新日本海フェリー
新すずらんにて
朝8時に目が覚めるが、パンを食べてまた寝る。さすがに疲れているのか、体がまだ寝ていたいと言っている。関係無いがアニメ北斗の拳で、チンピラが崖に向かって投げられたのを見て、親分が強がりつつ、ガクガクと震えていた。それを見てケンシロウが「そうれ見ろ、体が怖いと言っているぞ」という場面があった。
船内放送で再び目が覚めると、午前10時だ。恒例のビンゴ大会があるので、奮って参加下さいということだ。寝てばっかりいてもつまらないので、淡い期待を持ちつつ4F会場へ行ってみる。既に100名以上の人が集まっていて、番号の発表を待っている。当方もカードをもらって、少し離れた場所に座る。
10時30分頃から番号の読み上げが始まる。おや、いつもならなかなかカードが開かないのだ、順調に抜けていく。最終的には3面待ちのリーチになったが、そこまで。商品が無くなってしまった。まあ、そんなに世の中甘くないってことだね。
ビンゴが終わったら11時を過ぎている。腹が減ったので、売店でカップ焼きそばとチョコレートを購入して、昼食とする。どうせならば、レストランでちゃんとしたものを食べればよいのに、なぜかこういうものが食べたくて仕方なかったのだ。
食事の後は風呂に入り、眠たい体を目覚めさせる。頭と体を洗ったら、貸切の露天風呂へ入る。昨日は天気があまりよくなかったが、新潟沖を航行中のフェリー付近はとても天気が良い。航海速力25ノット以上で海上を走るすずらんでは、心地の良い風が吹いている。あーあ、今年も俺の夏が終わるのか。当方にとっては北海道ツーリング=夏なのである。青空を見上げながら、寂しい気持ちになる。日にちのことを考えると、随分長い間旅をしていたのだが、感覚的にはあっという間に過ぎてしまった。
今年で9回目の渡道になったのだが、毎回同じ気持ちになる。何日間旅をしても、結局はそう感じるのだろう。21年前は20日以上の旅だったにも関わらず、やはりそう感じていたkら。楽しいことはすぐに過ぎるというが、まったくその通りだ。
ノボシビルスクになる前に風呂から上がり、寝台に戻ってメモを整理する。結構グチャグチャと書いているので、忘れないうちに読みにくい字等を書き直しておこう。何だか眠くなってきたので、作業終了と同時に昼寝体制に入る。
目が覚めると15時頃だった。特にすることもないので、そのままゴロゴロとして過ごす。ただ、それも飽きてくるので、後方のオープンデッキでお茶を飲むことにしよう。扉の外へ出ると、湿度と温度を感じる。緯度が下がってきたので、太平洋高気圧の運ぶ空気に入ったようだ。旅の終わりが容赦なく近づいてくるのが残念でもあり、一方でホッとするような気もする。
それはそうと、苫小牧東と敦賀の航路に2012年から就航している新造船であるが、とても快適である。新日本海フェリーの発表では、舞鶴と小樽の航路に就航している船と「同仕様」ということだし、数字上はその通りだ。しかし、横波を受けたり、波を乗り越えたりする時、船体剛性やたわみの特性が数段上ではないかと感じる。
往路には舞鶴からの船に乗ったので、その違いは一目瞭然、いや、一乗瞭然だった。船体剛性的にはそれ程差はないのだが、やはりたわみ特性、言い換えれば剛性バランスとでも言おうか、微調整が効いているという印象だ。
因みに、この船は一隻130億円ということだが、航空機で言えば150人乗りの、ボーイング737-800と同じぐらいか。そう考えると、飛行機って高いなぁ。日本製ならもっと良いものを安く提供できるのではなかろうかと考えるが、それはただの無知だろうか。
寝台に戻り地図を見たりしてゴロゴロしていたら、いつの間にか寝ていた。そして、18時頃に再び目が覚めたのだが、頭がボーっとする。明らかに寝過ぎだろう。しかし、腹が減ったし、20時30分には下船するので、ここでライダーの補給をしておくことにする。レストランへ向かい、肉じゃがと鯖の味噌煮を選択する。
普通の晩飯
ツーリング中は1食は豪勢なものを食べていたせいか、普通の飯が貧弱に見える。しかし、旅で食べていた食事が豪華であったので、これが通常の飯だ。人間とは、かくも贅沢に慣れるのは早いものなのだ。因みに、こちらの食事は結構イケますよ、この豚汁。
食事後は再びオープンデッキに出て、日没を眺める。もともと旅の終わりで哀愁を感じていたところへ、日没がその感情を盛り上げてくる。あまり嬉しいものではないが、喜怒哀楽という感情の4要素はバランスが取れていることが、人間としては健康であると思う。また、そういう人間の方が味があるのではないだろうか。もちろん、管理人は「怒」が過剰であることは言うまでもなかろう。
