スズキ歴史館へ

 

2016年 2月21日

 

アルト47万円は忘れない

(後方パネルの物価比較も興味深い)

1.集合

 

強烈に寒い日々が1月中旬から2月上旬にかけて続いたが、ここのところ、昼間は若干暖かく感じる日も見受けられるようになった。ZX氏とはその寒さがようやく緩んだ2月11日にもご一緒しているが、今回は加えてカタナ先輩、ニンジャ900氏を交えて東を目指すことになった。

 

メンバーとメールで連絡を取り合い、浜松方面ということで目的地を設定した。それならば、かねてから行ってみたかった「スズキ歴史館」を行程に入れてみる。また、ZX氏も「さわやか」という静岡にチェーン展開する炭火焼のハンバーグ・ステーキ店へ行きたいということだったので、歴史館近くにある店舗を検索して位置を確認しておく。

 

当日は冷え込みはだいぶマシになったとは言え、まだまだ寒い朝だった。今日は時間ギリギリにならないように早めに自宅を出て、国道1号線と23号線が交わる豊明のコンビニに向かう。集合時間は8時30分としていたが、管理人は20分近く前に到着した。そこで、熱いコーヒーを購入して、気持ちも体も温めておく。

 

すると、ZX氏が到着して「ニンジャ900氏は風邪で休みだよ」と教えてくれた。残念だが、無理はいけない。また機会があるその時に、合流をお願いしたいところだ。

 

少しして、カタナ先輩も現地到着である。今日もイエローコーンのオーバーパンツのポケットにETCを入れていて、滞り無くI.C.を通過してきたということだった。ETCの電源線を引かなくて済むというのは、まったくもってナイスアイディアである。電気に強い先輩の得意技を、遺憾無く発揮していると言えよう。

 

2.出発

 

3名が揃ったので、本日も不肖当方が先導機長として出発する。まずは先月の大あさりツーリング同様に、国道23号線知立バイパスを磁方位090、速度は40ノットを維持して進んでいく。毎度述べているが、この区間は取り締まりが厳しいので慎重に車輪を進めていく。今月は免許の更新があり、15年振りのゴールド免許復活がかかっているので、ヘマはやりたくないものだ。

 

順調に岡崎バイパスへ繋いで、蒲郡I.C.まで巡航速度を維持できた。ところで、今日は風が出るということだったが、今のところはそれ程でもない。このまま穏やかに1日が暮れていけばと願うが、そうは問屋が卸さないだろう。尚、ミラー越しに後方のマシンを見ていたが、カタナ1100はもちろん、ZX氏のW3も絶好調で、このぐらいの速度ならば全くの問題なしという様子だった。

 

3.順調に東進

 

カタナ先輩の見積もり通り、今日は大あさりツーリングと同程度の走行距離となる。あれから1か月程経って、陽は長くなっているので気持ちは多少楽である。そう考えつつ、1時間程走行したところで、豊川橋のたもとにあるコンビニに休憩のため滑り込む。ちょっと空に雲が出てきてはいるものの、今日は雨の予報は無いので気にしない。ただ、日差しが陰ると寒さが増すので、できるだけ晴れていて欲しいものだ。

 

3台揃い踏み

 

余計な水分を放出した後、再び国道23号線豊橋バイパスに乗り、そのまま国道259号線との交差点である大崎I.C.を突っ切る。先月はここから伊良湖に向かったのか、あれからすでに1か月経ってしまったのか。月日は飛ぶように流れて行ってしまう。まったくもって、少年老い易く学成り難しである。

 

畑の中を通る国道を30ノットでタラタラと進んでいく。景色が変わらないせいか、何だか疲れてきてしまう。しかし、道が少し南を向いた時に遠州灘が見えた。不思議なもので、人間は海を見るとうれしくなってしまう。これが遺伝子の記憶というものだろうか。

 

そんなことを考えつつ進んでいくと、再び機首が東を向いて、国道1号線と合流して海沿いに進んでいく。ここは汐見坂であるが、何が坂なのかは新道では理解できない。もちろん皆さんはご存じと思うが、旧の国道1号線線は南斜面の曲がりくねった道で、まさに汐見坂になっていた。

 

海岸沿いを40ノットで進んでいくと、結構海が荒れている所が見えた。少し風がでてきたのだろうか、若干あおられて車体が不安定に感じた。ミラーで後方の2人を見ると、カタナ号はそれ程でもないが、W3号はかなり苦戦している様子がうかがえた。

 

