納沙布岬にて 管理人
(VTR氏撮影)
気分良く旗をなびかせつつ、道道35号線南ルートで納沙布岬を目指す。昨年は雨が降って、霧が出て、北方領土どころか日食さえ見えなかったが、今年はどうですか、この天気。雲一つ無い快晴ですよ。そしてこの涼しさ。電光掲示板には23℃の表示が出ている。
こうして昨年宿泊したインディアン・サマーカンパニーを通過すると、荒涼とした草原が広がり、最果ての旅情満点である。時々小さな街があるが、ひなびた漁村という様子である。
そのうちの一つ、歯舞の街にやってきた。金が無いので郵便局で現金を引き出そうと思うが、ここは昨年速度違反の反則金を納付した局だ。ちょっと頭にきたことを思い出し、現金を引き出す。それにしても、郵便局はこういう最果ての地にもかならず一軒はあるので、ツーリング時には重宝する。そう思って表にでると、一人のチャリダーがやってきた。自転車には当方よりも多くの荷物を吊り下げ、車体後部には「日本一周中」の看板を出している。「がんばってよ」と応援し、ちょっと話してみた。すると、当方と同じ中部地方からやって来て、昨晩はさんま丼で有名な「鈴木食堂」へ宿泊したそうだ。「さんま丼はありましたか」と尋ねてみたところ、「ありましたよ」とうれしい返事が返ってきた。と言うのも、ラジオニュースでは「さんまが不漁で、平年の10分の1以下の漁獲量しかない」と放送されていたので、今年は販売されてないかなぁと予想していたからだ。
納沙布岬での重要な目的が果たせそうだ。はやる気持ちを抑えつつ、安全運転で最果ての地を目指そう。こうして、草原の向こうにだんだんと平和の塔が大きく見えるようになり、最後の左カーブを曲がり、右折して道道を離れる。警察署の前を通り、ぱっと開けたそこが納沙布岬だ。
今年は天気が良いので、歯舞諸島もよく見える。16年前よりも断然はっきりと見える。そう思いながら、看板の前にTDMを停車させて写真を撮る。数枚撮影したところで、先ほどのVTR氏が登場だ。だいたいライダーの思考様式はよく似ているので、こういう遭遇はよくあることだ。お互いに再会を喜んで、鈴木食堂へ向かう。
北海道最東端の納沙布岬にて
(後方にVTR氏)
歩きながら海のちょっと先に見える秋勇留島や水晶島を眺める。VTR氏は「すごく近いですねぇ」と興味を持っていた。また当方も、こんなにはっきりと視認できるのは今回が初めてで、運がよかったよと話に乗っていく。
納沙布岬灯台と秋勇留島?
鈴木食堂の玄関先の席に座り、2人ともさんま丼を注文する。また、奥にいる人もさんま丼を注文していたようで、さんま不漁の件が話題になった。ここの女将さんが言うには「苦労してさんまを確保している」とのことだ。「さんま丼目当てに訪れてくれるお客さんが多いので、切らすわけにはいかない」とも。東の果てにある食堂でも、誇りを持って営業しているなぁと関心してしまった。当方も、もう少し仕事に身を入れようか。
仕事というと、VTR氏は「スタジオ付きのカメラマン」ということだ。業務内容は契約した学校の修学旅行や、運動会等の行事の写真を引き受けるというもので、今は秋の行事前で暇だから休暇を取得して、ツーリングに来ているそうだ。また、カメラの話になって、当方が「銀塩のニコンuというカメラを持っている」と話したところ、「銀塩は一発勝負で、現像が上がるまで出来がわからないところがよいですね」ということになった。そして当方も「色合いのぼやけ方もいいですよね。ディジタルは色がはっきりしすぎて不自然だよなぁ」と付け足すと、「そうそう」とマニアな話題で盛り上がってしまった。
さて、さんま丼の登場である。丼のフタを開けると、びっしりとさんまの漬けが並んでいて、真ん中にカニのハラコが添えてある。昨年と全く変わっていない。女将さんの苦労と、さばかれたさんまさんに感謝していただきます。うー、うまい。やはい、さんまが新鮮なので臭いは全く無く、さらに生姜醤油に漬け込んであるので、さんま本来の味と混ざり合っていてなんとも言えない。さらに、脂の乗りも良く、舌の上でとろけていくようだ。当方はこれで3回目だが、何回食べても旨いよ。
