第2日目
(2008年11月2日)
露天風呂から紅葉した山を眺める
昨日は疲れていたせいか、はたまた歳のせいだろうか、すぐ寝てしまった。まあ起床が早くなったので問題は無い。そうなればやはり朝風呂であろう。昨日は既に薄暗くなりかけてからの入浴であったが、今朝はバッチリ明るいし天気も昨日同様に快晴だ。朝日を浴びた山々を眺めつつ風呂を堪能する。それにしても朝から露天風呂とは、なんとも言えない気分の良さがある。まだ眠っている体をゆっくりと起床させるというか、細胞が序々に活性化されていくというか、いやぁー極楽。
火照った体をひとしきり冷ましつつ、朝飯を食う。昨日の晩飯から想像するに、きっとあっさりと食べやすいものが出されると考えていた。果たしてその通りであったわけだが、ホウバ味噌が特に良かった。文字通りの味噌であるが、これを火で温めてプチプチと煮えてくる頃に食べる。細かく刻んだネギなどが混ぜてあり、ご飯がすすむことったらなかったね。ただ、漬物は市販品になっていたし、味噌汁も昨日の味噌を使用しているようではなかったので、非常に残念であった。
さて、本日のフライトプランであるが、そのまま帰宅しても面白くないと伊那方面を経由することとした。9時ごろには準備を整えて出発する。まずは国道471号を南下して、安房トンネルを走る。以前一度だけ旧道を走ったことがあるが、なかなか強烈な道で40km/h程で、慎重に走行することしかできなかった。昔はこの道しかなかったわけで、すれ違いは、特に大型の観光バスなんかが多く通行していたので、大変であったことだろう。これら過去の事実を考えると、このトンネルは地元の人の悲願であったのではないだろうか。
トンネルを抜けてさらに東進して梓湖こと奈川渡ダムを目指す。ここは浪人時代の夏に、NS50Fで訪れたことがある。もっとも、この際は松本の大学に通う友人のアパートを拠点として活動していた。因みに友人はMTX50という、NSの一世代前のMBXのエンジンを搭載したオフロード車に乗っていた。約一週間の滞在期間中に、軽井沢、浅間山、白骨温泉と様々な場所を訪れた。これが管理人のツーリングライダー原体験であると思われる。本当に楽しく、夢中で走り回った記憶がある。以後何とか大学に入学し、バイクもステップアップして現在に至るわけだ。話が逸れたが、梓湖もまた紅葉の真っ盛りで、ダム湖に萌える、いや燃えるような葉の色が移りこんで息を呑むむほどであった。ということは、当然気温が低かったわけでして、8℃位であっただろう。それにしても、以前は紅葉を見ても色が変わったなぁ、くらいにしか感じなかったが、今回は本当に息を呑んだ。この夏の北海道でも景色のすばらしさから、しばしばそのような場面に出くわしたわけでして、歳を重ねることもまんざら悪いことばかりではなさそうだ、と思った次第である。
梓湖の紅葉を幅広く写してみました
再び走行再開、国道を離れて県道62号線を味噌川ダム方面へ南下していく。この道もなかなかウネリ具合がよろしいのだが、梓湖に近い方は少々道が狭いし素掘りのトンネルもあったり、また水が湧き出ていて路面が濡れている部分もあるので注意が必要だ。味噌川ダムに近くなると道幅はやや広くなるが、アップダウンもかなりあるので、横Gと縦Gを同時に感ずるダイナミックな場面もある。ところで、この道は何回か峠を越えるわけだが、そこでは完全に落葉しており、これまた注意が必要だ。いろいろ注意事項を反芻しつつい、バックマーカーならぬ前走者を慎重かつ大胆な追い越しをかける。この際にはエンジンも6000r.p.m.付近を使用する。TDMの最高トルク発生回転域なのであるので「ドカン」と前に出ることができる。エンジン音もルルル〜からビュイ〜ンに変わる。このあたりは2気筒マシンの真骨頂といえるおいしい所である。というのも、回転数の割にはタイヤのグリップ感を比較的感じやすいからだ。これには不等間隔爆発の点火時期が大きく寄与しているわけであることは、度々このページで解説している通りである。
楽しいワインディングが終わり、国道19号線との合流点を左折し、峠を1つ越えると奈良井宿である。ここは子供の頃と、大学生の時、合わせて数回訪れたことがあるが、今回のようにゆっくりと眺めたことはほとんど無いと思われる。こちらもやはり、紅葉が素晴らしかったと報告しておく。
それにしても昔の人々は江戸から各地へ1ヶ月とか歩いて旅をして、こういう宿場町で泊まっていたのかぁ・・・。特にこの奈良井の南には今越えてきた鳥居峠がある。要するに難所であったわけだなぁ。けっこうな危険な事だったんだろう。そんなことを考えつつ、少しだけ昔の旅人になり、通りを歩いてみた。ところで、こういう町並みは電線なんかを全部地中に埋めて、景観を保っている。管理人の実家の方にもミツカン酢の本社があり、そこも同じように昔の町並みを保存している。7人の侍?のロケなんかも誘致したことがあるそうだ。ところで、「ミリカン」という人物の似顔絵が高校の理科室に掲示してあった。しかし、よく見ると名前のところに1つ点が付け加えてあって、「ミツカン」になっているではないか。これを思いついたやつは天才だなぁといつも感心していたと付け加えておこう。
