森林公園美深アイランドの朝
いつものように午前6時前の天気予報に耳を傾けると、天気は回復するもオホーツク海高気圧が勢力を強めているので気温が下がると伝えている。テントの中では寒さを感じないし、前述の寝袋が性能を発揮して非常に暖かい。新調した甲斐もあったというものだ。テントから外に出てみるとやや風があり、ちょっと肌寒い。10度前半までは下がっているものと推測される。また夜中にもバサバサと木々が音を立てていたことを思い出した。
朝飯のカロリーメイトをかじりながら周囲の様子を観察してみる。美深アイランドは周りが林になっており、文明との壁を形成している為、静かな森のキャンプ場という雰囲気が流れている。またサイトも平に整えられており、寝心地も良いので特Aランクの評価をしても意義ありと思う人はいないと思う。ここは再び訪れたい場所の一つなった。
本日のフライトプランでは、旧国鉄美幸線の線路と仁宇布駅跡地を利用した「トロッコ王国」を訪れる予定だ。この線は管理人が中学時代の、国鉄が民営化される直前に廃止された「日本一の赤字路線」としてその名前を馳せていたと記憶している。営業係数という100円稼ぐための経費が3000円位かかっていたというから廃止も止むを得ないだろう。そしてその跡を利用して、NPO法人が線路保守用の台車にエンジンを取り付けた「トロッコ」を運転させてくれるサービスを提供してくれるという。乗り物大好きの管理人は興味をそそられて今回の訪問を決定した。
今日も湿度が低く、風があったのでフライは濡れずに済んだから撤収は楽だった。まあ、焦っても疲れるのでゆっくりと作業して8時ごろに撤収完了。おっと、上着に綿入りのインナーを取り付けておこう。寒くてライディングに影響しては話しにならんからなぁ。特に最近の管理人は年齢のせいもあって寒さには滅法弱くなっている。
撤収と荷物の搭載中に、向いにテントを張っておられたアフリカツイン氏から函岳レーダー林道についての情報をいただいた。氏曰く「TDMなら十分走行可能だ」と。どうやら北海道の有名観光用林道はとても路面状況が良く、オンロード車でもいけるということであった。ただ、往復で70kmくらいの距離があるそうなので時間がかかるとのこと。KDX125で地元の林道を少々走っている管理人は、次回はオフ車で北海道かと真剣に検討せざるを得ない。今回は安全をみて止めておこう。KDXはその軽量さから引き返すことなど朝飯前だが、TDMでは仮に危険な状態と判断された場合にも身動きがとりにくそうだからね。
レーダー林道に未練を残しつつも美深を出発する。んー、上着にインナー取り付けておいて正解だった。顔に当たる風がやけに冷たいぞ。とりあえず昨日のセブンイレブンで暖かい飲み物を入れて調子を整える。
それはそうと、北海道はもともと日本人が住んでいたわけではないので、その地名などには面白い響きが多い。美深には「オキリン川」というものがあった。地元の言葉で「起きなさい」ということだ。
オキリン川の看板前で寝ている管理人
さて、再出発して国道40号線沿いのホクレンで給油をする。306km÷12.46L=24.5km/Lといつもの数値を記録した。その後は道道49号線へ乗り換え、辺渓を通過する。途中激流の滝という看板があり、ダートを2km程は走る必要があるので寄っていくか迷うが、名前の衝撃に負けてダート走行を開始した。ダートといってもジャリの少ない締まった道なので、ギアを3速固定で走れば怖いことはない。怖いことと言えば熊がいつ出てきてもおかしくない雰囲気だけだ。派手にホーンを鳴らし、時折エンジンも空吹かししつつお目当ての激流の滝に到着するも、「これが滝かよぉ〜」と思わず言ってしまった。確かに流れは急で、岩場を勢いよく水が流れているが滝ではない。せっかく危険を冒して?やってきたのに少々落胆して、写真だけ撮影して急いで引き返した。当然熊出没注意の看板が立てられていたことは言うまでもない。
