2016年 北海道ツーリング
~10回目記念~
女満別メルヘンの丘にて
朝は6時に起床し、カロリーメイトではなく、玄米ブランとインスタントコーヒーを沸かしてで朝飯とする。外はややどんよりと曇っているが、時間が経てば晴れる予報であり、それに基づいて飛行計画を策定、提出する。また、今後の天気を予測するために気圧配置も確認しておくと、今日はオホーツク海側ほど天気が良いようだ。
また、西からは低気圧が進んでくるので、明日以降は数日間天気が悪いようだ。まあ、あくまでも予報だし、今までの経験から的中することは少ないと思われる。少しでも良い方へ外れてくれることを願う。
木々の間から強い太陽が照りつけてきたので、7時30分頃から撤収を開始する。フライシートがベタベタだが、陽が当たればすぐに乾いていった。今日は本ツーリング初のテントなので、何だか撤収の要領を得ないまま、1時間程過ぎた8時30分頃までかかって撤収、荷物の整理、搭載まで完了した。
国道39号線を南下して、10㎞程離れている女満別メルヘンの丘へ向かう。ここは午前中だと順光なので、写真撮影は楽だ。今年はちょうど麦が刈り入れ直前のようで、畑が向こうまで続いている所が見える。これで背景が青空なら文句は無いが、ちょっと曇りだ。
この後は国道243号線に乗り換えて、美幌峠を目指す。しかし、美幌の街を抜けてしばらくすると「美幌峠視界不良」と電光掲示板が示している。霧で景色が見えないのでは何ともならない。昨日みたいに天気が急変するのだろう、泣く泣く諦めて国道39号線に戻り、そのまま磁方位270°を維持して進むことにした。
この先は北見市になるので、少し見ていくことにする。10回も渡道しているが、北見は通過したことしかない。これはちょうど良い機会だになった。そう思いながら、30ノットを維持して国道を進んでいく。緋牛内辺りは峠道になっていて、交通量も少ないので快走区間だ。しかし、マップルに「スピード注意」の記載を見つけたので、上記速度を維持していく。いつだったか、北見周辺は取り締まりが厳しいと聞いていた。こんなところで挙げられたら、まったく話にならないからね。
今日も暑い日だが、昨日に比べたらだいぶマシだ。ちょっと秋も近いかなという風も吹いてくる。しかし、それは単に標高が高い所を走行していたに過ぎず、北見の市街地が近くなるにつれて暑くなってくる。
こうして北見の駅前にやってくるのだが、やっぱり暑い。もともと北見は少し内陸の街だから、余計に暑いのかもしれない。ひとまず駅前の日陰スペースにマシンを止めて、観光案内書へ行く。以前、ここにはホタテを使った駅弁があったことを記憶していたからだ。しかし、そんなものはない。案内所でパンフレットをもらうついでに聞いてみたら、もう業者が辞めてしまったということだった。
北見駅にて
マシンに戻り、パンフレットで興味がありそうな観光名所を探してみる。このハッカ記念館とピアソン記念館が興味をそそる。他にもいろいろと見どころはあるようだが、今回はこの2つに絞ってみよう。
マップルとパンフレットでそれぞれの位置を確認した後、まずはハッカ記念館へ向かう。国道39号線を少し進んで、道道122号線に左折する。さらに市道に入ると、看板を見つけた。このTの字を右折すれば右手に古風な建物が見えてくる。
混んでいるかもと予想していたが、駐車場はガラガラだ。そこで、一番近い場所にTDMを止めて建物へ向かう。その北見ハッカ記念館だが、日本近代産業遺産に指定されており、この建物自体が実際に昭和58年まで事務所として使用されていたものであるようだ。
北見ハッカ記念館
中に入ると、1階はハッカの歴史について詳細に理解できるようになっている。最初はハッカとは何か、人間はいつから利用していたのか、という説明に始まる。展示によれば、ハッカとはいわゆるメンソールのことであり、既に古代ギリシャの時代、つまり3500年程前から存在していたようだ。そして、日本には中国経由で入ってきて、平安時代の書物には既に記載があるということだ。
