2021年最終ショートツーリング

2021年12月18日


集合場所のコンビニにて語らうW氏(左)とR1-Z氏(右)

0.WRT再興の年

WRTの再結成から半年が過ぎた。まずは当方が、3月の誕生日プレゼントとして13年式のV-STROM 650を購入し、それまでのSLをR1-Z氏に売却。これにより、メンバー全員が原付ではなく、ギアボックス付きの自動二輪を所有することになった。そこで、氏の提案によりWRTの復活が提唱されて、5月に最初のツーリングを敢行する運びとなった、それ以来、季節毎にツーリングをして、今回は今年5回目となるり、益々楽しくなってきている。

そんなところで、今回もR1-Z氏の計らいにより、2021年走り納めツーリングに出かけることになる。

1.集合

今回は走り納め、しかも気温が低いので距離は抑え気味ということにする。しかし、ツーリングとしての3要素(①走行 ②食事 ③雑談)を織り交ぜることを忘れてはならない。②に関してはR1-Z、W両氏から情報を得て、当方が①のルート設定と先導機長を担当する。③は何もしなくても盛り上がるので、特に何もしない。

当日は東海市にあるコンビニで、ゆっくりめに9時30分集合とする。その前に、8時30分頃にR1-Z氏と管理人の自宅アパートで合流して、現地へ向かう。まずは運転免許試験場がある名古屋市の平針地区にて、国道302号線に乗る。この道は別名環状道と呼ばれていて、その名の通り円形に名古屋市を囲むように走る道である。

大高地区の神戸交差点で県道23号線に乗り換えて、さらに南下して行く。途中で県道を逸れて管理人の実家周辺を通る。この辺りは長年親しんだ場所なので、網目のように通る道を縫って最短で集合場所を目指す。こうして、国道155号線に乗り、知多半島道路の大府I.C.を過ぎれば集合場所は近い。アップダウンする国道の向こうに「我が母校」が見えてくれば、その周辺が集合場所だ。

お前の「我が母校」は瀬戸じゃあないのか、と突っ込まれそうだが、ここ東海市にも「我が母校」があるのだ。もっとも、こちらでは、まったく良い思い出はない。

指定時刻ちょうどに到着すると、既にW氏が到着しており朝飯を購入するために入店している模様だ。マシンを止めてヘルメットを脱いでいると、W氏が登場である。だいたい2か月振りに再会したのだが、お変わりはないようだ。今日はよろしく。

久々に会ったので話も弾むが、話題はやはり鉄板の「ドルーネタ」だ。以前、4名で茶臼山周辺の低、中速コーナーが続く県道10号線を走行したのだが、ヤツは「とっちらかってわけわからなくなる」とか言っていた。これは、愛車のフェザーが扱いやすく、排気量もあることから「どのギアを使って、どのくらいの回転数を使えばよいか」を理解していないから発せられた言葉だ。つまり、トルクがあるので、高いギアでも普通に走れてしまうのだが、ワインディング路をスポーティに走ろうとすると、低めのギアで回し気味にする必要がある。しかし、ヤツはそういうことを知らないようで、高いギアで走行しているようだった。それでは、我々が適度なスポーツ走行をしているので、どんどんと置いて行かれてしまう。もちろん、250㏄の排気量を目いっぱいに使っていたR1-Z氏にも遅れをとることは、言うまでもなかろう。それが気に入らなかったようだった。

また、フェザーはそんなに足つきが悪いバイクでもないのだが、リアサスのリンクを短いものに変更して車高を落としていたようだ。これでは、ヤマハらしい垂れ角のあるロングスイングアームを殺してしまう。また、そんなことも知らずに「オーリンズのリアサスに交換してある」と自慢していたことは、とても痛い。案の定、コーナリングがうまくいかなくなったようで、対策としてバイク屋はリアサスの沈み込みを抑えるために、そのオーリンズを固める方向でセッティングしたのだ。しかし、これが不満だったらしく文句を言ったらしい。因みに、監修は元ヤマハワークスライダーの川崎裕之氏だ。