激流の滝全景(これって滝か??) くやしひので看板前で
それにしてもこの辺りは人家が全くと言っていいほど無い。昔は人が住んでいたのであろうか。そう思って走行するも、今日は寒い。美深付近の温度計には16℃の表示が出ていたが、このあたりはもう少し低いだろう。仁宇布に到着したが、中心の交差点付近に数軒の家と土産物屋があるだけで他には何もない。ちょっと周りを見渡してみるとトロッコ王国の建物が見えた。少し奥にはいった場所にあったのかと納得し、バイクを停める。すると作業をしていた方が「トロッコに乗るのですか」と尋ねてきたので「乗れますか」と聞き返した。だって、俺の他に誰もいなんだもの。営業しているかどうかも疑わしかったというわけだ。
トロッコ王国全景 駅舎を利用した事務所
当然営業していたので、旧駅舎を利用した事務所に入り、入国手続きを行う。名前やら運転免許やらを確認してもらい、1500円を支払う。すると旅券と硬券の乗車券が発行された。また、これらには今までの入場者の通し番号が入っていたので、なかなか本格的に運営されているなぁと嬉しく思った。よく言うよと言われそうだが、「半端なことは嫌い」なのである。
トロッコ王国の旅券と硬券の乗車券
今日は寒いので手袋なり、上着なりを着用してくださいと指示があったので二輪用の装着してきたものを利用することに。そして次に運転車両を選ぶ。いろいろあるらしいが、一番人気があるトロッコはポイント通過時の音、レールからの振動をいちばん感ずることができる「緩衝装置のついていない、一番装備の悪い車両」だそうだ。納得して管理人もそれを選択するというか、それがすでに準備してあった。さらに操作説明を受ける。エンジンはホンダ製の汎用エンジンで、運転出力が5.3ps/3600r.p.m.、最大出力が7ps/4000r.p.m.のものだ、イグニションスイッチを入れて紐を引っ張ってエンジンを始動する。エンジンの運転速度(=走行速度)の調節は、握り手部にある自転車のレバーみたいなものを引く、戻すことで行う。ちょっと電車の運転ぽい演出がニクイ。ブレーキは床から生えている、サイドブレーキとバスのようなペダルを利用する。あと気をつけることとして、踏み切り部では一般車優先ということだ。そりゃそうだよ。因みに線路は管理人の貸切であるということを付記しておこう。
乗車したトロッコ ホンダ製エンジン。サイドブレーキが生えている
そういうわけでエンジンが暖まってきたので、出発進行。ご丁寧に出発時に目の前のポイントを切り替えてくれる。このポイントの切り替えとは面白く、「ガチャン」と音が出てその気にさせてくれるではないか。サイドブレーキ解除、ブレーキ解除、出発進行と指差呼称。レバーを手前に引いてエンジン回転を上げていく。ゆっくりと加速してポイントを通過すると「ガタン、ゴトン」と電車特有のあの振動を感ずる。そして最初の踏み切りを一旦停止。左右確認して再出発。ググッと加速させていくと、おおよそ40km/h位は出ていると思われ、とても楽しい。だいいち線路上を自分の運転する乗り物で走るという行為そのものが特殊なので、なんとも言えない高揚感がある。この車両のお陰だろう、レールの感覚を十分に感じることができる。お、鉄橋だよ。ちょっと速度を落としてその通過感を味わうとしよう。んー、鉄橋ですねぇ(長嶋茂雄風に)。通過音が変わるのでこれまた気分が高揚してしまう。
鉄橋の上で。因みにトロッコは19号車
よっしゃ、次は全開走行だぁ。線路から飛び出さないか不安なので、それなりで止めておこう。そう思っていると折り返し点の転回場に到着。昔はレールそのものが回転する場所で転回させていたそうだが、いまは環状にレールが敷かれている。そしてその入り口にはポイントが設置されているという状況だ。再びポイントを通過、一旦停止後、仁宇布駅の方向へ戻る。ところで、この転回場には仁宇布駅の車両整備員の方が車で先回りして、運転指示をしてくれたと追記しておこう。
