスの中から何か変なものが見えたぞ、と元来た道を歩いていくと「潜水艦」がある。

 

潜水艦

 

このレポートを書きながら写真を見返していたら、「海軍博物館」やら「潜水艦」といった看板を写したものがあることに気がついた。今更ながら、もっとゆっくりと見ておけばよかったなと後悔しきりである。

 

案内看板

(海軍博物館には行きたかった)

 

カシーリャス港の待合室でフェリーを待っていると、雨がバラバラと降ってくる。ポルトガルに来てから、こんなに降るのは初めてだ。ただ、10月頃から4月頃までは雨期に当たるらしいので、これが普通ですというわけだ。

 

フェリー待ちの人は他にも大勢おり、中にはこれから仕事に行くという感じの人もいる。その中に、幼児を連れた老夫婦とその母親と思われる人が隣の席に座る。子供は退屈なのだろう、ベビーカーから降りて床をハイハイし始める。もちろん、おばあちゃんはそれを見て「まいったな」と言う顔をして、その子の手の汚れを気にしている。おおそうだ、こういう時こそウエットティッシュの登場だ。先日の糞害の一件以来、使う予定はないが引き続き持ち歩いているのだよ、ヤマトの諸君。一枚取り出して「使いますか」と差し出したら「あらまあ、すいませんねぇ」という顔をして、手を拭っていた。子供ってそんなもんですよ。

 

フェリー待合室の様子

 

そうこうしていると、フェリーの乗船時間となった。先ほどよりも降りは弱くなったが、相変わらず雨が続いているので走って船に乗る。カシーリャスよ、さようなら。雲の中に入ったキリスト像を思っていると、15分程でリスボン市街に戻ってきて、丁度昼時だ。「カイス・ド・ソドレ」には、昨日昼食を食べた「リベイラ市場」もある。今日もここで昼飯としよう。

 

 

今日もフードコートやってきました

 

今日は何を食べようかと、他の人が食べているものを観察しつつ歩いてする。すると、タコのリゾットを食べている人がいる。晩飯にほぼ毎日食べているが、これが一番おいしそうなので、店を見つけて「タコのリゾットとコッドフリッター」を注文した。しかし、ここでちょと間違いをしてしまった。「コッド」はタラで、「フリッター」は「小さい片」なので、勝手に「タラのコロッケ」と解釈してしまったのだ。

 

店の人は「そんなに食うの?」と言う表情をしつつも「€19.4ね」と会計を進める。当方も「あれ、そんなに高いの?」と思いつつ支払いを済ます。そして、「寿がきや」のような呼び出しブザーを渡された。まあいいや、と15分程待つ。この間に向かいの席にイギリス人らしき、見た目の細い女性がやってきて、巨大な肉の塊と山盛りのフライドポテトを食べ始めた。

 

呼び出しのブザー

 

そんなに食えるのか、なんか体に悪そうだなと思ってちらちら見ていたら、出来上がりのブザーが鳴った。店へ行き料理を受け取るのだが、なんじゃこのでっかいのは。タラのコロッケじゃあなかったの・・・。道理で、€19もするわけだ。しかし、注文してしまったものは仕方ない。この「タラの卵黄和え」を食べ始める。これは、卵と生クリームでタラとジャガイモの細切りが和えたもので、コクのある味だ。また、リゾットは酸味の効いたトマト味で、さっぱりおいしい。

 

誰がこんなに食うんだよ??

