管理人 海外へ行く
〜セネガル編〜
ホテルがある空港通りは大渋滞
第5日目 (3月28日 その3)
1.闘いは続く
タクシーに乗り込み、港湾地区を後にする。最初のラウンドアバウトには鉄道の「ダカール駅」があるのだが、全く稼働している様子はない。しかし、その外観はタイルを使ったモザイク模様があしらわれており、なかなか見応えがある。因みに、数年前までは隣国の「マリ共和国」の首都である「バマコ」行きの夜行寝台特急が運行されていたようだ。
撮影角度が悪いが
ダカール駅
そして、線路沿いの高規格の道を進んで行く。すると、線路の敷地内でも洗濯を干す住人が見られた。全くもって残念な話だが、当面鉄道が動くことはないだろう。周囲には「タタ」のミニバスや、怪しげな化粧のみならず、エンジン音もおかしい「カーラピッド」が通り過ぎていく。そして、その排気ガスも黒煙が出ている。これでは空気が汚れていくわけで、汚染も深刻になっているようだ。
それにしても、ダカールの運転マナーはとても悪い。割り込み、急ブレーキ、突然の進路変更など、我々が「やってはいけない」と教えられていることを全て実行していると言っても過言ではなかろう。しかし、それがダカールであるので、郷に入れば郷に従えではないが、事故にならないことを祈ろう。
道路沿いにも家がたくさん建っているが、それらはかなりボロボロである。しかし、遠くには高層団地のような高級そうな住居もあるようなので、貧富の差はかなり開いているようだ。また、車についても同様で、ピカピカのメルセデス、トヨタ、ルノー、プジョーなども走っている反面、空中分解してしまいそうなオールド車もかなり多い。
さて、今走っている道は「N1」高速道路のようで、これは昨日「Lac Rose」に行った道に繋がっている有料道路だ。しかし、途中で「空港道路」へと別れて、料金を払うことはなかった。
N1高速道路を行く
その「空港道路」を進んでいくと、昨日も通ったスタジアムの前を通過する。また、この辺りはとても混んでいて、お馴染みの大渋滞にはまる。これもいつものことなので、気長に待ちながら周囲を眺めて時間を楽しむ。すると、この炎天下でモスケの修理をする人が見えた。お疲れさん。
さらに進んでいくと、サンゴール空港の滑走路34端の前の海岸が見え、少し坂を上るといつも買い物をする食料品店の前を通過。やれやれ、やっと到着だなと安心していると、空港前のラウンドアバウトでいきなり反対方向へ走り出した。
「おいおい、ちょっと待てよ。俺の泊まっているホテルは向こう側だ」と言って、制止させる。すると、次のラウンドアバウトで再びUターンして、路肩に車を止めた。そして「ちょっと待ってろ。今、他の運転手に道を聞いてくる」と言う。道はわかるので、本来ならばここで車を降りて走って逃げても良かったのだが、とても疲れているのでそこまでの気持ちにはなれない。
運転手が帰ってきたので、もう一度ホテルの名刺を見せる。すると、「YOFF地区だろう」と言うので「そうだ」と答える。ただ、少し離れた所に「GRAND YOFF」という地区もあるので、そこへ行こうとしていたのかもしれない。
どっちにしても運転手の不手際で余計に走った後、ホテルの前に到着した。そして「余計に走ったから5,000フラン払え」と言う。「お前が道を知らなかった、いやわざと余計に走っただろう」と言いたかったが、渋々5,000フランを払ってやった。すると急に態度を変えて「オー、マイフレンド」とかこきやがった。そんな友達は要らないが、セネガルでは嬉しい時にこういう表現をするのが習慣なのだろう。まいったよ。
ホテルに戻りると「ゴレ島はどうだったか」とたずねられる。「ゴレ島では奴隷の売買があった現場を見たので、考えさせられた。ただ、良い経験になった。まあ、それはともかく、帰りのタクシーで4,000CFAフランと決めたのに、運転手がわざと道を間違えて5,000払う破目になった」と写真をみせながら報告する。すると「悪い人もいるのね」とフロントの女性が同情してくれる。また、いつも撮影してきた写真を見て「あなたは写真を撮るのが上手ね」と褒めてくれる。お世辞半分としても、うれしいものだ。
いつもタクシーを手配してくれたり、いろいろとアドバイスをくれるホテルマンにも会ったので、今日の出来事を話す、すると「セネガルの人達は金がないから、いつもそうやって金を持っていそうな人にふっかけるのさ。でもな、4,000って決めたなら、それ以上払う必要はないんだ」と。「じゃあ、今日も4,000だけ払って、車を降りればよかったのか」とたずねる。「そうさ、それでいいのさ。そして、これしか持っていないって言えばいいんだよ」と極意を教わった。
