久々にツーリング

 

2017年7月16日

 

長野県飯田市の廃校跡

木沢小学校

 

 

0.管理人近況

 

ツーレポを書くのはほぼ1年振りだ。この間無職であったので、なかなかそういう気にはなれなかった。しかし、ポルトガル、セネガルと海外へ2回渡り、先月からは近所に職を見つけることができたので、ここに復活の狼煙をあげることができた。これは多大なる周囲の助けがあり、何とか就職活動も気合を入れて推進することができたからだ。人間はともすると「自分一人だけで」と他の人の助けを忘れてしまうことがある。しかし、それは現代の社会いにおいてはとてもナンセンスと言えよう。もちろん、自分の意思があるからこそ、そういう助けが効力を発揮するのだが、自分だけの力では限界は低い。

 

失業生活では、そんなことを学んだのだ。

 

1.集合

 

さて、今日のメンバーはWRT連合の査察官、W氏である。管理人の中学からの友人であるW3のZX14氏は、多忙のため車検が切れているので欠席だ。残念だが秋には復活予定なので、それに期待しよう。

 

集合は西中金のセブンに8時となったが、W氏が急用のため1時間程度の遅れとなった。マシンのトラブルかなと予測していたが、氏の父上が「村の集まり」があるので行ってくれ、と急きょ頼まれたということだ。「父も70歳代後半になったので、これからはそういう用事も増えるかな」とはW氏の言だ。

 

それはそうと、いきなり驚いた。今日はモンスターで登場すると思い込んでいたWは、なんと「SR400」でやって来たのだ。しかも、ピカピカの新車である。「ええ? いつ買ったの??」とたずねると「昨年の今頃」ということだった。もちろん、T-MAXはその時に下取り車としたそうだが、なぜSRなんだろう。これは以前の「W650」と同じで、こういうのんびりしたバイクで、のんびりと走りたいということだ。

 

SRで久々登場のW氏

 

2.出発

梅雨明けこそ未発表であるが、ここ数日はかなり暑い日が続いている。そこで、今日は避暑目的で「しらびそ高原」を目指すこととなる。まずは国道153号線を、W氏のSRに続いて走行を開始する。さて、ご存知のようにSRは40年近く前にヤマハから発売され、一度カタログ落ちしたものの、燃料噴射装置を搭載して再び発売された「超」がつくロングセラー機である。SOHC2バルブの単気筒エンジンを搭載する、最新式のハイテクマシンとは真逆の位置にある機種だ。しかし、歯切れの良い排気音、スムースなコーナリング、味のある外観、機能としては現代のバイクと全くそん色ない。

 

稲武を過ぎて、長野県の根羽村に入る。ここへ来るのも久しぶりなので、ちょっとワクワクしてくる。さらに、空気も涼しくなり、高度を稼いでいることを実感する。そして、ここで国道を離れ、県道46号線へルート変更だ。この道は片側1車線であるが、田んぼの中を通る広めの道だ。さらに、適度にウネウネしているので、技量維持には好都合である。

 

それにしても、W氏の腕は一級品だ。TDMとSRは排気量が2倍以上違い、馬力やトルクも3から4倍の差がある。しかし、先導の氏はペースを上げていき、ちょっと気合を入れないとついていけない。ここで自白しておくが、いくらW氏が操縦しているとはいえ、SRだったら楽勝だと思っていた。ところが、それは全くの思い上がりであった。

 

茶臼山のふもとまでは上り勾配だったが、今度は売木村へ向けて下り勾配になる。すると、軽量なSRはさらに戦闘力を上げてくる。つまり、コーナーでは減速の必要がないので、思い切ってバンクさせて速度を維持、パワーは少ないが大きくスロットルを開けているので、加速は鋭い。一方、TDMの当方はしっかり減速してコーナーを曲がり、思い切って加速をするという、大型バイクの論理で対抗しようと思っていたが、下りではそれほど加速することができない。

 

