走って走ってまた走って

 

2011年5月2日

 

 

道の駅 らっせいみさとにてR1-Z氏とW氏

 

0.今年も連休になりました

 

早いもので、既に5月になってしまった。ということは、今年も半分近くが経過したということか。

 

それはそうと、毎年連休にはWRT連合会の定例ツーリングを開催しているのだが、今年も予定日の天気予報は雨予報であった。恒例の大事なツーリングであるが、まあ、毎度のことである。こんなものはあてにならない。そう思っていたら、案の定前日には天候が回復すると予報が変わっていた。きっとメンバーの誰かが「晴れ男」ということだろう。もっとも、晴れの日にしか出かけないので、皆が「晴れ男」ということだろう。

 

1.当方が先導機長だが

 

さて、今回の先導機長は当方の担当だが、ルート設定はもちろん、休息地点や補給地点の目安も念頭に入れておく必要がある。だが、それをすっかり忘れていたので、直前になって少々の混乱をきたしてしまった。メンバー各位にはご迷惑をおかけした。お詫び申し上げます。

 

さて、皆で話し合った結果、集合場所を瀬戸のサークルKとする。昨年あたりから、「なるべく長い距離を走りたい」ということからある程度無駄が少ない集合場所を選ぶ、ということを行っている。ドルーだったら、「そんなもん街一番の馬力で高速を走り続ければいいだろう」と言われそうだが、そんなツーリングをするつもりは無い。

 

何にしても、メンバーの年齢が増えてきているにも関わらず、業務が多忙化する傾向が見受けられるので、こういうことも徐々に定着させていくことが、安全で楽しいツーリングに寄与することは間違いない。

 

ところで、当方の'03型TDM900だが、累積走行距離が71,000kmを越えていて、チェーンが伸びはじめてきた。これはイコールチェーンの寿命を意味するので、2度目のチェーン交換を行った。実際にはフロントのドライブスプロケ以外を当方が交換し、そこだけ店に依頼するという形になってしまった。しかし、コマ数を1つ多くするという、ロングホイルベース作戦を実行できたので、概ね満足している。

 

さて、その印象であるが、TDMが別のバイクに変貌してしまったかのようだ。走行ノイズが大幅に減り、非常に滑らかにチェーンが回り、ギアチェンジなどもスムースになった。これは、古いチェーンが片伸びしていたことを意味する。これだけで気分良く走ることができるので、「もっと早い時期に交換すべきだった」といつものように思ったのであった。

 

ところで、そのチェーンというと超重要な駆動系部品だ。それにも関わらず、普段「馬力がどうの」と言っているが、錆びサビのチェーンをジャラジャラいわせて走っている輩をたまに見かける。これこそ愚の骨頂と言えよう。というのも、レーサーでさえもチェーンひとつで2,3馬力後輪出力が食われることがあるからだ。レースでそれだけの馬力差があれば、確実に直線の最高速などに影響してくる筈である。今一度チェーンについて考える良い機会になったと補記しておく。

 

2.集合

 

そんなことを考えてつつ、集合場所に向かうと、20分前に到着してしまった。出発前に運行前点検をしていたのだが、もう一周り各所を点検しつつ、他のメンバーを待つ。しかし、それもすぐに終了してしまったので、マップルを見て今日のプランや、ダイバート先などを検討しておく。

 

その時、何か視線を感じるのでそちらを見てみると、興味津々といった様子のオッサンがこちらを見ている。もっとも、相手が現役のライダーで、かつ趣向が合う方ならば問題は無いのだが、どう見ても興味本位で話しかけたいという様子の人だ。こういう場合つかまると面倒なので、店の中に入り、補給品を物色しつつウロウロする。

 

すると、そこにR1-Z氏とW氏が登場。挨拶を交わして、各々補給物資を購入後、駐車場でブリーフィングを行う。一応機長を務める当方がプランを開示し、そこへ皆の意見を混ぜて最適化、プラン承認となる。とりあえずはらっせいみさと〜馬籠・妻籠〜開田高原で昼飯と大筋を承認しておいて、その後は時間との兼ね合いで決定といつもの様式になった。

