北海道紀行5 

(2010年8月12日〜8月21日)

 

 

 クッチャロ湖畔キャンプ場にて

第5日目(8月17日)

 

1.今日はどこへいこうかな

 

4時30分に目が覚めた。まだ動きたくないので、シュラフに包まったまま、昨夜のメモの続きを書く。その後、トイレに行くのだが、ここのトイレは人間(じんかん)センサーがあり、クッチャロ湖の説明が流れるようになっている。最後まで聴いてみると、近くで砂金取りもできるそうだ。

 

テントに戻り、カロリーメイトで軽い朝食とした後に、撤収作業にかかる。今日は少々冷えたせいか、フライシートの内側に水滴がついている。手早く雑巾で拭き取っておき、陽の当るテーブルの上に広げておく。そして銀マットを外に敷いて、その上に荷物を全部出す。こうしておいてからペグを抜いて、インナーテントを持ち上げて裏返し、細かいゴミを排出。そして、インナーの下にはさらに工事用のシートを敷いているので、ポール牧を外してから、そのまま畳んでしまう。さらに乾いたフライシートも、この上で畳む。こうしてテントさえ片付いてしまえば、あとはザックに荷物を詰めてしまい、工事シートを雑巾で拭いておけば完了だ。

 

「まき」といえば、大学時代に宿題をよく見せてやった女だ。なかなかどうして、出るところは出る、引っ込むところは引っ込む、メリハリのある体つきだったなぁ。いったい今はどうしているだろうか?

 

くだらないことを考えて、1時間程で撤収完了となり、TDMに積載する。以前のリポートでも触れているが、TDMの収容力は大したものだ。荷掛け用のフックも丈夫なものが6箇所も装備されている。当方のツーリングの荷物ならば楽勝で載せることができる。また、荷物積載時の操安性も比較的影響を受けにくい。TDMはこれからも旅の相棒として付き合い続けていきたと思わせる一瞬だ。

 

さて、準備が整ったので出発!まずは東の神威岬へ機首をむけて発進する。ところで、「上陸2日目に訪れた神威岬にまた行くのか?」と訊かれそうだが、東側にも神威岬があるのだよ、ヤマトの諸君。こちらも、まだ訪れたことがないので、一度行ってみたかったのだ。あ、しまった。エサヌカ線を走ることを忘れていた。これも宿題だ。

 

さて、東の神威岬だが、以前は国道沿いだったのだろうが、今はトンネルが開通しているので、脇道へ入ることになる。プランを復唱してから国道238号線、通称オホーツク国道をheading150で走行しつつ、岬へのレーダー誘導に備える。すると、斜内地区にあるトンネルの手前に入り口を発見した。慌てて針路変更を行い、今度はheading090を維持して行く。するとちょっとした広場が現れて、数台のキャンピングカーが見えた。おそらくあそこだろうな。

 

石碑の前までバイクで行き、眺めを見てみる。観光地化されていないが、東の神威岬のような特徴は無い。ただ、オホーツク海の荒涼感が、岬に違った雰囲気を与えている。因みに、正確には北見神威岬というらしい。

 

北見神威岬にて

 

2.さらにオホーツク海側を南下

 

少し景色を見た後、さらにオホーツク海を南下していく。まだ時間が早いので、左手から朝陽を受けて走行していく。なんともすがすがしい気分だ。しかし、海はちょっと土色で、さらに少し雲もでているせいか、なんとなくもの悲しく、威圧的にも感ずる。そんなことを感じつつ、ウスタイベ千畳岩を横目で見ながら通過する。

 

こうして、枝幸の街へやってくるのだが、枝幸も渡島半島に文字違いで、「江差町」が存在する。また、昔、「枝幸YOU」?というライダーハウスもあったと思うが、今はもう無いのだろうかな。そう思いつつ跨線橋を渡っていくが、下は道路だ。これでは跨道橋であるが、おそらく興浜北線の線路があった名残だろう。

 

足早に枝幸を通過して、再び荒涼としたオホーツク海を左に見て走行を続けていく。なんだ?「はたの食堂」というライハは120kmも前から看板を出している。確かに、1時間ちょっとあれば到着してしまうだろうが、気が早すぎはしないか。商魂たくましいとはこのことだ。

 