まあまあ本気で売木村まで下り、そこからは国道418号線で東へ進んで、道の駅「信州新野千石平」を目指す。因みに、先月就職した仕事場の前任者は新野という人だったと補記しておこう。尚、その売木村からは近年、国道がかなり改良されている。面白みは無くなったが、快適にトンネルを抜けて上記道の駅に到着した。

 

3.信州新野千石平

気温も幾分下がり、愛知の強烈な暑さからは解放された。しかし、梅雨明け間近のこの時期は、やはり暑い。日陰に入ろうと、土産物を売るスペースへ移動する。「焼き栗どうぞ」と、いつものおばちゃんから試供品をもらう。この道の駅ではお馴染みの光景だ。ここの栗は確かにおいしいのだが、結構なお値段だ。ただ、閉店間際になると値引きがあるので、偶然にもその時に立ち寄った場合は購入しても良かろう。

 

椅子に座って、先ほどのW氏の走りについて語る。やはり査察官は何に乗っても速いと言うと、若干の照れを感じつつも喜んでおられた。そりゃそうさ、飛行経歴が10,000時間を超えているのだから。因みに、当方の経歴は現在8,000時間程度に到達した。

 

また、現在当ページに掲載する原稿を準備中の「セネガル旅行記」について、一部を話す。当方は喜んでいろいろ話すのだが、この手の話は自己満足的なものになってしまうので、聞く方は退屈だろう。それでも黙って聞いてくれるW氏には感謝だ。

 

駐輪場へ戻り、ホンダの古いオフ車である「DEGREE」を見つけた。この当時のホンダ車は「回り過ぎ」で壊れることがあるとは、昔から言われている。つまり、エンジン部品の工作・組立精度が高いので、気持ち良く回っていく。それでついついアクセルを開けてしまう、というわけだ。そういえば、高校の同級生の先輩にちょっと面白い人がいて、VTZ250を回しすぎて壊してしまったそうだ。曰く「打てば響くからついつい回してしまった」ということだ。

 

久々にTDMの前でポーズをとる管理人

 

4.さらに奥へ

さて、この先であるが、パレ平岡ダム方面は通行止めになっているので、そのまま国道418を走り切って行くことになった。久々にこちら方面へ来たので、細く砂の浮いたワインディング路に少々てこずる。特に、右コーナーで不要なところに力が入っているようで、倒しこみのきっかけがつかめない。それとは反し、W氏のSRは快調に車輪を進めていく。弘法筆を選ばずと言うが、まさしくその通りだ。

 

途中にある滝を横目に見て、さらに進んでいく。前方にはアメリカンに乗ったペアが見えるので、隙間を見てパスする。当方は走りに必死で、両者共にハーレーだと思っていたが、実は女性の方が、我らが仲間のハーレー氏が愛用していた「イントルーダー」だったことを見逃していなかった。さすが、余裕が違います。

 

大変有意義な技量維持訓練区間を抜けて、TDM850がご臨終となった飯島地区を通過。あれから14年にもなるとは、驚きである。そんなことを思っていたら、だんだんと涼しさも増してきて、過ごしやすくなってきた。さらに遠山郷から国道152号線に合流して、片側1車線となった快走路を突き進んでいく。この辺りは同国道の改良工事が進んでおり、トンネルや高架橋ができていて、直線的に走れるようになった。これは時間短縮という点では望ましいことだが、走る面白みはかなり減ったと言えよう。

 

そう思っていると、ちょっとした集落になっている上村にやってきた。ここまで来れば、しらびそ高原は近い。さらに進むと「矢筈トンネル」との分岐点だ。毎回書いているが「ヤハズスタトンネル」である。詳細は「吉原炎上」の緒方挙扮する警官が、名取裕子に尋問する場面を参照されたし。

 

ここからは国道152号線が開通していないので、噂の「蛇洞林道」へスイッチする。ここへ来ると毎度思うのだが、名前が傑作だ。「ジャボラ林道」って、響きが面白い。そんなことを考えているから、次々に現れるコーナーへのラインが定まらない。特に右コーナーへのきっかけが甘く、出口がはらみ気味だ。視線を向けるタイミングが遅いので、どうしても倒し込みが遅くなってしまうからだ。そこへいくと、W氏は軽量コンパクトなSRをスイスイと寝かして、立ち上がり加速を活かして先へ先へと進んでいる。4倍もの馬力を持つTDMよりも、ずっと速い速度だ。

