早春一泊ツーリング(志摩編)

 

2009年3月 7日〜8日

 

大王崎灯台とR1-Z氏、そして彼の上着を着る銅像

 

0.はじめに

 

2輪車乗りにとって冬が一番辛い季節であることはほぼ疑いの無い事実であろう。しかし、3月になってだんだんと気温が上がってきたことを実感できるようになった今日この頃、どこでも良いから遠くへ走りにいきたくなる。ツーリングを楽しむライダーなら当然の成り行きであろう。また、丁度業務も一段落したということで、R1-Z氏と管理人は俗称シマハと呼ばれる当方の会社の保養所へ出かけた次第である。ところでこの保養所であるが、別荘と呼ぶ方が適切であろうと追記しておく。

 

1.集合

 

毎度申し上げているが、泊まりのツーリングはなぜかゆっくりしてしまう。本来ならば、普段日帰りで走行する距離の1.5から2倍は消化できるわけであるが、泊まりはゆっくり楽しむためのツーリングである。つまり、日帰りと同等の距離を2日でゆっくりと楽しむということになる。よって朝9時半集合1130分出発と相成った。2時間も管理人宅で何をしていたのか?いつものように仕事のあるべき姿、社会情勢、そして会社のこと・・・。あとはU管で生ダラのスターボウリングというにしきのが温泉から落とされる映像を観て笑い転げたり。なんで塩野がいるの?と突っ込んでみたり。当時は金のかかった企画をしていたのだなぁ。

 

あとはR1-Z氏のマシンの軽整備を実施。チェーンがかなり伸びていたわけだが、シールチェーンがこれだけ伸びているということは、もう寿命ということだ。また、スプロケも歯こそは残っているが、横方向にかなり歪んでいたことも見逃すことはできない。R1-Z氏も近いうちに交換が必要と認識しておられた。また、メンテナンススタンドからバイクを降ろす際に、「ガク」っとステムが回転軸からズレる手ごたえを感じた。調べてみるとステムナットがユルユルだ。これでは感じ悪いので、ハンドルバーを外してナットを締めておいた。

 

2.出発

 

「ナイスカーン」って何がナイスなんだよ、とかわけの解らないことを口にしながら出発。フライトプランとしては、県道56号で豊明VOR/DMEを通過後国道23号に乗り、機首を270に向け、40ノットで巡航する。当方の実家がある新日本製鉄名古屋製鉄所を横に見つつ、鳥のオアシス藤前干潟、そして以前はゼロヨンで賑わった鍋田などを通過して四日市に到着。ここで遅めの昼食にしようとチェーン店の中卯に入る。実は中卯で食事するのは初めてであり、ちょっと懐疑的に、かつ慎重に注文の品を吟味した。結局管理人は定番の牛丼、R1-Z氏は親子丼とミニうどんセットを頼んだ。管理人が知らないだけかも知れないが、名古屋地区には中卯はあまり展開されていないから、入店する機会がなかったねと話しているとそれぞれの食事が運ばれてきた。味は吉野家に比べてやや甘味が強く思われた。関西圏の味付けであろうか。まあ値段相応という感じで、可も不可も無いというところだ。

 

この後、国道1号に乗り換え、本田技研鈴鹿製作所を横目に見ながら走行を続ける。おや、R1-Z氏の様子がおかしいぞ。管理人のTDMとの車間距離が離れたり、詰まったりと一定でない。これは氏が眠気に苛まれていることを意味しているので、コンビニにて休息することとした。

 

あり難いことに、このコンビニには偶然にも休息スペースが用意されていたので、こちらでコーヒーを飲んで一息入れる。早速今後のルート検討に入る。街中を走行してきているので、思ったよりも時間が過ぎており既に15時を回っている。このような時は大抵思ったよりも疲労が蓄積している場合が多いし、明るいうちに志摩に到着することは難しそうだ、ということでローソクで有名な亀山から伊勢道を走行するプランに変更した。そんなことを話しているとさほど暑くもないのに、へそを出したやや肉感的女性が二人入店してきた。どうやらブラジル方面の方のようだ。鈴鹿製作所で働いている方と思われる。ここもご多分に漏れず、外国人の労働者を雇っているようだ。日本の製造業はいまやこのような人々無しでは立ち行かなくなっていると実感した。全く関係無いが、彼女らが去った後に何か臭い残り香がたちこめていた。しかも強烈な。

