2016年 北海道ツーリング
~10回目記念~
鈴木食堂のご主人とTDM900
朝は4時過ぎに起床したが、とても朝日を見る気にはなれなかったので、そのまま6時頃まで2度寝する。起床後は外の様子を見がてらに、表で顔を洗う。天候は霧で、北方領土も霞んでいてあまり見えない。これでは、仮に日の出を見ようと思っても微妙なところだっただろう。部屋に戻り、昨日購入したカップのインスタントコーヒーをつくり、VFR800F氏と朝食にする。もちろん、当方はカロリーメイトを食べる。
霧に煙る納沙布岬灯台
この間、テレビのD放送で天気の概況や雨雲の様子などの情報を仕入れる。羅臼付近には小さい雨雲のエコーが出ていてちょっと気がかりだが、プラン通りに知床に行くことにする。また、VFR氏は昨日当方が来た道を逆に辿るようで、太平洋シーサードラインを走破する予定だ。
氏は若いので、手早く準備をして先に出発する。それを見送った後、当方も荷物を搭載して準備を進める。鈴木食堂のご主人と女将さんは、既に通常通りに仕事をしている。聞くところによると、12月以降は営業していないそうなので、その分を今のうちに稼いでおくということだそうだ。確かに、真冬に最東端に来る人は少ないだろう。
ご主人と女将さんに挨拶をして、9時前に出発する。昨日は根室半島を南回りで納沙布岬へ来たので、今日は北回り道道35号線で根室の街を目指す。天候は曇りで、気温は15℃程度だろうか。というわけで、今日もヒートテックとインナー装備での走行となる。
根室半島は木が生えておらず、草原が広がっている。また、そこには牧場がいくつかあり、牛や馬が放し飼いにされている。その光景を横目に、35ノットで快走を続けていく。天候は相変わらずの霧で、走行には支障は無いが景色は良くない。
何だかなぁという感じで根室の街に入り、明治公園で一休みする。ここはキャンプ場ではないが、実質キャンプ場という趣だ。昨年、鈴木食堂の女将さんが、到達できなかったチャリダーに「ここでキャンプできる」という情報を教えていた事を思い出す。また、ここにはサイロ風の建物があり、それも北海道らしい。
国道44号線に乗り、昨日とは逆の磁方位270°を維持して走行を続ける。根室のオートバックスは1994年にオイル交換をした場所であるが、今日と違って、あの時は晴れてきて暑かったなと思い出した
恩根沼の橋を渡り、春国岱の看板を見て走行を続ける。ここからの区間は速度取締が厳しいので、きっちりと35ノットを維持して進んでいく。また、それを裏付けるように、マップルのコメントにも「スピード注意」と記載があるので、しょっちゅう取り締まりが行われているものと推測される。余談だが、今は無き「0円マップ」にも同様の情報が記載されていたと補記しておこう。
2009年に挙げられた厚床の街へやってきたので、極端に速度を落として注意を払う。そんなことをしていたら疲れたので、セイコマに入り水分補給を行う。こうして走行している間に天気が若干回復してきて、時々陽が差して温かくなってきた。霧も晴れてきたし、天気としては曇りを維持している。この様子ならば景色も見られそうなので、この先は開陽台を目指すプランを入れておく。
街の中心地で国道243号線に乗り換えて、機首を360°に向けて出発する。厚床の街を出ると、風連川沿いに湿原が広がる風景となる。この辺りはほとんど人間の手が入っていない河川が多く、湿原がそのままの形で残っているようだ。また、関係ないが、口が曲がっているのはヒョットコで、プライヤーはヤットコだ。毎回なぜこのダジャレを記載するのかと言うと、中学の技術家庭の時間に金属加工と称して、亜鉛合金の鉄板を曲げてちり取りを製作したことがある。この際にプライヤー、つまり「ヤットコ」を使用するのだが、当方が「ヤットコ」のことを面白がって「ヒョットコ」と呼び続けた。その結果、期末のペーパーテストで、プライヤーの絵に対して「この道具の名前を書け」と言う問題で、クラスの一定人数の生徒が「ヒョットコ」と回答する事態に発展してしまったようだ。
学級の担任であり、技術の教科担任でもあったマキエイスケは指をさして笑っていたが、今の時代だったら当方のみならず親も一緒に、他生徒の親からクレームを言われることになろう。しかし、普通に考えれば、口が曲がっているのが「ヒョットコ」であり、プライヤーは「ヤットコ」である。中学生ならばそのくらいの思慮は持ち合わせているように思うが、それは当方の思い込みだろうか。