 

程よく上った所で「大鹿村」方面への分岐点へとやって来る。ここは「しらびそ高原」の案内に従って、車輪を回していく。ただ、道路状況は変わらず1.5車線の道なので、対向車には気をつけるべきだろう。

 

ここまでは良いペースだったが、もうあと数キロという所で遅い4輪車につかまってしまった。しかも、道を空けてくれる気配は全くないので、そのままダラダラと進んでいく。こうして、しらびそ峠を越えていけば、今日の目的地「しらびそ高原」へ到着だ。

 

5.しらびそ高原にて

 

ここは標高が高くとても涼しいので、避暑には最適な場所だ。ただ、今日はにわか雨が予想されていて、雲が出てきている。それ故に、本来なら楽しむことができる景色があまり見えない。北海道でもそうだが「完璧に晴れて文句なし」という時はなかなか遭遇できない。

 

それはそうと、以前ここに来たのはハレー氏、W氏、当方で数年前のことだ。そのハーレー氏だが、当時はカワサキの「ヴァルカン」に乗っていて、オーバーヒート気味で「冷却水が吹いて」いたのだ。そのことをW氏と話し合うが、実は「吹き出し」事件はこれだけではない。さらにその数年前にはホンダの「セイバー」に乗ってて、1号線の「音羽蒲郡I.C.」付近でも、同様のトラブル→リタイアということがあった。これについてW氏は「安いバイクばかり選んでしまい、運が悪くそういう機体に当たってしまう」と分析していた。

 

ちょうど腹が減ったので、食事処で飯を食べることにした。当方は北海道が懐かしいので「ジンギスカン」とし、W氏はワイルドに「ジビエカレー」だ。食券を購入して、受付に提出、待つこと20分ぐらいで受付番号が呼ばれた。窓際の席で食べるのだが、味は「普通」だ。

 

さて、W氏の近況であるが、モンスターでもチョイチョイ走りに行っているそうで、順調にバイクライフを送っているようだ。ただ、仕事が忙しいそうで、朝は新聞屋並みの時刻からの出勤があるそうだ。また、行きつけのバイク屋も、店主の本業??である「神主」が忙しいそうで、廃業となった。その際、15年前ぐらいに一緒に走った「カタナのイマチャン」も顔を出したということで、閉店日はにぎやかだったということだ。

 

また、SRについては、以前所有していた「W650」よりも「かなり速い」ということだ。何より「バンク角」がしっかり確保されていて、エンジンもレスポンスが良いので、Wの比ではないと。そして「もう少し車高の上がるサスペンションに換えれば、相当行けるようになる」ということだが、それでは以前のW650のように原型を留めなくなり、エンジンを回し過ぎる可能性が出てくるだろう。「止めた方がよいですよ、SRの味を適度に緩く楽しみましょうよ」と言うのが管理人の考えだ。

 

外を見ると雨が降ってきたので、入口のベンチでコーヒーを飲みながらゆっくりする。そこへ、バイクの一団がやって来る。どうやら店のツーリングらしくて、店主はKTMで先導している。突然の雨で店主も困っていたが、こればかりはどうしようもない。

 

雨が上がったので、景色を見たりして時間を過ごした後、次の目的地へ向かう。

 

景色を楽しむW氏

 

6.山を下る

 

山肌を通る、細い道を進んでいくと「隕石クレーター」の看板を発見する。ここは隕石が衝突した跡があるのだが「よく見ないとわからない」とW氏が言っている。もちろん、ちょっと通っただけではさっぱりわからなかったと補記しておこう。

 

狭い道を慎重に進んで行くのだが、ヘアピンのブラインドコーナーはちょっと恐怖だ。というのも、やっと就職したばかりで、それ以前はバイクに乗る気になれなかった。それ故に、技量維持訓練が不足しているということだろう。まあ、そんなに堅く考えることもないのだが、勘が鈍っているわけだ。

