道の駅 おだいとうにて
寒さで疲れたので、道の駅おだいとうでひと休みする。駐車場にはそれ程車は止まっていないので、混んではいないようだ。もちろん、歩く手間を省くために、建物の近くまで行ってからマシンを止める。ふぅー、やれやれ、ヘルメットを脱いで肩を回す。おや、少し離れた所にZZR-400が止めてある。これは昔先輩が所有していた懐かしいバイクであり、かつ中型(現普通二輪)では積載性に優れたツーリング向けのバイクである。
「最近はこういうのがあまりないんだよなぁ」と思いつつ陽に当たりながら景色を見ていると、誰かから声をかけられた。やや、見事なおばさんじゃあないですか。どうやらこのZZRのオーナーらしいが、こいつは変態に違いないと思ったが既に時遅し。あちらのペースで話が進んでいく。
それによると、彼女は単身で1週間の日程で周っていて、ライハを渡り歩いているらしい。マシンにも小さめのコースのビニールザックが載せてあるだけなので、シュラフやテントは持ち合わせていないようだ。
油断していたら、さらに話が進んでいき、昨晩の宿が話題になる。彼女は「クレイジーマッハ」という野付半島の付け根にあるライハに泊まったそうだ。どこかで聞いたことのある名前だな、ああ、サロマ湖近くの北勝水産に広告があったと思い出した。実際にそこの前を何回か通ったことがあるのだが、正直「漁師さんの倉庫」だと思っていた。
いったいどんな所なのか、様子をたずねてみると、「宿主がとても親切であり、部屋も男女別で布団も装備されている」ということだった。ただ、トイレが男部屋の方にしかないので、いちいち男の間を縫っていくことが面倒だったらしい。へえ、一応部屋に泊めてもらえるのか。因みに倉庫が道路側にあって、その奥に部屋があるそうだ。
それはそうと、トイレの度に女性が男部屋を通るのはバツが悪いだろう。話は逸れるが、13年前にいた当方の元嫁は「トイレを制する男は女を制する」という名言を残している。これはつまり、ドライブなどで一緒に外出している際、女は自分から言うと恥ずかしいので「男は自分から、1時間から1時間30分おきに自分でトイレに行くようにしろ!」ということだ。確かに、男が行くなら女もついでにという流れになるので、気まずさはなくなる。もっとも効果があるのかは定かではなく、何年か前に18歳年下の妹??と食事をした際にこれを実行してみたのだが、妹とは2回目はなかった。いや、これは単なる当方の力不足だろう。
話を元へ戻そう。野付半島近辺にはキャンプ場はたくさんあるが、ライハは「クレイジーマッハ」以外にはない。こういう空白地帯にあるライハは貴重である。例えそれが漁師小屋であっても、宿無しよりは100倍マシだろう。
そして当方の宿の話だが、納沙布岬の「鈴木食堂」と答え、「最東端で・・・、さんま丼で・・・、トイレも同じ建屋でドア2枚向こうにあって、日の出も見られる・・・」と詳細を付け足した。すると、「インディアンサマー・カンパニーはどうか」と聞かれる。もちろん、2009年に宿泊したことがあるので知っていますよ。当時は宿泊料1,000円(花咲ガニが一匹付)だったよなぁ。また、当方のように幾らか分の土産を購入すると、それが宿泊料に代わるというシステムになっている。宿として、値段とサービスについては全く問題は無い。
ただねぇ、ちょっと昨年残念だったことがあるんだ。いや、これは当方の作戦誤りなので強くは言えないのだが、最終受付時間を15分程過ぎた17時15分頃に電話したら、「受付は17時まで。それ以降は絶対にダメ」と言われてしまった。そしてダメ押しに「ライダーハウスぐらいどこにでもあるでしょ」と。まあ、規則だし、ライハなんて善意の象徴なのだから文句は言えないが、寿司屋みたいに「シャリが終わっちゃって」みたいな言い訳はないものだろうか。当方としてはどちらもおすすめだという立ち位置だが、今なら鈴木食堂かな。別にインディアンサマーが「ダメよォ~、ダメダメ」というわけではない。
