2016年 北海道ツーリング

~10回目記念~

 

2016年 7月20日~7月28日

 

富良野駅にて

 

7日目(7月27日)

1.起床

 

昨日は夜更かししてしまったので、今朝はゆっくりと8時に起床する。そしていつものカロリーメイトを食べて、外へ出て天気を確認する。今のところ曇り空だが、風は8ノット程度吹いており、やけに湿っぽい。雨が降る前のあのにおいがする。予報通りに間違いなく天気が崩れるようだが、富良野周辺は午前は曇りで推移するようだ。それならば、雨が降るまでこの辺りを周遊して、昼から苫小牧行きとするかな。

 

荷物の整理していくが、今日はフェリーに乗るので、船内で必要なものは小さいザックに分けておく。この間にVFR‐F氏は先に出発していった。彼も今後の天気予報から走行は難しいと判断し、予定を2日前倒しして今夜のフェリーで北海道を離れることにしたそうだ。また、苫小牧東港で会いましょう。

 

2.美瑛・富良野周遊その2

 

当方も8時30分頃に準備が完了したので、クレッセの奥さんに挨拶をしてTDMに火を入れる。いよいよ北海道の最終日である。まずは、国道237号線を旭川方面へ進み、深山峠を越える。そして、その先のかんのファームへ立ち寄る。こちらは規模が大きく国道沿いにある花畑で、気軽に立ち寄れるところが良い。時刻は9時前なのだが既に多くの観光客が来ていて、駐車場もいっぱいになりつつある。

 

まずはラベンダーのある奥の方へ行き、ブラブラとする。ここは西側に斜面になっていて、そこに様々な草花が栽培されている。午前中は逆光線になりまぶしいので、斜面を上って上から眺めることにする。ラベンダー、サルビア、マリーゴールド等が帯状に植えられていて、見事である。当方は特に花には興味もないのだが、この規模での花畑を見るとギスギスした気持ちも癒されるというものだ。

 

これで天気が快晴だったら言うこともないが、残念ながら空は厚い雲に覆われている。それにしても花の色はじつに様々であり、同じ種類のものでも全く同じ色や模様のものは存在しない。これをディジタル的に考えれば近似値をとって「同じ」ということになるのだが、それはかなり乱暴な話だ。

 

もちろん、そう考えた方が合理的に物事が進み、結果うまくいくならばよい。しかし、世の中はあまりにもこのような考え方に染まりすぎてしまい、ディジタルとは全くの対極にある人間が生きにくくなっている。その結果「多様性」という言葉が使われるようになってきているが、自分で自分の首を絞めておきながら「多様性」と言っている。人間とはかくも矛盾した生物なのだと思ってしまった。

 

かんのファームにて

(多様な花を栽培している)

 

歩いた後は、売店であげいもを購入する。これはその名の通り、ホットケーキミックスを衣にしたジャガイモをあげたもので、素朴な味わいがたまらない。道の駅 美深のものは、火を通して潰したいもを直径5㎝程にしているが、こちらは直径が10㎝程のものを丸ごと使用している。個人的には美深のあげいもの方が、食べやすいので好みだ。関係無いが、管理人の好みはロリロリのムチムチであると補記しておこう(さすが変態)。でも、本物のロリは好きではないし、デブも嫌いだ。

 

あげいも

 

いもを食べた後、かんのファームを出て、美瑛から道道966号線に乗り換える。そのまま青い池へと向かっていくのだが、クレッセのオーナーの話では相当に混み合っているようだ。まあ、こっちはバイクなので、少し手前にバイクを置いて歩いていけばよいだろう。そう考えていたら、あと2㎞の看板を見つけた。この先も渋滞は起きていなかったので、そのまま駐車場へすんなりと入ることができた。

 

白樺の歩道を歩いていくと、池が見えてきた。今日は一段と青く見える。これは、十勝岳温泉の成分がここに流れてきているということなのだが、銅イオンか何かの色なのだろうか。また、よく見ると白っぽい青色であり、神威岬のコバルトブルーとはまた違う。

 

周りを見渡すと、やはり韓国人や中国人観光客が多く来ているようだ。外交的には竹島やら尖閣諸島やらいろいろと問題を抱えているが、別に庶民レベルでは何もない。こうして観光に来てくれれば北海道も潤うわけだし、いがみ合う必要もない。

 

青い池

 

さらに奥へ行くと、いつの間にか看板ができている。昔はこんな奥の方は木が生えていたが、今は美瑛川の岸まで整地されている。

 