 

3.飛びそう

 

鈴鹿市から亀山市に入り、伊勢道兼名阪国道の入り口である亀山I.C.へとなだれ込んでいく。ところで、ここの手前には土産物屋とコンビニがあるのだが、その敷地の端っこにはなぜか軽飛行機が2機置いてある。1機は美しいトラスフレームとエンジンのみ、もう1機は外装もほぼ完全な形で残っている。以前当ページでも話題にしたが、その後も詳細は全く不明だ。

 

さて、高速に乗ってしまえばあとは遅い車両と覆面パトに気をつけて巡航を続けるだけでOK牧場。何度もくどいようだが、TDMは場所、状況を比較的選ばない良い相棒だ。高速もハーフカウルが比較的良く効いており、風圧も適度に刺激的だ。しかし、飛ばしすぎるとタイヤの真ん中だけが減るので、追い越し車線を、他の4輪車と共に流れに乗って走行するとしよう。ところが、ミラーにメルツェデス(モウロクジジイのTだいじ風に)のSUV車が「俺は天下のベンツ様」とでも言いたげに迫ってきている姿を発見。R1Z氏は一旦走行車線に戻り、背後についた模様だ。さて、管理人はどうしようか。結局氏と同じ様に一旦走行車線に入り、道を譲った後に再び追い越し車線に戻り、背後についた。同車はぬわなkm/hで巡航している。車線の左側を走行しているので左ハンドル車の模様だ。丁度良いペースメーカーだと勢和多気J.C.までは背後を走行していたが、道路も空いているので久々に高回転までエンジンを回してみようと馬鹿な考えが浮かんでしまった。TDMの後ろを走行するR1-Z氏に指を立てて合図した後、左車線に出て一気に加速。先述の「メル」はミラーから消えて見えなくなった、いや、R1-Z氏の2スト特有の煙幕が視界を遮ったかも???チラッと速度計をみると、うやひkm/hと表示されていた。因みに当方の好きな薬師丸ひろ子はオフィスメルの所属である。前後の話は全く関係がないと断っておこう。

 

4.またまた飛びそう

 

伊勢I.C.で伊勢道は終点になり、二見シーラインという有料道路に接続している。ここは無料区間である朝熊I.C.まで走行し、有料道を降りる。この時点で1630分になっていた。亀山を1610分前位に乗っているので、70km40分で走行したことになるのかな?この後は県道37号線を走行、いよいよパールロードへ進入していく。この道は海沿いをウネウネと、しかも結構なアップダウンを伴い通っている。道幅も広く、舗装状況も良い。さらに無料ときている。ぐぐっと上りながら右カーブをクリアしたと思ったら、こんどは左カーブで下りという動的な様子である。さて、ここで記念すべき出来事があった。TDM90055ヶ月目にして累積走行距離が50,000kmを迎えたのである。つまりは100,000kmへの折り返し地点を通過したというわけだ。

 

やっと折り返し点

 

今まで目指していなかったわけではないが、不幸にもこの折り返し点でさえも到達したことが無かったのだ。いや、ちょっと感激してまったよ。この50,000kmといえば、R1-Z氏も2006年北海道ツーリング時に迎えている。ところが、氏も不幸にして現在は2号機である。「今度はメーター1回り頼むよ」と励まされたが、「TDM100,000kmの位が用意されているんですよ」と答えておいた。そうなんだよ、TDM900はアルミメッキシリンダーと鍛造ピストンを採用しており、ヤマハとしては鋳鉄スリーブと鋳造ピストンのエンジンよりも耐久性に自信を持っていることをうかがわせる。なぜ鋳鉄スリーブを廃すると耐久性が高まるのか。ヤマハの説明によると、シリンダとピストンが両方共にアルミなので、熱による膨張率が基本的に同じであり、両者のクリアランスを適切に保つことができる。ということは、まずい具合に当ることが少なくなる=減りが少なくて済む。さらにメッキ自体も進化して、減りにくくなったということらしい。ともかく、「無事これ名馬」を合言葉に大事に、慎重に、そして時にちょっぴり大胆に、これからもTDM900を相棒にツーリングを続けていくとここに宣言をする。