そして、生産の最盛期である昭和初期には、世界中に流通するハッカの70%が北見製だったそうだ。しかし、ずっと安い人口的に合成したものが流通するようになり、上記のように昭和末期にハッカ工場は閉鎖となった。その活況を呈した時代の雰囲気をを今に伝えるのが、この記念館の役割ということだろう。
2階へ上ると、天然ハッカの製造工程がわかるようになっている。ハッカは1年かけて育てたハッカ草を蒸し、蒸発した成分を冷却して液体として取り出し結晶化したものだ。その蒸留行程で使用されるのが田中式と呼ばれる蒸留機だ。
田中式蒸留機の模型
今思うと随分と手間がかかり、その割には製品として取り出せる量は少ないようだ。それ故に、高価なものだったのかもしれない。何かの都合でハッカ草の収穫量が少なかった場合、その年の収入はゼロになりかねない。農業全般に言えることなのだろうが、博打的な商売だ。
ともかく、今までの自分が知っているのは人口のハッカということであり、天然モノがどんなものなのかは知らないということが判明した。
上段はハッカ油等の香り製品
下の段は輸出用のハッカの結晶の塊
記念館の隣には薄荷蒸留所があり、観光客用に少量のハッカを実演蒸留している。中に入るとハッカの香りが鼻に利いてくるので、鼻詰まりの時には良さそうだ。まず最初に目につくのは、実際に使用されていたと思われる田中式の蒸留機だ。そして、このハッカの香りの元は、実際に稼働しているミニチュアの蒸留機からのものだ。
薄荷蒸留館
田中式蒸留機
天然のハッカはとても柔らかい香りで、近江兄弟社やロート製薬の製品のようにきついものではない。想像するに、これは調味料における天然のものと化学合成されたものとの関係に似ているのだと思われる。
日本は戦後に工業国として復興したが、実はそのずっと前から局所的に優れた技術を持っており、世界を席巻するような製品を大量生産していたとは、まったくもって驚きだった。
大いに感心して、ハッカ記念館を後にする。そして、次はピアソン記念館へ向かうのだが、実はこのピアソンという人が何者なのかは全く知らない。ただ、専用のパンフレットが印刷されているので「何か偉業を成し遂げた人」なのかと思い、知ってみようと思ったわけだ。
一度国道39号線に出て北見駅方面へ向かい、ルートインがある大きな交差点に看板が出ているので、それに従って西四丁目通りへ左折する。そして道なりに進んでいくと住宅地になり、その中に再び看板を発見したので右折して坂を上っていく。
あ、ここかぁ。そこは洒落た洋館であり、歴史がありそうな雰囲気が漂っている。駐車場が狭いので、端のほうにマシンを止める。中に入ると黒光りした床や柱が印象的で、ちょうど北海道放送が制作したDVDを流し始めるところだったので、これを観ることにする。
ピアソン記念館
竹中直人のナレーションで番組が始まるのだが、これがなかなかのはまり役である。彼は喜劇役者としてのイメージが強いのだが、こういう真面目なことも楽々とやってのけるようだ。
それはそうと、ピアソン氏は宣教師であり、夫婦で明治中期に来日、30年以上北海道で布教活動を行ったようだ。それは札幌、旭川、小樽などはもちろん、当時野付牛と呼ばれた未開の北見の地に及び、ヴォーリスという人物が設計、建設をした家に住むに至る。この記念館はその実物ということだ。また、この北見は婦人の出身地である、アメリカニュージャージー州のエリザベス市に雰囲気が似ていたとも説明していた。
また、日本に住んでいた間、クラーク博士に続いて現北海道大学の札幌農学校でも教鞭を執ったらしい。また、聖書を訳して出版するなどのことから、農村での地道な布教に力を入れていたと思われる。
番組を観た後に、このDVDを観ている部屋に展示してある写真を見る。それは大変大勢の日本人が集まったクリスマス集会で撮影されたものであり、ピアソン夫妻が北見の農民達に慕われていたことが感じ取れた。そして、実際に使用されていたオルガンの実物もあり、これで讃美歌を演奏し皆で歌ったのかと思うとロマンを感じる。
