長浜ビーチにて、朝食の準備中
顔が親父にそっくりだ
早い時間に寝袋に入ったのでなかなか寝付かれなかったが、いつの間にか落ちていたようだ。6時のまあまあ気持ちの良い寝起きだ。今日も一日天気が良いみたいなので、色々と見て回りたい。そう思いながら、湿ったフライシートを裏返して、備え付けのテーブルに干しておく。そして、お湯を沸かし、カロリーメイトとコーヒーといういつもの朝食とする。
カブの3名は既に撤収、出発していた。そりゃそうだろう。カブで距離を稼ごうと思ったら、走行時間を確保する以外に方法はなかろう。それにしても、そんなに走っていったいどこまで走るつもりなのだろうか。
さて、今日はどこへ行こうか、昨日はかなりの距離を走ったので、きょうは観光メインでいきたい。ひとまずは、今いる島を周遊することにしよう。ここでふと気がついたのだが、当方が江田島にいると記載しているが、これは行政上の名称らしく、地図には東能見島、西能見島と書かれている。江田島はそれらの北にある島だ。知りませんでした。
朝の雰囲気を感じてのんびりしていたところ、隼の方も7時前には出発された。皆さん行動が早いですなぁ。休みなんだから、のんびりしたら?とか聞きたいが、当方だって昨日は5時起きだから同じか。
なんだかんだやっていたら、テント撤収、荷物積載が完了したのは8時過ぎだ。まあ、焦らず行きましょう。まずは県道121号線を通り、早瀬大橋からは国道487号線、県道44号線、ちょっと道を逸れて299号線、298号線と進んで、江田島高校のところで再び国道487号線に合流する。このルートは本道を外れた住宅街のなかを通っており、ひっそりとした雰囲気であった。時折見かける住民の方は、当たり前だが当方を「よそ者」と認識しているようだった。
国道に出てからは海岸沿いに北上していくのだが、朝の太陽で海がキラキラと眩しい。そして、その先には呉の造船所や製鉄所が見える。ちょっと写真を撮影しようかと思っていたら「しびれ峠」という、地元の方の手作りの休息所があったので、こちらで休息することにした。
しびれ峠から見る、呉の工場群
今日も日差しが強く、暑い日になりそうだ。呉の工場群をみて水分を補給しルートの確認をしていると、地元のおじさんが散歩でこちらにやってこられた。
お互いに挨拶をし、「今日はどこへ行くのか」とたずねられた。「特には決めていないが、島を見て周るつもりだ」と答えると「江田島の第一技科学校へ行くとよい」と教えてもらった。
当方の頭にはこの施設は予定外だが、せっかく地元の方が薦めてくれたので訪れることにした。また「風光明媚な良い所ですね」と話すと、「毎日見ているからそうでもない」と笑っておられた。
そう言えば今朝、長浜ビーチ―の管理人の兄ちゃんとも同じような話をしたな。その時はさらに突っ込んだ話をし、島は移住も斡旋しているとも聞いた。現在、当方の仕事場が40㎞程度離れた場所へ移転するということになっており、どうしようか悩んでいる。ストレス的にも辛い。こんなことを話したら兄ちゃんは「街の生活もしたことはあるが、今の方がストレスは少ないが、同時に収入的にも少ない。しかし、総合的には今の方が断然良い」ということだった。
まあ、現実的には厳しいのだろうが、兄ちゃんの比較的楽しそうな、浅黒く焼けた顔が笑っていたことが印象的だった。
しばらく休息して、再び海沿いの国道487号線を走り出す。速度は25ノット程度に抑えて、景色を楽しみながらの走行だ。それはそうと、最近さらに歳をとったせいか、速度的な刺激を求める傾向が薄らいできたように思う。もっとゆっくりと、心地よく走る方が重要な要素になりつつある。RFやGPXに乗っていた頃は「ハンドルはセパハンでなくては」と思ったものだが、今では「ハンドルは絶対にバーハン」である。因みに、YGで遭遇したのは「アメハンゼファー」である。