 

プランが決まれば出発か、いや、いつものドルーネタが噴出することは当然の成り行きだ。きっかけは、今日のプランで栗きんとんで有名な「すや」の前を通過するからだ。当方は「すやできんとんを買える金があり、マシンも社外製部品に交換していても遅いんですねぇ。腕は金で買えませんから」とかネチッコイ嫌味を言ってみる。それに続いて、皆相の手を入れてどんどんと膨らませていく。それにしても、何回思い出してもおかしいことは、たちゴケを人のせいにしていたことだし、その考えをコケながら叫んでいたことだ。バイクは手弁当であり、全て自己判断・責任が大前提である。

 

3.出発〜らっせい

 

こうしてコンビニを出発し、国道363号線で当方の出身大学の下を通る。さらにそこから山奥へ入っていくと、いよいよ最初のワインディング区間の始まりだ。ここは割合と交通量が多く、4輪車にすぐ詰るのだが、譲ってもらえる場合が多いので気にはならない。しかし、なぜか2輪であるBMW社製のR1100RSに行く手を阻まれる。

 

この区間は中央線が黄色であるいわゆるハミ禁区間なのだが、このBMW野郎はフラフラとしているのか、抜かせまいと邪魔しているのか、道幅を悪い意味で目一杯に使っている。さて、どうしたものかと思って相手の様子を観察することにする。

 

コーナー進入時に恐怖感から減速しすぎているのは仕方ないのだが、コーナリング中にアクセルを全く開けていないので、すぐにイン側に頭が向いてしまう。すると腕に力を入れてすぐに車体を立てるものだから、またまっすぐ進んでしまい、再び車体を寝かす。でもすぐに車体を立ててしまう。この繰り返しで次々に現れるコーナーを走っているものだから、後方の我々は「どこで寄ってくるかわからない、危ない運転」と認識していた。また、ふらつきはニーグリップの甘さにも起因しているようだ。

 

この場面を打破するには、中央線が破線になる区間を待つしかないのだが、なかなかそういう所が現れないので、大きくイン側が空いた時に抜き去ろうと思ったのだが、BM野郎は直線では結構アクセルを開けている。いわゆる「直線のみ走法(ドルーの街一番走法とも言う)」だ。これには参った。

 

いや、我々は決して速く走れと言っているのではない。ゆっくり走ることは一向に構わないが、せめて後方の様子を時々は伺って、直線区間では道を譲って欲しいと考えているだけだ。

 

結局直線でこいつを振り切り、やっと自分達の速度で走れると安心していたら、今度は脇道からヴァヴァ〜の軽自動車が頭を出している。「大丈夫かな」と注意していたら本当に出てきやがったので、対向車線が空いていることを確認して避けた。先の方から見えていたので、フルブレーキングではなかったが、結構危なかったよ。「お前絶対見ていないだろう」と腹を立てても仕方ない。GWだから、普段運転していない人がたくさん出ているようだ。他にも、右へ曲がるところで左に寄ったり、曲がる直前か曲がってからウインカー出したりする輩も多く見かけた。

 

この後、狛犬を通り過ぎてから左折して、さらに県道20、66号線のらっせい街道へと繋いでいく。因みに20号と66号線の交差点にあるラーメン屋「あきん亭」からは「よい出汁が出てますよ」という匂いがしていた。そういえば、最近来ていないなぁ。

 