ピアソン記念館の居間
宗教的なことには興味は無いのだが、別に給料を貰えるわけでもなく、教会の偉い人に褒められるわけでもない、未開の地での布教をなぜここまで一生懸命に行ったのだろうか。
おそらく、ピアソン夫妻がキリストの教えに感銘を受け、それを一人でも多くの人に伝えて同じように救われて欲しいと純粋に願ったのだろう。いわゆるボランティアと呼ばれる、見返りを求めない自発的な行動に、当時の北見の農民は人間愛を感じたものと思われた。
まだ管理人の祖父母でさえ生まれてもいない昔に、極東のそのまた辺境であった北海道の東の地で、このような文化的な活動が行われていたということを垣間見る。今までの北海道ツーリングとは異なる体験をすることができ、とても有意義な北見探訪であった。
さて、時刻は11時30分であり、そろそろ腹が減ってきた。マップルで何かないかと探してみると、回転寿司のトリトンが2店舗あることに気がつく。トリトンはライダーの間でも人気の回転寿司屋であるが、まだ一度も入ったことがない。昼飯はここで決まりだね。
マップルの拡大図を見て、これから向かう方向を考慮して国道39号線沿いの店舗を選択する。記念館から坂を下りて、同国道を右折して西へ向かう。すると、大きな看板がすぐに目に入ったので、駐車場の端へバイクを止める。時刻は11時30分過ぎで、入口付近には既に席を待っている家族連れが大勢見えた。
待ちのリストには4組ぐらい残っているが、回転は良さそうなので少し待つことにして名前を記入する。その間テレビを観ていると、気になる天気予報の時間となる。それによると、さかんに「明日からの大雨に注意」と言っている。既に苫小牧周辺では雨が激しく降っているようで、これが数日間続くということだった。
日程は明後日までの滞在だが、明日、明後日と大雨ならば滞在走りを楽しむことはできそうにない。予定を変更するかどうか迷うが、泣く泣く明後日までの日程を明日に繰り上げることとした。
そう考えていたら、席の順番が回ってきた。この寿司屋は席に着くと担当の握り手さんが「OOです、よろしく」と愛想良く声をかけてくれる。なるほど、これならば気軽にどんどんと注文してしまうから、売上が良くなることだろう。
さて、せっかくだから珍しいネタを食べたい。時知らず、トビッコ、タコの子などマニアな?注文を出す。どれも鮮度が良く、シャリもネタも大きいので満足だ。あまりおいしくない寿司屋だと、どの魚も同じような味がしてしまうものだが、こちらは白身、赤身、光りモノとそれぞれにしっかりと差がある。思うに、前述の鮮度が良いので、生臭さが無いが故味わえることだと思う。
上から時計回りに、時知らず、サンマ、タコの子、イワシ、トビッ子
最終的には9皿食べて、やはりソイが一番印象に残った。ソイって白身なんだけど、鯛とかヒラメみたいに上品・淡泊ではなく、しっかりと主張があるんだよね。赤身と白身の中間とでも言おうか、誠に美味しかった。因みに、値段は2,300円とちょっと高めだったと補記しておこう。
満腹で外に出ると、薄曇りながらやはり暑い。そして、駐車場でフェリー会社の苫小牧支店に電話をして、明日出航の便へ乗るように変更をする。因みに、新日本海フェリーでは、予約して1回の変更は手数料がかからない。当方はこのことを知っていたが、電話で変更をすると「手数料無料の変更は1回だけ」と必ず念を押される。この件について、利用者からのクレームというか、意見がよほど多いのだろうと思われる。
13時過ぎにトリトンを出発して、片側2車線の広い国道39号線を進んでいく。この区間は速度取締が厳しい区間と以前に聞いていたので、37ノットをきっちりと維持していく。そして、郊外になると1車線になって道の両側には広大な玉ねぎ畑が広がる。実は管理人の実家周辺も玉ねぎの栽培が盛んなのだが、規模が3桁は違う。
ちょっと国道を外れて、並行している作業道へ乗り換えてゆっくりと走行する。玉ねぎのにおいを感じて、北見の風物詩を楽しもう。
玉ねぎ畑でつかまえて?