そんなことを考えていると、島の北端にある切串港に到着した。ああ、ここから広島市街までフェリーがあるのか、一考の余地ありだな。乗客を見ていると、島の人がちょっと市街までお出かけという雰囲気で、気軽に乗船している。完全にバスと同じだ。
一旦港を離れて、島の西側へ回る。西側へは県道297号線と名前が変わるが、片側1車線の道であることには変わりはない。ただ、こちらは海岸線から離れるので、ミカン畑の中を通る。ちょうど花が咲く頃なのだろう、受粉作業をする農家の方が仕事をしていた。
島ののんびりとした雰囲気を楽しみながら、西の海岸線へやってくる。こちら側は、やはり漁業の街という趣である。そう考えていると道路は再び国道487号線へと変わり、海上自衛隊の第一技科学校前に到着した。
入り口には、次回の見学が11時からとの看板が出ている。時刻は既に10時半を回っているので、ちょうどよい。受付の水兵さんも表情は硬いものの「こちらにバイクを止めて下さい」と感じのよい応対をしてくれた。
ところで、水兵さんは「セイラー」なのだから、やはり「セイラー服」を着た人もいる。女子生徒の特権と思われているセイラー服は、実は旧海軍や海上自衛隊の水兵さんの制服なのだ。当たり前ではあるが、新鮮な光景であった。
第一技科学校正門にて
後方に見える水兵さんに注目
受付で名前を書いて免許証を提示する。変なことをやらかす奴がいるからだろうか、少しチェックが厳しい。そして見学者であることを示すバッジを受け取り、待機場所である江田島クラブの建物へ向かう。
この建物はレンガ造りの立派なものであり、説明係員の海自OBの方は「日本は島国であり、海軍が重要視されていて恵まれているので、このような建物を建設できた」と言っていた。
やれやれ、今日も暑いのでくたびれてしまった。少し椅子に座ってゆっくりしよう。おや、まだ開店はしていないが、海上自衛隊のグッズを売っている売店があるぞ。こっちは施設見学を終えた後に覗いてみるとしよう。
また、部屋の脇にある机には、施設紹介の資料が置いてある。しかし、まともなものは英語版しかなかったので、これをもらって予習をしておこう。
すると、ガイドに連れられた年配の方々がやってきて、ワーワーと騒ぎだした。まあ、団体だし、旅行で嬉しいのだから仕方ないかと思っていた。しかし、11時になり、海自OBの方がやってきてもまだ騒いでいるので、わざと聞こえるように「うるせぇなぁ~(怒)」とつぶやいてやったら、やっと静かにしてくれた。
海自OBの歴史やら見学の注意の話が15分くらいあり、実際の見学に出かける。尚、この内容は先ほどもらった資料に書かれていたので、予習が大いに役に立ったと補記しておこう。
元海自のOBさんの先導で、江田島クラブの建物から大講堂へ向かう。正面玄関から入るのかと思いきや、ここは皇族しか使えないものらしい。我々平民は裏口から入ることになっている。こんな所と言うか、こういう所だからこそ古そうなしきたりが残っているということなのだろう。
大講堂の裏口
裏口へ回る途中、OBさんは清掃が徹底されていることを話していた。よく見ると、ごみが落ちていないことはもちろん、砂が敷いてある所は竹ぼうきで撫でて模様がつけてある。曰く「士官になったら清掃は絶対にしないから、ここで徹底して教え込んでいる」ということだった。
裏口から入館するが、裏口と言っても金属製の丈夫で大きな扉を備えている。ここが表だと言ってもわからないような気もする。それだけ当方が平民の中の平民ということなのだろう。
