2021年北海道ツーリング
~5年ぶりの北海道~

2021年9月11日~9月18日


姉妹船 すずらんとすれ違う

9月18日(第7日目)

1.起床

6時半頃に目が覚めるが、1時間ぐらいウダウダしてから起床する。管理人はこの時間が大好きであるが、ムダであることも承知している。そうか、ここはフェリーの寝台で海の上だ。それならばやることはひとつで、風呂に入ることだろう。用意をして階上の浴室へ向かう。早朝なので、他の客はいない。

体を洗って露天風呂の湯船に浸かる。因みに、この敦賀‐苫小牧東航路に就航している「すいせん」は、2012年就航の最新型で、往路に利用した「はまなす」と基本的に同仕様であるようだが、露天風呂はない。船上の露天風呂はなかなか珍しいので、こちらの航路の時は大いに楽しんでいる。ただ、風が強いので、湯船に入る前に寒いことが少し問題だ。


露天風呂はこんな感じ

風呂から上がると8時過ぎになっているので、朝飯を食べる。旅行中ぐらいは多少良いものを食べたいので、船内の食堂を利用している。2000年台はビュッフェスタイルで食べ放題だった朝飯だが、現在は1,000円程度で定食化されているのは残念なことだが、経費の高騰などもあるので致し方あるまい。


今日の朝飯

飯を食べてプロムナードに行くと、テレビでカーリングの試合を放送している。どうやら、来年のオリンピックに向けて代表選考が大詰めを迎えているらしく、頻繁に試合が行われているようだ。今日は有名どころの「ロコ・ソラーレ」が出場しており、わずかに実力が上かという展開で試合が進んでいる。因みに、当方はリードの吉田夕が好みだと告白しておこう。


プロムナードの様子
(右端はカフェ)

2.ゆるやかな時間

10時ぐらいになると、船内放送で「姉妹船のすずらんと行違います」と案内がある。いつもは寝ているか、風呂に入っているかであまり見たことがないのだが、今日は久々に見送るとするか。そう思い、後方のデッキに出て、風に当たりながらその通過を待つ。尚、案内によると、お互いに連絡を取り合っているから衝突することはないということだ。まあ、いろいろな安全装置もあるだろうから、そんなことにはならないだろうね。

汽笛を鳴らして挨拶をし合い、すずらんはすぐに遠くへ見えなくなってしまう。以前にも話したが、敦賀‐苫小牧東航路に就航している本船は、航海速力29.5ノット(約55㎞/h)で進んでおり、相対速度は100㎞/hになるのだから、意外にもすぐに行ってしまうわけだ。また、舞鶴-小樽航路では30.5ノット(56㎞/h)と若干速い速度が標準となっている。これは、後者の方が距離が長いからということだ。

それはそうと、外から見るととてもでかい船だ。長さは220mあるようで、こんなでかいものが時速60㎞/h近くで走っているのだから、すごいことだ。因みに、推進力はディーゼルエンジンと電気モーターのハイブリッドであり、出力は41,000psを発揮するそうだ。

船を見送って、暇になる。ちょっとコーヒーでも飲んで、くつろぐか。コンビニで売っているようなコーヒーを飲んで、窓から外を眺める。もちろん、海の真ん中だから何も無いし、空もどんよりと曇っている。ああ、眠くなってきたから、少し寝よう。


ツーリストAの寝台
(上からカーテンを閉めることができる)

3.再び起床

13時頃に再び起きる。目覚ましがてらに、船内を歩いて回る。航行中は車両甲板には入れないが、客室は自由に回ることができる。管理人は一番下のグレードのツーリストAという寝台だが、同じ階にはツーリストSという半個室的な寝台もある。ちょうど、ネットカフェ的なものかな。ひとつ上の階は複数名用の個室で、ステートと呼ばれており2名、4名用がそれぞれあり、和室の仕様も用意されている。ビジネスホテル的なものだろうか。そして、さらに上階にはデラックス、ジュニアスイート、スイートの部屋が用意されているのだが、新日本海フェリーのHPで見ると豪華ホテルの様相だ。

上の階に行くほど人も少ないようで、静かだ。こんな上の部屋に泊まったことはないし、今後もないだろう。あの寝台が一番落ち着くというか、旅気分が盛り上がるからね。


吹き抜けもある

ちょっと腹が減ったが、食堂に行くほどでもない。ということで、自販機コーナーのカップ麺を購入して食べることに。吉岡のどん兵衛かガッキーのチキンラーメンで迷うが、今日はガッキーだ。

食事をしたら、また風呂に入る。風呂には何回入っても良いものだが、ふやけそうなので早々に上がる。その後は地図や写真を見ながらメモの書き足し、整理をする。こうしておけば後日のレポート作成が多少楽になるからね。そう考えると、ジムキングのポメラはやはり魅力的だ。電子テキストでメモができるので、レポート作成時に大いに時短になる。まあ、電子機器であるり、旅行という比較的厳しい使用条件では故障も心配だから、結局は手書きのメモ帳ということになるのか。

