管理人 海外へ行く

~セネガル編~

 

2017年3月24日~4月3日

コーニッシュ海岸から見るダカールの市街地

第3日目(3月26日 その2)

1.市街地へ向けて出発

ここでオッサンが「今からタクシーに乗って、市街地へ行こう。タクシー代は俺に任せておけ」と切り出す。本当かなぁ、怪しいなぁと思うが、観光に来ているのだからついていくことにしよう。

先ほどのガラージュでタクシーをつかまえるが、この車両の状態が酷い。ぶつけたのだろうか、変形していてドアがうまく閉まらない。また、走行する分には問題ないが、前面のガラスに大きなひびも入っている。もうちょっとマシなタクシーをつかまえればいいのにと思うが、まあこれも一興でしょう。

ガラスにはヒビが入っている

走り出すと、いきなり渋滞にはまる。ダカール市内は慢性的に車が多く、流れがあまり良くない。また、運転もスリリングの極みであり、よく事故にならないなあというレベルだ。日本で言う「譲り合い」なんて言葉は絶対に存在しないだろう。そして、唐突に路面がかまぼこ状に盛り上がる場所があり、その度にブレーキと突き上げの振動を味わうことになるのだ。

コーニッシュ通りを南下していくと、大西洋が見える。そして、あの向こうに見えるのが、アフリカ最西端の「ヴェルデ岬」というわけか。随分遠くへ来たものだ。ぼんやりと海を眺めていると、10分も行かないくらいで灯台の前を通りモニュメントに到着した。なんだこれは、超巨大な像だ。これは、フランスからの独立50周年を記念して建設されたもので、ガイドブックによると、北朝鮮も一枚噛んでいるいるそうで「アフリカン・ルネッサンス像」と呼ばれているようだ。さらに「あの灯台があるので、飛行機のパイロットは面倒を強いられるんだ」とオッサンがガイドしてくれる。そうなのか、でもなかなか味のある形状で、面白いと思うんだけどな。

そして、何軒か店が出ている駐車場にタクシーを待たせて、像を見に行く。また、駐車場には軍隊の「門番」がいて、ちょっと物騒な感じがする。こうしてモニュメントへの階段を上がっていくと、左手に大西洋、右手には空港と街が見える。また、日差しは強いが海風が冷たくでちょうど良い。また、ガイドブックによれば、像は内部に6,500フランで入り、49mの頂上まで行けるそうだ。まあ、あまり興味は無いのでここでいいとしよう。だって、ここからの景色も十分に良く見えるからね。

当方の後ろからは、おっさんはヒイヒイ言って階段を上ってきて「写真を撮ってやるよ」とカメラマンも買って出てくれた。

アフリカン・ルネッサンス像

右端に管理人

像の下まで行き、空港や海を眺める。繰り返しになるが、本当に遠くへきたものだ。あの岬はアフリカ本土の最西端だし、その海に向こうはブラジルだ。感慨にふけって景色を眺めているとオッサン「行こう」というので、駐車場の土産物屋を覗きに行く。本当はもっとゆっくり見ていきたいが、また後日来ることにしよう。

土産物屋では、若い兄ちゃんがいろいろと商品をすすめてくる。まだ旅は始まったばかりなので土産は買う気はないのだが、売り込みの激しさから、セネガルらしいTシャツと絵葉書を買うことにした。おいおい、これだけで10,000フランって高くないかと思うが、日本円換算で2,000円だからこんなものかと思ってしまう。しかし、これは大きな間違いで、まだCFAフランのモノと金額のすり合わせができていなかったのだ。

隣の店も入ると、アフリカの女性が身につけている、石の玉でできたネックレスをすすめられる。しかし、値段が数万フランもするので、買わないと言って店を出た。だいたい必要もないし、あげる人もいないのだよ、ヤマトの諸君。

ここで気になったのは、ガイドのおっさんと店員がやけに親しいことだ。もちろん、現地語の「ウォルフ語」らしき言葉で話しているのでさっぱりわからないが、今思えば「俺が客をつれてきたので、後でマージンをよこせ」ということを言っていたかもしれない。

2.海岸通りを行く

ちょっと怪しいなあと思いつつ、待たせてあったタクシーに再び乗り込み、コーニッシュ通りを進んでいくと、昨日飛行機で隣に座った「シャティ」がボーイフレンドと一緒にいるのが見えた。やはり、白人がいるとすぐにわかるものだ。今思えば、ここでタクシーを降ろしてもらって、彼女等に合流すればよかったと思う。

流れゆく景色を見ていると「ここは写真を撮るポイントだ」とファン地区で車を止めてくれる。そして「この海岸は観光客向けに綺麗にしている」と説明をしてくれる。また、道路脇には石像が置いてある場所もある。「ライオンはセネガルの象徴なんだぜ」とオッサンが自慢げに話している。へえ、そうなんだ。

ガイドブックの説明によると、このコーニッシュ海岸沿いは金持ちがたくさん住んでいる通りで、お手伝いさんを雇っている家もあるそうだ。確かにその通りで、沿道の家は超立派だ。一方で、さっきの村では掘立小屋同然の住居に住む人も大勢いる。ガイドブックによると「この格差」により、時々暴動が起きることもあるので、気を付けるよう」とも注意書きがされている。

どこの国でも、こういう問題を抱えているものだが、さっきのルネッサンス像を建設するくらいなら、庶民の生活向上に金を使う方が余程有効だろう。この国でも「利権のマーボナス」が絡んで政治が行われているようだ。

それにしても、綺麗な海岸だ。遊んでいる人達も金持ちっぽい。この地区はそういう理由もあって、割合と治安が良いみたいだ。また「思い出しの像」や「最高裁判所」、「警察本部」、「背高モスケ」」など、施設が集中している。ここで、乗っているタクシーが、オペルワゴンのディーゼル車であるとここで気がついた。

コーニッシュ海岸の様子

モスケ他の建物

最高裁判所

3.市街地へ入る

再び走り出して、海岸を離れてリパブリック通りへ入っていく。すると雰囲気ががらりと変わり、ガラの悪そうな人達が道端でたむろっている。オッサンは「今日は日曜日だから、道が空いていて運がよかったなぁ。楽しいか」と話してくる。「ああ、楽しいぜ」と返すと、喜んでいた??