 

旨いなぁと食べていくも、残り1/3ぐらいになると、胃がかなり膨らんで苦しくなってくる。向いのイギリス人の姉ちゃんも、食べきれない分は残して立ち去って行った。そうだろうよ、いやいや、俺はどうするんだ。やはり、ここは完食して日本人の意地を見せるべきだろうと決心し、不屈の闘志で何とか食べきる。しかし、すぐに動ける状態ではないので、席でしばらく休憩する。

 

腹がパンパンで苦しいが、ガイドブックを見て行き先を検討する。すると、料理の紹介のページに、今食べた料理が掲載されている。これは、干しダラとポテトの卵とじ」と記載してあった。納得。

 

4.午後からも歩いて

 

休息後、市場の隣にある「ドン・ルイス1世広場」を歩いてみる。雨は小雨になったが、人はほとんどおらず、陰鬱な雰囲気だ。ポルトガルだけではないのだろうが、賑わっている所とそうでない所の差が激しい。ひどい場合は、犯罪が起きそうだなと感じることもあるぐらいだ。

 

ドン・ルイス1世広場

 

このまま腹ごなしに歩いていき、工事中の駅前ロータリーの向こうにある「くちばしの家」を見に行く。ここは先の尖った形の「くちばし」が建物の壁全面から出ている、珍しい家だ。ガイドブックによれば、この「くちばし」はダイヤモンドの切り口を模しているということだ。また、現在は公的機関の事務所として使用されている。

 

くちばしの家

 

まあこんなもんかと、そのまま近所にある「カテドラル」へ向かう。もちろん、地図上では近いのだけど、ここは坂の街リスボンである。えらい急こう配の、陰気な道を歩いていく。すると、トゥクトゥクが何台もたむろしている広場が見えた。そこが聖堂前の広場だ。昨日も路面電車の中から見えたのだが、とても重みのある雰囲気だ。それもそのはずで、この建物は1755年の大地震にも耐えたものだとか。

 

カテドラル

 

なんだかご利益がありそうだと眺めていると、物乞いが「チャラチャラ」とカップを鳴らしてやってくる。寄付してほしいのはこちらの方だと無視して、聖堂の中に入る。入り口には「通常通り僧がお勤めをしているので、静かにしてください」と、注意書きが貼ってある。ちょっと遠慮気味に進んでいくと、大きなドアの内部は薄暗く、厳粛な空気が漂っている。案内板によれば、この聖堂は14世紀に建設されたものらしい。

 

壁には多くの絵が飾ってあるのだが、それらは多分、聖書の場面を描いているものと推測される。もちろん、その意味は全くわからない。もちろん、窓にはステインド・グラスがはめてあり、これは理由なく見ていて楽しいものだ。

 

壁に描かれた絵

 

ステインドグラス

 

さらに奥にも部屋があり「バルトロ・メウディアスの礼拝堂」や「聖母マリアの教会」などいくつかに分かれている。一通り見た後、ご利益があるようにと€0.4を寄付してろうそくをあげて外へ出る。

 

礼拝堂の様子

 

礼拝堂奥にある

パイプオルガン

 

聖堂からは市電28系統上りで「マルティン・モニス」へ行こうと試みるが、途中の「グサラ」で終点となってしまった。歩いていけないこともないが、ここは仕方ないので下りに乗り継いで、再び聖堂前を通過して「フィゲイラ広場」へ到着した。そして、ここからメトロに乗り「バイシャシアード」で乗り換えて「レスタウラドレース」へ向かう。地図上では大した距離ではなく、歩いた方が早かっただろうと思われた。しかし、ここは坂の街「リスボン」である。

 

お馴染みの路面電車で移動

 

さて、リベルターデ通りの一本東側の「サント・アントニオ通り」にあるケーブルカー「ラヴラ線」の駅を目指す。この通りは大通りとは全く雰囲気が異なり、うすら寒い感じがする。しかし、何日か前に「セキュリティーの街」と警官が自慢していたので、全く安全であったことは言うまでもなかろう。また、その通りの端には楽器屋があり、店舗の看板には昔日の日本メーカーの名前がこれでもかと書かれている。「日本はエレクトロニクスの国だった」と改めて思ってしまう。

 

サン・アントニオ通り

 

駅に着くと落書きが残念な車両が止まっており、その中でタルそうにお客と話している運転手がいる。およそ日本では考えられないが、毎日の足としてケーブルカーに乗る人と交流するのだから、こういうことが大切な事なんだろうと思われた。