浜名大橋を渡って視界が大きく東側に開けたので富士山を探してみるが、今日は霞んでいて見えなかった。おっと、今日はバイパスを終点まで行かないで、途中の篠原I.C.で下りなくてはならない。速度を30ノットに落としてI.C.に備えるが、そこそこ距離があったのでそんなに慌てる必要は無かったようだ。

 

4.歴史館へ

 

国道257号線に乗り換えて、引き続き機首を東へ向けて走行する。既に浜松市に入っているので、市街地走行なので、今までのような快走は期待できない。ちょっと進んでは信号に当たり、またちょっと進んでは信号で止まるの繰り返しだ。余談だが、管理人は現在無職であり、職業訓練校で機械設計について学んでいる。その学校が名古屋の東に存在する市街地、春日井市の市街地を通りぬけていった小牧市にある。市街地走行の連続で75から80分程度の通学時間があるのだが、平均速度は約20㎞である。市街地走行の面倒さには参る。

 

ちょこまかと走行して、スズキ本社横にあるスズキ歴史館に到着した。因みにこちらの施設は予約が必要で、管理人はバイク4台(駐車場2台分)を申告しているのでそのスペース分を使ってマシンを止める。すると係員がやってきたので「何かマズイことでもあるのか」と思ったが、特に用事は無かったようで入口の方向を案内してくれた。

 

さて、入口にやってくるとガラス越しに歴代のGPマシンが並んでいるところが見えた。何を隠そう、カタナ先輩は今日の目的地がとても気になっていたそうで、とても楽しみにしていたのだ。それはそうだ、復刻版ではないカタナ1100に乗っているのだから、その気持ちは想像に難くない。

 

食い入るようにマシンを見つめるカタナ氏

 

入館すると目の前には写真撮影用のカタナ1100が鎮座しており、その横には受付のお姉さんが「受付をお願いします」と呼びかけている。管理人はここで予約時に取得した受付番号を告げて、他のメンバーと共に展示スペースへ歩を進める。

 

1階は前述のカタナの他に、ハヤブサの撮影用マシンもあった。後者はオールマイティな一台としての評価は高いので、跨ってみる。うーん、やはりこの幅はデカすぎだ。バイクは軽くて細くて、ちょっとパワーがあるのがよろしい。

 

展示されたハヤブサに跨る管理人

 

この他にも、1階には現役の4輪車と往年のGPレーサー等が展示してある。この中で当方が気になったのは、1992年の世界GP500ccクラスを制したケビン・シュワンツのRGVγと、1980年の鈴鹿8時間耐久レースで優勝した、ウエス・クーリーのGS1000である。両方共に実際に走行している所を見たことがあるが。後者の無骨なマシンの走行場面は迫力があった。あれは確か1995年の8耐だったと思うが、当時の場内放送では「排気音量が規制される前の純レーシングエンジンの音」と解説されていた。

 

1980年8耐優勝のGS1000

(右隣は1982年にGP500で使用されたFウンチーニ車)

 

一通りGPマシンを見た後、3Fのスズキの歴史の展示へ向かう。まず最初に現れるのは自動織機であるが、これは某T社と同じである。因みに、そちらも浜松の隣の湖西出身であると補記しておこう。さて、そのスズキの創業者である鈴木道雄であるが、母親の機織りを動力化し、楽をさせてやろうと考え出したものが自動織機であったそうだ。そして、その動力を使って原付自転車、さらに大きなバイク、もちろん富士登山レースといった競技にも参戦したことは言うまでもなかろう。そしてその原動力は「客に喜んでもらう」ということだったそうだ。

 

近年人と人の繋がりが希薄になってきていることは明らかだが、先日の新聞には興味深い記事が掲載されていた。今を遡ること約5年、東北地方を襲った未曾有の地震が起きた時の自衛隊の話だ。けが人の救助等はもちろん、風呂を提供するなど生活そのものも救助していたそうだ。そこで隊員の頑張りの原動力は「入浴に来てくれた人々のお礼の言葉」だったそうだ。

 

これだけ電子的なやり取りが行われている中で、人と人が面と向かって対話することが一番重要と言い換えても過言ではないという例ではないだろうか。いくら文字で何かを伝えようとしても、それはそれ以上の意味は成さないのかもしれない。

 

