2015年 夏の北海道ツーリング

 

2015年 7月29日~8月8日

釧路市湿原展望台から

 

8月7日(9日目)

0.いつもの朝

 

早く寝れば早く目が覚めるものだが、今日は7時とそれ程でもない。深夜に一度、しとしとと雨が降る音で目が覚めたことが要因だろうか。気になって窓から外を見てみると、路面は乾いている。どうやら一時的にパラパラと降った程度のようだ。

 

いつものカロリーメイト、こんにゃくゼリーで朝食を済ます。今日は残念ながら、北海道走行は最終日となってしまった。ただ、乗船するフェリーは、苫小牧東港を23時30分に出港するので、まだ12時間以上ある。今日は日が落ちる頃に苫小牧に到着するよう、飛行ルートを提出してある。

 

ゴソゴソと荷物を階下に持っていき、出発の準備を整える。今朝は昨日よりも一層ひんやりとしているので、ヒートテックのタイツを履いておこう。「暑きゃ脱げばええんだて」が合言葉である。寒い時に股引きを買うのは、どうも格好悪いからね。今年は総飛行時間が8,000時間を超えたので、そういう失敗も少しずつ身についてきたということさ。当方のようなアホでも、何回か経験すれば案外と覚えるものだ。

 

荷物を積載していると、昨日鈴木食堂で一緒になり「日の出が見えるよー」と教えてくれたXJR氏と顔を合わせる。どうしたのかと聞いてみると、体調が悪くなってしまい、個室に泊まっていたとのことだ。なるほど、それで気がつかなかったのか。因みに彼は救命救急センターの看護師さんであり、自分の体のこともよくわかるそうだ。しかし、如何せん治療する術がほとんど無いらしい。そりゃそうだ、薬を処方したりするのは医者だからね。

 

1.出発

 

看護師さんと挨拶をして、お互いの無事を願いつつ出発する。まずは温泉街のメインストリートへ出て、足湯に浸かる観光客を見ながら道道52号線を東へ向かう。相撲記念館の前に立つ大鵬の銅像を横目に進み、硫黄山が見えてくる。

 

その名の通り硫黄山

硫黄臭がすごい

 

この山があるから川湯温泉があるわけだが、自然の力って想像を絶するものだ。そう考えつつ走行を再開し、国道391号線にぶつかる。ここは右折して、道道との重複区間を少し走行したら、道道52号を追いかけて左折する。

 

どんどんと標高を上げていくと、やはり霧が出てきた。なんだ、今日も摩周湖は霧の中かかよ。そう思いながら第3展望台を通過して、やや標高を下げながら進んでいく。すると、霧が少し晴れてくる。おや、ひょっとしたら第1展望台では、湖面が見えるか。期待しながら大きなコーナーをゆっくりと抜けていく。

 

その第1展望台には、観光バスやレンタカーが止まっている。料金徴収の係員にたずねてみると「今なら湖面が見えるよ」ということだ。ここまで来て見ないで帰るのも納得いかないので、駐車料金200円を支払って見物していくことにした。因みこの券は、前述の硫黄山の駐車券でもある。なんだよ、それならそんなに高いってことはないじゃないか。覚えておきたい項目だ。

 

第1展望台から見た摩周湖

 

摩周湖の湖面を見たのは何回目だろうか。2008年、2009年、2011年、そして今年、2015年、見えなかった年が1回か2回あったので、勝率は7割程度だと思う。これでは結婚してもすぐにダメになるわけだ。因みに、今年の11月15日で13回目の離婚記念日となる。干支が一回り以上の時間が経ったが、相変わらずの独り者である。

 

摩周湖に感謝して、道道55号線で摩周温泉の街へ下りていく。独りものでないと、こういう旅も難しいだろうからね。さて、摩周温泉の市街地を通り抜けて、道道53号線に乗り、南下することにする。この道は多分初めて通ると思うので、ちょっと楽しみだ。マップルのコメントにも「丘陵地帯を緩やかに走る快適ロード」と記されている。

 

実際に走ってみると交通量は皆無で、原野とも牧場ともとれない所を延々と走っていたと記憶している。そしてさらに、オソベツの街で国道274号線に乗り換えてそのまま走行していくと、再び道道53号線となり、管轄行政団体名も鶴居村となる。実はここで国道274号線を追いかけて、heading270とする手もあったのだが、雲が垂れこめていて寒さも予想されるので、釧路経由のルートを提出したというわけだ。

