管理人 海外へ行く
〜セネガル編〜
キングスホテルの玄関
1.ホテルに到着
バスはまともに動いているが、広い通りは交通ルールなどあってないようなものだ。ラウンドアバウトでも、一旦停止することはないので、何回ぶつかりそうになったか。いや、運転手はそんなことは気にしていないのだろう。
バスのライトも、やけに暗い。しかし、それが照らす先には、なぜかランニングをしている人が大勢いる。しかも、片側4車線あるうち、2車線目を走る者まで見える。これがオリンピック等などの、競技人口層の厚さに繋がっているのだろうか。ただ、街並みは意外にも近代的なもので、多数のビルが立ち並んでいる。
20分程でホテルに到着する。その名は「KING'S HOTEL」である。おや、この工事現場にあるような、頑丈そうな門は何だ。バスが敷地内に入るとそれが閉められる。おいおい、この国も治安に問題があるんじゃあないのか。あと、敷地内に銀行ATMがあるのだが、これは「ホテルは安心できる場所」という証だろうか。
バスを降りて入口ロビーに入ると、煌々と輝くシャンデリアが出迎えてくれ、バオバブの1枚板の大きなテーブルが豪華だ。宿泊するには、かなり値段が高いホテルなのだろう。今日は航空会社のおごりだけどね。
同宿の方々
職員が出てきて、パスポートを回収していく。ああ、コピーをとって返してくれるんだろう、そう思っていたら「帰りに返す」と言っている。それを聞いて、中国人氏が職員に不安そうにたずねている。「出かける時には返すよ」ということだったので、皆は一安心だ。
パスポートのコピーがテーブルに並べられて、そこに書かれている部屋番号のカードキーをもらって、各部屋へ別れていく。時刻は既に朝の7時を回っていて、完全に夜が明けてしまった。
部屋に入ると、木製の大きなベッドがあるなかなか良い部屋だ。しかし、久々に徹夜になってしまって、頭がボーっとしてフラフラで、腹もペコペコである。ひとまずシャワーを浴びて、サッパリしてから食堂へ向かう。
豪華な部屋だ
ここもわりと多くの料理が並んでいて、なかなか豪華な朝飯である。野菜やソーセージ、チャーハンみたいなものを皿に持っていく。おや、このパン??を揚げて、味を染み込ませたものは何だ。そこにちょうど、バスで案内をしてくれたニイチャンがいたので、名前をたずねてみる。「おお、それはエチオピアの伝統的な料理でフルフルだ」と教えてくれる。これは、クレープ状のナンみたいな主食である「インジェラ」を、スパイスを効かせてひき肉などと煮込んだものだ。朝から辛いものとは、何ともアフリカンである。
アフリカの食べ物聞くと、日本人は食べられないのではないかと思われるが、この旅に食べたものに関しては、どれも旨いものばかりであった。運が良かっただけかもね。
エチオピア料理の「フルフル」
同じエチオピア航空ET907便で、マリの「バマコ」から乗ってきたフィリピンと談笑して、食事を楽しむ。彼はかの有名な「トゥンブクトゥ」に住んでいて、近所ではしょっちゅう爆発があったそうだ。そして「これを見てみろ。このニュース映像は、住んでいた家の前で撮影されたものだよ」とスマホで爆発の様子を捉えた映像を見せてくれた。マリ王朝の首都、知の探究で知られる街も、今や崩壊の危機に瀕している。行けるときに訪れておくべきだったかもしれない。
部屋に戻る前にペットボトルの水を購入する。もちろん、エチオピアの通貨「ブル」は持っていないので、ドルで支払った。値段は税込で18ブル、0.8ドル程だった。
「Good Morning」と挨拶をして、部屋に戻りベッドに滑り込んだ。お休みなさい。
2.起床
疲れていたのですぐに眠りに入ったが、昼間なので深くは眠れなかった。12時頃に目が覚めたので、食堂へ下りていく。そう、航空会社からの補償で、宿泊の他に朝昼晩の食事も提供されるのだ。そう考えると、こういったハプニングも悪くないと思えるから不思議だ。席に着くと、朝飯を一緒に食べたフィリピン人氏もやってきたので、一緒に食事をすることになった。
提供されるメニューは「ステーキ」と「魚」と「スパゲティー」であり、飲み物も注文できる。ここは当然「ステーキ」で、飲み物は・・・、オレンジジュースじゃなくて「スプライト」にした。フィリピン人氏も同様で、飲み物にはコーラを頼んでいた。