 

ところで、このようなワインディングではR1-Z氏の方が確実に巧く早い走りを見せるので、当方は氏の後ろを走行する。前述のように、パールロードは一級のワインディングである。ということは、当然速度も高くなりがちであり、R1-Z氏は視界の井川遥か前方に行ってしまっている。管理人も負けじと頑張るが、どうもいまひとつ乗りきれない。ということで、ソコソコのペースとしておく。それにしてもこの道は良い。北側から進入してくると、上りの右カーブでは空へ離陸、下りのそれでは海へダイブしそうな錯覚に襲われる。当然視線は道路の先の先へ移しているので吹っ飛ぶことはないが、やや恐怖と快感が入り混じった複雑な気持ちとなる。これも2輪車の醍醐味であろう。 

 

ここで一旦クールダウンの為に、鳥羽展望台・箱山台緑地へ入り、駐車場にバイクを停める。まずは暖かい飲み物を調達してパールロードの印象を話し合う。当方はココアとしたが、この際アーモンド・オレという飲み物が隣にあり、斜めからショーケースを見ると「アーモン」と見える。もちろんこの名はW氏の同級生ナガノトモヒサ氏を連想させ、その一味である会社同僚の「カトショウ」が話題になる。彼は何かとらえどころの無い、ちょっと人を小ばかにしたような態度をとることがあるので、子供時代から良い評判が無いらしい。勤務中においても確かにそのような傾向が見られるということをここで触れておこう。

 

アーモン

 

さて、R1-Z氏は「途中で調子こいてまって、曲がりきれんかもしれんとリアブレーキを踏んだところ、後輪がズルッときた」と語っていた。このところ仕事が立て込んでいたそうで、鬱憤晴らしにアクセルを開けすぎたのであろうか。また、「カーブは深いものもあるが、曲率が一定で路面も荒れておらず走りやすいね」とも。確かに、複合かと思いきや、実は大きな1つの回り込んだコーナーである場合が多かったように思われる。当方もそろそろ本格的シーズンインに際して、コーナリングの感覚を思い出し、磨いておかねばと夕日に誓ったのであった。どうも左カーブの際にシートに載せる体重の場所がやや前方である上に、右手に力が入っているようでハンドルを掴んでいるようだ。これではうまくいかない。このあたりを修正しておきたいものだ。

 

ところで、ここ三重県は鳥羽一郎と山川豊兄弟の出身地である。この二人といえば兄弟舟が有名であり、この展望台にその歌碑が設置してある。R1-Z氏と管理人の2人は歌碑といえば北海道は稚内にある宗谷岬のものを直ぐに思い出してしまう。それは2006年に同所を訪れた際に「人間(じんかん)センサー」が付属しており、人が通る度に「流氷とけてぇ〜」と歌が流れていたからだ。特に宗谷岬は人が多く訪れるので、ほとんど歌が止まることがなかったわけで、我々は耳にタコができるほど「宗谷岬」を聴かされるという苦い経験があるからだ。この件に際し、R1-Z氏は「ここは人間センサー無いよね」と安堵していたと追記しておこう。 

 

兄弟船の歌碑前にて(R1-Z氏)

 

5.シマハへ

  

展望台を後にして、いよいよ保養所シマハへ向かう。それはそうと、時刻が既に18時近くになっている。ということで、先に買出しと飯を済ませようということになった。志摩は海の街なので寿司を食おうということになっていた。管理人は既に、オークラ氏から巴寿司という良い店があると紹介されていたので、早速向かう。この巴寿司は水産会社直営の店であり、回転寿司ではあるが非常に新鮮で、かつでかいネタが特徴だ。また地ものが中心のメニューで珍しい魚が食べられることも特筆すべきことであろう。 