こうして県道66号線でheading090、速力50ノット維持で走行し、らっせいみさとに到着。ここで先ほどのヴァヴァ〜とBMWについて話し合う。 当方は「なんだか余裕の無い操縦だ」と思っていたが、後方で査察していたW氏は「大給譲(おぎゅう ゆずる)だ」と思っていたらしい。どういう事かというと、大給譲(おぎゅうゆずる)という人物は、W氏が郷土の歴史で習った人物らしく、当方は道徳で「日本赤十字社」の設立に貢献した人と聞いたことがある。彼の「譲」という名前から「道を譲れ」、という意味をかけてそう思っていたというわけだ。最近、氏も自身の言動について「管理人氏の同じ音の語を結びつける習慣に感染してきた」と指摘していたが、まさにその好例と言えよう。因みに氏は、単調=丹頂鶴が意外に気に入っているようだ。

 

さて、このBMW乗りであるが、W氏曰く「運動神経が悪い可能性がある」と推測していた。というのも、氏の長年のバイク生活において、何かしらスポーツをしていた(いる)人はもっと動きが俊敏であり、バイクの運転でもそういう傾向にあるという事実を見てきたからだ。そういえば、オークラ氏もそのようなことを言っていたように思う。

 

当方の見解では、「バイクの免許が付属で付いてきた世代末期の人で、今まで乗務時間数が極端に少ない」ものと思われる。いずれにしても、速度は遅いが、あのような運転が案外危険なんだよなぁという意見で一致した。

 

4.らっせい〜野尻

 

引き続き当方が先導機長で先へ進んでいくが、W氏があまりにも楽しそうにモンスターに乗っていることから、全くの個人的事情でドカ嫌いであった当方も「ちょっとドカに乗りたい」と思ってしまった。この旨、W氏にお願いをしたところ、快く要望を受け入れてくれたので、国道19号線の迂回路である「茄子川農道」を試走させてもらった。因みに、当方は氏がドカを購入することについて、個人的に「大丈夫かなぁ」と懐疑的に思っていた。「なんだよ、矛盾しているじゃあないか」と言われても仕方なかろう。それでも、要望に応じてくれたW氏に感謝。

 

ところで、何故当方がドカ嫌いなのかを簡単に説明すると、昔、職が見つからなかった時に、今は無き「Mプラン」という有名バイクショップの小僧をしていたことがある。そして、そこでの商売方法を目の当たりにして、またドカの細部について知ってしまったからだ。例えば、「オイル交換で2万円」、「ついでにタイミングベルト交換で3万円」、「インチキカーボンパーツで数万円」、さらに「Mプランオリジナルパーツで数万円、粗利が80%以上」、ということなどが挙げられる。特にカーボンパーツは酷い。原価は数千円である。ただ、FRPの表面にカーボン繊維を貼ったものにすぎないものを何故そんな値段で売るのか。また、大変失礼であるが、それに踊らされて購入する方も、なんだかかわいそうになるくらいに「アホ」に見えていたのだ。要するに、「ドカ=外車=付加価値が高いもの=値段も高い」という図式を無理やりに客に刷り込ませる商売であったというわけだ。当然、この店は数年前に倒産したことは言うまでもなかろう。

 

また、ドカというオートバイ自体も、「ハンドルの切れ角が異常に少ない(25度ちょっと?)」、「妙な所が壊れる」、「ツーリング時には非常に乗りにくい」、「部品は数ヶ月待ちも大いにあり」という「オートバイに乗り、走る」という欲求を満足させてくれないものだったからだ。もっとも、「所有を自慢したい」という趣向ならばこういうものもアリだが、当方には合わないというだけのことだ。

 

しかし、時代は流れてそれは既に10年以上前の事だ。最近では品質管理や市場調査にも力を入れて、乗ることのできるオートバイに変化したと聞いていた。

 

果たしてその乗り味であるが、以前の面影はエンジンの自己主張くらいだろうか。それも適正なものである。軽いクラッチレバーを握り、ギアを入れる。おお、乾式クラッチの音は静かになったし、クラッチレバーもTDMより軽く握ることができる。さらに、半クラッチは神経質な面は無くなっているではないか。

 