カメラマンVTR氏は初さんま丼で、こんなの食べたこと無いよと少々感激していたようだった。二人して黙々と食べる。そして、このさんま丼には花咲ガニの半身が入った鉄砲汁が付いてくる。これもまたおいしい。VTR氏はカニを食べなれていないようで、カニの身をほじくり出すのに苦労していた。お互いにさらに無言になってしまったことは、言うまでもなかろう。
鈴木食堂のさんま丼セット
あー食った食った。もう少しご飯の量があるとよいが、北海道には旨いものはたくさんある。多少余力を残しておいて正解だろう。
飯を食った後、VTR氏から2輪についていろいろと尋ねられた。内容はいろいろな分野に渡っていたが、当方、これでも一応20年バイク生活を楽しんでいる。若い人と2輪について語る機会はそんなに多くないので、ついつい持論を展開してしまう。というか、質問に答えるにあたり、背景から話し始めるもんだから、ついつい長くなってしまう。黙って聞いてくれてありがとうございます。まったく、オッサンの悪い癖だ。もう少し簡潔に要領を得て論を展開できないものだろうか。どうしてそう熱くなったのか。やはり、若いライダーが少ないと2輪業界が益々活気を失い、その結果メーカーが体力を失い、さらにバイクの選択肢も少なくなる。こうなると、若い人のみならず、我々オッサンもバイクから離れる、という構図が浮かんでくるからだ。
当方だけ話していても申し訳ないので、VTR氏についても伺ってみる。なんでも20歳そこそこの頃まではインドア派であったそうだが、最近バイクに目覚めたそうだ。家の人も外に出て欲しいと思っていたそうなので、バイクに乗ることには反対されなかったとか。そして、「もっと早くにこの楽しみに気がつくべきだった」と後悔されていたが、そんなことはない。今気がついたからこそ、楽しみを理解できるのかもしれない。というのも、あまりに若過ぎると、アクセルを開けることだけを追求し過ぎて事故を起こしてしまったり、最悪亡くなることもある。いずれにしてもそこで2輪生活は終了して、「やっぱり車だよな」ということになってしまうのだ。当方、こういう方々を結構見てきた。今ツーリングでバイクに目覚めることができたのは、とても幸せというか、タイミングの良いことだと思われる。これからもツーリングの楽しみを知って、さらに活躍されることだろう。
会計は一人1,400円だが、ここでは北方領土の旗が貰えるようだ。実は昨年、旗は貰ったが掲げることはしなかった。今年はやんわりと断ろうかと考えていたら、「交通安全」の旗を差し出された。やれやれ、これなら堂々と掲げ、自分への啓発にもなる。
鈴木食堂を出た後、間近に見える北方領土について数多くの展示物がある、北方領土館に入る。こちらは入館無料であるのだが、質の高い展示物が所狭しと並んでいる。ところで、昨年のリポートにも記載したが、当方は政治的なことはあまり関心が無い。それ故に、純粋に生息する生き物や日本統治時代の施設、気候などの展示を中心に見ていく。
まずは階段を上りつつ、歯舞諸島の紹介や、由香里、いや縁のある人について解説したパネルを見ていく。そして2階には海中の様子を再現した模型や、島にいる生き物の剥製のリアルさに驚く。ここで当方はアホなことを思いついた。千島列島の模型があり、その各島の名前が書かれたボタンが付属している。そしてそのボタンを押すと、模型の島に仕組まれた電球が光るのだが、丁度「新知等(シムシル島)」の電球が切れているのを発見した。そして、当方すかさず、「この中に電球が切れた島があります。さあどれでしょう」といきなりVTR氏に振ってみた。すると、氏も真面目に考えてくれて、「択捉島」と答えてくれた。「正解は新知島です」と回答を示したのだが、「新知島って日本ではほとんど知られていないよなぁ」とごまかしつつ、文書のレプリカが展示されている方へ歩いていく。それにしても千島列島って結構な面積があるんだよな。
