今日も利尻富士の頂は雲だった
ああ、快適な寝床でよく眠れた。明日夜、苫小牧東港発のフェリーに乗車するので、今日はできるだけ南下する移動日だが、いろいろと見ておきたい箇所もある。カロリーメイトの朝飯をかじりつつ地図を眺めて、頭の中でフライトプランを作成する。富良野あたりまで南下できるとよいのだけど、果たしてどこまで行くことができるのか。
今までキャンプにしても、ライダーハウスにしても周りの方々の初動の早さに関心していたが、ここはわりとのんびりしている方々が多い。今日の予定などを話し合っているうちに8時30分くらいになってしまった。そろそろ出発しよう。荷物をTDMに搭載して・・・いる時も話が弾んでおります。京都の大学生君とも話をして、お互いに旅の安全を願い出発していく。
京都の大学生君
(見ていたら連絡下さいね)
まずは昨日見忘れた稚内ドームを。地図で確認すると市街地の北、フェリー乗り場に近いようだ。市役所を左手に見て走っていくと看板があり、右折して、見えました。正確には北防波堤ドームという名前で、北海道遺産に指定されているそうだ。建設は戦前であるが、粋な形をしている。設計者は土谷実という人で、北海道大学を卒業されているようだ。当時樺太に渡る船の発着場だったこの港、鉄道や道路に波しぶきがあたらないようにする目的で建設したとのこと。今は観光用のものになってしまっており、付近の住民の散歩道でもあるようだ。犬を連れた方々が頻繁に往来していた。
当時樺太に行く人をここから送っていたわけで、送り出す人はきっと大切な人を心配して手を振ったのだろうなぁ。今でこそ船や飛行機などが大いに信頼性を向上させて事故も少なくなったが、当時は大変危険な旅であったろう。ところで、なぜかここにテントを張りたがる御仁がいらっしゃるようだ。当日も2、3見受けられた。すぐ近くに森林公園キャンプ場があるのだからそちらに張れば良いと思う。先述のようにここは観光地であるし、また住民の散歩道でもある。
稚内市街を戻っていくと食堂の前にVストロームが停車している。食をメインにしてツーリングをしている氏らしいと思わず微笑んだ。さて、みどり湯の前を再び通過していよいよ道道106号、通称オロロンラインを走行する。ご存知、ここはサロベツ原野を走り抜ける道で、その景色ときたらちょっと他ではお目にかかれないものだ。緑の中をまっすぐに、時折うねりを交えて地平線のかなたまで続いていく。
オロロンラインにて
海の向うには利尻、礼文島も見える。特に利尻富士はその美しい形を見せるのであるが、今日も雲がかかっております。しかし、これらに酔っていてはいけない。というのも、北海道では動物が飛び出して事故になることがままあるからだ。幸いにも管理人は危険に遭わなかったが、みどり湯のおばさんによると鹿なんかが急に飛び出してきてぶつかると、車は最悪廃車になってしまうそうだ。バイクなら死ぬ人もいるらしい。みどり湯同宿のCB氏も鹿に遭遇したらしい。そこを良く観察したら通り道となっていたそうだ。管理人も通り道になっていそうな場所では特に注意をして走行する。もっともこの速度では相当前から発見していないと避けることも難しいだろう。クールダウンも兼ねて、こうぼねの家にて休息しよう。
お馴染みこうぼねの家 ハマナス咲いてぇ〜
ここはチャリダーの方々が休息したり、宿泊したりすることもできるらしく、おりしも昨晩宿泊した方が出発しようかと準備しておられた。裏手の海岸には散策路が設けてあり、ハマナスをはじめとした原野の植物を観察することができる。尚管理人は、宗谷岬で流れている「ハマナス咲いてぇ〜」の実物をここで初めて見たと告白せねばなるまい。こちらはもう日本海であるが、何か物悲しい雰囲気を十分に漂わせている。いや、管理人がそう感じているだけだろうか。吹く風はもうすっかりと秋(冬?)であるし、少々冷たい。因みに今日も上着にインナーを装着していると追記しておく。