 

かなり良いペースで走ったので、いささか疲れた。鶴居村のセイコマに入り、休息をとる。ところで、鶴居の市街地はすごく新しく、まるでここ10年ぐらいで出来たように見える。通りには洒落た店が並び、道路も綺麗に、整然と整備がされている。もちろん、住宅もだ。当方が住んでいる街よりも、ずっと洗練されている印象だ。

 

それにしても、今日はちょっと寒い。上陸した時から比べると、気温は10℃以上低いのだろう。「今年はタイツの出番はない」と思っていたが、やっぱり北海道は侮れない。もちろん、ジャケットのインナーを装着しフリースも着用しているので、問題はない。

 

温かいコーヒーを飲みながら、北海道の短い夏から秋への移り変わり?を楽しむ。いや、ただ天気が良くないだけで、まだまだ夏なのかもしれない。

 

2.釧路経由で

 

時刻はまだ10時前なので、焦る必要はない。取締りに気をつけながら、道道53号線を標準巡航速度の37ノット、heading180で走行を続ける。鶴見台P.A.を過ぎると、左手に湿原が見えるようになってくる。マップルを見ればすぐにわかるのだが、この道は釧路湿原の西側ギリギリの所を通っている。昨年と一昨年は東側を通ったのだが、今年は偶然にも反対側を通ることになった。

 

釧路の市街地向けて進んでいくと、釧路市湿原展望台の看板が見えた。時間的余裕もあるので、立ち寄っていくことにする。駐車場にマシンを止めて、レンガ造りの建物に入る。ここは入館料が470円の有料の施設であるが、展示スペースが充実しており、その価値はありそうだ。

 

1Fの土産物屋は最後に行くとして、2Fへの螺旋階段を上る。すると、いきなり体長2mの「イトウ」なる魚の木製模型が展示されてある。過去に湿原内で、この程度のものが捕獲したことがあるようで、湿原の偉大さを知る。さて、その「イトウ」さんであるが、国際自然保護連合の分類では「絶滅寸前」ということだ。この原因は、成魚になるまでに6年程度かかり、他の川魚よりも早い時期に産卵をするので、産卵床を荒らされてしまうということがあるようだ。そして、もっとも大きな要因は、乱獲と環境破壊である。近年では北海道だけでなく、猿払村や南富良野町も独自に条例を定めて、保護している。

 

幻の魚 イトウ

(顔がボラみたいだが、サケ科の魚である)

 

円形の建物に沿って、湿原に住む動物が紹介されている。その中でも、当方が気になるのは丹頂鶴である。今回のみならず、レポートでは散々「丹頂鶴」または「タンチョウ」と記載してきたが、その詳しい生態についてはよく理解していない。今回は、ここで少しでも勉強していこう。尚、ここでの表記は「タンチョウ」を使うことにする。

 

タンチョウのコーナーは、他の生物の2倍の面積を占有しているので、やはり力を入れているようだ。まずは、タンチョウの1年というボードを見る。驚いたのは、春には繁殖のために「子別れ」をするとあることだ。昨日見た親子は実に強く結びついているように見えたのだが、子別れですか。

 

その後、求愛をして、受け入れられればつがいが成立する。関係ないが、当方が大学生の頃に「スッスッス」と笑っていたら、友人の梅さんやアマンキューがいつの間にか「求愛ダンス」をして当方の笑い方を真似していた。あと、風邪で入院していた時に、学内で管理人にそっくりな女を見つけて「管理人女」と勝手にあだ名をつけていたことがあった。そんなことはつゆ知らず、退院して登校したら「本人だ」と喜んでいたことが印象的だ。

 

話が逸れたが、春には1個、または2個を産卵し、短い夏の間は子育て真っ盛りである。ヒナが小さいうちはまだ寒さが残る日もあるのだろうか、親の背中に上っておんぶ状態で頭だけ出している、とても可愛い姿が見られる。このパネルの写真には、2羽もおんぶしている親鳥が掲載されている。これは初めて見た。そして、およそ100日程で飛翔できるようになるのだが、これは前回記載した通りである。

 

タンチョウの四季

(右端の「子別れ」のイラストは、雰囲気をよく表しており秀逸)

 

