2013年5月3日〜5日
三原市にある、幸陽船渠(こうようせんきょ)の造船風景
朝6時に起床。昨日は風邪っぽかったので、風呂はユニットバスで軽く済ませたが、本当は大浴場に入りたかった。ただ、今日は朝から気分が良く、のどの痛みもなくなっている。改源が効いたものと思われので、張り切って参りましょう。まずは、昨日先輩のお母様からいただいた「ビスコッティ」をガリガリとかじりつつ、気合を入れる。そしてテレビで天気予報を確認すると、気温もやっと平年並にまで上がり、一日よく晴れる模様だ。なんだよ、昨日までグズグズいっていたのに、最終日が好天か。少々寂しいが、大きな天候の崩れがなかっただけでもヨシノちゃんである。
さて、さっそく着替えてチェックアウトする。今日は倉庫にマシンを止めさせてもらっているので、荷物はTDMに固定したままである。すぐに出発できるから足取りも軽い。昨日対応してくれた初々しい受付のお嬢さんに見送られて外へ出る。
出発前の一葉
んー、青空が清々しい良い天気だ。さーて、今日も走るぞ〜。
今日は自宅に帰る予定だが、その前に尾道で観光を楽しんでいきたい。広島市街まで足を延ばして明日帰宅しても良いのだが、1日は休息や片付けをしたいのでそちらはまた後日ということにした。TDMのセルも今日は勢いよく回り、エンジンも気持ちよく目覚めた。
まずは竹原市街を通り、機首を磁方位090に向け、国道185号線を30ノットで走行していく。この道は海沿いに通っており、まことに気分が良い。ちょっとひんやりした空気、わりあいと強い日差し、なんだか違和感があるが心地よい。
しばらく走行していると三原市に入る。すると遠くに幸陽船渠のドックが見えてきた。実は地元にもIHIマリンユナイテッドの巨大な造船所があるのだけど、何もない海沿いにデデ〜ンと現れたので衝撃的だ。因みに製鉄所やら発電所やらに囲まれているせいか、規模の大きい地元の造船所の方が陳腐に見えてしまう。尚、冒頭の写真がその様子だ。現在3隻の船を建造中のようだ。
ところで、この先大小の造船所をいくつも目にすることになる。瀬戸内海は造船のメッカと言えるのかもしれない。おお、そういえば、2011年の北海道ツーリングで礼文島に渡った際、利用したフェリーである「ボレアース 宗谷」も尾道にある「内海造船」が建造したものだ。
185号線で時々工場の現れる海岸線を航行していく。ちょっと燃料の残量が微妙だ。今日は自宅まで帰ったとしたら、500km程度の行程になる。後で燃料が無くて泣きが入ると嫌なので、ここで一度燃料を18ポンド程搭載しておく。今回の燃費は260kmで10.5Lだから、25km/L、まあ北海道でもないから、このくらいの数値なら御の字でしょう。残りの距離からすれば、もう一回どこかで燃料の再搭載が必要だ。そうか、20Lのタンクを持つTDMでも給油が必要なのだから、残りの距離はかなりのものだ。マシン的には絶好調なので、あとは操縦士の体力と集中力が試されるってわけだ。
三原で一息入れた後、尾道に向けて走り出す。この辺りは海と山が同居しており、なんだか不思議な感じがするな。高校2年の時に、土曜日をサボって神戸に旅行したことがあるが、その時も同じ印象を持った。よくよく地図を見てみると、瀬戸内海は全般にそういう地形になっているようだ。
本題から逸れていくが、当方が高校生だった当時はまだ週休2日制は導入されておらず、土曜日も午前中は4コマ授業があった。今思うとよくやっていたなぁと関心してしまう。ところで、何で神戸に旅行したのか、自分でもよく思い出せない。何だかとても精神的に疲れていたことしか思い出せないのだが、それが原因だったのか。いや、当レポートによく登場する初恋の人、「祐美子さん」に思いを伝えるかどうかで苦しんでいて、現実逃避したのだっただろうか。何せ20年以上前のことだから思い出せない。今も似たようなことで、その処遇に困っているフシがある。当方は全く変わっていないな。