話を戻して、歴代の製品を見ていこう。1970年代後半のものを展示するエリアに入ってくると、管理人が小学生になろうかという頃に見ていたものがいくつも出てきた。例えば、当時習っていたそろばんの講師が乗っていた「スズライト」だ。時々教室をはしごしていたのだが、その際に乗せてもらったことがある。その車両と同型のものが今目の前にある。その時、子供の自分がそこにいるかのような錯覚に陥った。よく「歌が時代を連れてくる」と言われるが、こういうモノも時代を連れてくることは言うまでもなかろう。

 

初期のスズキの製品を見るZX氏とカタナ先輩

 

時代を追いかけて展示を見ていくと、2輪ではGT750、RE5と往年の名車が続々と登場する。そして4輪ではジウジアローデザインのフロンテ、「アルト 47万円」の文句で一世を風靡したアルトが現れた。因みに、フロンテはおふくろの友人が乗っていたのでよく覚えているし、アルトの方は言うまでもなかろう。

 

さて、このアルトの誕生が5分程のアニメになってたので、早速視聴してみる。これは当時専務取締役だった、現CEOの修ちゃんが号令をかけて作らせたものだそうだ。当時はスズキも軽自動車の売り上げが伸び悩んでいたのだが、市場では中古の軽は新車の4倍の流通量があったそうだ。そこに目をつけて、中古の顧客を奪うためにあえて4ナンバーのグレードからラインアップさせたのが、「あると何かと便利」な「アルト」だったというわけだ。音楽の音域を表す「アルト」とは関係ない模様と追記しておく。

 

そして、2Fへ移り、今度は現在のスズキの生産ラインの一部を見る。ロボットアームの動作、シートの割り込み供給などの工夫を垣間見ることができた。

 

5.昼飯

 

時刻は13時を回ろうとしているので、ZX氏のお目当てである「さわやか」へ向かう。前述の通り、こちらは静岡県内を中心に展開されているチェーン店で、炭火焼のステーキやハンバーグが売りである。先導機長である管理人であるが、一番近くの店舗である国道257号線沿いの浜松高塚店の場所をメモしている。

 

寒さも幾分和らいだ日差しの中、3台のマシンは3㎞程度離れた店を目指す。そこは国道沿いである上に、スーパーなどがある複合施設の一角なのですぐに発見できた。しかし、店内は超満員であり、待ち時間は1時間ということだった。そこで、ナビゲーターのZX氏が別の店舗を検索してくれ、街から少し離れた佐鳴湖の北にある浜松冨塚店を発見する。こちらの方が郊外にあり、少しは空いているかもしれないという希望的観測を根拠にして走り出す。

 

数百メートル東へ戻り、大きな交差点だが名前の無い、そして道路名も無い市道と思われる道へ左折して、機首を北へ向けて佐鳴湖西岸の住宅地を進んでいく。この辺りは街並みがきれいであり、湖も公園も近くにあるというなかなか良い場所だ。こんな所に住んでいる人は、さぞかしお金持ちなんだろうなぁと感心してしまった。

 

そして、舘山寺街道こと県道48号線にぶつかったので、ここを右折する。そして、ちょっと坂を下って平坦になった辺りで道幅が片道2車線となり、右側にさわやかの緑色の看板が見えた。さて、今度はどうかな。

 

駐車場にマシンを止めて、炭火で焼かれた肉のにおいがする店内へ入っていく。やはり混んでいるが、高塚店に比べればかなりマシであるようだ。待ち時間をたずねてみると、こちらは20分程度ということだった。

 

腹も減ったので、ここで落ち着くこととして長椅子に座って順番を待つ。そして、メニューを見て注文する料理を考えていたら、15分程で順番が回ってきた。どうやら順番待ちの表に名前を記入したまま、どこかへ行ってしまった人が何名かいたようだ。

 

席について、ZX氏と当方は250グラムのハンバーグセットを、カタナ先輩は200グラムのものを注文した。これには「カンパイドリンク」が付いており、店員も「ぜひ食事の前にカンパイしてください」と真面目な顔で話していた。なんだか笑ってしまうが、せっかくなので3名でカンパイした。

 

皆で近況を話し合っていたら、ハンバーグが運ばれてきた。こちらはボール状のハンバーグが、牛の顔のレリーフが付いた鉄板にのっている。それを店員がソースをかけて、ナイフで切って、鉄板に押し付けて最後のヒト焼きを入れてくれる。これに対して、お客はあらかじめ配布されていた下敷きシートの手前端を持ち上げて防御する。この演出により、食欲がそそられることは間違いないし、子供がいたならば大いに喜ぶことだろう。

 

話は逸れるが、女優の長澤まさみはこの辺りの出身で、子供の頃にはこのハンバーグを食べていたそうだ。昔、テレビで放映していたな。この話をZX氏にしたところ、彼のやる気に火がついたらしく「是非、さわやかに行こう」となったのだ。

 

下敷きの紙で油はねを避けるZX氏

 

このドリンクとスープ、メインのセットは約1,200円だが、肉の質はなかなか良く、肉そのものの味をきっちりと味わうことができる。ミンチ肉だからいい加減なものというイメージはあるが、ここに関してはそんなこともないかもしれない。裏でどうなっているか知らないので、そんなことが言えるだけか???