次年の繁殖のために子別れをするとはなんとも悲しいと思ってしまうが、毎年確実に繁殖行為を行わないといけない程、自然は厳しいということなのだろうか。そのために、親鳥はヒナの子育てには全力を注いでいるというわけか。当方はその瞬間しか見たことがなかったということで、親子の結び付きが強いと勝手に解釈していたのだ。ものごとは俯瞰して全体像を見ていなければ、本質に迫れないという良い例だ。

 

さて、パネルによれば、日本では現在、タンチョウは1,000程度が生息しているようである。しかし、もともとはトキやコウノトリと同じく、日本中に生息していたようだ。また、江戸時代の浮世絵にも登場したり、古くは8世紀頃の土器の模様のモチーフにもなっている。

 

しかし、明治期に害鳥というレッテルも貼られてしまって乱獲され、一時は数十羽以下まで減少したそうだ。前述のトキはそのまま絶滅となったが、タンチョウはそこから保護活動が始まって、現在に至るということだ。因みにタンチョウの学名は「Grus japonesis」と日本の名前が入っている。また、トキは「Nipponia nippon」なので、日本をまさに代表する鳥ようだ。だた、間違えてはならないのは、日本の国鳥は「キジ」なのであることだろう。

 

タンチョウだ単調だと軽々しく言っていたが、何もわかっていない管理人であったのだが、これでホンの少しはタンチョウさんを理解したような気になった。さて、パネルの横にはなんと、タンチョウの巣の実物が展示してある。しかも、剥製のつがいとヒナまでいる。これは本当に貴重なものだ。つがいを見ることもあまりないが、巣については全く不可能だからね。

 

普段は遠くから見て、そのでかさは「アオサギなんて目じゃない」なんてわかったような事を言っていたが、間近で見ると本当に大きな鳥だ。また、鳥類全般に言えることがだ、凛々しい目をしている反面、何となく悲しそうにも見える。それは寿命の中で精一杯に子育てを行い、1羽でも多くの子孫を残そうとする生命力と、環境の変化等、様々な要因で生息数を維持できないかもしれない、という心配を表しているように思えた。

 

もちろん、管理人は化石燃料をバンバン使って、電力もビリビリ消費しているが、それを止めることもできない。ただ、こういう施設で野生の動物について学ぶことで、少しでも環境に対して意識を持つことは必要なことではないだろうかと思うのである。

 

最後に、屋上の展望スペースから釧路湿原を見渡す。ここは湿原の一番南側なので、北側に緑色の地面が広がる。ただ、天気がイマイチなので、昨年、一昨年のような鮮やかなものではない。冒頭の写真がこの時のものだ。余談だが、ここから木道を30分程度歩くと、大パノラマが広がる「サテライト展望台」があるようだ。今日は時間の都合上、屋上からの景色で我慢だが、またたずねてみたいものだ。

 

それはそうと、下の写真を見るたびに「どこで写した写真なのか」と、自分でも思い出せないでいた。しかし、この施設のパンフレットを見て、ここだったのかぁと気づいた。21年前に釧路湿原を訪れた際、この先にある「サテライト展望台」に立ち寄ったようだ。

 

1994年8月11日

釧路湿原 サテライト展望台にて

 

実はこの展望台はマップルに掲載されていないので、もう閉鎖になったんじゃあないかって思っていた。それにしても、半人前にもならない21年前の管理人であるが、今よりも偉そうにしているのが笑える。この年の北海道も暑く、気温が30℃以上になった箇所が幾つもあったと記憶している。

 

3.寄り道

 

釧路市湿原展望台を後にして、苫小牧へ向かうのだが、土産の購入がまだであったことに気がつく。まあ、フェリーターミナルで購入すればよいのだが、いつもそれでは芸がなのので、六花亭で調達することにした。ちょうど釧路の街へは21年前に行ったきりだし、六花亭の支店も釧路にある。ちょうど良いので、寄り道していこう。

 

道道53号線を伝い、西側から釧路市街地に進入する。そして、途中で道道113号線で市街の中心部を避けるように東へ進む。おっと、六花亭は鶴見橋のたもとにあるのだが、反対車線にあるではないか。ひとまずここは通り過ぎて国道44号線に乗り、旭町で釧路川を渡ってそのまま河口へ向かって進む。おいおい、どこへ行くんだ、いや、幣舞橋の南側にある、ラウンドアバウト、ロータリー交差点だよ、ヤマトの諸君。

 

何じゃこりゃー

 