速度は45ノットを維持してどんどん進んでいくと、興部だ。ここは、日の出岬という場所があり、文字通りオホーツク海から昇る朝日がよく見えまっせ、という所なのだろう。また、温泉やキャンプ場もあるので、ここに泊まって、風呂に入って日の出を見てみるのも面白そうだ。また宿題が追加された。

 

景色や道が丹頂鶴なので、少々疲れた。道の駅おうむで休息とする。因みに「おうむ」といっても、一時期騒がれたあれとは全く関係ないことは言うまでもなかろうが、1985年に廃止なった興浜南線の終着駅は「おむ」と記載がある。本当はどっちなのだろうか。さらに関係ないが、この興浜南線は、先ほどの枝幸まで延伸される予定だったが、国鉄再建で工事は中断し、そのまま廃線となったのだ。そして、枝幸には美深から歌登を通る「美幸線」というのが計画されていたが、こちらも仁宇布まで開通した後、工事は凍結。両興浜線と同時期に廃止になっている。ところで、その「美幸線」を利用して、エンジン付きのトロッコを運転できる「トロッコ王国」が旧仁宇布駅にある。当方は2008年のツーリングで訪れたのだが、なかなか面白かったと報告しておこう。

 

まずは用を足して、前述の今は無き鉄道の写真などが展示されたスペースにて、クラッカーをかじる。この展示によると、この辺りは林業が盛んで、その木材を運ぶ役目をしていた鉄道が、この興浜線だったということだ。

 

展示されている写真やプレート

 

北海道の廃止された鉄道は、この種のものが多いようで、主産業の衰退で鉄道の存続意義が薄くなり、人口も減り、廃線となる。時代の流れのあおりを食った犠牲者という見方もできようか。また、見通しが甘いといえば、それもその通りだ。なんにしても、住民にとって「街にあった鉄道がなくなる」ということは、物理的にも精神的にも辛いだろう。

 

道の駅おうむにて

(鉄道時代の駅名はおむ)

 

ところで、鉄道の廃止された1985年なんてつい最近に思ってしまう。当方が中学に入学した年で、ホンダの第二期F1活動が盛り上がってきた頃だ。それと、日本航空のB747型機が墜落したのも1985年だった。つまりは25年前になってしまうのか。時間が流れてしまったなぁ。あの頃にもっと勉強していたら、もう少しマシな人生を送っていたかもね。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 

さて、ここの名物に「ファーメンテドチーズ入りソフトクリーム」、つまりは発酵チーズの入ったソフトクリームがあるということなので、早速購入してみる。「発酵チーズとはどういうものか」と売り場のおばさんに聞いてみたところ、「ファーメンテドチーズ」だと。ちょっと話がかみ合わないので、ここで終わりにしておいた。まあ、理屈はともかく、このソフトクリームは、あっさりしているが味にヒネリが効いている。チーズとソフトクリーム、良い組み合わせのようだ。

 

3.さらにオホーツク海側を走行

 

しばらく休息した後、再びオホーツク国道に戻り、走行を再開する。そして、興部を通過して紋別にやってくる。全く関係ないが、兄の友人に面白い方がみえて、マージャンの盲牌のことを「モンパイ」なら得意だと発言しておられた。この「モンパイ」が当方の笑いのツボと合致し、紋別というと「モンパイ」なのである。

 

そんなことはどうでもよいが、ここには空港と、巨大かにの爪がある。まずはかにの爪だが、本当にでかいかにの爪。それだけである。道の駅の客寄せ的な役割を果たしているが、順序はかにの爪が先に完成していたようだ。これの横にある看板には「昭和50年の製作」と記されている。当方が2歳の時である。随分前からあるんだなぁ、ちょっと意外だった。

 

巨大かにの爪

(TDM号との比較)

 

さて、次のオホーツク紋別空港だが、ANAが羽田との定期便を運航しているのみのようだ。そりゃそうだ。周囲に何もない所の空港だから、そうそう定期便など必要なかろう。それ故、駐機場などは見ずに、遠くから滑走路と誘導灯を見て終了とした。これも余談だが、滑走路の延長線上には白色の鋭い光を放つ、航空誘導灯が何列も並んでいる。これは、霧などで視界が悪い際にも、航空機を滑走路へ安全に誘導するのだが、この誘導灯よりも背の高い建造物は、ファイナル・レグ上には存在しないことが常識だ。しかし、釧路空港には計器着陸支援装置の精度維持のための「ファーフィールドアンテナ」というものが3本も立っている。これは例外であり、これにより1994年に小型機の事故が起きている。この機のパイロットはほとんど視界の利かない中、計器のみで滑走路中心と機を同調させ、グライドスロープを精密に飛行させていたそうだ。因みに、今回のツーリングでそのことを意識して、地方空港を見たが、確かに誘導灯より高い建造物は存在しなかった。