文書には北方領土の日本領帰属を示す根拠となる、日露通好条約も含まれている。これには「択捉島と得無島の間を国境と定める」旨が記載されている。そしてこの条約が定められた日が2月7日というわけだ。また、この後樺太の領有で揉めていた件は、千島列島を日本領、樺太をロシア領とする「千島樺太交換条約」で解決している。そして、第二次大戦後にソ連軍が千島列島を下ってきたということになるのだそうだ。そうなると、本来は千島列島全島返還でないと解決にならないのでは、という疑問も浮かんでくる。これについては、共産党が主張していて、それ以外の党の議員でも同じ考えの人がいるらしい。いずれにしても、通好条約以後は、いわゆる北方4島については他国に属したという記載は無いそうだ。
展示を見た後は、備え付けの双眼鏡で島々を見てみる。有名な貝殻島の傾いた灯台、ひときわ大きくみえる水晶島には工場らしきものも見えるぞ。思ったよりも島には人が住んでいて、活気があるのだなぁと解り、目から鱗だ。なるほど、日本が領有を主張する気持ちも解るし、何よりも、もともと住んでいた人達は悔しいだろう。
こうして北方領土館を後にして、さらにその隣にある北方領土返還のアーチを眺める。このアーチから北方領土が見えるようになっており、そのアーチの中心には火が焚かれている。ここでVTR氏が「あの火は何なのでしょうか」と尋ねてこられたので、「おそらく領土返還への強い意志を象徴するものではないだろうか?」と推論を示してみた。というのも、広島にも核兵器が地球上から無くなるまで灯し続ける、祈りの火があり、これも「核兵器廃絶への強い意思の象徴」と思われるからだ。
さらにVTR氏は「日本が北方領土4島にこだわる理由は、海産資源が目的だからなのでしょうか」と続けてこられたので、以前当方が何かの本で書かれた推論を話してみた。それは、「千島列島が、ロシア極東の軍艦が太平洋へ出るにあたっての重要な航路だ」というものだ。つまり、真冬にロシア軍が極東から、直接太平洋へアクセスできる海域は、ここしかない。しかし、冬にはいわゆる流氷で覆われてしまう。北方4島以北では軍艦が通れない程の氷で海が埋まってしまうのだが、4島付近は軍艦が辛うじて通行できるらしい。それで返還を渋っているというものだ。なるほど、太平洋で何かあった場合、極東から軍を出すことができれば一番よい。ここが通行できるか否かは大問題だ。たかだか海産資源だったら金を払ってもれえれば、操業許可はいくらでも出せると思われるので、こちらの方が本音かなと思うが、どうだろうか?VTR氏も上記「軍事説」が信憑性がありそうですねと納得していた。ま、本当のところはよく解らない。
こうして、北方領土について話したりしていたら、時刻は13時近くになってきた。そろそろ出発しないといけない。VTR氏だって、旅の続きがある。そういうわけで二人ともマシンに戻り、準備を整える。その際に当方が根室のホクレンでもらった旗について話したところ、「気になっていたんですよ」とVTR氏。「駅に近いホクレンだよ」と詳細を地図で示した。
名残惜しいが、「また遭いましょう。お気をつけて」とお互いに別れの挨拶をする。ツーリングで知り合った友とはこういうものだ。氏を見送った後に、当方も、豪勢に3本の旗を立てて出発する。さて、ツーリングではなるべくその日に走った同じ道を避けたいものだ。こうして、今度は道道35号北ルートに乗り、根室の市街地へ向けて走行する。ここまでは基本的に針路は東方向だったが、今度は苫小牧に向けて西方向になる。いよいよ旅も終わりが近くなってきたというわけだ。
だんだんと離れていく納沙布岬に後ろ髪引かれつつも、フェリーの出港時間は20日の23時30分と決まっている。これはどうしようもないし、どうかしたところで生活そのものが危うくなってしまう。「結局会社員なんだな」とここで現実に引き戻されそうになる。いやいや、旅はまだまだ残っているので、それを大いに楽しもうではないか。
