アクラ市街の様子
10月20日 (日)
第2日目
その2
30分程ウトウトしていたようで、目が覚めてモニターで自位置を確認すると、カメルーン上空40,000 ftを510ノットで航行中のようだ。もっとも、窓のない窓側席なので、オーディオで音楽を聴いてモニターを見ているのみだが・・・。
アフリカ中部を飛行中
再びウトウトしていると機は徐々に進み、1時間もするとギニア湾に出る。ということは、もうすぐガーナの首都アクラにある「コトカ国際空港」だ。この空港は滑走路1本(R/W 03/21)と並行して誘導路を備えている。同じアフリカにあるマリの「セヌー国際空港」は誘導路が無いし、セネガルの旧「サンゴール国際空港」も同様だ。誘導路があるので、乗客としてはかなり安心できる。
話は逸れるが、当方が4歳の誕生日を迎えたばかりの1977年3月27日、誘導路が使えないために、滑走路を逆走して離陸位置につこうとしていたジャンボ機同士が衝突した事故が起こったことがある。この事故は日本で起きたいわゆる「日航ジャンボ機123便墜落事故」よりも多くの死者を出している(単独機としては日航123便事故が最多)。飛行場の管制がコントロールしているので衝突はありえないが、ついそのことを思い出してしまう。
そういうわけで、誘導路がある飛行場はかなり安心するわけだ。そう思っていると、機はエンジン出力を下げて降下を始める。スピードブレーキを出しながら(と想像して)、時々雲を通過する。この時、翼はピョンピョンとしなり(これも想像)、ガタガタと揺れる。
こうして、あっけなくガーナに到着するのだが、景色が見えないとはかくもつまらないものなのだ。よし、帰りは交渉して窓のある窓側席を手に入れよう。
いつものように、他の乗客が降りていくところを見送り、最後に席を立つ。そのついでに前の席の窓から空港の写真を写してみる。おお、なかなか綺麗な空港じゃあないですか。敷地は広いし、建物も新しいようだ。
窓から写した空港の様子
民族服のCAさんに挨拶をして、機を離れて搭乗橋を歩いていく。湿っぽい熱気を感じて、いかにもアフリカに来たという感覚だ。そうか、昨日から9日間の休暇を取得して、30時間以上かかってここまで来たのだ。全く夢のような話だが、やはり夢ではない。それに「一度はアフリカに行きたいな」と思っていた少年時代だが、今回は2回目のアフリカ大陸だ。まさか、そんなことになるなんて、全く想像していなかったよ。
感激しつつ、綺麗に清掃された空港ターミナル内を歩いていく。おっと、ここで浮かれていてはいけない。これから入国手続きをしなくてはいけないのだ。廊下を歩いていくと、所々に入国カードが置かれている。ああ、そうか、まずこれに必要事項を記入しないといけないね。名前や住所、電話番号に生年月日、え、ガーナ国内の住所も必要なのね。一応この辺りは予習をしているので、準備はできている。ホテルの住所を書いておけばいいのさ。
あと「査証(ビザ)も見せろ」と言われるので、パスポートの該当ページを見せてやる。ところが、後ろの人は「そんなの必要なの?」というようなことを言っている。おいおい大丈夫か?この人は空港から出られるのか?と心配になるが、入国前に隣の事務所で申請できるようだ。確かに「Arrival Visa」って書いてある。
ブースはいくつもあるが「非アフリカ諸国」の旅客用窓口は3,4箇所しか開いていない。まあ、ちょっと待てばいいかな。さて、周りには多くの黒人さん、多少の白人さんが一緒に順番を待っている。まさか日本人はいないよなぁ・・・あれは中国人か?いや、日本のパスポートを持っているじゃあないか!!その人はもう70歳になろうかというジイサンで、型遅れのスマホの小さな画面を斜にして、見にくそうになにやら調べものをしているようだ。多分、成田からアディスに来て、そこから同じ飛行機に乗って来たのだろう。こいつは驚いたが、当方は気がつかないフリをしてやり過ごす。
