2015年 夏の北海道ツーリング

 

2015年 7月29日~8月8日

 

天北南部広域農道

(通称エサヌカ線)

にて

 

8月4日(6日目)

 

1.起床

 

7時に寝床から這い出して、1Fへ下りていく。既に数人が朝飯を食べながら話しているので、挨拶をしつつセイコマへ食料を調達に行く。カロリーメイトは昨日購入しておいたので、今日は牛乳と走行の合間に摂取する水分を手に入れる。

 

宿に戻って長テーブルで食事をするが、朝からちょっとやかましいチャラオヤジが、30歳ぐらいの人妻にちょっかいをだしている。まあ、気持ちはわかるのだが、ちょっと見苦しいなと思ってしまう。

 

テレビのD放送で雨雲の動き、各地の天気を確認しながら牛乳を飲む。旅に出ている時こそ、牛乳は必要だ。それにしても、このよつ葉牛乳は旨い。そう思っていると、人妻さんが「昨日、洗濯を乾燥機から取り出すのを忘れていて、誰かがカゴにいれておいてくれた」と言っているのが聞こえてきた。これは怠惰を指摘する良い機会だと思い、「いやあ、俺が乾燥機を使いたかったので、失礼ながら取り出しました」と自供した。もちろん、一枚拝借とかそういうアホなことはしていない。むしろ要らない。

 

そしてその人妻氏は「名乗り出てくれて、優しい方ですね」と。そりゃあねぇ、変な疑いをかけられたくないからさ。それよりか、この人の普段の家事の様子が想像できちゃって、ご家族に同情してしまったとは言い過ぎだろうか。

 

そんなことをしていたら、8時近くになってしまった。今日は北から雨雲が南下してくるようなので、急ぎ南へ向かうことにしよう。もっとも、これ以上北に行くこともできないか。

 

みどり湯前にて

 

2.出発

 

記念撮影を済ませて、道道106号線を東へ少し走り、国道238号線で機首を070°へ向けて進んでいく。幸いにもまだ薄曇りで、陽が差している。最北の風を切りながら稚内空港の北側を通過するが、駐機場には旅客機の姿は見えなかった。ここでステイして、始発を迎えるというダイヤは無いらしい。ということは、稚内の人が名古屋へ出張したい場合、前日から泊まりになるわけか。

 

漁村を通りながら、そのまま宗谷岬を目指す。朝は漁師さんの活動時間と思っていたが、案外と静かである。まだ漁から戻っていないのだろうか、今日は休みなのだろうか。そう考えつつ国道を離れて、道道889号線で宗谷丘陵へ行く。昨日走ったばかりだが、今日もその大きさや地形の凹凸に驚いてしまう。自然の前には、人間の力は無力に等しいと改めて感じた。

 

そのまま道道を東へ進んで1077号線に合流し、さらに東へ行き国道238号線へ復帰しようと思うが、また宗谷岬へ行きたくなった。そこで昨日と同じように、牧場のある町道へ左折していく。宗谷岬も何があるというわけでもないのだが、千葉紘子さんの「宗谷岬」をその場所で聴くとなかなか風情がある。「ハマナス咲いてぇ~、かもめも鳴いてぇ~♪」の歌詞が、いかにも北海道らしいと思う。関係無いが、気温は24.7℃が表示されていたと追記しておく。

 

つまらないこだわりよりもまだ走破したことが無い、道道889号線を行く方が価値があったなと今更ながらに気がついたが、それは次回の宿題である。宗谷岬にも再会を誓って、最北端の給油所へ向かう。

 

ここまでで400㎞で14Lだから、28.5㎞/Lと北海道燃費値を記録した。累積走行距離が10万㎞を越えたTDMだが、性能的な衰えはほとんど感じることがない。問題は冷間時のアイドルアップ不作動だけだが、こちらは帰還したら修理に出すことにしよう。

 

いつものように、最北端の給油証明書と、ホタテの貝殻でできたキーホルダを頂く。お店の人によると、冬の暇な時に次シーズン分を作り貯めるそうだ。昨今は車両の燃費向上や保有台数の減少で、ガソリンスタンドの経営は苦しくなる一方と聞くが、こういう地道な努力をしている店もあるんだな。

 