ヘルメットの中で苦笑しながら、車輪を進めていく。三原市からは国道2号線に名前を変えた道を進んでいく。途中に尾道バイパスがあるが、当方は尾道の市街地を目指しているのでこのまま旧道を走行する。
だんだんと街らしくなってきましたよ。そして突然真新しいビルが出現したと思ったら、尾道駅に到着だ。以前ここに来たのは15年くらい前になろうか。なんか突然走りたくなって、当時住んでいた鳴門市から今治市へ行き、まだ工事中のしまなみ街道を見て、フェリーに乗り因島から尾道へ来たっけ。あの時、船の操縦士さんと話していて、その方は造船所に勤めるのが嫌で、船員になったと話していた。確か、外国航路に就航している船にも乗船して、ロスアンゼルスの金門橋も幾度となく見たと聞いたなあ。随分昔のことだ。
尾道駅にて
尾道は昨日に続いて、映画のロケ地を訪ねたいと思いやってきた。ただ、当然のことながらたくさん周ることはできないので、1983年、原田版の「時をかける少女」を中心に見ていこうと思う。そして、駅にやって来たのは、事前調査で駅前に情報があるとの記載を発見したらかだ。
事前にこちらでも情報をとってきてあるが、観光用の地図が駅前で配布されているということで、探してみる。すると、のぼりを上げた観光協会の出張所?というか、屋台が出ているので、、こちらで何種類かのパンフレットをいただいた。
これに従って、ロケ地を訪ねてみようと思う。尚、尾道は道が狭いので、バイクは駐車場に置いておこう。一応毎日エアロビクスダンスを踊り、時々インストラクターをしているからバテることはないとしても、自宅に帰投する体力は残しておきたい。
まずは映画の終盤に登場する神社と大きな楠から。こちらは長江口の交差点を曲がったすぐの所にあり、真上をロープウェイが通っている。もちろん、映画では気がつかない。実際に行ってみると、木は大きく見えるが、神社そのものはそれほど大きくないように思われた。
タイムリープでやってきた神社
(辰神社)
一礼してから境内に入り、楠を見上げる。看板によると、樹齢はおよそ900年。そんなに古かったのか。30年前の映画でも同じくらいの大きさだったわけだ。それにしても、神社という所は概して厳かな雰囲気であるが、ここは特にそういう雰囲気を強く醸し出している。「和子、どこなの、和子・・・」、当方の母親と同じ名前だったと気がついた。主人公の名前はもうちょっとマシな可愛らしいものにてくれればよいのになぁ。
神社の次は、エッチラオッチラと通りを上がっていく。おお、長江小学校だ。こちらは高校として撮影に使われた場所で、校舎などは当時のまま残っているようだ。それにしても急な階段だ。一年生にはちょっと大変かもしれないな。
長江小学校正門の階段
少々息を弾ませて、階段を上がっていく。すると校庭が見えてきて、元気に野球をする小学生達がいる。するとランニングしている女の子から「おはようございます」と丁寧な挨拶があった。これは失敬、こちらも帽子を取り、丁寧に挨拶を返す。こういう観光地の子供達は概して礼儀正しいように思われるが、たまたまだろうか。いずれにしても、本来ならば大人(のつもり)である当方が先に挨拶をすべきところであろう。最近の子供達はえらいなぁ。
校庭の様子
(ゴールの所に裏門、真ん中の人がいる辺りが弓道の練習をしていた場所)
あまり写真を撮っているのも怪しいので、この辺りで退散フリッパーGTRとしよう。改めて映画を見直してみると、校舎の写真も裏門側から写しておけばよかったと後悔している。
この次は、長江通りを少し下り、山城戸小路を散策する。こちらには深町君の家や、「桃栗三年柿八年」の歌を歌いながら歩いた竹やぶがあるはずだが・・・。 ドキドキしながら歩いていくが、よくわからないぞ。結局そうと思われる竹やぶまできてしまった。ここからは先ほど訪れた長江小学校が見える。
