2016年 北海道ツーリング
~10回目記念~
琵琶瀬展望台からの眺め
7時頃に起床し、静かに荷物を整理して出発の用意を整える。他の宿泊者は、かみ合わない会話を何時まで続けていたのだろうか。そんなことを思いつつ外へ出てみると、今日も天気は曇りで気温は低めだ。そこで、ヒートテックとジャケットのインナーを装着することにする。7月にヒートテックを着ているとはなんとも北海道らしいが、東へ行けば天気が回復するようなので、その辺りは明るいニュースである。
荷物を1階に下していたらNCのライダーが起きていて、端末で色々と調べていた。やはり、マップルは持参していないようだった。挨拶をして、引き続き荷物を運び出す。そして、マシンに搭載していると、犬の散歩をしていた近所のおじさんが話しかけてきた。最初は見回りに来たのかと思っていたが、そういう雰囲気ではなく友好的と行くか、話好きの方のようだった。
大正カニの家
このおじさんは生粋の地元民で、鉄道が走っていた時のことを話してくれた。その中で「鉄道は時計みたいなものだった」という表現が印象的だった。つまり、鉄道が動く時間になるとそれに関わる人達も動きだし、時々に到着する列車が時を知らせる合図のようだったということだ。なるほど、彼はそういう時代を懐かしんで、駅の跡地に建つカニの家周辺を散歩しているのだろう。
そういうことで、出発前に大正駅のホームが残っている跡地を見ていく。もちろん、今は線路も撤去されているし、駅前に伸びる道道も「停車場線」という名前が残っているだけで、商店などは1軒もない。ただ、ホームに立って伸びる線路、そこをやってくるマッチ箱車両、通勤や通学で利用する人、そんな活気ある情景が昭和末期まで見られていたということは想像できた。
旧国鉄 大正駅
8時頃にカニの家を出発し、広大な畑の中を通る国道236号線の旧道を南下していく。今日も天気がイマイチで、昨日の三国峠が嘘のようだ。これについては、昨日天気図を見て気圧配置を確認したところ、今週はオホーツク海高気圧がかなり明瞭に表れていて、太平洋からの暖気とオホーツク海からの冷気が峠を挟んでぶつかり合っている。そのため、北海道の北と南では天候が大きく異なるのだろう。しかし、天気予報では根室は天気が良くなるようなことを発表していたので、今日は東方面を目指すこととした。
走り出してすぐに、TDMの積算計が「111111」を示した。購入から13年と9か月での達成だ。
ゾロ目達成の図
記念撮影をして、忠類地区から道道319号線に乗り換えて、生花地区まで行く。ここは昨日晩成温泉に行こうと思って失敗した道だが、気にすることはなかろう。そして、国道336号線と繋いで、太平洋に沿って進んでいく。この辺りは牧場が多くあり、牧草ロールもお目見えする。
シマウマロール
北海道だなあと思い写真を撮って、さらに車輪を37ノットで回していくと、今度は畑に数羽のタンチョウを発見した。周りの安全を確認してマシンを止めて、しばらく観察する。おや、普通はつがいと雛1羽の合計3羽ということが多いのだが、なぜか5羽の集団だ。脅かさないようにと思い、カメラを向けると、警戒してどんどんと逃げて行ってしまう。そこで、写真撮影はそこそこにして、肉眼で見て楽しむこととした。それにしても大きな鳥で、先日兵庫県で見たコウノトリと同じぐらいだ。
タンチョウの集団
どちらも似たような境遇の鳥だったが、最近はタンチョウの生息数も順調に増えており、保護活動も一旦終了ということになったようだ。一方、コウノトリはまだまだ生息数を増やすには課題も多く残っているらしく、息の長い活動が必要ということだった。
走行を再開し、タンチョウな国道を進んでいく。そしてやけに長い橋を渡るのだが、これは十勝川に架かる橋である。これを渡ればいよいよ道東に突入であり、期待が高まるのだが、相変わらずの天気だ。それどころか霧雨も降ってきてしまい、ちょっと気分が落ちてくる。
川を渡ってすぐ336号線は旧道と新道に分かれるが、この先で補給をしたいので旧道を選択した。そして、共栄地区で国道38号線にぶつかり、ここを右折して浦幌の街へ入ってくる。気温が低いし、少々眠い。こう行くときは危険なので、休息が必要だ。
