望岳台からの眺め
7時半に起床する。疲れていたことや、クレッセの寝台が快適なこともあってよく眠れた。このライダーハウスであるが、ライダーハウスというよりもキャンプ場のバンガローという方が正解だろう。そのバンガロー1棟には寝台が3つ設置されており、荷物はその上に収納できるようになっている。そして、そのバンガローが敷地内に3棟建っている。また、多人数や家族向けにも2名以上で1棟貸切にできる、ログハウスも3棟用意されている。昨日の奥方の話によれば、最近は旅費を抑えた、自由な旅行を楽しむ家族が多くなっているということだ。ちなみにそちらの棟は、料金が一人3000円ということだった。
クレッセ全景
(中央が母屋、左側がログハウス、右側がライダーハウス)
ひとまずカロリーメイトとお茶で腹を満たす。できればオプションの朝食300円をお願いしたかったのだが、残念ながらご主人と奥方は早朝から出かけられていたので、今日は食事は準備できないということだった。
マップルを見ながら飛行計画を検討するが、最終日はあまり動き回らずに、ゆっくりしようと思う。今夜はフェリーに乗ることを考慮して、船内で使用するスリッパ等をあらかじめザックに入れて荷造りをする。今日が最終日とは、誠に残念な程に良い天気である。
荷物をマシンに搭載して、準備完了だ。最後に宿主さんにご挨拶をして、9時30分にクレッセを出発する。まずは目の前の国道237号線を中富良野方面へ下りて行き、道道353号線で日進ダム付近を通過する。そしてさらに道道966号線に乗り換えて、青い池の駐車場の順番待ちの列を見ながらぐんぐんと標高を上げていく。青い池はCMでよく放映されているので、こんなにも訪れる人が多いのだろう。今回はパスということで。
耳に違和感を覚え、気圧が下がっていることを体で感じつつ、望岳台に到着した。ここからは十勝岳が見えるのだが、今日は生憎雲がかかっているので何も見えない。
望岳台にて
(雲がかかっている上に逆光線である)
しかし、富良野の市街地や白金模範牧場がよく見えている。嬉しくなって写真を撮るが、思ったようにはいかない。いわゆる「人間の目は都合の良い法則」による現象であり、広い視野を持つことも、局所を凝視するのも、見たくないものは見えなくなるのも、すべて人間の目のみが成せる技である。一方、カメラはそんなに器用なことはできないので、レンズから入ってくる光を忠実に再現するだけだ。当方としては冒頭の写真のように、何枚かを繋ぎ合わせることで状況を再現することが精一杯である。
景色を堪能した後、少し離れた場所にある吹上の湯へ向かう。こちらはご存知、若かりし頃の宮沢りえが入浴した温泉だ。因みに宮沢りえは管理人の1学年下だが、誕生日は2週間ぐらいしか違わない。つまり、当方はそういう年齢なんですよ、ヤマトの諸君。
吹上の湯まではここから数kmしか離れておらず、あっという間に到着した。駐車場には何台かの4輪と、1台の2輪車が止まっている。それ程混雑してはいないだろうと思い歩いていくと、やや、結構な人数が入浴中ではないか。まあ、端っこの方でゆっくりしよう。そう思いながら脱衣所で服を脱ぎ、パンツで財布を早華くるみちゃんにして湯船に浸かる。あち、すいませんおとうさん、という感じで、今日はやや熱めの湯だ。しかし、だんだんと温度にも慣れてきて、心地よくなってくる。
ひとまず半身浴を楽しんでいると、隣のおっさんが稚内市にある「みどり湯」の話をしているのが聞こえてきた。最初は我関せずの方針を貫く予定だったが、その内容があまりにもよくわかってしまったので、我慢できずについつい「私は3回泊まったことがありますよ」と話に割り入ってしまった。
するとその人も「桃岩荘に行ったことがあるか」と返してきた。どうやら彼は最近行ってきたようで、出来事を色々と話してくれる。しかし、それを聞くと益々行く気が無くなってきた。というのも、当方の単なる主観的感想なのだが、その内容のことをしなくても、もっと楽しくバカができる方法があるじゃんと思ったからだ。つまり、桃岩荘に行ったことがある人の「楽しかった」ということは、主に「声を出して踊ること」のようなのだが、当方はそれよりももっと楽しいことを、日常的に行っているということだ。まあ、これは行ったことがないおっさんの戯言なので、聞き流して欲しい。因みに、みどり湯の女将も「あそこにはあまり深入りしない方が良い」と発言していたが、当方も全く同じ考えである。
