(1997年3月初旬)
管理人の四国在住期間に泊りツーリングを2回行っている。1回目は東半周であるが、今回は2回目の西半周をリポートしよう。なにぶんにも10年以上も前の話なので、写真等があまり無い。ご容赦願いたい。また、東半分はどうした?という声が聞こえてきそうだが、こちらは簡単なリポートを後日UPすることとする。UPしました(2008年2月15日)。
管理人の第二期学生時代は3月からが春季休業となる。授業を終えたら無性にバイクに乗りたくなったので、泊りで西の最果て佐田岬を目指すことにした。早速準備にとりかかるが、3月上旬である。今回はテントは止めにして、ビジネスホテル等に投宿することにする。やや値が張るが、体調を悪くするよりましだ。
出発して、まずは吉野川沿いに通っている国道192号線を目指す。それにしても四国の道はペースが上がらない。というのも、皆が制限速度位で走行しているからだ。そのくせちょっとでも隙間があると満足に確認もせずに割り込んでくる。いったい何回警報器を鳴らしたことか。疲れますねぇ。郷に入れば郷に従うのは半ば常識であろうが、こればっかりは納得できない。もっとも地元もそれなりの危険行為が頻繁に行われているわけだから、四国はどうのと文句を言える立場ではない。
とりあえず、2時間近くかかって貞光町の貞光ゆうゆう館という道の駅に到着。休息するが、どうも盛り上がらない。この頃からRFのネガな部分が気になっていたのであろうか。非常に疲れる。
貞光ゆうゆう館にて
話し変わって吉野川であるが、四国でも一番大きな(流量が多い)河川らしい。最上流は高知県にあり、渇水時には役場の庁舎が現れる、かの有名な早明浦ダムがある。同ダムは四国の水がめと呼ばれており、四国4県は何かしらこのダムに頼っている。水利権は基本的に徳島県が持っているようで、香川県なんかはお水を頂戴している身分だ。というわけで、何かあるとすぐに断水になってしまう。また、この川には古くから堰が設けられており、これが老朽化しまくっているので可動堰を新規に建設するという話がある。当然生態系への影響も懸念されているので、反対派がいるという構図になっている。
政治的にはこんな風に少々きな臭いが、川の流れは緩やかで、沈下橋なる欄干の無い橋がある。雨で増水すると隠れてしまうが、普段は普通に橋として使用できる。流されることのない合理的な橋だ。
沈下橋の一例(Wikpediaから借用)
再出発して、攻めダルマ、ヤマビコ打線で有名だった池田のある池田町を通過。この先は国道32号線へ乗り換え、針路を南へ変更。余談であるが、エロビデオで「舐めダルマ」という異名をとる男優がいたそうだ。もちろん攻めダルマから由来していることは明白千万である。
この辺りまで来ると、相当に山深い。谷底に道が走っていて、山肌に家が張り付いているという様相を呈している。そう思っているとまたまた有名な「大歩危(おおぼけ)」に到着。名前の由来は歩くことも危険な場所だったということらしい。近くに小歩危もある。昔は旅の難所であったというわけだ。
大歩危付近の様子
少々冷えてきたので、熱い飲み物で緊張をほぐす。それにしてもなんか物悲しいやら、疲れるやら、何とも言えない気分だ。だいたい独り旅はこんなものであるが、それにしても何か盛り上がらない。歳を取ってしまったせいか、なんか物悲しい。
大歩危を過ぎればいよいよ高知県に入る。高知といえば桂浜、坂本竜馬ということになるが、この時は坂本竜馬像は補修作業中だったのでパスして、先を急ぐ。山間部を超えて高知の市街地へとやってきた。市街地なんて日本のどこへ行っても同じだなぁ。何かしみじみとそう思った。そうは言っても路面電車はいい味出してるよ。管理人の地元の近くだと豊橋なんかが有名だ。