白樺の中を通過しまぁ〜す
帰り道はゆっくり目に走って景色を堪能する。白樺の木々の間を線路が通っており、なんともローカル線の雰囲気満点だ。鉄橋で停止して下を覗いてみると、なかなかの高さがあり、ちょっと怖い。バカのくせに高いところには上ることはできないようだ。そうしていると仁宇布駅が見えてきたので、速度を落として踏み切りに備える。すると右横からすごい勢いで軽トラが走ってきて、踏切を通過していった。なるほど、一般車優先なわけだ。こうして指示通りに停車させて往復10kmの鉄道体験は終了した。
今更ながらに告白するが、別に管理人は鉄道にそれほどの興味を抱いてはいない。俗に言う「鉄」ではないのだが、昔の遺構や歴史を知り、体験することが好きなのである。ところで、この美幸線であるが、美深からオホーツク側の枝幸まで開通する計画であり、昭和50年代後半には路盤が完成しており、線路を敷けばいつでも開通できる状態にあったそうだ。ただ、第二次特定地方交通に指定され、その夢も途絶えたという。トロッコ王国の方は「全線開通していなのだから、乗客数が伸びないのは仕方ない」とおっしゃっていた。それは一理あろうが、やはり主だった産業が無い、この無人地帯に線路を通しても結果は同じではなかったのだろうかと思わざるを得ない。終末期の美幸線は「空気を運んでいる」と揶揄されていたのも頷ける。
さて、管理人が戻ると乗客が続々とやってきた。丁度今から向かう枝幸方面から来た人が会社の「アーモン一味のショウ」そっくりな奴が「人を小バカにしたような口調」で話しかけてきた。結構ムカついたので他の人に任せてさっさとその場を去り、事務所の展示物を見ていく。廃線時の新聞や写真があり、目を通していくと美幸線が地元の人々の悲願の鉄道であったことが記されている。それもそうだろう。鉄道が通れば人がやってきて産業が発達して街が栄える可能性も高いからだろう。しかし、今や日本は人口が減少し、高齢化が急速に進んでいる。経済成長もマイナスでなければ御の字、そんな時代だ。仮に当時廃止されていなかったとしても、結局いずれは廃止になる運命であったろう。
仁宇布駅を離れ、街の中心にある交差点で信号を待っていると「松山湿原」というものがあるそうだ。これも見ておきたいと思ったが、今日は寒いし、時間の都合もあるので止めておいた。
この後、道道120号線を北上していく。全くの無人地帯であり、道路が通っているだけだ。このエリアにはオフローダー垂涎の林道も多く存在しているようで、0円マップに入り口が写真入で記載されている林道もあった。やはり次回はオフ車でくるべきだろうか?途中風烈婦林道近くには「天の川トンネル」がある。このトンネルも美幸線の遺構であり、本来は鉄道が通るものであったが、拡張して自動車用道路として利用している。もっとも、仁宇布から東側には建設のみされており、列車が走ったことは一度も無い。
それにしても寒い。ここは峠なので10℃前後しか気温もないのではなかろうか。なんか時雨模様だし。まだ8月なのに時雨とはいったいどういうことなのか。幸い今回の渡道に備えて購入した上着の性能が高いので、凍えることはない。顔にあたる風が冷たいだけで助かった。お、なんか変な地名の看板があるぞ。「オフン」だってさ。「オギュー」も傑作だが、オフンもかなりきている。
オフンなんて書いてあるからこの格好