 

  

                          巴寿司前にて                     アオサ汁                        よこわ

 

そういうことで、早速席に座り本日のおすすめ「よこわ」や「きんき」を食す。このよこわとは本マグロの幼魚ということで、大変さっぱりとしているにもかかわらずマグロの味を堪能することができるネタだ。キンキはお馴染みの目がでかいやつだ。全く関係ないが、管理人は目がでかい女性がわりと好みであると付け加えておく。さらにひらめや太刀魚、えびなどを次々に平らげていく。一緒に注文したあおさ汁も絶品である。R1-Z氏も納得の味・量で、二人とも大満足であった。

 

腹もいっぱいになったので、隣のスーパーで買出しを行う。たまには酒でも飲もうかなと、するめやチーカマ、なぜか甘納豆も求め、ソルティドッグ1缶を購入した。ついでに朝飯のクロワッサンなどもまとめて買っておく。そうして19時頃にやっとシマハに到着した。結構つかれたなぁ。本当は温泉に出かける予定であったが、道中でいささかゆっくりし過ぎた。今晩は備え付けの風呂で我慢であるが、なかなかつくりの良い保養所なので結構いけまよ、この豚汁。

 

風呂はR1-Z氏が気を利かせて知らないうちに沸かしていてくれた。さらに先に一番風呂に入るという贅沢なことまでさせていただいた。ありがたや、ありがたや。風呂に浸かりながら本日の工程を振り返る。街中走行が主であったので、時間がかかってしまった。しかも国1にルート変更をかけたりしたので、結局高速に乗ることになってしまった。まあ、23号でズルズルと来た方が早かったのであろうが、それではつまらないし、ツーリングの醍醐味にも欠ける。あれこれ考えて、結果こうなったのだから仕方無かろう。ああ、それにしてもツーリングの後の風呂は最高だ。腰や肩の凝りがほぐれていくのを存分に感ずることができるし、寒さでやや冷え気味の指先や足が暖まり、血管が拡充していくことがよく解る。う〜と思わず声が出て、全身の力が抜けていくようだ。 

 

 風呂から上がると本日の無事を祝い、またR1-Z氏の仕事お疲れをねぎらって乾杯!前述のソルティドッグをすこしずつ飲んでいく。もちろん先に飯を食べているので一気に回ることはなかろうが、如何せん酒を飲むのは1年以上前のことと記憶している。20%ほど飲んだところで、早くも酔いを感じてきた。

 

一方、テレビでWBC(ボクシングではないよ)が放映されていた。相手は韓国であったので、かなり盛り上がりをみせていた。どちらかというと、韓国側がムキになっているフシもなきにしもあらずというところだろう。ところが、我らがイチローのいきなりの活躍を皮切りに、続く打者もそれに応えるかの如く、バットから快音を響かせていた。なんだかんだで7回コールドゲームとなり、日本の圧勝でゲームセット。これはこれで良いのであるが、日本チームと言っても現在国内で活躍する人はあまりいないことが少々悲しい。日本人がアメリカに出て行く選手が活躍していることは日本人として嬉しいのであるが、日本チームとして国別対抗戦を行うのであるからやはり日本で活躍する人であって欲しいと考えることは贅沢すぎか?

 

野球が終了した後は今シーズンのツーリング計画について語り合う。特にシーズンの最盛期といえる梅雨明けから8月までの期間の構想を重点的に話し合った(実現の可能性はその場にならないとわからない)。といっても、この時期に行くところと言えばやはり北海道であろう。当方は3回、氏は1回の渡道暦を有するが、まだまだやるべきことが多く残されている。当方は細部にわたって楽しむこと、R1-Z氏は道東方面を訪ねることが当面の目標だ。今年は2台揃って出かけられるとよいなぁと、一緒に走り始めた2001年以降毎年言っている。