特に何てこともないものだが、その心が嬉しいではないか。取り扱うのは心、人間の心でございます。「笑ゥせえるすまん」の台詞が好きなオークラ氏の事を思い出し、国道238号線をオホーツク海沿いに進んでいく。

 

安田石油のプレゼント

 

ところで、不思議なことに宗谷岬を境にオホーツク海側へ出ると、風が急に冷たく感じるものだ。今日は幸いにももともと気温が高いので、いつぞやみたいにフリースを着ることもない。繰り返しになるが、今年は本当に暑い時期に渡道してきたようだ。

 

3.南下開始

 

曇り空のもと、淡々と走行を続けていく。若干蒸し暑いので雨が降らないか心配であり、何となく気が急いてしまう。ただ、こんな所で焦ってミスを犯したくはないし、雨が降ればカッパを着るまでだ。そして、そもそも今日の予報では雨は降らないと出ている。現に時々は日が差しているではないか。

 

そんなことを考えていたら、道の駅 さるふつ公園が見えてきた。前述のようにスタンプ帳があるので、ここにも寄っていこう。右ウインカーを出して駐車場へ入る。

 

こちらはきれいな芝生のキャンプ場と、敷地内のホテルに温泉もある。一度泊まってみても良いなと思うが、如何せん吹きさらしで目の前が荒々しいオホーツク海だ。設営、撤収時に苦労しそうな気がして、結局はこの先のクッチャロ湖キャンプ場を利用することが多い。もっとも、今年は時間的にどちらも利用することはないので、スタンプを押した後は水分補給をして出発する。

 

道の駅を離れるとすぐに、ライダーハウス「やませ」を通過する。こちらはいつぞやに新築されて綺麗になったが、年々傷んでいくように見える。それだけ気候が厳しいということだろうか、やはり自然の前には人間は無力なのだろう。

 

小さな街である芦野地区を通過し、ポロ沼沿いを走行する。ただ、柵がしてあり、ちょっと土手が高くなっているので沼を見ることはできない。関係ないが、会社で定年になったカネさんが、T社のライトバンを「ボロボックス」と評していた。

 

そして浜猿払小学校の所を左折し、海沿いの突き当りをさらに右へ曲がる。ここからは天北南部広域農道、通称エサヌカ線の始まりだ。ここを通るのはTDMでは2回目だろうか、SLではこの道のさらに海側にあるダートを走行したことがある。穴ぼこだらけでたまに水たまりとなっており、なかなか苦労した思い出がある。どうやら、漁師の人が使う道のようで、脇には漁業用の網などが置いてあった。

 

北海道らしい道

エサヌカ線

 

曇天なので2011年のような景色ではないが、こういう直線道路は本州には少ないので見応えは十分である。しかも、今日はほぼ貸切であり、他に通行する車両は皆無だ。適当な場所を見つけて写真を撮るが、道の終わりは見えなかった。

 

しばらく走行していくと、牧草地に入ってくる。ちょうど牧草ロールを作っているところで、いくつもの、袋詰めを待つロールが無造作に置いてある。こういうものを見る機会も少ないので、写真に収めておく。冒頭のものがそれだ。

 

北海道では直線路は珍しくはないものの、ここは別格だ。進んでも進んでも、まだまだ先が見えない。相武紗季は30歳になったようだ。俺と干支が一回り違うのね。

 

4.内陸へ変針

 

ようやく直線が終わり、クランク状に走行したら、元の国道238号線に戻る。左折して進んでいくと「よつ葉牛乳」の工場が見える。会社の先輩の母上は、こちらの牛乳を使用して自家製のパンを製造・販売している。因みに、牛乳はコンビニでも販売されており飲んだことがあるが、なかなか美味しいよ。

 

そう思っていたら、浜頓別の市街地にやって来た。ここはクッチャロ湖畔にある街で、クッチャロ湖キャンプ場もある。このキャンプ場は管理人のお気に入りベスト3に入るもので、商店やホームセンターが近い、温泉は徒歩圏内、サイトはきれいな芝で湖の景色は最高である。

 

また泊まりたいなと思いつつ、突き当りのT字で右折し、国道275号線へ乗り換える。ここで海沿いを離れて、山間部をぶっ飛ばしていく作戦だ。思った通り交通量はほとんどなく、好きな速度で走行できる。ただ、公道なので、自主規制で45ノット程度を維持していく。