天の川トンネルを過ぎても標高の高い位置を走っていき、歌登という街を通過。ここも美幸線の駅が設けられるはずの街であった。人口は・・・数百人だろうか。ここで道道12号に乗り換え、さらに東に走行を続けてやっとオホーツク海が見えてきた。気温も幾分は上がってきたことだろう。しかし風が強く、バイクが流され気味だ。慎重に走行していかねばならない。こうして美幸線の終点枝幸にやってきたのだ。地元の方々には申し訳ないが、先ほどの美幸線に対する考えは恐らく正しかったのだろうと思う。やはり鉄道を敷いて維持してくにはちょっと人口が少ないだろう。そして美幸線の終着駅になるはずだった北見枝幸駅跡地に到着する。ここは興浜北線の終着駅であり、その線の廃止と同時に廃駅となった。その後は公園になったが、鉄道の面影は全く無い。数年前までは駅前食堂という店が唯一、かつての駅の存在を知らせていたが、いまはその看板も外されて建物のみが残っている。その向いには代替バスのターミナルができていた。
駅前食堂の建物前にて
腹が減ったなあと時計を見ると12時前なので、枝幸の街で昼食にしよう。丁度駅跡地のすぐそばに「ささや」という蕎麦屋があり、幌加内の蕎麦粉を使用しているとのぼりが出ている。早速店内に入り、カツ丼セットを注文する。この店の蕎麦は、蕎麦粉8に対してつなぎ2のニハチ蕎麦であり、その日の粉を石臼で挽いているそうだ。幌加内の蕎麦は白く、コシがありうまいよ。
テレビではいいともが放映されていた。久々にまともに番組を見ると、なんだか懐かしく思えてくるから不思議だ。結局一時間近くテレビをみてくつろいだ後、宗谷岬を目指すこととする。ここで小さなハプニング発生。ヘルメットを店内に忘れていた。店員が表まで持ってきてくれるまで気がつかなかったとは、あんたいったい北海道に何しに来ているのかと尋ねられそうだよ。
ささや全景 カツ丼セット
腹が膨れたので再び走行を開始する。引き続きオホーツク海側を通る国道238号線を北上していくのだが、こちら側は毎度ながら風が強くバイクが流され怖い。海岸沿いにも家が立ち並ぶが、2mはありそうな防風柵で囲まれている。
海岸沿いの家
そりゃそうだろう。真夏でこのありさまだ。冬なんてどんな風が吹くのだろうか。しかし海沿いは天気も良く、夏の日差しが照りつけて気分も盛り上がってくるよ。途中神威岬というどこかで聞いたような名前の看板があった。案外こういうところが良い場合があるんだけど、なぜかパスしてしまった。もったいないことをしたと後悔する。その後は国道238号線を一旦離れ、275号線、道道84号線と小刻みに乗り換え、キャンプ場のオヤジの名調子で名高いクッチャロ湖を高台から眺めようとクローバーの丘に向かう。
右折して道道710号線をグイグイと上っていく。すると小さくクローバーの丘と看板が出ていたので左折して500m程行くと水のみ場がある小さな広場が右手に見えた。鐘があったのでクローバーの丘と識別できたが、それが無かったならばわからなかったであろう。このように薄ら寒く、風が強いので当然のことながら誰もいない。ならばと直接鐘の前までバイクを乗りつけてエンジンを止める。
クローバーの丘からクッチャロ湖(小沼)を望む
(鐘の紐がなびくほどに風が強いところに注目)
一瞬にして静寂が訪れて怖いほどだ。丁度雲が太陽を隠しており、余計に寒く感じる。それにしてもこういう広大な風景はまさに北海道らしいと思う。ちなみにこのクローバーの丘にはクローバーはたいしてないことを報告せねばなるまい。人造物については鐘が唯一の目玉であろう。
一通り写真撮影をした後は、寒いのでさっさと海岸沿いに下りていく。宗谷岬方面へ向かうので、当然のことながら元来た道は通らず、その反対側、つまりは先ほど上ってきた道道の続きを走行していく。この北側の下り道では周りが牧草地になっており、名物の牧草ロールが置いてある。よく写真で見ているが、実際の大きさはどのくらいかという質問にお答えするためにも写真を撮っておこう。
牧草ロールと共に
この後は再び国道238号線を宗谷岬に向けて走っていく。太陽が顔をだして海や沼が輝いており、少々眩しい。このあたりは沼地、もう少し緯度が高いとツンドラになるような地形だ。川も多く流れており、オホーツク海に注いでいる。秋になるとこういう小さい川にもサケが遡上してくるのかな?