情報が揃ったので、ZZR女史は「どちらかにする」ということで、根室方面に向かうことにしたようだ。一方、未定ながら、当方は野付半島へ行く予定だと話すと、「今日30年ぶりに行ってきたが、ナナワラの侵食が進んでいた」と教えてくれた。30年前に高校生だった彼女って、いったい何歳なのだろうか。
こうして小一時間程話した後、ZZR女史を見送る。一方、管理人はくっきり見える国後島をよく見ようと、道の駅の建物の展望台へ歩いていく。その際、川の方から「クェックェックェ」と鳥の鳴き声が聞こえたので見てみると、つがいのタンチョウがいるではないか。今回の渡道では2回目の遭遇である。ただ、こちらはヒナは連れていなかったので、残念ながら亡くしてしまったのかもしれない。鳴き声は悲しみの詩か。
そんな想像をしつつ階段を上っていくと、3階の展望台に到着する。今日は本当に空気が澄んでいて、島の山や谷、尾根の形までしっかりと見える。さらに、備え付けの双眼鏡を覗いてみると、街やそこにある工場らしきものが良く見える。こんなにすがすがしい快晴は、2010年の渡道以来かな、いやあ、来て良かったよ。
国後島がはっきり見えます
室内に目を移すと、北方領土の資料や説明ボードが展示してある。納沙布岬の資料館には資料の質、量共に及ばないが、強制排除されて根室に降り立つ日本人の写真が印象的であった。写っている人々の表情は怒り、恐怖、無念さ、不安などが入り混じった、言葉では表現できないものであった。もともと千島樺太交換条約で日本の領土となった千島列島が、戦後のどさくさで旧のソビエトに占領されて早70年、現ロシアは返還するどころか実効支配でそのまま頂いてしまおうとしている。そこで、日本側でも国民に訴えるように、このような資料館をを納沙布岬、根室市内、標津町、そしてこの尾岱沼にも設けている。
資料館の様子
これだけの温度差があるので、問題解決は相当難しいはずだ。しかし、元々日本の領土だったかどうかはわからないが、実際に住んでいた人々やその子孫は、現状を受け入れることはとてもできないだろう。もし、ゴルバチョフ政権時代にクーデターが起きていなかったら、択捉島行のフェリーが羅臼から出向していたかもしれない。澄んだ秋晴れにくっきり間近に見える国後島だが、とても遠い島だろう。
北海道の領土問題、沖縄の基地問題、戦争の負の遺産はまだまだ結構残っているのだなぁ。ちょっと複雑な気持ちで階段を降りていく。おっと、2階は土産屋兼食堂かぁ、会社の先輩であるカタナ氏に頼まれているお土産を探してみるか。ちょっと探してみたが見当たらない。因みに探しているものは「木彫りの熊」のキーホルダーである。なぜ今さらと思われるだろうが、先輩曰く、「北海道土産としてはベタではあるが、そういうものが欲しいなぁ」ということだった。まあ、定番中の定番なので、この先まだまだ手に入れる機会はでしょう。
マシンに戻ってそろそろ出発しようかと地図で航法を確認していたら、怖そうなダンプの運転手さんに話しかけられた。一瞬「まずいなぁ」と思ったが、それはただの杞憂でした。見た目と違いとても優しい方で、根室の自宅を基点に仕事をしており、主には野付との往復で荷物を運んでいるそうだ。また、原付のマグナ50を所有していて、写真も見せてくれた。さらに、所属している会社が鹿肉の販売もしているということで、仕事が終わったら自宅でご馳走しようかとお誘いも受けた。おお、とても有り難いが、予定もあるので今回は丁重にお断りした。