その後、話題は「健康について」に移っていく。そのおじさんの持論では「諸先輩方を見ていると、70歳で不健康か健康かがはっきりと分かれる」ということだった。どういうことかというと、70歳を過ぎるとヨボヨボの人かピンピンの人か、どちらかになるということだ。もちろん、誰でもピンピンでいたいと思うが、そのためにはどうしたらよいのだろう。彼が言うには「日頃の運動」が非常に大きな役目を果たすそうだ。つまり、何かしら運動している人はピンピン、そうでない人はヨボヨボになると思ってほぼ間違いないということらしいのだ。
話が弾んでしまい、つい長居をしてしまった。11時30分頃には温泉を後にして、道道291号線で上富良野市街地へ向けて下る。そろそろ腹が減ってきたので、適当な所で食事をしたい。ちょうど街道沿いに富良野ラーメンの店「花道」を発見したので、吸い込まれるように駐車場に入っていく。メニューを見て、何を食べようか検討する。前にもこの店に来たことがあるが、その時は味噌ラーメンにを食べたので、今日は醤油ラーメンを注文する。
地図を見て、午後からの予定を考える。久々に「う○こ発電」でも見に行こうかな、あ、しまった。「羊の丘」でジンギスカンを食べればよかった。しかし、その時、ラーメンが運ばれてきてた。耐え難い程に腹が減っていたことは事実だが、よく地図を見ていなかった、というか全くのノーマークだった。まったく、何たる失態。
未練タラタラだが、ラーメンがわりあいと旨いのが救いだ。さて、このラーメンであるが、麺もスープもとても丁寧に作られる印象を受ける。鶏ガラをベースにしているが、煮干などの風味も効いている。また、野菜の旨みも良く調和している。麺にしてもコシがあることはもちろんだが、表面はツルツルとしている。後味もスッキリだ。
醤油ラーメン
(餃子も頼んだんですけどね)
特別旨いというわけでもないが、スープも飲み干してしまった。ここのラーメンは何か人の心を感じる一杯だった。さて、ライダーにとって、食事の後はアイスナメナメが定番だ。どこか良い所はないか、とマップルで探していると「ふらのチーズ工房のアイスが人気」という記載を発見した。ここならば富良野市街地のすぐそばなので行きやすい。詳細のルートを確認して、早速走り出す。まずは道道291号線を市街地方向へ走り、その後国道237号線で市街地を通っていく。
郊外では水田があまりにも見事なので、路肩にマシンを止めて眺める。先ほど見てきた十勝岳は相変わらず雲の中だ。
国道から十勝岳方面を望む
さらに進んでいくと、いつも利用するちょっと大きめのホクレンスタンドが見えたので、燃料を再搭載することにする。230km走行して6.0Lだから、38km/Lと最高記録を更新した。今日はオフロードを走行していないし、山を上った分は下りで相殺できているので、このくらいの数値は出て当たり前なのかもしれない。
富良野市役所のあるT字路で国道38号線に当たり、そこを左折して1kmも行かないうちにすぐに道道985号線に乗り換えて南下していく。市街地を抜けるとあっという間に景色が変わって再び田園風景となり、富良野チーズ工房に到着した。ここは森の中に工場という趣であり、地元ではあまり見かけない様式だ。
駐車場にバイクを止めて、アイスクリームを探す。最初にチーズ工場とその紹介施設が現れ、モニターではチーズができるまでの映像がエンドレスで流れていた。牛乳が固まってだんだんとチーズになっていく過程が、豆腐のそれとよく似ている。そう思いながら、建物2階にある、乳製品の販売所を覗いてみる。あの映像を見た後なので、土産に購入しようと思う人が多いのだろう、店は大いに賑わっていた。当方は試食品のみを食べて通り過ぎるつもりだが、あまりにもそのチーズが旨いので購入するかどうか悩んでしまった。まあ、しかし今回は遠慮しておいて、さらに奥にある建物へアイスクリームを求めて進んでいく。しばらく進むと「アイスミルク工房」と書かれた看板を見つけた。
富良野チーズ工房敷地内にある
アイスミルク工房