フェリーから見る日没
寝台に戻って、帰宅までの航法について考える。と言っても、夜間なので北陸道、名神高速、東名高速と繋いで名古屋I.C.で下りて、県道59号線を使用するだけか。いつも通りに事故に遭わないように十二分に気をつけるのみだ。ああそうだ、今回は休日割引があるのでETCを利用しよう。
寝転がりながら、色々なことが頭をよぎる。この先、仕事をどうしようか。実は、11月で15年勤務した今の会社を退職することにしたのだ。理由はいろいろあるが、決め手になった事は「事務所の移転」である。客先が岐阜県某市に移転する都合上、その下請けである管理人の在籍する会社もその近隣に事務所を移すのだ。独り者である管理人であるし、引越しの費用も出してくるらしいので、物理的には問題は無い。しかし、今のように文句ばかり言って納得のいかない仕事を心底嫌々こなすことは、精神衛生上誠によろしくない。精神科に入院した経歴も持つ当方にとっては、そこまでしてついていく気にはなれない。いくら生活のためとは言え、健康を損なっては何の意味も無くなってしまう。
不安はあるがまた新しい仕事を見つけて、バイクに乗って旅をする資金を稼ぐ必要がある。尚、この件については何かのついでに続報を発表する予定である。
いよいよ敦賀港に到着だ。ここから自宅までが北海道ツーリングである、気合を入れ直していこう。荷物をまとめて下船指示を待つ。あれ、いつもよりも放送が遅いなあと思っていたら、21時前になってやっと車両甲板に降りる指示が出た。マシンのところへ行き、荷物を積載して準備完了だ。おっと、もう周りの人はほとんど下船してしまったのか。毎度ながら思うが、管理人は動作が遅いようだ。
後はいつも通りに、国道8号線で北陸道の敦賀I.C.から米原J.C.と小牧J.C.を通り、名古屋I.C.で高速を下りた。その後、県道59号線経由で23時前、無事に自宅に到着した。お疲れさんでした。
本日の走行 180km
こうして、2015年の北海道ツーリングは無事に終了した。毎度ながら思うのだが、この「無事に」という部分が非常に大切なことなのである。旅は自然に終わりが来るが、無事にという条件を付けるとこの難易度はググッと上がる。本ページでもよく記載しているが「無事これ名馬」という言葉は、管理人の座右の銘である。今年の北海道ツーリングでも、それを達成できたことはとても嬉しい。
また、今回の北海道ツーリングは通算で9回目であった。よく「そんなに行けば、行ったことのない場所なんてないでしょう」と言われるが、とんでもない。まだまだ、行ったことが無い所が多数存在している。それどころか、渡道の旅に「まだ行っていない」所が増えているように思う。北海道って何回も行きたくなる場所であり、また行っても行っても制覇することができない、そういう場所である。
あとねぇ、今年の旅を振り返ってみると、7月末から8月初旬って一番暑い時期だった。稚内でも最高気温が25℃以上になっていたし、場所によっては楽勝で30℃を超えていた。これについては寒いよりはマシなんだけど、やっぱり気候が良いに越したことはない。また、湧別でキャンプした7日目以降は気温が下がったのだが、代わりに天気も崩れてしまい、景色があまり見られなかったのは残念だ。もっとも、これだけ気温が高いと霧の発生する可能性が非常に高いので、何とも言えない。いっそ8月下旬か9月の上旬に旅程を組む方が、天気的には安定するだろう。
そして、今回はなるべく今までに通ったことがない道を選んで走行したのだが、これがかなり良かった。国道だと警察の取締りや遅い車がいたりして、ペースが乱れるものだ。しかし、並行する道道等を選んだ結果、交通量はほとんど無いし、景色は良いし、取締に対してもそれ程神経質にならなくても良かった。もちろん、街を通過する回数が減るからであるのだが、何かあった時には深刻な事態になってしまうだろう。
それから、キャンプをした回数だが、3日目、4日目、6日目の3回のみだ。いつも目標は日程の半分としているが、今回も目標は未達に終わった。もう一回、どこかでキャンプできていたら、その目標を達成していたことが悔やまれる。今考えると、2日目の夜はキャンプできたね。
まあ、こんな感じで今年の大イベントは終了した。豪華でもなければ派手でもない、こういうツーリングを続けたいものだ。
印象的だった北竜町のひまわり
完
今年の走行距離 2,900km