とてもやさしい運転手さんから「安全運転で」と言葉をいただき、お互いに道の駅を後にする。色々な人に話しかけられて、楽しい時間を過ごすことができた。こうして独りでツーリングをしていると、人と話すことが極端に少なくなるので、このようなふれあいも悪くない。実は管理人は独りでいることを楽しんでいる半面、仕方なく独りでいるという側面も持っている。見かけたらちょっかいを出してやって下さいな。
さて、この先は野付に行く予定だが、知床まで一気に北上することも悪くない。ちょっと迷っていたが、先ほどの運転手さんから「今日は知床峠は雲が出ているので景色は見えないだろう」と情報をいただいている。現に知床連山は雲に隠れているので、知床峠は真っ白だろうな。それならば、侵食が進む野付半島を車両で行けるところまで行って、その様子を見ようではないか。だいたい俺って、野付半島の先端までは行ったことが無いんじゃあないか。よくよく考えると、2010年には途中のトドワラP.A.まで、昨年はナナワラP.A.でリタイアしている。初渡道の1994年も、途中で引き返してきたように思う。
これで心は決まった。SLのエンジンを始動して針路は360°で発進する。マシンを走らせようと周囲を確認していたら、こちらに話しかけたそうな顔をしたおっさんが見えたが、今回は気づかないフリで出発する。空からはやわらかな日差し、海からは冷たい風を受けて、再び国道244号線で北上を続ける。右には国後島がくっきりと見えており、今は日本の東の果に来ていることを改めて実感する。
何気なく集落の中を走行していたら、先輩の名前である「橋詰」なるバス停を発見した。面白いので、写真に収めておく。因みに、彼はなぜかいびられキャラで、「おい、肉詰」とか、ただの「肉」、「ぶーちゃん」など散々に言われていたが、「かわいがられている」と本人は思っているようだ。まあ、別の意味でカワイガラレテいるけどね。
先輩の名前のバス停
途中で尾岱沼の温泉やふれあいキャンプ場の前を通る。ここも1994年に利用したキャンプ場で、偶然にも友人の知り合いという人に遭遇した場所だ。当時、確か天気は良かったが、朝方は霧が出て何も見えなかったと記憶している。今思うと結構マニアな場所に泊まったんだなぁ。
20年前のことを思い出しつつ道道950号線に乗り換えて、磁方位110°で野付半島の先端を目指す。左横には一段と大きく見える国後島、そして両脇は海である。こういう両側が海になっている陸上路は珍しい。
景色を楽しみつつ、ナナワラP.A.とトドワラP.A.を通過する。昨年はよく見えなかったが、2010年以来ナナワラを見る。さすがに2、3年じゃあ木が減ることはないか。関係ないが、ある映画の予告編を観ていたら、有村架純ちゃんが「森の木Bを全力で演じます」というセリフがあった。全力って、木なんて一瞬登場するだけじゃん。しかも下位のBですか。その前は「石ころF」の役名で出演していたようで、もう騙されているとしか思えません。
ナナワラの様子
くだらないことを考えて淡々と走行していたら、バイクで行くことができる道の終点までやってきた。ここは駐車場があるのみで、「先端に来た」という感慨があるだけだ。いや、正確には先端はこの先歩いて30分かかる場所なんだよなぁ。地図でみると、大きく回り込んだ先にあるようで、実際に見てみるとかなり遠いように感じる。馬車もあるようで、それならば15分で到着するようだ。ただ、ここまで来たらなぜか達成感に襲われたので、この先はまあよいか、となってしまった。いずれにしても、8回目の渡道でやっとここに来ることができた。案外野付半島の制覇って難しいし、まだまだ北海道自体にもお初の場所が多々ある。
一応自分のマシンで来られるのはここまでなので、記念撮影をする。前述の国後島がさらに近くに見えているし、道路脇には終わりかけのハマナスが咲いている。ところで、ハマナスと言えば宗谷岬の人感センサーだが、今回は行かないので悪しからず。
野付半島 道道950号線の終点にて
(電柱が並んでいる先が先端か?)