それはそうと、最近は船内で無料のWifiが使えるので、こちらを利用して天気を確認する。敦賀は曇りということで、まあ大丈夫でしょう。因みに北海道は旭川以南は雨になっているようで、夕方まで降り続くようだ。特に苫小牧周辺は少々強く降っているようだ。日程を1日繰り上げたのは残念だが、仮に今日まで北海道にいたとしてもどうだったかのか。まあ、こんなものでしょう。因みに、記録を調べてみると、前回の2016年の時も大雨になるということで、1日繰り上げて帰宅したようだ。もうあれから5年も経ったのかと思うと、時の流れの早さに驚いてしまうなあ。

ちょうどカフェが空いているので、コーヒーを購入する。船上で飲むコーヒーは格別だ。だが、この優雅な旅も今日で終わるのか・・・。そう思うだけで気持ちが萎えるのだが、仕事をしないと旅もないのだから次回を目指して頑張るしかなかろう。


メモを整理中

再び寝台に戻り、ごろごろして過ごす。それはそうと、この先コロナウイルの蔓延は収束するのかが心配だ。現状では国内のワクチン接種率は7割に迫る勢いだが、新たな変異種がでてくるに違いない。そうなれば、蔓延と収束の波を繰り返すのみでいつまでたっても安心して旅行できるようにはならない。

旅行を生業としている(本人はそう思っている)管理人としては、どこへでも自由に行くことができる日が来ることを待つしかない。こうして何とか国内は移動できるようになりつつあるものの、そんな日が来るのはまだまだ先になりそうだ。

4.本州へ

夕方になり、沈みゆく夕陽でも見ようかと後方デッキへ出てみる。船は能登半島沖から福井県に入ろうというところで、風は暖かくなっている。かなり南へ下りてきているようだ、ということは、船旅も終盤だ。肝心の夕陽だが、結構雲が厚くて良く見えない。しばらく待てば状況も改善するものと期待するが、さっぱりだ。諦めよう。

寝台に戻り、あれこれと今後のことを考える。48歳だけどどうするのか、いつまで生きるのか、次々と頭の痛い問題が思い出される。まあ、それはその時に考えるしかなさそうで、今は無事に帰宅することに専念することが大切だ。

18時を回り、食堂が空いていると放送がある。そうだな、下船後20時を過ぎてからでも良いが、ここで済ませておけば帰宅はスムースだ。ということで、ビーフシチューのセットを1,300円でいただく。ちょっとばかり高いが、結構おいしいのでこれはこれで良いだろう。そんな贅沢も今日までだからね。


夜飯

食事をしたら、下船に向けて準備する。と言っても、風呂に入ったタオルをしまって、ゴミを片づけるだけだ。準備はすぐに終わってしまい、寝台で横になってボケっとする。すると、床下からガラガラ、ゴーンと音がし始める。これは、階下の車両甲板で固定具を外している音だそうだ。また、船内放送では「敦賀沖を航行中」と現在位置が知らされる。ああ、もう船旅も終わりだね。

5.下船~帰宅

こうして、フェリーは無事に敦賀港に到着する。最初は4輪、その後2輪の乗客が下船するのだが、今日は台数が少ないようだ。一斉に車両甲板へ入る許可が下りる。船長他パーサーなどに見送られて、客室からマシンのもとへ向かう。

まだ4輪が下船していないので、慌てることなく荷物を搭載して固定具合を確認する。今日はどんなライダーがいるのかと周りを見ると、珍しくも札幌ナンバーのセロー、カブの女性コンビがいる。いったい、今日はどこに泊まるのかと思うが、どうやら下船後に京都に行くようだ。この暗いところを大丈夫かと思うが、気をつけていってらっしゃい。

こうして、タラップを下りれば本州上陸だ。おや、路面が濡れている。結構雨が降ったみたいだが、まあ何とかなるでしょう。時刻は20時30分なので、ひとまず下道で行き、必要に応じて高速に乗るかな。走り出すと案外肌寒い。北海道で着ていたヒートテックは脱いでいるが、下だけでも着ていればよかったかもしれない。

そんなことを思いながら国道8号線の旧道を行くことにすると、突然雨が降り出す。聞いてないよぉ~と思いつつどうするか考える。カッパを出すのは面倒だし、この先は少し晴れているようだ。まあ、タンクバッグだけカバーをしておくか。まあ、こんなもんでしょう。

早いところこの雨雲の下を走り抜けよう、あああ、カバーが飛んで行ってしまった。後ろからも車がビュンビュン来ているので、戻ることはできない。うう、泣く泣くカバーを放棄するしかないのか。まったく、何をやっているんだ。

見なかったことにしてそのまましばらく走ると、予想通りに雨は上がる。そして敦賀の市街地に入って来るが、この辺りは雨は降らなかったようだ。かなり局地的な降雨だったのか。さて、前述のように食事は済ませているし、燃料も自宅まで補給はしないで済むからひたすら走るのみだ。