青い池を楽しんだら、さらに966号線を進んで行く。そして、途中で脇道に逸れる。すると、目の前に牧場が現れて一気に視界が開ける。これが白金模範牧場であり、その昔はスズキジムニーや、渡辺徹と小泉今日子のペアが出演する「グリコ アーモンドチョコレート」のロケ地となった場所だ。ここは2008年にも訪れて以来、2回目である。

 

前回もそうであったがどうも天気がイマイチで、さわやかな雰囲気とは程遠い。しかし、広い牧場は気持ちを大きくしてくれるし、自分が小さい存在ということを知らせてくれる。試しに一番向こう側へ行ってみたのだが、TDMでも5分程度はかかってしまう広さだった。

 

白銀模範牧場

 

牧場を一回りした後、道道966号線に戻り望岳台へ向かう。するとパラパラと雨が降ってきたので、そのまま道道291号線に繋いで山を下りていく。この道沿いは花が植えられていて、マップルによると6.5㎞の区間に及ぶそうだ。そして、農道富良野平原広域農道へ左折して、上富良野町から中富良野町を駆け抜けていく。一応雨は上がったが、いつ降ってきてもおかしくない空模様だ。

 

そのまま終点まで走り、右折してホクレンを見つける。ここで燃料を搭載して、自宅まで通しで走行できるように満タンにしておく。前回の網走で給油してから385㎞を走行して、搭載量は15Lだから、25.6㎞/Lと相変わらずの好記録を出している。

 

これで燃料の心配はなくなり、あとは苫小牧を目指すだけだ。あ、その前に、今年の8月で閉館となる「北の国から資料館」へちょっと寄って行こう。うOこ発電などのロケ地は何回か訪れたが、ここは初めてだ。

 

目指すは富良野駅で、資料館はすぐそばにある。最初はわからなかったが、レンガ造りの倉庫がそれだ。駐車場にマシンを止めて、入館料500円を払って中に入る。この際、黒板五郎52歳、純15歳、蛍14歳と添え書きのあるハガキももらった。

 

北の国から資料館

 

まず最初に目につくのは、全出演者の顔写真だ。既に他界した俳優も大勢おり、その人達には喪章というか、黒いリボンがかけられている。笠智衆、大滝秀治、地井武男、古尾谷雅人、結構大勢亡くなっている。あ、2002遺言に出演しており、五郎に遺言の指導をする元校長の山下先生も既にこの世を去っているのか。

 

出演俳優達

 

そんなことを思い出しつつ、細かい字で書かれた年表を眺める。横が2m50㎝、縦が80㎝ぐらいの黒板状のものだが、まるで相撲の番付表の三段目ぐらいの印象だ。ひとまず写真に撮り、横山美雪、裕木奈江、宮沢りえ、内田有紀などが出演する回をかいつまん見ていく。誰がいつ出演したかを覚えていたつもりだったのだが、この年表によりそれが全くの間違いであることが判明した。人間の記憶とは曖昧なものだ。

 

その次からは、有名な場面の写真が放送年ごとに、それぞれ20枚程度展示してあるエリアが始まる。これらはほぼ知っている場面ばかりで、中にはセリフまで思い出されるものもあった。もちろん、それらは写真に添付してあり、そうそう、そう言っていたよと思い出された。

 

これらの中でも特に印象深いものは、痴呆症老人を演じた笠智衆の「機械に頼るからお前らだめなんだ。機械で儲けよう思うから(ま~め~)」だ。1983年といえば30年以上も前だが、倉本聡はこの頃から高齢化社会について考えていたんだと感心する。

 

'83冬 笠智衆が登場した回

 

あと、裕木奈江を妊娠させてしまって、五郎が謝るところで言われる「あんたはさっきから誠意と言っとる。誠意って何かね。」も、あまりに有名だ。今は「できちゃったら結婚する」という図式も確立しているのだが、当時は結婚もしていない2人に子供ができたとなったら大騒ぎだ。

 

裕木奈江が出演した回

 

岩城が自殺したチンタの兄貴の農機を搬出していて、下敷きになる場面は放送では目を背けてしまったなぁ。

 

岩城が死亡した回の場面

 

そして、その後に行われた正吉と蛍の結婚披露宴で、岩城の録音したテープが流れる場面があるのだが、その音声もフルで聴くことができるのだが、これはマニア心を満たしてくれるものだった。

 

宮沢りえが吹上の湯に入った場面もあり、こんなにムチムチだったのかと驚いてしまった。いまは鶏がらみたいになってしまったからな。

 

吹上の湯の回

 

富良野周辺にはロケ地は数多くあるが、それぞれバラバラだ。しかし、この資料館では、放送されたシリーズのすべてについて、一度に振り返ることができる。そして最近知ったのだが、これは地元の人が私財を投じて展示・公開しているものだということだ。これだったら、市が金を出してもよさそうなものだと思うが、そうもいかないのだろう。