そんな風景に夢中になっていると、後方から白いT社製のガラの悪そうな四輪車が追いついてきそうな気配だ。うっとうしいので取り締まりに注意しつつ加速して一気に振り切ることにする。前方にはCB1000SFが走行しているので、手を上げて追い越しをさせていただく。この間に道の駅猿払公園を通過してしまったらしい。いやいや、管理人はどうも熱くなるとまさに周りが見えなくなってしまっていかん。ところで、この道の駅はキャンプ場も併設しており、温泉もある。2006年の北海道ツーリングでも宿泊候補地であったが、風の強さと海沿いの湿気が気になったのでパスした経緯を持つ。私には縁が薄いのだろうか。
余談であるが、日本人はよくその関係を語る場合に「縁」という言葉を用いる。結婚などがその代表格と言えよう。離婚した時にも伯母さんから「縁がなかったのよ」と励まされたりした。その際は「そんなものか」くらいに考えていたが、よくよく考えてみると事の流れから疎遠になったり、逆に何度もお会いしたりすることがある。北海道で訪れる場所もこの「事の流れ」により、渡道の毎に訪れたり、なんとなく通過してしまうことがあったりする。そう考えると伯母さんの言った「縁」がある、無いということが現実味を帯びてくるように思われる。心理的に考えると、人間ってのは無意識に気に入った場所に興味が向いていくので、結果そういう事の流れを創り出しているんではないかと思う。「縁」も意思の内であろう。
そうこう考えていると、視線の先には宗谷丘陵が見えてきているではないか。風車も回っているし、あの鮮やかな緑色が独特の凹凸を覆っている風景は北海道ならではのものだ。
ひとまず遠くから宗谷丘陵を撮影しておき、Request direct to the cape Soyaで Approved.
果たして二年ぶりに最北端の地、宗谷岬にたどり着いた。いつもと変わらず宗谷岬の歌が流れており、碑の前には写真を撮る人がいる。遠くにはサハリンを望み、カモメが飛んで最北端の旅情を感じる。管理人も写真を撮り、いつものように証明書を購入する。ところで、土産物屋の奥に流氷館なるものがあるではないか。証明書を購入したのでひとつ見に行ってみよう。中はものすごく寒い。すぐに出てきてしまった。
お馴染み最北端の碑にて 流氷館の中
寒いと言えば今日の宗谷岬は気温13℃と出ている。いままで三回の渡道で三回宗谷岬を訪れているが、今回は最低気温だ。もともとこの辺りは真夏の一番暑い時期でも25℃以上にはめったにならないそうで、それ以上に気温が上がると「暑くて死にそうだ」と誰かが言っていた。我々の地元では38℃なんてこともあるから、北海道北部の人からすると「ちょっとした熱帯地域」ということになろう。
13℃は驚きました
ご存知最北端の証明書 こちらは最北端のスタンドの給油証明書
振り向けば丘陵地ということで、灯台がある丘の方へ歩いてみる。先述した上着を着ているので、歩くとさすがに暑い。普通にしているぶんには長袖を着ていれば問題は無い気温である。ところで、丘の上にはその昔、ロシアと争っていた時代の監視塔がある。日露戦争の頃に建設されて第二次大戦終了まで使用されていたそうだ。また1983年に大韓航空のB747-200機が旧ソ連の戦闘機に撃墜された事件の慰霊碑がある。この事件後のブラックボックス回収を巡って、領海ギリギリの所で一触即発の状態になりながらも捜索を続けたが、結局見つからなかった。しかし、ゴルバチョフ政権時代に「実はソ連側で回収していた」と発表されたことがある。ところで、通常航空機は無指向性ビーコンやVOR/DME 、TACANといった地上支援施設の電波を用いて距離や方角を正確に把握できるようになっている。ましてやボーイング式747型機は別名ジャンボ機と呼ばれており、旅客機の代表格だ。かなり精密な飛行が可能であろうが、なんらかの原因で予定コースからズレてしまい、ソ連の領海に入り込んでしまったというわけだ。ジャイロの故障という説が有力らしい。