さて、この浦幌のセイコマだが、実は何回も立ち寄っていて縁がある店だ。ここで、ホットコーヒーを飲んで一息入れる。さて、この先をどうするかな。マップルを見て検討するのだが、やはり東の方が天気が良いと思われるので、このまま東進することに決めた。
TDMのエンジンを始動して、浦幌の街からひっそりと別れている、街と道道1038号線を結ぶ「舗装路」と書かれた道を使う。おっと、なかなか急こう配で、うねっているではないか。舗装路という確証があったので何も考えずに進入できたが、これがダートだと思ったら少し背筋が寒くなった。
こうして、道道1083号線に乗り換えて、霧止峠を過ぎて海岸べりの直線路となる。ここも何回か通っているが、マップルのコメント通り「海沿いギリギリを走る」道だ。2010年に公開された映画である、新垣結衣主演の「ハナミズキ」では、自転車で通学途中に友達と出会う場面でこの場所が映っている。
海沿いの道
そして、厚内の駅前の交差点を右折して、さらに道道を進んでいけば、直別駅の手前で再び国道38号線と合流する。ここには「ミッキーハウス」というライダーハウスがあり、その屋根に屋号が書いてあった。しかし、今日は赤く塗りつぶされていたので、もう辞めてしまったのだろうかと推測する。ただ、入口に暖簾がかかっていたので、ドライブイン食堂としては営業は継続しているようであった。ここは2009年に泊まったことがあるのだが、ジンギスカンがおいしかったと補記しておこう。
磁方位は090を維持して国道を行くと、尺別地区にやって来る。ここも少し寄り道をしていくか、ということで前述の映画のセットが残されている街の外れに向かう。実は管理人は、ガッキーが結構好きなんですよ。
以前、2013年にも訪れたことがあるのだが、傷んだりした様子は全く無い。ここは個人所有の建物なので、そちらの方がしっかりと手入れをしているのだろう。玄関にある来訪者ノートに記入し、居間がある南側に回る。因みに、ここは所有者にあらかじめ頼んでおけば、家の中を見ることも可能だそうだ。
窓から中を見てみるときっちりと整理整頓されており、撮影時のままであることがわかる。また、庭であるが、ハナミズキの木は北海道では枯れてしまうということで、撮影後すぐに撤去されたということだった。その木があったと思われる場所で、波の音を聞きながら休息する。
主人公の家
セットの見学を終えたら再び国道38号線に戻り、機首を東へ向けて走行を続ける。映画がらみのスポットをもう1ケ所訪れることにしており、音別川の河口手前にある墓地へ向かう。墓になにかがあるのかと言うと、上記映画中に湿原を走る列車の映像があり、それは、この墓地の億から撮影されたものだと判明したからだ。
昼間とはいえ、墓地を通るのは何となく気が引ける。しかし、件の湿原を見渡せられる場所に来ると、既にカメラを構えた人が見えた。「撮り鉄さんですか」とたずねたら「そうですよ」ということだった。また、次に来る列車は貨物列車で、あと5分ぐらいで現れるということも教えて下さった。
果たして、その通りに長い貨物列車が西から東へ走り去り、写真も撮ることができた。撮り鉄さんのおかげで、助かりました。ありがとうございます。
湿原を走る貨物列車
再び38号線に戻り、釧路方面を目指して走行を続ける。途中に湿原の中を通るが、ここはパシクル沼と呼ばれていて、音別八景の一つに数えられている。さて、さらに進んでいくと白糠の街を通過する。そして、海岸沿いを庶路辺りまで行くと、長い直線道路が見えてきた。やったー、とか言ってアクセルを開けているようでは、まだまだである。こういう所ではたいてい取り締まりをしているものだし、そうでないとしても安易に速度を上げてはならない。
道の駅 白糠恋問のイカリを横目に見て、直線を大楽毛(おたのしけ)まで走たら、38号線のバイパス路で釧路の市街地を目指す。そろそろ昼飯にしたいのだが、釧路なら何か店があるだろうという判断だ。因みに、和商市場へは行きません。