長江小学校全景
(学校へ上る道)
後々思うと、格子戸の門がある家があった。この家が深町君の家だったのだろう。映画で見たものよりもあまりにもあっさりしていたので、気がつかなかったと思われる。残念。
ただ、今この写真を貼りつけていて気がついたのだが、「転校生」に出てくる学校横の道も写っている。現場からでなくとも、こうして情景を捉えることもできるのか。当たり前だけど、夢中になっていたせいで、視野狭窄だったようだ。
気を取り直して、山を一つ越えた、ひとつ向こうの通りにある芳山君の家へ向かう。少し長江通りを下りて、御袖天満宮の看板に従う。この道は舗装路ではなく、正方形の石製タイルが敷きつめてあり、また違った趣だ。さらに細くなる通りを入っていくと、小さな道標を発見した。
道標
(腰掛け岩の下は何だったのだろうか)
当方の事前調査によれば、覆いがしてあるところには、「タイル小路」と書かれていると思われる。こちらを先に見ていこう。さて、民家の勝手口が並んでいる、畳の幅程度の小路を歩いていく。するとテーの字になった。あれ、タイルなんてどこにも敷いてないじゃん。おかしいなぁ、菅公の腰掛け岩を見て考える。再び戻って右側の道へ行ってみるが行き止まりだ。ということは左側なのだろうか。そう思っていると、民家のドアに大林監督の直筆のお願いが貼ってあることに気がついた。
大林監督からのお願い
映画が当たってから急に観光客が増えて、こういった生活空間までに観光客が押し寄せるような事態が発生したと聞く。そのような中、監督も批判の槍玉に挙げられたらしいので、お詫びの意味も込めてこの貼り紙を出しているのだろう。それよりも、タイル小路はどこだ?
散々考えたのだが、結局わからずじまいだった。ひとまず周辺の写真を撮影して、その場を去る。帰宅後よーく調べてみると、かなり良いセンまできていたようだ。というか、入口には立っていたのだが、階段を上ったところに「寺があるだけた」と思って、気がつかなかった。「小路」なんだから、足もとを見ろよ!
タイル小路入口の階段に上って
(右が道標から入ってくる道、左が腰掛け岩がある広場)
この写真を撮るために上っている階段こそがタイル小路への入口だ。つまり、当方の背後にある階段を上るとタイルが敷きつめられているというわけだ。何をやっているんだ。はい、次。
もと来た道を戻り、天神様へ寄っていく。ここは三部作の一つである、「転校生」で登場する重要な場所だ。尾美としのりと小林聡美が転げ落ちた階段が、まさにこの神社のものだ。映画でもかなり急勾配だなと思ったのだが、実物の方が角度がついているように見える。
御袖天満宮の境内から見下ろす町並み
(右端から俳優が転げ落ちたようだ)
せっかくなので、こちらで少しでも頭が良くなるようにお参りをしていこう。あと、天満宮というと、たいていは石の「牛」がいるものだ。これはご存知の通り、学業を成すには牛の歩みの如くゆっくり、しかし、たゆまずに進めていくという意味がある。確かに、いっぺんにたくさんのことは覚えられないからなぁ。牛の頭を撫でながら、「学問に王道なしか・・・」とつぶやいてしまった。
だいぶ寄り道してしまったが、次は芳山君の家だ。やや息を弾ませながら、坂道を上っていく。ここはレンガ坂とよばれているようで、その名の通りに道にレンガが敷かれている。それにしても今日の暑いことよ。25℃くらいはあるだろう。ただ、この尾道水道の景色と、そこから吹いてくる風が割合と涼やかな風のおかげで、我慢できないというほどではない。
ちょっとわかりにくいけど、レンガ坂
通りに出ると、西国寺が見えた。これまた随分と儲かっていそうな、いやいや、ご立派なお寺だ。確か芳山君の家はこの辺りのはずだが、先にお寺に行ってみよう。
西国寺全景
(右上の塔も西国寺のもの)
それにしても尾道の坂は強烈だ。今までに何回上ったり、下りたりしたことだろうか。そしてこの西国寺、傾斜に張り付いているように建てられている。