留辺蘂からは国道39号線に戻って、標高を上げていく。この区間は2008年に走行して以来かもしれない、ああキタキツネ牧場なんてあったなぁ。今は営業していないようだが、キツネはそこらじゅうにいるので珍しくない。もともと人が入るような施設じゃあないだろう。因みに、後日北海道は大雨の襲撃を受けて、甚大な被害を被るのだが、その際ちょうどこの辺りの道路が冠水したようだ。お早い復興をお祈りしております。
さて、石北峠へ向けて標高をあげていくと、だんだんと天気が悪くなってくる。時折、風に流れてくる雨がポツポツと落ちてきているが、強くなることはなさそうなので、そのまま走行を続ける。そして、峠を越えたら天気が回復してきて、再び暑くなってくる。
大雪湖の所で国道237号線と合流する。ここから先は3日前に通った道であり、同じ道は通りたくないが今回はやむを得ない。淡々と休息も取らずに層雲峡を通っていく。さらに、上川層雲峡I.C.からは旭川紋別自動車道に乗り、距離を稼ぐ。ここは無料区間だし、往路は下道を走行したので、重複とはならなかった。
愛別I.C.で道道140号線に乗り換えて、旭川方面へ進む。山間部から都市部に移ってきたせいか、急に暑くなってきた。また、以前、梅宮辰夫が娘の元彼で「稀代の悪」と言っていた人物の苗字と同じ地名の場所へやって来る。もちろん、この地名には何の悪いこともないのは言うまでもないが、ついつい思い出してしまう。暑さで走り疲れたので、旭山動物園近くのセイコマに入り、休息をとる。
セイコマでは7月は、夕張メロン味アイスクリームのキャンペーン中であり、これはこの期間のみの商品だそうだ。そこで、モナカを購入して、人間をクールダウンする。もちろん、タイ寺コントロールには「稀代の悪で補給中」とくだらない連絡を入れたことは、言うまでもなかろう。
暑さを忘れるひと時
ここまで休息ポイントに恵まれなかったせいか、2時間以上走り続けてしまい、かなり疲れてしまった。それ故に疲労感がかなり強いので、1時間程度の長い休息をとる。
暑さは変わらないが、そろそろ走行を再開する。道道37号線に乗り換えて、一路旭川空港を目指す。さて、時刻は16時を回った。今日のランディング地点をどうするか、この調子ならば美瑛、富良野辺りで終了となる。それならば、今日は図らずも北海道最終夜なので、贅沢に泊まりたい。東神楽付近で路肩に止まり、マップルでどこかないかなと探してみる。すると、鈴木食堂に名刺が貼ってあった「給食室」という宿が目に留まった。
なんか面白そうなので、こちらへ電話をしてみる。しかし、既に満室であった。それならば、最終夜の定番である「クレッセ」が良かろう。こちらに電話をすると、奥さんと思われる方が電話に出られて「空いてますよ」という快い返事を下さった。これで今日の宿も確保できたので、安心だ。
そのまま空港の東側へまわって走行を続けて、西神楽4線に乗る。この道は、以前宿泊した「道楽館」のオーナーが「空へ続く道」という名前を付けているのだが、全くその通りで、まるで滑走路上にいるかのように思われる。また、ちょうど日本航空のB767-300が誘導路を移動中である。これはシャッターチャンスと、TDMを入れて写真を撮ってみた。
空へ続く道
その後4線を東へ進み、就実の丘へ到着した。この道は途中からアップダウンが激しく、まるでジェットコースターに乗っているかのような錯覚に陥る。本家のジェットコースターの道にも負けないぐらいだと思われるが、この手の道は美瑛にはたくさんあると補記しておこう。
西神楽4線
さて、就実の丘からは大雪山系の山々が見られるのだが、少しずつ天気が下り坂で、雲が出てしまってあまりよくみえない。しかし、眼下にはうねる丘に広がる畑が見えて、美瑛らしい風景が楽しめる。