 

この航空機事故で、師匠を亡くした方の、「事故というものは、所詮常識と常識の狭間に起こるものだ」という言葉が非常に印象的である。これは我々ライダーにも言えることで、例えば交差点で事故が起きたとしよう。「優先道路を走っていたのだから、飛び出してくるはずがない」、方や、「どうせこんな時間だから車はこないだろう」。つまり、「だろう」、「はずがない」という常識(的予測)を基に予測した事態が実はそうではないのだ。人間だからミスをすることは当然であるが、そのミスをいかに防ぐかをよく考えていかねばならない。もっとも、この航空機事故は人災であることは間違いない。

 

4.上湧別へ

 

そんなことを考えて、気を引き締めて走行を続けていく。こうして、上湧別で国道242号線に乗り換えて、オホーツク海には一旦別れを告げ、太陽の丘えんがる公園を目指す。まだテントは張らないよ。今日はコスモスを見にいくのさ。

 

こうして看板に従って公園を目指していくと、ダリアが道の両脇に咲いている、駐車場への誘導路を通り、太陽の丘えんがる公園に到着する。それにしても、最近は芸能人の名前だけでなく、地名までひらがな表記が好まれるのだろうか。

 

ここは0円マップに掲載されていないので、たぶん有料だろう。まあ値段次第で入場の可否を決めるかな。そう思い、入り口に来たのだが、ゲートは開放されている。帰宅後に調べてみたら、花が咲いている時のみ有料とのことだ。料金は300円なので、それほど高くはない。

 

ひとまずコスモス畑の中に入って、全体を見渡せる高い場所へ歩いていく。今日も天気が良いのは嬉しいが、ちょっと暑い。途中から上着を脱いで、エッチラオッチラと歩いていく。結構な数の花が咲いているので、「花が咲いているのに無料か」と思ったら、とんでもない。ここのホームページの写真を見ると、その10倍ほどの花が咲くようだ。この広い敷地が隙間無くコスモスで埋まるとは、言葉にならないだろう。

 

ところで、個人的感想だが、コスモスは今で言うのところの、「品格」がある花だと思う。主張するわけでもなく、やや線が細いと思わせつつも、花そのものは比較的大きな花弁を開く。ところで、コスモスと一口に言うが、種類は豊富で、ぱっと見ただけでも10種類以上は確認できた。

 

汗も引いてきて、風が心地良い。暑いとは言え、気温は30度には届いていないはずだ。日陰から写真を撮ってみる。毎度ながら思うのだが、人間の目は非常に都合が良い。広範囲に渡って視界があるし、一点に集中してあるものも詳細に見ることもできる。さらに、いらないものは見えないようにすることも可能だ。一方カメラはレンズの性能で、決まった範囲のものを見ることしかできないし、余計なものもバッチリ取り込んでしまう。当方が勝手に名付けた「人間の目、都合よく見える法則」だ。写真を撮るということが技術を要することは常識だが、それはここに理由があるのだろう。

 

 

太陽の丘えんがる公園にて

(これでも満開までは程遠い)

 

 

4.サロマ湖にて

 

さて、花を見て心も落ち着いたし、何より気分が良い。この後はサロマ湖周辺でホタテを食べることにする。その前に、遠軽の市街地で、昨晩調子の悪かったヘッドライトの代替品と、ランタン用のガスボンベを購入しておく。遠軽は案外大きな街で、規模の大きなホームセンターを見つけ、希望のものを調達することができた。

 

この後、国道333号線を使って、heading090でサロマ湖の東の端を目指す。そして「安国」を通過。「アニメ一休さん」で、蜷川新衛門が「安国寺は貧乏寺」という台詞があるので、ちょっと吹き出してしまった。因みにここの地名の読みは「やすくに」である。それにしても、金持ちの禅寺って存在するのだろうか。ちょっと調べてみたのだが、安国寺は実在の寺で、室町幕府の支援を受けていたそうだ。つまり、結構裕福な寺であったらしい。