ヒーヒー言いながら塔の横まで行くと、おお、絶景ではないか。尾道を一望できる。少々疲れたので休息していこう。相変わらず日差しは強いものの、前述のように海を渡ってくる風がとても心地よく吹いている。当方も地元は暑いことで知られているのだが、こういう爽やかな風は吹かない。ただ暑いだけである。
西国寺から見た、尾道の風景
またヒーヒー言いながら西国寺を後にする。おっと、芳山君の家を探さないと。たしかこの辺りだと思ったのだが・・・、あ、少しだけ屋根が見えている。あれだ。またヒーヒー言って坂を上っていく。一部情報では人が住んでいなくて荒れているようなことが言われていたが、誰か住んでいるようだし、植木なども剪定されている。ということは、あまりジロジロ見ていては怪しい人になってしまう。さっさと立ち去って、遠くから写真を撮る程度にしておこう。
芳山君の家
これで時をかけるの関連はだいたい見終わった。ロケ地マップを見ていると、「西願寺」が目に入った。そうだ、西願寺は「さびしんぼう」の舞台となる寺だ。ここならバイクですぐに行けるな。そこで、またヒーヒー言いながらTDMを駐車している場所まで歩いていく。尾道観光は体力勝負だ。それはそうと、今回はロケ地に焦点を当ててみたが、お寺を見て回るという観点でもかなり楽しむことができそうだ。いずれにしても、風情のある良い街だと思う。
TDMに乗って、長江通りから尾道駅の前を通過、運河らしきものを渡って日比崎町の住宅街を徐行していく。なかなか見つからないので、地図を見ながら現在位置と西願寺を見比べる。この辺なんだけどなぁ、そう思っているとおばさんが通りかかったので、西願寺の場所を訪ねてみる。すると指を指して「あれだよ」と。おお、映画で見た通りだ。ありがとうございます。
細い道をゆっくり走って、あまり人が住んでいなさそうな、アパートの駐車場端にバイクを止めさせてもらう。そこからは結局また歩いて、ヒーヒー言いながら急な坂道を上る。
西願寺の境内
ここのお寺も随分と高台にあるので、境内からでも市街地がよく見える。ここは映画で見たそのままの状態であるから、富田靖子が出てきそうだ。
一礼をして階段を降り、最後の場面となる階段に腰を下ろす。天気は快晴でよかった。
大雨の中でさびしんぼうと抱き合うシーンが有名
ところで、この映画の台詞に「人を恋することはとても寂しいから、だから私はさびしんぼう」というものがある。うーん、確かにその通りだ。人を恋することはとても寂しい。よく胸が苦しいと言われるが、まったくその通りである。人間って難しい。
さて、腹が減ったぞ。そういえば、長江通りにお好み焼きを売っている店があったな。あそこで食事していこう。TDMに火を入れて、路地をゆっくりと走行していく。途中で尾美としのり扮する小坊主が走っていく場所を発見した。ああ、この運河だったのね。西願寺に行く時も通っているのだが、気がつかなかった。それ程に日常的過ぎる場所だ。
再び尾道駅前を通り、左手に「転校生」で尾美としのりの小林聡美が自転車で駆け上がる坂を見ながら、再び長江通りに入る。そして、左横にある「マルコ」さんでお好み焼き、650円を購入する。焼いてもらっている間に通りを撮影していると、丁度女子高生らしき二人組が通りかかった。そしてなにやら写真に入りたいようにしていたので、「バイクの横に立ってもらえますか」とお願いしたらノリノリで、ポーズまでとってくれました。ありがとう。おじさん嬉しいよ。
女子高生二人組とTDM
(ナンパしたわけではありません)
店の軒先をお借りして、お好み焼きを食べるって、これモダン焼きじゃん。ボリューム満点だよ。ガツガツを食べていたら、女将さんが冷たい水を持ってきてくれた。いや、お気遣いありがとうございます。その際、「どこから来たの」と聞かれたので、「名古屋です」と答えた。するとかなり驚いた様子で、「また遠くからよく来てくださいました」と。ところで、今年の連休はとても寒い日が続いていたので、「今年はバイクの人が少ない」と話しておられた。まあ、バイクは天候に左右されるからね。