 

6.この先は

 

さて、腹も膨れたので、この先の予定を考える。時刻は14時30分を回っているので、航空自衛隊浜松基地の広報館を見ていくのは無理そうだ。因みに、ここは5年以上前に訪れたことがあるが、当方のような航空機好きでも十分に楽しめることができる。当時はE767哨戒機が駐機されていて、興奮してしまったことを思い出す。一応触れておくが、当方は旅客機を始め、民間航空機が好きである。

 

晴れ渡る天気の下、舘山寺街道の県道48号線をheading300、28ノットで航行していく。そして、県道65号線に航路変更して030を維持した後、東名高速浜松西I.C.から名古屋方面へ向けて走り出す。

 

午後からは風が出てきたので、60ノットで進んでいるとあおられて「ドキッ」とすることがある。後方をミラーで確認すると、カタナ先輩は当方よりも前傾姿勢で乗車しているせいか、あまり風は気にならないようだ。さらにその後方のZX氏だが、殿様乗りの姿勢だからこれ以上の速度は無理だぁ~という具合だ。

 

それでも、時々追い越し車線で遅い4輪車を抜いていくのだが、ZX氏は車線変更もつらいようで、そのまま走行車線に留まっている時もあった。これでは氏が置いてけぼりになってしまうので、走行車線に戻りしばらく55ノット程度を維持していたら、勘弁してよ~という感じで追いついてきた。なるほど、この程度の速度が限界なのか。速度計をよく見て、これを越えないように注意せねばならない。

 

こうして、浜名湖橋、浜名湖S.A.、三ヶ日I.C.を通過する。今日はこの先の三ヶ日J.C.から新東名に乗り換えて、2月13日に開通したばかりの区間を走行する予定だ。何回か触れているが、当方は高速はあまり好きではないが、こういう冬の時期や急ぎの時には本当に重宝する。時間をお金で引き換えるというものさしで言えば、高速走行はとても有効だ。しかし、走りの楽しみという面ではイマイチかな。

 

三ヶ日J.C.からは少し東に戻る形で進み、浜松いなさJ.C.から上記の新規開通区間に入った。あれ、もっと道幅が広いと思ったのだが、それ程でもないな。また、相変わらずの強風で機体の安定性は薄いし、日も傾いてきて徐々に寒くなってきた。さらに、ちょっと疲れてきたので、長篠設楽原P.A.に入る。

 

余分な水分を一時溜めておくタンクも一杯になっているので、早くトイレに行きたい。しかし、間違えて大混雑している土産物を売っている建物に入ってしまった。おおい、早く動いてくれよと思いながら人ごみをかき分けてトイレに入った。やれやれ、ただでさえ近くなりがちなのに、冬場は特に困るね。おっと、手を洗おうと思ったらお湯が出るではないか。サービス良いじゃん。

 

感心しながら温かい飲み物を購入して、マシンへ戻る。すいません、ちょっと手間取っていました。

 

こうして、ここで解散として、それぞれが家路に就く。当方は岡崎東I.C.で下りようと思っていたが、岡崎東って額田ジャン。中途半端に距離が残るので、豊田東J.C.で東海環状道を見送り、豊田東I.C.でランデブー走行していたZX氏に合図をして湾岸道を後にした。

 

この後は県道232号線、76号線、国道419号線、再び232号線と繋いで、国道153号線で帰宅した。

 

7.まとめ

 

多少マシになったとは言え、冬の寒い時期に参加くださったカタナ先輩、ZX氏には感謝である。普段は単独走行が基本であるが、この時期はどうしても距離が出なくなりがちだ。そんな中、ZX氏は機会ある毎に誘ってくれるので、誠にありがたい話だ。こういう先輩や友人に恵まれているのは、まさにバイクの効用である。

 

また次回もお願いしますということで、今日は筆を置くことにしよう。お疲れ様でした。

 

本日の走行 250㎞

 

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