2.遅い昼飯
部屋に戻って一息ついて、シャワーを浴びる。水しか出ないと思っていたが、今日は若干ぬるい。おそらく、水道管が日光に当たり、加熱?されたのだろう。
今日も「セネガル流」をたくさん学んだなぁと思っていると、腹が鳴った。そうだ、まだ昼を食べていなかった。外出すると、どうもピリピリした雰囲気で落ち着かないので、ついつい食べそびれてしまう。今日も無難に、ホテルのレストランへ食べに行こう。
部屋を出て、歩いて30秒で到着する。ここではもう顔なじみなので、くだけた挨拶をして席に着く。「今日もティブジェンを食べたい」と言うと「今日の日替わりはピフカレーだよ」ということだ。ピフ?ピフって何だろう、ああ、ビーフカレーか。じゃあそれで。さらに続いて「ジュスダオランジ?」と聞かれる。何それ??と考えていると「オレンジジュース?」と。ああそうか、いつもオレンジジュースを注文するので、それを覚えてくれたのか。もちろん、ジュースも頼むよ。
昨日も記したが、レストランには「日替わり、この地域の料理」が4,000CFAフランで用意されている。そして、ジュースは1,000CFAフランだ。日本円なら合わせて1,000円にもならないので、ランチとしては普通の金額だ。しかし、現地の貨幣価値からすれば、やはり高い食事となるだろう。
カレーとジュースがやってきたので、手を合わせていただきます。ここでウエイターのニイチャンが、笑いながらそれを真似している。仏教的な食事の作法なんて、イスラム教圏ではまず目にすることはないだろうから、珍しいのだろう。
さて、セネガル風ビーフカレーはミントの効いた、しかし油が多めのものだ。味は悪くないし、今日は量的にもちょうど良かったね。
ピフカレー
ツケの伝票にサインをして、部屋に戻る。さて、前述のように部屋とレストランは歩いて30秒だが、途中にソファーが置いてある。そして、そこには写真が数点飾ってあるのだが、よく見るとそれらは建設中の「ダカール駅」や昔日「港湾地区」や「市街地」ものだ。多分、フランス統治下の時代だろう。ちょうど今見てきた所だったので、それとすぐに気がついたのだが、これまではほとんど目に入ってこなかったのだ。
建設中のダカール駅か?
3.そしていつもの店へ
食事を終えて、部屋へ戻る。時刻は16時前なので、いつもの食料品店へ夜食を買いに行くことにした。
夕方になって暑さが和らぐのかと思っていたが、西日がきつくて結構暑い。いつものようにタクシーの客引きホーンを聞きながら「空港通り」を歩いて、ラウンドアバウトで向きを変え、進んでいく。道路には大きな看板がたくさん出ていて、避妊具なんかも堂々と宣伝されている。やはり、アフリカと言うと「エイズ」の蔓延が深刻な問題になっているのだろう。また、ホテルの反対側では、4月15日、16日に開催される「マラソン大会」の看板が並んでいる。黒人は運動能力が高いので、かなり高レベルの競い合いが展開されるのだろう。
空港通りの様子
(左端に避妊具の看板が見える)
店に入ると、いつもの店員が番をしている。「ああ、お前か」という顔で挨拶をして、ガラスケースかを覗く。そこで、ココナツ味のウエハースを見つけ「これを」と言って、出してもらう。そして、縦長の冷蔵庫からスプライトを出して、会計をしてもらう。今日は400フランの支払いだったが、昨日は1,000だった。今日が安いのか、昨日が高いのか。どうやら昨日は「フランス製のクッキー」が良い値段だったようだ。
今日の収穫
店を出て、元来た通りを歩いていく。空港周辺はわりと治安が良いのだが、港湾地区はかなりピリピリしていた。後日調べてみたら、後者は「不用意に近づかないようにする場所」と書かれていた。やっぱりそうか。
部屋に戻り、テレビを観てダラダラと時間を過ごす。ダカールでは地元のウォルフ語、フランス語、英語の放送があり、後者2つはヨーロッパのものをそのまま流しているようだ。また、観光用のCMで、東京の屋形船からサカナクンが出てきて「ギョギョ」というものもあった。日本はどう思われているのだろうか。
本を読んだり、日記をつけたりしていると、外が騒がしい。カーテンをめくって窓の外を見ると、道路が大渋滞である。そして、時々白バイのがサイレンを鳴らして走っていく。
18時30分を回っている。日も傾いて、今日も終わりだ。いつもならばぐったりと疲れているが、慣れてきたせいだろう。それ程でもない。
とは言え、いつもの習慣で21時頃には就寝となった。