 

道道102号線を走行していたら突然に視界が開け、サロマ湖が目に飛び込んできた。おお、まぶしい。ところで、このサロマ湖は細い陸地がちょっとだけ途切れた場所が、オホーツク海と繋がっている。その陸地が湖面上にずっと伸びていく姿は、ちょっと不思議である。

 

本当は展望台に行ってゆっくりと湖を見たいのだが、腹が減った。今年はマップルにも掲載されている、「レストハウスところ」へ向かう。途中に老舗のとほ宿「さろまにあん」や旅館の「船長の家」を通り、14時10分ぐらい前に到着する。見た目は普通の町の食堂という感じである。

 

入店すると、寿司屋のカウンターのようなところがあり、大将が料理をしている。テーブル席に着き、メニューを見て「ホタテづくし」1,800円を注文する。ちょっと高いかとも思ったが、やはりサロマ湖というとホタテでしょう。この後、料理が運ばれてくるまで、地図を見て飛行計画を練っていた。すると、なぜか客は自分ひとりとなってしまい、女将と思われる人が、表の看板を「準備中」に替えに行ってしまった。そうか、14時で一旦休息になるのか。店員や大将に悪いことをしてしまった。が、注文した料理が運ばれてきた。そして、その足で店員達は賄いを食べに角の方のテーブルへ向かっていく。まあ、ゆっくりできていいやと良いほうに考え、ホタテづくしを味わう。ところで、これだけの量があれば1,800円も高いとは言えないだろう。刺身に焼き物、揚げ物に煮物、ホタテ入りの味噌汁までついている。どれから食べようか迷ってしまうよ。

 

ほたてづくし

 

まずは貝ひもの煮物を・・・、んーうまい。続いてフライを、これまた旨い。さらに刺身を。お、塩水に入れてあるほたてを、火を通すこれは。うまい。ほたて本来の味を楽しむことができる。これだけのほたて貝を食べるのは初めてのことだ。しかも、活が良いものだし、旨くて当然だろう。月並みな表現であるが、ほたてはやはり甘いのだ。

 

5.今日は早めに

 

腹も膨れて、しかも旨かったとなればこんな嬉しいことはない。さて、次はどこへ向かおうか。能取岬か、いや女満別、もっと向こうの美幌峠。その先を下って、屈斜路湖でキャンプ?次々に湧き出てくる考えで、頭の中は大混乱だ。どうしよう。

 

時刻は14時30分なので、女満別くらいが妥当だろう。能取岬の夕日にはまだ早いし、美幌峠と屈斜路湖の和琴ではちょっと遠い。今日は少し早めに走行を終えて、温泉でゆっくりしよう。そう思うとなんだか元気が出てきた。会計を済ませ、気を引き締めて走行しようと準備していると、国道からドゥカティの最新型ムルティストラーダーで、こちらに向かってくるライダーが。お互いに挨拶をして、店は休息時間になっている旨を報告すると、「えぇ〜、残念」と肩を落としていた。別の所もありますよ、とマップルで北勝水産などを示しつつ出発した。

 

さて、こうして心地よい風を感じつつ、国道238号線を能取湖沿いに走行し、その後卯原内で道道591号線に乗り換えて方位170に変針する。こうして、畑や田んぼの中を突っ切る道で、旧女満別、現大空町にやってきた。ここには女満別空港があり、航空機が割合頻繁に離着陸をしている。

 

網走湖畔には女満別野営場がある。今夜の宿泊場所はここにしよう。ところでこのキャンプ場であるが、森の中にあり湖にも面している、なかなかナイスなキャンプ場だ。まだ15時30分だが、今日はこれまで。早速受け付けの観光協会に行き、書類に記入をして料金である300円を支払う。北海道のキャンプ場は本当に安いから嬉しいね。

 

この後、駐車場へ行き荷物を降ろして、水際から少し離れた所にテントを設営する。2日連続、通算では3回目のテント設営なのでだいぶ要領を掴んできたのか、すんなりと張ることができた。この後、水分を摂ったり、湖を眺めたりしながら一服して、夕飯の買い物に出かける。ここで今回初めて持参した、インバーターの登場だ。カメラの電池残量が怪しいので、買い物走行がてらに充電しようというわけだ。取り付けは簡単で、シートを外して、ドライバーでバッテリーの端子を緩め、インバーターのターミナルを接続する。この後は椅子を戻し、カメラバッテリー充電器を取り付ける。よし、正常に作動しているな、と確認した後、小さなザックに入れて、網で固定しておく。