実はこのヨーロッパ式の交差点を通行するのは初めてのことであり、標識を見ただけで驚いてしまった。もちろん信号は無く、安全を確認して輪に入り、自分の行きたい方向へ向かう道へ進むだけのことだが、怖くて輪に入れないよ。

 

しかし、ちょうど車の列が切れたので、エイと環流に乗り、道道113号線白樺台方面へ抜けてしまった。ありゃー、この先どうしたら良いのだろうか。坂を上っていくと郵便局があったので、その駐車場で向きを変える。そして、今度は坂を下って、再びラウンドアバウトに入ると、そのまま幣舞橋へ続く道となっていたので、環状には走行しなくとも、目的の方向へ出ることができた。

 

やれやれ、ちょっと肝を冷やしてしまった。橋の邪魔にならない場所に止まり、写真を撮る。21年前に来た時もこんな立派な橋だったのだろうか、もう覚えていない。そして、釧路駅の近くにある「和商市場」へ行ったのだ。まあ、今となってはあまり魅力もない場所だが、当時は情報量も少なかったので、成美堂出版のツーリングガイドに従って訪れたのだったな。

 

幣舞橋にて

 

橋を見ながら昔日の管理人に思いを馳せていたが、さっさと走り去らないと切符を切られてしまうぞ。我に返って走行を再開する。このまま国道38号線に乗り、釧路駅を見送って市街地を抜けていく。釧路は北海道東部の首都みたいなもので、根室や中標津などよりもずっと大きな街だ。それ故に交通量も多いので、気をつけて進んでいく。

 

釧路大橋を越えて、北向きに進んだら国道を離脱して、川沿いに走行する。すると、先程通り過ぎた鶴見橋の所にある、六花亭に到着だ。なかなか、楽しい寄り道だった。

 

六花亭 釧路支店にて

 

小奇麗な店舗に小汚いオッサン、何とも不釣り合いだが、俺は客なんだから別に構わないだろう。店に入って、商品を吟味する。いろいろとあるが、北海道に行きましたというメッセージ性を考えれば、やはりバターサンドが一番だ。ただ、豊富に生乳を使用した焼き菓子も捨てがたい。そこで、職場用には焼き菓子、仲の良い人用にはバターサンドという選択をする。

 

それにしても、六花亭の接客はとても丁寧である。いちいち商品名と個数を読み上げては、レジを打っている。お客としては間違いが無いと確認もできるので、とても安心できる。これは、一見さんの観光客を多く相手にしている店として、とても合理的かつわかりやすい取り組みだと思う。

 

会計と送り状の記入を済ませた後、店を出ようと思った「本日発生したポイント100点余で、お好きな商品をお持ち頂けます」という、なんとも嬉しい事を言われた。それじゃあお姉さんを、いやいや、じゃあこの生キャラメルを一ついただこう。

 

4.耐久レースの始まり

 

気持ちよく店を出ると、時刻は既に13時だ。ここからは最短ルートで苫小牧へ向かうとしよう。まずは道道113号線で進み、少しだけ道道53号線ですすんだら、国道38号線バイパスで海沿いへ出る。ここの区間は長い直線なのでぶっ飛ばすことができるが、巡航速度の37ノットをきっちりと守り、淡々と走行を続ける。まだまだこの先長いし、免許に傷が付かないように、十分に注意する必要がある。ツーリングは家の玄関を開けるまでだよ。

 

それにしても、相変わらず天気がすぐれなく、薄ら寒い。また、海からは霧が流れてきている。北海道にタイツは必需品であると、改めて思い知らされる。よそ見にならない程度に海を見たりして進んでいくと、道の駅 白糠恋問を通過した。さらに、海岸線を離れて庶路、白糠の市街地を足早に通過する。

 

白糠を過ぎると景色が一変し、湿原の中を通るようになる。ハシクル沼を通過し、映画ハナミズキのセットがある音別、そして、ライダーハウス、ミッキーハウスのある直別にやって来る。ライハはもう辞めてしまったかな、そう思いながら前を通ると営業中のようで、のれんが風に吹かれていた。おばさんも、ご健在のようだ。

 

直別を過ぎると、国道38号線は山越えの道になる。今日は雨も降っておらず、薄日も差してきたのだが、2013年に訪れた際の大雨にはまったく往生したぜ。上厚内周辺の峠を越えつつ、少し昔の出来事が、まるで昨日のように蘇ってくる。そういう大したこともないことだが、管理人は妙によく覚えていることがしばしばある。自分のことながら、それがとても滑稽に思えて笑えてくる。

