2016年 北海道ツーリング
~10回目記念~
フェリーすいせんの吹き抜けから
昨日は遅くまでVFR氏と話していたので、10時30分頃まで寝ていた。こんな夜更かしをするのは、何年振りだろうか。5月末まで通っていた訓練校が遠かったせいなどもあり、23時には寝る習慣が身についていたので、久々の夜更かしで、その楽しさを再認識した。
さて、風呂に入りに行こうと階上へ行くと、ちょうどビンゴ大会が始まるところだった。まあ、当たらないだろうが参加していこう。パーサーの司会で番号が発表されていき、2面待ちのリーチまではたやすく到達した。これはいけるかと思ったが、そこから進まずにスカで終わってしまった。
この後は風呂へ行き、露天風呂の湯船に浸かって洋上クルージングを楽しむ。この時間は他に誰もいなかったので、思う存分楽しむことができた。それにしても、来週から始まる仕事について考えると、どうせ残業の嵐になるんだろうなぁと想像がついてしまう。もともと残業万歳の体質の業界だが、世の中の風潮もそれを後押ししている。つまり、従業員数を絞って、1人当たりの負担を大きくして利益を上げるという構造になっているということだ。それがいわゆる「効率」というものなのだろうが、自動車業界の効率の追求はやはり異常としか言いようがない。
憂鬱な気持ちで風呂から上がり、昼食に軽くカレーを食べる。食ったら眠くなるのがフェリーの旅というもので、その後寝台に戻ってからは14時過ぎまで寝て過ごす。
ツーリストS
再び上の階へ出てみると、15時からはバイオリンとソプラノ歌手によるコンサートが開催されるということだった。こうして洋上で音楽を楽しむとは何とも優雅な時間だが、それももうすぐ業務にかき消されてしまうのか。
軽食コーナーでコーヒーとケーキを購入し、海を見ながらくつろぐ。天候は回復しており、まぶしい夏の光が海に反射して、いかにも暑そうである。昨日の大雨のことを考えると、嘘のようだ。それもそのはずで、何百㎞も移動しているのだから、天気が変わることは当然である。数㎞でも変化するのだからね。
コーヒーとケーキで優雅なひとときを
そうしていると、バイオリンを持った2名の女性が登場した。あれ、1人は歌手じゃあないのか。そう思っていると、1人は演奏兼歌であることが判明した。バイオリンの弾き語りかと思うが、そんなことはできない。弦の手を休めてある部分は歌う、再び弦を持って構えて演奏するというスタイルだ。それにしても、ソプラノ歌手とバイオリンを両方、それなりのレベルでこなすということは、とても大変なことだと思われる。
今日の演奏者
ひとしきり楽しんだ後、社会復帰に備えて新聞を読んでみる。北海道は今日も明日も大雨に注意ということだった。あと、前にも記したが、タンチョウの保護事業は今年で終了することになったと書かれていた。これは、個体数が一定数以上になったことを表しているのだが、この数を維持しているために環境を整えることが重要だろう。
16時以降には、後方オープンデッキに出てみる。既に風は本州の夏になっており、旅も終わりが近いことを知らせてくる。これで今年の夏は終わりかと思うと寂しくなるが、遊んでばかりいては旅に出ることができない。
18時過ぎには夕飯として、魚のフライ等を食べる。その後、再び後方デッキへ出て、夕陽を眺める。通常の生活に戻ると、ゆっくりと太陽が沈むところを見ることはあまりないので、今日は念入りに見ておく。
後方オープンデッキから見た日没
ここで、先ほどのミュージシャン2名と会ったので、少し立ち話をする。因みに、往路の船で演奏していたピアノとバイオリンの人達は、彼女らの先輩に当たるそうだ。
陽が沈んだので寝台に戻ると、VFR氏が起床していた。正確には起きていたのだが、寝台でゲームをやっていたそうだ。いよいよ旅が終わるということで、我々も言葉が少なくなるが、家に帰るまでがツーリングだよと気合を入れなおす。
フェリーは定刻通りの20時30分に敦賀港に到着した。ただ、我々バイク組は4輪の後に下船するので、小1時間待つことになる。下船指示の放送を受けて、切符をスキャンしてもらって2階の車両甲板へ下りていく。
湿っぽい靴やジャケットを無理やり着用し、砂だらけのTDMに、これまた水滴の残るザックを固定していく。完全に乾いているのはカッパだけだった。これでVFR氏ともお別れだが、最近は通信手段が発達したせいか、昔のような悲しさはない。
船を下りて少し行くと、VFR氏が待っていてくれた。そこで、お互いに無事を願って写真を撮る。ああそうだ、メアドを交換していなかった。写真を送りたいので、暇な時にでもトップページのアドレス(hondara100e@gmail.com)にメールを送信くだされば幸いです。