厚床に来ると必ずこのことを思い出すんだよなぁと自問自答しつつ、奥行臼で国道243号線を選んで、別海方面へ進む。この「別海」だが、読みは「べつかい」であり、今まで「べっかい」と読んでいました。10回目とか言ってますが、まだまだ知らないことがたくさんあるんですよ。
その別海だが、街中に大きなキャンプ場があり、温泉はコンビニも近くにあるのでとても人気があるようだ。いつになるかわからないが、一度泊まってみたいものだ。
こうして、別海からは道道8号線に乗り換えて、TDMの鼓動を感じながら原野を走行していく。途中で中春別の街が突然現れるが、その先は中標津までまた湿原が続く。そして、その中で道路工事が行われており、止められたついでに1枚写真を撮ってみた。
何の変哲もない湿原
こうして中標津の市街地に入り、国道272号線を横切ったら中標津空港を避けるように進み、道道69号線、150号線と繋いでいく。ところで、この空港は定期便が1日4本しかないようなので、どうせ飛行機は見られないだろうと思っていた。しかし、通り過ぎる時に駐機場を見ると、地元を拠点とする、FDAのオレンジ色の機体が誘導路を移動中だった。どうやらチャーター便のようで、これから離陸する模様だ。せっかくなので、休憩がてらに見ていくとしよう。
JA05FJ機
GE製のCF34型エンジンをギュイーンと回して、軽々と離陸、右旋回していくEMB-170を見送り、そのまま道道150号線をまっすぐ行く。
そして、5㎞程先の北19号線を左折すれば、開陽台の入口だ。昨年は霧のため何も見えなかったが、今年はなんとか景色が楽しめそうだ。入口からアップダウンのある細い道を行き、駐車場に到着した。ここまでの途中で気温が15℃と表示が出ており、相変わらず肌寒いのでトイレへ行く。尚、ここのトイレは、本当に「香和家」と書いてあるから傑作だね。
香和家にて
その後展望台に上ると、んー、ちょっと霞んでいるが、来てよかった。でも、これだったら多和平に行った方が良かったかも、とはあとの祭りで、今日は知床に行くのでこちらのルートを選んだのだ。
新展望台
写真ではうまく伝わらないし、霞んでいるのでそれ程でもないが、防風林と畑が地平線まで広がる光景を見ると、自分がいかに小さい存在かと認識させられる。あの向こうから何時間もかけてバイクの乗ってきてここにいるわけだが、化石燃料の力を借りてやっとここにいるということだ。
毎度ここへ来ると、自分の存在のちいささを感じる。そんな感じで、しばらく景色を楽しみつつ、10回の北海道ツーリングを振り返ってみる。最初の1994年はまだ大学3年生で、その前の年に自動2輪中型限定解除(4輪じゃあないよ)し、春にGPX750Rを購入した。そして、7月の授業が終わったので自走で大間まで来て、函館に渡ったっけ。もちろん、開陽台にも来ているが、霧どころか雨降りだった。また、裏にあるキャンプ場への入口へ入ろうと誘われたが、ドロドロのあの細い道を行く気にはなれなかった。
開陽台からの眺め
(霞んでいる)
それから14年経ち、ここからの景色を楽しむことができたのは、2008年のことだ。あの年は知床横断道路を始めとする、宿題をたくさんこなしたな。そこからは2012年を除いて、毎年渡道してきているのだから、自分でもよくやるよと呆れてしまう。逆に言えば、それだけ北海道でツーリングをするということが魅力的であるとも言えるのだ。
ところで、開陽台は「ライダーの聖地」と呼ばれている時代があった?のだが、当時の開陽台はなぜかここで停滞している人が大勢いた。その様子は難民キャンプさながらで、お世辞にも聖地などという綺麗な言葉で表されるものではなかったと記憶している。
展望台の階段を下りていくと、昔日の展望台の一部が写真と一緒に埋め込んである箇所がある。
壁に埋め込まれた旧展望台のプレート
今見ると随分小さく、簡素な展望台だったことがわかる。こんなんだったかなぁと横目に見ながら、1階の売店に入る。
1階ではちみつソフトを食べるが、ここはソフトクリームよりもはちみつが旨すぎて、なんとも複雑だ。また、店主も気前が良く「どんどんはちみつをかけても良いですよ」と言ってくれる。また、メッセージを一言書くことができるカードもあり、足跡を残しておく。尚、店主の話では、今年の7月はほとんど晴れなかったということだ。