そう考えつつ、右手にオホーツク海、左手に草原を見つつ、爽やかな風に吹かれて走行していく。ところで、この辺りは牧場もあるようで、馬や牛がそこいらに放し飼いにされている。俺は今、極東日本のさらに極東を走っている。今更ながらにそんなことが頭に浮かんできた。それにしても、午後になってさらに気温が上がってきたようで、少々暑い。コンビニでアイスクリームでも食べようか。こうして、根室市街地の手前にあるセイコマで、オリジナルブランドのアイスクリームを購入し、休息する。
アイスナメナメ地図を確認して、今後のプランを検討する。霧多布でキャンプ、いやいや、翌日が大変だ。釧路周辺はどうだろうか。まだ時間があるので、できるだけ西へ行っておきたい。そうだな、快晴でもったいないが、ここからは観光無しで距離を稼ごう。うまくいけば帯広あたりか。
そう考えて、再び走行を開始する。まずは根室市街に入り、ここから国道44号線で無難に行こう。あ、VTR氏が対向車線から走ってきた。手を挙げて挨拶しつつ、旗が手に入ったかを確認してみると、まだのようだ。おそらくスタンドを行き過ぎてしまったのだろう。お気をつけて。さらに進んでいくと、オートバックスを発見。確か16年前に、ここでGPX750Rのオイル交換をした覚えがある。
ここは日本最東端の店舗だろうなと思っていると、もう街が終わって湿原になってきた。湿原といえば釧路湿原も見ていきたいが、あまりゆっくりしていると、本当に明日慌てることになりそうだ。こんな快晴の日に釧路湿原を拝むことはなかなかできないだろうが、仕方ない。そう思い、さらに原野の中をまっすぐ通る国道を走行していく。
厚床を越えてさらに進んで行くのだが、本当にまっすぐだ。地平線には陽炎が出ていて、そこからぼやけた対向車が出てくる。また、路面に太陽の光が反射しているのか、時々水溜りのように見えることがある。これを砂漠で見たならば、きっとオアシスと間違えるに違いない。そんなことを考えつつ鹿の飛び出しにも注意を払うが、知床で見たような防護柵が国道沿いに延々と作られている。これだけあれば、かなりの事故を防ぐことができそうだが、鹿はどう思っているのだろうか。轢かれるよりはマシだろうか。
ちょっと高台を通ると、向こうに牧草ロールがたくさん転がっているのが見える。今年はあまり見ていないが、先週まで雨続きで牧草の成長が遅いのか、刈り取り作業が進んでいないのか。さあ、どんどんと進んでいこう。
それにしても、走っても走っても道は延々と伸びているので、本当に進んでいるのかどうかわからなくなってきた。ちょっと休憩しようと道の駅、厚岸グルメパークに滑り込む。ここは国道を少し離れた高台に位置していて、厚岸の街とそこに掛かる海上橋を見ることができる。単調な景色ばかりで少々疲れたし、西へ来るにつれてどんどんと気温が上がっている。いやぁ〜参った。
厚岸の海上橋
そういえば、旅行中に一度会社に電話を入れることになっていたので、トイレに行きがてら連絡を入れる。特に何も無いが、無事を知らせるというのが主目的である。特に何日に電話をしろとは指定されていなかったので、このあたりでよかったか。
ついでに建物にある牡蠣の養殖についての掲示を流し読みする。これによれば、厚岸の養殖方法は他のものと異なり、牡蠣の殻の微粒子に牡蠣の稚貝を一つだけ付着させる方法(シングル・シード方式)を採用しており、海流に流されつつ、転がりつつ成長するそうだ。それゆえに身は小さいが、対流のなかで育つので旨いということだ。
ちょっと太陽が傾いてきたので、先を急ごう。このまま国道44号線をドンドン走り、釧路の市街地を道道113号で迂回、今度は国道38号線で海岸線沿いを飛ばしていく。釧路空港も見たかったが今回も通過した。なかなか見たいものを全てと言うわけにはいかない。後日の宿題として取っておこう。この後、道の駅白糠恋問のイカリを横目に見つつ、まっすぐな道を50ノットオーバーで突っ走る。これは周りの車の流れに合わせた結果なので、取り締まりも問題ないという判断をしたからだ。