 

浦幌の市街地にあるセイコマに入り、ここで遅い昼食とする。因みに、ここも2013年に利用しており、ホストのチャリダー君に出会ったっけ。店の外で温かいコーヒーを飲みつつ、パンをかじる。そして、この先の道を確認していると、視線を感じる。その方向を見てみると、暇そうなおっさんが話しかけたそうな顔をしているが、無視してルートの確認に集中する。興味本位で話しかけられると時間が無駄になるので、ここは話しかけないでくれオーラで乗り切ることにする。不思議なもので、自分がそう念ずるだけで相手に通ずることがまあまあある。ただ、逆の場合はあまり伝わらないので、ご用心を。

 

走行を再開して、帯広方面へ国道38号線を進んでいく。おかしいなぁ、そんなに遠くないはずなんだけどと思うが、実際は距離にして30km程度あるのだから、30分はかかるということだ。マップルの距離表示をうまく使えとか言っておきながら、騙されている管理人である。まだまだ修行が足りません。

 

やっと帯広の市街地に入り、上陸して2日目にも通った国道236号線との交差点を通過する。さすがに市街地は交通の流れが悪いので、少々疲れてしまった。市街地を抜けた芽室付近でコンビニに入り、休息を取る。気温も高くなってきたので、眠くなってしまった。さっきコーヒーを飲んだばかりなので、今度は濃いお茶にしておく。いや、そういうことではなく、根本的に疲れているのだろう。ちょっと長めに休息してから、再出発する。

 

御影の市街地手前の「ムーミン牧場」の看板がある交差点を左折し、途中から道道55号線に合流して進んでいく。そして、日勝峠右折の看板を発見して、指示通りに進んでいく。マップルには「清水市街地をパスする道」と書かれた町道に乗ることに成功し、道東自動車道の十勝清水I.C.の西で、国道274号線に合流することができた。

 

ここで大きな峠である、日勝峠を越えるのだが、少し標高を上げた時点で霧が出始める。カッパを着るか、そのまま行くか、ええい、ここはそのまま進んでしまえと誤った判断をしてしまった。と言うのも、どんどんと霧は濃くなっていき、ジャケットが濡れるだけでなく、その水滴がズボンに滴り落ちるようになってしまった。これでは風邪を引くかもしれないので、6合目付近でカッパを装着する。濃霧の路肩でカッパを着るのはスリルがあり、ふもとで準備しておかなかった自分が恥ずかしいやら、情けないやら。北海道の霧をナメてはいけないとわかってはいたが、面倒なので強行突破してしまったのだ。

 

カッパを来て峠越えに成功し下りになると、今度は天気が急速に回復して、あっという間にカッパが乾いてきた。ついでにズボンも乾燥させたいので、逆側の6合目付近でカッパを脱ぐ。また、ちょっと冷えたことともあり、余計な水分も放出して軽量化しておいた。こんなことなら、太平洋側を走った方がよかったかもしれないね。

 

こうして、日高町で国道237号線に乗り換えて、heading300で富川町へ向かう。いよいよ旅も仕上げの時が来たようだ。徐々に暗くなりつつある、沙流川沿いの国道を淡々と積算計を回していく。今年は前半は天気が良い代わりに、メチャクチャ暑かった。最東端の手前で天気が崩れたが、結局カッパを着たのは上陸初日の2時間と、先程の日勝峠付近30分だけだった。全体的には恵まれていた方だろうが、ただ、霧が多くて景色がイマイチだったかな。

 

日が暮れて暗く、そして寒くなりつつある国道を40ノットで走りつつ、そんなことを考える。だんだんと心細くなる時間帯だが、今日は苫小牧東港からフェリーに乗るので、ランディング地点は考える必要はない。とにかく、港まで走るだけだ。それはそうと、現在の所までの残燃料はおよそ6L、前回の給油からの走行距離は380kmになろうとしている。港まで走り切ることはできるが、警告灯が点滅することは確実だ。時刻は18時30分になろうとしているので、スタンドが閉まる前に給油しておいた方が安心だ。

 

