管理人 海外へ行く
〜セネガル編〜
街で売られているヘルメット
(なぜか「SUZUKA」と書かれている)
第7日目 (3月30日)
1.今日の題目は
いつものように6時頃に起床する。4月からはヨーロッパはサマータイムに移行するのだが、セネガルは適用されない・・・筈だ。しかし、往路の飛行機でバマコから乗ってきたスイス人の女性が、この件について何か言っていたような気がする。気になってガイドブックを調べてみると「サマータイムは、セネガルでは採用されていない」と書いてある。この情報は2013年のものだが、恐らく大丈夫だろう。ドキドキさせないでくれよ、飛行機に乗り遅れたらシャレにならないじゃあないか。
そんなことを思いつつ、7時30分頃にレストランへ出向いて朝飯を食べる。今日も綺麗な英語を話す女性がおり、話が弾む。ただ、連日の疲れからか、あまり食が進まない。こういう時は無理をせずに出かけるのを止めて、部屋でくつろぐのがよろしい。それに、明日はダカールを発つ日なので、それに向けての準備もしなければならいからね。
今日も朝食が旨い
部屋に戻り、ベッドに寝そべってグダグダする。まずは、CAFフランの現金をドルに戻さなくては。しかし、空港の両替所では断られるし、140,000CFAもの現金をセネガル国内から持ち出すと、税関でトラブルになるかもしれない。どうしたものだろうか。ぼんやりと方策を考えつつ、テレビを観る。天気予報では各地の気温を表示しているが、ダカールはいつものように25℃であるが、内陸は40℃越えである。
天気予報の画面
(マリとの国境付近は45℃に迫る勢いだ)
驚いているばあいではない。早いところ現金をどうにかしないと。大いに悩むが、ここはホテルの従業員に相談するしかなかろう。そう思っているといつの間にかウトウトと朝寝をしてしまった。いかんいかん、いつの間にか昼になっている。早く問題を解決しなくては。
2.行動開始
12時過ぎにフロントへ下りていき、現金が余っている訳を話す。すると「空港で両替できるんじゃあないの?」と言われるが、断られた旨を話す。すると、男性従業員が登場して「俺が人に頼んでドルにできるよ」と申し出てくれた。当方も思わず「Thank you, My Friend」って言ってみる。すると「Yes, you are My Friend」と返答があった。俺もすっかりセネガルに染まってしまったが、それも今日までだ。
ところで、ドルからCAFフランへ交換するときは、550フラン=1ドル程度の比率であるが、反対の時は、670フラン=1ドルになるそうだ。交換比率はかなり悪いが、背に腹は代えられないよ。ひとまず、これで問題は解決できそうなので、再び部屋に戻ってゆっくりする。
再びうたた寝をした後、腹が減ったので、14時頃にレストランへ行く。いつものウエイターに迎えられて、いつもの席に着く。今日の日替わりは「ドゥモダ」という料理なので、それにする。果たして出てきた料理は、セネガル風スパイシーカレーというところか。もちろん激旨で、ぺろりと平らげてしまった。
今日の昼飯「ドゥモダ」
さて、今日は朝の英語の上手い女性も残っている。彼女は「カティ」さんと言う名前で、子どもの頃に日本大使館で日本食を食べたことがあるそうだ。そして、当時の職員「ナカジマ」という人がとても親切で、日本人の教育水準やモラルの高さには驚いたという。
また、当方が成田から香港、アディスアベバ、バマコを経由して、30時間かけてダカールに来たと話すと、仰天して「30時間ですって???」とのけぞっていた。いや、でもね、飛行機に乗って、機内食を食べて、寝て、景色を見ていたらあっという間だよ。
そして「明日帰るのよね?とても素敵な日本人に会えて楽しかったわよ」と言われ、寂しいやら嬉しいやら。まあ、俺はお客だからお世辞のひとつも言うだろうが、それでも嬉しいじゃあないか。
3.緊張の瞬間
食事を終えて、部屋に戻る。今日はいつもより暑い日で、エアコンを回してゆっくりする。おおそうだ、のんびりしてはいられない。おろし過ぎたCFAフランの現金を、ドルに戻さなくてはいけない。これをしくじると、空港の税関で足止めを食わされてしまい、下手をすると飛行機に乗り遅れる危険性がある。
フロントへ行き「My Friend」のホテルマンと打ち合わせたように行動を開始する。まずはホテルの料金の精算をする。もっとも、宿泊代(朝食込)の代金は、旅行代理店経由で支払っているので問題ない。請求対象は、食事代5,000x4=20,000フランと宿泊税だ。しかし、レストランから伝票が来ていなかったらしく「もう昼飯は食べたよね」と聞かれてしまう。女性従業員がレストランを内線で呼び出すと、めんどくさそうに、いつものウエイターが伝票を持ってきた。もちろん、彼はフロントで小言を言われていたのは、言うまでもなかろう。
そして、打ち出された請求書を見ると、食事が3回で15,000CFAフラン・・・これだけだ。どういうことかわからないが、たぶんウエイター氏が伝票を持って来ない日(サボり)があったのだろう。つまり、1回は「タダメシ」とされ、ガイドブックに掲載されていた税金も徴収されることはなかった。これを払って清算終了だ。
次に、ホテルマン氏に「CFAフランをドルに換金するので・・・」と頼むと、早速電話をしてくれた。因みに5,000フラン+αを残して、130,000フランを換金する予定だ。1ドル=680フランと比率は悪いが、やむを得ない。そして、計算すると、179ドルになるようだ。
20分くらいして、役人の札を首から下げた男がやってきた。そして、携帯で680を示しながら「O.K.か」と言うので「O.K.だ」と答え、現金を渡す。すると「130,000/680=179」をスマホで示してきたので「問題ない」と答えた。すると、ポケットからドル紙幣を出して「100だろ、50だろ、20だろ、5だろ、1、2、3、4」と179ドルをパッと払ってくれた。
こうして男はさっさと帰って行ったのだが、実は「My, Friend」のホテルマン氏と「最初は200ドルと言って、180前後で落ち着くように交渉するんだよな」と話し合っていた。「そうだ、よくわかってきたな」と、ホテルマン氏は当方の成長?ぶりを喜んでいたと補記しておこう。。
そんなこともあってか「簡単に済んでよかったな」と肩を叩かれた。「お世話になったよ」と1ドル紙幣を渡すと、照れながら「すまない」という表情をしていた。本当ならば10ドルぐらいあげてもよさそうだが、当方は無職のケチなので、これが精いっぱいだ。
また「明日の朝は5時30頃にここを発つのだが、空港まではタクシーの方がよいか」とたずねた。すると「人通りも少ないので、絶対にタクシーを使った方が良い。料金は1,000フランで、ホテルの人が呼んでくれる」ということだった。本当に世話になった「My Friend」だった。ありがとう。
部屋に帰って、いつもの水シャワーを浴びる。これも今日で最後かと思うと、なんだか寂しく感じる。初日は「お湯が出ないなんて・・・最悪だ」なんて思っていたが、ダカールは暑いので「これでいいのだ」と思えてきた。人間の慣れってこんなもんだね。
それにしても、毎日が緊張の連続だったので頭が痛い。しかし、それも今日で最後だ。やっと日本に帰ることができる。満足に出かけることもできなかったが、今の実力ではこれが精いっぱいだ。よく頑張ったと自分をねぎらいつつ、アフリカ最西端の夕日を見てメモをつける。
毎日見てきた最西端の夕陽も今日が最後か・・・
今日も疲れたので、20時には就寝となった。