ここはあまり人が来ないポイントらしく、風の音以外は聞こえない。まったくの静寂と言うわけでもないのだが、まるっきり誰もいない場所に来ることは珍しい。ちょっと涼しい風も出てきて、心地よいので長居してみた。
就実の丘にて
西神楽4線を一度空港まで戻り、道道68号線で旭丘橋で国道237号線を横切って、上川中央第一広域農道でパッチワークの丘が広がる地区へ向かう。だいぶ陽も傾いて、良い風が吹いてくる道を快調に飛ばすTDM号、昨年はサーモスタットの故障で水温が下がらないというマイナートラブルがあったが、今年はちょっと走行すればすぐに水温計が反応する、ほぼ正常な状態に戻った。稀代の悪、いや当麻付近では若干高かった水温も、今は基準よりも低いくらいになっているのを確認した。
さて、気分良く走行していると、地図の通り、目の前にケン&メリーの木が飛び込んできた。ここは何回か訪れているが、畑の中に凛と立つその姿はなかなか良いと思う。少し行き過ぎて駐車場にマシンを止めて、西日が厳しく当たる木を眺める。静かで良いなと思っていたら、観光バスから中国人がいっぱい降りてきて、ザワザワとし始めた。まあ、俺の景色じゃあないから文句は言えないが、もう少し静かにして欲しいものだ。関係ないが、高校1年の現代文の時間に「今日この景色を君にあげよう」という一文があったのを思い出した。
ケン&メリーの木
ここから南へ少し走り、右へ折れてパッチワークの路へ入っていく。おっと、今日電話して断られた宿である「給食室」はここかぁ、小じんまりとしているなぁ。収容人数は5名というところだろう、これはすぐに満室になってしまうわけだ。
納得してから右折して丘を上り、麦畑が広がる道を下っていくと親子の木が見えた。春先のニュースで子供が倒れてしまったから、移植したということだった。そういえば、ちょっと形が異なる。ここでも中国人がたくさんいて、畑に入り放題で写真を撮っている。これは中国語の看板が無いからだと思うが、添乗員か誰かが知らせることはできないものだろうか。
麦畑に立つ親子の木
さらに進んで左折、右折してまた丘を上ると、セブンスターの木だ。こちらはそんなに目立つ木ではないが、駐車場から見る麦畑は雄大の一言であった。
セブンスターの木
今来た道を給食室の所まで戻り、パッチワークの路を西向きへ進んでいく。そして、突き当りを左折して先ほどの農道へぶつかった所を右折して、さらに進んでいく。この先はもちろん、マイルドセブンの丘だ。
ここも何回か訪れているが、夕方に来るとまた雰囲気が全然違う。朝に来ると「静寂」であるが、夕陽が当たると「喧噪」とでも言おうか。いや、ちょうど手前の畑では麦の刈り入れが行われているので、騒がしいんだろう。当たり前か。
マイルドセブンの丘
独りでそんなことを思っていたら、作業中のおじさんに「台湾の人ですか」と声をかけられた。「いやいや、どう見ても日本人でしょう」と答えるも、おじさんは「最近は台湾の人がレンタルバイクで走っていることが多いんだ」と話してくれた。いやいや、TDMのレンタルバイクって、あり得ないでしょう。ま、農作業をしている人にはそんなことはわからなくて当然だ。
大まかに木の名所を見たので、そろそろ宿へ向かうとしよう。元来た道を戻り、美瑛橋を通って街の中心地で国道237号線に乗り、深山峠に向けてを上っていく。ちょっと森のなかを走って高度を上げていくと、美馬牛付近は視界が開けて大雪山の山、パッチワークの畑、道路沿いの花畑を一度に現れる。