30分ぐらいで順番が回って来るので、役人のおじさんに愛想よく挨拶をする。おじさんもそれに答えてくれるので、問題なく入国できそうだ。その後、パスポートを提示するのだが、ペラペラとめくっては怪訝そうに中身をチェックしている。あれ、何か問題があるのかと心配するが、どこの国でも同じようにしげしげと中身を見られることを思い出す。要するに「こいつは変な所ばっかりに行っているので、怪しい」と思っているようだ。
名前やら生年月日やら、滞在日数やら、いくつか質問を受けた後、行ってヨシとなる。やったよ、ガーナに入国だぁ。ブースを抜けると、広い場所にターンテーブルが4つか5つぐらい並んでいる。ええと、ET921便のそれは・・・、あの右側か。
暫く待っていると、見慣れたバックパックの登場だ。目印に札をつけているので、それを確認してから拾い上げる。これで準備O.K.だ。さて、出口の向こうは強い日差しで輝いて見え、とても眩しい。これは計画から半年で実行に移されたこの旅の前途を照らしているからだろうか、余計に眩しく見える。
外に出て空気を吸うと、意外にも湿気は少ないが、やはり暑い。それもその筈で、ここアクラは北緯5度33分、西経0度12分に位置しているのだ。ああ、アフリカの空気はなんか懐かしいなんて思っていると「タクシーに乗るのか」とゴツイオッサンに声をかけられる。いや、実際は何も移動手段を考えていなかったので、思わず「そうだ」と言ってしまう。しまった、こんな初対面の人間を信用してはダメだよ。と思うも、相手のペースに乗せられてしまう。ええい、ともかく今日の宿までは行かなくてはいけないので、ここは流されてみよう。
「案内するからついてこいよ」と言われるが、ガーナの通過「ガーナ・セディ」を1セディも持っていない。「お金を下ろしてくる」と言うと「あそこにあるよ」とATMの場所まで一緒に来てくれる。「この客を逃すまじ」という執念を感じてちょっと怖いが、まあ、なんとかなるでしょう。
お金を下ろして車の所まで行く。もちろん、車は日本T社のヨーロッパ工場製のものである。本当にT社は世界中で幅をきかせているなぁ。我に返り、こういう時はすぐに乗ってはいけないと心の中で反芻する。これは、ダカール他で嫌という程教え込まれているからね。
タクシーよろしく
まず、行きたい場所を手製の地図(Google Earthを印刷してきたのさ)と宿の予約証明書を見せて示す。すると「この地区は50セディ(1,000円)だ」と提示してくる。ええ、事前に調べたところによれば、20~30セディ(400~600円)だって書いてあったぞ。
「おい、高いんじゃあないのか?他を探すよ」と言うと「いやいや、これはちゃんと公式に決められた値段だよ」と何やらそれらしい書面を見せてくれる。それはアクラの市街日がゾーン別に色分けされた地図であり、宿のあるD-ZONEは50セディと確かに書かれている。まあ、ガーナはインフレが進んでいるようなので、ちょっと古い情報は役に立たなくなっているのかもね。「よし、じゃあ頼むよ」と車に乗り込む。
アクラの市街地へ飛び出す。どうせすごく混沌としていて、ヒヤヒヤするんだろうと身構えているのだが、何だ、意外と平和ではないか。ダカールの時は割込み、一旦停止無視なんて当たり前だったが、こちらはそれ程車が多くないし、道幅も広い。
アクラ市内を走行中
さて、今から「シャープ・ゲストハウス」に行くのだけど、運転手は何か頼りない。広い通りから狭い路地に入って行く。何だかスラムみたいな所へやって来るのだが、こんな所に宿があるのだろうか?