 

少し行くと、ウソタンナイ砂金採取公園の看板が現れた。金=金銭という等式が頭をよぎり、砂金採りをしていくかと考えるが、親指の頭ぐらいの塊がザクザクと出てくれば話は別だが、そんなに簡単にはいくまい。因みに漢字表記は「宇曽丹」であると追記しておこう。

 

さらに速度を維持して行くと、中頓別町へ入る。そして寿公園の横を通過すると、SL機関車とF104戦闘機に気がつく。ちょっと寄り道したいが、いつ雨が降り出すかもしれないので、泣く泣く通過する。後日Wikiで調べてみると、これはロッキード社が開発したF100セイバーの発展型で、マッハ2の速度で飛行することができる。また、そのエンジンはGE社のJ79型が使用されており、このエンジンの商用である型CJ80系は、コンベア社の旅客機であるCV880やCV990にも採用されている。さらに余談であるが、CV880は日本航空が初めて所有したジェット旅客機である。しかし、マイナートラブルが続出したり、保証された性能が出なかったり、操縦安定性が悪い(エンジンは強力だが、推力に不均衡が発生しダッチロール状態に陥りやすいそうだ)ということで、ダグラスDC-8導入時の下取りとして早々に姿を消している。

 

CV880はその巡航速度の速さで「最速」の触れ込みで売り出されたのだが、戦闘機のエンジンを流用で旅客機に搭載するというその考えが理解できない。当時はそんなものだったのだろうか。

 

中頓別の市街地では速度を25ノットへ減じ、道道120号線へルートを切り替える。これは敏音知(ピンネシリ)山の東側をショートカットするための選択で、特に意味はない。また、こちらの道も交通量は皆無であり、原野や牧場が続く良い道だ。

 

通常巡航速度の45ノットを維持して曇り空の下、快走を続けていく。途中に兵安という小さい街があるが、ここにも砂金の採取場があるようだ。この辺りは金脈があるようだ。

 

小頓別(しょうとんべつ)の看板が出たので、道道647号線へルート変更スタンバイである。ここを行き過ぎてしまうと歌登方面へ行ってしまうので、今後のライダーの補給計画が狂ってしまう。これでは話にならないので、速度を30ノット程度にして分岐点を待つ。

 

右折して無事に道を乗り換え、道道647号線の看板も確認したので、速度制限を解除して45ノット巡航に戻る。さて、TDMでの渡道は6回目であるが、こういう場面ではその能力が遺憾なく発揮される。フロントのスクリーンとカウルのおかげで、風圧はコントロールされているし、エンジン的には最高トルク発揮回転数の半分程度と超余裕である。想定される経済巡航速度は75ノットぐらいかもしれないが、そんな速度ではライダーがマシンを操作できないよ。よって北海道でのTDM推奨巡航速力は45ノットとしており、これならば様々な観点からしても均衡が取れているというわけだ。

 

全く持ってマシンに助けられている管理人であるので、自分が上手くなったような気になってはいけない。全てはマシン性能のおかげで、高速コーナー、直線を楽々と走破しているのである。そう考えていたら、国道275号線の頓別国道へ再び突き当たる。ここを左折して、音威子府へアクセルオンだぁ(TV大阪の千年屋アナ風に)。

 

こうして、無事に音威子府の街が見えてきたので、道の駅へ滑り込む。ここでもスタンプを押していこう。平日の昼間なので道の駅は空いていてる。そして、少し奥まった場所にスタンプを発見した。ところで、道の駅のスタンプであるが、大体の傾向として、トイレの入り口前のスペースに設置されている場合が7割ぐらいだ。ここ音威子府でも同様であったと補記しておこう。

 

スタンプを押していると、後ろから定年退職したばかりだよという雰囲気の夫婦がやってきて、スタンプが空くのを待っている。あ、今退きますので、すいません。さて、その夫婦のご主人であるが、何冊ものスタンプ帳を持っており、ペッタンペッタンと力を込めている。

 

