管理人 海外へ行く

~セネガル編~

 

2017年3月24日~4月3日

ン・ゴール漁港様子

 

第3日目(3月26日 その1)

1.起床

 

今日はダカールに来て2日目、実質的には初日だ。昨日は疲れていて、21時前に就寝した。そのためか、朝は5時に起床となった。

昨日買った水を飲もうと思うが、飲み口が埃っぽい。持参したアルコール消毒のできるウエットティッシュで、念入りに拭いておく。普段は衛生状態に過剰な程うるさい日本にいるので、こういう衛生面にはかなり気をつけていかないとシャレにならないからね。

まずはここまでの道のりを確認しつつ、メモをつける。思えば随分と長く、飛行機に乗っていたな。それもそのはずで、ダカールはアフリカ大陸最西端の国、セネガルでの中でも最西端の街なのだ。

セネガルと日本の位置関係図

記録をした後、地図で近所の店などを確認していたら時刻は7時過ぎとなった。この段階で、外はやっと明るくなってきた。随分と遅い日の出だが、ここは西半球の西経17度だ。これで当たり前と言えよう。

フロントに下りていくと、昨日とは違う女性が番をしている。挨拶をして食事の時間をたずねると、7時15分頃だと回答があった。再び部屋に戻って少し待ち、同じ階にあるレストランへ向かう。カウンターには珍しく痩せた女性がいて、挨拶をする。また、どの席にしようかと迷っていると「好きな席へ」というジェスチャーで示してくれる。どうやら、英語はあまり得意ではないようだ。

宿を予約した際、朝飯はビュッフェスタイルの「コンチネンタル・ブレックファースト」となっている。そして、実際に用意されている食べ物は通常のホテルで出されるようなものだ。しかし、よくよく確認してみると、パンはバゲットやクロワッサンなど4種類ぐらいあり、フランス植民地の名残を感じるものだ。また、おかずはスペイン風のオムレツ、ゆで卵、ビーフソーセージソースとなっている。ソーセージと言えば普通は豚肉だが、ここはイスラム教国のセネガルだ。豚を食べる習慣は無い。因みに、この日はオムレツ用のソースが用意されていなかったので、ソーセージの塩加減で味わった。また、他に果物とヨーグルトもあるので、内容的には及第点である。

今日はパンを2種類選ぶが、このうち、砂糖をまぶした円形のものが絶品である。こいつは、フランス時代の良き遺産となっているようだ。オムレツは普通かな。果物は甘みがあり、味も濃い。仕上げにヨーグルトを食べておこう。

朝の食事は重要だ

旨い食事を提供されて、いつものように食べ過ぎて腹がパンパンになる。もちろん、このままでは動けないので、一旦部屋に戻って9時頃まで横になって休む。その後、いよいよダカールの街へ出てみることにした。

2.まずは空港へ

「ちょっと散歩に行ってきます」と言い残して、ホテルを出る。陽射しがやけに強く当たるが、ここは北緯14度なので当然だろう。まずは、目の前の道「空港通り」を歩いて空港へ向かう。ホテルの外ではおっさんが椅子に座ってのんびりしていて、話しかけられる。彼曰く「ここで番をしている」ということだった。

「空港通り」は交通量も多く、怪しげなバス、タクシー、ボロの車、ピカピカのメルセデスなど、実に多様な車が多く走っている。途中の三叉路では早くも露店が出ていて、果物などを売っている。ここを通る時、何かオレンジ色の「カード」をすすめられるが、そんなものは要らない。その先には「AIKIDO」と書かれた道場がある。こんな所で日本伝統の武術に出会うとは、考えもしていなかった。

さらに行くとバス停もあるが、時刻表や路線図は無い。ここにバスはひっきりなしにやって来るのだが、方向幕が無いのでどこ行きなのかがわからない。因みにバス停は「ARRET」と書かれていて「STOP」のことらしい。おや、バスの後ろ扉には車掌?がぶら下がっているではないか。落ちたりしないのだろうか。

バス停付近を通過するミニバス

この間ほんの200mぐらいだが、黄色に塗装されたタクシーがひっきりなしにホーンを鳴らしてくる。中には速度を落として窓を開けて、声をかけてくる者もいる。いや、今はいいよ。ここもガイドブックに書かれていたように、スタスタと歩いて先を急ぐ。

