北海道紀行5 

(2010年8月12日〜8月21日)

 

多和平キャンプ場の朝

 

第7日目(8月19日) パート1

 

1.今日も快晴

 

5時に起床した。やや傾いたテント床であったが、よく眠れた。高原のキャンプ場なので少々冷え込んだが、非常にすがすがしい朝だ。それにしても昨日の星空は最高だった。星図でしか見たことのない星をたくさん観察できた。ひょっとして、いままでの人生の中で、一番たくさんの星を見たかもしれない。

 

半分寝ぼけながら水場へ向かい、顔を洗って目を覚ます。ううう、水が冷たくて気分も引き締まるようだ。テントに戻りつつ周囲を見渡すと、まだ活動している人はほとんどいないようだ。さて、ちょっと寒いので、ペットボトルのお茶をナベで温める。そして昨日購入した直径20cmくらいはあろうか、というはちみつパンをかじりつつ、沸騰するのを待つ。朝一番で火を使用すると、キャンプ気分も盛り上がる。

 

朝食の後は展望台へ上り、綺麗な景色を楽しむ。ここは遮るものは全く無いので、360度丸々展望することができるし、空気も澄んでいるので遠くまで見通せる。おや、ポコポコと山々が浮かび上がっているぞ。あれは、斜里岳かな。あっちは根室の方か、こっちは雄雌の両阿寒岳か。備え付けの図を見ながら推測して楽しんでいたが、その時急に自分の存在に気が付き、同時に広大な大地比べれば俺なんて本当に小さいなと思った。その俺の人生、葛藤、気に留めるべきことなのだろうか。そう考えると、悩み苦しむことがバカらしく思えてくる。

 

さて、今日も予定満載というか、あさっての夜には苫小牧に到着していなければならない。納沙布岬などを回り、今日はできるだけ西に進んでおきたいところだ。ま、今日の進行具合で明日の予定を決めればよい。ともかく、今日を楽しもう。

 

これからの予定を頭の中で組み立てつつ、テントの収納や荷物のパッキングにてんてこ舞いだ。しかし、ここへ来てだいぶ自分のスタイルが確立されてきた。やはり3回は連続して設営、撤収を繰り返していないと、なかなか慣れないものだ。でも、そうなった時はもう帰還の時が迫ってきてしまう。一応会社員の管理人にとっては旅は非日常であり、普段の日が日常だ。当たり前のことだが、日常があるからこそ非日常が楽しみなのであって、区別が無くなるということはある意味不幸かもしれない。

 

人間とは厄介な生き物だな。そんなことを思いマシンに荷物を載せ、走行中に荷崩れしないようにしっかり固定する。よし、出発準備完了だ。「また来るぜ」と多和平につぶやき、ギアを1速に入れて発進する。

 

2.根室方面へ

 

道道1040号線からパイロットロードこと国道243号線をheading130、速度は控えめの45ノットで走行していく。虹別、上春別、西春別と牧草地の中をまっすぐに伸びる道を、TDMのエンジン音を響かせていく。

 

こうして最近有罪が確定した、元議員の政治力で建設したとされる国道を横切り、別海の中心へやってくる。今、こうして地図を見ながらリポートを書いているが、この辺りは原始的な、人の手が入っていない河川が多く流れており、その周りは湿原になっている。次回こちらへ来る際には、国道を逸れて、こうした湿原をゆっくりと観察するのもよさそうだ。

 

おっと、牧場に丹頂鶴のつがいを発見!早速マシンを停めて、エンジンを切る。鶴のつがいまでは100m以上の距離があるが、その大きさはアオサギなんて比ではないことがわかる。早速コソコソとカメラを準備し、なるべく気が付かれないようにシャッターを切る。あ、牧場の人が出てきてしまった。ここまでだ。丹頂のつがいは2mはあろうかと思われる、大きな翼を広げて悠々と飛び去ってしまった。牧場の人も珍しいなぁという様子で、それを眺めていた。

 

丹頂鶴のつがい

 