散策を終え、再び走り始める。対向車線をやってくるライダーもやや興奮気味のようで大きく手を振ってみたり、腕を空に突き上げたりとジェスチャーも派手になりがちだ。まさにツーリング・ハイとでも言おうか。そりゃそうだろう、ここを走れば皆そうなるよ。またチャリダーの方も多く走行しており、同様に大きなジェスチャーで挨拶を交わした。いささか管理人も高揚して走行を続けていると遠くの方に風車が見えてきて、だんだんと大きくなってくる。これも多くの人が知るオトンルイ風力発電所だ。2006年は遠くからのみ、その姿を確認したが今回は直下に行ってみる。尚、14年前はまだ建設されていなかったと記憶している。
オトンルイ風力発電所全景
この光景はなかなかの迫力だ。説明は要るまい。ところで、写真にはいつも下向きの矢印が写っている。お気付きであろうか。いまさらこんなことを話題にしても仕方ないのだが、これは冬に雪が降って道路と路肩の境目がわからなくならないように「ここが境目ですよ」と示しているものだ。既に8日目であるが、これも北海道を感じる重要な項目であろう。
ちょっと水分を補給しておこうと思い道の駅天塩に寄ると、丁度CB氏もここに入ってきた。お互いに笑っている。「ライダーって思考回路が似ているのでしょうねぇ」と話しかけると「そうですねぇ」とCB氏。こういう「ニアミス」はしばしば経験することだ。管理人の友人で、何も打ち合わせをしていなかったにも関わらず、2週連続で彼の友人とニアミスしたという経験をした人がいる。その翌週は連れ立って出かけたそうだ。
ところでこの道の駅という施設の設置目的は何だろうか。「そんなもん旅行者などが休息するところだろうに」という答えが当然の如く返ってくるだろう。確かにその通りなんだが、ここ天塩では向いにある保育所の保育士と子供達がテレビを観たり、遊んだりしていた。ああ、こういう使い方もアリだなあ。時折ほとんど使われていないものもあるし、平日の昼間は旅行者は少ないので有効活用と言えよう。
この後、CB氏とは再び旅の安全を誓って各々目的地へと出発する。氏は羽幌町の国道232号沿いにある「カフェ&宿 吉里吉里」にて昼食とすると話していた。ここはライダーは写真を撮ってくれるサービスがあるらしい。さて、管理人はこの後音威子府の黒い蕎麦を食べに同名の駅へ向う。ここには駅舎の中に蕎麦屋があるので、行ってみたいと思っていたのだ。名残惜しいがオロロンラインを離れ道道119号線から国道40号線へと乗り換え、音威子府駅を目指す。ここはかなりの快走路で、すれ違う車もほとんどなかった。また、離農した廃屋などが数件あり、生活していくことの厳しさを物語っていた。たしかに街らしい街は10km四方には無さそうである。
道道から国道40号線に移ると流れも通常にもどり、ややもどかしく感じつつ音威子府駅に到着。ここは宗谷本線の現役の駅であり、列車の往来もあるのでわりと賑やかで、小奇麗にされている。管理人が気に入ったのは「木彫りのふくろう」だ。様々な表情のものがあり、なにか心が和んでくる。どうも30歳を過ぎてからというもの、動物の表情や鳴き声が気になり始めた。というのも、通勤途中にアオサギなどが「ぐぇ〜」、カモが「グワグワ」、夜になるとキジが「ぐぇ〜」、昼間にバイクの横でネコが居眠り、隣の家の犬が・・・と様々な種類が周りに生息していることが判明。よくよく観察していると実に表情が多彩だ。ネコはもちろんだが、アオサギの仕草はなかなか癒される。ちょっと調べてみたら首を縮めて目を細めている場合、リラックスしているそうだ。また、時折ネコに「ニャー」とか言って近寄ってみると、「ミャ〜」とか返してくれる場合があるし、頭を撫でてやるとなぜか苦しそうな表情をして頭を上げてくる。嫌がっているのであろうか?