店内は若い女性客が多いのでやや入りづらいが、旅の恥は掻き捨てなので勇気を出して入店する。木造の店の中はこじんまりとしており、清潔な印象だ。そして列に並んで遠まきにショーケースを覗いて、何を食べようか思案する。メニューは10種類程度用意されているが、どれもとても美味しそうなので、また迷ってしまう。
結局、当方の番になっても決められなかったので、「ホワイト・・・」と遠慮がちに注文した。店員は素早く商品を用意してくれたので、260円を支払って足早に店の外へ出た。因みにこちらのアイスはジェラートタイプで、シャーベットのような舌触りだ。そして、あっさりしていながらとてもコクのある、何とも言えない味わいだ。材料が良い北海道ならではのものである。
ジェラートタイプのアイスクリーム
近くのベンチに腰掛けて、アイスクリームを食べる。今日も天気は快晴で日なたは暑いくらいだが、日陰はとても爽やかな風が吹いてくる。秋の始まりを感じさせる風のせいか、今日で北海道を離れる寂しさのせいか、何となく重苦しい気持ちだ。
時刻はまだ14時前なので、苫小牧へ向かうには少し早い。そこで、朝に考えていた「う○こ発電」を見に行く計画を実行することにした。それは麓郷地区にあるので、マップルを見てルートを確認する。おや、不礼別川沿いに10km程度のダート路があるようなので、そこを通ってみよう。マシンに火を入れて、道道985号線を戻り、踏切を渡って道道253号線、市道との乗り換えて南へ下る。そして、道道253号線と544号線の間を通るダート路を見つけ、走り始める。
今回最後のダート路にて
最初は畑の中を通っていくが、だんだんと森の中に景色が変わっていく。もっと手軽なダート路かと思っていたが、予想より険しい所もあったので慎重に進んでいく。ただ、路面的には荒れている所はほとんどなく、スピードは乗りやすい道だ。
気持ち良くダート路を快走していると、最後の2km辺りでトラクターが現れて前を塞いでいる。ちょっと様子を伺って後ろを走行していたが、明らかに行く手を阻んでいる。いやらしいなぁと思ったが、ここは冷静になって一旦距離を開けて抜きどころを探す。すると、先の方に高速コーナーと直線路が見えたので、コーナーで詰めてから直線で抜き去る作戦を実行した。
トラクターの運転手は油断していたようで、「ここで抜かれるとは思っていなかった」という表情をしていたように見えた?・・・かもしれない。因みにこの方法は我らが査察教官のW氏直伝の追い越し方法で、このような場面で良く利用させてもらっていると補記しておこう。
ダート路が道道253号線にぶつかり、T字路を右折して麓郷の市街地を通過する。そして、中畑木材の次の交差点を左折し、「拾ってきた家~やがて街~」のロケセットに到着する。時刻は15時前だが、人はあまりいないようだ。そりゃそうだ、ここを使用して「北の国から」を製作・放映したのは2002年のことである。あれから12年、干支がひと回りしてしまったのか、訪れる人も一巡したのかもしれない。
「拾ってきた家 やがて町」の入口にて
入場料300円を支払って、中を見て回る。おや、ちょっと規模が縮小されたのだろうか、展示物が減っているように見える。当方お気に入りの「う○こ発電装置」も随分朽ちてしまっているではないか。そう思いながら順路に従って、バスを利用した純と結の家、スキー場のゴンドラを利用した柳葉の家等をじっくりと観察する。
う○こ発電装置
ご存知の通り、ここは全てが廃材を利用して造られた町であるのだが、こうして家の中にいるとそんな気は全くしない。また、個人的な好みからバスの運転席が居間になっている、純の家には恐れ入るばかりだ。自分にも「独り住まい用の家があってもよいかな」と思う時があるが、最低限の広さと設備があれば文句はない。廃材でここまでのものができるということは、なかなかの衝撃だ。
純と結の家
少々疲れたので、ベンチに腰掛けて休息する。すると別の観光客と職員の会話が聞こえてくるので、耳を傾けてみる。それによれば、今はお盆後の観光客が少ない期間なので、整備をしているということだった。そうか、なんとなく寂れたように見えたのはそういうことだったのか。まあ、時期をずらして渡道してきたのでそういうこともあるさ。