そもそも、フェザーはツーリングからスポーツ走行までを広く網羅する優れモノだ。それをわざわざ「チューニング・ダウン」して文句を言う、なんという愚かさ。因みに、当方は純正パーツでも使い切れないので、TDM時代も含めてノーマルなんだけど、それに対して「お前、リアサスを(社外品に)換えとるか?」と「換えないやつはアホだ」と言わんばかりに圧を掛けられたことがある。もちろん「当方は純正でも使い切れていないので、換える必要はない」と返答した。それに対してムッとした顔で睨まれたよ。

あと、伝説の雷滝だ。これは、ヤツの提案で志賀高原方面に泊まりで行った時、突然「おい、雷滝に行くぞ!」と言うので「ああ、珍しくも自分で先導してくれるのか」と思っていた。しかし、直後に「お前、場所を知っているか」と管理人に先導させようとしてきたのだ。いや、地図を見ればわかるけど、そんなのすぐに言われても知らないよ。その旨を伝えると「何で知らないんだ」と言わんばかりに睨まれた。おいおい、何だよそれ、と思いつつも、宿の支配人に場所を教えてもらって、ようやく場所をルートを確保し、現地に到着した。そして「これを見せたかったんだ」と豪語するではないか。怒りを超えて笑ってしまったよ。

2.出発

ひとしきりドルーをケチョンケチョンにしたので、そろそろ出発しよう。今回も機長は管理人、副操縦士にR1-Z氏、W氏は乗客として楽しんでもらうフォーメーションで走り出す。まずは、目の前を南北に通る市道を使って南下しよう。因みに、こちらの「我が母校」に在籍していた時は、こんな立派な市道はなかった。この辺りも卒業後に急激に発展して、全く景色が変わってしまった。

市道を少し行ったところで、知多半島を貫く農道である「知多満作道」に乗り、楽々自動操縦で行く予定だった。しかし、機長の勘違いでいきなりのミスコースである。おそらく2名とも気がついていないと思うので、何とか前述の農道へ入るよう、どうやってリカバリーするかを考えての走行となる。早速、楽々自動操縦の夢は消えてしまう。

これは「野崎橋南」交差点を曲がるところを「野崎橋」で右折してしまったのが原因だが、右折して少しして、目の前に住宅地が見えてきたので「間違えた」と気がついたのだ。これはしまったと、次の交差点を右折して致命的なミスを逃れるも、油断ができない。

そのまま行くと道が細くなってしまうので、とっさに左折してしまうが、ここを右折していれば農道に乗ることができたのか、残念。結局、その後、県道55号線に出てしまう。ここは加木屋地区と呼ばれていて、当方の兄の母校がある。

目指す農道は佐布里地区を通っているのだが、この59号をを南に下ればこの佐布里に繋がる道があるので、そこから農道に乗るよう頭の中で道順を組み立てる。不二家レストランがある交差点を右折して、県道24号線に入り、そのままドンツキまで行く。ここで県道252号線にぶつかるので、ここは左折する。さらにこの県道を追いかけていくと、うまいこと農道に合流できた。やれやれ、何とか機長の面目を保つことができた。ふぅ、ここからは自動操縦だ。

ちょっと落ち着いての走行となり、天気を確認する。今日は金曜日夕方からの寒気の影響で風が冷たい。最近はネットで「ウェザーニューズ」をよく視聴しており、天気予報のチェックにはうるさいよ。ユーチューブで視聴しているのだが、このチャンネルは個性豊かなお姉さん方が出演しており、それだけでも一見の価値がある。ただ、内容的にはかなり濃く、本チャンの解説員も出演するので、とてもためになる。また、一部のお姉さんは気象予報士の資格も保持しているいるようだ。

3.ゆっくりと小スポットへ

さて、この農道は「知多満作道」と名前がついていて、その名の通り両側には畑や牧草地などが広がる。もう少し季節が進むと、菜の花の畑も出現する。

阿久比町に入ると農道は「味覚の道」と名前を変えるが、景色に変化はない。多少のカーブとアップダウンを繰り返しつつ、淡々と自動操縦で走行を続ける。自動操縦と言えば、何年か前にかなりひどい風邪をひいてしまい、近所の耳鼻科に車で行ったのだが、これも自動操縦だった。どういうことかと言うと、40度近い熱でぼーっとしており、3㎞ぐらいの道のりを頭が考えることなく、長年の経験で体が覚えている運転で到着したということだ。もちろん、頭も使っているのだが、感覚的に体が勝手に動いているような状態で、これを「自動」と表現したまでだ。