この道道950号線の終点で最果ての風に当たり、休息をする。ない頭で想像を巡らせて、北海道の鳥瞰図を描いてみる。俺って本当に小さい一人の人間なんだなぁ、と思い知らされる。自宅を出てフェリーに乗り、小樽から走ること3日半、やっとここに至ったわけだ。ただ、そうした小さな存在でも、こうして毎日バイクを走らせて移動してくればそれなりに遠くへ来ることもできる。やる気が出るのか、力の無さを思い知らされるのか、毎日がせめぎあいというわけだ。
ちょっと腹が減ってきたので、人間の補給も行いたい。半島の付け根にあるコンビニで軽く済ますこともできようが、標津の「サーモン科学館」という施設が気になる。案内によると、鮭の保護や育成をすると共に、稚魚の放流をしたり、遡上の様子を見ることができるようになっているということなので、寄っていくとしよう。
まずは今来た加藤の道道950号線を戻り、国道244号線を4km程度北へ走行する。そして道道863号線と繋いで行くと、ちょっとした街の中に展望タワーが現れた、と思ったらすぐに入り口の看板が出ていたので慌てて駐車場に入る。それにしても広い駐車場だ。2、300台は収容できそうな駐車場なのだが、2、30台の車が止まっているだけだった。お盆も過ぎて夏休みも終わった北海道の平日だから、そんなもんか。
サーモン科学館の展望台
早速サーモンパーク内のサーモン科学館入口で確認してみると、鮭の展示の他にも、周辺生物の紹介もしているようである。また、展望塔からは景色も眺められるようになっている。しかし、期待していた鮭の遡上はまだ始まっておらず、施設内をしっかり見学しようとするなら半日はかかるだろうと思われたので、今回は付属の食堂を利用するのみにとどめる。
店に入りメニューを見ると鮭だけではなく、カツ丼など普通のものも用意されている。さて、何を食べるか、せっかく鮭の科学館にいるので、アーモン、いやサーモン親子丼を食べることにしよう。あーやれやれ、外を眺めながら一息つく。朝から寒い寒いと言っているが、気温も徐々に上がってきているようだ。ただ、日差しはもう秋のもので、ちょっと弱々しい気がする。もう8月も終盤だもんねぇ。
少々感傷的になってしまうが、時刻は13時台なのでまだまだ走るよ。どうしようかとマップルで周辺を確認していると、未舗装路の終点にある「川北温泉」に気がついた。せっかくオフ車で来ているので、こういう所へ是非行ってみたい。距離的には問題無いし、その後、羅臼を今日の着陸地点とすれば、良い時間となるだろう。
そう考えていたらサーモン親子丼が運ばれてきた。オホホホ、旨そう~、厚さ1㎝程もあろうか、サーモンの切り身が7、8枚は乗っている。早速食べてみると「おいしぃ~」、この歯ごたえ、この味、やはり地元で食べるものとは全く違う。鮭と言うとそれなりに臭いがあったりするものだが、これは純粋に鮭の味しかしない。また、マグロで言うところの赤身だけが使用されているので、あっさり好きの当方にはたまらない。実は管理人、圧倒的にマグロの方が好きで、寿司屋でもあまり鮭は食べないのだが、これはマグロと比較しても十分旨いと言える。何のことはない、旨いサーモンを食べたことがなかっただけだよ。
(゚д゚)ウマー
空腹なことも相まって、ぺろりと丼を完食した。お茶を飲みつつ、先ほどの飛行計画をもう一度反芻する。道道を走行する部分はよいが、川北温泉までのダート路が複雑であり、本当に通ることができるかも怪しい。ただ、地図には掲載されている道なので、フルサイズ250のオフ車ならば行けないってことはないだろう。もし仮にそうだとしても、ヤバければ引き返せばよいだけのことだ。
食事をして力も沸いてきたので、玄関の熊キューに挨拶をしてサーモン科学館を離れる。
クマキュー!