監視塔 丘の上より最北端の碑を望む
丘の向こうには食事ができる施設もあるようだ。さて、このまま海沿いを走っていくのもよいが、今日は宗谷丘陵を堪能したい。その前に、最北端のガソリンスタンドで給油しておこう。実はここで給油するのは初めてで、証明書を貰いたかったのだ。燃費の方はというと、200km÷7.85L=25.5km/Lと相変わらずの好燃費を記録している。レシートにも最北端の文字が印刷されている。そして証明書だけでなく、ホタテの貝殻のお守りらしきものまで頂いた。もっともこれは売り物にならない小さいホタテの貝殻を、ゴミとして捨てるのでは金がかかってしまうので、観光客にもらって頂くという類のものだろう。旅行者と経営者の思惑が一致したということだ。
急な坂道を上り、宗谷丘陵を走り出す。見渡す限りの鮮やかな緑色で、そこを吹いてくる風は爽やかだ。こんな最北の地でも牧畜が行われており、冬場はどうするのかと驚いてしまった。さらに道道889号線に出るとまっすぐな道が大きく右にカーブを描いている光景が飛び込んできた。思わず停車してカメラを取り出す。前方にも同じことをしているライダーがいる。なんか急に冷めてしまい、一枚写真を撮り、その後は瞳の写真版に景色を焼き付けることにした。写真を撮ることも後々になって思い出すきっかけには良いが、その風景をその場で楽しむことがやはり、最高の贅沢といえるのではなかろうか。管理人は不器用なので、どうもどちらかに傾倒してしまう。
宗谷丘陵その1 宗谷丘陵その2
宗谷丘陵を離れ、国道239号線を稚内市街に向けて走り出すが、もう15時を過ぎているので、宿を探す時間だ。昼間でこの気温ではちょっとキャンプは辛い。ライダーハウスで決定だ。実は14年前にも最北端ミツバチの家さんにお世話になっている。こちらは駐車料金の名目で500円であったし毎日写真を撮影しており、14年前の自分も見てみたかったが、今回はみどり湯さんに予約を入れた。宿も決まって落ち着いたところでお決まりの空港ウオッチングを遂行するにあたり、稚内空港を訪れる。飛行機は全く飛んでいないが、空港に駐機しているだろうと駐機場を見てみると・・・。一機も無し。飛来する様子もないので、今回はパスして国道に戻る。ところで、国道に出るところに赤男爵のツーリングステーションというものがあった。その存在は知っていたが、実物を間近に見る機会がなかったので、ちょっと観察してみた。洗車場や車両整備場があり、バンガローはもちろん、キャンプサイトまで用意してある。もちろん男爵以外でバイクを購入した人でも会員登録し、またビジターとしても宿泊できるようだが、何か興ざめだ。普段できないことを、日常から抜け出して体験する。これこそがツーリングの原点ではなかろうか。私にはこういう所は場違いであることは明白だ。
さて、稚内の市街地に到着したが、まずは納寒布岬へ行こう。実はここも14年振りに訪れる。2006年は飛ばしていたのだ。14年前は看板が立っているだけの場所で、宗谷岬のような賑わいはなかった。しかし、0円マップを見てみると、最近はきれいに整備されてイルカのモニュメントがあるようだ。ん、警察車両が何台も走り回っており、警官がロシア人に尋問している。何かあったのかな。市街を抜けて程なくして到着。あれ、でかい土産物屋もあるなぁ。手前のうに丼で有名な食堂は前からあったのかな。Vストロームという珍しいバイクも停車されているぞ。きっと「濃い」人なのであろう。