女将さんにお礼を述べて、最後の訪問場所である「おのみち映画資料館」へ向かう。ここには新旧の映画に関する資料がたくさんあるらしいので、ちょっと寄ってみたかったのだ。
おのみち映画資料館
館内は至って地味な印象だ。資料や当時の映画のポスターが所狭しと並んでいる。その中に気になるものが。これは・・・、座頭市物語ではないか。座頭市といえば、R1-Z氏だ。このレポートでも何回か紹介しているが、数年前に、たけしが監督で「座頭市」のリメイク版を製作・公開した時のことだ。氏が「たけしの視点だと時代劇はどう撮影するのか」と久々に映画館に足を運んで、席に着いた。しかし、周りの人達をみると、なんかショボクレタ爺さん、婆さんばかりだ。「おかしいなぁ。たけしの映画だから若い人がもっといてもよい筈だ」と疑念を持ちつつ、映画は始まる。すると、「白黒で、ツブツブとノイズがたくさんある映像」が出てきたので、氏は「たけしも凝ったことするなぁ」と思ったそうだ。そして「ざっぱ〜ん。大映」・・・。おい、これはオリジナルじゃあないか!!当然役者も勝新や三船お父さんが出演している。そこでR1-Z氏は気がついた。「そういえば、座頭市の発表記念イベントとして、オリジナルと交互に上映すると書いてあったなぁと」、しかし時既に遅しだ。
そんなわけで、以下のポスター。
座頭市オリジナルのポスター
(1964年公開のもの)
さらに、資料館には古い映画の予告編や、こぼれ話を紹介するミニシアターがある。ここでは、笠智衆の何とかっていう映画について紹介していた。その紹介映像では、40歳代の笠が60歳代の役を演ずるということでいろいろ振る舞いを考えたなど、エピソードを公開していた。それよりも、当方は昨日、偶然にも「北の国から」の放送を見ていて、さらに偶然に、その内容が、笠智衆がボケ老人として登場する回だったのだ。あのボケ老人は最高の演技だった。本当にボケてしまったのか、笠智衆、と錯覚するほどだった。観点がずれてしまった。
館内の様子
予定していた尾道観光を、まさに「駆けて」終了した。時刻は13時30分、ここから帰投するのだが、距離にして500km程度残している。今日中に帰宅できれば良いくらいに考えているし、どうしても疲れたらテントを広げてもよいではないか。気楽に参りましょう。
まずは尾道市役所の通りから国道2号線へ乗る。帰りは国道のんびり走法で、体力、気力を温存しながら地道に距離を稼ぐ作戦だ。また、それが面倒になったら、平行して通っている中国道に乗り換えが可能である。こういう代替策を常に考慮しながらツーリングを進めることができるようになったのは、実は案外最近のことだ。2008年から11年まで連続して北海道へ行った経験が大いに役に立っている。何事も経験しないとうまくはならないのかもしれない。
街中を抜けると新緑がまぶしい雑木林、またある時は田んぼが広がる日本らしい風景、右には海、変化に富んだ景色が続いていく。おっと、なにやら自動車学校らしきものが見えてきたが、これは広島県東部の免許センターだ。平針に比べたら小さなものだが、本部ではなく分室なので当然か。
次は福山市に入った。福山市は名前しか聞いたことがない都市であるが、実は「福山通運」の本拠地だったのね。国道沿いにデデーンと大きな集配所が現れた。11t積みの大型トラックが何十台もつけている。帰宅して調べたところ、本社ビルもここにあるいことが判明した。
福山を抜けると笠岡市になる。最近「かばいばあちゃん」で有名になった島田洋七が、1980年代にカブトガニの格好をして「笠岡音頭」なる歌を歌っていた。因みにここが彼の出身地であるらしい。
