管理人 海外へ行く
〜セネガル編〜
アルマディス通りにある国連の事務所前
第6日目 (3月29日 その1)
1.今日はあの場所へ
朝は6時頃に起床し、準備を整える。ガイドブックや地図を見て「あの場所」へ行ってみることにする。
道順などを思案していたら7時を回っているので、朝飯を食べにレストランへ行く。いつもは愛想のあまり良くない女性がいるだけだが、今日は育ちの良さそうな、いかにもアフリカの女性という容姿の方が当番のようだ。この方は英語もほぼ母国語レベルに上手い方で、イギリスかどっかに留学していたのかもしれないと思われた。
今日はクロワッサンにバゲット、チーズも食べてみる、相変わらず、どれも旨い。やはり、パンは格別だ。まあ、日本で言う米に当たるのだから、まずいはずもなかろう。
今日の朝飯
腹がパンパンなので、部屋に戻ってゆっくりする。残りの日程も今日、明日と、明後日を残すのみだ。ただ、最終日は早朝に空港へ行かなくてはならないので、残りは2日のみと考えてよい。大いに楽しもうではないか。
9時ごろにフロントに下りて「Verde 岬へ行きたい」と話す。すると「Manuel 岬じゃあないの?」と言う。そして、いつも良くしてくれる「ジュビィさん」も呼んで、何やら話した後「やはり「MANUEL 岬だよ」と言う。
そうなのか、わかったよ。ということで、いつものように玄関先でタクシーを止めてくれる。じゃあ、行ってきまーす。って、海岸沿いの道に出たら大渋滞で動きゃしない。そう言えば「この時間は渋滞するからね」とホテルマンが言っていた。一応料金は2,000で決めてあるので、この点は安心だろう。
大渋滞の海岸通り
(左の車は「ターセル」か?)
それにしても、ダカールはタクシーが多すぎる。車の3割ぐらいは黄色に黒のストライプが入った、特徴のある車だ。しかも、その半分はガタガタの分解寸前のような古さだ。ガラガラと怪しいディーゼルエンジンの音を出すタクシーで、ンゴール地区の中心となる、ラウンドアバウトを通過する。そして、ポリテク大学やナイトクラブが並ぶ「コーニッシュ・ウエスト通り」へ進む。おっと「Verde岬」は右へ曲がるのだが、まっすぐ言ってしまう。
ン・ゴール地区のラウンドアバウトにあるモニュメント
運転手に「俺はVerde岬に行きたいんだけど」と言う。すると「Manuelじゃあないの??ウートレする?」と返してくる。たぶん「Uターンがウートレ」なんだろう。「ウートレだ」と言うと、次のラウンドアバウトで、進路を変える。
ラウンドアバウトは、こういう時に便利である。よし、これで「アフリカ本土の最西端」へ行くことができる。なかなかロマンのある場所であるから、今回の旅では是非訪れたいと思っていた場所だ。
「コルニッシュ・デ・ザルマディ」通りを進んでいくと、高級住宅街に入ってくる。そして、正面には灯台が見えてくるので、あれがアフリカの最西端だ。さて、どこでタクシーを降りようかと思案するが、わかりやすく「アメリカ大使館前」で下りる旨、運転手に告げた。
さて、料金交渉の時が来た。最初に2,000と決めていたが「ウートレ」したので、2,500払うことにした。そして、とぼけて2,500フランを差し出すと、運転手は申し訳なさそうに「5,000なんだけど・・・」と言う。そんなアホな金額を払えるかと思い、半ば押し切るように「2500だよな??」と強い口調で言ってみた。すると「はい、わかりました」という顔で、お金を受け取った。
何だ、気の弱い運転手ってのもいるわけか。あんたはこの仕事には向いてないから、他の事をした方がいいぜと心の中で思うが、失業者にそんなこと言われたくないだろう。車を出てタクシーの写真を撮っていると、軍人が走ってきて「こんな所に止まってはダメだ!!」と言われたので、タクシーはそそくさと走り去った。
大使館前にて
(今日のタクシーはコロナかな?)
