管理人 海外へ行く
〜セネガル編〜
停泊中のフェリー
第5日目 (3月28日 その1)
1.今日はどこへ行こうかな
朝6時前に目が覚めるが、グダグダして7時過ぎに起床する。今日はどこへ行こうかな。色々と考えつつ、朝食を食べにレストランへ向かう。
いつものように部屋番号14を告げて、席に着く。メニューは同じだが、いつものようにパンをいくつか食べる。それにしても、外国で食べるパンは何でこんなに旨いのか。日本に流通する、大手パンメーカーのものがいかにレベルが低いかということだろう。ついでにパイン、マンゴー、バナナなどのフルーツ盛り合わせも食べて仕上げる。
部屋に戻って準備を整えて、8時30分頃にフロントへ向かう。あ、しまった。カギを部屋に残したままドアを閉めてしまった。そのままフロントへ向かい「ロック・アウト」したと言うが、通じなかった。日本語では「イン・ロック」などというが、英語では「ロック・アウト」だ。
「鍵を部屋に置いたまま、ロックしてしまった」と言いなおすと、話が通じる。「後で持ってきておくから、心配するな」と言われ、改めて「ゴレ島に行こうと思う」と話す。すると、男性の従業員が一緒に外へ出て、タクシーを呼び止め、「2,500フランだよ」と値段を交渉してくれた。しかし「それ以上請求されたらどうしよう」と返したら「それは無い、大丈夫だ」ということだった。
2.いざ、ゴレ島へ
安心してタクシーに乗る。今日の車両はまあまあマシな方だ。しかし、20年ぐらい前のトヨタ アベンシスだで、ディーゼルエンジンを搭載している。ガラガラ言わせて通りを海岸へ向けて走り出す。そして、最初のラウンドアバウトを過ぎると、早速渋滞につかまった。そう言えば「朝のこの時間だから、渋滞するよ」とホテルマンが言っていた。
空港通りからコーニッシュ通りへ入ると、流れが良くなる。ダカールでは大きなスーパーである「CASINO」、そして「ポリテク大学」前を通過する。ポリテクとは工業大学だが、今年の前半は小牧のポリテク、いわゆる職業訓練校へ通っていたので、嫌な事を思い出してしまう。
スーパーマルシェ「CASINO」
さらに進むと海岸や灯台、アフリカン・ルネッサンス像が見えてくる。今日は旅程は5日目だが、ダカールでは4日目だ。日本でこの辺りの地図を覚えたことと、実際の地形が一致しつつある。ここで「チーク・アンタ・ディアップ」通りに乗り換えて、モスクの裏を通って行く。それにしても砂や排ガスで空気が汚い。本当はマスクをしたいところだが、不審者に間違えられたくないし、目立つので我慢する。
海岸を見下ろしながらファン地区を通過、コーニッシュ・シティ通りを進んでいく。ここは大学のある区域で、戦争のような交通状況は一旦おさまり、割合と穏やかになる。また、大学生の通学時間帯であるので、人通りは多い。
朝の街の様子
しかし、大学を過ぎると、明らかに空港周辺よりも治安は悪そうなので、ドキドキしてくる。そして、いくつかの交差点を曲がって、シェルのスタンドに入る。昨日もそうだったが、商売の前に燃料は入れておけよと思うが、ここはセネガル。日本の常識など、何の役にも立たない。
再び戦争のような道路状況の中を走り抜けて、モスクの塔を横目に、ダカール駅前からフェリー乗り場に到着した。しかし、ここで検問が行われており、機関銃をぶら下げた、ベレー帽の軍人がこちらを見ている。「いざこざに巻き込まれたらどうしよう」と緊張するが、車のトランクだけ見て、あっさり通過となった。ああ、怖い。
機関銃を持った軍人がいる検問
検問を過ぎれば、いよいよタクシーの支払いだ。ここで電卓を出して「2,500」と示す。どうやら今回は割増は無いらしい。指定の料金を払って、乗ってきた車をパチリ。今日は今までで一番まともな車だったかも?しれない。
今日乗ってきたタクシー
3.フェリーに乗って
さて、島まではフェリーに乗ることになる。しかし、その乗り場へ入るには、再び軍人の前を通らないといけない。え、パスポートも見せるんですか。何でフェリーに乗るだけなのに、こんな厳重なチェックがあるのだろうか。少々疑問に思っていたら「おおい、そこのジャポーネ、ゴレ島に行くのか?俺が切符を買ってきてやろうか」と男が数人寄ってくる。ここは、ホテルの人の指示に従い「わからないフリ」をして進んでいく。