 

残念なケーブルカー「ラヴダ線」

 

発車時刻となり「ギリギリ」と音をたてて急こう配を上っていく。坂の街「リスボン」には、なぜか良く似合うと思われる乗り物だ。そう考えていたら、頂上駅には5分程度で到着する。もう着いたのかと驚くが、歩いたら3倍はかかるだろう。

 

ここから少し歩いて「モラエス」の生家にやって来る。モラエスは海軍の士官、作家であり、日本をこよなく愛し、日本の女性と結婚して徳島県に骨をうずめた人だ。徳島と言えば当方の元嫁の出身地であり、当方が通っていた大学がある場所なんだけど、市内の「眉山」と言う山の頂に「モラエス記念館」がある。ここでは、彼の日本の日々や著作について紹介されていて、当方も若い頃に何回か行ったことがある。

 

彼の生家(アパート)の壁にはアズレージョが埋め込まれていて、そこに説明書きが日本語で書かれている。遠く西へ13,000 ㎞離れた国にも、日本との繋がりがあるのかと思うと、ロマンを感じざるをえない。

 

左がモラエスの家

(アズレージョが埋め込まれている)

 

モラエスの家を見て、昔日の徳島の日々を思い出した後、再びケーブルカーに乗り、丘を下って「レスタウラドレース」へ戻ってくる。因みにこの地名は「復興者達」と言う意味だそうだ。そして、リベルターデ通りを渡って反対側に行き、今度はケーブルカー「グロリア線」に乗ろうと、停留所で待つ。車両が下りてきて、乗客が出てくるのだが、その中に「るるぶ」を持った怪しい雰囲気の日本人女性が見えた。尚、こちらの車両は落書きのない、きれいなものだったと補記しておこう。

 

ケーブルカー「グロリア線」

(こちらが本来の姿)

 

こちらの車両も「ギリギリ」と音を立てて急こう配を上っていくのだが、先ほど同様に風情のある乗り物だと心癒される。そして同様に、5分弱で頂上に到着したので、すぐそばにある「サンロケ教会」へ向かう。中に入る前に広場を見ていると、銅像が建っている。これは「宝くじ売り」らしく、もちろん、その横にはくじの売り場があった。そのサンロケ教会も「僧が修業中なので静かに」と張り紙が出ている。

 

サンロケ教会

 

中に入ると、厳かな雰囲気とは対照的に、派手な天井画や壁の飾りがかがやいて見える。先ほどの聖堂は薄暗くて地味だったのとは対照的だ。それもそのはずで、この建物はリスボン大地震後に再建されたものであり、新しいからだろう。正面の祭壇も同様であり、でっかい絵も飾られている。当方には宗教的なことはよくわからないので、その内容は不明だ。右側はイエス様が施しをしている場面、左はマリア様がお慈悲をかけている場面だということしかわからない。

 

サンロケ教会の様子

 

祭壇の様子

 

関係ないが「施し」と言えば、前の会社には夜食として粉末のスープが置かれていた。これを当方は「施し」と呼び、隣の課の課長にこのことを話したらウケていた。それ以来スープをもらう時は、わざわざ隣の課へ行き「施しをうけてきます」と報告していた。これに対して課長も「(施しを)受けなさい」と悪乗りしていた。懐かしい思い出である。

 

このほかにもたくさんの像や絵が飾られているが、どのマリア様も慈愛に満ちた表情をしており、印象的であった。ところで、この教会は日本ととても深い繋がりがある。今を遡ること430年あまり、1584年に長い長い航海を経て、日本の「天正遣欧少年使節団」が訪れた場所だなのだ。まあ、言ってみれば「若い衆はちょっと本場の教会へ行って、勉強してこいや」ということだったのだろう。今、こうしてリスボンにいる自分も、その歴史や雰囲気、信仰など日本との違いを大いに楽しんでいるが、当時の少年達はその何倍も驚いていたに違いない。

 

5.天候も回復して

 