夕日を背に海岸を走行つつ、今日の宿泊について考える。またキャンプをしたいが、今日は移動に専念灸、最後の夜をライハで過ごすことにする。昨年と同じミッキーハウスもいいかな。ジンギスカンも旨いし。おお、そうだ、ジンギスカンと言えば、足寄の大阪屋があるじゃあないか。しかも食事をすれば、ライダーハウスはタダじゃん。これで決まりだ。
早速頭の中で航法を考える。まずは白糠VORから国道392号線にスイッチし、headingは300〜360で走行する。その後本別NDBでで242号線でheading360で足寄じゃあないか。まだ100kmくらいあるけど、このペースなら日没の時刻くらいには到着できるぞ。ダメならば本別のキャンプ場にダイバートすればよい。
プランがひらめいたので承認し、国道38号線を離れて392号線に乗り換えて跨線橋をわたり、1983年に廃線となった国鉄白糠線が通っていた跡を眺めつつ、だんだんと長くなる影を見ながらの走行となる。この道を通るのも16年振りだよなぁ。ところで、なんで鉄道ファンでもない自分が、こんな最果てのローカル線跡を知っているかについて。実は当時小学4年生くらいだったか、NHKの600(ロクマルマル)こちら情報部という番組で、紹介されていたからだ。今で言うと週間子供ニュースに当るのか、いや、大人でも子供でも楽しむことができた、質の高い番組だったと思う。赤字路線の廃止に伴う地域の様子など、利用者の視点から廃止を捉えたドキュメンタリーを放送した回があり、それを覚えていたのだ。詳細については他のページで詳しく取り上げているので、検索してみると面白いかと思う。
旧国鉄白糠線の遺構にて
また、この国道沿いにはシソの産地があり、鍛高譚(タンタカタン)というしそ焼酎の原料を栽培しているそうだ。また、白糠線にも鍛高トンネルいうものがあったらしい。「シソなんて栽培してないじゃん。もう収穫時期を終えたのだろうな」と思っていたら、前の方にポリスのカーが走っている。せっかく良いペースで進んでいただけに残念だ。仕方ないので、こいつの後ろを速度は22ノットでついていく。そして、スロー走行中に、国道を工事している場所があったのだが、これは昨年の大雨で橋梁がやられたので、旧白糠線の橋梁を再利用しているのだ。何かのニュースで見たことがある。こうしてその白糠線の終着駅があった、北進地区を通過。ポリスのカーもここで脇へ逸れていった。
ここからはどんどんと山奥へ入っていく。全くの無人地帯のようだ。もっとも、北進地区辺りもほとんど無人であったので、鉄道が無くなった後は過疎化に拍車が掛かったのだろうと思われた。
こうして釧勝峠を越えると、本別の街へ向けて道を下ってゆく。あ、対向車がパッシングしたような。当方は先頭ではなかったが警戒していると、草陰にパトカーが一台停まっていた。やはり取り締まりかぁ、相変わらずセコイというか、能が無いというか。その能が無い警察にやられた俺って・・・。
さて、本別の街だが意外にも大きく、割合に活気がある。道東自動車道が開通していることが、良い影響を与えているのだろう。現在のところではスイカップならぬ占冠まで開通しており、また西側は夕張まできている。これを使えば半日で苫小牧に到達することもできるだろう。
そして、ここで大阪屋さんに電話を入れて、ライダーハウスを予約しておく。幸いにも「今日は人数少ないよ」とありがたいお言葉。「40分程で到着する旨を伝え、ラストスパートだ。っとその前に、明日も早朝から行動することになりそうなので、ここでガソリンを補給しておく。丁度本別でホクレンのスタンドを発見した。燃費は概ね27km/Lを維持していた。北海道燃費が定着したのだが、明日は最終日だ。残念。
