出発前に自宅アパートにて
管理人とSL230
夏のツーリング、いつも行き先決定に迷い、6月頃になると必ず葛藤がある。しかし、なぜか北海道行きのフェリーを押さえ、仕事に追われているうちに出発の日が来る。毎年北海道に行きたくなるこの症状は、いわゆる「北海道病」なのであろう。
今年もこの例に漏れず、7月にはツーリストAの寝台切符を購入した。ただ、今回はちょっと事情が異なり、いつもよりも1週間、お盆からすれば2週間ズラしての渡道となった。理由は簡単で、業務の区切りがここにあっただけの話である。
さて、切符購入の際に考えることは「使用機材」である。今年はTDMの10年整備と称して、前後サスペンションのオーバーホールを行い、ついでに消耗していたタイヤも新品にしている。しかし、よくよく考えると昨年のオフロード車での渡道での宿題を残しているし、その気があるうちにもう一度ロングダートを走りたい。その気持ちも十分にみなぎっているので、今回もメイン機材は「ホンダ式MD33型」を選択、「ヤマハ式5PS型」はバックアップ機材とした。
そして、会社の業務量も7月から増えていき、日々残業とエアロビクス、時々インストラクターをこなして出発日を待つ。因みに、今年は8月22日出発であったが、その前日の21日にはインストラクターの仕事があった。こちらもかなりドキドキだったが、エアロ仲間の「マキチャン」のおかげでなんとか終了できた。
当日は30分早く出勤し、標準定時時刻よりも同じく30分早い、17時30分に退社するというフレックス制度を利用する。ところで、管理人が所属する会社の内情はひどいものだが、こういう見かけのものはいかにも良い会社・・・と誤解されるものが揃っている。しかし、管理人のようなことをする人は、暗黙の了解で「遊んでいる」というレッテルを貼られ、賞与査定も「下から2番目」ということになる(もっとも、管理人の働きが良いとも言えないが・・・)。だが、楽しいことを我慢し、年休を何十日も捨ててまで良い評価をもらっても仕方ないと考える。
逆に、存在する制度を利用し、もちろん仕事の段取りもつけてた上でのことなのに、なぜこのようなことになるのか。本当は管理人みたいなことをしたいが、(しがらみから)できない、羨ましいというように思っている人が、評価で「仕返し」しているものと推測する。
しかし、理由などどうでもよい。楽しいのは俺だし、人生は俺のものだし、以前のように体調を壊しても会社は責任を取ってくるれるわけでもない。「もう復職は難しいから辞めた方がよい」などと言われることが関の山だ。いや、そんなことよりも、根本的に楽しいのは俺だ。職権で仕返しをされたところで、俺が楽しいことには変わりない。仕事も終わらせているので、俺が1週間ぐらいいなくてもなんともないわけだ。
会社への不満を感じつつ、荷物を点検していく。持ち物には過不足は禁物であり、それ故に選別が難しい。ところで、よく悩むのは着替えの枚数だ。当方の経験から、シャツとパンツは3枚、着ているモノを含めて4枚、このあたりが適切と思われる。足りなくなれば洗濯をするまでのことだ。また、枚数把握と容積圧縮のために、圧縮袋を用意する。これは昨年から導入しており、効果が高いことは実証済みだ。さらに、今年はオフ車用のタンクバッグを導入した。昨年のように、地図をすぐに見ることができない場合、余計な距離を走る羽目になったり、航法や自分の気持ちに大きな影響を与える。あそこにセイコマがある、そこまで何キロか、次はどこで曲がるのか、チョイチョイ見ていないと忘れるからなぁ。
ところで、今回の渡道は管理人の人生通算8回目であり、オフ車は2回目である。もちろん、2年連続のオフ車渡道は当方史上初のことだ。そして今年のテーマであるが、
としたい。毎年「走ってスペシャル日々連チャン」となるので、今年こそはエリアを絞りつつ、ゆっくりと周遊してみたいものだ。
自分の中で色々考えつつ準備の最終点検をしていたら、既に19時を回っているじゃあないか。今年は舞鶴-小樽航路の切符を購入しているので、フェリー乗り場まで250km近い距離を走る必要がある。時間的には3時間30分から4時間程度を見込んでいるのだが、フェリーは出航の90分前、つまり23時に乗船手続き完了を終えなくてはならない規則だ。おいおい、グズグズしていると、2006年の時みたいになっちゃうよ。
慌ててマシンに荷物を搭載し、恒例の記念撮影。そして雨に備えてカッパを装着と。これで万全だ。