アクセルを開けて、ゆっくりとクラッチを繋げていくと、エンジンの爆発感覚に合わせて間が無く加速していく。10年前のモンスターだったら全てこの逆で、重いクラッチ操作、繋がり感がわかりにくく、うるさいクラッチ感覚、そしてその結果がエンストか急加速という状態だったように思い出される。

 

さて、新型モンスターのアクセルを開けていくと、エンジンは敏感に反応するが、運転者の意図に対してほんの少しだけダルな時間があるので、マシンを支配下に置くことができる。そして、コーナリングであるが、一次旋回がスパッと決まる。そして上記のスロットル特性のおかげで、アクセルを開けつつ旋回状態を維持しやすく、トラクションを絶妙なタイミングで引き出すことができる。そしてコーナーを抜けて加速体制に入ると「脳みそが置いていかれる」という表現ができるほどに、強烈な加速である。そして、これを支えるSHOWAのフロントフォーク、SACHSのリアサスはかなり減衰が効いており、適度な姿勢変化以外には余計な動きは無い。なるほど、タイヤのグリップを有効に使えるということだな。

 

こうして、乗り始めて10秒で「これは乗りやすいし速い、楽しい」とドカ嫌いが治癒してしまったほどだ。いや、正確には「ドカに罪は無く、Mプランが極悪バイクショップであった」ということだろう。なるほど、W氏がR1-Z氏にも薦めていた理由がよく解った。もっとも、R1-Z氏は4輪車の維持が大変なので、当面機種移行は無いとのことだ。

 

この後マシンを元に戻して、国道19号線を北上していく。いつもながら19号は丹頂鶴だ。そこで、いつものように県道7号線の旧中仙道へとルート変更を試みるも、ハイキングをしている人が多く、注意が必要だった。まあ、それなりに屈曲路を楽しめたので、19号線をそのまま行くよりはマシだっただろう。

 

さらに北上して、いつもの野尻のデイリーストアで休息、今後のルートを検討する。W氏が「丹頂鶴の19号回避」と言って喜んでいたが、そのW氏が開拓した、上松から県道20号線を使用することに決定した。ここでコントロールを一時的にW氏が引き受けてくれるということであったが、当方もルートに乗る手順を覚えたいので、敢えて自らのコントロールで行くと宣言。本当に大丈夫?まあ、そこはW氏がコパイとして直後から指示をくれるということなので、安心して先導できるというものだ。

 

また、モンスターの印象について、当方の考えていた感想とW氏の感性が一致する部分があったらしく、大いに盛り上がった。特にコーナー立ち上がりのリアサスの踏ん張り感、スロットルの間が最高だと。因みに、W氏がTDMへ持った印象は、だらだらでもスポーツでもいけるオールラウンダーというものだった。そのおかげか、当方の走りで、操縦者の気分が乗っているかどうかを一目で判断できるとのことだった。

 

また、W氏の推奨サス調整の方向としては、減衰力を強めて大きなきっかけを与え、振り回して乗ると尚楽しいだろうということだった。

 

5.県道20号線で開田高原へ

 

国道19号線で寝覚めの床を通過し、19号線の旧道で上松市街地の方へ向かう。市街地といっても、それほどの人口があるようではなく、典型的な山村の街といった様相だ。

 

そして、市街地の北の端にある十王橋という交差点を左折し、この交差点名と同じ名前のループ橋を右旋回で降りていく。この後交差点を右折、若しくは針路を360に採ると、超快走路の始まりだ。ところで、当方は先ほどW氏のドカに乗ったので、スイッチが入ってしまってのだろう。エンジン回転4,000から5,000r.p.m.を使用してコーナーを駆け抜けている。我ながら今日は気分良く流せていると感じるのだが、こういう時はクダラナイ失敗を犯しがちなので、きっちりと先の状況に注意を払いつつ、快走を続けていく。

 

さて、当方等の住む場所では、桜はとっくに散ってしまっているが、この辺りではまだ桜吹雪の状態で、春ラララというところだ。因みに日本で一番遅い桜は北海道の大雪山らしく、6月とのことだ。そして9月には紅葉が始まるので、実質夏なんて存在しないということか。