 

さて、買い物であるが、国道39号線に出て左折すれば、すぐにセイコマがあったのだが、電池の充電のために、わざわざ美幌町のセイコマに行く。ひょっとしたら、美幌峠に行くことはできないかと考えたのだが、やはり疲れているので止めておく。それに、山の方は雲が出ているので、良い景色も望めなかったと思われる。

 

往復で1時間弱を走行し、充電具合を確認すると、すでに充電完了状態だ。案外電力が残っていたのかもしれないね。こうしてテントに戻り、17時30分頃に、徒歩で女満別温泉「美肌の湯」へ向かう。キャンプ場の隣が温泉というのは、非常にありがたい。入浴料も390円とお得な値段だ。

 

「あ〜」と唸り声を上げつつ、露天風呂に浸かる。因みにここは源泉掛け流しの100%天然温泉だ。また、美肌の湯の名前通りアルカリ泉であり、ヌメリがある。いやぁ〜、疲れに効きますなぁ。うまいホタテを食ったし、クッチャロ湖から長い道のりを走ったし、いい温泉に浸かることができたし、今日は最高の日だね。そんなことを考えつつ、目を閉じて脱力する。ところで。ライディングはスポーツだとよく言われるが、まさしくその通りで、本当に今日は疲れた。中には「ただ乗ってるだけでしょう、そんなに疲れるの?」と4輪感覚の発言をされる方も見えるが、このレポートを読んで下さっている方は、この気持ちを解っていただけますね?

 

泉質も良いし、温度もぬるめで長湯に最適だ。そんなこともあり、1時間以上風呂にいた。いつもより早い時間に走行を切り上げて、余裕をもってキャンプ場入りして正解だった。いや、いつもこのくらいの時間で行動すればよいのだが、ついつい欲張って長めに走行してしまう。まあ、どうしても最終日は決まっており、それまでにできるだけたくさん走行したくなってしまう。プランの立て方、そのものを見直す必要があるのだろうな。

 

6.キャンプ場の夜

 

世の中のお盆が過ぎているせいか、サイトの水際もポツポツとしかテントが立っていない。やはりキャンプツーリングの夜は、静かに過ごしたい。陽も沈んで綺麗な夕焼けとなっており、金星もまぶしく輝いている。また、湖面がその赤い空に照らされて、何ともいえない眺めだ。米を炊きながら今までのツーリング人生について考える。学生の頃にもっと来るべきだった、いや勉強ももっとしていなくてはならなかった、よく遊びよく学べという諺もあるが、まさにその通りだ。1994年の第1回北海道ツーリングは、時間的制約は全く無かったので、もっとゆっくりとしていけばよかった。シャケバイなどで、資金を稼いだりすることもやっておけばよかった。

 

そう考えていたのだが、なんか喉がやたらに渇く。昼飯の塩分が多かったのだろうか。スポーツドリンクをがぶ飲みして、また唸り声をあげる。

 

さて、そろそろご飯も炊けてきた。おこげのいい匂いもしてきたよ。今日は昨日よりも水加減がうまくいったようだ。やれやれ、キャンプライダーとしてはまだまだ経験は足らないが、こうして1回ずつきちんとこなしていく必要があろう。

 

今日の晩飯もカレーである。レトルトではあるが、なぜか旨いものだ。おおっと、女満別空港を離陸して、南へフルバンクで旋回するB737が出力全開?で飛んでいく。ジェット旅客機としては小さい部類の機種だが、やはり迫力がある。ここは地方空港であるが、ジェット化されている路線も多いようだ。

 

冷えてきたのでテントに入り、メモをつける。今日購入したLEDライトは、今までの電球式よりもかなり明るい。なんだ、これならば早いところ購入しておけば良かった。そう考えつつ筆を走らせ、明日の飛行計画も提出しておく。いよいよこの旅のハイライトとも言える、知床方面へ向かおう。おおっと、またジェット機が通過していく。テントから頭を出してみると、やはり737のようだ。

 

今日は疲れたなぁ。そう思ってシュラフに入っていると、いつの間にかに寝てしまった。

 

本日の走行 400km

 

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