まずは目の前の道道863号線を標津川沿いに走行し、針路を300°に変更してからは川に沿って進んでいく。それはそうと、この辺りは道路がすべて直角に交わっており、それらに沿って防風林が植えられている。さらに、その区画の中は牧場になっている所が多い。最近は「GOOGLE EARTH」などで航空写真を手軽に見ることができるが、見事なまでに綺麗に区画されていることが確認できる。
変針してしばらくすると、目の前に大きな山が見えてきた。どうやら斜里岳のようであり、あの麓に川北温泉がある。そう思うとどんどんと士気が上がってくるから不思議だ。
斜里岳か
こうして道道774号線との交差点を中心とした、川北地区の街へ入ってきた。もう少し進んだらオフロード走行になるので、ここで燃料を満タンにしておく必要がある。街にはちょうどホクレンがあるので、ここで燃料を10ポンド近く搭載した。因みに燃費は34㎞/Lを記録している。
少しエンジンのツキが良くないという例の症状が出たので、さらにアイドリングスクリューを締めてみると、調子も良くなった。なかなかシビアなセッティングを求めてくるマシンだ、こういう長時間乗っていて、初めて気がつくということも多い。
街を外れて、再び牧場の中を通り抜ける真っ直ぐな道を進んでいくと、今度は道道975号線との交差点が現れた。ここを左折して西方向へ飛べば開陽台だが、時刻が14時30分近くになっているのでこのまま直進して先を急ごう。
こうして、福本牧場の看板を見ながらダート路へ進入していく。いよいよ温泉までの未舗装路の始まりだ。この時はやけにテンションが上がっていて、荒れ気味の路面にもかかわらず結構飛ばしていく。いや、こういう時は危ないので速度を落とそう。ちょっと落ち着いてから、改めて18ノット程度で進んでいく。
さて、最初は陽のあたる道で安心していたが、だんだんと森の中へ入っていく。北海道の未舗装路は大抵は整備されているので「ダレノガレガレ」ということはないが、整備が行き届いていて「フカフカ」の時がある。はたして、この道も予想通りにフカフカになっている箇所がある。ここは4日前のパンケコロニベツ林道の教訓を活かし、無理せずバタ足走法で進む。SLは車高が低いので、こういうことも朝飯前だ。
トリップメーターが3㎞程度回った所で川を渡るが、この先は廃道になっているので退転する。おかしいなぁと2㎞程度戻って地図を見直し、それらしい分かれ道を発見した。こっちかなと進入していく。今度は川と道の位置関係が地図の通りになっているので、これならイケルと喜んで進んでいくも、今度は行き止まり。元来た道をもどると、進入禁止になっているが、先へ伸びている道が別れている。
「これかぁ~、進んでいきたいなぁ」と思うが、これでは「進入」ではなく「侵入」になってしまうので、泣く泣くこちらのルートを諦めることにした。
先ほどの福本牧場の所へ戻り、一本違う通りを行こうと東へ向かう。すると良さそうなダート路が続いていたので、そのまま突っ走って国道244号線へ抜けようと意気込むが、しかし、武佐岳と思われる山が見える、広々した牧草地へ飛び出した。
武佐岳の広場
この景色を見たら何だか気が抜けてしまったので、しばらく休息することにした。視界のきかない山中の林道走行で行ったり来たりしたせいか、実際にかなり疲れているようだ。ただ、ロスした時間はそれ程多くなかったようで、また時刻は15時過ぎだ。よし、国道244号線側からアプローチしてやるか。いや、別の薫別温泉に入るかに目標を切り替えてもよいか。どちらでもよいので、入り口が見つかった方を選択するつもりだ。
そう考えたら力が出てきたので、マシンに跨りエンジンを始動する。そして手近な道を使って、まずは道道975号線へ出た後、北東に針路変更してから上記国道へぶつかるT字路まで走行する。そしてここを左折し、再び針路変更で300°とする。入り口の林道を探しながらの走行なので、速度はやや抑え気味の25ノットとする。
だいたい3㎞程度進んだので、そろそろかと思って慎重に車輪を進めていくのだが、全く入り口がわからない。おかしいなぁ、と頭をひねりながらUターンして、今度は針路120°を維持して進むが、どちらの入り口も見つけることができなかった。
まあ、今日は縁がなかったということで、道道1145号線に繋いで針路040°で北上することにした。時刻はまだ15時台だが、今日はテント泊としたいのでそろそろ着陸地点を確定にしておきたい。まあ、当初の予定通りの羅臼近郊ということになるのかな。