さて、ここで景色に心を奪われるが、すぐに走行に集中し直さなければならない。というのも、クレッセは本当に峠から下り始めた所にあって、ともすると通り過ぎてしまうからだ。今まで数回ここに泊まったのだが、一発で到着したことは一度もないと補記しておこう。今日こそは見逃さないよ。
ジェットコースターの道を横目に慎重に車輪を進めていくと、峠の観覧車が見えてくる。そろそろかな、右コーナーの先に看板が見えた。おおっと、ここだぁ。ミラーで後方を確認し、後続車がいなかったのできつめに減速して敷地内に入る。
すると、ドッグランで犬のしつけをしていた奥さんが気がついて、こちらにやって来た。挨拶をして宿帳を記入しつつ話していると、今日は既に1人到着していて、当方以外にもう1人宿泊予定ということだった。もっとも、奥さん曰く「予約しても来ない人も結構いるからね」と、ちょっと迷惑そうな顔をしていた。
そんなやり取りをしていると、赤いVFR-Fが飛び込んでくる。え、と言うことは、やはりそうだ。鈴木食堂で一緒だったVFR氏だ。再会を喜びつつ話していると「管理人さんが推薦の宿だから、泊まってみようと思った」ということだった。って、俺にそんな影響されたら
「変態」
になっちゃうよと思うのだが、根が正直な方なのだろう。それはそうと、今日は全員で3名なので、1名につき宿泊棟を1棟割り当ててもよいということだった。まあ、いつもの管理人ならば喜んで1棟借りてしまうが、今日は相部屋でお願いした。変態を増やす気はないが、自ら望んで変態の行動を真似てくれる人ならば、話が合わないことはないからね。
この後、当方とVFR-F氏は真ん中の棟に荷物を入れる。当方はこれから飯の購入と風呂に入りにいくのだが、氏は既に両方済ませているということだった。そこで、早速出かけるのだが、今日の晩飯はマップルに掲載されている「駅前弁当」で調達し、風呂はその近くの「フラヌイ温泉」へ行く計画だ。
空荷のTDMで国道237号線を上富良野の街まで行き、線路沿いの道道で駅前までやって来る。時刻は既に19時を過ぎていたので閉店しているかと思ったが、明かりが灯っているので中へ入ってみる。すると、「19時で閉店したが、さがり弁当ならば作れるよ」と気前良く注文に応じてくれた。ご迷惑をおかけしました。
駅前弁当
15分程で弁当が完成し、530円というバーゲン価格の代金を支払って温泉へ向かう。少し行って道道291号線の踏切を渡り、富良野ラーメンを過ぎた所に温泉を見つけた。なんだ、何回も通ったことがある場所ではないか。
フラヌイ温泉
駐車場から建物に入ると、ちょっと古びた感は否めない。料金は600円だったが、いつも利用するラテール富良野はタオル付きで980円だ。これならば、フラヌイよりもずっと広いラテールの方が良かったかもしれない。そう思いながら洗い場で体を洗う。また中国人がいるようで、やかましい。さっきの台湾人の話ではないか、本当に観光客が多いようだ。
サイロ風の露天風呂に移り、ゆっくりと筋肉をほぐしていく。先客の2名は農家で友人同士らしく、今年の麦の刈り入れはいつにしようかと話し合っていた。因みに、門脇麦の「麦」は本名だという説が有力だ。
おっと、もう19時30分か。そろそろ上がって、宿に戻って食事にしよう。手早く体を拭いて、扇風機の風をあびて体を冷ます。こちらの脱衣所はエアコンが効いておらず(エアコンは無い?)、汗がなかなか引かない。ま、外に出れば涼しいだろうから、さっさと服を着てフラヌイ温泉を後にする。そして、水と明日の朝飯を購入するために、セイコマによっておく。
20時過ぎにクレッセに戻ると、同宿の2名はオーナーの母屋に行っているようだ。こちらのオーナーは商売ではなく、趣味でライダーハウスをやっているようだ。その目的には、旅人をもてなして、話をすることが好きなんだそうだ。