 

この後、県道20号線も低中速の屈曲路が中心になってくる頃、前方にLマークを輝かせた「廃エース」に捕まってしまった。こちとらP/Wレシオが2kg/1ps台である。加速では、はっきり言って鼻くそほじりながらでも抜くことができる性能があるのだが、廃エースがなかなかムキになってブロックラインを走行している。こちらも無理はしたくないので、結局ダラダラと数キロ走るはめになってしまった。

 

結局開田高原の中心部へ向かう道でLマークの廃エースを見送り、我々は林間のワインディングを気分良く走行していく。そして、今日は綺麗な御嶽山が見えることだろうと期待していたのだが、黄砂で台無しだ。そういえば、今日装着している黒の上着もなんとなく砂っぽい。やられたよ、中国の文化大革命。黄河の水を引きすぎで、川の水量が大幅に減ってしまっていて、その結果流れが分断されたりしているそうだ。そこへ季節風が吹くと黄砂となって、川砂が日本にまで舞ってくるというわけだ。俺の負けだ、撃て、古代。

 

さて、県道20号が国道361号線と合流する地点で、昼食にそばを食べることにする。ここから近い所だと「高原食堂」あるのだが、生憎の臨時休業だ。そこで、その近くにある、旅館と食堂をかねている獄見(たけみ)さんへ入ることで決定した。果たして、この選択は吉と出るか、凶と出るか。

 

旅館・食堂の「獄見」さん前にてW氏

 

暖簾をくぐって、こじんまりとした店舗に入り席に着く。だいたい10人ほどで満席になりそうな小さな食堂だが、隣の工房でオバサンがそばを豪快に打っている。そして時々、だん、ダンと生地に腰を出す為だろう。台に叩きつける音がする。関係ないが、20年以上前に「ダッダ〜ン」と言ってT.V.のCMに出ていた外人のオバサンがいたが、彼女は保育士だそうだ。

 

クダラナイことを考えつつメニューを確認すると、だいたい10種類程しか用意されていない。この時期ならザルを食べたいので、当方とR1-Z氏は2枚で1400円を選んだ。天王星の衛星はミランダである。W氏は3枚1700円と胃袋の違いを見せつける注文だ。それもそのはず、このメンバーで一番体力を必要としている仕事に就いているのは、W氏だからだ。

 

さて、注文後トイレを拝借しようと案内板に従って進んでいくと、旅館の中にあるトイレにたどり着いた。そしてその前には、数多くの有名人や三笠の宮、秋篠宮といった皇室の人の写真が掲載されていた。現天皇も宿泊したらしい。なるほど、なんとなく気品のある旅館だと思っていたのだが、そういうことか。

 

トイレから戻り、首をペンギンみたいに長くして待っていると、いよいよ注文した打ちたてのそばが運ばれてきた。どうやら長さからして10割そばであるようだ。こちらは稗田茶屋よりも若干長いようだが、打ち手は体力があるのだろう。「ヒーヒー」と音を上げることは無く、淡々と打ったもののようだ。

 

元同僚の真似で「そばはまず、一本だけ何もつけないで食べるのがツウなんやてぇ」とか言いながら、つゆをたっぷりつけてズルズルと豪快にすする。んー、そばの香りとコシ、10割そばはたまりませんなぁ。そして薬味もすりおろしたばかりのわさび、辛味大根と本物の味だ。量的にも稗田茶屋よりも1.5割は多いので、満足だ。

 

そばを目の前にご満悦のお二人

 

 

さらに、そばはもちろんだが、付属してきた「さしみこんにゃく」がまた絶品だ。田舎味噌とふきのとうが混ぜてあるタレがかかっており、山菜の苦味と味噌の甘味が調和していて、なんとも言えない。因みに3年前のホンジャマカ石塚も「まいうー」と記した色紙を残している。ここだったら、一度宿泊ツーリングで利用してみるのも面白いのではないだろうか、と思わせるほどグレードが高いと思われた。

 

6.鈴木茜ルート?