こんなことは自慢できることではなく、誰かに運転を頼めばよかっただけのことである。もっとも、そんな人がいないことは自明の事である。独りで生きると決めたのだから、このくらいのことで文句を言ってはいけないだろう。

そうこうしていると、常滑市に入って来る。坂を上って高い所に来ると、右手に中部国際空港が見える。コロナウイルスが蔓延して2年近くになるが、その前はここから成田空港などを経由して海外に出かけたものだ、とひどく懐かしく思えてしまう。また、あの日々が戻ってくるように切に願っているが、まだまだそれは先のようだ。

そんなことを思いつつ、今日も機長として隊列の先頭にいるのだと気を引き締めて、後続に注意を払いつつ先へ進む。おっと、セントレアが見えたということは、左折するポイントが近いということだ。ああ、そうそう、ここだよ。ちょうど2台のバイクが前を走っており、同じ道を選んでいるようだ。これらのマシンに続いて、我々も左折していく。

小鈴谷地区に入ってくると農道も一旦終点となるが、その前に沿道に小スポットがある。これは前日にグーグルマップでルートを調べていた時に偶然発見したもので、その名も「トトロとネコバス」だ。これは個人のお宅が自宅の植木をそれぞれに似せて刈りこんであるのだ。後続の二人も「何?どうしたの?」という様子なので、その旨を説明する。


ネコバスとトトロの植え込み

4.さらに半島を南下する

国道247号線にぶつかり、左折してさらに南下を続けると、いつの間にか常滑市から美浜町に入っている。この辺りまで来ると、沿道には海鮮で売り出している食事処がたくさんあるので選択に迷いそうだ。しかし、今日は副操縦士のR1-Z氏の情報提供により、店は決まっている。もっとも、混雑など問題が生じた場合にはダイバートすることも了承済みである。

この辺りで一度、休息するとしようか。どうも寒いので、トイレが近い。そう思っていたのは当方だけではなく、他のメンバーも同様だった。天候は晴れて、日差しがあるのでありがたい。

我々がバイクを止めた場所の横には、同じくツーリング中の方のマシン、最新型のスズキSV650だ。このバイクは当方のVストと同じ系列のエンジンを搭載しており、とても基本的なバイクだ。また、再三記載しているが、R1-Z氏の次期マシンの候補なのだ。コンパクトな車体にVストよりも10馬力も出力が高いエンジンを搭載しており、その走りはいか程かと気になる存在だ。まあ、当方はヤマハのMT-07を推薦しているのだが、その辺りは氏の判断によるので、あくまでも推薦の域を出ない。

そんな話をしていると、ものすごい轟音が聞こえてくる。ジェット機が目の前の国道に緊急着陸するのか、と思う程だ。いや、族の一団がやって来たのだ。50台はいるだろうか、ものすごい轟音で会話もままならない。また、周囲にはたまたま通りかかった4輪、2輪もいるのだが、それを阻止して自分たちのグループ優先のような走り方をしている。さらに悪いことに、我々が休憩しているコンビニに入って来るではないか。

総長的な人物が指揮しているようで、取り巻きが何か報告をしている。それはよいが、彼らは結構よい歳の男達である。まあ、皆に見せたいからこんなことをしているのだろうし、信号無視なんかもしないので問題はない?と思うが、こんなのと一緒に走りたくはないので、彼らを見送ってしばらくしてから出発する。

美浜の市街地を通って行くと、意外にも栄えている。ここには学生寮風のアパートも多くあるのだが、日本福祉大学が近所にあるからだ。こちらの大学には付属の高校もあって、その昔は元おニャン子クラブの河合その子が在籍していた模様だ。また、彼女は、当方の実家がある市の出身であることも付記しておこう。

市街地を進んで行くと、今日の目的の店「なみ平」が見えてくる。もちろん、サザエさんの父親からその名をもらったことは言うまでもなかろう。時刻は12時を過ぎたばかりで、まさに昼時だ。しかし、超満員というわけではなく、駐車場も若干の空きがある。R1-Z氏は砂利の駐車場にマシンを止めるが、オンロード車のW氏と当方は舗装の方へ。オフ車ならば敢えて砂利を選ぶこともできよう。