まあ、スタンプ欄が埋まって景品がもらえるのは嬉しいし、現に管理人も30個で3,240円分の金券になるということで、こうしてラリーをしている。しかし、他人が押したものでプレゼントを貰うのはどうかな、やっぱり嬉しいか。因みに、その人のスタンプ帳は道の駅が主催しているラリー用のものであった。これは全国を9ブロックに分けて、そのブロック毎にスタンプ帳を発行し、ラリーが完結するというものだ。もちろん、ここは北海道なので、北海道ブロック用のスタンプ帳を使用していた。

 

3,240円で何をもらおうか、やっぱりスズキ純正エクスターオイルのTYPE04が一番良い。2Lは自前で購入すれば、帰還後にTDMのオイル交換ができるではないか。薄給の管理人には、ありがたい話である。

 

5.昼飯は

 

腹が減ってきたが、我慢して先を急ごう。国道40号線で「黒い蕎麦」ののぼりが各所に立っている、音威子府の市街地を抜けていく。蕎麦でも悪くないが、やっぱりジンギスカンを食いたい。そう言い聞かせて、咲来、恩根内とタンチョウ鶴な国道を進んで行く。

 

順調に車輪を回すが、腹が限界だ。ちょうど道の駅 びふかが近いことだし、エクスターオイル、いやスタンプを押印がてらにおやつで補給をしておこう。ここは昨年も立ち寄った駅で、おやつ類が豊富に用意されている。昨年はあげいもを食べたが、今年はコロッケにしておく。

 

日が差して暑いので、日陰でコロッケを食べつつ今後のルートを検討していく。この先は国道40号線の名寄バイパスの美深I.C.に入り、名寄市街地を目指そう。そうと決まれば善は急げなので、エンジン始動許可を得て、主要国道の巡航速度である35ノットで先を急ぐ。

 

ホクホクで旨い

 

途中の富岡地区で「函岳山頂まで34㎞」の看板が出ているのだが、昨年と一昨年はスーパー林道を走行している。あれだけ長~いの未舗装路だが、整備がバッチリなので15から20ノットで走れたし、景色も最高の道だ。関係ないが、「太~い」は阿古谷である。オオクワ301は農産物なども扱っていて、儲かっているらしい。

 

バイパスに入ってからは周囲の速度に合わせて、45ノット程度で走行を続ける。近年北海道では速度取締が厳しいので、主要国道で飛ばすことはやりたくないのだが、流れに乗っていれば問題は無いと思われる。ただ、バイクだけが冷遇されているので、後方は目視確認を励行したい。

 

バイパスを名寄北I.C.まで走ったら、通常巡航に戻って名寄駅を目指す。ここには「三星食堂」という老舗の大衆食堂があり、ジンギスカン定食も用意されている。考えてみれば、昨年もその前も立ち寄っているので、3年連続になる模様だ。

 

国道40号線で市街地に入り、西四条南一丁目で下川国道こと239号線に乗り換える。そして、名寄市役所が見えたら次の中央分離帯がある広い通りへ右折して、少し下れば到着だ。

 

時刻は13時前だが、食堂の駐車場は一杯である。かなり混んでいるようだが、これからは空いていくという希望に基づいて、入店することにした。うぉ、座る所がないなと探すが、相席なら座れるということで席に着いた。そして、水が運ばれてきたところで

 

「ジンギスカン定食大盛り」

 

とニヒルに注文をしておいた。まあ、相席とは言えども、そのうち空いてくるでしょう。そう考えながら、マップルを見てこの後のルートを検討していく。

 

向かいに座る人の料理はすぐに運ばれてきたが、周りのお客は待ちの状態である。これは結構時間がかかるかも、まあちょっと疲れたので長めの休息ということで。現在位置から考えて、残りの走行時間は3~4時間程度になりそうだ。ランディングのことも考慮して、食後の飛行計画を策定していく。

 

向かいの人が食べ終わり、しばらくしてから当方のジンギスカンがやって来た。30分ぐらいはかかったのだが、ここは主人が一人で調理をしていて、あとはホール2名、厨房内2名のオバちゃんで回している。このくらいは仕方ないだろう。逆に、これだけ人が入っているので、当たりだと言える。

 

ジンギスカン定食大盛り

 