そして、ある建物の前に止まるので、到着したのかなと思っていると・・・。「ちょっとあそこで聞いてくるから、地図を貸してくれ」ということだ。ええ、あんた、タクシーの運転手だろう?と驚く。そして、5分ぐらい車の中で一人で待つのだが、これがなかなかの恐怖だ。だって、事情を全く知らない異国の地で、しかもスラムみたいな場所だよ。
時々地元の人が通って行くが、何か見慣れない人がいるなぁという感じで見ている。もちろん、襲ってきそうな気配はない、ただ無関心という感じだ。あ、運転手が戻って来たよ。「こっちじゃあない、もっとあっちだってさ」って、そんなこと地図を見ていれば、素人の俺だってわかるよ。
再び車を走らせて、広い通りへ出る。因みに、今から行くゲストハウスは「リングロード・センター」という住所にあるようだ。ならば、この地図に書いてある「リングロード・センター」に沿って走ればいいのではないだろうか。
「この道はリングロードなの?」と聞くと「そうだよ」と。最初からそうすればいいじゃあないかと思うが、ガーナのタクシーはこんなもんのようだ。というのも、ネット上に「Wiki Travel」という旅行版のウィキペディアがあるんだけど、それによれば「ガーナの運転手はあまり街には精通していないので、目的地に電話してその電話を運転手に渡して、道案内してもらうことが必要だ」と書かれていることを思い出した。まさかと思うが、後日この方法で上手くいくのだ。
いきなりカルチャーショックだけど、これがパックのツアー旅行では味わえない醍醐味だ。独りでワクワクしていると、再びガソリンスタンドで停車する。「もう一回聞いてくるから、待っててね」って、このまま俺が逃走したらどうするんだよ。まあ、こういう事ができるってことは、こちらの人は良心的であり、また一人で外国人を待たせても問題ない治安の良さがあると理解できる。
暫くして、運転手が戻ってくる。「この先だって、もうすぐだよ」と。というわけで、20分程で今日の宿に到着する。まあ、ガーナは治安が良いので問題にはならなかったが、用心するには越したことはないので、最初の日は宿の送迎をお願いする方が良いだろう。
さて、再度料金をたずねると「50シディ(セディ)」だと。はいはい、50セディね。と同額面の札を渡す。「チップは?」って、散々迷っておいてチップを要求するのかい?と思うが、ちょうど1ユーロの硬貨があるので、そいつを渡しておく。ガーナセディに換算すると6~7セディに相当するので、ちょっと弾み過ぎか?
ゲストハウスに到着
それにしても、ピンク色をした宿っていうのは初めてだ。いかがわしい宿ではないかと心配するが、それは全くの杞憂だったと補記しておこう。入口から中に入ると、パソコンがずらりと並んだホールになっている。え?ネットカフェなのかと思うが、受付と思われる場所へ行き、いつものように「日本から来た、予約しておいた管理人だ」と名乗り、予約証明書を提示する。すると係員は帳面を調べて、その名を見つけたようだ。「いらっしゃい」とにこやかに挨拶してくれる。
その後、部屋へ案内してくれるのだが、ここはホールの外に別の建物があって、そこに客室が並んでいる。因みに、そのホールの扉にも鍵があり、そこは従業員が開けてくれるのだ。つまり、怪しい人はホールから先には入ることができないというわけだ。安全については問題の無い宿だね。今回は2番が当方の部屋だ。
その2番の部屋へに入る。ちょっと狭いけど、なかなか清潔で良い部屋だ。さらに扉を開けると、ユニットバスが現れる。しかし、右手にトイレ、左手にシャワーと半分離方式となっていて、いわゆる日本のユニットバスよりも使いやすそうだ。因みに、料金は1泊185セディ=3,700円であるから、お得という程でもないけど、悪くもないといったところだろう。
こじんまりした、清潔な部屋だ
なんだかんだで、時刻は15時になろうかというところだ。中部国際空港から6時間、バンコクから7時間、さらにアディスアベバから5時間、飛行機だけでも18時間、乗り継ぎ時間等を含めると、ほとんど丸1日半の長旅だったわけで、少々疲れた。ちょっとベッドで横になって休息する。その間、フロントでWiFiのパスワードをもらったので、試しに当方のガラホで接続してみる。いけるじゃあないか、ということで、フェイスブックから到着の旨、報告する。
そうだ、水が飲みたいなということで、フロントで購入する。1.5セディ=30円と随分安い。飲んでみるが、品質的にも十分イケそうだ。因みに「サチェット」という袋入りのものもあるが、こちらは1セディ以下で買えるようだ。しかし、品質に難があるものがあるので、おすすめはできないという情報がある。それ故に、今後もペットボトル入りを求めることにする。