R1-Z氏が先行して店に入り、状況を確認してきてくれる。状況は3組待ちということなので、このまま待つことにする。表のベンチに座って順番を待つのだが、風は冷たいものの日差しが暖かさを持って来る。因みに、今日の当方は極寒仕様でツーリングに臨んでおり、オーバーパンツも装着済みで、寒さは全く感じない。しかし、トイレの時に尿が飛んで付着気味なのは少々問題だ。まあ、きっちりと洗濯する必要があろう。

席が空くのを待っている間、近況を話し合う。W氏の仕事はこの年末、部品不足による減産の挽回で忙しい予定だったが、それも部品不足で取りやめになったようだ。まあ、当方もR1-Z氏も数年前まで同じ業界にいたので「あの会社」がやりそうなことはだいたい想像がつく。世間的には相当評判の良い会社だが、その内情はそんなところだろう。

一方、当方はすっかり足を洗って運送・配達の仕事をしているので、年末は多忙な時期である。ただ、それを過ぎると幾分平和になるので期待したい。

5.昼食

さて、席が空いたようなので中に入ろう。店はカウンター、テーブル、掘りごたつ形式の座敷があるが、それ程席数は多くない。大将が料理をして、3名がホール係として配膳・片づけをしているようだ。さて、何を食べようかな。表にはおすすめ定食などが黒板に出ていたのだが、その中から「海鮮丼定食」を選択する。他の2人も同じものを選択したので、結局全員が海鮮丼定食を注文する。

今日は寒いので天気予報の話になり、話題はどのお姉さんが好きか、ということになる。当方はウェザーニューズ所属の「高山奈々」さんがダントツだが、W氏はNHKの方が良いそうだ。人の好みは様々だが全くその通りで、当方とW氏の選択は全く別の系統であったと記載しておこう。

それはそうと、皆トイレが近く代わる代わる席を立つ。やはり、歳は取りたくないものだが、こればかりは仕方なかろう。それはそうと、こちらのトイレは少し趣向がこらしてあり、トイレットペーパーのホルダーが20近く用意されている。そして、それぞれのフタの部分にサザエさんのキャラが貼りつけてある。なるほど、店名の「なみ平」はここに由来していることがここで確実となる。

席に戻ってしばらくすると、海鮮丼定食がやってくる。おお、こいつはすごい。海鮮丼には10種類の魚介がのっているのだが、加えて20㎝はあろうかと思われる巨大エビフライがついてくるのだ。管理人は無類の魚介好きだが、この内容には大満足だ。いただきまぁ~す。


海鮮丼定食
(エビフライもGOOD)

うん、一つ一つの具を味わいながら食べると、その個性には驚くばかりだ。まずは白身のこれだが・・・、これはキスかなぁ?サヨリか?とても淡泊だが、しっかりとした味がある。こっちのやつはソイ?ムツ?脂が乗っていて、コクのある味だ。この光物はアジだろうか、ブリは今が旬なので文句のつけようもない。このつぶつぶはトビッコだろう。先日の北海道でも食べたが、プチプチとして面白い食感だ。つぶと言えば、昔「こつぶ」という缶入りのオレンジジュースがあって、そのCMに加藤茶扮する「こつぶ先生」が出演していた。コメディ風にまとめられた内容は、今でも覚えている。興味のある方はユーチューブで簡単に見つかるので、御覧になってみてはいかがだろうか。

そして、このエビフライだが、タルタルソースでいただく。「衣だけの見せかけじゃあないだろうな」と思いつつガブリとかじると、1㎝以上はありそうな本物だ。これはうまいよ。因みに、タルタルソースっていうのは、マヨネーズに色々入ったあれだが、どうやら「タタール人」が起源という説があるらしい。タタール人っていうのは、モンゴルからシベリア辺りに住んでいた人々で、世界史にもその名は登場する。もっとも、そのタタール人の定義もいくつかあるようなのだが、詳細はここでは省くことにしよう。

そんなことを考えつつ、黙々と食事をする。コロナ禍となり、食事中は黙って食べることがすっかりと定着している。飛沫感染を防ぐためには仕方ないが、若干味気ないと思うのは管理人だけではあるまい。