マチカネタンホイザのジンギスカンを食すると、昨年と変わらない味だ。庶民派煮込みジンギスカンというスタイルである。タレは醤油で、素朴ながら飽きのこない味だ。時間がかかることを見越して、量を多めに注文しておいて正解だった。

 

ガツガツとあっと言う間に完食したので、また少し地図を見ておく。その間、客は減ってはいるものの絶えず入ってきているので、厨房はてんてこ舞いである。

 

行先も決まったので、会計を済ませる。この際に主人に「3年連続で来た」旨を告げると、「ああ、名古屋の人ね」とおぼろげながらに当方を覚えていてくれた。3年連続で来てはいるが、少し話をしているだけでよく記憶できたなぁ。こういうことがあると嬉しいので、また機会があったら寄りたいものだ。

 

三星食堂駐車場にて

 

せっかく名寄に来ているので、ひまわり畑を見ていこう。北竜では素晴らしい開花状況だったので、こちらもかなり良いはずだ。駅前の通りを北進して、下川国道の239号線を渡り、道道939号線で名寄川を越えていく。すると右手に名寄市サンピラーパークが見えてくる。いつもひまわり畑になっている場所をみると、今年は草地になっていて何も植わっていない。おかしいなぁ、ひまわり祭りのメイン会場はここなんだけどなぁ、そう思いながら公園内の道を通って高度を上げていく。

 

するとひまわり畑の看板が出てきたので、期待して進んでいくと・・・、あれ、全然咲いていないジャン。マシンを止めるとガイドの人が出てきて、ここは開花が遅れているので、名寄北I.C.の畑へどうぞということだった。えー、今通ってきたばかりだよ。

 

残念な開花状況

 

時刻は14時になろうとしている。今から名寄北まで行って、ひまわりを見て戻ってくると1時間はかかる。飯で時間を取られたので、今回は名寄は通過ということにした。ところで、このガイドさんは当方のバイクの車両標識を見て「わー、名古屋だ。私名古屋が好きで、この間も行ってきたばかりなんですよ」と喜んでいた。おそらくよい人がいるのだろう、それは良かった。

 

6.午後からも45ノット

 

元来た道道939号線を戻り、名寄の市街地で三度国道239に出会う。ここを左折して機首を東へ向けて、まずは下川方面へ向かう。名寄川沿いに国道を進んで行く田んぼが続く道をどんどんと進んでいくが、本当に田んぼが途切れることなく現れる。それもそのはず、名寄周辺は米の一大産地で、きらら397などの品種を全国各地に出荷している。もちろん、北海道ファンの当方も良く購入する。

 

しばらく走行したら、下川町の市街地に入った。さっき昼飯を食べたばかりだが、今日は燃費が悪く既に腹が減ってきたので、大福の補給をすることにした。街の中心部のセイコマへ入り、大福とお茶を購入する。天候は相変わらずで、曇り時々薄日という感じだ。また、2、3日前に比べればマシだが、相変わらず暑くバテ気味だ。

 

補給をしながら地図を見てルート確認をしていると、CB1300のライダーに声をかけられた。この方は荷物を積みたくないので、ライハで旅をしているということだった。確かにライハは安いし、テントを張ったりする手間は省くことができるが、一人きりの時間も欲しい。また、ライハ旅で慣れている人の中には、キャンプを下等に認識しているフシが見られる。まあ、管理人もせいぜいキャンプは半分なのでエラそうなことは言えないが、どちらも重要な宿泊手段であると思っている。

 

ところで、ここ下川町には「下川軌道車」という、興部や常呂にもある、客車に泊まることができる施設がある。もちろん使用料は無料であり、街中にあるので便利も良いだろう。このCB氏もそのことを知っており、今日の宿候補であるということだった。

 

補給後は今日のランディング地点を目指して、やや忙しくなってくる。まずは国道をそのままheading090をキープして進んでいくと、上興部という街にやって来る。ここには「ひなた母校」というとほ宿が存在している(た?)。昨年、元とほ宿の「一粒の麦」に宿泊した際、興味本位で「移住して宿のオーナーになることがどういうことか」についてたずねたことがある。その際、ここ西興部の話になって、麦のオーナー曰く「正直興部は通過するだけの街なので、あまり人が来ない。だから、オーナーも送迎バスのアルバイトなどが本業になっている」という話を聞いたことがあったので、ちょっと気になっていた。