 

旨いものを十二分に味わった。いやいや、やはり暑くなくとも高原はよいものだ。さて、今後のルートは県道435号線、通称鈴木茜ルートとしていたが、W氏のドカは燃料の再搭載が必要になった為安全策を採り、国道361号線を行く。確かこの街道沿いの上ヶ洞地区にはスタンドがあったと思う。そこで燃料を調達するというわけだが、念のためR1-Z氏も同時に、15ポンド程度補給予定とのことだ。

 

ところで、なぜ県道435号線が鈴木茜ルートなのか。それは、彼女が扮する「早華胡桃」という役名に由来している。それがどう結びつくか。理由は単純で、この道沿いに「くるみ温泉」という温泉があるからに過ぎない。実にクダラナイ理由だが、「クダラナイネタは長く持つ!」という勝手な法則があるので、ここを通る際には、しばしばこのネタが登場することだろう。

 

そんな説明をして、国道361号線を快走していく。ここはカーブの後に素掘りの、道幅が細いトンネルがいくつも登場する。かなり危険なので、ウリみたいな形の車について走行を続けていく。また、この車も相当に気を遣っているようで、トンネル手前ではきちんと左にピタリと寄せて減速するという、手堅い運転をしていた。

 

こうして狭路区間を抜けると道は二車線になり、程なくJAのスタンドが現れた。しかし、休業の看板も、営業の看板も出ておらず、事務所に人もいない。「これは休みではないだろうか」、と思って諦めかけたその時、ようやく店員が出てきた。丁度昼飯でも食べていたのだろう。

 

さて、2人が給油中に、何か面白いものが無いかと辺りを見回す。すると、スタンドのタイヤ棚に古いBSのマークを発見した。このマークはその昔、兄貴の友人、赤ディー氏が'83型のVF750を購入した際に装着されていたタイヤに刻印されていたもので、今やとっくに使用されていないものだ。それがまだ残っているとは、めずらしい。しかも「ブリストン」ってところがまたよい。

 

このBSマーク

 

そんなことをしていると、目の前を次々とバイクが通り過ぎていく。ん、なんか古いマシンがやってきた。「ああ、GPZ系のものかな」なんて考えていたら、W氏が喜びながらやってきて、「管理人氏、今通り過ぎたバイク、何かわかる?」と質問してきたので、「カワサキのGPZ系では?」と答えると「XS250ですよ」としたり顔で正解を発表してくれた。ああ、そういえば、そうか。シートカウルが古いガンマみたいに台形になっていたなぁ。これはやられた。

 

そんなやり取りをした後、通り過ぎたVTZに続いてheading270、45ノットを維持して道の駅 飛騨たかね工房、権現トンネルを通過する。全く関係ないが、アニメ「ど根性ガエル」のヒロインは「タカネチャン」である。しかし、ガキ大将キャラの「ゴリライモ」は、今ならイジメになっちゃうくらいひどいあだ名だ。またまた話が派生するが、その「ゴリライモ」に似た人物である「チュウサン」という人が顧客にいる。又の名を「パパイヤ鈴木」とも。同じ鈴木でも、鈴木茜とは大違いだ。

 

おっと、話が大幅に逸れた。この後、トンネルを抜けてすぐに左折し、県道435号線、通称「鈴木茜街道」をheadingを180に変針して突っ走る。計画では、下西洞地区から右折して鈴欄高原方面へ向かうのだが、その入り口を発見できるかどうか非常に心配であった。しかし、これは杞憂に終わり、きちんと鈴蘭高原への案内板が掲示されていたので道に迷うことはなかった。

 