鳥取地区から再び国道38号線の旧道にもどり、釧路大橋の手前で道道53号線に乗り、釧路駅を回り込むように走行する。さて、店をまだ決めていないので、釧路駅の隅にマシンを止めて、マップルを見て検討する。スパカツなんて名物もあるが、ここは魚を食べたい。そうなると、フィッシャーマンズワーフMOOの中にある店かな。実はまだ行ったことがないので、良いかな。ここなら幣舞橋のすぐ横だし、わかりやすいからね。
そんな感じでMOOにやってきたのだが、駐輪場がない。まあ、敷地内の自転車が置いてあるところなら問題ないか、ということで適当に場所が空いているところにTDMを置いて、建物の2階にある「港の屋台」へ向かう。ここは様々な種類の店が入っているので一瞬迷ってしまうが、今日は魚を食べたいので「ブぅ~」に入店した。それにしても、この屋号は傑作だ。
フィッシャーマンズワーフ MOOにて
カウンター席に座り、いろいろ食べたいがと注文を模索する。すると「ブぅ~スペシャルがお得ですよ」ということだったので、それを注文した。大将の仕事を見ていると、随分と色々な魚を切っているので、自分の注文品ではないだろうと思っていた。しかし、それが当方が注文した「ブぅ~スペシャル」だった。
ブぅ~スペシャル
こいつはすごいぞ、イカ、ホタテ、今が旬のイワシ、ソイ、マグロ、カニ、ウニ、甘海老、卵まで乗せられている。これで1,850円とは、確かにお得だ。早速いただいてみると、もちろんおいしい。旬のイワシなんか脂が乗っていて新鮮、最高じゃあないか。ウニもミョウバン処理されてはいないので、形は悪いが臭みも無くトロッと口の中でとろけていく。ソイも白身だか、とても味の濃い魚だ。マグロも中トロなんじゃあなかろうか。あ、そういえば、昨日「セバ」でもソイをご馳走になったっけ。今年はツイテいるな。
あっという間に完食してしまい、「ブぅ~」ではなく「フゥ~満足」と言ったところだろう。
旨かったとお礼を述べて、店を出る。さて、この先をどうするかだが、東へ来るにしたがって天気が少しずつ良くなっているので、このままheading090を維持することにする。そこで国道44号線に乗り、釧路空域を離脱する。あとはこのまま・・・と思ったが、せっかく天気も良くなりつつあるので、武佐地区から道道113号線、142号線と繋いで北太平洋シーサイドラインへ乗り換える。
シーサイドとは名が付いているが、キトウシ辺りまでは原野的な森の中を走行する。そして、ローソク岩を過ぎた辺りからは本格的なシーサイドとなり、また絶対に読めない地名が次々と現れる区間となる。初無敵(そんてき)、入境学(にこまない)、分遺瀬(わかちゃらせ)、老者舞(おしゃまっぷ)、去来牛(さるきうし)、知方学(ちぽまない)、尻羽岬(しれぱみさき)なんて、絶対に読めないでしょ。尚、この件はマップルにも「難読地名がずらり!」とコメントが出ているので、興味がある方は調べてみてはいかがだろうか。
老者舞の先で尻羽岬への分岐点を左折して、尾幌へ向かう。その後、市街地で再び国道44号線に乗り、取り締まりに遭遇してもよいように30ノット程度を維持しながら、厚岸へ車輪を進めていく。さて、その厚岸からは、再び北太平洋シーサイドラインへ乗り換えるために、赤い海上橋を渡って道道123号線を利用する。先ほどの道道142号線もシーサードだったが、こちらは本当にシーサイドで、80%がシーサイドである。また、断崖の近くを道が通っているので見晴しが良く、おかしな形の岩が点在している。
シーサイドラインの道道123号線
天候もかなり回復して、陽が差すまでになってきた。気持ちの良い海風を感じつつ、シーサイドラインを快走していく。さて、その途中で「涙岩」という奇岩があるのだが、こちらは22年前に訪れたきりだ。今年は休息がてらに寄っていくことにした。
ところで、この手の岩は普通は駐車場から歩いて10分程度の場所にある。ここも例外ではないのだが、その駐車場には何故かアニメ「ルパン三世」のキャラが描かれた、涙岩の説明看板が立っている。それもそのはず、ここ厚岸郡浜中町は原作者である「モンキーパンチ」の出身地なのだよ、ヤマトの諸君。