果たして納寒布岬は0円マップの通りに整備されていた。おりしも陽が傾いてきており、遠く向こうには頂に雲を被った利尻富士が見える。碑の所に腰を下ろしてしばし景色を楽しむ。14年かぁ。1994年だから従兄の二番目の子供が生まれた年だ。今や14歳の中学2年生だもんなぁ。すっかり遊んでもらえなくなったのも成長の証だね。自分の子供でなくとも複雑な気持ちだから、従兄本人はもっとそう思っているはずだろう。
納寒布岬にて(看板は昔のものを使用しているようだ) このモニュメントは昔はナカッタネ
そろそろみどり湯に向かうとしようか。ひとまず岬を一周する形で今度は西側を走行する。道道254号線沿いには漁師の家が立ち並び、漁村を形成している。お、個人の家の名前がバス停名になってるじゃん。今までもしばしば見かけてきたが、写真に撮っていないので残しておこう。あと、家々にカエルの人形を並べて交通安全を呼びかけている。こちらもついでに。
中山さんが引っ越したらどうするつもりか? 帰るとカエルがかけてあるのですね
撮影後は左折して道道106号線に乗り換え、再び稚内市街地へむかう。坂を上る途中に「夕日ヶ丘P.A.」という場所がある。あと2時間弱で日没なので、荷物を置いたら見に来よう。能取岬で夕日を見て以来、ガラにもなく夕日好きになった管理人であった。
看板があるだろうとみどり湯を探すが見つからない。明らかに地図上の場所を通り越して、2006年に昼飯を食べたひな寿司まで来てしまった。こりゃダメだと一度南稚内駅にやって来て、よーく地図を見て位置を検討する。このような場合はむやみに走り回るのではなく、一度起点を定めて、そこからどちらの方向にどのくらいの距離と目的地を定めることが基本だ。結局夕日の見えるP.A.方面にもう一度戻っていくと、看板を発見したので事無きを得た。セイコマのある交差点を入ってすぐ左に曲がると、ありました。
ライダーハウスみどり湯入り口。隣は車庫
ここのライダーハウスは車庫があり、そこにバイクを停めることができる。既に3台ほどの車両が入っている。とりあえずは路肩に停車させて、ライダーハウスの看板に従い、奥まったところにある入り口へ。おばさんが座っており、宿帳を記入して宿泊料金1000円を支払った。その後バイクを車庫に入れて、荷物を上げておく。ここは床にごろ寝ではなく、ベッドが用意されている。リフォームしたばかりらしく、なかなかきれいだ。
内部の様子
宿泊者が一人だけ居り、荷物を片づけつつ挨拶を交わす。彼はCB1000SFに乗る北海道の人で、千歳空港近くのガソリンスタンドで働いているそうだ。ANAスカイツーリングで渡道してきたお客をよく目にするらしく、遅まきながら免許を取得しバイクを購入したそうだ。お盆を過ぎると北海道は急に寒くなるというが、この寒さはどうかと尋ねると、やはりこの気温は例年よりも低いということだった。14年前もお盆明けに涼しくなったが、ここまでではなかったと記憶している。また、おりからのガソリン高でライダーも例年より少ないそうだ。そんな話から始まって、今回のツーリングについていろいろと深い話を続けていく。
夕日を見に行くのでどうでしょうかと一応に声をかけてみたら、暇なので行きますとのこと。寒いので無理やりみたいで申し訳ないと思いつつも出発する。例のP.A.までは10分弱で到着し、沈み行く夕日を眺める。すると突然CB氏が思い出したように「今日私を追い越していきましたね?」と尋ねてきた。そういえばよくよく考えてみると、猿払村あたりで、白いT社の車をチギッた際にCB1000SFを追い越した気がする。思い出した。CB氏曰く「後姿がどうも見たことがあるので、ピンときた」と。TDM900は相当珍しいバイクなので、悪いことはできないね。