高知市街の様子。路面電車が良いですね。
豊橋といえば、第一期学生の時に仲の良い女が住んでいた所だ。管理人初の女友達とでも言おうか。特にかわいいとかそういうことはないが、なかなか面白い奴であった。ただ、セクシーダイナマイトボデーの持ち主で、夏場はユッサユッサとさせていたと付け加えておこう。ドライブに行ったり、お茶したり、バイクの薀蓄をたれたりと楽しい時間を過ごさせていただきました。誕生日にフランスからカードを送ってくれたし、家に呼ばれて彼女の母親と食事をして懇談したこともある(モテナイので自慢している)。今は何をされていますか。きっと34歳のおばさんになっていることだろう。
路面電車から大きく話が逸れた。写真の渋滞でさらに体力を奪われた。気力も萎えてきたが、もうちょっと頑張ろう。国道56号に乗り換え、針路は南西へ。丁度西日が海に沈むところを眺めつつ快走、、ではなくて、トロトロと低速走行。そういえば泊るところ考えていなかった。そうだ、宿坊という手があるぞ。なんじゃそりゃ?というお方。四国といえばお遍路さんの巡礼の地であり、お寺には00番札所と番号が付けてある。その中でも大きな寺は巡礼者を泊める施設を有している。それが宿坊だ。ツーリングマップを見てみると、岩本寺YHというのがある。ここはどうやらYHを兼ねているようだ。早速電話してみると、準会員ということで宿泊できるそうだ。
ツーリングの基本中の基本といわれるツーリングマップ(る)。昔はこんなのでした。しかも「る」無し。
早速行ってみると、まさにお寺。食事込みで5000円、素泊まりなら3500円位だったので、素泊まりで申し込みをする。それにしても受付の坊さんもなにか横柄な感じがする。不必要に卑屈になる必要もないが、ふんぞり返って面倒くさそうに言うのはどうも、、。部屋に案内され、荷物を降ろす。YHは相部屋が基本だが、今日は客が少ないので、自分独りで過ごせるかなぁと期待していたら・・。「じゅ、巡礼のまねごとをしています」と独り旅のオジサンがやってきて、今晩の相棒一丁あがり。恐ろしく無口な人で、どこか陰鬱な雰囲気が部屋に漂い、何とも不快な夜であった。おまけにイビキが結構ひどかった。くっそう、しまった。後の祭りとはこのことだ。
そう思って寝ていたら、オジサンはいつの間にかに出発していた。もうYHには絶対に泊らないと心に誓った。だいたい5000円も出せばビジネスホテルに泊れるではないか。完全に判断ミスだと自らに腹が立ったのはいうまでもない。
岩本寺の全景(写真は借用)。左がYHだったか?
さて、天気は、、雨ジャン。オヨヨヨヨ、ツイてないと嘆いても雨は止まないので、さっさと準備をしてチェックアウトする。相変わらず坊さんからは横柄な印象をうけた。
今日は日本最後の清流と呼ばれる四万十川を見てみたい。まずは国道439号を西進し、途中で中村市方面へ機首を向ける。そのまま四万十川の河口がある中村市へ入る。なんだか霧に煙っていて、良いのだか、悪いのだか判別できない。
これが四万十川なんだけど、これだけでは清流かどうか判別不可能
本当ならばしばらく四万十川と戯れたいが、雨降りでどうにもならないのでさっさと足摺岬へ歩を進めることとした。四国は道が割合と単純に接続されているわけで、標識さえ見ていれば道に迷うことはあまり無い。国道321号を180°方向へ進む。景色も左に海、右に山と単調であり、結構退屈だ。さらにこの雨降り。昨日に引き続いて盛り上がりがないなぁ。
そうこうしているうちに、足摺岬のある土佐清水市に入った。あと7、8km程というところから良い雰囲気の道に変わった。中高速コーナー主体の南国らしい木が立っているワインディング路だ。楽しんでいるといよいよ岬に到着。
なんでこんな不機嫌な顔してんでしょうか?ケツを向けている人がいるから?