両方ともナカナカ良くできているなぁと関心する
ちょっと癒されて駅の中に入ると、ガーーン。休業だよ(にしおかすみこ風に)。
駅構内の蕎麦屋にてうなだれる管理人
仕方ないので、在りし日の天北線を紹介する展示があったので、それを見ていくことにする。それにしても国鉄時代はよくぞここまで鉄道を普及させようとしたものだ。もっとも自家用車が普及する前であったのだから、公共交通機関を整備することは国の役目と言えるので不思議はないが、問題はモータライゼイションの波が押し寄せてきてもそれを継続した点であろう。もう発注してしまった工事は後戻りできず、また土建屋から袖をつかまれたりと、様々な制約により結局は赤字垂れ流しの事態が深刻化するまで放っておいたのであろう。不良債権の問題といい、財政再建の問題といい、いつの時代も政治家とはそのようなものなのだろう。
ともかくこの場では政治はどうでもよい。蕎麦が重要だ。国道沿いを走れば何かあるだろうと駅を後にし、南下していくと蕎麦屋を発見したのでそちらへ滑り込む。旅も終盤なので、体力が消耗しているだろうとミニ豚丼とのセットを注文する。待つこと10数分、運ばれてきましたよ、黒い蕎麦が。ん、なかなかコシが強く、風味も独特だ。通常の10割蕎麦の風味、昨日の幌加内蕎麦とも違う。なんか炭素系と言おうか、そういう風味だ。
どうですこの色
蕎麦には二種類あるらしく、蕎麦の実を皮ごと挽いてしまう挽きぐるみ、皮を剥いて挽くものだ。穂高の蕎麦は後者で、開田高原のものは前者になるのだが、ここ音威子府は黒すぎだ。何か特別なことをしているのだろうか。後日調べてみると、以下の記載があった。
音威子府そば(音威子府村) - 一般には同村の畠山製麺が製造する蕎麦麺をさす。これはソバの実の外殻をそのまま使った黒いそばで、色はダークグレーに近く、独特の風味と食感がある。しかし、この蕎麦麺には音威子府産のソバが使われているわけではない。同社の登録商標は「音威子府名代きそば」である。
Wikipediaより引用
どうやら挽きぐるみの一種であるようだ。蕎麦自体が黒い種類のものなのであろうか?謎は深まるばかりだ。ところでこの店は「一路」という店であったと追記しておこう。
黒い蕎麦の謎はあるが、ともかく腹は満たされたので出発しよう。それにしても国道40号はもどかしい。おや、前方に3台のバイクが隊列を組んで走行しているぞ。どこかで見たことがあるなぁと思って近寄ると、昨夜みどり湯で同宿であった茨城の三人組だ。手を挙げて挨拶すると、ヘルメットの中に笑顔が見えた。彼らとは一昨日の美深まで一緒に走行して、各々の道を進んでいった。彼らはそのまま南下、管理人は国道275号線へ右折し幌加内町へ向う。ところで、この国道は40号と違い、ほとんど交通量が無い。イケイケどんどんのペースで走行していたら、日本で最低気温を記録した碑がある「クリスタルパーク」を通過してしまい、朱鞠内PA..まで来てしまった。地図を調べてみると10km程戻るだけなので、10分はかからないと戻ることにした。ここはやや看板が小さく、目に留まりにくいと感ずるのは管理人だけであろうか。
最寒地証明書 最寒地のモニュメント「クリスタルピーク」
ここは母子里(もしり?)という場所で、ご覧のようにマイナス41.2℃を記録したそうだ。この証明書は本来100円支払うものだが、事務所に誰もおらず、勝手に持っていけと言わんばかりに置いてあったので、自分で記入してもらってきたものだ。それにしてもマイナス41.2℃ってことは「バナナで釘が打てる」ってことか(世代がバレバレ)???
この地でも少々考えごとをしてみる。昨今地球温暖化が叫ばれているが、今日の気温は16.8℃。平年よりも3℃は低い気温だろう。またこのマイナス41.2℃は昭和53年に記録されている。温暖化は産業革命以降に急速に進行していると聞いているが、昭和53年ってのはたかだか30年前のことで、管理人5歳(幼稚園年長)の時だ。たまたま暖かい時期に地球が入ってきているだけなのか、はたまた本当に温暖化が進行しているのだろうか、解らない。因みに幼稚園時代の管理人は結構モテた?のではなかろうか。近所のササキサチカ?さんという女の子が遊びに来いと言うのでノコノコと訪問し、着せ替えやらママゴトやらをした記憶がある。あまり面白くはなかったが、もの珍しかったと当時を懐かしく思い出した。