ここからは道東自動車道沿いに国道242号線を走行する。交通量も少なく、ヤレヤレと思っていたのだが、足寄I.C.の入り口で動きの怪しい軽自動車がいきなりUターンをかましてきた。「ひぇ〜ぶつかるぅ〜」とたぶん1mくらいの隙間を空けて避けることができたのだが、感覚的にはぶつかっていた。「動きが怪しい」と感じた時点で対策を取るべきであった。まだまだ修行が足らんですなぁ。かれこれ総飛行時間が6,800時間になるのだが、こういう疲れたときの対処がまだまだだ。その前に、疲れたら休息を。
こうして足寄の街へ入り、道の駅を右折して、郵便局の所を左折すれば大阪屋さんに到着だ。やれやれ、今日はよく走ったよ。まだ体が振動しているように感じ、バイクに乗っているようだ。そう思いながら受付(口頭で到着を告げる)を済まし、駐車場にある倉庫に荷物を入れる。今日はキャンプじゃないので、寝袋と銀マットだけでよい。
そうこうしていると、クルーザーに積まれた大荷物を駐車場に広げて、整理している女性がみえた。行きがかり上何も言わないのはおかしいので、「随分と大荷物ですねぇ」と切り出したところ、「登山をするもので」とのことであった。なるほど、登山の服装は、ツーリングの服装とは大きく異なるので、通常の1.5倍程度の量になってもおかしくない。話を続けていくと、利尻富士なんかにも上られたそうだ。
さて、にんにくの匂いが漂う倉庫に大荷物を残し、小荷物を持って店舗の二階の宿泊部屋に上がっていく。すると、すでに3、4人の方がシュラフを広げて寛いでいる。だいたい部屋は8畳程なので、これくらいならそれほど混んでいないな、と安心した。早速電子機器の充電を済まし、1階店舗でお待ちかねのジンギスカンを頂くことにする。
いつものように、肉と白菜に味噌を乗せた平べったい鍋が、目の前のコンロにかけられる。そしてすりおろしにんにくの登場だ。これを好みの量だけ入れるのだが、今日はおばさんがスプーンに1杯入れてくれた。当方はやや風味がするくらいがよいので、これのくらいが最適である。しばし焼けてくるのを待っていると、向こうのテーブルに座っている当方と同じ歳くらいの女性が、「今日はどこから」と話してこられたので、「多和平から納沙布岬経由で」と話すと「メチャメチャ走ったんやねぇ」と。関西のお方のようだ。また、彼女はいつも300km程度を目安としており、大阪屋には必ず寄ってジンギスカンを食べるという、ここの大ファンのようだ。
大阪屋のジンギスカン
「かきまぜてよ」とおばさんの指示が入った。いけない、危うく焦がしてしまうところだった。そういえば去年もボーットしていて、おなじ指示があったように思う。
ジュウジュウという音、味噌とにんにくが焼ける匂いがしてきた。そろそろ食べごろだ。よく味噌がからんだ白菜と肉を口へ運ぶ。んーうまい。ジンギスカンは店によって、独特のにおいが残っている場合があるが、大阪屋の場合はそれと言われなくては判らないレベルだ。肉が良いのであろう。ところで、一般にはジンギスカンは「ラム」と「マトン」がある。前者は永久歯が生える前の子羊で、後者は永久歯が生えた大人の羊だ。聞くところによると、この永久歯が生えるかどうかという所が、肉ににおいが出る、出ないの境目だそうだ。もともと羊を食べる習慣のない日本では、羊毛取りをしなくなった羊を食べる(=マトン)を羊肉とする場合が多いので、羊=においのある肉という図式が出来上がってしまったようだ。ここ大阪屋さんはその辺りを心得ていて、上等の「ラム」を仕入れているのだろう。昨日多和平で食べた肉は、気になる程ではないが若干のにおいがあったので、ややマトン気味であったのかもしれない。
ジンギスカンに舌鼓を打っていると、向いの席に今日の宿泊者である方がビールを飲みに来られた。彼は函館の人らしく、今日一日でここ足寄まで来たそうだ。おそらく道東自動車道を通ってきたのだろうか、すごい速さだ。また、服は半そでシャツしか着ていないようで、腕が日焼けしてしまったとのこと。最低でも何か長袖を着るか、余裕があるならライディングジャケットを購入した方がよかろう。北海道に限らず、最近こういう方が多く感じるのは気のせいか。ただ、この方も半そではかえって大変ということに気がついたようで、明日はどこかで適当な上着を購入するということだった。