こうして忘れ物も無く、無事に家を出た。それにしても暑くて苦しい。早速判断ミスで、歩道に止まり、カッパを脱ぐ。突然の降雨に備えたが完全に余計なことをしてしまった。因みに、このカッパも数ヶ月前に購入しておいたもので、2輪専用品だ。収納性が高く小さく畳めるのはよいが、きっちりやらないと収納袋に収まらない。何てこった。
これでまた時間を食ってしまい、再出発時刻は既に19時45分だ。おいおい、これでは高速道路でで時間を稼がないといかんじゃあないか。毎度ながら段取りが悪いが、まあ多少遅れるのならばターミナルに電話しておけばよいので、それなりに行きましょう。
当方の所属するジムの支店を横目に、東名名古屋I.C.から京都方面へ向けてランプを加速していく。さて、普段は通勤に使用しているホンダ式MD33型機のSL230であるが、荷物を積載していると操縦性や着座点が影響を受ける。つまり、後軸が重くなる分、相対的に前軸が軽くなり、少々安定性が落ちるわけだ。また、荷物がシートの30%程度を占めるので、操縦者は前よりに着座しなければならない。
いつもと違う様式に最初は違和感があったが、走行しているうちに慣れてきた。それにしても今日はエンジンの伸びが悪いなぁ。ありゃ、5速で走行してました<(ToT)>。改めて6速に入れるが、既にここまで30km以上走行している。これは燃費に悪影響が出ることは避けられないだろう。
47ノットで磁方位270°を維持していくと木曽川を渡り、新幹線と併走する区間になる。このころになると、ポジション等がだいぶしっくりとしてきた。それならばと少しずつ速度を上げて、周囲の状況に合わせて追い越しをかけていく。早速前方には、リミッターに苦しむトラックを発見だ。追い越し車線でギリギリのバトルをしているぞ。こいつが走行車線に戻ったら、そのまま前に出てやろう。さて、追い越しをするにはそれなりのパワーが必要だが、こういう時にはスロットルグリップの最後の1/4回転を使う。この際のエンジン出力を、管理人は「戦闘出力」と称している。
それなにィ~、と昔の同僚に言われそうだが、飛行機によく使われる用語で、日本を焦土にした爆撃機B-29も通常出力は2,200馬力だが、緊急時には2,300馬力というモードがある。それに倣い、SLも通常出力は18ps、戦闘出力を20psと勝手に解釈している。
普段は通勤と街乗りにしか使わないので、ここまでアクセルを開けることは無いのだが、今日は思いっきりSLを解放してやろうではないか。こう言っていると、いかにもマシンを知り尽くしているように聞こえるだろうが、実はこれを発見したのはついさっきだ。正直なところ、ここまでの加速・伸びがあるとは知らなかったのだ。と言うのも、SLを購入したのは昨年の7月であり運転時間は200時間程度だから、あまりよく解っていないのだよ、ヤマトの諸君。
名神の米原J.C.で北陸道に乗り換え、時折戦闘出力を用いて、60ノットで追い越しをかけつつ先を急ぐ。この時点で時刻は21時を過ぎたところだ。また、交通量も減っているし、いざとなれば戦闘出力で飛ばせばいい線で速度を維持できるから、22時過ぎには舞鶴へ到着できそうだ。
さて、北陸道の敦賀I.C.の手前、敦賀J.C.から若狭舞鶴道へ乗り換える。この道はつい1ヶ月程前に開通したばかりであり、もちろん走行するのは初めてだ。いや、正確には敦賀J.C.と小浜I.C.間が初めてで、それ以降は以前に舞鶴航路を利用する際に、2回用いている。
この区間はトンネルが多い、新幹線が直線を維持するためにトンネルをたくさん掘ったことは有名だが、それに匹敵しそうな勢いだ。ただ、きょうはこのトンネルを出る時が怖い。と言うのも、日本海側は天気が非常に不安定であり、ポツポツときているからだ。
トンネル内の非常駐車帯を拝借して、出がけに脱いだカッパを再び装着する。この時監視カメラがこちらを向いていたが、特に職員が来ることはなかった。
走行を再開し、しばらくすると雨が急激に強くなった。やっぱり2輪用のカッパは違うね。まるで濡れる気がしない。そして、ライディングシューズだが、こちらも先日購入したばかりの新品で、防水性確認のためにカバーを装着していない。ただ、最初は大丈夫だと思っていたが、舞鶴東I.C.手前で集中豪雨のような土砂降りになる。これは想定外であり、靴はヤラレタと思っていた。