 

そして、10㎞ぐらい進むと「下栗の郷」に到着した。ここは山の斜面に小さな集落があり「日本のチロル」という異名がある。実際にはそれ程大きくないのだが、珍しい景色が見られるので、人が多く来ている。

 

バイクを駐車場に止めて、てくてくと歩いて展望台を目指す。結構な急斜面なのだが、日ごろから運動もしているので問題はない。そう思っていると、遠くで雷鳴が聞こえてくる。おいおい、土砂降りのにわか雨は勘弁してくれよと思うが、こればかりは何ともならない。

 

そう思いながら、人がやっとすれ違うことができる狭い道を通り過ぎて、展望台に到着した。その景色は中々の見応えがあり、十分に楽しむことができる。しかし驚いたのは、観光バスが来ていて、大勢のツアー客が細い道を歩いていたことだ。マイナーな観光地だと思っていたのだが、実はそうでもないらしい。

 

展望台から見る下栗の集落

 

駐車場に戻って、アイスナメナメタイムである。ここで、W氏は「黒ゴマ」味を選択したのだが、珍しいので当方も同じものを選択した。おお、ゴマとクリームって調和がとれた味がするんだ、と新たな発見であった。

 

7.帰還の前に

 

にわか雨も上がったので、そろそろ岐路に就くことにしよう。その際W氏が「会社の取引先の一団」と遭遇していたと気がついた。翌日は職場で、この話題で盛り上がったことだろう。そう考えつつ、国道152号線に合流して遠山郷方面へ進んでいく。尚、下界ではあまり雨は降らなかったようだ。

 

いつものように152号線を快走していると、W氏が減速して脇道に入ろうとしている。どうやら「木造校舎 見学自由」の看板を前から気にしていたようで、今日は寄り道をしようということだろう。寄り道は大いに歓迎である。

 

狭い鋭角の道を上っていくと、校庭に出てくる。ここは「木沢小学校」という名前で、地元の有志が保存に努めているようだ。ところで、こうしてツーリングをしていると、方々に廃校になった校舎を見ることができるのだが、このように保存している例はあまりない。そういう意味では貴重なスポットと言えよう。

 

校庭の端にマシンを止めると、鳴き始めたニイニイゼミの声が旅情をそそる。また、この鳴き声を聞くと「夏が来たな」という思いが強くなるのだが、それはW氏も同様ということだった。

 

後者の中はいささか古びているが、それがまた味になっている。関係ないが、大学の授業で「Taste」の意味を質問されて「味」と答えた同級生がいたのだが、文脈からしてそんなわけがない。先生は呆れて「単語は調べてこられるでしょう・・・」とため息をついていた。これが教養の授業ならまだしも、一応英米語学科に所属しているのだから、多少の自尊心を持っても良さそうなものだ。

 

話が逸れたが、この手の話題には枚挙に暇がない。それは良いのだが、ここは「引っ越しのサカイ」のCMの撮影場所でもあるようだ。その紹介をしたパネルもあり、昔日の記憶を辿ってみると、確かにこんな風景があった。

 

資料室に行くと、何某の本が何冊も並んでいる。こんな本は小学生が読むわけもないので、ただの商魂を持った著者がゴリ押しして置かせたに違いなかろう。また、廊下には「アウトライダー誌」が置いてあり、この校舎を紹介した記事が掲載されている。ここでW氏が、同誌にコラムを書いていた女性ライダーの名前が思い出せないと、悩み始める。後日、その人は「YUKA」ではなく、誰だったか。当方も失念しました。

 

校舎の中を見るW氏

 

8.帰還

 

木沢小学校を後にして、あとは国道418号線から道の駅「信州新野千石平」を通過し、平谷で国道153号線に乗り換えて、で香嵐渓まで下りてくる。ここで最後の休息をとり、次回の約束をしてそれぞれが帰還した。

 

久々のロングツーリングだったので少々疲れたが、次回も楽しみにしております。W氏に感謝。

 

本日の走行 320㎞

 

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