はちみつソフトクリーム
(背景にはメッセージカードが貼られている)
TDMに火を入れて、展望台までの誘導路を下りていき、北19号線を左折して武佐地区を通る。そして、道道975号線へ乗り換えたら、このまっすぐな、終わりがあるのか疑問に感じる道を行く。周囲には広大ないも畑も見えて、ちょうど花が咲いていた。
もちろん、975号線には終わりがあって、それは国道244号線とぶつかっている場所だ。ここを右折して少し東へ行き、すぐに道道1145線に乗り換えてさらに北上していく。途中薫別川を渡る道が細くなるが、ここはこれで問題なし。国道335号線に乗り換えて、そのまま北上して知床へ向かう。天気は相変わらずの曇りで霞んでおり、いつもならくっきりと見える国後島もぼんやりとしか見えない。
また、羅臼町に入った辺りから急に気温が下がり、霧雨模様となってきた。そして、羅臼峠を越えた辺りからはそれが顕著になり、本当に7月かと思えるほどに寒く感じる。それもそのはずで、気温は12℃前後と地元ならば12月の気温だった。これはたまらないと羅臼の街で、ラーメンの看板を見つけたのでそこで昼飯とすることにした。
お食事の店 敦子にて
とにかく寒いので、温かいものをと塩ラーメンを注文する。こちらはもともとスナックを経営していたらしいのだが、食堂に商売替えをしたそうだ。なるほど、女将さんは話上手なわけだ。ひとりで納得していたら、ラーメンが運ばれてきた。味はどうだろうか、んー、材料を吟味しているようで、下手なラーメン屋よりも美味しいと思う。ベースとなるスープの味がやさしく、化学調味料のしつこさがない。表の看板、のぼりに偽りは無しというところだ。
塩ラーメン
昆布が付くのは羅臼流か
その話上手の女将さんによると、羅臼はここのところずっと天気が悪いが、昨日北見に出かけた際は気温が30℃ぐらいあったそうだ。この時は「ああそうなんだ」ぐらいに思って話を聞いていたが、この後ちょっとした事件が起きることになる。
空腹が満たされ、体も温まったので元気も出てきた。700円の代金を払って、鉛色の空の下に出る。相変わらず風があって霧雨が流されてくる。カッパを着ようか悩むが、まあ、それ程でもないか。エンジンを始動して、国道335号線へ出る。
今日はこれから道が無くなく相泊の集落へ行き、温泉に入ろうとプランを提出していた。しかし、この天気では楽しむことができないと判断し、そのまま知床峠を越えてウトロ側へ行くことにした。
道の駅の先で国道334号線に切り替えて、温泉の硫黄臭を感じながら少しづつ標高を上げていく。すると、熊の湯あたりでは路面が乾き始め、雨も上がった。代わりに霧が濃くなってきて、さらに気温も下がってくる。知床横断道路は視界が100mぐらいと見通しが悪く、慎重に車輪を回していく。
本来ならばこの道は低速コーナーが続く、なかなか楽しいワインディング路だ。しかし、これでは全く楽しむことができない。とにかく無事に知床峠まで上り切ることに専念して、25ノット程度を維持してコーナーをクリアしていく。
やれやれ、やっと道が平坦になって峠のP.A.が見えてきた。緊張したせいか、トイレに行きたいのでここで緊急ピットインを行う。霧が流れていく峠で軽量化をした後、早々に峠を下る。景色が見られないのは残念だが、天気が相手だから仕方がない。
濃霧の羅臼峠にて
そう思って国道334号線を1、2㎞下ると、急速に天気が回復して真夏の太陽が照りつけてきた。もちろん、空は快晴となり羅臼岳もくっきりとその姿を現した。おいおい、羅臼峠で天気が変わることはまあまああるが、これだけ劇的なことは初めてだ。一昨日の三国峠でもそうだったが、今年は北と南で天気がはっきりと分かれている。
ウトロ側がなぜか快晴
天気が回復したのは嬉しいが、今度はメチャクチャ暑いぞ。ひとまずは国道を下り、道道93号線へ右折する。ひゃあ~、知床連山と青空、こんなに綺麗に見えるのは滅多にないことだろう。ナイタイ高原が不発に終わり、開陽台もちょっと残念だったが、知床は大逆転でピーカンとなった。まあ、相泊温泉がボツになったけど、岩尾別温泉で敵をとればよいことだ。
道が平坦になったところで、道道93号線へ右折しする。そして、知床連山を見ながらウネウネ道を下っていくと、岩尾別温泉と書かれた木の看板が出ている。ここで道道を離れて、細い道を進んでいく。すると程なくして行き止まりになるので、道路脇にマシンを止めてタオルを持って歩道を歩いていく。森に入ってすぐに「三段の湯」と看板が出ていて、湯船と同時におっさんのケツが見えた。どうせならば若い女性を観たいが、そういう訳にはいかない。