再び立ち上がって、最近新しくできた五郎の遺言を記した碑を見にいく。改めて読むと、何とも複雑だ。特に「金なんか望むな。倖せだけを見ろ」というくだりは、そうかもしれんと思う反面、金がなくては話にならんなあとも思う。その際に思い出すのは、喜劇王チャプリンの言葉だ。「人生に必要なものはたくさんのユーモアと少々のお金・・・」、求め過ぎてはいけないということだろうか。当方も健康を害して長いが、自分の時間を確保出来ている時は案外と大丈夫なものだ。逆に残業がかさんでくると、お金は入ってくるが精神的に厳しい。
遺言の碑
今後の人生について改めて考えさせられつつ、拾ってきた町を後にする。時刻は15時30分前なので、そろそろ苫小牧に向けて走り出そう。道道544号線で富良野市街地へ向かい、そこから国道38号線に乗り換えて、山部地区を通り、国道237号線で磁方位180°を維持する。そういえば、いつも世話になっている、親戚の家に土産を送らなくてはならない。そう思っていると、以前にメロンを購入した「山崎農園」が見えてきた。
従兄の家に送る土産はここで購入しよう、今回は何がよいか。品物を吟味していると、女将さんがゆでキビをサービスしてくれる。そうそう、このとうもろこしが甘くておいしんだよ、そうだ、これを送るとしよう。さらに、かぼちゃやじゃがいもなど旬のものを適当に見繕ってもらう。
ところで、土産を物色していたら、大きな箱を3つも装備したTDMがやって来た。ライダーは地面が悪いところで往生こいて、やっと駐車している。「そんなでかい箱をつけているから重いんだよ」と要らぬことを思ってしまうが、本当のことなので仕方ない。TDMはもともと軽量なバイクで荷掛けフックを左右に2個づつ装備しているので、荷物もストレッチコードがあれば十分にがっちりと載せることができる。それをわざわざ重くして扱いにくくしているとは、最近の「流行」って何なんだろう。
そのTDM氏はさっさと土産を送って、またヨロヨロしながら走っていった。当方はちょっと休息で、農園のおばさんと少々話してから店を後にする。だんだんと陽が傾いてきて、気温も下がってくる。やや長い影と共に、残り少ない北海道の道を走行していく。良い気分で40ノットで巡航していると、先に出たTDMが見えた。しばらく後ろについていたが、いかにも重そうに走っているので、ひょいと前に出て手を挙げて追い抜いた。
金山峠を越えて、昨年は大雨で往生こいた占冠を通過する。さらに進んで国道274号線との交差点も通り過ぎ、沙流川沿いを下っていく。するとだんだんと気温が上がってきて、風に湿度を感じるようになってきた。二風谷辺りまで来るとそれは決定的となり、太平洋が近いことを知らせてくれる。いよいよ旅も終わりだ。
18時頃に富川の町に入ってきたので、人間の補給を行うために「西陣」でししゃもを食べることにした。こちらのししゃもは富川の港で仕入れた地ものを使用しており、とても旨い。因みに普段我々がスーパーで目にするものは、ほとんどが輸入物で、上記のような国産は水揚げの漁港周辺にしか出回らないそうだ。
西陣にて
店内に入り、ししゃも御膳を注文する。ところで、こちらの店のオーナーもライダーで、ライダーハウスも開いている。当方は2009年、2011年とこちらにお世話になっており、昨年も苫小牧に行く前に立ち寄って、ししゃもを食べている。いつもながらのオーナーの几帳面な包丁さばきを見ながらそのことを話すと、嬉しそうに話に乗ってくれた。
そして待望のししゃも御膳が完成したので、丁寧に味わって頂く。おお、これだよ、この味。白身魚の淡白かつ上品、それでいてしっかりとした魚としての旨みを持っている。いやあ、これは何回食べても美味しいよ。
ししゃも御膳
刺身、焼き物、煮物、揚げ物とししゃものフルコースに舌鼓を打っていると、大将が「さんまは食べましたか」と聞いてきたので、「はい」と答えた。すると奥の厨房へ行き、初物のいくらをたっぷり乗せた軍艦巻が出され「サービスです」と。えー、いいんですかぁ、こんな貴重なものを。「初物だからちょっと粒がちいさいけどね」とやや謙遜気味な大将だが、いやいや、めちゃくちゃ嬉しいよ。