 

3.富良野空域を離脱

 

展示を見て出てきたら、時刻は既に13時だ。外は風が強く雨が降っている。まあ、観光はこのくらいにして、そろそろ苫小牧へ向かうとしよう。マシンに戻り、今回のツーリングで初めてのカッパを装着して出発する。

 

泰寺コントロールに苫小牧直行の許可を要求し、国道38号線で南下を開始する。すると空知川を渡るころには雨が上がったが、このままカッパを装着したまま走行を続ける。おっと、従兄の家に土産を送らなくてはならないな。ということで、いつも利用する国道沿いの「山崎農園」に飛び込む。

 

もともとここはメロンの専売店なのだが、限定された期間だけ野菜を売っている。それをアテにしていたのだが、野菜が見当たらない。奥さんに聞いてみると「かぼちゃやいもは8月後半から」ということだった。実は2014年にここから野菜を送ったのだが、それは8月も終わりのことだったか。

 

仕方がないので、直径が30㎝程度のメロンを2つで5,000円で購入、発送した。仮にこれを地元で購入しようと思っても、こんなでっかいものを扱っている店はないだろう。こういう、北海道ならではのものを贈りたいものだ。

 

これで仕事を一つ片付けたので再び国道38号線に乗り、金山地区で国道237号線にスイッチする。そして金山峠を通過したあたりから、雨が本降りとなってきた。これは湿った南風が山に当たって、雨雲が形成されているからだろう。北海道の天気は、地形により大きく左右されることをよく理解できた旅だ。

 

2013年に土砂降りに遭遇し、たまらず休息に入った道の駅 占冠を通過。淡々と距離を重ねていくが、時々雨が強くなる。その際は、対向車がはねた水を被るほどだった。そして、国道274号線と交差する日高を通り過ぎる。

 

このまま何事もなく苫小牧まで行きたいと考えていたが、さっき水を被ったことが原因だろうか、防水のライディングシューズが一気に浸水してしまった。あーあー、気持ち悪い。性能を過信していて、ブーツカバーを装着していなかったのがいけなかったようだ。

 

雨中走行は疲労しやすいものだし、疲労するとつまらないミスをするものだ。ここは早めに、と平取の振内地区でセイコマにピットインする。相変わらず雨が強く降っているが、カッパを脱いで店内に入る。そして、軽量化と同時にホットコーヒーを購入する。もちろん、店内で飲食するわけにはいかず、軒下の喫煙スペース辺りで靴を脱いで休息する。あーあー、既に絞れるほど靴下が水を含んでいる。また、ヘルメットの首回りもじわっと濡れている。気持ち悪~い。

 

余談だが、このセイコマは2006年に立ち寄っており、偶然に知り合った派遣社員の看護師さんに脈を診てもらったことがある。あれからもう10年経ってしまった・・・。あの方はお元気でおられるだろうか。

 

意を決して靴を履き、走行を再会する。雨は強く降っており、本当に苫小牧に到着できるかどうか不安になってしまうが、まだ時刻は15時30分を過ぎたばかりなので、焦ることはない。フェリーの出航は23時30分だから、22時までに搭乗手続きをすればよい。

 

引き続き、雲が厚くて薄暗い国道を走行していく。二風谷、平取と少しづつだが苫小牧が近くなってくる。早く到着したいが、北海道の走行は終わってしまう。毎度のことだが、最終日の走行はこういう矛盾を抱えることになる。

 

国道235号線バイパスの、日高富川I.C.を通過した。通常ならばこのI.C.から苫小牧に向かうのだが、その前に恒例の場所へ寄って行く。そう、富川の寿司屋である「西陣」である。いつものししゃもを食べようというわけだ。

 

相変わらずひどい雨なので、カッパとヘルメットを軒先において店内に入る。そして、いつものようにご主人に迎えられて、ししゃも御前を注文する。それにしても驚いたのは、つい数年前は1,500円、昨年は1,800円だった値段が、今年は2,500円(すべて税抜)になっている。今までは「こんなもんかな」と思っていたが、ちょっと今年は高いなと感じてしまった。

 

しばらく待っていると、几帳面に盛りつけされたししゃも御前が運ばれてくる。おー、この握り、淡泊かつしっかりとした白身魚の味が酢飯とよく調和しているよ。刺身も同様だし、天ぷらはホロホロと口の中で身が崩れて、サクサクの衣と共に良い歯触りだ。

 

ししゃも御前

 

喜んで食べていると、バイクで来たのかと聞かれた。そして、いつものように、今日の夜にフェリーに乗るので、その前に寄ったことを伝える。すると、サービスとして、甘海老とししゃもをそれぞれ2貫づつ出してくれた。ありがとうございます。

