富良野 麓郷の森にて
今朝は6時に起床した。早起きである。しかし、同宿の方は既に出発していた。いったい何時に発たれたのであろうか。全く気が付かなかった。玄関を出て天気を確認すると、今にも降り出しそうな様子で、鉛色の雲が垂れ込めている。また、雨降り前のあの特有のにおいも少し感じた。運良く部屋にはテレビが備えられていたので、天気予報を確認する。すると北海道の南に低気圧が発生して、西進するということであったので、とりあえず北に逃げることを決定した。
そうなると少しでも早く出発して、カッパを着る時間を短くしたいと思うのが人情ってものだ。幸いにもシュラフを畳むこと以外に仕事はない。さっさと荷物を部屋から運び出しにかかるが、前述の急角度の階段はシャレにならないくらい急角度だ。特に大きな荷物を持っていたので、ちょっとよろけてしまった。こんなことでツーリングを台無しにしては話にならないので、運転以上に慎重に行動した。
昨晩宿泊した部屋 部屋の玄関から
(階段の勾配を感じていただけますか?)
TDMの積載性に感心しながら、荷物を搭載していると・・・もうポツポツと雨が降りだしてきたではないか。コリャイカンと焦らず急いで準備を整え、7時に出発する。追っ手から逃げるように国道237号線をドンドンと北上をしていく。途中「平取」という地名があるが、「びらとり」と読むことは初めて知った、厚真も「あつま」であることは昨年知ったばかりだ。この辺りは馬のいる牧場が道路の脇を固めている。ああそうだ、日高地方は競走馬の産地だからね。何も海沿いの国道235号線、通称サラブレットロード沿いのみに牧場があるわけではないのだ。
さて、急いで出発したので朝飯を食べていなかった。コンビニでカロリーメイトをもとめようと、セイコーマートへ突入。お、ここは2006年にカワサキTR250にのる看護師さんと話し、脈を診てもらったところではないだろうか。あのときの仮設テントは撤去されてしまっているが、跡地と思われる場所は辛うじて残っている。脈をみてもらったが、その後脈は無いのが少々滑稽である。そんなことを思い出しながらカロリーメイトをかじっていると、配達のおじさんが話しかけてきた。ご自身もバイクに乗るということで、走行には気をつけてとありがたいお言葉をいただいた。こういう方は興味本位で話しかけてこないので、楽しくかつ有益な時間を過ごすことができる。しかし、配達の途中なのだからあまり油を売っているわけにもいかないようで、早々に仕事に戻っていかれた。引き続いてまたオッサンが話しかけてきたが、こちらの方は全くバイクにな関係ない「興味本位」の方で、会話が続かず自然消滅した。
さらに国道を北上して日高峠を越え、富良野エリアに入ってくる。こちらは、言わずと知れた北の国から他のロケ地が点在する地域だ。この辺りまで来るとひとまず雨も上がっていたので、北の国からの出発点である布部駅へ立ち寄る。いろいろなロケのセットは訪れているが、恥ずかしながら、まだドラマの出発点に来たことはなかったのだ。
布部駅にて
(駅舎内にも写真等が展示してある)
布部駅は当然の如く無人駅になっており、駅舎のなかでは列車を待っている人もいる。そりゃそうだ、ここに住んでおられる方々は日常の足として鉄道を用いているわけだもの。管理人は観光客なので、小さく挨拶をして写真を撮ったり掲示物を読んだりしたが、列車を待っているご婦人はなにか「うっとうしいなぁ」という雰囲気を醸し出していた。やはり地元の人達は静かに暮らしたいのであろう。つまり有名になったばかりに面倒な観光客が来ると、否定的な考えを持っている人もいるということだ。
布部を後にして、県道ならぬ道道544号線に乗り換えて東進し、ちょっと麓郷方面へも回り道をする。ポツポツと雨が降ってきているが、カッパを着用するほどではない。沢沿いのワインディングを抜けていくと見たことのある街が見えてきた。中嶋朋子扮する蛍の結婚式の場面において、そりでこの通りをパレードしたと記憶している(違ってたらゴメン)。その町並みを越えてさらに奥まで行くと、R1-Z氏お気に入りの「うOんこ発電機」が展示ある拾ってきた街が見えてきた。ここは有料で見学に時間がかかるので、手っ取り早く無料で見ることができるセットである「燃えてしまった丸太小屋」へいくことにした。ここは実に15年振りの訪問だ。当時は北の国からをあまり知らなかったので、そんなもんかと一枚写真を撮影しただけで帰ってしまったが、今回は少しゆっくりと見学していこう。