ちょっとノドが乾燥して痛く感じたので、酷くならないように「鼻うがい」をしておいた。またバンダナを顔に巻いてマスクの代わりとして出発。戻ってきた道をまた走行し、朱鞠内湖へ到着。ここのキャンプ場で14年前に宿泊したことがある。その当時百人浜といい、朱鞠内といい、工事に殉職者をかなり出している=「出る」という噂がまことしやかにささやかれていた。管理人は全く気にせず両方とも利用したわけであるが、出るどころかとても快適であった。それどころか何か神が宿っているという趣で、神秘的な場所だなぁくらいに思っていた。今回訪れてみてその印象は全く同じであった。複雑な形状を創り出しているこの湖、人造湖であるがそれをあまり感じさせない「何か」があると思う。それがこの湖の神秘性ではなかろうか。
朱鞠内湖
移動日と言いつつも盛りだくさんの日だ。次はひまわりでお馴染みの北竜へ向う。おっとその前に朱鞠内郵便局でお金をおろそう。どんなに小さな集落でも一軒はある郵便は本当にありがたい。因みにこの局には一人しか局員がおらず、暇そうにしていたようだ。
国道275号線、通称空知国道を外すことなく走行すればよい。途中幌加内の蕎麦畑を通ることになっている。多分14年前も訪れたことがあり、またそれらしい写真が残っているが詳細についてはあまり覚えてはいない。人気の蕎麦屋「霧立亭」を左手に見て通過すると、行列とはいかなくとも多くの人が蕎麦を食べに来ていたようだ。さらに南下していくと一面の蕎麦畑が道路の両側に広がっている光景が続く地点があった。
一面に広がる蕎麦畑
(厳密には朱鞠内湖の手前付近の図)
今回のツーリングで学んだ「人間の目は都合よい」の法則どおり、管理人が写真にしてもその雄大さは写しきれない。今回も心の目で鑑賞しつつ通過していく。この時点で少々悩んでいた。というのもこの後目玉が2つあるからだ。一つ目は北竜のひまわり、もう一つはホンダの鷹栖プルービング・グラウンドだ。前者はともかく後者は正門から先は入ることはもちろんできない。いや、正門で写真撮影も禁止かもしれない。でも行ってみたい。同社のスポーツタイプ乗用車、タイプRシリーズを生み出したテストコースがあるとなると、やはりホンダファンとしては血が騒ぐ。時刻が既に15時を回っている。うーんどちらか止めかなぁ。こんな感じで悩みつつ道の駅 森と湖の里幌加内で休息しているとヴァンヴァンに乗るオヤジが馴れなれしく話してきた。ヴァンヴァンは馬力が無いので辛いと言っていたが、そんなものは来る前から解っていることだし、道を選べばそのバイクなりに楽しめるはずだ。さらにTDMに話が移り、タイヤが減るでしょうと言う。そりゃご覧の道を荷物満載で走っているわけだから真ん中が減るよ。帰還したら比較的近い将来にもタイヤ交換をするさ。「減りますねぇ」というと「トルクをかけすぎじゃないのか」と言う。余計なお世話だよ。カチンときたので、馬力がないようなので、タイヤも減らないのでしょうねぇという内容の事を言い返してやった。気分悪い。ともかく北竜のひまわりへ急ごう。
このまま国道257号線を追っていけば北竜町にたどり着くので余計なことは考えないでもよいが、いかんせん流れが悪い。お、今日の宿はどうするか、今日も寒いし疲れているのでライダーハウスだね(軟弱だなぁ)。そういえば富良野の道楽館さんというダッチオーブンで調理した料理提供してくれる宿があったなぁ、と調べてみると到着時間が決まっている。そりゃそうだね。という訳で幌加内の交流センターにて、一昨年お世話になったクレッセさんを予約しておいた。
北竜町に入り、ひまわり畑の看板が出ている。地図によると国道沿いにあるようなので迷うことはないと思う。おそらく地元の方々が力を入れて集客しておられるのであろう。果たして16時過ぎに到着。こりゃすごい。智恵文の三倍位の作付け面積がありそうだ。何?自転車で周るのか。そうだなぁ、遠く向うまでひまわりだもんなぁ。というわけで散策開始。詳細は画像にて。
ひまわり畑の西から東を見下ろすの図
東から西を見上げます
一段高い別の場所で
逆光線になってしまったが、なんとかひまわり畑を撮影した。そして近づいて花そのものを観察してみる。ひまわりは英語でsunflowerである。太陽のある方向を向く習性があることはもちろん、花そのものがいかにも太陽だ。公式には65万本と謳われているので、65万の太陽が存在することになる。まぶしいわけだし、それでいて力強い。夏のほんのわずかな期間だけ現れる無数の太陽。某チャリティー番組で某アナが乱用したり、某政治家が言い切ったりするのであまりこの言葉をやすやすと使用したくないのだが、「感動」である。こんなまぶしくて、力強い女性なら管理人も魅了されてしまうだろう。おっと、2羽のダチョウ君もいましたので追記しておこう。