大講堂と言う名前が付けられているが、まさしくその名の通りである。吹き抜けのとても高い天井に天蓋も見える。外壁には花崗岩を用いているという、なんとも豪華な造りだ。思わず口を開けたまま見上げてしまった。尚、ここは本木正弘主演の「坂の上の雲」でも登場する場所だそうだ。尚、当方はこのドラマは観たことがない。今ちょっとU管を観てみたら、竹中直人やら阿部寛なんかも出演している、あ、菅野美穂もか。結構気合入ってますな。
ここでは入学式や卒業式、その他集会を催しているようであるが、自衛隊だけがしようしているのはちょっともったいなくないだろうか。
大講堂の様子
この辺りまでは、一応OBさんの指示に従っていた観光客のじいさんばあさんであったが、ここからはその威力を発揮し始めた。勝手に集合写真を撮るわ、列をなして歩かないわ、やりたい放題である。ツアコンのおばさんも注意できない立場なのだろう、苦笑いしながらそれとなく促すことで精いっぱいのようだった。
そして、赤レンガ造りの幹部候補生学校庁舎前に来る頃には大きく列から離れていたので、「最後だけちゃんと戻ってきてくださいね」とOBは半ギレでツアコンに指示していた。あはは、最近は相対的に、若者の方がマナーが良いからなぁ。
その赤レンガの建物だが、イギリス様式の建物である。やはり、優れた海軍を持っていたのは、同じ島国のイギリスだったわけで、多くを学ぼうとしていたのだろう。それにしても100年以上も前の建物とは思えないなぁ。ここは、今も授業を行う教室として使われているそうだ。因みにレンガは輸入物で、1個2万円もした???って、うそぉ~。
幹部候補生学生庁舎(赤レンガ)
と生徒館(奥の白い建物)
その候補生庁舎の裏へまわり、真新しい生徒館との間を通っていく。すると、案内役のOBの方が、「ここはモっくんロードと呼ばれていまして・・・」と話を始める。どうやら、ドラマで頻繁に出てくる場所のようで、本木がこの建物へ出入りする場所として使われていたようだ。なるほど、ここからは館内がずーっと向こうまで見渡すことができる。
候補生庁舎の「モッくんロード」
さらに奥へ行くと、参考資料館という建物が見えてきた。ここは16,000点にも上る、膨大な歴史的な資料が保管されている。また、外観はギリシャ風の建物で、とても荘厳である。
そして、OBの方から「写真撮影厳禁」、「入館前には一礼」などなにやら穏やかではない指示を出し始めた。もっとも、この時は件のじじい、ヴァヴァ~はやりたい放題で、まだここへは到着していなかったと補記しておこう。
参考資料館
一礼して中に入ると、赤絨毯が敷いてある。階段を上がっていくと、大きな柱がやけに目立つとても広い空間が広がっている。今来た階段の方を振り返ると、「あの壁には特攻された方々の名札が埋め込まれている」と説明があった。なるほど、どうりで独特な雰囲気なわけだ。
OBについて資料を見ていくと、勝海舟の直筆の書、広瀬武夫中佐に関する資料、横山大観の富士山の絵、特攻隊員の手紙、膨大かつとても重要なものが所狭しと並んでいる。あまりにも貴重な資料を前にして、ここでもあっけにとられつつ歩いていく。あ、宇垣纏に関するものもあるじゃん。賛否はともかく、これはすごい。
こうして、先ほどの入り口の上辺りにやってきたのだが、本当に特攻隊員の名札が壁一面に埋め込まれている。この時「あ、これ僕のおじさんだよ」と、初老の方が発言した。そりゃそうだ、当時20歳ぐらいの方で今年は戦後70年なんだから、その子供の世代は60歳ぐらいになるのだろう。そして、この方は自分の記憶にもないだろう、名前しか知らない人が確かに生きていたという証を発見したからか、とてもうれしそうにしていた。