何とか同I.C.で舞鶴道を離脱し、県道28号線で北へ数km走り、突き当たる国道27号線を西へ行く。この時の降りが一番激しく、カッパの上から雨が痛い程だ。しかし、全く浸水していない。専用品は高いけど、それなりの効果があるんだなぁと感心しきり。
この後、国道27号線を離脱して、フェリーターミナルの看板に従い港を目指す。時刻は22時30分を回ったところで、時間的に余裕を持って到着できた。やはり、SLの戦闘出力が威力を発揮したようだ。ただ、本心としてはあまり使いたくない。もちろん免許が危うくなるし、気持ち的にも焦るので事故のもとになるからだ。
そして港に到着する頃になると雨もすっかり上がり、今までのは何だったのかと力が抜けた。こんなことなら焦らずに、コンビニでちょっと休息してくればよかったな。そう思いながら搭乗手続きのために、ターミナルの建物へ向かう。おや、入口付近には「北海道へ行きます」という感じの方々が数名見えるが、みなさんちょっと濃すぎだ。完全に目がイっている。おいおい、いつからこんな人達ばかりになったのだろう。
ちょっと異様な雰囲気に戸惑いつつ、受付カウンターへ行き予約の控えを提出する。今日は悪天候の中を走ってきたから、特に受付のお姉さんに癒される。天使が降りてきたのかと思うが、いやいや、ただの人間だよ。俺も独りの時間が長いから、そんなゲスなことを思うようになったのだろうか。
力が抜けてボーッとしている間に、手早く往復の乗船券が発行された。ハッと我に返り、疲れていることを認識する。今日はさっさと寝よう。
すっかりと雨が上がったおもてへ出て、切符をタンクバックの地図入れ部に収める。というのも、乗船前の検札では、数年前からバーコードリーダーで読み取りを行うようになったからだ。便利になったと思い、少々時間があるので写真を撮っておく。
出発前の舞鶴港の様子
(管理人のマシンに人が群がっているわけではありません)
写真を撮る段になって、なぜか当方のマシン周辺に人が集まり上記のような写真になるが、全ては全く知らない人達だ。昨年はチョイチョイと話しかけられたものだが、今年はなぜか濃い人達ばかりで、挨拶も交わされない。そういう時代が本格的にやってきているのだろう。俺が歳を取ったということか。
それはそうと、2006年に一緒に渡道したR1-Z氏、エアロビクスインストラクターの同期生、マキちゃんからメールをもらう。R1-Z氏は当方がツーリングに出る際、遠隔支援を買って出てくれて、当方は管制機関になぞらえて「泰寺コントロール」と呼んでいる。また、当方は1252便という便名コードを使用、メールでは互いのコールサインでやりとりを行う。
マキちゃんは当方の非常に少ない女性友達で、エアロビクスやバレトンの相談に乗ってもらったり、指導をお願いしたり、いろいろと仲良くしてもらっている。こういう時にもメールをくれるので、大変癒されております。いつもありがとうございます。
23時過ぎに乗船指示があり、タラップを上っていく。この時のドキドキ感は何度味わっても新鮮だ。いよいよ始まるという気分が否応なしにも高まるではないか。
係員の誘導に従い、所定の位置にマシンを止めて荷物を全て下ろし、鈴木網棚へ載せておく。今日は幸運なことに、当方専用の網棚だ。遠慮なく使わさせてもらったよ。毎回こういうところを指示されると嬉しいんだけどね。
網棚は俺専用
(今日は台数が少ないからね)
マシンを止めた後はお風呂セット、サンダル、短パン、地図とガイドブックを持って客室へ向かう。階段を上っていくと絨毯の敷いてある階になり、長い廊下を歩く。すると係員から寝台番号を尋ねられて、そこを案内してもらう。
こうして寝台に自分の場所を見つけると、今日の疲れがドッと湧いてくる。特に最近は業務が詰まっていたので、余計に疲労が蓄積されていたようだ。おっと、このまま横になっていたらそのまま寝てしまうぞ、ということで、さっさと風呂へ向かう。
少し伸びた髪の毛と体を洗ったら、湯船に浸かる。「あー」か「うー」かわからないが、ひと声発すると疲れがとろけて抜けていくようだ。やっぱりバイクの後は風呂だよなぁ、と窓から外を見たら、既に船が出港していた。
体がノボシビルスクになる前に上がり、売店でカップ雑炊を購入する。通常ならば高速道路のS.A.で飯を食べるか、ターミナルでの食堂を利用するかだが、今日はちょっと焦っていたのでどちらもかなわず。雑炊、結構イケますな、あとは寝台でメモをつけてお休みなさい。今日も疲れたよ。
本日の走行 220㎞