ちょっと食事をしがてら、散歩に出かける。おすすめの店をたずねると「パパイヤがいいよ」と。グーグルの地図を見せてもらい、持参したもので場所を確認して出発だ。
こうして、第一歩を踏み出してみる。しかし、浮かれていてはいけない。いつぞやのダカールの時のように、インチキガイドに捕まってはいけないと身構えるが、ここアクラは全く雰囲気が違う。とても平和な空気が流れているのだ。
それもそのはずで、皆仕事をしているのだ。仕事がある=お金を稼いでいる=忙しい=旅行者から金を巻き上げる必要がないということなのだろう。つまり、治安に問題は無いということだ。ガイドブックには「アフリカ旅行の初心者には最適」と記載されてるのだが、まさにその通りだ。
目の前は大きな通りで、車も多く走っている。そこで、その脇の屋台が並ぶ裏道を歩いていく。最初は緊張していたのだが、ここはかなり治安が良いみたいで、適度に気を付けていれば危ないことはなさそうだ。その屋台であるが、雑貨の店が多く見られる。食べ物屋もあるが、時間帯が中途半端なので休憩中のようだ。
裏道の様子
大きな円形交差点(DANQUAH CIRCLEと名前がついている)を左に曲がり、歩いていく。こちらも両側に多くの店が出ていて、賑やかだ。それにしても、アフリカの女性はオシャレだ。服の色がとても斬新であり、皆個性的なのだ。また、黒人さん独特の体型を、服が引き立てている。つまり「尻」が目立つのだ。マニアな話だが「監獄学園」の理事長が見たら大喜びだろう。え、当方も大喜びであることは言うまでもないよ。
走っている車は日本のT社が圧倒的に多く、ホンダ、ニッサン、ミツビシも多く見られる。また、タクシーの小型車両には韓国のヒュンダイも多く見られる。バイクはスズキの125カタナのまがい物「ROYAL」の「RA125」が人気のようだ。
左に曲がって、引き続いて大きな通りを歩いていく。こちらは「オックスフォード・ストリート」という通りで、多くの商店が並んでいる。時々タクシーが通るのだが、やっぱり観光客を見るとホーンを鳴らしていく。ダカールの時と同じだが、こちらはあまり緊迫感がない。まあ、乗ってくれればいいなぁという感じだ。大してダカールでは、おい!!乗れよ!という雰囲気であり、無理やり乗せられるのではないかと思う程だった。因みに、こちらのタクシーはフェンダー「ラ・エプロン」が黄色いのが特徴である。
あ、ガソリンスタンドがあるぞ。多分安い方がレギュラーで、高い方がハイオクだろう。5.34セディということは100.68円ってことか。まだこの時はガーナの物価がわかっていなかったのだが、これは現地の人達にとっては相当高いと言えよう。だって、街で求人広告を見たのだが、一か月の給料が1,000セディ=20,000円となっていたのだ。まあ、この給料も高いか安いのか知らないけど、日本の1/10ぐらいだ。それなのに、ガソリンの値段は変わらないのだからね。
オックスフォード・ストリートの様子
靴を売る露店もある。因みに、現物は片方しか置いていない。これは盗難防止のためだそうだ。片方だけの靴なんて、何の役にも立たないからね。女性向けの服を売る店があり、随分と派手なものが展示してある。日本だったらそういう商売をしている人かな、と思うようなものだ。あら、カジノもあるのか。
通りは多くの車、人が行き交い、少々混沌としている感もあるが、活気があると表現するのが適切だろう。その車だが、前述のように日本のメーカーのものが本当に多い。日本車が強いのは、世界で共通のようだ。それなのに、何で日本人は長時間労働をし、安い給料で苦しい生活を強いられているのだろうか。そんなもん、メーカーが従業員を必要以上に搾取しているに他ならないのだ。
さて、宿で教えてもらった店「パパイヤ」に到着だ。店に入ると、1階は持ち帰りのようで、2階に席がある。今は15時過ぎであり、夕食までには間がある、谷間の時間である。それ故に、お客も少なくて2、3組がテーブルを囲んでいる状況だ。
ひとまず、窓側のスツールのあるテーブルを陣取り、外の様子を見ながら食事しよう。席に着くが、ウエイターはやって来ない。そりゃそうだ、日本のように水を出すわけではないのだから。それは愛想が悪いってわけでもなく、合理的だ。
注文を決めてウエイターを呼ぶと、愛想良くしてやってくる。メニューにはガーナのチャーハンである「ジョロフライス」とから揚げのセットがあるので、それにしようと思う。しかし、量がわからないので「どのくらいの大きさなのか」とたずねる。すると「こっちはだいたい4人前で、こっちは2人前ね」と教えてくれる。1人半とかはないようなので、2人前を注文する。「飲み物は?」「水をお願いします」っていうやり取りも、日本を離れて海外に来ているっていう証だ。そうだ、今、俺は時差がマイナス9時間の場所にいるのだ。
第2日目 その3へ続く