さらに、日程を1日繰り上げたので、明日も明後日も休みだ。ということは、別に急いで帰る必要もないから下道をボチボチと走ることにしよう。市街地を過ぎれば畑が田んぼが広がる道になるのだが、敦賀工業高校の近くを通る。ここは前に勤務していた会社の先輩が卒業した高校で、この辺りに住んでいたようだ。

国道8号線に乗り、淡々と走行を続けると、知らないうちに琵琶湖の北の端を通る。そして、北陸道の木之元I.C.付近を通過したところで右折する。この辺りは木之元の市街地なのだが、まだ休憩する必要はなさそうなので、そのまま通過する。

気温が20℃ぐらいあるので、トイレも近くならないから幸いだ。そう考えると、北海道はやっぱり寒かったのだなぁと、北国なんだなぁと実感する。さて、木之元を過ぎたところで、左折して国道365号線に乗り換える。これで米原をショートカットして関ケ原に直行できるので、多少時短になると思うが。。

伊吹山ドライブウエイの入口を過ぎれば、関ケ原の市街地だ。ここは言わずと知れた天下分け目の決戦があった、あの関ケ原だ。もっとも、現在では普通の街だ。詳細を知りたいならば、古戦場記念館というものがあるようなので、こちらを訪れてみるのもよいだろう。

ここからは国道21号線に乗り、岐阜方面へ走り出す。時刻は既に22時近くになっているので、道路はガラガラだ。金曜日なので本来は浮足立った人たちが街に繰り出しているだろうが、この状況下ではそういう人もあまりいないようだ。

関ケ原を過ぎればまた何もない中を走り、次に見えてくるのは大垣の市街地だ。別に寄る所もないのでそのまま通過して、柳津、岐南と進む。ここで国道22号線に乗り換えて、今度は南下する。スギちゃんの出身地である一宮、めるるというモデル?の出身地である稲沢などを通り、国道155号線で小牧、春日井と抜けて自宅には日にちが変わる頃に到着となる。

本日の走行 150㎞

6.まとめ

こうして、管理人の休暇は終了した。休みが終わればまた仕事の日々が始まり、時間に追われてカブに乗っている。大変憂鬱だが、毎日休暇だとたまには仕事をしたくなるもので、人間とはどこまでいってもないものねだりの存在なのだろう。

さて、気がつけば5年ぶりの北海道、しかも初の9月渡道だ。久々だし、バイクでは11回目の上陸なので、あまり気張らずに日程をこなしたいな、と考えていた。しかし、実際は結構時間を気にしていて、意外と忙しく走り回った印象だ。しかし、その割にはあまり距離は出なかったかな。

また、今回は機材として初のスズキ車、V-STROM 650を使用したのだが、このツーリング性能の高さには全く驚くばかりだ。散々寒い寒いと言っていたのだが、手と体はナックルガードとスクリーンのおかげで何とか耐えることができた。もちろん、冬用のウエアを着て上下共にヒートテックを着ていたのだが、寒さに慣れていないと体感的に数値以上に感じるのだろう。

さらに、排気量が小さくなっていること、エンジン自体の設計が新しいこともあり、燃料消費が20%ぐらいは少なく済んだようだ。TDMは27~28km/Lぐらいだが、今回は33㎞/h程度を記録していた。それ故に、燃料搭載は1日半毎であった。

次に泊まった宿であるが、テントを持っていたのだが、寒くてその気にならなかった。加えて、多くのキャンプ場が一時閉鎖されている状況であったので、なかなか難しかったのかもしれない。代わりにライダーハウスを利用したのだが、1,000円程度で床と壁と屋根を提供してくれるライハの存在はありがたい。ただ、こちらも廃業が相次いでおり、昼飯を食べたら早めに着地点を決めて、宿を探すということが必要であった。もっとも、初日と最終日にゲストハウス的な宿を利用したのだが、このレベル(宿泊費が3,000円~5,000円程度)まで範囲を広げれば、豊富な選択肢があるのは北海道ならではだろう。

今回特筆すべきは、最終日のエトピリカ村さんで、今まで実現できなかった霧多布で泊まるという宿題を解決できたのは嬉しい事だ。

最後に、コロナ禍での渡道であったので、ライダーの交流はほぼ無かった。まあ、管理人はあまり得意ではないのだが、1日のうちにほとんど誰とも口をきかないというは、ちょっと精神的にこたえるかなぁ。それもそうだし、そもそもウイルスの蔓延が収束しないことには、どこへでも行きたいところへ行くという、当たり前だった自由を享受することができない。これが管理人にとっては一番キツイ。まだまだ先のことになりそうだが、1日でも早く元の世界に戻ってほしいものだ。

ということで、2021年北海道ツーリング~5年ぶりの北海道~を終わりにしようと思う。お付き合いありがとうございました。また、次の旅でお会いしましょう。

2021年12月6日
管理人

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