ここは麓郷の森と呼ばれていて、駐車場もあまり整備されておらず、砂利のままだ。あまり観光地化されていないところが良いなと散策路を歩いていると、いきなり新しいログハウスの喫茶店や土産物屋が数軒視界にに飛び込んできた。「あれ??こんなものあったか??」とちょっと戸惑ってしまった。まあ見なかったことにして件の丸太小屋と初期の家があるさらに森の奥へと歩いていく。するとこの間に雨がだんだんと強くなってきてしまったではないか。ええい、もうええわい、とじっくり見物することに覚悟を決める。
燃えてしまった丸太小屋 小屋の内部
まずは丸太小屋からであるが、15年前に撮影した写真に写っている建物はこれだ。説明書きに書いてある通り、吉岡扮する純の相棒である庄吉?のタバコの不始末で火事をだしてしまったものだ。しかし、実際のドラマ撮影には別のセットを用いたので、ここに展示してあるというわけだ。内部はきれいに清掃・維持されており、ドラマ初期の頃の撮影風景などの写真が展示してある。しかし、この小屋で本当に北海道の厳しい冬を越すことができるのか、中部圏に住む管理人には疑問であるが、丸太小屋は予想以上に快適性能が高いと聞いたことがある。木は季節に応じてその体積を微妙に変えるので、冬はそれなりに暖かいのであろう。
次は、後にシンデレラエクスプレスや真珠婦人で大ブレイクする、横山めぐみ扮するレイが出演する頃の家に入ってみる。おっと雨がさらに強くなっているが気にしない(ように努力しよう)。こちらは老朽化が激しいので、土間の部分しか入ることができない。しかし、屋根の上には純が田中邦衛扮する吾郎に贈った風力発電のベーンがきちんと取り付けてあった。また、外へ出てみると、見覚えのある五右衛門風呂があったことも記載しておこう。
風力発電装置のある家 内部の看板
一通りの見学を終えると、地元出身の写真家「那須野ゆたか」氏が撮影した富良野の風景が展示してある。これらは季節感がわかるように撮影されたものが多く、何も知らない管理人でも少しは理解できるものであった。また、それらは何気ない風景であり、こういうところに地元出身の強みが出ていると思われた。全く関係ないが、昔何かの雑誌でペンネーム「那須田四」という人がいた。
それにしても雨が強く降ってきた。ここはさっさと北へ向かおう。麓郷の森を出て、うOこ発電所を通過して、街の中心部を右折、道道253号線へ乗り換える。すると左手に「中畑木材」として使用された建物がある。こちらも横目で追う程度で通過して、岩城扮する草太?の牧場を抜けていくワインディング路を走行していく。もちろん、途中に小学校の建物もあったが、通過。ドラマでは岩城は離農した人の残したトラクターを移送中に押しつぶされて圧死するが、その場所と思われる地点も通過。
これらの丘を越えていくと、ぱっと目の前に富良野市街地が見下ろすことができる地点へやってきた。残念ながら少々雨で煙ってしまっているが、格子状に張り巡らされた道路と、それに囲まれた田畑がきれいに見て取れる。お、フンドシで有名な宮沢りえ扮するシュウと純がデートをした鳥沼公園の池もあるね。それらの道を抜けて国道237号線へ戻る。
そろそろ昼飯の時間だが、腹の具合からいくとちょっと早い気がする。そこでおやつ程度に何か食べようと0円マップを確認すると、ポプラファームのサンタのヒゲなるメロンにソフトクリームをのせたものがあることを発見した。これにしようと国道沿いを走行していくと、2006年に入浴したふらのラテール隣に看板を見つけた。
この店にはあまり大きな駐車場はないが、観光バスからツアー客が頻繁にゾロゾロと出入りしている。そんなわけで屋外のテーブルが混み合っているので、参考までにお土産用のメロンを吟味する。1つ2000円前後の価格が付けられているので、値段はこんなもんなのかな?どうせ購入は最終日にする予定なので、この場はパスする。さて、テーブルが空いたので、場所取りをしてサンタのヒゲを購入する。1/2カットと1/4カットがある。それぞれ1000円と600円なのであるが、後々のことを考えて胃袋に余裕を残そうと後者を選択する。
サンタのひげ
(話のタネに食べてみた)