こんな回顧的なことばかり思い出しながら、街中のストップアンドゴーを繰り返しつつ進んで行く。とはいえ、案外交通の流れは良いので、中国道への乗り換えはまだまだ先でよさそうだ。倉敷で瀬戸大橋から続く瀬戸中央自動車道をくぐり、岡山市街は国道2号線バイパスで迂回して通過する。
少々疲れたので、この辺りで休息としよう。それはそうと、泊まりのロングツーリング時にはR1-Z氏に「ライブリポート」を送信している。氏もこれを楽しみにしているらしく、また道路情報などアドバイスを返してくれる。話は逸れるが、飛行機についても、所沢にある「東京コントロール」が担当空域を航行する機に指示を出したり、情報を提供している。それに因んで、当方は彼のことを通称「タイ寺コントロール」と呼ぶことにした。
そのタイ寺コントロールには、尾道を離脱する時に「名古屋直行」のフライトプランを提出し、承認されている。そして「現在は国道2号線で岡山市の南、2マイルを航行中」、と現在位置を送信しておいた。一方コントロール側のアドバイスとしては、「安全航行」ということだった。
この時点で現在時刻は17時、まだまだ日が長いので日没までには2時間程度の余裕がある。ただ、ここまで来るには思ったよりも時間がかかってしまった。この先日没までにどこまでいけるか。まあ、焦らずに行きましょう。
市街地をダラダラと走っていく。あまり面白くないなぁ。そろそろ上に乗り換えようかとも思うが、もうちょっと景色を楽しみたい。そこで、次のプランを提出するため、赤穂市内のコンビニにて休息をとる。ア〜疲れた。こういうときは集中力が落ちてくるし、そもそも夕暮れ時は何かと危険が多いので、長めにゆっくりする。
コーヒーを飲み、おやつをかじりつつ、マップルを見ながらルートを検討する。この先も2号線を使うとなると、中途半端に内陸に入ってしまう。そこで、国道250号線に乗り換えて海沿いに相生市、高砂市から神戸に出ることにした。また、その先で高速に乗り、阪神高速3号線、ループから14号線で松原I.C.、西名阪のルートプランを「タイ寺コントロール」に提出する。すると、タイ寺からは「阪神高速3号線渋滞、以降は流れよし」とトラフィックに関する情報が送信されてきた。ひとまずこの線でいきますか。
そう考えていると、横浜ナンバーのGSX1000Rがやってきた。ライダーと挨拶し、世間話をして楽しむ。この方はスーパースポーツバイクながら本格的に荷物を積んでいて、キャンプの用意もしているということだった。この方は当方よりもだいぶ年上とお見受けしたのだが、「慣れればSSのポジションは問題ないよ」と至って元気だ。いやはや、当方も負けてはいられない。彼は今日もキャンプをして、明日の午前中に高速に乗って帰投するとのことだった。
ここで当方も一瞬、「キャンプしようかぁ」と心が揺れたが、明日以降の事を考えて、今回は名古屋直行のプランに従うことにした。関係ないが、最近は心が揺れっぱなしで随分と疲れることが多い。そろそろ落ち着きたいとも思うのだが、こんな自由で楽しい旅を覚えてしまったら、やっぱりそれは難しい。こちらもお一人様のプラン通りに飛行することなりそうだ。
人間とは不思議なもので、会話するだけでも疲労が軽減するものだ。ダンマリはストレスになる。そんな結論を出してからTDMのエンジンを再スタートする。
頭の中で航法装置を設定し、夕暮れの国道250号線を走行していく。ちょっと気温が下がってきたので、ジャケットの通風孔を閉じておく。こうしておけば十分に温かい。やはり、この季節は服装選択が難しい。今回はうまく気温に対応できているなと悦に入りながら、海沿いのワインディングを慎重に走行していく。この辺りはすぐ沖に島がみえたり、造船所も各所に見える。