 

前を通ると、「ひなた母校」というバス停もあるのだが、宿として営業している様子はまるでなかった。ただ、帰宅後に調べてみると、前のオーナーは本州に帰って、新しいオーナーが再オープンを準備しているということだった。しかし、そのブログも今年の7月で更新が止まっている。やっぱり難しいのだろう、楽な仕事はないですなぁ。

 

そんな世知辛さを感じつつ、西興部まで走行していく。そこで道道137号線に乗り換えて、機首を南寄りの100°に変針した後、淡々と山道を45ノットで飛ばしていく。

 

ほとんど民家が無く、牧草地か原野かという景色がどんどん流れていくので、本当に前へ進んでいるのか疑わしくなるが、TDMのメーターは着実に距離を刻んでいるので、その心配は杞憂である。余談だが、軽飛行機の場合、対気速度は70ノットでも、対地速度は35ノットということがあるようだ。要するに向かい風が強すぎて前に進んでいかないということだよ、ヤマトの諸君。また、太平洋路線の西向きでも向かい風が150ノット吹くこともあり、東向きよりも1時間余計にかかるなんてことがよくあるそうだ。

 

滝上町の郊外で道道61号線に突き当たり、ここは左折して市街地方面へ進む。そして市街地の直前で渚滑国道こと273号線に合流する。景色の変わらない山奥ばかりを走行していたので、前述のように対地速度が出ていないかと心配していたが、市街地に入り安心した。また、それと同時に疲れが出てきたので、しばらくぶりの道の駅である、たきのうえで休息することにした。

 

やけに広い駐車場に立派な建物が立っているが、人影はまばらでありあまり活気がない。先ほどの西興部ではないが、ここもどちらかというと通過する人がメインの街なのだろう。突然現れた豪華な建物に政治的な力と土建屋の利権をひしひしと感じてしまい、なんだかやるせない気持ちだ。でも、スタンプだけは押しておく。おっと、知らないうちに、スタンプ帳もあと1枠を残すのみとなった。なんだ、最終日を待たないで終了だよ、北海道ってやっぱりでかいな。

 

道の駅 たきのうえ

 

時刻は16時前なので、予定通りに湧別の五鹿山キャンプ場をランディング地点に定める。この辺りは明日の朝までは天候が良いので、撤収時も問題ないと判断できた。まずは目の前の国道273号線を少し東へ走り、道道137号線へ右折する。この道も交通量は皆無で、マップルのコメント通りである。それもそのはず、山の中を通る中高速のコーナーが続く道路だから、人気の無い道なのだろう。

 

うぉ、いきなり背後から猛禽類の、トビにしてはでかい鳥が滑空してきて目の前に現れた。バイクに積んだ荷物を狙おうとしたのだろうか。びっくりしたなぁ、青汁の留守電に「八名信夫」が出たくらいに驚いた。おっと、次は道路にきつねが出ているのが見えた。危ないなぁ、エサは無いぞ。それにしても、民家は一切見当たらないので、こんな所でコケたりしたらえらいことだ。猛禽類に襲われる、キツネにかじられる、3日後に発見、といういつもの論法が成り立ちそうだ。

 

何もありませんよ

 

ようやく、立牛地区のちょっとした街が現れたが、そこでは人が道路の真ん中を歩いている。うぉ、轢かれたいのか、いや車が通らないからこれで問題ないと思っているのだろう。そして、そこからはまたまた山奥のワインディング路である。幸いにも取締りは行われていないだろうから、40から50ノットで爆走していくことができる。

 

コーナーをどんどんとクリアしていくが、何回か黄色い物体が道路脇に飛び込んでいく姿が見える。おそらくキツネがびっくりして、逃げているのだろう。それはそうと、この時間では鹿も活動し始めるので、あまり調子こいていては危ない。巡航速力は40ノットまでとして、上原峠を通過していく。

 

7.ランディング

 

社名渕(しゃなぶち)地区を過ぎて道道336号線へ乗り換えれば、後は上湧別市街地まで一本道である。この辺りはひたすら走行という気持ちで、曇天と迫り来る日没で心細いことこの上なかったと告白しておこう。因みに、初めて思いを告白したユミコさんは、高校時代の同級生と結婚している。先日、偶然写真を見たが、当方等の年齢としては十分若く見えた。