この後1階に下りてみると、何と山本五十六長官の「やってみせ・・・」の直筆の書も展示してあった。別に当方は戦争マニアでもなければ、反戦主義でもなく、ただ歴史として戦争があったという事実のみを受け入れるという立場をとっているのだが、この長官の言葉は現代にも通用するとても有用なものだと考えている。その直筆の書と対面できたとは、今日は何回感激したことだろう。
この後、大和ミュージアムにもあった主砲の弾や特殊潜水艦等を見て、もとのクラブの建物へ戻っていく。この頃にはジコチュウ老人の軍団も合流していたのだが、相変わらずOBの言うことは聞いていなかった。
特殊潜水艇と戦艦の弾
戻る途中にOBさんの現役時代の話に耳を傾けるが、彼もここ江田島で訓練に明け暮れたそうだ。水泳の訓練は熾烈だったとか、裏山への登山訓練はほとんど日課だったとか。因みに昔、1日に3回山に登った人もいるそうだ。それはともかく、体を鍛えていたからこそ、今でも背筋をピシッと伸ばして声を張り上げることができるのか。年齢は70歳台中盤というから驚きだ。
裏山
こうして90分の見学コースが終了したのだが、腹が減ったのでクラブにあるレストランで「海軍カレー」を食べてみることにした。その味であるが、それほど辛くはなく、具も少ない。どうやら煮込みの段階で溶けてしまったようだ。ただ、コクがありまろやかなので、早食いには最適だ。栄養素的にも豊富に含まれていることだろう。
海軍カレー
カレーの合理性に関心しつつ、同じくクラブにある売店を覗いてみた。ここには海産物から、実際に士官候補生が着用する制服まで取り扱っている。オタクにはたまらないことだろう。色々と見ていたら、「やってみせ・・・」のプリントが施されたTシャツを発見した。とても欲しいのだが、なんだかシャツにしてしまうと安っぽい気がしたので、大和の装甲や手旗信号が印刷された手ぬぐいを数点購入した。尚、ピンバッジや時計なんかも販売されているので、興味のある方は是非行かれることをお勧めする。
こうして技科学校の見学を終わり、入館のバッジを返却した。軍隊は嫌いだが、税金を払っているので見学するのも悪くはなかろう。時刻は12時過ぎになっているので、先程下見しておいた広島市街へ行くフェリーの出る切串港へ向かう。
技科学校を出て左折し、国道487号線を通って江田島の西側を通り、県道297号線に乗り換えて15分程で港に到着した。既にBMWなど高いバイクの軍団が並んでいるが、それほど混み合ってはいないようだ。軍団の後ろにマシンをつけて、ターミナルの建物で出航時刻の確認や料金の支払いをしようと思うが、船会社の職員は誰もいない。昨今の合理化のあおりだろう、しかし、自動販売機が設置してあったのでこちらで切符を購入する。出航時刻については掲示された時刻表で確認し、次は13時10分ということだった。
要件を済ましたのでマシンへ戻ると、軍団の方が話しかけてきた。この人たちは神戸から見えているそうで、これから宇部の錦帯橋を見に行くそうだ。その時、この人が当方の切符を見つけて「それは高速船の切符で、フェリーのものではないよ」と教えてくれた。おいおい、もっと早く言ってくれよって、俺がボーっとしていたからか。確かに、今日は暑いのでボーっとしてしまう。
早速ターミナルに戻って、売店のおばさんにこの件を確認した。すると「ああ、どっちの船会社でも使えるよ」と朗報を得る。やれやれ、びっくりさせるなよ。そもそも1人くらいは職員を置いておけよ。
そう思いながら出航の13時10分を待つが、一向に船がやってこない。そして出航時刻頃になって、やっと広島宇品港からの便が到着した。それにも関わらず、職員は悪びれる様子も全く無い。それどころか、出航時刻が示された看板の札を勝手に13時30分に替えてしまった。一体どうなっているんだろうか、島のフェリーなんてこんなものなんだろうか。