ルパン三世の看板
駐車場にTDMを止めて、かわいらしい草花が咲いた小路を海に向かって歩いていく。途中で涙岩と立岩への分かれ道がある。立岩は遠くからでも良く見えるので、涙岩への道を選び、さらに数百メートル歩いていく。すると女性の横顔の形をした岩が見えてきた。先ほどのルパン三世の説明看板によると、厚岸の漁師と霧多布の娘が恋に落ちたが、漁師が嵐で亡くなってしまう。それを嘆いた娘はこの地で漁師のことを思い、涙したというものだ。また、立岩はその声に呼応して、漁師が岸へ上がろうとしている姿に見立てたということだった。
涙岩
いつの時代も意図することなく、男と女は好き合い、またすれ違うものなのだろう。それ故に「100年続きますように」というハナミズキの歌詞が心に響く、それができないかもしれないから、尚強くそれを願うのではないだろうか。さらに追補だが、この辺りは波風共に激しい時があり、そんな夜には乙女が漁師を偲んで泣いているように聞こえるそうだ。
立岩
柄にもなく感傷的になった後、元来た小路を戻っていく。よくよく考えると、ここに来たのは1994年の渡道以来、22年振りだ。この区間は何回も通っているので、素通りしていたということだ。当方も走って走っての旅ではなく、こういうマイナースポットに魅力を感じる年齢になったということだろう。
走行を再開して、さらにシーサイドラインを東へ進んでいく。右へ左へコーナーを駆け抜けていくと、霧多布湿原が見える「琵琶瀬展望台」に到着だ。ここも大好きなスポットなので、マシンを止めて立ち寄る。駐車場には敦賀で同じフェリーで見かけた、インテグラが止まっていた。
展望台へ上ると、すっかりと天気が回復して青い空、緑の湿原、透明な水色、それぞれの色をひときわくっきりと楽しむことができる。残念な事は、この真ん中には街があって、少々景観を損なっているということだ。冒頭の写真は、この時撮影したものである。
景色を楽しんでいると、ルパン三世のラッピングを施したタクシーがやってきた。また、その運転手は次元よろしく、中折れ帽子とグレーのスーツを着用している。最近はあるものは利用し、観光業を促進しようということなのだろう。面白い試みである。
この後は琵琶瀬展望台からも見ることができた、霧多布岬へ向かう。引き続き道道123号線を琵琶瀬湾沿いに進んで、道道1039号線で霧多布の市街地へ入る。その後、看板に従って丘を上れば、草原の向こうに灯台が見える。おっと、その草原には人懐っこい馬がいるので、ちょっと寄っていくことにしよう。
ここの馬が人間に寄ってくることがわかったのは偶然の事で、2014年に同じく霧多布岬にを訪れた際に発覚部屋のことだ。マシンを止めて、馬に挨拶しながら近づいていく。すると馬も寄ってきて、顔を寄せてくる。おお、そうかそうかと軽く撫でてやると、喜んでさらに顔を寄せてくる。馬に許可をとって写真を撮り、また来る旨を伝えてその場を去る。馬は「もう帰るのかよ」というような表情をしているが、霧多布岬に行きたいのでTDMに火を入れて走り出す。
霧多布の馬さん達
ここから霧多布岬まではすぐの距離である。写真を見てお分かりの通り、天気もすっかりと回復して青空が見える。この具合ならば、隣の霧多布キャンプ場でテントを張っても良いかと思うが、時刻は16時過ぎだ。ちょっと早いので、今日は納沙布岬をランディング地点としよう。となると、宿泊は「鈴木食堂」以外に選択肢はない。そんなことを考えながら、霧多布岬の荒涼とした、かつもの悲しい雰囲気を楽しむ。この辺りまで来ると、いよいよ東の果てという雰囲気が強くなってくるんだよねぇ。
岬の歩道を一番遠くまで行ってみることにした。これも22年振り、いや初めてかもしれない。昔の記憶をたどりながら歩いていくと、歩道の一番先には松浦武四郎の歌碑が立っており、その上にはウミネコが鎮座している。
これは面白いとソロリソロリと近づいてみると、あっさり逃げられた。やはり野生の鳥は、飼われている馬のようにはいかないようだ。歌碑の所から岩礁を見ると、ウミネコのコロニーが見え、かなり多くの個体が生息していることが確認された。また、その向こうにはこれから向かう、根室半島へと続く陸が連なって見えた。