うー、やはりここのジンギスカンは天下一品である。それを腹いっぱい食べることができるこの充足感。たまりませんなぁ。こうしてジンギスカンを味わっていると、近所の方が家族連れでやってきた。このなかには中学生くらいの年頃の子がいて、我々が知らず知らずのうちに運んでくる本州のというか、街の香りに敏感に反応していたようで、羨ましそうにこちらを見ていた。やはり若いうちは都市にあこがれるのだろうか。
さて、飯を食って二階に上がっていくと、3人組の方が新たに到着していた。ゲゲ!これで部屋は一杯だ。今日は比較的空いているとのことであったが、混んでる時はどうするのだろうか。そう考えつつメモをつける。今日はたくさん走ったので、記載事項は山盛りだ。おっと、風呂にも行かなくてはいけない。そう思って準備をしていると風呂から帰ってきた人がいて、道順などを教えてもらう。もっとも道順なんてものは無く、道の駅足寄銀河ホールを左折して、数キロ南へ下るだけだ。ただ、非常に地味なので、見落とさないように気を付けた方がよいとのことであった。
有益な助言をいただいて、足寄温泉へ向かう。一度街を出てしまえばすぐに真っ暗だ。そして注意深く走行していくと、ありました。確かに地味な建物だ。ちょっと明るいロータリーのような場所へバイクを停めて、温泉の建物に入る。内部はいかにも昭和の建物という感じで、風情がある。
足寄温泉
料金300円を支払い中へ入ると、石というかタイルというか、このすりへった、いや使い込まれた浴室はなかなか良い雰囲気だ。まずは洗い場でかゆくなった頭を洗う。そういえば、昨日は多和平キャンプ場だったので、温泉に入ることができなかったっけ。10日ぶりに頭を洗ったような爽快感で湯船に浸かる。あーーーー、疲労した腰や肩、首の疲れが解けていくぅ〜。そして湯船が広いことと、入浴者が少ないことをよいことに体を思いっきり伸ばしたりして、凝り固まった筋肉を緩めていく。たまりませんなぁ〜。
ここの温泉はアルカリ性の温泉であろうか、肌触りがヌルヌルするし、また、ちょっと油っぽい匂いもある。ジャージャー流れているので、恐らくかけ流しだろう。そんなことを考えながら目を閉じて、今日の行程や景色を思い出してみる。本当に良い天気だったし、景色も良かった。釧路湿原へ行くことができなかったのは残念だ。確か16年前は、今日のようによく晴れていた日に訪れたのだが、あまり記憶に残っていない。あと、霧多布岬も飛ばしてしまった。今思えば霧多布にキャンプして、釧路湿原を回ってから特急で苫小牧に戻れば何とかなったかもしれない。まあ、焦って何かあっても事だし、これでよかったのだよ。現に今日もちょっとヒヤッとしたことだし。次回の宿題でよいではないか。
風呂から上がって脱衣所にてちょっと体を冷ます。ややのぼせ気味だ。掲示物を見ていると、今は解散したZONEの防犯啓発のポスターがちょっと時代を感じるな。今見ると、けっこうかわいらしいではないか、いやいや、当方が歳を取っただけだろう。
温泉から戻り、1階で少々話の輪に加わる。ところで足寄といえば松山千春であるが、女将さんの息子さんの1年後輩だか先輩だかが、松山千春だそうだ。そこで女将さん曰く「だいぶ歳取ったねぇ」と。確かに、頭を見れば別人かと思えるからなぁ。
2階へ上がりメモをつける。隣の60歳くらいのオジサンは寝たいんだけど、寝られないという状況だ。そりゃそうだ、この狭い空間に7名もの男連中がひしめき合っていて、あれこれ話しているのだから。それに、就寝時間まではまだ1時間程あるわけで、これでは文句も言えまい。この方はおそらく初心者であろう。
さて、就寝時間22時がやってきた。当方はメモをつけていたので、最後になってしまった。「それでは消灯します」と当方の掛け声と共に消灯、就寝となった。
本日の走行 520km