やっと乗船手続きが始まり、車両甲板にマシンを入れる。そして、ここでマシンの料金も支払って2階の客室へ向かう。ちょっと残念な気分だったが、船は13時30分に串切港を離れた。尚、お詫びなどの放送は一切無かったと付記しておこう。こんなもんなんだろうなぁ。
先に述べたように今日は暑いが、海の上は風が気持ち良い。まさしく涼やかな風を切って、船はが走っていく。所要時間は20分程度なので、既に宇品港が見えている。さて、着岸したらどうすかな、広島市街を先に見るか、それとも宮島へ向かうか。市街は暑いだろうから、小一時間走行して宮島にするか。
フェリーから見る宇品港
いや、それもそうだが、今日の宿泊地も決めておきたい。天気は明日の午前まではモツらしいので、今夜もテントにしよう。広島の市街から近くが良いなぁとマップルでいろいろ探してみるが、これだという場所がない。そこで、着岸後に市街地で本屋に入り、キャンプ場ガイドのような本を探してみることにする。
宇品港には14時前に到着し、勝手に下船する。こちらはとても大きなターミナルで、高松行きや松山行きもあるのか。高松行きは1998年に乗船したことがあるが、夜のことだったし全く記憶にない。そして松山行き・・・、村下孝蔵の曲である「松山行きのフェリー」の舞台になった場所かな。そう思うとちょっと切なくなるが、当方には別に見送る人もいないのでそんな気になる必要もなかろう。
下船して街に飛び出したが、ここは初めて訪れる場所なので、どこに何があるかわからない。とりあえずは大きな通りを走行していくと、運良く大きな本屋を発見した。早速店内でキャンプ関係の書物を探すが、この店はお洒落すぎだ。そのような書籍は扱っていないようだった。ここでガイドを購入することは諦めて、マップルに掲載のある廿日市市の郊外にある岩倉ファームパークキャンプ場を目指すことにした。ここなら温泉も隣にあるようなので、ちょっと距離があるが悪くないだろう。
今日の宿を決められたので、だいぶ気持ちが楽になった。やっぱり、泊まり連続のツーリングでは、午後の15時頃までには寝床の確保を行いたいものだ。軽い気持ちで走り出し、南千田橋、吉島橋、昭和橋と市街地南を西へ突き切り、旧広島西飛行場の所を右折し、県道262号線から国道2号線に乗り宮島へ向かう。この2号線はバイパスなので道は広いのだが、交通量が多すぎて流れが悪い。
ただ、市街を抜けると暑さは若干和らいできたので、そのまま磁方位は220°を維持して廿日市を通過する。ところで、国道2号線の看板には「有料道路使用を検討ください」の旨、記載がある。一体どういいうことかと最初は理解できなかったが、宮島まではこの国道2号線が唯一の大きな一般道で、秋には相当に混雑するのだろう。だから、並走する広島岩国道路を使え、そういうことではないだろうかと解釈した。まあ、こちらは2輪なので、いざとなれば裏技を使うまでのことだ。それに、行ってみなければどのくらいの混雑かはわからないので、そのまま30ノットで国道を進んでいく。
西広島ランプでバイパス路は終了したので、高架から地べたの道へ変わる。先程バイパス路上で見た看板からするにどんな混雑ぶりかと思ったが、何のことはない。そのまま宮島への連絡船の乗り場付近へやって来た。ここでガードマンから「駐車場入れるの?」とややぶっきらぼうに聞かれたので、「この辺は駐車してもよいのか」のたずねてみた。すると「いや、できないよ」と予想した答えと違ったことに戸惑っていたいたようだ。当方も、商売上お前のところ以外に駐車できる所はないんだろうと思いつつ、「じゃあお宅の所に止めるわ」ということにした。