みるみる溶けてきてしまうので、早速食べてみる。それぞれ単品は旨いことは旨いんだけど、総体としてはどうだろうかと思ってしまう。この組み合わせは見るものに衝撃を与えるが、味を考えてみると各々別個で食べたい。しかるに、個々別々に食した。この方が管理人の好みだ。その間にも旗を持ったl添乗員に率いられたツアー客が入店してくる。どうやら相当の人気があるようだ。それほどのものかな。ところで関係はないが、ナガノトモヒサに率いられているのはアーモン軍団だ(W氏はここで拍手お願いします)。
これだけ雨が降ってくるようであれば、もう今日は移動するのみだ。途中上富良野や美瑛の名所も後回しにして、さっさと北上する。それにしてもかんのファームなどはラベンダーが綺麗に咲いている。晴れていればゆっくりとしていきたいのであるが、止むを得ない。
結局そのまま旭川の「道の駅あさひかわ」までやってきた。腹が減ったのでここで昼飯とするが、朝に購入しておいたカロリーメイトと飲み物だけで十分だ。しかし、腹が減っては戦はできぬ。どうも落ち着かなかったのであるが、腹が満たされると肩の力が抜けて楽になった。ここで地図を確認してみると、旭川の市街地をバイパスする道があるのにも関わらず、中心地まできてしまった。幸い雨は止んでいるが、いつ降りだすかわからない。もっと効率的な道を選択すべきであったが、後の祭りなのでこのまま国道40号線に乗り換えて北上を続けていくことにする。
市街地でちょっと迷っているとまた雨が降り出した。そろそろよい時間なので寝床を探さないといけない。この状況と管理人の技量ではキャンプは難しいので、手近なライダーハウスに泊まることにする。路肩に寄って地図を確認すると比布に「ブンブンハウス」というライハがある。そういえば2008年に比布を訪れた際、駅の近くにあったことを思い出した。割合広く綺麗な施設であったので、ここで決まりだ。
この後国道40号線に乗り、線路伝いに進んでいくと跨線橋を渡り、比布の市街地へ入っていく。おお、このモータースの前にあるセブンイレブンは昨年立ち寄った覚えがある。確かここで渡道後初の白バイを見たっけな。そう思い、この交差点を左折していくと駅前商店街だ。そうそう、この向こうが駅で、その右手にライダーハウスがあったよ。
雨もかなり強くなってきた。今日は雨に追いつかれ、逃れ、また追いつかれの繰り返しで非常に疲れた。まだ15時過ぎであるが、今日はここまでにしよう。ここは屋根付きの立派な駐輪場があり、大変ありがたい。ここにTDMを入れてカッパを脱ぐ。ついでに足元が濡れてしまったので、靴下も脱いでしまおう。さらに「今日もありがとうよ」と雑巾でTDMも拭いておく。
ブンブンハウス外観 ブンブンハウスの駐輪場
(一番奥に管理人のTDM)
入り口に行ってみると、16時に管理人が鍵を開けにやってくると貼り紙が出してある。まだ少々時間があるので、駐輪場でTDMの清掃・点検を続けることにした。するとアフリカツインに乗る方が「ひぇ〜まいったよ」という勢いで駐輪場に滑り込んできた。ひどい雨ですねぇと会話がはじまり、ヌプントムラウシに行ってきたとお話しを聞いた。ここはフェリーで観た、テレビのニュースで伝えていた遭難者が自力で下山してきた、または遺体収容のアクセス路として用いた場所らしく、テレビ局の車などとたくさんすれ違ったとのことであった。
そうこうしていると、1台また1台とライダーがやってくる。この時点では気がついていなかったのであるが、このライダーハウスは安くて綺麗、広いと好評価を得ているそうだ。混み合うことは必至であるが、いまさら宿を変更する気力はないのでこのまま留まることとした。
するとこのライハの管理人がボロボロのホンダシャリー?で来られた。とても穏やかで、常識的な方のようだ。ライダーハウスの開設期間はいつもこうして鍵を開けに来られるそうだ。そう、このような雨の日も。地味ではあるが大変なことである。
ライダー達はマチカネタンホイザの如く待ちかねたように荷物を運び込む。管理人の方はそれを見届けると、満足そうに帰って行かれた。さてと、今のところは7人程度の宿泊者が到着しているが、まだまだ増えそうだ。とりあえず荷物棚に荷物を入れておく。この棚は大きくて使えるな。また部屋は比較的新しい畳が敷いてあり、清潔感もある。女性部屋も用意されている。施設内を探索してみると、コインランドリーは洗濯機と乾燥機が2セット、コインシャワー、男女別のトイレと充実している。これで一泊300円なので、人気があるわけだ。ただ、管理人は大勢でワイワイやることも嫌いではないが、どちらかというと一人でラジオを聴き、天気予報から翌日のフライトプランを作成し、熱い飲み物で喉を潤す方が断然好きだ。ま、この天気では止むを得ない。