ところで、よくよく考えてみると今年の5月の連休はカレンダー通りならば2日(土)〜6日(木)までが休みとなる。この間を利用すれば九州なら十分渡航可能だ。大阪で夕方発のフェリーに乗船すれば、翌朝には九州に接岸する。これなら4日間を用いて、3泊4日(内2泊は船内)で30%くらいは周回できよう。2007年にも管理人もこのような日程で長崎と阿蘇を訪れている。

 

九州というと中部圏からだとかなり遠い気がするが、大阪を夕方発のフェリーに乗船すれば、翌朝には九州に接岸することができる。およそ12時間の船旅であるし、上陸地点も北九州から宮崎まで何箇所か選択肢がある。また大阪南港までは高速を利用すればおよそ3時間程で到着可能だ。仕事を終えて速攻で走り出せば、翌日の休みから走りだすことができるのである。この点では船で1泊(18時間)、走行は実質的に翌々日からという北海道よりもかなり気楽に訪れることができる。つまりは九州の方が行きやすいということだ。

さて、夜も更けてきたのでそろそろお開きということで、就寝。

本日の走行 180km

 

6.天気良いではないか

 

翌朝、7時にいきなり市内の広報志摩という有線放送がものすごい音量で流れはじめた。これで目が覚めてしまったが、さすがにまだ眠かったので2度寝を決め込んだ。次にいきなり9時のサイレンがこれまたものすごい音量で鳴り出しびっくりした。これはもう起床するしかなかろう、というか本日の予定から考えるとそろそろ起きないとまずい。眠い目をこすりつつ居間の方へ行くとR1-Z氏は既に起床しており、元野球選手の張元と大澤親分が出演している番組を見ていた。「喝」だの「天晴」だの言うやつだが、時々2人の意見が食い違い「喝」だ「天晴」だともめる時もあり、少々滑稽であった。

 

 さて、事前の天気予報では午後から雨かもということであったがすっかり晴れているし、加えて天気予報も雨の文字が消えている。これは運が良かった。まあ、雨なら高速で帰宅して終わりかと予定していたが、これなら少し走れるということで観光地を回ることとした。朝飯をかじりながらフライトプランを作成する。まずはすぐ近くの大王崎、そして伊勢神宮の横にある「おかげ横丁」に寄っていこうということで提出・承認。

 

マッタリと昼前まで過ごし、シマハ記念撮影をして出発する。お、ウグイスが鳴いているよ。こちらは名古屋よりも気温が高く、完全冬装備だとちょっと暑いくらいだ。もうじきモモヒキも要らなくなるし、手袋も春秋用でOKとなる。なんかワクワクしてきたよ。

 

 

会社のシマハにて

 

まずは大王崎灯台へ向かう。ここは以前にも訪れているが、景色が良い場所なので再び訪問と相成った。ところで、これまた全く関係無いが、アニメ「北斗の拳」にてその他のチンピラがラオウに対して「ケンオウ様」とやけに甲高く、また卑屈な声で言う場面がある。それになぞらえて「ダイオウ様」と一人で言って、一人でうけていたのは管理人であったと告白しておく。

 

灯台までは細い路地を登っていくことになるが、前述のような服装であったので汗がでてきた。暑いじゃん。また、路地の両脇には商店がいくつも並び、土産物を売っている。その中でも干物は特筆すべきものであった。というのも、店のすぐそばで天日干ししたものを販売してあるからだ。今や干物も工場で燃料を焚いて人工的に乾燥させているものがほとんどのようである。この場合燃料の臭いなんかが移ってしまったり、風味や味が出なかったりするものである。一方天日干しでは、魚が太陽光に当ることにより、うま味や風味が増す。効率化を極度に求められる現代では本筋の方が少数派になっているのである。

 

              

                                  路地の商店街                            ウルメの干物をつくっています

 

そんなことを考えながら150円を払って灯台に登り、景色を楽しむ。灯台から眺めるな海の色はまさに紺碧のコバルトブルーである。25年くらい前の歌手である八神純子の「ミスター・ブルー」に「・・・コバルトにぃ〜も〜えるぅ〜海ぃ〜」という歌詞があるが、まさにそのものだ。余談であるが、当方は八神純子といえば「みずいろの雨」ではなく、「ミスター・ブルー」である。バイクに乗っていながらこういう事を言うのは気が引けるが、いつまでもこういう美しい景色を見たいものだ。