スタンドはないかと注意して進んでいくと、灯りの点いたエネオスのスタンドを発見した。ここを逃したらドキドキになってしまうので、すかさず飛び込んだ。山奥なので、フルサービスのスタンドだった。結果は14.1L搭載し、距離は381kmを刻んでいた。燃費は27km/Lを記録して、最終日にしてこの旅の記録となった。

 

すっかり暗くなったユーカラ街道を下っていくと、だんだん気温も上がってくる。こうなってくると、旅も終わりが近くなってきたことを示している。二風谷を通過して、平取の市街地も走り抜ける。何だ、ここにもエネオスがあったのか。焦ることもなかったが、先に給油して困ることはない。

 

国道235号線のバイパス下をくぐったら、いよいよ富川の街だ。時刻は19時を回っているが、西陣は営業しているだろうか。まだ大丈夫のようなので、ここで恒例のししゃも御膳を食べていくことにする。

 

やれやれ、疲れたな。一応メニューを見るが、注文するものはししゃも御膳である。いつものように、ご主人の几帳面な仕事ぶりを見つつ待できあがりを待つ。

 

富川の西陣にて

ししゃも御膳をいただく

 

さっそくいただくと、昨年も食べたものと変わらぬ旨さだ。淡白でありながら、実にしっかりした味がする。まだはしりのせいだろうか、脂の乗りはイマイチだが、それでも十分に濃厚な旨みを感じることができる。すし、刺身、焼き物、甘露煮、天ぷら、どれも本当においしい。

 

ししゃも料理を味わいつつ、ライダーであるご主人と話をしていると、クラシックカー好きでもあることも発覚した。えー、それは知らなかった。また、お祭りも主催したこともあるそうで、昔の告知のポスターを見せていただく。そして、昔日の思い出に耳を傾ける。

 

そうこうしていると時刻が20時になろうとしている。こちらの閉店時間なので、名残惜しいが、そろそろ出発することにした。外で準備をしていると、ご主人はシャッターを閉めに出てきて、ついでに見送りもしてくれた。

 

5.苫小牧東港

 

国道237号線で、西へ向かって走り出す。ここまで来ればもう安心だが、苫小牧東港でエンジンを切るまでは気を抜いてはならない。暗い国道を進んでいくと、再び霧が出てくる。ただ、水滴がつくほどではない、薄い海霧だ。それにしても、さっきの日勝峠の濃霧には驚いた。あれはレベルが違う。

 

こうして、厚真から左折して進んでいくと、暗がりに明るいフェリーターミナルが見えてきた。係員の指示に従って、バイクの列にマシンを止める。長かったような、短かったような、北海道での走行は終了した。やれやれ、結構な距離を走ったので、随分疲れた。

 

苫小牧東港にて

 

ターミナルの建物に入り、椅子に座って一息つく。思わずため息がでてしまったので、やはり歳だと実感する。さて、既に復路の切符は引換えてあるので、乗船開始の放送を待つだけだ。時刻はまだ8時40分なので、2時間以上ある。メモをつけたり、テレビを見たりしていたが、疲れたので一眠りすることにする。それにしても、4、5名のオヤジ達のグループがうるさい。こいつらの中には、ロビーの椅子を一列使ってごろ寝している奴もいる。なんでドイツのB社のマシンに乗る人は、こういう人が多いんだろうか。いや、B社のバイクには罪は無い。こういう人間にのみ、マナーについて考えてもらいたいものだ。

 

これは当方の私見だが、B社のマシンは一般的に値段が高い。これを購入できる人は、おそらくお金持ちが多いのだと思う。そういう人は会社的な地位も高いと思うのだが、ここは会社ではなく「社会」である。会社でどれだけ偉いかはわからないが、社会では皆同じバイク乗りのオッサンである。こういうことはやめて欲しいと思うと同時に、反面教師として、自分の行動も見返しておく必要があろう。

 

目が覚めて時計を確認すると、時刻は22時45分だ。周りいたライダーの姿が見えない。慌ててマシンの列へ向かうと、既に乗船手続きが始まっており、皆自分のマシンにまたがっている。寝ていたので、放送を聞き逃したのだろう。

 

バーコードをスキャンしてもらい、慎重にタラップを上っていく。そして、指定位置にTDMを止めて、荷物を網棚に移動、自分は客室へ上っていく。係員に寝台の位置を案内してもらい、荷物を置いたら即座に風呂へ行く。1時に就寝した。

 

本日の走行 340km

 

8月8日(10日目)へ続く