とりあえず湿ってしまったズボンや靴下を乾燥機に放り込む。100円で45分も回すことができるので十分だ。また、カメラと携帯電話の電池を充電しておく。周りのライダー達はすでにマットを敷いてシュラフも広げている。当方も良い場所を今のうちに確保しておかねばならないと、ヒーター横の好位置をトッピ(これ方言かな?)。
ブンブンハウス男性部屋の様子
(女性部屋はこの奥に同程度の広さで用意されている)
さて、飯はどうしようか、前述のアフリカ氏と近所の食堂に行こうと思っていると、女性ライダーのペアがこの雨には敵わないという様子で、ブンブンハウスに滑りこんできた。
このペアは隼とWR250Xに乗っておられ、車校友達だと後にお話をきいたのだが、彼女らが来るや否や、団塊の世代と思われるオヤジが「外の東屋でバーベキューをしよう」と上から目線でモノを言い始めた。まあ今日ぐらいは焼肉も悪くないかと同意しておいたが、こいつは気に入らないぞ。ところでその昔、ライダーハウスには何日も連泊し「ヌシ」と呼ばれ、根拠無くとりしきる者がいたそうだが、こいつも俺に従えとばかりに振舞っている。思うにこういうオヤジも新手の「ヌシ」と言えなくもない。
確かに団塊の世代が頑張ったおかげで、今日我々の世代が助かっている部分は多々あると思う。しかし、それはそれ、ライダーハウスでは皆一人のライダーもしくは旅人である。もちろん、年齢が違えば言葉遣いなど最低限のマナーは守ることが常識であるが、それ以上は何も必要は無いと思う。皆が実社会で疲れている気分を、開放する為に旅に出ているのであるからである。ま、こんな文句を言うくらいならライダーハウスに泊まらなければよいのだ。そう、管理人の技量不足に原因があるのだ。
それはそうと、前述の隼とWR-X ペアに、例のオヤジが鼻の下を伸ばしながらいろいろと話しかけていた。結局良いところを見せたいのか、オヤジが2名を連れて買い出しに出かけていった。一方、我々はバーベキュウの準備を整えておく。なんか寒いので長袖を着ておいたが、だんだんと頭痛がしてきた。
屋外の東屋
そうしていると買い出し部隊が戻ってきたので、早速材料を下ごしらえする。最初は女性がやっていたが、どうも手際が悪いのでキャンプで鍛えられた男衆が除ヶに勢力を伸ばしていく。当方もキャンプツーリングライダーの端くれとしてキャベツなどの野菜を切っていく。が、力を入れたせいか、ますます頭痛がひどくなってきた。そして炭が起きて材料を焼く頃になると、辛くて頭を抱えてしまうくらいになってしまった。それでも腹は減っていたので、肉なりを食べていたがもう限界と2名いる女性の一人に「頭痛がひどいんですが、薬はありますか」と話してみた。するとその方は「顔色が青いですね。大丈夫ですか」とやさしい言葉をかけて下さり、部屋にもどって薬を持ってこられた。さて、その薬箱であるが、細かい仕切りがいくつもあるもので、「何が良いですか」と尋ねられた。当方はその箱の中を見て「ロキソニン」をと答えた。すると「胃薬も必要ですね」と言われるので、「イサロンはありますか」とずうずうしくも注文してみると、「セルベックスならありますよ」ということで、「それで結構です」と一錠ずつ頂いた。また、焼肉を食べた皿は洗っておきますと気の利いた、ニクイお申し出があり、本当に助かった。
薬を服用して、部屋に戻りシュラフにもぐって目を閉じる。すると急速に痛みは治まり、楽になってきた。ところで、管理人はたまにこのような頭痛に襲われることがある。医師の話によると、これは緊張性頭痛というものであり、その名の通り何らかの理由で神経が緊張する状態が続くとこのような症状が出ることがあるらしいのだ。また、脈拍とともに痛さが変化するので、拍動性の緊張性頭痛と呼ばれるそうだ。
後で考えたのであるが、あのように薬を管理されているということは、あの方はきっと医療関係(おそらく看護師)の仕事をしておられるものと推測される。こちらも薬品の商標名を答えたのでそう思われたかもしれないが、全く関係はない。ただ自分が飲むものくらいは知っておこうとそれだけのことである。
そういうわけで、この日はこのまま眠りに就いた。
本日の走行 250km