別海の市街地で進行方向を南へ変更して、走行を続けていく。実はこの辺りも風蓮湖やそこへ流れていく川がたくさんあり、周りは湿原になっている。この湿原というのはなんとも不思議だ。濁りのない川面を中心として、そこに葦のような植物がびっしりと生えている。そういう光景がずっと続き、また川が現れる。いったいどこまでが川で、どこまでが陸なのだろうか。だから湿原なのだろう。ここならば鳥などの生き物は、天敵の目に入らないように営巣できるし、えさの小魚等も豊富に生息しているだろう。そんな楽園の中を走っている。ちょっと申し訳ない気になってしまう。

 

そう考えながら景色を楽しんでいたら、厚床の街に入ってきた。関係ないが、プライヤーはヤットコであり、ヒョットコは口が斜めにとがったお面だ。ここを右折して国道44号線にスイッチする。ところで、厚床といえば昨年速度取締りにやられた地だ。シャクに障るので、すぐに国道を離れて、道道1127号線を行く。そして初田牛からは同142号線で、針路は090に変更、落石を目指す。実は、この辺りは岬が多く存在しているが、ほとんど訪れたことが無い。そこで、今回は霧多布に次いで名が知れている(と思われる)、落石岬へ行ってみることにした。

 

3.落石岬

 

根室本線沿いに通っている、道道142号線を快走していく。ここは交通量はほとんど無いのだが、鹿などの飛び出しには十分気をつけないといけない。鹿だけならよいが、丹頂の子供なんかも横断していることがあるらしい。なにより、自分が事故に遭っては話にならんですからな。

 

別等賀駅の東側で踏み切りを渡ろうとしたら、珍しく警報機が鳴り踏み切りが閉まっている。しばらくするとマッチ箱軌道車がやってきた。本当に使用されている線路だったと、今更ながら確かめることができた。

 

この後は落石駅の西側で再び踏み切りを渡り、少しだけ西側に戻して落石の集落を通過していく。そして街外れのダート路を1km程走ると、落石岬の入り口が見えた。実はこの岬はここまでしか車両は乗り入れができず、20分程歩いていかないといけない。そのためか、訪れる人はほとんどいないようで、当方のほかには2組の親子連れとすれ違っただけであった。

 

ここにTDMを残して、歩いていく

 

水のペットボトルをザックに入れて、ハイキング気分で岬へ向かう。まずは草原を歩いていくと、数分の場所に古い建物がある。根室市の公式ホームページによると、これは大正12年に開設された無線送信所で、極東の出来事を世界に送信してしていたそうだ。そして、昭和6年には、大西洋横断飛行を成し遂げたあの「リンドバーグ」が、奥方と共に「ロッキード社製のシリウス号」にて、北太平洋横断飛行を行ったのだが、その際の着水地点(前述シリウス号は水上離着陸機だった)が根室だったらしい。この冒険飛行は世界中の注目を集めており、落石無線送信所はそのニュースを打電したりするために、大いに活躍したそうだ。詳しい説明は上記のページを参照するとよくわかると思う。

 

一人の航空ファンとしては、このような偉大なことを世界中に送信した無線局を見ることができて、少々感激した。大西洋横断についてはよく知られているが、北太平洋横断についてはあまり話題にならない。まだまだ知らないことがいろいろありますな。それにしても「兵どもが夢の跡」というくだりがあるが、その頃の賑やかであっただろう面影は、今は全くない。

 

逆光線で見えにくいが、落石岬無線送信所

 

さて、ハイキングを続けていく。落石岬と書かれた小さな看板を頼りに、草原の道をあるいていく。周りには何もなく、風の音がするだけだ。こういう俗化していないスポットは、その場所全体を独り占めできるところがよろしい。

 

落石岬はこちらへ

 

草原の道の次は、丸い木をいくつも並べた歩道を歩いていく。この辺りも湿原であるようだ。因みにここには「サカイツツジ」という花が6月頃にさくようで、歩道の途中にあった看板によると、樺太などにはよく見かける植物であるが、北海道には無いと思われていたそうだ。ところが、よくよく調査してみると、ここ落石岬が南限であることが判明したらしい。また、花そのものは、赤松などの根元に控えめに咲くようだ。