さて、ここで余談だが、最近は自分の走行した道を、グーグルのストリートビューで辿ることができる。今ここで見つけられなかった林道入口を確認してみた所、「川湯温泉」としっかり看板が出ていた。しかし、林道の入り口にあるゲートが閉まっており、実走リポートにも「通行止めでした」という記載を発見した。また、もう一方の薫別温泉への入り口であるが、どうやらそこに行き着く前にUターンしてしまったようだ。結局、両方共に縁が無かったのね。
北へ伸びる道道1145線で、牧場や防風林を眺めつつ40ノットで走行を続けていく。さっきまでチマチマと走っていたので、アップダウンのある直性を豪快に走り抜けるのは気持ち良い。まさしくこれが北海道というものだよ、ヤマトの諸君。そして、その直線も5、6㎞で終りになり、道道は一旦右へ折れる。やや、ここには薫別温泉の看板がある。どうやら奥地の温泉へ行こうと思ったら、既定の入り口から入らなくてはいけないようだ。地図に道があるからと言って、全て通れるというわけでもないのだ。また勉強になりました。
国道336号線へ出たら、後は羅臼を目標に進んで行く。羅臼には国立キャンプ場などがあるので、宿無しにはならないだろう。以前、相互リンクをしていただいている「朗報さん」が「当日の宿泊地点が決まると、すごく安心するものだ」とおっしゃっていた。全くその通りで、その日にどこで泊まるかということは、その日の終わりを決定できるから、安心感が出るものだ。より快適に、楽しく夜を楽しみたいからなぁ。
彼の言葉は名言だなと感心しつつ、冷たい風の吹くオホーツク海を見ながら進んでいく。さっきまで内陸を走行していたので気が付かなかったが、海沿いとは随分気温差があるものだ。北海道では地形の変化により、大きく天気も気温も違うものだな。まあ、そこが楽しさの一因でもあるわけだ。
羅臼の街に入り、水産加工場が並ぶ通りを抜けて、道の駅らうすに到着した。やれやれ、林道を行ったり来たりしたので、かなり疲労した。ここで水分補給をしつつ、どのキャンプ場を利用するかを決めよう。
さて、羅臼周辺には知床国立公園羅臼温泉野営場、羅臼オートキャンプ場、そして羅臼町立林間広場キャンプ場の3つがある。オートキャンプ場は5㎞程手前にあるので、戻りたくないから落ち。国立野営場はちょっと標高が高いようなので、やはり落ち。道の駅の裏山と近く、買い物も楽な町立キャンプ場に決定した。
そうなれば善は急げである。エンジンを始動して羅臼小学校の間を抜ける町道を通り、山を上っていけばキャンプ場へ到着だ。やれやれ、今日は朝が早かったので、すごく活動した気分だ。たまにはこういう日も必要だし、あまり走れなかったという日があっても良い。旅はその時の状況に合わせて、楽しむことが大切だ。
駐車場前にある管理小屋で受付をしようと思ったが、まだ管理人が出勤してきていない。仕方ないので先にサイトを見て回り、ベンチとテーブルがある近くを陣取っておく。そして炊事場の方を見に行くと、先客が既に炭をおこして一杯やっていた。挨拶をして少し話してみると、定年退職を機にキャンピングカーを購入し、旅をしているそうだ。
失礼してマシンに戻ると、ステップワゴンが駐車場にやって来た。またお客かと思っていたら、20代中盤くらいの女性と子供が3人降りてきて、管理小屋へ入っていった。え、管理人だったのか。
早速宿泊申込書を記入し、料金300円とゴミ袋代の100円を支払う。本当は可燃、不燃の2枚あるのだが、当方は単独であまりゴミはないと申し出たところ、燃えるごみにまとめておけば分別しておくとのことだった。ありがとうございます。
テント札をもらって先ほどの場所へ行き、テントを設営する。この旅では2回目のキャンプなので、案外とすんなり張ることができた。また、綱の結び方も今回勉強してきたので、何となく安心できる。いや、今まで知らなかったのか、アンタ。まだまだ修行が足りないよ。
寝床も完成したので、明るいうちに温泉へ行くことにする。羅臼は温泉の街でもあるので、どこに行こうか迷う。そこで先ほどの鈴木紗理奈似の、ヤンママチックな管理人におすすめをたずねてみると、「我が家はよくダイイチにいくよ」と教えてもらった。さらに「ダイイチ」についてさらに聞いてみると、「第一ホテル」ということだった。
軽くなったSLで国道334号線まで下りて、知床峠方面へ走り出す。ええと、「ダイイチ」はと、道沿いなのですぐに発見できた。入り口に近い場所にマシンを止めて、建物に入ろうとする「一般の入浴者は19時から」という立て看板が・・・。やられたぁ、キャンプ場の管理人もそのことを忘れていたのだろう。