ウミネコと松浦の歌碑
結構な勾配を上って、いつもの「きりたっぷ岬」と書かれた碑からも景色を見る。この先も天気は良く、雨に降られる心配はなさそうだ。安心して、灯台を横に見て駐車場へ戻る。少し離れた所から振り返ってみると、花が咲いた崖の先に灯台が見える。ちょっと絵になるな、と思って写真を撮る。しかし、看板に掲載されている、プロが撮影したと思われるものには全くかなわない。
霧多布灯台
プロが撮影した看板の写真
(映画のロケ地の紹介用に立てられたようだ)
駐車場にもどり、鈴木食堂へ宿泊予約の電話入れておく。もちろんO.K.だったので、これで宿なしになる心配からは解放された。
地図を確認して、この先残りの距離が約80㎞だと判明した。法定速度ならば、90分程度あれば余裕で到着できる距離だ。また、今日は宿が決まっているのだが、駐車場横にある霧多布キャンプ場は良い雰囲気だ。明日が快晴だとわかっているならばここでキャンプしたいが、残念ながら朝夕は霧が出ることがわかっていたので、予定通り鈴木食堂を目指すこととした。
道道1039号線で、先ほどの馬さん達に手を挙げつつ走り抜けていく。そして再び、道道142号線のシーサイドラインに乗ってさらに東を目指す。ここからしばらくの区間は海沿いの道なので、ちょっと冷たい海風を受けての走行となる。しかし、昨日の午後同様に、ヒートテックのインナーと、ジャケットのインナーを装着しているので、寒さは問題にはならない。
快適な走行で海沿いを離れると、初田牛付近からは原生林の中を通る道となる。時刻が17時になろうとしているので、鹿の飛び出しに注意せねばならないだろう。以前、夕暮れ時は鹿の活動時間と知らされ、4輪でも鹿にぶつかると一発廃車どころか命を落とす人もいると聞いたことがある。命を落とすことは願ったりかなったりだが、ツーリングの途中ではあまりにも間抜けである。そこで、細心の注意を払いつつ、35ノットを維持して別当賀を通過していく。
一旦落石付近では街になるが、酒盛り、いや昆布盛辺りからは再び原生林の区間が現れる。もちろん、頭の中に「CAUTION! DEER」と鹿警報を鳴らして車輪を進めていく。そう思っていたら、道路脇に黄色い物体を発見した。一瞬びっくりしたが、それはきつねであり、鳥か何かをくわえている。つまり、エサをもらわなくとも生きている、純粋な野生の個体ということだろう。
野生のきつね
何とか無事に花咲を過ぎて、根室の街に入る。ここで明日の走行備え、燃料を搭載しておくことにした。いつもの根室にあるホクレンを利用し、15.4Lを搭載する。また、前回の給油からの走行距離は412㎞であり、燃費は26.7㎞/Lとなった。毎度ながら思うが、TDMの燃費性能は素晴らしく、北海道では平気で25㎞/L以上を記録する。機齢が13年、累積走行距離は11万㎞以上であるが、エンジン的には問題は無いようだ。
この後、インディアンサマーカンパニーの近くにあるセイコマに寄り、明日の朝飯と今日の夜食を購入して納沙布岬を目指す。時刻は17時40分で、予定通り18時頃には鈴木食堂に到着できそうだ。もちろん、今日の晩飯はさんま丼と花咲ガニの鉄砲汁のセットを注文してある。残念ながら、今年はまださんまは水揚げがないので冷凍だということだが、冷凍モノだからといって侮れない。と言うのも、近年の冷凍技術は進歩していて、-200℃近い液体窒素で瞬時に凍らせており、鮮度はかなり良いレベルを保っている。また、解凍と同時に漬けにするので、味がしみ込みやすくなるという、副次的作用もあるそうだ。
夕暮れの歯舞地区を過ぎ、風車がある直線道路を行くと、遠くに笹川の塔が見えてくる。あ、もうあと10㎞ぐらいかな、楽しみだと思ってアクセルを開けていく。こうして、北海道最東端の地である、納沙布岬に到着する。
北方領土を眺めながら記念撮影を行う。毎度ながら思うが、本当に近くの島々がロシアに実効支配されているようだ。もっとも、戦前からこの辺りの領土は揉めているので、本当は日本のものなのか、ロシアに分があるのか、当方は判断できない。