 

それにしてもこの丸木の歩道が足裏が痛くなる。え、それは俺が不健康で、ツボが痛いということ?そんなことを考えつつ、木が茂る歩道を歩いていく。結構長い道のりだ。また、かなり鬱蒼としてきたので「熊は出ないだろうなぁ」と不安になってきた。その時「ガサ」っと音がしたのですごく驚いたが、鹿が走っていくところが見えたので胸を撫で下ろす。熊は熊でも、「熊田曜子」なら歓迎だ。

 

岬はまだか、と少し嫌気がさしてきたころに、この歩道の終わりが見えてきた。そして茂みをぬけると・・・。

 

落石岬灯台が見えました

 

いろいろと北海道を見てきているが、この景色は、なんと言おうか・・・、描写する言葉が咄嗟に出てこない。地面が緑色の様々な背の低い植物で覆われていて、それは遥か向こうまで続いている。そしてその植物に目を移してみると、実に多彩な色の花が咲き乱れている。さらに、海から吹いてくる風は心地よく頬を撫でていき、草花を波のように揺らしていく。牧草が揺れるよりも迫力があるエア・ウエイブだ。そこにポツンと建つ小さな灯台。その向こうに広がる海は全くの水色で、空との境目がわからないくらいだ。決して寂しげな風景ではないのに、この灯台の醸し出す雰囲気。これらの落差が、見るものの心に不思議な動揺を与える。

 

当方、これでもかなり冷めている方で、母親等の葬式などでも泣くことはなかった(それは別の話か?)。そして、よく感激して言葉を失うというが、正直それは単なる比喩表現と思っていたほどだ。しかし、今日は心底感激してしまった。本当に何と言えばよいのだろう。

 

言葉を失ったまま草地の歩道へ降りて、灯台へ向かって歩いていく。丁度太陽が向かいから照らしていて、眩しい。

 

 

パノラマ写真にしても、この感動は伝わらないね

(灯台の頭が切れてしまったし・・・)

 

写真を撮影しつつ、この草原を歩いてみる。今日の気温は23度くらいで、日差しは強いが暑くなく湿度も低く爽やかだ。さて、よくよく考えてみると、この辺りは夏になると霧が頻繁に発生し、このような景色を見ることはあまりできない。気象庁の統計では、8月の根室支庁の晴れの日は約15日程度である。発表には無いが、さらに霧の発生しない日となると、その半分くらいなのかもしれない。これは貴重な体験ができたとますます感激してしまう。ひょっとして泣いていたかもしれない。

 

1時間程ここで過ごし、残念ながら落石岬を後にする時がきた。名残惜しいので、振り向きざまに「またくるぜ」とつぶやいて、足裏の痛い歩道を戻っていく。この痛みで一気に現実に引き戻された。

 

また来るぜ、落石岬

 

4.根室へ向けて

 

もと来た歩道を歩き、草原の道を戻り、無線送信所を越えてTDMの元へ帰ってくる。もう茂みの向こう側だが、落石岬に再びさようならを言う。当方案外未練がましい男だ。そういえば、元嫁と市役所で別れる時、いつまでもあいつの方を見ていたような気がする。あれから8年近くが過ぎのだが、今やこのレポートの内容にあるように自由なヤモメ暮らしだ。

 

さて、ダート道から落石の市街地へ戻り、道道142号線をさらに東へ進んでいく。そして、カニで有名な花咲へやってきた。カニを買うためではなく、根室車石を見ようと思ったのだ。このスポットは初めて訪れるのだが、マップルにも「天然記念物」と記載されているので、期待できそうだ。そう思いつつ、カニの直売所が並ぶ道を走行して、車石の上方にある駐車場に到着した。

 

 ここでザックを準備していると、件の車石を見てきたライダーが戻ってきた。この方は管理人の比較的近い所にお住まいで、そのことをきっかけに話しかけてみた。そして本題の車石については「残念スポットかもね」という旨をおっしゃっていた。それは日本の三大残念観光地である「札幌の時計台」、「高知のはりまや橋」、そして「長崎のオランダ坂」に次ぐものだとも。