 

4.苫小牧東港

 

ご主人に見送られて、17時30分頃に店を出た。相変わらず雨は強く降っているので、カッパを装着して走行を開始する。一度国道237号線を北に戻り、先ほど通過した日高富川I.C.から国道235号線で厚真I.C.を目指す。

 

ひえ~、さっきよりも雨が強くなっている。おまけに、トラックがつくった轍に雨水が溜まっていて、それを自分がはねたり、対向車にはねられたりして、ビシャビシャだぁ~(泣き)。北海道の道は走りやすいが、ちょっと古めの道を雨降りの走るととてもやりにくい。この区間はそれが顕著であった。

 

酷い目に遭ったと思いつつ、なんとか厚真I.C.をおりて、看板に従って市道を右折して南へ向かう。さらに、旧国道235号線の交差点を過ぎれば、いよいよ北海道の走行は終わりになる。

 

踏切を渡ると、右手にフェリーターミナルが見えてきた。今の時間は、先発の新潟行きが出航前であった。係員の指示に従って、駐車場の端にバイクを止める。それにしても雨が強くて、かっぱを脱ぐことができない。どうしたものかと思案したが、着たまま建物に入ることにした。そして、そこで脱いで、小さく畳んで2階の待合スペースへ上がり、そこで再び椅子に広げる。

 

時刻は18時で、椅子に腰かけるとドッと疲れを感じ、同時に今年の夏が終わったと思われた。そして、テレビを観たり、うとうとしたりして時間を過ごす。天気予報では今日ばかりでなく、明日以降も数日間は大雨に警戒と呼びかけていた。今回の旅行日程切り上げは、やむを得なかった。

 

今日の分のメモをつけたり、今までのものを読み返したりする。今年は天候の変化が大きく、難しい旅だった。その中で、カッパは最終日の後半のみだったのだから、まあ天候には恵まれた方だと言えよう。ただ、10回目となるとただ目的地へ行くだけでは飽きたらず、すっきり晴れた景色を見たいものなので、それは次回の課題?と言える。

 

勝手にそんなことを考えていたら、21時頃にVFR-F氏も姿を現した。今まで走っていたのかと心配したが、ジンギスカン白樺の富良野店に行き、その後は苫小牧近郊の温泉にいたようだ。

 

偶然にお会いしたとはいえ、当方が少なから彼の旅程に影響を与えてしまった。これは良かったのかどうか、疑問である。と言うのも、当方のアドバイスが必ずしも正解だという保証は無いからだ。

 

この後、帰宅してからニュースで観ていたが、北海道では天気の回復どころか、大雨で冠水した箇所もかなりあったようだ。もちろん、ツーリングを楽しむ状態ではなかっただろう。結論から見ると、日程の切り上げはまあ妥当なセンと言えるが、天気予報が外れていた可能性もあるし、大雨の中を走ることが好きな人もいるから何とも言えない。まあ、お互い無事に北海道内の走行を終え、再会したことは喜ばしいことだ。

 

23時頃に乗船の指示が出たので、カッパを再装着して、激しく雨が降る中をマシンへ向かう。そしてタラップの下で待っていたのだが、今日は下の入り口から2階の甲板へマシンを乗せて乗船完了となった。風が強かったので、その辺りを配慮してくれたのだろう。

 

乗船後はVFR氏と風呂へ行き、その後無事に帰路に就くことができたことに乾杯をする。氏は30歳前後の若者であるが、当方とはツーリングに対する手法、考え方が良く似ている。これは、氏が運送の仕事をしているからだろう。つまり、地図を見て、実走しないとその道のことを理解できないという考えが根本にあるということだ。

 

また、彼には将来を誓った彼女がいるらしいのだが、その件についても相談を受けた。ご存じのように当方は離婚して14年になろうとしている、言わば「悪い見本」である。逆に言えば、そうしなければ失敗しないかもしれないということだ。しかし、男から見れば女は宇宙人のようなもので、まるで別の生き物だ。特に、思考回路については理解するというか、しぶしぶ受け入れるしかない。

 

それを象徴した言葉が、我々の仲間であるハーレー氏の「女はアカンと言ったらアカンのだよ。理屈じゃあないんだ。逆らっちゃあいかん。」であろう。この言葉には、女とうまくやっていく全てが凝縮されていると言っても過言ではない。

 

そんな当方の持論を黙って聞いてくれたVFR氏なので、この先もきっとうまくいくことでしょう。そんなわけで、時刻が27時になっていた。そろそろ寝るとしましょう。

 

 

本日の走行 260km

最終日(7月28日)へ続く