3頭の犬達に熱烈な歓迎を受けつつ、居間に案内してもらう。そう、オーナーは犬好きで、とても高そうなハスキー犬を飼っているのだ。犬が苦手な人は母屋には近づかない方がよかろう。因みに、当方はそれ程好きでもないが、嫌いってこともない。また、これら犬達は、ご主人の言うことはしっかりと聞いてくれるので安心だ。
風呂に行く前に仕入れた、「豚さがり肉弁当」を食べながら、オーナーは元々神奈川県の出身で、奥さんが地元の人・・・といった具合に自己紹介から会話が始まる。おいおい、犬が弁当にちょっかいを出してくるが、それは本気ではなく「構ってくれ」という合図のようだ。もちろん、ご主人の鶴の一声ですぐにおとなしくなった。
今日の晩飯
何回も記載しているように、当方は10回目の渡道なんだけど、それはクレッセに宿泊するライダーとしては珍しいことらしい。オーナーによると「最近はマップルも持ってこないで、何のプランも無く、本州と同じ格好をして渡道してくるライダーが多い」ということだった。また、そういう人達は決まって「北海道なんてつまらない」と言って、2度とは渡ってこないそうだ。
当方も基本はノープランだが、そういう問題ではないらしい。当方の場合は「いくつかのお気に入りポイントを繋ぐプランが無い」という「ノープラン」だが、前述の人達は「どこへ行くかも決めない、目的のないノープラン」らしいのだ。まあそりゃそうだ、だいたいマップルを持っていない時点で、情報収集ができていないということだ。仮に、情報を収集していたとしても、それを地図上で再現する、ひいては実際に北海道の上で軌跡を描くという方法を持ち合わせていないということだ。
スマホだって地図ぐらいあるし、店や場所は調べられるという反論はあろうが、そういう断片的な情報では上記のような行為を達成することは非常に難しい。このレポートを読まれている方々ならそんなことは言わなくても理解できると思うが、実際にはわかっていない人はかなり多いようだ。これは優劣ではなく、お互いに得意分野があり、電子データと紙媒体の良い所を活かせばよいだけのことなんだけどね。
ご主人も酒が入って饒舌になってきた。そして「毎年来る迷惑な客」について、ぼやき始める。その人は同業のライダーハウス間でも有名な人で、とにかく自慢話を延々と聞かせるということだ。いつぞやは、アルバムをたくさん持ってきて「昔はこうだった」という話を何回もしていたということだった。こういう人はどのライハでも嫌われているので、だんだん居場所が無くなってくるらしく、満員ということにして宿泊を断る所もあるそうだ。
それから、初めての渡道であるVFR-F氏が話題の中心となり、「初回はこれをやっておきたいね」という事項が話される。それは
・神の子池に行ったか
・北勝水産でホタテバーガーを食べたか
・ナイタイ高原に行ったか
・留萌の蛇の目寿司に行ったか
など、結構マニアックなものであった。
神の子池とホタテバーガーは難度が高いが、VFR氏はほぼクリアしていた。当方は・・・、蛇の目寿司は通過したことしかありません。ココカピウのうに丼は食べたことがあるので、それで勘弁して~。
あと、もう一人の宿泊者であるが「ライダーはみな兄弟」と思っているのはよいのだが、何か馴染めない人であった。こういう、自分のことしか話せない勘違いおじさんも相当数いるので、気をつけねばならない。もっとも、この方は飲み過ぎでさっさと寝てしまったので、申し訳ないがちょうど良かったと言えよう。
楽しい時間は早く過ぎるもので、いつの間にか24時30分になっていた。
本日の走行 300km
7日目(7月27日)へ続く