フィリピン人氏と話すと、彼は仕事で「マリ共和国」に行っていたそうで「ガオ」や「バマコ」にも住んでいたようだ。何でも「建築関係」の仕事をしているらしい。興味があるので街の様子をたずねてみると、危険が多いようで観光はまず無理と判断された。やっぱり「トゥンブクトゥ」への訪問は憧れで終わるのだろうか。当方もセネガルのことを聞かれたので、この旅行記で記載した内容を話した。また「お前は航空会社の職員ともよくしゃべっていたので、周りは皆注目して内容を聞いていたんだよ」と教えてくれた。そんなこと言われると、嬉しい限りである。
食
フィリピン人氏と昼食
事をした後、天気が良いので中庭でくつろぐ。んー、今日は湿度も低くてさわやかな日だ。アフリカにいるとは思えない。今にして思えば、この時に少し街へ出てみるべきだったと後悔しているが、予備知識も無いので、安全を考えるとこれでよかったのかもしれない。
中庭でくつろぐ管理人
ここで、今日泊まる予定である、成田のホテルへ連絡を試みることにした。確か航空会社の宿泊証明書には「3分間無料通話」って項目があったな。そう考えて、フロントでその旨を話してみる。そして、電話番号を示すと女性職員がダイアルしてくれた。
最初は混線しているみたいで話しにくいが、国際電話は話し終わる毎に数秒待つことが常識であることを思い出した。これは、当方の兄が20年近く前に教えてくれたことで、実際に自宅に電話してくれたこともあるのだ。
「宿泊日は一日ずらしてもよいですよ」ということで、一安心だ。やれやれ、これで成田で宿無しになることはない。まあ、実際には空港には仮眠施設なんかもあるので、大した問題ではないのだが、払った金がもったいないじゃあないか、ヤマトの諸君。
帰国時の成田で泊まる宿も確保できたので、かなり気持ちが楽になった。人間は見通しがきかないと、不安になるものだ。
3.再び就寝
いささか軽い足どりで、3階にある部屋へ戻る。窓から外を見ると、遠くには高いビルが見えるのだが、近所はあまり綺麗ではない家々が建っている。エチオピアは経済発展も目覚ましいと聞くが、もともと存在している貧富の差も、それに伴いさらに拡大しているのだろう。
ホテルの窓から
ちょっと街へ出てみたくなるが、とても疲れている。かなり残念だが、窓を開けて景色を見たりして楽しむ。ああ、俺は今、アフリカの端にいて、こうして生きているんだ。そう、当方が一番「生きている」を感じる時は、まさに旅の途中なのだ。コーナーが続く山道を走る時、まっすぐな北海道の道を走る時、飛行機に揺られて時差を飛び越える時、異国の地で人に出会い、景色を見て、これこそが我が人生なのではないだろうか。
ベッドに横になり、そのまま16時まで寝てしまった。今思うともったいない話だが、寄る年波には勝てないというところだろう。無念。
目が覚めると夕方である。だいぶ疲れはとれたが、これから16時間近く飛行機に乗るので、このくらいでちょうどよい。また、空港行きの送迎バスが19時頃に出発するらしいので、18時には食事を終えておきたい。
ロビーに下りて、中庭でくつろぐ。今回の旅はまだ終わっておらず、予期せぬ出来事の真っただ中だ。しかし、うまくいく旅よりは、確実に思い出になることだろう。また、いろいろと交渉したりして、何とか帰れることになったという事実は、今後の自分に何らかの影響があるのかもしれない。そう思うと、何だか笑えてくるではないか。
ニヤニヤとしていると、時刻は17時30分を回っている。そろそろ食堂に行って、夕食を食べることにしよう。おっと、昼飯を一緒に食べたフィリピン人氏と会い、一緒に夕飯もたべる。「俺が写真をとってやるよ」ということで、食事の風景を撮影してもらう。もちろん、満べんの笑みをたたえたことは、言うまでもなかろう。因みに、昼はステーキだったので、夜は魚を選択した。料理は天ぷらみたいなもので、フライドポテトがたくさん添えられたイギリス風であった。
管理人、食堂にて
食後は部屋に戻って、夕暮れを楽しむ。もうすぐ成田行きの飛行機に乗って、日本に帰るのか。沈む太陽を見ているせいか、余計に寂しく感じてくる。旅の終わりとはこういうものだ。