こちらの道は交通量がほとんど無かったので、思いのほか距離が伸びた。気がつけばもう姫路の手前だ。さて、ここには当方の地元にもある、新日本住金の広畑製鉄所がある。その昔、当方のオヤジがまだ20歳頃のこと、地元の製鉄所は建設中であったので、ここに配属されていたそうだ。なんでも独り暮らしをしていて、身の回りのことは何でもこなしていたらしい。今からは想像もできないのだが、人間必要に迫られればやれるものなのだろう。
そのオヤジがほんの数年ではあるが、青春時代をすごした広畑に自分がいる。景色はすっかりと変わってしまっているのだろうが、そこに自分がいることで、オヤジをまた少しだけ理解できそうな気がして、とても嬉しい。もちろん、オヤジとの仲は悪くないですよ。ただ、「人に歴史あり」という言葉の通り、オヤジの歴史の一部がここにあったのだ。それがあったから今、ここに俺が存在しているのだ。
家に帰ったら電話でもしておこう。おっと、燃料が残り半分か。多分予備燃料も含めれば帰投できるギリギリの残量であろうが、それでは心臓に悪い。だいたい、高速道路で給油が必要になった時、スタンドが開いているかわからないし、混んでいては厄介だ。人間回転リミッターやスロットル開度リミッター発動では楽しくない。そこで、休息を兼ねてここで燃料を再搭載し、余裕を持って帰還できるように、姫路市内のシェルへ飛び込む。因みに270km走行して11Lの搭載だから、25km/Lには届かない。ただ、ストップアンドゴーの繰り返しもあったことを考えれば、よくできた数値だろう。
ライダーの方も水分と糖分を補給し、再出発する。これで家まで思いっきり走れるぞ。こうして順調にプラン通りのルートを走行していくと、高砂市の入る。高砂と聞くと、結婚式の「たかぁ〜さごぉ〜やぁ〜」を思い出すのは当方だけではあるまい。ちょっと調べてみたら、起源はこの高砂であり、この節は「能」の「高砂」という作品に登場し、夫婦円満を表現している、とてもめでたいものらしい。なるほど、それで「タカサゴヤ」なのか。レポートを書きながら納得してしまった。
播磨町を通って明石市にやってきた。ここまでくればかなり自宅に近くなったように感じるが、まだまだ行程からみると半分ちょいというところか。まあ、今日中の帰還は難しくなったが、夜中に到着できれば問題はなかろう。
近未来的な明石の集合住宅街を抜け、国道250号線を離れ国道2号線に乗り換える。おっと、右手に川崎重工の明石工場が見える。正門にある看板は、ニンジャのミーティングをレポートした記事などでよく見るものだ。もっとも、実物の方が立派に見えるのは当方だけか。関係ないが、カワサキ重工は航空機製造も行っていて、その本拠地は岐阜の各務原にある。最近では防衛省に納入したC-2、P-2、ボーイング向けの787前部胴体など、大きな仕事をしている。一方、我々に関係する2輪製造は上記、明石工場にある汎用機事業本部というところが担っている。その売り上げ金額たるや、上記航空機や主力事業の船舶、産業ロボットなどに比べれば微々たるものだろう。最近、カワサキの国内向けラインアップが寂しいのはそういう理由だろうか。世界的には2輪の需要は高いと思うので、日本でももうちょっと頑張って欲しいものだ。
今度は突然、目の前に電飾光る大きな海上橋が見えてきた。明石海峡大橋である。こうして夜間に地上から眺めることは初めてで、なんとも綺麗だ。しかし、よくよく目を凝らしてみると、通行中の車がほとんど止まった状態になっている。いわゆる、わき見渋滞の現象だ。地上では良い気分であるが、橋上ではイライラになっているに違いない。
少々腹が減った。適当な店を見つけて、食事をしたい。あっさりしたものがよいなぁ。そう考えていたら、なか卯のうどん店を発見したので、ここに入りきつねうどんを食べる。関西圏なのでハズレはあるまいと楽観視していたら、とんでもないハズレでガッカリした。ともかく完食して、さっさと自宅を目指そう。