夕日を見ながら、北海道の話をいろいろと伺った。北海道ではバイクに乗ることができる期間は6ヶ月くらいで、CB氏の場合は乗らない期間はバイク屋に預けているそうだ。そこへいくと管理人は一年中乗っているので、とても恵まれている。夏にちょっと旅行に来るには楽しい北海道であるが、住むとなると大きく話しは変わってくる。また、家族もいるらしく、バイクで泊まりツーリングは実は初めてだそうだ。もちろん寝まわしは完璧のようで、海水浴に2日連続で出かけてきたそうだ。管理人はというと・・・、そういうことです。いざ、夕日が海に沈むという段になって、雲が出てきた。流れていくことを願ったが時間がきてしまった。
夕日ヶ丘P.A.から
急に寒くなってきたのでみどり湯に戻り、隣の銭湯で体を温める。ところで、丁度銭湯料金が数十円値上げされたばかりで、400円であったと付記しておこう。
ところで、ここみどり湯では強制参加ではないが、21時からミーティングがあるそうなのでそれまでに飯を済まそうと思い、またまたCB氏にお付き合いいただいた。近くの居酒屋に入り、いくら丼とおかずを注文した。CB氏は「ざんき」なるものを注文していたのでそれは何かと尋ねたら、「鶏のから揚げ、鶏のから揚げ、鶏のから揚げ」(古い)。しかもざんきには骨付きと骨なしがあるそうだ。この名前は初めて聞いた。
さてミーティングの時間である。本日の宿泊者は8人であり、一人ずつ自己紹介をしていく。うち一人が「ウクライナのキエフ」出身の女性であった。彼女は日本語が多少理解でき、アメリカ留学経験も手伝って英語も解るそうだ。管理人がつい彼女の国を「ロシア」と言ってしまったら「ウクライナだ」と念を押された。こういう民族の観念が、単一民族の日本人には希薄なことは今更言うまでもないが、まさかツーリング中にそれを思い知るとは思わなんだ。また、JAPANという芸者が表紙になった英語版のガイドブックを持参しており、地元の項を見せてもらうとなかなか地元の人でも知らないような場所が掲載されていた。これはこの本が口コミの情報を基礎に構成されており、故に海外からの旅行者が興味を持つ場所が主に載っているということなのであろう。こういう風に客観的に自国を観察することも面白い。この本を購入しても良いかも?
ということで、みどり湯はその口コミのお陰で掲載されており、海外からの旅行者がしばしば訪れているようだ。経営者のおばちゃんも最初はなぜかさっぱり理解できなかったそうだが、JAPANを見て納得したということだった。
ライダーはというと、茨城からの三人組、浜松の写真屋さん、京都の大学生君、CB氏、そして私管理人である。この浜松の写真屋さんが納寒布のVストロームの方で、しかも650だと言うから驚きだ。納寒布岬で無敵のうに丼を食べていたらしい。茨城の方々は職場の同僚で仕事の間隙をついて渡道してきたそうだ。内一名は行きのフェリーで睡眠を邪魔されたらしく、寝不足ということで先に休んでしまった。京都の方は夏休みで、金がないけど時間はあるのでという典型的な大学生君だ。CB氏は前述の通りで、ここでは省略する。私はなぜかウクライナの女性と仲良くなって、いろいろと話しを聞いた。笑えた事が「サッポロクラシックを飲んで、日本に旅行に来ようと決意した」そうだ。人間ってそんなもんだよなぁ。あとボランティアで子供のキャンプの引率をしたりしているそうだ。帰国は未定らしい。本当はライダーの方々ともっと話をしたかったが、こういう時に限って女性に「縁」があるから困ったものだ。今更思うと「もっと仲良くなっておけばよかった」といつものように後悔する管理人であった。
本日の宿泊者と
(写真はみどり湯提供)
ところで、ここみどり湯はおばさんがブログをやっており、毎日の宿泊者の写真を掲載している。管理人が滞在した8月20日も当然あります。URLは「http://www.sky.sannet.ne.jp/midoriyu/」です。
本日の走行 300km