奈良井宿の町並み 奈良井宿にかかる大きな橋の所で
さて、江戸時代にタイムスリップした後は現実に戻り、水素と炭素の化合物で動力を得る金属製の馬に跨って国道19号線を下る。この後は伊那の南、宮田(みやだ)村にあるそば屋へ向かう。伊那へは国道361号線に乗り換えるわけだが、この道は今年の春に一度通っている。このときは峠付近の気温が4℃と表示があり、山の側面には雪がドンと積もっていた。また、今でこそ権兵衛トンネルが開通して、何の問題もなく峠を越えることができるが、聞いた話ではこの国道の旧道、ものすごく険しいらしく、道案内の看板も木の板にペンキで「伊那」と書かれていたそうだ。そんなことを思い出していると、トンネルから抜け出て視界が開ける。この瞬間が結構好きだ。というのも、伊那市全体が一望できるからだ。この間訪れた、北海道のナイタイ高原に少し似ているかも・・・。さて、お得意の全く関係無い話であるが、宮田というと、管理人の会社に宮田なる女子がやってきて、1時期仕事のイロハを伝授(おおげさだ)していたことがある、最近妊娠したということで退職したわけだが、なかなか、いやかなり個性的で面白い奴であった。管理人もいろいろアホなことを言ってからかっていたら、しまいには大いに怒られてしまうようになった。いい思い出だ。
件のそば屋「梅庵」であるが、国道から伊那中部広域農道へ乗り換えて南下し、途中で駒ケ岳方向へ曲がった集落の中にある。建物は家をそのまま利用しているという趣であり、味で勝負という気合が伝わってくる店だ。それにしても丁度昼時であったので、1時間程待つこととなった。なんでも、注文を受けてからそばを打っているようで、そりゃ時間がかかるわけだ。旨いものを食うにも忍耐が必要である。腹減った。
暇なので、店の前でポーズをとるR1-Z氏
もう腹が減りすぎてどうでもいいや、というころになってようやく入店し注文をした。そこからさらに30分近く待ってようやくそばにありつけた。うまいよ、これ。10割そばで、コシもあり、風味抜群だ。いやぁ、待った甲斐もあったというものだ。しかし、冷静になって考えてみると、家の近くにも北海道の幌加内産のそば粉で打った10割そばを出す店がある。別にここでこだわる必要も無かったのかもしれない。まあ、旨いからよしとしよう。さらにしめのそば湯も濃厚で、風味を十分に味わうことができたと追記しておこう。
食したもりそば
そばを食べた時点で、既に14時を回っていたので、このまま帰宅することとなった。まあ、国道153号は面白くないので、このまま広域農道を飯田市まで走行する。しかし、最近はこの道も交通量が多くなってしまい、以前に比べてペースが落ちた。こうして面白い道が減っていくことは悲しいものだが、これも現実。新しい道を見つけるように努力を惜しんではいけない。それにしても飯田市内がどうも難しい。ここで農道からコースを逸脱してしまうから、中央道の飯田I.C.付近で一旦国道に乗り、また農道に乗り換えるということをする羽目になる。そろそろ通しで全線走行できるように道を完全に覚えてしまわないとね。
飯田から阿智村に入り、あとはお得意の153号の冶部坂越えで平谷、そこからは国道418号にスイッチする。この頃になると陽もすっかり暮れてしまい、真っ暗だ。特に418号は街灯も少なく、ライトの照らすガードレールや路面の白線を見てカーブを予測し、また路面状況を随時確認し、おっかなびっくりで走行をする。153号をそのまま南下すればよかったのであるが、この時期は香嵐渓という鬼門があるので、敢えてこちらを選んだわけだ。果たして峠を越えて、さらに「万光寺」前を通過。やれやれ、やっと257号に乗れた。しかし、もう1つ問題がある。YG越えだ。ここも街灯が少ないので、非常に暗い。418号以上に速度を落とし走行する。昼間に走る場合の半分位の感覚であるが、それでもかなり怖い。混んでもよいから153号を行くべきだったか?と後悔しても後の祭りだ。
こうして無事に自宅に辿り着いた管理人一行であった。それにしても豪華なツーリングであった。こんなツーリングは数年に1回しか行うことができないと思われるので、非常に貴重である。まあ、R1-Z氏も復活したことだし、これから何回でも行くことができる、その第1回目というわけなのでよかったのではなかろうかと思う。それにしても、甚九朗、また行きたい。
本日の走行 270km
合計走行距離 500km