マップルを見て、今後のルートを検討する。「タイ寺コントロール」には阪神高速経由の名阪道ルートを計器飛行方式で提出しているが、何だか遠回りであるし、四日市J.C.付近の渋滞も気になる。ならば、阪神高速3号線を通り、尼崎I.C.から名神高速、東名高速とつないで名古屋I.C.を目指した方が良いかな。状況によっては大津J.C.から新名神のルートも代替案として出しておく。
「計器飛行キャンセル、目視飛行で名神ルートを要求」、このプランに対して、「承認。アドバイス、阪神高速3号線渋滞」と返信があった。さてどうするか。今思えば2号線090キープで尼崎とすればよかったが、信号で止まることが億劫だったので、不本意ながら渋滞のある阪神高速に乗ってしまった。それにしても料金が900円ってやけに高くないか。これは大震災からの復旧費用も含まれているから、止むを得ないか。
料金所では「尼崎まで60分」の表示が出ている。距離は25km程度だから、30分〜40分あれば何とかなるだろう。料金所のおっさんに尋ねてみたところ、同様の回答が得られた。
さっそくすり抜け開始である。基本的にこれはやりたくないのだが、仕方あるまい。止まっている車の横を慎重に抜けていく。幸いにも阪神高速は路肩が広く、すり抜けされる方も慣れているのだろう。均等に左側を空けてくれている。こいつはありがたい。ただ、時々意地悪な人もいるだろうから、慎重に車輪を進めていくことには変わりない。
渋滞に別れを告げ、尼崎からは通常走行となる。名神高速はそれほど混んでいないが、時刻は午前0時になろうとしている。連休だから、出ている人も多いのだろう。周りには注意を払いつつ、55ノットを維持して走行を続ける。吹田、茨木、京都、だんだんと地元が近くなってくる。おっと、大津には新名神との分岐点がある。
尼崎からは目視飛行にしているので、自由にコースを選ぶことができる。大津から新名神を選択してもよいのだが、渋滞が20km以上に伸びているようだ。これなら迷うことはない、旧名神を選んで進んでいく。尚、タイ寺コントロールは既に閉局していると思われたので、「ルートは計画通り」と一方的に通報しておく。
今日の昼間はあんなに暑かったのに、やけに冷えてきた。さらに、名神は山あいを通るので、それに拍車をかけている。気温は15℃くらいになっている。ももひきは履いていないし、インナー手袋も装着していない。ジャケットの中綿は装着したままなのが救いだが、手足が寒いのであまり役に立っていない気がする。夕方まではうまく行っていると思っていたが、服装は本当に難しい。
やや寒さに凍えながら養老S.A.に到着した。寒かったので、まずはトイレへ走っていく。その後は暖かいココアを飲みつつ、こわばった体をほぐしていく。特に肩・首はガチガチだよ。各筋肉を意識しながらストレッチしていく。ふぅ〜。この間にも続々とバイクが入ってくる。こんな時間でも走っている人がたくさんいるのは、連休だからだろう。また、ライダー達は一様に「寒い寒い」と言っていた。そりゃそうだろう。皆さん夏の格好してるんだもん。今日は寒暖の差が大きかったからなぁ。
休息してかなり楽になったので、もうひと踏ん張りだ。名神から東名に入り、名古屋I.C.で高速走行は終了だ。
こうして無事に帰宅し、初めての中国地方ツーリングは終了した。
2泊3日の行程で岡山県、広島県東部を走行したが、やっぱり駆け足の慌ただしいツーリングになってしまった。北海道でも、九州でも同様なので、これは性格的なものなのかもしれない。本当はゆっくりとしたのだが・・・。
やはり、いろいろと欲張りすぎだったかなぁ。次回はもう少し的を絞りつつ、ゆとりを持って行動したい。それにしても楽しいツーリングだった。この3日間はとにかく夢中になって行動した。こういう時間があるのは大変素晴らしいことだし、これからもっともっと、あちこちへ出かけてみたい。
さて、次はどこへ行こうかな。
本日の走行 500km
3日間の合計 1,200km