ここは野趣あふれる温泉で、いかにも北海道らしい。これで混浴可ということなのだが、女の人が入りにくるのだろうか。
さらに奥へ行くと、滝見の湯が現れる。入浴を試みるが、雑誌の取材らしきことをしている人がみえた、たずねてみると「北海道ファンマガジン」という雑誌の編集者だった。すぐに写真を撮り終えるので、少し待ってくれということだった。
その後、湯が空いたので早速利用させてもらう。その際、図々しくもカメラのシャッターを押してもらったのだが、冗談で「雑誌に載せてもいいよ」と言ってみた。すると、じゃあ失礼しますと言って、取材用のカメラでバシバシと当方の入浴姿を撮影し始めた。まあ、ボツにはなるだろうが、取材だからできるだけたくさんのネタを集めるということだったのだろう。
岩尾別温泉 滝見の湯にて
温泉でくつろいだ後、ヒートテックは着用せず、ジャケットのインナーを外して走行を再開する。それにしても午前中の寒さは何だったんだろうか、と言うほどに暑い。オホーツク海の風を当たれば体も冷えるだろうと思っていたが、予想以上の暑さにバテ気味だ。そこで、道の駅 ウトロシリエトクに飛び込み、北海道限定十六茶を購入した。あと、ついでに、いつぞや落としてしまった道の駅ストラップ・・・、迷ったが購入してしまった。今携帯に取り付けてある「とうま」がダメになったら取り換えよう。
道の駅 うとろ・シリエトクにて
駐輪場でお茶を飲みつつ、今後のルートとランディング地点を検討する。時刻は15時30分前なので、網走周辺辺りまでは走れそうだ。今日は温泉も入ったし、天気も良くなって気分が明るくなったのでキャンプにしよう。さて、今まで泊まったことがないキャンプ場なら、有名どころの「呼人浦」がよさそうだ。プラン承認である。
ちょっと考え事をするだけでも暑い、そう思ってお茶を飲んでいると声をかけられた。この方はキャンピングカーにオフ車を積んでいるらしく、TRXも所有しているということで、思わず声をかけてしまったとのことだった。まあ、確かに、この系統のエンジンを搭載するバイクは希少だし、気持ちはよくわかるね。
少し話をして、15時30分頃に道の駅を出発する。止まっていると暑いのだが、走り出せば少し涼しい。流石はオホーツク海の風である。オシンコシンの滝を横目に、国道334号線を35ノットを維持していく。そして、北海道の道らしい、斜里の直線区間へ入っていく。もちろん、管理人はウナベツ温泉の所から国道を離れて、名もない展望台のそのまた手前から上記の直線区間を見下ろす。
しかし、どうも今年はタイミングが悪い。ここでもちょうど太陽が西に傾きつつあり、逆光線となってしまった。北海道には、特に道東には直線道路が地平線の先まで続くという光景はまあまあ見らるが、ここはその中でも見ごたえがある。それは、すり鉢状になった区間であり、その中でもアップダウンがあるからだろう。
斜里町の直線区間
写真を撮っていると何台か4輪車が通ったのだが、その中でも「あー、ここだぁー」と興奮気味に話す若い女性2人組が印象的だった。それはそうだ、こんなのはそうそう見られないだろうから。平静を装っている管理人だが、気持ちは彼女達と同じだったと補記しておこう。
止まっていると暑いので、そろそろ走り出すとしよう。惰力で12ノットになるまで加速し、2速にギアを入れてクラッチをゆっくりと繋ぐ。すると、一瞬タイヤのスリップ音が聞こえたと思ったら、エンジンが始動する。こいつを押しがけしようなんて、坂道でなければ絶対に無理だ。
わかりきったことを確認して坂道を下り、再び国道334号線に合流する。そして、斜里の市街地を25ノット維持で注意深く走り抜け、小清水町で斜網広域農道に乗り換える。この農道の両側は麦畑やいも畑が広がり、ひときわ牧歌的である。名所も良いが、こういう何でもない所がまた良い。北海道はバイクで走るだけでも価値がある、そんなことを感じる瞬間だ。ここで栽培されている作物は、秋には自分等の食卓に上るかもしれない作物なんだろうな、そう考えると今から楽しみである。