納沙布岬灯台と水晶島、勇留島、貝殻島、秋勇留島
18時過ぎに鈴木食堂に入ると、おかみさんが「ああ、名古屋の管理人さんってあなただったね」と当方のことを覚えていてくれた。そりゃそうか、今年を含めて4年連続なのだから、覚えられててしまうよね。ま、それ程に、さんま丼が旨いということさ、ヤマトの諸君。
早速ライハの荷物置き場に荷物を入れるが、この際同宿のVFR800F氏と挨拶をする。彼は何か調べものに没頭していたので、邪魔をしないようにさっさと飯を食べに店の方へ行く。
この時間でも客が来ていることは珍しくないが、今日は同じ地方からの家族連れが来ていた。当方が子供にわりあいと受けが良いことは度々記載しているが、今日も当方から「遊んで欲しいな」というオーラを出してみたら、警戒しつつもそれなりに付き合ってくれた。まあ、子供に受けが良いというか、当方が同じ目線で接したいという気持ちを、子ども側が素直に汲んでくれるということなんだろうと思われる。子供は警戒はするが、穿って人を見ることはない。
さんま丼と花咲ガニの鉄砲汁を味わい、最東端を実感する。毎度ながらこのおいしさには感心してしまう。冷凍モノだというが、言わなかったらわからないんじゃあないのかな。もちろん、生のものを食べたこともあり、その差が無いとは言わない。しかし、その差はかなり小さいということだ。
さんま丼セット
カニをほじくりつつ、子供の話に混ぜてもらう。女の子だけど子供なら年齢を聞いても怒られないし、男の子がやらないような遊びについて教えてもらう。どうやら、スマホのアプリを使って着せ替えをしているようで、鈴木食堂のご主人がその題材になっているようだ。当方も見せてもらうが、頭髪の部分にマゲやら茶髪やら、様々なものを当ててキャッキャとはしゃいでいた。
子供に遊んでもらったので、家族連れが宿に帰る際は外に出て見送った。奥さんが恐縮していたが、そんな必要はなかろう。
当方も宿へ戻り、明日のルートの検討や荷物の整理をする。そろそろ洗濯をしたいところだが、なかなかその機会に恵まれない。まあ、寒い日が続いているので、下着の交換も1日おきでよかろう。また、帰った後にレポートのネタを思い出すために、メモもつけておかないといけない。
独りで今流に言う「ルーティーン」をこなしていると、VFR氏が「お聞きしてもよろしいか」と質問をされてきた。今日はどこを走ってきたか、北海道で是非行った方がよいところはどこか、など最初は通常よくある話題だった。しかし、「ライダーハウスとはこういうものか」という、ちょっと系統が違う話になる。聞くと、彼は今回が初の渡道で、当方と同じ日に舞鶴~小樽航路で北海道入りをしたそうだ。また、ライハも今日が初めてということだった。
今までの「10回の北海道」で得た経験と知識を最大限に動員して、ちょっとドキドキしながら回答をまとめる。94年から16年の昨日まで利用したライハを思い出してみると、鈴木食堂のライハは「標準+」ではないかと思う。なぜなら、建物の他にふとんも貸してくれるからだ。事実、昨日のカニの家は寝袋持参が条件だし、そういう所の方が多い。小樽の「渡り鳥」やピップの「ぶんぶん」、初日の樽前荘も同類だ。また、「おすすめのライハ」について聞かれたので、富良野の「クレッセ」を推薦しておいた。ここは3名1棟のログハウスだし、とても快適だからだ。
そんな話題を中心に、当方のクダラナイ体験談、ツーリング論にも快く付き合ってくれた。また、彼はナビなどの電子機器は信用しておらず、マップルを最高に愛してツーリングをしていると言う。当方はそんな所が共感できたので、とても楽しい夜を過ごすことができた。この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。ありがとう。
あと、ここは本土の最東端なので、民間人として一番早い時刻の日の出を見ることができる場所だが、鈴木食堂のご主人は「今だと4時前だよ」ということだったので、さすがにこれは無理だな、と諦めて22時30分に就寝となった。
本日の走行 385km