国道8号線バイパスから北陸道敦賀I.C.と繋いで、北陸道を米原方面へ向かう。しばらくすると先に行っていたVFR氏が見えたので、名残惜しく並走する。そして、米原J.C.でお互いに手を挙げて、ホーンを鳴らしてそれぞれの帰路に就いた。当方はこの後、名神高速を50ノットで走行し、小牧J.C.を通過して東名名古屋I.C.で下りる。ここからは県道59号線、219号線と繋いで行き、市道から県道57号線に乗り換えて、22時45分頃に帰宅した。
今年は台風の発生が遅れているというニュースがあったが、帰宅してから立て続けにいくつも発生、上陸した。特筆すべきは、この時期ならば九州や四国に襲来するものだが、太平洋高気圧がかなり北寄りに張り出していたこともあり、東北に上陸、北海道に再上陸という異例のコースをたどるものが2つもあった。これ故に、これら地域では記録的な大雨に見舞われて、ついこの間走ったばかりの、国道39号線の石北峠付近では川が氾濫したようだ。ネットのニュース見た写真を見ると、その変わり様には大いに驚いた。
また、最終日に通過した南富良野町でも空知川の堤防が決壊したなど、農作物の被害が連日報道された。当方がメロンを購入した山崎農園さんは被害を受けたことだろう。お見舞い申し上げます。
さらに、今知ったのだが、青い池が青くなくなった写真も発見した。おそらく、一気に雨が降ったので、長年蓄積されてきた温泉成分が流されてしまったのだろう。
さて、管理人は帰宅した翌週の月曜日から8か月振りに仕事に就いた。しかし、訳あって2週間で辞めることにした。もともと、昨年まで15年以上働いていた業界を「我慢の限界」として退職したのに、就職できない焦りから、再びその業界に足を踏み入れてしまったのだから、当然の結果と言える。
結果、就職活動をやり直しているのだが、時間はあるので本レポートをある程度定期的に更新できた。今年はやけに更新が早いなぁと思われていたヤマトの諸君、その実情はこういうことだったのだよ。
今回の北海道ツーリングは「10回目記念」と銘打ってみたが、特に変わったことはなかった。いつものように、気ままにその日の天気に合わせて走行を楽しむことができた。ただ、いつもは通過してしまうだけのような所を、重点的に見て回ることができたと思う。また、日程がいつもよりも短かった(それでも9日間)ので、走行距離も抑え気味となった。
そして、この旅を振り返り、特に印象深かった日は「5日目」である。霧に煙る最東端を出発し、道東に広がる湿原を抜けて中標津を通過、何とか景色を楽しめた開陽台に立ち寄り、気温12℃で小雨模様の羅臼に到着した。そして、知床峠を越えた途端に気温30℃で真夏の青空が広がるウトロへ入り、ほぼ初めての岩尾別温泉を楽しみ、そのままオホーツク海を見ながら網走にランディングしてキャンプをした。
こういう貴重な経験ができたので、それだけでも今回の渡道には価値があるというものだ。
また、あまり他のライダーと関わることのない管理人だが、4日目と7日目、そして復路のフェリーで同宿となったVFR-F氏との交流も見逃すことはできない。彼は実に旅ライダー然としており、その本質を見出すことができる人物と思われた。
一応ここで申し上げておくが、管理人は話の合わないライダーとは話したくないだけであり、彼のようなライダーとは積極的に関わりたいと思っている。つまり、話の合わないライダーが多すぎて、管理人のような人間は話す相手がいないということだ。
ただ、ここで危惧することは、彼は一回り以上年下であり、初めての渡道ということで、当方のような変態の私見を素直に聞いてくれて、影響を受けたことだ。つまり、当方の押しつけになっていないかが心配なんだ。今回申し上げた事は、あくまでも10回渡道したライダーの個人的意見として解釈していただきたい。
最後になったが、今回は機会がたくさんあったにも関わらず、1度しかテントを広げていない。この理由だが、単に「年齢による気力の低下」によるものだ。つまり、暑い中300㎞を越える走行をして、テントを張って、食事を作ってという行為が面倒に感じてしまったということだ。まあ、歳には勝てないので、それなりに楽しむことができれば良いのだと思う。
無事これ名馬を実践できた、10回目の北海道ツーリングレポートはこれで終わりです。あと、VFR-F氏に感謝を申し上げて終了とします。
では、また次の旅でお会いしましょう。
Special Thanks to Mr.VFR-F
本日の走行 130km
総走行距離 2,310㎞