 

コバルトに燃える海を眺める管理人

(おっさんになったなぁ)

 

この大王崎周辺は「絵描きの町」と称している。つまり、プロ、アマを問わず多くの画家が訪れて、風景を描いていくということらしい。そのことを示す銅像が、前述の路地から離れた小さな公園に建っている。管理人の場合、銅像といえばクレイジーキャッツの故ハナ肇であり、ペンキやら水やらをかけられ、金タライでボコボコ殴られるやつだ。もっともこれはテレビでの話しであるので、実際の銅像は大事にするべきものであることは言うまでもない。と考えているとR1-Z氏が「銅像を見ると何かしたくなるんだよなぁ」と呟きながら、自分の上着を着せている。このくらいなら問題は無かろう。その状況を撮影したものが冒頭の写真だ。銅像本体と上着の色が濃く、ちょっとわかりにくいので別角度からも撮影しておいた。

 

暑くないでしょうか?

 

一通り遊び、次の目的地へ向かおうと駐輪場へ行くと、ステッカーをバリバリに貼り付けた岡山市ナンバーのカブを発見した。どうも見た目に違和感を覚えると思ったら、別体の大型タンクを追加したりしているようだ。ステッカーも北海道を中心にいろいろな地方のものを見ることができる。が、妙に新しくテカッているところをみると「ダテ」なのかもしれない。しかし、荷物はかなり本格的に積み込んであるので、これから出かけるところなのかもしれない。暫く眺めていたが、オーナーが現れることもなく、我々は出発した。

 

7.おかげ横丁

 

ダイオウ様、いや大王崎を後にした我々は次なる目的地である伊勢神宮(内宮)へ向かう。途中伊勢神宮の裏から森の中を通る屈曲路を走行していく。ここはあまり熱く走ってはいけない。というのも、物理的に通行量が多く、道幅もそれほど広くない。また、伊勢神宮を包括している森はどことなしに厳かな雰囲気が漂っている。

 

ところで、内宮の入り口にかかる橋は今年が架け替えの年らしく、鳥居の先は何もなく、すぐ横には仮の橋がつくってあった。我々は各々別の神社に初詣に出かけているので、今回お参りはパス。いずれまた、ということでおかげ横丁へ進入していく。ここはずらりと色々な店が並び、その長さはおおよそ300mくらい続いている。ここへ来ると毎度思うのであるが、人が多い。特に女性が多く、若い者はミニスカであるとか、短パンであるとかやや寒々しい格好をしている。管理人はそういう格好を見ることは好きなので問題ないが、当人たちは体調を崩したりしないのであろうか。女性もいろいろと事情があるということか。

 

人ごみが嫌いな管理人がここまでやってきたのには理由がある。赤福本店にて、赤福を食べるためだ。この赤福はご存知の通り、不祥事を起して一時営業停止に追い込まれていたが、今は昔。どうですか、この繁盛振りは。土産用の箱入りを購入するために何十米も行列ができている。また、店内も座る場所を探すのに苦労するほど込み合っている。おりしも、縁側の五十鈴川に面した場所が少し空いていたので、すかさず座って赤福を食す。赤福のテーマを口ずさみながらの久々の赤福餅はうまいのう。このほうじ茶の苦味もまたイケているよ。もう不祥事おこさないでね。

 

        

赤福本店                                赤福餅

                                                                    (五十鈴川の波を表現していると言われている)

 

赤福餅は3、4cmほどの大きさだが、3個で結構腹にたまる。こしあんが腹で膨れるのであろうかと思いつつ、R1-Z氏にキセルの店があると紹介した。以前、オークラ氏から情報を得ていたので愛煙家である氏も興味があるだろうと思った次第だ。「一服吸ってみようか」とR1-Z氏。