 

そんな会話をしていると、一台の真新しいVTR250がやってきた。この方もこの残念スポットを見に来られたのだようだ。挨拶の後、3人でしばし談笑する。その中で、VTR氏は今年免許を取り、バイクを買い、そして北海道にやってきたことが判明した。また、彼は珍しく年齢の若いであったとも補記しておこう。最近は「ヘルメットをとったら真っ白け」という方が多いですからな。

 

こうして近所の方は出発され、VTR氏と当方は車石へ向かう。ところで、氏のカメラはニコン製の一眼リフレクタカメラであり、レンズもカメラ本体のメーカー製だ。キャノンではく、ニコンというところが気になる。ところで、当方のような似非カメラ好きは、一眼レフカメラは所有しているものの、レンズは格の落ちるメーカーという場合が多いのだが、この方はタダモノではないようだ。因みに当方の家に埋没している一眼レフカメラはニコン製で、しかも銀塩カメラである。

 

岩場につくられた階段を降りて、車石前やってくる。「・・・、ああ、これね」という空気が二人の間に流れ、一応写真を撮りましょうということになった。まずは当方が写してもらい、次に当方がVTR氏を移すのだが、一眼レフカメラの操作にちょっと手間取ってしまった。様々な情報が画面に表示されるので、必要な情報を選び出すことに時間がかかってしまったのだ。しかし、氏は「シャッター押していただくだけで大丈夫ですよ」と。やはりそうか。当方の考え過ぎだ。

 

なんだかなぁ〜

(後方に根室車石)

 

この後、さらに階段で下の方へ降りていく。すると、洗濯板状の岩の向こうから波が押し寄せてきて「ざっぱ〜ん」と音がして、波しぶきが広がる。VTR氏はさかんにシャッターを切っておられた。ところで、「ざっぱ〜ん」というと、R1-Z氏の「座頭市」だ。それは数年前に、たけしが監督で「座頭市」のリメイク版を製作・公開した時のことだ。氏が「たけしの視点だと時代劇はどうなるのか」と久々に映画館に足を運んで、席に着いた。しかし、周りの人達をみると、なんかショボクレタ爺さんばかりだった。「おかしいなぁ。たけしの映画だから若い人がもっといてもよい筈だ」と疑念を持ちつつ、映画は始まる。すると、「白黒で、ツブツブとノイズがたくさんある映像」が出てきたので、氏は「たけしも凝ったことするなぁ」と思ったそうだ。そして「ざっぱ〜ん。東映」・・・。おい、これはオリジナルじゃあないか!!当然役者も三船お父さん、勝新が出演している。そこでR1-Z氏は気がついた。「そういえば、座頭市の発表記念イベントとして、オリジナルと交互に上映すると書いてあったなぁと」、が時、既に遅しだ。

 

それ故に、当方にとって「ざっぱ〜ん」というと、R1-Z氏の伝説なのである。そんなことを思い出しつつバイクの所へ戻り、VTR氏と別れる。さて、この先はいよいよ最東端の納沙布岬だ。そしてさんま丼を昼食にしよう。時刻も丁度よい。

 

こうして日本最東端の駅、東根室駅を通過すして、根室の市街地にやってくる。そして、丁度燃料が不足しているので、ここで燃料補給を行うことにする。そういえば、根室のホクレンではオリジナルフラッグが貰えるなあ、ということで、根室駅の近所にあるホクレンへ向かう。昨年もここで給油し、旗を貰っている。確信は無いが、今回のツーリング中に「根室のホクレンではオリジナルのフラッグがある」という会話を何回か耳にしているので、おそらく今年もオリジナルフラッグをくれるはずだ。そう思い給油をして、店内に入り「旗を貰えますか」と店員に尋ねたところ、カウンターの下から旗が出てきた。「ありがとうございます」、とお礼を述べてからバイクの荷物ネットに旗を装着し、出発する。

 

パート2へ続く