おっかなびっくりで空港前のラウンドアバウトを渡って、空港の敷地内に入る。すると、両替屋が寄ってきて「両替はいいか」というが、前述の要領で先を急ぐ。そして、ベレー帽を被り長~い機関銃を持った軍人さんに「何しに来た」という顔で睨まれる。「ボンジュ~ル」と帽子を取って挨拶し「飛行機の予約の確認をしに来たが、エチオピア航空の事務所はどこか」とたずねる。すると、表情は緩んで「ここを右に行って、左に入った奥に事務所がある」と教えてくれた。

空港前の円形交差点

取って食われるかと思ってドキドキしていたが、怪しい者ではないとわかると案外親切だ。そう思いながら歩いていくと、遠くから「おい、何をしに来たんだ」と声が聞こえる。振り返ると、男がこちらに寄ってくる。こういう輩は関わらない方がよさそうなのだが「飛行機の予約確認だ」と話してしまう。すると「俺が見てきてやる」というのだが、これが手口で、法外な料金を請求してくるに違いない。「いや、結構だ」と言い、そのままスタスタと歩く。男は追いかけてきたが、諦めたようだ。

「朝から疲れるなぁ」と気持ちが萎えるが、予約確認をしておかないと落ち着かない。そして、空港の端にある薄暗い階段まで来たのだが、ちょっと躊躇してしまう。「こんな所に入って行って、強盗にでも遭わないだろうか」と心配するが、ここに入らないと事務所へは行けない。

思い切って階段を上り薄暗い廊下を歩いていくと、ポルトガル航空やエールフランスなどの看板がでている所にやってきた。どうやら、この一角にエチオピア航空の事務所もあるようだ。どこだどこだとウロウロしていたら、やっと同社の看板が出ている部屋を見つけた。しかし・・・、今日は日曜日なので昼からしか開いてないようだ。苦労して来たのだが、仕方ない。まあ、明日来ることにしよう。

3.周辺を散策しようかな

そう思い、元来た道を戻って、群がる両替屋の中をすり抜けて、怖い軍人さんに挨拶をして空港を出た。さて、この先どこへ行くかと思うが、ひとまずはホテルの裏にある道を通って海岸方面へ行ってみよう。

前述のように空港内は警戒が厳重であるが、その周辺も同様である。機関銃を持った軍人さんがこちらを睨んでいる。このピリピリした空気は、一体何だろうか。

空港周辺を警戒する軍人

ドキドキしながら通りを歩いていくと、馬車を引いた馬がやって来た。ビュンビュンと自動車が走る車道だが、大丈夫なんだろうか。そう考えてつつ眺めていたら、御者が手を振っていく。事故にならないことを祈ろう。

車道を行く馬車

さらに歩いていくと歩道橋が見えてくる。ちょっと上って、街を見渡してみよう。おお、海岸が見えて、なかなか良い眺めではないか。また、日差しは強いものの、海風が実に心地よい。そういえば、昨日バマコーダカール間で隣に座っていたシャティは「ダカールの天気予報はいつも晴れで、気温は25℃よ」って言っていた。まさしくそんな感じだ。

歩道橋の上から海岸方向を見る

このまま大通りを歩いて行ってもよいが、ちょっと裏通りもあるいてみるか。もちろん、人通りがあることを確認しておかないと、何をされるかわかったものではない。

少しドキドキして、ホテルの北側を抜けている道を歩いていく。雰囲気はそれほど悪くないものの、明らかに大通りよりは危険な感じがする。ただ、店はあるし、人も普通に歩いているので、よくよく注意して行けば問題はなかろう。ただ、すれ違う人は「あ、日本人!!」という顔でこちらを見ている。

そう思っていたら、ホテルの通りの空港通りに出た。この間、ほんの20分ぐらいだったと思うが、実は結構危ない場所だったかもしれない。しかし、海岸の通りはかなり開放的な雰囲気である。よし、大西洋にタッチしてやろうと、砂浜へ下りていく。ひゃぁー、風は気持ちよいし、海もきれいだ。「ここにパリダカがやって来たのかな」と思うと「俺はダカールにいるんだ」という実感が湧いてきた。

ひとりで悦に入っていると「ジュースはいかが」と、海岸に店を出しているおっさんに話しかけられた。「いや、今は要らないよ」と言うと会話が転がりだした。「日本から来たのか」とか「良い所だろう」と聞かれる。不思議なことに、当方は中国人や韓国人には間違われることが無い。これはポルトガルでも同様で、当方が典型的な日本人の顔をしているということだろう。

ダカールの海岸

4.ちょっと、大丈夫か?