よく解らないが、キツイタバコらしい。以前自分で巻いていたこともあるそうで、それに近いものだそうだ。「仕事場で吸ったら良いかも」とよほどキセル一式を購入しようと思ったらしいが、結局思い留まったようだ。

 

キセルを吹かすR1-Z氏

 

時間も14時過ぎなので、夕飯に差し支えないように伊勢うどんで腹ごしらえをしておく。うどんというと「コシ」、「のど越し」が重要な要素であるが、伊勢うどんはどちらもイマイチだ。しかし、チョーブラックなタレとこのブヨブヨの麺がなんとも言えない調和を成し、うまいんだよなぁ。たれも色のように辛くない、いや甘辛いという表現がピッタリだ。さて、うどんを食べながら今後のフライトプランを検討していく。国道23号のみではおもしろくないので、県道37号線を利用することにした。

 

伊勢うどん

 

8.帰宅

 

伊勢神宮を後にして、松坂市まで北上するも、ここでまたR1-Z氏の様子がおかしい。やはり予想は的中で、眠気に襲われていたそうだ。とりあえず一番近いコンビニにて休息する。氏曰く、「10分くらいウトウトするだけで眠気は治まる」とのこと。こうして休息後、走行を再開し、国道23号線でズンズンと北上していく。同国道は以前は、特に愛知県と三重県の県境辺りから猛烈に混み合っていたが、最近はETCを取り付けた車両が湾岸線を走行するためであろう。さほど渋滞することもないようだ。すんなりと揖斐川、長良川を渡り、長島のなばなの里を通過。そういえば、以前ジムのインストラクターのミニスカ陽子さんが「婚約者となばなの里に行ってきた」と言っていたなぁ。女の人はこういうところに弱いのか、めんどくせえなぁとモテもしないくせにいっちょまえのことを考えつつ木曽川を渡り、愛知県に戻ってきた。

 

自宅到着が18時頃になるという予想が立った為、夕食を食べつつ反省会(何の反省か?)を、R1-Z氏が大学時代から常連である定食屋の「あべや」で行うこととした。店は名古屋市内にあり、管理人は市内の道は良く知らないので、R1-Z氏に先導をお願いする。当方は氏のことを「街のスペシャリスト」と呼んでいる。ほんとうに市内の道ならほとんど知っていると言っても嘘にならないくらい、走り慣れているからだ。

 

ところで、このあべやといえば名物は女将さんである。とても謎めいた人で、表情があまりない。機嫌が良いのか悪いのかが全く解らない。ご主人は厨房でひたすら料理を作っているので、尻に敷かれている模様だ。管理人の考えでは和服の時は比較的機嫌が良く、洋服の時はあまり良くないと判断している。なぜなら、機嫌が悪いときにめんどくさい和服を着ることは無いと思われるからだ。

 

それはともかく、あべやのピリ辛鍋は旨い。特に冬に2輪に乗った後食べる場合は格別と言える。今日はピリ辛モツ鍋にしてみた。モツ入りも旨いよ。体がホカホカとしてきて、温まる。こうなってくると別に女将さんの機嫌なんてどうでもよくなってくる。というか、はじめからどうでもよいのだ。

 

                  

                                  ぴり辛モツ鍋                                 あべや前にて管理人

 

飯を食べ、やはりバイクだという結論に落ち着いたところで帰宅。ああ、また明日から仕事かぁ。

 

9.まとめ

 

最近歳のせいか、どうも休憩時間が長くなりがちだ。無理して走っても仕方ないし、だいいち危ない。しかしロングツーリングは止められない。こんな時こそ、会社の保養所を利用したツーリングがとても都合が良い。ゆっくりすることができるし、距離を走ることも可能だ。さらに利用料金も安いといきている。いつもは会社の文句ばっかり言っているが、このときばかりは褒めてやることになる。まあ、会社員なんだから、やることをしっかりやって、たまに会社を利用してやってもバチは当るまい。また別の場所にある保養所へも行ってみるとしましょうか。

 

 

本日の走行190km

2日間の合計走行距離 370km

 

戻る