「感動の径」こと鱒浦農免農道との交差点で休息する。ここはちょっと丘になっていて、今走ってきた一本道が見える。さて、ここで「感動の径」に乗り換えようと思ったが、名前にごまかされたくないので、景色を眺めて写真を撮った後、再び斜網広域農道を走り始め、国道39号線を目指す。
知床半島を望む
(右端は斜網広域農道)
国道を右折して網走湖沿いを市街地方面へ向かい、呼人浦キャンプ場に到着した。時刻は18時前なのでちょっと遅くなったが、夕陽を見ながらテントを張る。おいおい、ペグが一本ないじゃあないか。失ったのは誰だよ、って俺しかいない。多分昨年、湧別にある五箇山キャンプ場で回収を忘れたのだろう。
それにしても西日が強くて暑いこと、何回も申し訳ないが、羅臼の寒さを思い出すとこれ程の天候激変は今までで初めてだ。だんだんと太陽が沈んでいくところを見つつ、特に何をするというわけでもなく時間を過ごす。こういう贅沢なことができるのは、北海道ツーリングならではのことだろう。
呼人浦キャンプ場にて
ガリレオが太陽の黒点を肉眼で観測し続けた結果、失明したことは周知の事実だが、ちょっと目が疲れてきたので夕飯の買い出しに出かける。今回は米を持ってきていないので、セイコマで何か買うことにしよう。ところで、セイコマには「HOT SHEFF」という店内の厨房で製造している弁当があるのだが、この中に「おかかベーコン」というおにぎりがあるそうだ。これは泰寺コントロールのR1-Z氏からの情報だが、それを一度食べてみたいと思う。しかし、これはとても人気があり、すぐに売り切れてしまうということなので、今回はどうだろうか。
国道39号線を網走湖沿いに走り、244号線にぶつかったら右折して市街地へ向かう。この通りには以前、カタナ先輩の土産を調達したことがある「朔峰の店」という民芸品の店がある。店主とそのお父さんで、小は500円のストラップから、大は何万円もする置物までを手作りしている。当方は500円のものを購入しただけだが、イニシャルや「網走」などの文字を彫ってくれるサービスの良さだ。上記の品をお土産にするなら、この店はおすすめである。
網走の駅前を通り、道道23号線で商店街の方へやってくる。そうだ、商店街と言えば、ステーキとうに・いくら丼の「ホワイトハウス」だが、今日は暑さで胃が重い。話のタネに行ってみたい店だが、やはりセイコマの弁当ぐらいがちょうどよかろう。
コスモのスタンドを少し行ったところにあるセイコマに入り、店内でHOT SHEFFのコーナーを見る。残念ながらおかかベーコンのおにぎりは売り切れてていて、今回はさんまのかば焼き重とふきの煮物等を購入した。ついでに水分と、明日の朝飯も購入しておく。カロリーメイトは飽きたので、似たような商品の玄米ブランにしておく。
買い物を済ませて、元来た道を戻っていく。また、途中で燃料も搭載しておく。網走にはホクレンが少ないようなので、シェルのスタンドに飛び込む。350㎞の走行で12.7Lの給油だったので、27.5㎞/Lを記録する。これぞ北海道燃費という数値だ。また、このシェルの店員は「もう終わっていると思うが、警察の取り締まりがあるよ」と教えてくれた。このスタンドは以前も利用したことがあるが、同じような情報をくれたと記憶している。
夕陽が沈んだばかりで、その色を濃く残している。キャンプ場に戻り、その様子を眺めながら夕食を食べる。お、うなぎは高くてなかなか食べられないが、このさんま重も十分においしい。もっとも、そのさんまも大きく漁獲量を落としているので、今後も安く食べられるかどうかは定かではない。最東端の鈴木食堂の話では「さんまが根室に来る前に中国なんかが乱獲をしているのだろう」ということだった。
今夜の晩飯
今日は暑い日だったと思うが、知床峠を越えるまでは寒い日だった。まさに、夏と冬が同居する北海道を体感したと言おうか。2008年は雨の後に急に気温が下がって驚いたが、1日でこれだけの気温差があったのは初めてだ。
テントに入り、思い出に残る日だったなぁと感慨にふけりながらお茶を飲み、メモをつける。そして、明日以降の天気を確認して、飛行計画を策定する。明日は雨は降らないが、明後日は天気が崩れるようだ。また、明日はオホーツク海側で北の方が天気が良いみたいだ。
今までライハばかりだったので、こうして独りきりで過ごす時間はまた格別である。いや、ライハはそれで良い所があるが、テントもまた捨てがたい。そんなことを再認識して、22時頃に就寝となった。
本日の走行 335km
6日目(7月26日)へ続く