案内されて駐車場に入ると超満車であるが、バイクは端の方に止められるよと促されて、入口付近のバイクがたくさん並んでいる列に駐車した。さて、宮島までは橋がかかっていないので、渡るには連絡船以外に実質手はない。友人のオークラ氏なら、遠泳大会に出ているので泳ぐことができそうだ、と補記しておく。
一番近い乗り場の松大汽船の往復切符、360円を購入する。こう考えると、駐車場代の500円は高い気がしてきた。まさしく殿様商売だな、と思いながら船を待つ。尚、連絡線は10分から15分間隔で出港しているので、程なくして乗船することができた。
街中を彷徨ったり、バイパスで渋滞にはまったりして少々疲れてしまった。海風に当たりながら、力を抜いて宮島を眺める。おや、少し離れた所からも船が出ているようだ。こっちはJR宮島連絡船ですか、ちゃんと競合しているので往復で360円なんだね。おっと、遠くに見える厳島神社の大鳥居が少しずつ近くなってくるぞ。
管理人が乗船した船
乗船したと思ったら、もう宮島に到着だ。所要時間は10分だったのだよ、ヤマトの諸君。修学旅行生と思われる女子高生の中に紛れて、怪しいオッサンも宮島に上陸だ。おーここがあの宮島ですかぁ。地元だったら春よりも秋にCMが入ったりするので、紅葉がすごく綺麗な場所なんだろう。おや、野生の鹿がいるのか、奈良と同じだ。驚きつつ海岸沿いに歩いていくと、甲冑のレンタルサービスをやっている人が宣伝文句を叫んでいる。この暑いのに仕事とはいえ、甲冑を身に付けて動き回っている。お疲れ様です。
甲冑レンタルを宣伝中
そのまま歩いていくと、大鳥居の下の海岸で潮干狩りをしている人が見えた。ちょうど引き潮なのだろう、鳥居に触れることができるようだ。今日は第一技科学校へも行けたし、天気も良いし、引き潮だし、わりあいと運の良い日だ。機嫌良く歩いて砂浜に降りて、潮干狩りの人達の相田翔子を通って鳥居に近づいていく。
ところで、日本には「がっかり観光地」なるものがある。高知のはりまや橋、長崎のオランダ坂、札幌の時計台らしいのだが、厳島神社の鳥居はとても大きくて立派だ。ここはがっかりではなく、安心した。因みに、北海道の根室車石はがっかりだったと補記しておこう。
鳥居を写真に収めようと思うが、今歩いている方向からだと逆光線になる。そこで、できるだけ正面に所まで近づいていく。前に、完全に引き潮と記したが、実際には少し海水が取り残された場所もあるので、注意しないと靴が濡れてしまうぞ。
それにしても、海に浮かぶ厳島神社とその鳥居であるが、とても荘厳だ。それもそのはず、公式ページ(http://www.miyajima-wch.jp/jp/itsukushima/index.html)の解説によると、なんと1400年もの歴史があって、平家や毛利元就も肩入れしていたそうだ。もちろん、世界遺産にもなっていて、世界的にも一級の価値があると言えよう。
テレビでよく見たことがあるが、実物はかなり立派である。本物は違うね。尚、この鳥居は建立から数えて8代目だそうで、天然のクスノキで建てられており、地面に松の杭を打って地盤を固めているとか。いやぁ、てっきり建立当時のものと思っていたが、そんなわけないじゃんねぇ。いつだったか台風で倒れたこともあったし。
厳島神社の鳥居
それでも、当時平家がいかに力を持っていたか、鳥居だけでもその片鱗が見える。力と歴史に圧倒されながら歩いていくと、神社の本殿が見えてきた。こちらも広い敷地が回廊で繋がれていて、見応え十分である。上記の解説ページによれば、現在の姿は毛利元就が600年ほど前に改築したもので、舞台がいくつかあるようだ。そして、そのうちのひとつは唯一の「海に浮かぶ能舞台」だそうだ。
平舞台