仕方ないので隣の「峰の湯」に行き、500円を支払う。またついでに、カメラバッテリー他の充電も行いたいのでその旨お願いしたところ、脱衣所のコンセントを使用してくださいとのことだった。
充電器をコンセントに差して、人間も温泉でパワーの充電だ。硫黄臭の漂う洗い場で体を洗ったら、もちろん露天風呂に浸かる。このいかにも「温泉」という雰囲気がたまらない。凝り固まった筋肉に血流が復活し、ほぐされていく感じがする。特に目の奥の方や首、肩については、この傾向が顕著なようだ。湯の中に疲労感が溶け出しているみたいで、最高に気持ち良い。加えてこの露天風呂という解放感、景色はそれ程良いわけではないが、外で風呂に入っているというこの事実がうれしい(露出狂ではありません)。
ところで、この露天風呂に入っている他のお客に、親子が一組いた。お父さんは疲れているようで、当方のように温泉を堪能しているが、子供は至って元気だ。そこで当方がちょっかいを出してみると、だんだんと子供も乗ってきた。後ろを向いている時に水砲を発射したりすると、負けじと応戦してくる。
実は当方は親戚の中では、同世代の中では最年少だ。それはオヤジが祖父の末っ子であり、当方はその末っ子だからである。末っ子というのはお年玉が少ないというデメリットはあるものの、遊び相手が皆年上で数も多い。そうやって育った当方にとって、小さい子供の相手は難しいものではない。遊んでもらったように、遊んであげるだけのことだ。
のぼせる寸前に湯船から上がり脱衣所で体を拭いていると、「おじさんバスタオル無いの?」と聞かれたので、「男はタオル一本で風呂に入るのがカッコいいんだ、そう思わんか?」と聞き返したところ、「全然・・・」と返された。当たり前か。
疲労もかなり回復したので、次はエネルギー補給をしよう。羅臼の街まで行き、いつも利用する「味の関所」へ行くが、既に今日の営業を終了していた。時刻は19時近いので、そんなものか。そこでもう少し通りを下っていくと「まるこし」という店があったので、ここに入る。
「まるこし」前にて
ここはいつも利用する店よりも大きいので、座敷も広くくつろぐことができる。さて、何を食べるかな、やはりここは「ホッケ」でしょうということで、ホッケ定食を注文する。この際「味噌汁をアラ汁にしますか」と提案があったので、もちろんアラ汁に変更した。
今日は朝早くから活動したせので、メモに記すことがたくさんある。マップルを確認しながら出来事の要点をまとめていると、料理が運ばれてきた。「う、こんなにたくさん食えるかなぁ」と心配になったが、腹が減っているのでバクバクと食べていく。それにしても、ホッケとアラ汁のでかさには驚いた。北海道に来た時には大抵一回はホッケを食べるので、その大きさはある程度想定しているのだが、今日のものはそれよりもでかい。そしてオプションで注文した鮭のアラ汁だが、これだけでもメインディッシュになりうるくらいの量だ。1,780円とそこそこの値段はするが、この内容ならば文句は無い。
ホッケ定食 あら汁付き
うまい旨いと脂の乗ったホッケをほじくり、アラ汁を飲む。ついでにご飯と、もう一回アラ汁・・・。あまりの旨さに夢中で食べ続けていたが、だんだんと胃の辺りが膨らんできて苦しくなってきた。まさか残すなんてことはできないので、まあまあ必死に完食した。う~、動けない。これは、ソースかつ丼のまつくぼ級の量だ。次回はオプションのアラ汁を選択せず、通常の味噌汁で十分だろう。因みに、ここのダシ様はカツオ節ではなく、「鮭節」を使用しているということだ。なるほど、それで鮭の味が引き立っていたわけか。
重い腹を抱えつつ、マシンに跨りセイコマへ向かう。明日の朝飯を調達しておくのだが、いつものカロリーメイトとする。ちょっと冷えてきたので、湯冷めする前にさっさとテントに戻ろう。うわぁ、道が真っ暗で何も見えないんですけど、その分星がきれいに見えるぞ。
慌ててテントに入り、寝袋に入りながら今日の出来事をメモしていく。今日はそれ程走行していないが、川北温泉を探す「旅」をしたので、かなり疲れた。そして、天気予報を確認すると、オホーツク海高気圧が張り出し大関なので、晴れ予報が出ている。天気の心配が無いというのも、これまた安心できるものだ。そう思いつつ、深い眠りに就いた。まだまだガンガン走りますよ。
本日の走行 260㎞
6日目(8月28日)へ続く