「また来てね」と店主に見送られて、海岸から道路に上がる。すると、別のおっさんがこちらを見て笑っている。挨拶をしてみると、英語がかなり話せる人のようだ。この人は自称「日本大使館で10年働いていた」と言っている。そして「俺は今から家に帰るところだから、ボランティアで俺の村を案内してやるよ」と言われる。ここですかさず「俺は金はないよ」とやんわり断るが「大丈夫だ。心配するな」と言われ、つい嬉しくなってしまって後ろをついていくことになった。

このおっさんは50歳過ぎの人で「今日は仕事が休みで、赤ん坊の顔を見に行っていたのさ。アブラハムって名前をつけるつもりだ」と嬉しそうに話している。そうか、それはよかったな。

何の話をしたか覚えていないが、海岸通りを歩きつつ始終話していたと思う。そして、30分は歩いただろうか。「ンゴール地区」の中心にあるラウンドアバウトの手前で、シェルのスタンドを横切って村に入っていく。「ここが入口だ」とおっさんは俄然張り切っている。

村に入ると、雰囲気がガラリと変わる。さっきの裏通り程ではないが、少しヤバい感じがある。ただ、ここでは露店が結構出ていて人通りも多いし、この地元民のオッサンもいるので問題は無かろう。

それにしても汚い街だ。家はボロボロだし、人々は貧しそうだ。その割には子供が多く、楽しそうに遊んでいる。貧乏の子沢山と言うやつかなと思いつつカメラを向けると、嬉しそうにこちらを見ている。案内のおっさんは「これがダカールの本当の姿さ」と言う。確かに、空港周辺だけでは本当の姿はわからないだろう。

村へ入っていく

サッカー場、いやただの空き地を通り過ぎると村の中心にあるラウンドアバウトに出た。ここには多くの店が出ており、バスのターミナルである「ガラージュ」も存在する。その台数たるやかなりのものあるが、どの車がどこ行きなのかはサッパリ判別できない。また、ここの周りには多くの店が出ていて、多くの人が集まっている、村の目抜き通りというわけだ。

ラウンドアバウトにあるガラージュ(車庫)の様子

少し周辺を見物した後、細い路地を入り「モスケ」に案内される。モスケとはイスラム教の教会で、日本人には「モスク」と言った方がわかりやすいだろう。そのモスケの玄関前では長老らしき人が2名座っており、穏やかに話をしている。ここで「ボンジュール」と挨拶をして、握手を交わす。前にも記載したが、セネガルではフランス語が公用語なのだ。そしてもちろん、何を言っているかわからないが「ジャポン」と言った気がする。「そうだ、日本から来たのさ」と言ってみる。モスケにはオープンスペースがあり、おっさんが言うには「警察を呼ぶなんてことはしないで、全て長老が仲裁して問題を解決する」そうだ。警察がアテにできないってことか。

モスケの外観

モスケを後にして、細い路地を抜けていく。時折子供たちが「ワー」とはしゃぎならが、脇をすり抜けていく。この国では子供達は元気だ。また、ちょっと広い場所には野菜を売る露店も出ている。ダカールの人は商魂たくましい。

野菜を売る露店

しばらく行くと、漁港らしき場所へ出た。ここにはたくさんの細長い漁船が停泊しており、漁師らしき人達が集って活気がある。また、魚の卸し屋もあって、数多くの種類が見られる。ガイドのおっさんの話では、朝は早くから漁に出て、7時には戻ってくるそうだ。

漁港の魚市場の様子

船を観察してみると、船外機をつけたものが半分くらいだ。ということは、残りの半分はどうしているのだろうか。たぶん手で漕いでいるのだろう。因みに、セネガルは大西洋に面している漁業が盛んな国であり、外貨を稼ぐ重要な産業でもある。しかし、近年は乱獲が原因で、漁獲量が半分以下に落ち込むこともあるという。これは漁民のみならず、くににとっても由々しき問題であるようだ。

漁港の子供達

漁港の子供たちに手を振り別れた後、再びおっさんの後ろをついて狭い路地を行く。すると、バオバブの木を栽培している農園?にやって来る。バオバブの木は日本ではあまり馴染みはないが、フランスの小説家「サン・デクジュベリ」の小説に登場するのを覚えている。また、ある本によると、バオバブの実はクリーム状のジュースになったり、葉は乾燥して粉にして、料理のとろみを出すのに用いられるそうだ。また、それだけではなく、栄養価も高く、カルシウムが多く含まれているということで、利用価値は高い。

バオバブの農園

ペリカンが歩いている姿を横目に見て、再び先ほどのラウンドアバウトへ出てくる。

こんなことは普通のようだ

第3日目(3月26日 その2)へ続く