食事の後、各々が会計を済ませる。これで1,650円なので、まずまずお値打ちと言えよう。再訪して、違うものも食べてみたいものだ。さて、ここからも不肖管理人が機長を務めて、ツーリングを進めていく。今日は距離を稼ぐわけではないので、ボチボチとやればよい。引き続いて国道247号線を南へ向けて走り出すのだが、風は強く冷たいが、日差しもあって何とか暖かさも感じるようになってくる。

6.再び出発

しばらく行くと、道は野間地区で一気に海岸線へと出てくる。風があるので波が荒いが、小笠原しぶきが飛んでくるほどではない。この辺りは喫茶店やら宿泊施設も多くあり、夏場は海水浴客でにぎわうのだろう。因みに、管理人は夏にはこの辺りには近づかないようにしている。

内海地区を過ぎると、食堂や宿泊施設が軒を連ねる通りに入って来る。こんな寒い時期でもバイクが多く止まっているので、ツーリングスポットとしては人気がある場所であるようだ。それもそのはずで、名古屋からはほど良い距離にあり、食べ物も旨いので手頃な場所であるからだ。また、内海地区にはグリーンバレイという名古屋鉄道のリゾート施設があるのだが、中学1年の時に訪れたことがあるような気がする。

おや、道路脇には雪が残っている。この辺りは積雪があったのだろう。幸いにもエンカリは撒かれていないので、それ程気にすることもなかろう。

信号待ちで停車すると、W氏が前に来てトイレピットインの要求が出る。この寒さでは誰でも近くなるというものだ、ということで豊浜地区でコンビニに入る。また、せっかくなので当方もトイレに行っておこう。ここでは、なぜだか昔、福井に鯖を食べに行った時の話になる。漁港みたいな場所で鯖寿司を買って、海岸で食べていた時のことだ。はるか上空にトンビが旋回しているのは知っていたが「あんな高いならば大丈夫だろう」と思っていた。しかし、突然茶色いものが横切ったなと思い鯖寿司を見ると、見事に一切れさらわれていたのだ。あんなに高い所からでも見えるとは、ああいうのを鳥目というのかと関心したものだ。


コンビニで休息中のR1-Z氏、W氏

再度エンジンを始動して、さらに進んで行くと師崎地区、つまりは知多半島の先端となる場所に来る。この辺では、管理人の父が勤めていた会社の保養施設跡地の下を通る。そう言えば、子供の頃に何度か連れて行ってもらい、正月に御馳走を食べたりして過ごした思い出がある。最後に訪れたのは中学2年の時、1987年の正月だっただろうか。父、母、兄、そして管理人の4名で泊まりの旅行に来たのだが、家族4名が揃って旅行したのはこの時が最後だったと思う。

当時のことを思いつつ、走行を続ける。すると、また前方に族の集まりが見えてくる。いや、見える前から音がするので「嫌だなあ」と思っていたのだ。こんなのとご一緒するのは勘弁してほしいので、しばらくコンビニの駐車場でやり過ごす。この族の集まりで驚いたのは、意外にも当方等ぐらいのオッサンがたくさん含まれていることだ。こんな歳になってもあんなことをしていて、恥ずかしくないのかとこっちが恥ずかしくなってしまう。

7.2軒目へ

南知多地区の海岸線をゆったりとした気持ちで走行していくと、対岸の佐久島や一色町などが見えてくる。そして、その先には2つ目の目的地である「ぽんかふぇ」が見えてくる。ここはW氏提供の情報で、寄ることに決めていた場所だ。

店の前には駐輪場も設けられており、いかにもバイク乗りに来て欲しいという作りの店だ。店内に入ると、ポン菓子が所狭しと並べられており、その一角のちいさなスペースでコーヒーが飲めるようになっている。ちょうど場所が空いたので、コーヒーを購入して3人で座る。ここで気になったのは、CNNか何かのニュースで取り上げられた映像が流れている事だ。どうもケニヤから研修生を招いて、ポン菓子の製造を習得してもらい、国に帰ってから現地で収穫した米を使ってポン菓子を作るというプロジェクトをしているようだ。


ぽんかふぇにて

また、駐輪場にはやけに派手なハヤブサがあるのだが、これはこの店の女性オーナーのマシンのようだ。なかなか話題性があり、面白い店だ。さて、コーヒーができたようで、サービスのポン菓子と共にいただく。そうそう、ポン菓子ってこういう甘さ控えめでやけに堅く、口の中の粘膜がはがれてしまうお菓子だ。久々に食べたので、案の定口の中が痛い。