これですべての客引きから逃れることに成功し、切符売り場の列に並ぶ。ここでは珍しく、ヨーロッパ人の団体を見かけた。もちろん、彼らはツアー客なので、ツアコンが切符をまとめて購入している。そう思っていたら順番が来たので、10,000フラン札を出した。すると「200はないか?」と言われたので、偶然財布にあった硬貨を出す。すると、5,000フラン札が返ってきた。ああ、そうか、料金が5,200フランなんだね。因みに、島に住んでいる人はずっと安く1,700フラン程度で、セネガル人もそれにちょっと足した金額で渡れるようだ。
切符売り場の様子
ガイドブックでは6,000フランと書いてあったので、値下げされたのだろうか。不思議に思いながら門をくぐると、横柄な態度で金属探知機の前にオバサンが座っている。そして「金属製ものを入れろ」という感じで、カゴを持っているので、財布やら時計やらを入れてから、探知機を通る。
「ちゃんと返してくれるんだろうな」とかなり心配だったが、それは問題なかった。しかし「あんた、ナイフとか持ってないだろうね」と聞かれたので「持ってないですぅ」とビビッて答えた。さらに「他に何か危険なモノを持ってないだろうね?」と睨まれたので「何もないですぅ」とビビりつつ返した。
ここで気がついたのだが、フェリーも密室なのでセキュリティ・チェックが厳重だったのだろう。と言うことは、テロ攻撃もあり得るということか??何も起こらないでくれよ。
広い待合室に出たので、空いている椅子に座って水を飲む。朝から緊張の連続で、喉がカラカラだ。それにしても、何か視線を感じるのは気のせいだろうか。周りの人たちは東洋人が珍しいのだろう、こちらを見ているようだ。
待合室の様子
ちょっと居心地が悪いので、ヨーロッパ人のツアー客の方へ移動して、フェリーが出るのを待つことにする。因みに、フェリーは30分毎に出ているので、そんなに待つことはなかろう。そう思っていたら「ツアーの方は2階へ」と言われて、当方も一緒に行くことになった。これはおそらく「人種分離」の為だったと推測される。つまり、黒人とそれ以外に分けることで、無用ないざこざを避けようとしていると感じたからだ。
そして、いよいよフェリーに乗る時刻になり、係員に誘導されてフェリーに向かう。さて、今から向かうゴレ島はダカールの沖に見えていて、フェリーで20分の距離だ。ところで、島への乗り物は「フェリー」ということだったので、隣の大きな船だと思っていた。しかし、実際にはクルーザーに毛の生えた程度のボートであった。因みに、大きい方の船はセネガル南部の都市「ジガンショール」行きである。
右の船だと思っていたが、左のボートでした
ゆらゆらと揺れる船に乗り、ゴレ島目指して走り出す。周りには観光客も多く、半分近くは白人であった。また、警官(ガードマン?)も同乗しているので、治安には問題はなかろう。
ところで、今日もホテルの人に言われたように「黙っている」ので、今のところ問題は無い。昨日もこの作戦で成功しているのだが、このことをホテルの人に話したら「本当に言った通りにしているんだ」という顔で大笑いされてしまった。そうしろと言ったのは、あんたでしょ?
だんだん島が大きく見えるようになってきて、建物もその姿を確認できる。さて、ここでゴレ島について解説しておこう。この島は別名「奴隷島」と呼ばれていて、その名の通り奴隷が売買されていたようだ。その象徴が「奴隷の家」であり、陸側の入り口から部屋に入ると、その出口は海側にしか開いていない。もっとも、その人数については議論があり、アフリカからアメリカに移送された奴隷200万人のうち、島では年間300人程度の取引があったにすぎない。しかし、問題はその数ではなく、事実であることは言うまでもなかろう。
ゴレ島遠景
4.ゴレ島に上陸
島の桟橋に到着し、船を降りる。するとセネガル名物の客引きが寄ってくるが、全て無視して通過する。しかし、一人だけ「パスを購入しろ」という人がついてくる。そちらを見ると、役人の証明書をこちらに向けている。ああそうだ、ガイドブックに税金600フランを支払うように書いてあったっけ。
促されて入口の横にある小屋に向かい、500フランを支払った。おや、ひょっとして日本人か?フランス人の奥方らしき人を連れていたが、あれは間違いなく日本人だろう。この旅で唯一の日本人とここで遭遇した。