こうして、営業中のエネオスのスタンドの交差点を右折し、鈴蘭高原方面へ向かう。ここもなかなかの快走路である。以前W氏が通ったという記憶通りの良い道であった。おっと、右カーブを抜けるといきなり崩落地点に出くわした。しかし、鈴蘭高原スキー場への接続路が迂回路となっているので、そちらを上って行く。すると、目の前にスキーのジャンプ台が現れた。どうやら小さい方がノーマル・ヒル、でっかい方がラージ・ヒルなんだろうが、どちらともまるで壁よ。あんな高い所から助走をつけて飛んでくるとは・・・。まったくもって驚いた。ところで、一説によると、スキーのジャンプ競技はもともとは、拷問だか処刑だかのために、断崖から罪人を突き落としたことが始まりとされているらしい。あなオソロシ。

 

マシンとジャンプ台

 

それにしても寒い。気温は10℃前後と思われる。ここでちょっと失礼して用を足していると、ふきのとうが顔を出している。この辺りでは、まだまだ春がやってきたばかりなのだなぁ。と、ここでW氏が「さっきのこんにゃくのたれに、ふきのとうが入っていたよ」と解説をしてくれる。

 

ふきのとう

 

また、「家の裏ではふきのとうなんて山ほど生えてくる」とも。なるほど、いのししが出没したり、アオダイショウに巣箱の鳥を食われてしまったり、W邸の近所は、「生卵子」を売る店だけでなく、自然もかなり残っているのだ。

 

7.道の駅 馬瀬美輝の里へ

 

こうして鈴蘭高原の別荘地を通り、県道441号線の鈴蘭街道へ合流、ひめしゃがの湯を通過して快走を続けていくのだが、時々サンデードライバーに捕まってしまい、ペースを落とさざるを得ない。ただ、ここは先ほどW査察操縦士からの助言で「わざとカーブ手前できっちり減速し、前走車との車間を空け、コーナーで助走をつけてから次の直線区間で一気に抜き去る」という走法を教えてもらっていたので、その通りに1台ずつ抜いていく。当方は7,000時間の乗務経験があるが、W氏には時間数、技量共に大きく及ばない。さて、そのW氏は査察操縦士であることはもちろん、「操縦教育証明」も保持、いわゆる教官でもあるわけだ。その他限定事項は単気筒、2気筒、4気筒、ホンダ式MC16型、MC18型、NC30型など数え切れない。

 

氏の指導に関心しつつ、国道41号線を横切った後、県道88作戦で下呂温泉の手前まで南下しする。この道は国道41号線の西岸を通る道で、信号がほとんど無いので、多少住宅街を通る必要があるにも関わらず平均速度は速い、お薦めの道だ。

 

この後、国道257号線へスイッチして新日和田トンネルを抜け、県道431号線を激走しで道の駅、馬瀬美輝の里を目指す。激走と言ってもたかだか50ノット程度を維持しただけのことだ。

 

さて、道の駅へ到着したのだが、いささか疲れが出てきた。ここまでの区間で、屈曲路を距離にして2/3位は走行してきたのだからねぇ。ところが、他の2人はまだまだ元気なようだ。

 

それはそうと、W氏が飲み物を購入したいと考えていたのだが、ここには「無い!」ということらしい。ドルーがいたら「何で自販機も無い所で止まるだぁ〜」とか言いそうだ。おお、ドルーと言えば、W氏から{もう一回ツーリングに呼んで、このペースで走って「はい、行こ!」とか、「何で遅いだぁ〜」とか言い返してやりたい}とやや怒りを抑えられない様子であった。本当にその通りであり、それができればかなり面白いことになると思うが、当方の不手際でW氏他に不快な思いをさせてしまった、と反省しきりである。しかし、W氏も「これ以上悪態をついていると、コケると嫌なのでこの辺りにしておこう」と自重していた。これに対して当方は、「コケる可能性は全員に均等にあるが、それを避ける為の技量維持を怠ってはいけない。それより、コケたことを人のせいにすることがおかしい」と補足する。ドルーは努力もしていないし、たちゴケを人のせいにしていたので、やはりおかしと思う。