足摺岬からの風景。当日は穏やかな日でした。 灯台もありますよ
しばしウダウダしていたら、ちょっと天気が回復してきた。この雨でチェーンオイルが流れていますので給油したいところですが、生憎忘れてしまったというか、想定しておりませんでした。情けなし。国道321号沿いのバイク屋にオイル注油させてくださいとお願いしたら、渋々貸してくれました。ありがとうございます。ひとしきり注油したあと、500円払おうとしたら、「お代は結構です」ということで、ありがとうございました。私のミスを無償で埋めていただいたバイク屋さん。ありがとうございます。路面も乾いて再び国道321号線に乗ります。
写す看板が反対だよ。左からやってきて、下方向に曲がったんでしょう。
少し気分が乗ってきましたので歌は歌いませんが、どんどこ進みます。なにせ道が単調で、あまり記載事項がないんですよ。因みにこの国道321号はサニーロードとよばれているそうです。とりたててサンサンとしている様子もありません。
ここから再び国道56号線に乗り換え、愛媛県に突入。こころもちみかん畑が増えたような気がしないでもない。もっとも、四国は温暖な気候で、高地に至っては真冬でも平年の最高気温が10度程となっているようだ。話は逸れるが、梅雨明けも関東辺りよりも、約1週間前に発表される傾向がある。
さて、かねてから懸案としていたメロディーラインを目指そう。
佐田岬(さだみさき)半島。やたら尖っている珍しい形だ。
八幡浜市街はまたもや渋滞していたが、なにやら車の動きが読めないのですり抜けは封印しておいた。やっとのことで国道197号線、通称メロディーラインを走り始める。途方も無くまっすぐな道であり、丁度北海道をイメージさせる。もっとも高架部分が多く、さながら苫小牧のバイパス路というところだろうか。そうなると気になることは違反取り締まりだ。こんなところで切符を切られることはゴメンだが、周りの車はやたらとばしており、そうそうゆっくりというわけにもいかない。先行車両に任せて後を追うが、何を勘違いしたか、前に出ろという合図をしている。いやはや、2輪に乗る者のやることは解らんと思っているのだろうが、こちらもあんたのすることがわかりません円永谷園。15分位で道路がある先端まではやってきた。最果ての漁村という雰囲気であり、人影は無い。なんとも寂しい雰囲気で、こちらも不安になってしまうではないか。最先端ではないが、遠くに九州関崎の影も見えている。この豊予海峡はやはりアジであろう。九州であがれば関アジ、佐田岬であがっても同じものだが名前が違うだけ。なるほど、漁村があるのも納得できるというものだ。どうせなら民宿かなんかをとって、旨い魚でも食べるべきであった。後悔先に立たずというわけで、もと来たメロディーラインを戻る。ところで、このメロディーラインという名称だが、音楽が流れる橋があるわけでして、なんとなくそれらしい場所で車を止めている人はおりましたが、寒く、心細くなったきました。さっさと八幡浜市街に戻り、ビジネスホテルを探して飛び込みで投宿完了。ここは屋根つき駐車場にバイクを停めさせてもらえ、ちょっと安心できたと付け加えておこう。
尚余談であるが、鹿児島にあるのは佐多岬(さたみさき)である。四国は佐田岬(さだみさき)。北海道の北のほうは納寒布(ノシャップ)岬、最東端は納沙布(ノサップ)岬である。
あまり良く眠れなかった。なんとも薄ら寒いビジネスホテルであった。そんなわけで、7時前にはチェックアウトし、松山へ向かう。松山というと1000円札で有名な漱石氏の坊ちゃんであろう。当然道後温泉ということになるわけで、国道56号線を走って松山市内へ。松山城と路面電車が走るよくテレビに映る場所を通過して道後温泉に到着。残念だが、やや体調が悪いので朝風呂はとりやめにした。今思えば、風呂でゆっくりして、体調を整えて、場合によってはもう一泊安宿に泊まればよかったのに、とまたまた後悔。もっと柔軟に生きる術を身につけないといかん。そう思いつつダラダラと生きてしまった結果、こんな人間となってしまった。
早朝の道後温泉駅前にて
今日はスカッと飛ばしたい気分なので、高速で一気に鳴門まで走りきることとして、松山自動車道の伊予小松I.C.に滑り込む。ちょっと腹が減ったので、熱いものを食べようと石槌山S.A.に入る。ここはじゃこ天が有名で、じゃこ天うどんを注文する。
じゃこ天うどん。普段食べるねりものに比べ、3倍くらいのコシがあります。
どうやらジャコという魚のねりもので、やや茶色っぽいはんぺんだ。とくに旨いわけではなかったが、揚げたてなら旨いだろうな。
走行再開して、新居浜を通過して三島川之江I.C.で一旦松山道を降りる。というのも、当時は徳島道にまだ接続していなかったのだ。舐めダルマ、もとい、攻めダルマの池田町を通り、脇町から再び高速の徳島道へ。藍住I.C.で降りる。残りは鳴門まで県道を走り全日程終了。寒いので風呂に入って体を温めて、昼寝した。その後は体調が回復したと伝えて四国西半周ツーリングを終了しよう。