店内にて休息中の両氏

寒い中を走行してきたので、こうした暖かい場所でくつろぐのはとても嬉しい。そんなわけで、再びドルータイムだ。ヤツは本当に話題を提供してくれるので、実は感謝しなくてはいけないのかもしれない。

8.そろそろ帰宅しようか

時刻は15時を過ぎて、だいぶ陽が傾いてきている。そうりゃそうだ、もう今週の22日は冬至なのだから、日没が早いわけだ。さて、そろそろ帰路に就くとしよう。今回は左回りで半島を巡っているので、W氏は帰宅が幾分か楽だろうか。日没後は急速に気温が下がるので、さっさと帰りたくなるのが人情というものだ。一応、ここからも一緒に走行するが、W氏は途中で離脱予定だ。また来年もよろしくと挨拶をして、出発する。

河和駅のある交差点を右に曲がると、あの忌まわしき「戸塚ヨットスクール」の建物が見えてくる。ここは言わずと知れた体罰野郎、いや先生という殺人鬼の巣窟であり、1980年代には全国的に有名になった施設だ。校長の戸塚は実刑を食らって、くさい飯を食べたこともあるのだ。しかし、こともあろうに、元東京都知事の石原慎太郎はこの施設を擁護しているのだ。

まあ、どういう思想を持つかは本人の自由なのであるが、ここの教官が人を殺したことは間違いのない事実である。それどころか、わいせつ行為で挙げられた教官もいるようだ。当時は「教育か暴力か」というキャッチフレーズで世間を賑わせたが、人を殺しているのだから暴力ではないかと思う。それは、いくら更生した生徒を輩出していると言えども、許される行為ではなかろう。軍隊ではない、いや、軍隊でも殺人は許されないだろう。

そんなことを考えつつ走行を続けていくと、武豊地区に入って来る。ここは競馬の騎手であるあの人とは関係は無く、その嫁さんである佐野量子にもまた同様に関係はない。単なる偶然の一致だが、めずらしい偶然だと思う。関係ないけど、当方の実兄は佐野量子をいたく気に入っていた時期があり、彼女の自宅に電話突撃をしたことがあるようだ。その時の話によると、どうやら彼女の実の母親が電話に出て話をしたらしい。曰く「あなたみたいに直に電話をしてきたファンはいないよ」と呆れていたそうだ。兄の行動力には驚くばかりだが、当方がアフリカ一人旅をしているのもある意味同種の行動だとする説がある。そうだとすれば、血は争えないものだ。

武豊を過ぎれば、ミツカンの本社で有名な半田市に入る。こんな地方の町に、全国規模の会社の本社があるのは驚きだ。「かーいわれ巻き巻き、ねーぎとろ巻き巻き」のあのミツカン酢だ。それはそうと、やけに今日は道が混んでいる。地方都市と言えども、日曜日はそれなりに人がで歩くようだ。

ここまで3名で走行してきたが、半田大橋付近で「離脱します」とW氏から申し出がある。ありがとうございました、またよろしく。と再会を約束して、MT-09は直進して行く。R1-Z氏と当方は県道261号線に乗り換えて、走行していく。

この後、大府市と東海市の境目辺りを走行して、さらに北上を続ける。前述のように、この辺りは管理人の実家があるのだが、最近はあまり顔を出していない。たまには行かなくては、孝行したい時に、になっては話にならんからなぁ。

こうして、名古屋市内でR1-Z氏と別れて、18時30分頃に自宅到着となる。ああ、道路に凍結防止剤が撒いてある場所を走行したから、少し雑巾で拭いておこう。

9.まとめ

今年はWRT再結成の記念すべき年となり、5回もツーリングを開催できた。これはR1-Z氏の企画立ち上げ、そしてW氏の参加協力があって実現したものだ。この場を借りて、改めてお礼を申し上げる。ありがとうございます。また、来年もこのメンバーで緩く、楽しくツーリングに行くことができればと思う。引き続き協力をお願いします。

来年のことを今から言っていては鬼に笑われそうだが、機長としてさらに腕を上げて、さらに精密に走行をできるようにしたいものだ。

では、また次のツーリングでお会いしましょう。

本日の走行 160 ㎞

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