2.アフリカ本土最西端
また、大使館を写真に撮ろうとしたら「NO PHOTOだ」と怒られてしまい「すいません」と言ってカメラをしまった。ここで落ち着いてよくよく周りを見ると、機関銃をぶらさげた軍人が100m間隔で見張っており、何か変なことをしたら一発で蜂の巣になってしまいそうな雰囲気だ。危ない、危ない。しかし、逆を返せば犯罪は抑止されているということなので、軍人を味方につけるよう、前を通る時は帽子を取って頭を下げる。すると、彼らも人間なので、微笑みながら手を挙げたり、親指を立てたりする人も見えた。
大使館裏門を過ぎて、レストラン?屋台?が並ぶ、海沿いの通りにやってきた。こちら側は軍人はおらず、雰囲気ががらりと変わる。ゴロツキみたいな大男が何人もおり、夜通し飲んでいた?みたいだ。これにはビビってしまい、ここから海岸に下りるのは止めておいた。
ここで、アフリカ最西端の「Verde岬」について説明しておこう。ここは、最初のヨーロッパ人として、ポルトガル人が到達した場所だ。ちょうど良い具合に海に突き出ていて、船からは緑が美しく見えたそうだ。それ故に「緑の岬=Cabo Verde」と呼ばれるようになった。しかし、ここは「ホテル・シェラトン・ダカール」の私有地になっているので、こちらの海岸から遠望しようと思ったわけだ。
再び大使館の方へ戻ると、若い職員が出てくるのが見えた。そこで声をかけて「岬へ行く方法は無いのか?」とたずねてみた。すると「ごめん、英語はわからないんだ」と謝られてしまう。いやいや、本来は当方がフランス語を話すべきだろう。
この職員と一緒に元来た道を戻り、門の所で別れた。すると、門番と目が合い、彼は笑いながらこちらへやってくる。「浜におりたいんだけど、どうしたらいい?」とたずねる。すると「まっすぐ行って、右に入れば大丈夫だ」と。さらに「どこから来たのか?」、「どこに泊まっているのか」、「セネガルは初めてか」など、フレンドリーに話してくる。軍人さんも人間なので、こういう人がいてもおかしくない。
国際交流を楽しんだ後、見送られて岬の方へ向かう。右に入れと言うが、大使館の隣は上記ホテルの私有地なので、柵が厳重にしてある。隙間はないかと探していたら、門の所までやってきた。
アフリカ本土最西端の「ヴェルデ岬」はホテル・シェラトンダカールの敷地内にあることは前に記した通りで、その正門には軍人が3名詰めている。緊張して「すいません」とフランス語で言うと、こちらの話に耳を傾けてくれる。続けて英語で「中に入って、岬を見たい」旨伝えると、一人を除いては理解できないようだ。そして「ダメだ」とあっさり言われてしまった。「日本から来て、ここを見に来たんだが」と食い下がってみると、やはり「ダメだね」とちょっと申し訳なさそうに言う。
ホテル・シェラトンダカール
理由は簡単で、セキュリテイの都合だろう。この旅行記では時々記載しているが、ダカール市内には機関銃を持った軍人がそこいらじゅうに立っていて、警戒に当たっている。先日もパリでテロ事件があったし、イスタンブールやロンドンもキナ臭い状態が続いているようだ。
つまり、不用意に人を出入りさせたくないのだろう。何となくそれは察することはできるし、軍人も「お前なら入れてやってもいいけど」という顔をしている。ただ、上官の命令には逆らえないということなんだろう。
3.諦めないよ
仕方ないので先日「インチキガイド」に連れられて行った、北朝鮮の建設した「アフリカ復興のモニュメント」の丘に行って、遠望しようと考える。
軍人に見送られて、海岸線沿いを歩いていく。この辺りはレストラン、というかオープンカフェみたいな店が多く並んでいる。ちょっと一服していきたいが、まだ時間が早く、開店前だ。一方、道路の左側には立派な邸宅がたくさん並んでいる。おそらく金持ちが多く住んでいるのだろう。空港の際にある掘っ建て小屋に住む人もいるので、この国の貧富の差は相当なものだ。
高級住宅街の様子
そんなことを考えつつ通りを歩いていると、通り過ぎるタクシーからは、いつものようにホーンが鳴らされる。でも、今は乗らないよ。
ここでちょっと冒険ということで、細い道に入って、バスが何台も並ぶ「ガラージュ」を通り、別の大きな通り「アルマディ道路」に出る。ここを東に向けて歩いていくと、国連のビル前を通りかかった。ここにガードマンがいたので、ちょっと立ち話をした。この人も案外フレンドリーで「モニュメントはこのまま歩いていけばよい」と道を教えてくれた。
手を挙げて別れ、通りを歩いていく。この通りは人通りも多く、治安は良さそうだ。そして「コルニッシュ・ウエスト道路」に出て、南に歩いていく。通りには「ナイトクラブ」が多く並んでいて、ガラの悪そうな人がこちらを見ている。おお怖い、さっさと歩いていこう。
すると、前方に灯台、左にモニュメントが見えてくる。空港の滑走路03の端を通り過ぎて振り返ると、遠くにやはり灯台が見える。これこそがアフリカ最西端である。
平日昼間なのに、子どもが数人遊びながら通り過ぎていく。セネガルでは就学率があまり良くないと書いてあったが、本当にそうなのかもしれない。そう思いつつ、坂を上っていくとモニュメントに到達した