この平舞台は祭りの際に用いられるようだ。
神社を見終わってから陸に上がってみると、隣に寺がある。ここは大願寺という名前で、歴史的なものを所蔵する宝物殿があり、なかなか侮れない存在である。
この宮島は、基本的に厳島神社の島であり、各所に関連施設や寺がある。また、その間に商店が立ち並び、門前町を形成している。どうでもよいことであるが、宮島ってこういうところだったのね。今までこういう事実も知らないで40年余り、厳島神社だけが知識としてあっただけだ。自分の無知は永遠に続くことだろう。関係ないが、当方はムチムチが好きである。
神社を離れて、土産物街を歩いていく。何やら宮島は化粧の筆で有名らしく、モデルの秋元梢なんかもここのものを愛用しているとか。ここはひとつ、いつもお世話になっているマキちゃんに何か買っていくとしよう。店の人にたずねてみると、紅差しの筆が手頃ではないかと助言をもらった。当方はそういうことは全くのムチ、いや違った無知なので、言われるままに筆を購入した。
今日は暑かったけど島は風が吹いて気持ちが良いし、陽も傾きつつあるので幾分過ごしやすくなってきた。また、少々疲れたのでもみじ饅頭とお茶を「博多屋」で購入して、いただくことにした。
元祖 博多屋さん
さて、もみじ饅頭と言えば、やはり粒あんが一番だと思うが、何のことはない。チョコやクリーム、チーズと中身は様々なものが用意されている。また、店内では「カチャンカチャン」と小気味良い機械の音が聞こえてくる。ちょっと興味があったので「今は機械で焼いているのか」と聞いてみたら、「機械で一日○千個は焼くことができるよ」と自信たっぷりに話していた。また、一番忙しいのは秋の紅葉シーズンで、フル稼働するそうだ。今は生産能力の6、7割ということだった。
粒あんのもみじ饅頭を食べながら、海を眺める。そう言えば、1日目に触れた、東広島出身のエアロビクスの師匠「和枝さん」の友人で、宮島から高校に通っている人がいたと聞いたことを思い出した。また、その人の家はもみじ饅頭の店だったとも。
ゆっくりしていたら、時刻は16時を回っている。そろそろ今日の宿泊地へ向かうとしよう。宮島へ来る前にチェックしておいた、廿日市市の郊外にある「岩倉ファームキャンプ場」への道のりを確認しておく。また、宮島へ来る前にタイ寺コントロールに情報を要求しておいたのだが、あまりぱっとした場所がなかったようだ。
再び歩いて、フェリー乗り場に戻る。切符は帰りの分を購入済みなので、改札へ向かうと「この切符は隣の乗り場です」と言われてしまった。どうも当方はJR宮島連絡船の改札を通ろうとしていたらしい。あかんぞ、よく見てみろと言われそうだ。
フェリーに乗り、夕方になりつつある宮島を眺めて一息入れる。やれやれ、暑さでかなり体力を奪われたな。あともう少し、キャンプ場までは気合を入れていけよ。そう自分に言い聞かせているうちに、船は駐車場のある船着場に到着した。
地図を確認して国道2号線に乗ろうと思うが、そこまでのほんの数百メートルが大渋滞である。おいおい、いきなり気持ちが折れるじゃんか。いやいや、まあ、焦らずにゆったりとした気持ちで、無事にキャンプ場へ到着しようじゃあないか。
TDM号がビュンビュンとラジエターファンを回しているので、ちょっと申し訳ない気持ちになるが、先日ラジエターホースを交換したばかりなので信頼はしている。頼むよ、俺の大事なマシン。
やっとの思いで国道を走り出し県道30号線に乗り換えて、山の方へ向かっていく。高度を上げていくにつれて、だんだんと涼しくなってくる。そして、1時間程度走った所でキャンプ場の看板を発見した。なかなか良さそうなところじゃあないか。