 

ワインディング路が終わって、道がまっすぐになった。市街地が近くなってきた証拠である。また、雲がとれて青空も見えてきたので、気持ちもいささか晴れてきた。そう思っていたら、国道242号線との交差点に差しかかる。ここを左折して一気に五鹿山キャンプ場を目指そうかと思うが、その前に温泉がある市街地に立ち寄って、記念撮影をしておく。

 

上湧別駅跡にて

(右後方に温泉施設が見える)

 

町道を通って住宅地を通り過ぎ、五鹿山への看板に従って進んでいく。さて、この五鹿山は夏はキャンプ場、冬はスキー場、その他スポーツ施設の集まった総合運動公園である。昨年も利用して、中々良かったので今年もやって来た。道沿いのオートキャンプ場を横目に進んでいき、右折して森の中の事務所前にマシンを止める。そして、今日キャンプをしたい旨伝えると「オートキャンプ場の方が虫も少ないし良いよ」と薦められる。はたして、その使用料が2,000円と告げられたので、500円のキャンプ場が良いと突っぱねた。すると「今日は子供が大勢泊まるので、うるさいかもしれない。蚊も出るよ」と。いやいや、500円の方が好みなんだと伝えると、後ろの方から

 

「どんなに言ったって、この人は無駄だ」

 

と言う声が聞こえてきた。それはその通りで反論の余地は無いが、客相手にそんなことを言うものだろうか。気分を害されたが、キャンプの環境に罪は無い。料金を支払って、指定の場所へ向かう。昨年のおばさんはとても丁寧な感じの良い人だったのに、こいつらのせいで評判はガタ落ちだぞ。

 

それでも今日の寝床である、森の中の18番の区画にテントを立てれば、1日の終わりを感じてホッとできるものだ。このキャンプ場はとても雰囲気が良いし、テント床も一段高いので気に入っているのさ。

 

五鹿山キャンプ場の500円の方にて

 

時刻は18時近くになっているので、さっさと風呂へ出かけよう。いつものように、テントの中に荷物を散乱させたままにして、「かみゆうべつ温泉 チューリップの湯」へ向かう。どうもこういう場合、荷物の片付けが上手くいかないんだよなぁ。テントは重量があるのでザックの底に入れたいし、着替えは一番上、キャンプ用品等は中程に、やっぱりキャンプをする度に、すべてをひっくり返してテントを張るしかないのか。

 

独りで納得しつつ、温泉へ車輪をすすめる。この時間でも結構蒸し暑いなぁ、そう思いながらエアコンの効いた建物に入って、入湯料500円を払う。この時間は混んでいるなぁ、そりゃそうだ。飯の前に一風呂浴びるか、誰でも考えることは同じである。

 

体を洗って露天風呂に入り、刻々と赤みが増していく空を眺めつつ体をほぐしていく。いやぁ、今日もよく走った。天気も土壇場で回復して、言うことなしだ。目をつぶると、今走行してきた森のワインディングの風景が浮かんでくる。それにしても今日も疲れた、年々疲れがひどくなるのは気のせいだろうか。いや、やっぱり運動していても衰えに逆らうことはできないのだろう。

 

ゆっくりしていたら19時近くになったし、ノボシビルスクになる前に上がるとしよう。服を着て座敷の休息所でごろ寝して、水分を摂りながら天気予報を確認する。うん、明日の午前は問題ないが、午後はひょっとしたら降られる可能性もあるな。女に振られることは慣れているが、雨に降られるのは非常に嫌だ。これはいつまでたっても慣れることができないな。

 

少しウトウトしていたら、19時30分を回っていた。いかんいかん、買い出しをしてテントに戻ろう。セイコマで助六、ざんぎ、卯の花を購入して夕食とした。

 

夕食とオッサンの足

 

食事をした後、メモをつける。昼間よりはマシだが結構蒸し暑いので、扇子であおぎつつの作業となった。そして、まだ21時なのに既に眠たくなってきたので、我慢しないで寝袋に入った。

 

本日の走行 370km

 

8月5日(7日目)へ続く