こうして怪しげな通りを行き、キリスト教の教会前へやって来る。ガイドブックによれば、セネガルでは90%以上の人がイスラム教を信じているが、ほんの数%のキリスト教徒もいるらしい。「ちっと見てこいよ」と言われて、中に入る。

キリスト教の教会

高い天井にドーム絵、ステインドグラスにパイプオルガン。もちろん、ファティマで魅了された「マリア様」もいらっしゃる。どこにいても、表情は慈悲深いんだなぁと思い、十字を切って旅の無事を祈る。

教会内部の様子

マリア様は世界中におわす

それにしても、オッサンのペースに合わせるのも疲れるなぁ。ここで逃げ出して、一人になりたいなぁ。しかし、入口ではおっさんがこちらを見張っているので、それはちょっと無理そうだ。

こうして、教会を出て、車はさらに進んでいく。すると、目の前には豪邸が見えてくる。おお、これは首相官邸じゃあないですか。タクシーはその前に止まり、オッサンと自分は外へ出る。でっかいなぁと感心していると、どこからかベレー帽を被って機関銃をもった軍人が走ってきて「お前らここはだめだ!!あっちへ行け」と怒られてしまう。ひえー、すいませんと逃げるように走る。しかし、軍人が行った後に再び官邸に近づき、微動だにすることのない守衛が立つ、門の前で鉄格子越しに中を見る。白く立派な、アメリカのホワイトハウスを思わせる建物、豪華な庭が印象的だ。因みに守衛には帽子を取って頭を下げると、かすかに微笑んでいるところが見えた。この人も人間なんだよなぁ。そして、三叉路の向こう側へ行き写真を撮っていると、再び軍人がやってきた。「すいませーん」と走って逃げたのは、言うまでもなかろう。

首相官邸

この後、歩いて「独立の公園」へ行く。その途中で銀行に寄るが、ここには警備員がいて目を光らせている。え、ということは、強盗やスリなんかがいっぱいいるってことか。そう思って現金30,000フランをおろしてATMの個室から外へ出る。すると、わーっと子供が集まってきて手を出している。なるほど、ATMから出てくる人なら、金を持っているということか。賢いな。しかし、悪いが私も無職の身なので、無視して歩いていく。

銀行のある「プラトー通り」の様子

公園では簡素な造りだが、散歩する人やくつろぐ人が多くいて、市民の憩いの場となっている。ここはセネガルがフランスから独立したことを記念して建設された公園で、噴水と碑文プレートもある。「今日は日曜日だから、車が少なくてよかったな。楽しいか」と再び聞かれる。「ああ、そうだな」と答えるも、どうも腑に落ちない。このモヤモヤ感はなんだろうか。そう思っていると「マーケットへ行こう」と言われるので、そちらへ向かう。ここでタクシー運転手も合流した。

独立記念公園

このマーケットは「サンダガ市場」と呼ばれ、ダカールでは一番大きなものの一つだ。通りには小さい店がびっしりと並び、電化製品、日用品が多く売られている。その中でも一番多いのは服の店だ。ダカールでは女性はオシャレには敏感らしく、着倒れの街でもあるのだ。写真を撮っていると露店のオバサンから「おい、お前10,000払え」と怒られるが、これこそ言いがかりだろう。

着倒れの街、それがセネガル

そしてオッサンが「お前、セネガルの服は欲しくないか」と言ってくる。「そうだなぁ、欲しいな」と言うと「良い店があるのでついて来い」と言う。どこへ行くのかと思い進んでいくと、バスのターミナルっぽい所から細い路地へ入っていき、その先にある縫製工場へとやって来た。

「よし、俺が交渉して買ってきてやる。20,000フランだ。」というので、それは高いと思い「じゃあいいわ」と返した。すると「15,000でどうだ」と。「要らないよ」と言うと「10,000ならどうだ」と言う。「それならいいか」と承諾し、オッサンに10,000フラン札を渡した。オッサンは工場へ入っていったので待っていると、アフリカの首飾りを頭のカゴにたくさん乗せたオバサンが来て「50,000だけど要らないか」と強く押してくる。「いや、いらないよ」と断り続けていると、おっさんがいくつか服を持って出てきた。「ここから選べよ」と言うので、セネガルっぽいのを選択した。

これで用は済んだので帰ろうとすると、さっきのオバサンが「40,000でどうだ」と言ってくる。要らないものは要らないよ。それにしても、ここでの値段なんてあってないようなものだ。ここに交渉の余地があるのだろうが、結構疲れるね。

「昼飯を食いに行こう」とオッサンが言い出だした。いや、やっぱりこれはおかしい。そうだ、外務省のHPに「日本大使館の関係者を名乗り安心させて、高額なガイド料を要求される被害が報告されている」と書いてあったのを思い出した。

「あああああ、しまったぁぁぁ。」

これこそ、まさしく後の祭りだ。

第3日目(3月26日 その3)へ続く