教会を出てケーブルカーの駅を過ぎると「アルカンターラ展望台」だ。「こんな所にアルカンターラ」と独り言を言いながら、その景色を堪能する。ここからは旧市街地のアルファルマ地区が一望できて、昨日、今日と歩き回った場所を確認できる。冒頭の写真は、その様子を写したものだ。

 

朝は雨が降っていたが、天気も回復して気持ちが良い。建物の茶色い屋根、宗教的な建物、巻き舌の音が多いポルトガル語、全てにおいて日本とは異なる環境置かれているこの瞬間、再び旅を意識する。その旅も、丸々1日を楽しむことができるのは、明日1日となった。こんなことならば、もうちょっと旅程を長くしておくべきだったと悔やむが、これは旅に出た際に必ず思うことだ。そして、この思いこそが、次の旅への原動力となるのだ。

 

展望台付近に出ている多くの屋台を覗きつつ、ケーブルカー「グロリア線」の駅に戻る。まだ車両は上ってきていないようだが、ギリギリと音がしているので、坂の途中で頑張っていることだろう。下りに乗り「レスタウラドレース」に戻ってくるが、運転手が派手に警笛を鳴らしているぞ。よくよく進行方向を見ると、物乞いが線路上で観光客に金を要求している。こういう人は概ね足が不自由な人なのだが、轢かれてしまいますよ。

 

ここから、明日の予定である「ポルト」への高速列車の時刻表を見ようと、メトロに乗り「サンタ・アポローニャ」駅へ行く。そして、切符売り場にやって来るが、どうも大きな街ばかりにいたせいか、田舎に行きたくなってしまった。また「ポルト」や「コインブラ」までは2時間~3時間もかかるので、ちょっと気おくれしてしまったのだ。前述のように、日程は明日が実質最終日なので、複数の目的地選択は不可能だ。こういう時には「気の向くまま」を実践すべきであろう。旅で迷った時はいつもそうしてきたのだが。リアカーを引いて徒歩で43,000㎞、世界一周をした「リアカーマン」こと「永瀬忠志」という人の言葉が印象的だ。「決断の時、心の比重の重い方へ行け」というものだ。これは帰国後に知った名言だが、当方は無意識にそれを実践していたようだ。

 

サンタ・アポローニャ駅

 

駅構内の様子

(左の列車は急行列車「インテル・シダーデス」)

 

作戦の時間の確保とトイレの利用を兼ねて、駅前のカフェに入りコーラを飲んで一息つく。コーラが€2とは随分高いが、トイレだけでも€0.5取られることを思うと、仕方ない。因みに、こちらのコーラは330 mlの缶が基本である。

 

駅前のカフェで休息

 

ガイドブックをめくりつつ、手ごろかつ、ポルトガルらしい場所はないかと探してみる。すると、バスで1時間30分の距離にあり、いかにもポルトガルらしい小さな街を発見した。ここに決定だ。そうとなれば、即実行だ。バスの時間を調べるために「セッテ・リオス・バスターミナル」へ向かう。ここはメトロの「ジャルディン・ズロジコ(動物園)」駅に隣接しているのだが、「サン・セバスティアーノ」の先へは行ったことがないので、乗り越さないように注意しなければならないぞ。

 

6.マニアな場所に惹かれて

 

交通機関利用もすっかりと慣れて、間違うことなく同駅に到着した。地上に出ると、焼き栗の屋台が出ている。陽も傾いてきてちょっと冷えてきたので、暖かいものを食べたくなる。しかし、今日も昼飯を山盛り食べていたので、泣く泣く見送ることとなった。尚、この焼き栗はこれからがシーズンらしく、リスボンの名物だそうだ。

 

栗を焼く香りに未練たらたらでバスターミナルへ向かうが、途中のエスカレーターの所にも車いすに乗った物乞いがいた。今日はよく遭遇するなぁ。週末なので、彼らも稼ぎ時ということだろう。

 