腹も満たされて、北海道最終日の良い思い出ができた。1,970円を支払い、大将にお礼を述べて19時少し前に店を出る。ここから苫小牧まで20km弱の距離を残すのみであり、当初の計画よりは早く港に到着しそうだが、暗くなってからの走行は危険度が高くなる。まあ、このくらいがちょうど良いということさ。
やや冷えてきて霧が出始めた国道235号線を、磁方位290°を維持して40ノットで進んでいく。これで俺の夏は終わってしまうのか、また現実に引き戻されてしまうのか、冷たい風が目に当たって涙が出てきそうだ。男だって泣きたい時はあるし、泣いたっていいじゃあないか。
おっと、トリップメーターが160kmを指している。敦賀港から自宅までは150km程度の距離があるので、途中で燃料が切れてしまう。北陸道か名神高速のS.A.で給油するのも面倒なので、苫小牧までに燃料搭載を済ませておくことにしよう。そう思っていたら、富川の市街地で開いているスタンドを発見した。因みに160km走行して給油量は5Lだったので、燃費は32km/L、富良野からは結構飛ばしてきたのでこんなものだろうか。ちょっとエンジンを回すとすぐに燃費に響くのは、やはりエンジンの排気量250ccにも満たないからだろう。この区間は、全体的にアクセル開度が大きかったのかもしれない。
ちょっと自制して35ノットで海沿いを走り、19時45分頃に周文のフェリーターミナルに到着した。係員の指示に従って、バイクの列の最後尾に自分のマシンを止めてエンジンを停止する。
ターミナルの建物の2Fへ上がり、友人や会社への土産を調達する。管理人の場合は定番の「白い恋人」を数箱、仲の良い友人にはもうちょっとグレードの高い、北海道らしい商品を選ぶことにしている。土産の箱と友人の顔を結びつけて、忘れ物が無いように確認してからレジに持っていく。あ、自分のものを忘れていた。レジの横にある、ロイズの板チョコを数枚追加購入しておこう。これで予想外の人への分も万全だ。
やるべき事を終えて、椅子に座ってテレビを見たり、メモをつけたりして待ち時間を過ごす。この時間になると、中年のオッサン(当方もその1人だ)が増えてきて、たまにいる若い女性をナンパする姿が見られる。もっとも、そんな変態共に声をかけたところで結果は見え見えだ。軽くあしらいつつ、スマホを操作していて顔も見ていない。それでも話を強引に進めていくオッサン、恐るべき力だ。当方なら普通の女の人をナンパしたいところだが、こちらも結果が見え見えだと追記しておこう。
疲れたので少し居眠りしていると、バイクでの旅客の乗船を促す放送で目が覚めた。おお、こりゃいかん、慌ててマシンのところへ行くと、既にほとんどのライダーがバイクに跨って、次の指示を待っている。今日のバイクは20台ぐらいだ。その中に、両側のミラーが折れてしまっているニンジャ1000を見つけた。案の定、でかい箱を3つも装備している。そんなもん載せているから重くて倒してしまうんだよ、昼間に会ったTDM氏と同じである。
呆れていたら、GN125Nにタンデムで乗る男2人組が現れた。え、いったいどこに行くんですか。いや、そもそもタンデムの乗客は徒歩で乗船しなければならないぞ、そう思ってみていると係員に説明を受けて、後席の人は旅客ターミナルへ歩いて行った。
乗船開始の時刻となり、切符のバーコードを読んでもらってタラップを上っていく。車両甲板は暑いので、手早く荷物を解いて網棚に載せていく。先ほど見かけたニンジャ1000の人は、係員の指示した場所にマシンを持っていくことができずにヒーヒー言っている。
フェリー すいせんの車両甲板にて
苦戦するニンジャ氏を横目に、当方は階上の客室へ向かう。船内で使うものはあらかじめザックに小分けにしておいたので、それを持って階段を登り、寝台の番号を確認してシーツを敷いて寝床を整える。これで敦賀まではゆっくりできる、安心すると眠くなってきたが、我慢して風呂に向かう。それ程混み合っていないので、ゆっくりと体を洗って湯船に浸かっているとフェリーが出航した。だんだんと遠くなる港の灯りを見ながら、「また来るよ」といつものようにつぶやいた。
0時30分頃に寝台に戻ってからは、数分で寝てしまった。疲れていたようだ。
本日の走行 400km
最終日(8月31日)へ続く