がらにもなく花に感動してしまったので、結局17時20分くらいまで滞在してしまった。さぁ〜て、鷹栖のホンダだけどどうしよう。ええい、高速を使用して行ってまえ。ということで、同道94号、47号線を利用して深川留萌自動車道の深川西I.C.に乗る。そして深川本線料金所で高速券をもらうが、時刻が「17:57」と記載されていた。それから深川J.C.を東に向う。管理人は猛烈に急いでいたので旭川鷹栖I.C.には18時13分に到着した。料金所から鷹栖I.C.までは41kmあるので、その平均速度は??いやいや、そんな計算をしている場合ではないぞ。ガソリン残量警告が出ている。仕方なく一旦南下して出光にて17.45L給油。スタンドには丁度鷹栖から通っている兄ちゃんがいるということで、研究所のことを尋ねてみると「看板も小さいものしかないし、わかりにくいですよ。周囲は暗いのでお気をつけて」とのこと。「ありがとよ」と寅さんよろしく勢いをつけて出発。道道99号と251号を乗り継いでいく。確かにこちらで方向が正しいのかが不安になるような田舎だ。さらに日没が心細さに追い討ちをかけてくるぞ、と思っていると小さい看板を発見。よっしゃぁ、弾みがついて一気に研究所に到着。
こんな小さい看板わかるかぁ〜 鷹栖プルービンググラウンドの正門前にて
奥の建物にいる守衛は一瞬「何事か??」という態度であったが、管理人の「なり」を見て「ああ、またバカなやつが見に来たのか」くらいの様子であった。フィットもおそらくここで最終のセッティングを煮詰められたのであると考えられるので、ちょっと嬉しくなった。
見るべきものは見た。あとはクレッセさんに向うのみだが、地図をみると40kmくらいはありそうだ。最後まで気合を入れていきましょう。ここからは道道251号を戻り、国道40号線で旭川市街地に入る。喉の痛みが少々気になるので、ツルハドラッグにて風邪薬を購入して看板に従い国道237号線に乗り換える。もうすっかり日が暮れて真っ暗なので方向が解らなくなるとまずいので、あえて市街地を走行した。もっとも木星が南の空に輝いていたのでそれも頼りにしていたが、疲れていたのでミスしたくなかったというわけだ。国道は市街地を抜けると真っ暗闇で、前述の木星を頼りに走行を続行する。晩飯がまだであった。途中セイコーマートにてラーメン、おにぎり、サラダ、野菜ジュースを購入しておいた。やっとこさ美瑛に入った。深山峠を越えるとすぐにクレッセがあるので通りすぎないように注意を払う。おいおい、それにしても寒いぞ、果たして深山峠は13℃であった。やっぱりね。
一度通り過ごしてしまったが、なんとかクレッセ到着。今日は客が少ないので一棟貸切でいいよとのこと。宿帳を記入し、荷物を降ろしてTDMを駐輪場に、おや、昨日みどり湯で同宿の3人のバイクが停められている。やはりライダーって・・・。その後セイコマで購入した晩飯を「母屋で食べてもいいよ」とのありがたいお言葉を頂いた。お湯も頂けるとのこと。ああ、やっぱり北海道っていいなぁ。と玄関に行くと4日前に網走の民宿ランプで同宿の方に再会。あららら、やはりライダーって、こうなるのね。
宿のご主人も奥さんもすっかりくつろぎタイムであった。「遅くなって申し訳ありませんでした」と恐縮してしまうが、ここは落ち着くんだよなぁ。1500円だけのことはある、というか安すぎ。朝食を頼んでおいたので1800円、ありがとうございます。食事をしながら網走のカップル氏、ご主人と話をしつつ晩飯を食べる。ご主人曰く、今年はライダーが少ないそうだ。ガソリン高も影響しており、この寒さも要因かもしれないと。またこの寒さは早すぎだとも言っておられました。一方カップル氏のその後であるが、女性がダートで軽くコケてレバーを破損。バイク屋で溶接して復刻してもらったと話していた。本人は「渡道前の練習が足りなかった」とおっしゃるので、「最低3000km、100時間くらいは乗っておいた方が何かとよいかもね」と偉そうに持論を展開する管理人であった。何にしても、トラブルを克服し、旅を続けていることが他人の私にも嬉しかったことは言うまでもない。
食事をして宿泊棟に戻り、風邪薬を飲んでさっさとベッドに入る。今日は風呂を止めておこうとホカホカのベッドで明日のフライトプランを練りつつ就寝となった。いよいよ明日の夜はフェリーで帰還しないといけないと思うと名残惜しいが、今日は疲れた。
本日の走行 450km