バスのターミナルはエスカレーターの向こうにあり、発着場が20レーン程度の規模だ。時刻表はないかと探してみたら、待合室隅の壁にいくつも並んでいる。明日の目的地のものを探すと・・・、ありました。どうやら2つのバス会社が運行しており、1時間、場合によっては30分おきに出ているようだ。まあ、8時か8時30分ぐらいにしておくかな。他にも「ナザレ」行きなどもあるようで、参考までに時刻表を入手しておく。

 

これで、今日の仕事は終了しだ。いつものようにスーパーに寄って、ホテルに帰るとしよう。すっきりした気持ちで元来た道を戻っていると、物乞いがまだ待っていた。さらに驚いたことに、おじさんが「説教」していたことだ。物乞いに説教しても意味はないと思うけどなぁ、と思い歩いていく。すると、片付けが終わって撤収する途中の焼き栗の屋台を見かけた。「やはり、一つぐらい買ってもよかった」と後悔しても、後の祭りである。

 

ここで一つ問題が発生した。いや、大したことではなないのだが、日本から2セット持ってきていたカメラの電池を使い果たしてしまったのだ。因みに、現在使用中のカメラは、通常の単三電池を使用しているものをわざわざ探して、一昨年購入したものだ。だから、単三電池を買えば済むことなのだ。これからスーパーに行くのだから、そこで買えばよいだろう。しかし、駅の売店に寄ってみたら、現物が売られているのを発見した。その場で買っておけば安心なので、ここで「あの乾電池が欲しいんだけど」と初老の店番の女性のに言ってみた。彼女は英語も堪能であったので、少し交渉してみようと「2個だけ欲しいんだが」と4個入りのパックを指さして言ってみた。すると「これはバラせない」とキッパリ言われてしまった。「じゃあ4個ください」とあっさり折れたことは、言うまでもなかろう。€2.9で、ベルギー製のパナソニック電池をお買い上げだ。

 

7.今日も終わり

 

再びメトロに乗り、いつもの「サン・セバスティアーノ」で下車する。そして「エル・コンテ・イングレス」で水と、おやつの「パステル・デ・ナタ」を、ついでに美味しそうに見える「ブラウニー」も購入する。この店はスーパーのテナントのベーカリーで、対面販売で注文をきいてくれる。そこでいつも店番をしている黒人の兄ちゃんに注文するのだが「お前また来たな」という顔をしていたと補記しておこう。

 

支払いをした後、レジの向いにある「SUSHI BAR」を覗いていく。握りもあるが、商品の多くは押し寿司か巻き寿司である。わざわざポルトガルで寿司を食べることもなかろう、そう思いながら店を出て、急こう配の坂を上っていく。「この坂を上るのも今日が最後かな」そう気がつくと急に寂しくなってきた。旅の終わりが近くなってくると感じる、いつもの感覚だ。

 

ホテル近くのATMで現金€100を手に入れて、宿に戻る。おお、洗濯ができあがっているじゃん。ご丁寧に、ユニクロ製安物のシャツやパンツにまでアイロンがしっかりと当ててある。もちろん、€20近く払っているので、このくらいは当たり前なんだろう。ちょっとブルジョアなことをしてしまったと後悔するが、たまのことなので許してね。

 

しっかりと畳まれた洗濯もの

 

この後、熱い湯をはって風呂に入る。ああ、今日もよく歩いたね、足腰にきているなあ。ゆったりとしてこの豪華な風呂を楽しむが、それも残りわずかか、と寂し感じる。

 

風呂を出て、さっき買ったおやつと、数日前に買ったビスケットで軽い夕食とする。その間に、明日の作戦を立てるのだが、特別なこともない。いつも通りに7時に朝飯を食べて、メトロで2駅、バスの切符を買っても8時30分には余裕で間に合いそうだ。

 

今日の晩飯

 

あとはいつものように、1時間程度かけてメモをつけて、22時過ぎにベッドに入った。

 

本日の移動距離 20㎞程度

 

第7日目 その1へ続く