そう思いながらサイトへ入っていくと、結構混み合っている。まあG.W.の初日だから、空いているはずもないだか。そう考えつつ場所を探していたら、ある人が「管理人はもう帰ってしまったから、適当にテントを張ればよいよ」と教えてくれた。その人もバイク乗りらしいので、同じ人種だから親切にしてくれたようだ。ありがとうございます。
岩倉ファームキャンプ場にて
荷物をほどいて、テントを張り始める。明日は午後から雨の予報が出ているからだろうか、少々湿度が高くジメッと感じる。おっと、隣の家族連れのテントの方からボールが転がってきたよ。それを小さい女の子が追いかけているが、当方の存在に気がついてこちらに来ることをためらっている。そりゃそうだ、初対面の40過ぎのハゲオヤジの所へ喜んで来る者などいないだろう。
もっとも、当方が子供のせいだろう、そういう気持ちがなぜかよくわかってしまうので、ニコリと笑ってボールを転がしてあげた。すると、恥ずかしそうにお礼を言って母親の方へ走っていった。
俺も3歳前後の頃さぁ、近所に苦手なおじさんがいてさあ、別に怒っているわけではないんだろうけど、声がやたらにでかくて恐怖におののいていたことがある。多分戦争で軍隊に入っていたからかもしれないね。何だか悪いことをしたなぁ。
やれやれ、テントを張り終えたことだし、荷物を入れていくか。バイクから降ろしておいたザックなどをテントに入れていくが、この時に誰かが走ってきて当方に飛びついてきた。何だ、どうしたんだ。そして、テントの中を興味深そうに見ている、ああ、さっきの子か。びっくりしたなぁ。
「そんなに興味があるなら、よく見ていってよ」と当方は仕事を続けていくが、そこへ母親が飛んできて、「すいませぇ~ん、この子誰にでも寄っていってしまうから」と申し訳なさそうに言うが、いやいや、子供の好奇心てそんなもんよ。そういうところはできるだけ大事にしてあげて欲しいな。
成人の女性には相手にされない当方だが、歳はとって小さな女の子にはウケは良いままだ。まだまだ俺も捨てたもんじゃあないのか?
おおっと、自惚れている時間はない、風呂を探しに行かなくてはならない。確かキャンプ場の隣に国民宿舎があったと思うのだが、そんなもん「ない!」ぞ。おかしいなぁとマップルに記載のある電話番号へダイアルしてみると、「おかけになった電話番号は・・・」おいおい、潰れてしまって建物も既に無いのか。ヤラレタ。
温泉に入れないことにはがっかりしたが、腹が減ったので飯にしよう。相互リンクしていただいている「放浪のページ」では、「麺は簡単に準備ができるのでよい」と記載されているので、今日はそのマネをしてスパゲッティにしよう。
お湯を沸かして麺を放り込み、茹であがったところでドレッシングのようなソースを入れて、混ぜれば完成だ。米を炊くには30分~1時間程度を要するが、これなら10分で食べ始めることができる。ただ、やっぱり米の方が食べたという満足感は大きいと補記しておこう。
この日の晩飯
食事を済ませたら風呂に行きたいが、ちょっと距離がある。そこで、顔拭きのようなシートがあったので、これを使って体を拭いておく。これだけでもそれなりにさっぱりするから、不思議なものだ。ただ、頭が洗えないことが残念だ。
後はラジオを聴きつつメモをつけて、横になった。尚、今回はLEDライトに加えて、LEDペンライトも持参しているから、字が見えやすかった。顕著な症状は出ていないが、最近少し近くが見えにくいように感じることがある。いわゆる老眼の初期段階にあるのだろうか、嫌だねぇ。
明日は天気が下り坂で、午後からは雨になるようだ。早めに行動したいところだ。広島市街の位置、入域と離脱のルートを概ね決定しておく。今日も疲れたな、そう思いながら眠りに落ちた。
本日の走行 180㎞
第三日目へ続く