 

8.道の駅 平成、そして解散

 

当方は少々疲れてしまったので、R1-Z氏にコントロールをお願いして最後尾へ回り、岩屋ダム周辺道路(県道86号線)を走行し始める。すると、ここでR1-Z氏の狼煙走法が炸裂した。当方全く及ばず、ややゆるい速度を維持して走行を続けていく。それに対してW氏はピタリと付けていったようだ。当方からは全く見えないが、きっと息も詰まるような緊張感でコーナーを抜けているのだろう。250ccとはいえ、2ストのマシンはコーナリングならば大型マシンと対等に渡り合えることは今更驚くことも無いが、ドルーには衝撃だったのだろう。何せ「街一番」のはずが、250ccに完全にちぎられたのだから。「2輪はやはり腕だよなぁ」と改めて思う管理人であった。

 

こうして国道256号線、県道85号線、県道63号線と、国道41号線を避けて飛ぶルートを行く。この県道85号線は1.5車線幅で、杉林を縫うように走る舗装林道に近い道だが、41号線のような丹頂鶴ではない。ここならR1-Z氏が眠くなることもなかろうと思い、あらかじめこちらの道をお願いしておいたという次第だ。

 

こうして県道63号線から、道の駅平成へと到着する。蛇足だが、ここはオルゴールの音楽が流れているし、人気の少ない所もあるので、しばしば独りで来てはくつろいでいる。また、R1-Z氏推薦のイチゴソフトクリームや、パン店も営業している。さらに、土産物も土地のものが豊富に用意されているので、そういうものが好きな人は一度立ち寄るとよいだろう。そういえば、無料の足湯もあるよ。

 

ここでR1-Z氏はイチゴソフト、当方とW氏はバニラソフトを食す。ん〜まろやかぁ〜という感じでとても旨い。最近では、スジャータの詰め替え式のソフトクリームが普及しているが、ここは大量の生地を搾り出す方式だ。やはり後者の方が旨いように感じるが、どうだろうか。因みに「スジャータ」というのは人の名前で、お釈迦さんに牛乳をあげた人だ。

 

恒例となりつつある、アイスで乾杯の当方とW氏

 

そうこうしていると18時を告げる放送が流れ出した。どうやら閉店となるようなので、出発する。

 

ここからは各自が都合の良い場所で編隊から離脱する、いわゆる流れ解散方式で家路に就く。W氏は美濃太田付近で国道248号線を選択し、R1-Z氏と当方は国道41号線で南下する。さて、41号線は小牧付近が大渋滞することがあるが、幸いにも今日は良く流れている。ただ、高速の案内表示を見てみると、40kmとか渋滞があちこちで発生しているようだ。当方なら発狂してしまうだろう。

 

そして勝川付近で当方は国道302号線、R1-Z氏はそのまま41号線を走行していく。

 

9.まとめ

 

今日は当方が機長ということで、手堅い(いつも走っている)ルート選択となったが、ワインディング走行は充足できるレベルにあったのではないだろうかと思う。いかがだったでしょうか?あと、鈴蘭高原ルートはW氏のご提供でした。ありがとうございます。

 

また、次回機長を担当する時は、もう少しヒネリを加えたものになるよう、ルートの組み合わせをしてみようかな。恐らく、隠れ快走路がまだまだあるはずだ。

 

あと、情け無い話だが、左の大臀筋上部が痛くなった。今思えば、W氏のドカを試乗してからずっと痛かったのだろうと思う。腰を入れすぎてスジが不自然に伸びてしまったのだろう。湿布を貼って、ジムも軽めにしている。やはり、ツーリングバイクに慣れてしまっていて、スポーツバイクに体が順応しない部分があったのだろう。ま、連休はどこも混んでいるし、オークラ氏のマシンを全塗装するお手伝いもするので、おとなしくしていよう。

 

さて、次回のツーリングもよろしくお願いします。では。

本日の走行 360km

 

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