2. 2日目(8月15日)
朝5時頃トイレに行くが外は無常の雨模様であり、トタン屋根がバラバラと音を出している。件の4畳半部屋は2階にあったのでそろりそろりと階段を降りるが、容赦無しに「ギシギシ」と音を立てる。相当に古い建物のようだ。用を足して再び眠りにつく。再起床するとすでに7時を回っている。外は相変わらずの雨模様だ。ともかく寝袋をたたんで今後の天気の動向を監視することとしよう。それにしても新調した寝袋はなかなか性能が良いようだ。けっこう薄っぺらなので大丈夫だろうかと心配したが、窓を開けっぱなしで寝てしまっていても寒いどころかやや暑い程であったと付記しておく。
ひとまず談話部屋でテレビを観て天気予報を確認する。日高の南部方面は辛うじて回復傾向にあるようだが、他は全くダメのようである。宿泊者の中には「札幌まで電車で出かけて観光でもしようか」という方もみえたが、もう暫く待って今後の行動を決定しよう。そんなこんなでテレビを観てウダウダしていると、なんとか雨も上がった。
この期を逃す手はないと皆一斉に出発準備を整える。TT-R氏はじめ、宿泊者の大半は各々の目的地へ向かって旅立っていかれた。私管理人はというと、目的の方向を定めきれずに悩んでいたが、結局天気予報を信じて襟裳岬方面を目指すべく、荷物の搭載を開始。ところで、宿泊者の中に無口な感じではあるが、柔和な表情をされたややご年配の方が見えた。その方はなんとRG500γのエンジン始動儀式の最中であった。興味深々で眺めていると、30回目程で2ストローク独特の音、煙とともにエンジンが目覚めた。今や全くもって旧車となっているが、ほぼフルオリジナルの形でツーリングに使用されている機体はめったに見かけることは無い。やはり北海道は何か違う。
そんなことをしていたら、結局ほぼ最後の出発者になってしまった。おばさんにお礼を申し上げていざ、heading120で襟裳VOR/DMEを目指す。まずは千歳の滑走路に並行に走行し、B737やA320らしき離陸機を横目に快走する。天気は・・・イマイチ。道道10号線にてショートカットして国道235号線を要求し、承認。街から離れて一気に農村になるが、ここで雨が降り始めた。暫くは止むものと期待して?走っていたが、限界。さっさと14年モノの合羽を着ることとなる。実はこの合羽、ズボンのマタの防水テープが剥れてきていたので、目止め剤で補修しておいたものだ。しかし、生地はかなりヨレヨレで「このツーリングが最後のお勤めとなるか」と考えていた。当時、初めての北海道ツーリング用として1万円程度で購入したものと記憶している。ブーツカバー、グローブカバーもセット内容になっている「ケンツ」の製品だ。メットのシールドも防水処理をしてあるので、水滴が視界の邪魔になることもなく、なんとか歩を進める。
ひとまず、昨日フェリー乗り場のある苫小牧東港を通過。この先はいよいよ14年振りにやってくるエリアだ。14年前というと大学3年生の頃だな。あの当時はいろいろとあったなぁ。Iのうえさんが寄ってきたり、M岡さんに「かわいい」とか言われて頭撫でられたりと結構楽しい時を過ごしていたと、今更ながらに思えてくる。しかし、このまま進学できるかとか、強度な圧力もあったことも事実で、そんな狭間で出かけた北海道ツーリングであったのではないかな。今であれば考えてどうにかすべき部分と、流れに身を任せる部分をある程度区別できるが、若かりし頃はもっと一途だったんだなぁ。
そんなことを考えつつ太平洋側の国道235号線、通称サラブレットロードを走行していく。この沿道には競馬ファンの方ならご存知の場所で、ダイユウサク、マチカネタンホイザ(古い)などの競走馬を育てた牧場が点在する。雨は降ったり止んだりで、合羽は着たままであるが、視界は悪くない。左にやや荒れた海、右には広大な牧場と北海道らしい光景が広がる。時々、ガードレールのポストにカモメが佇んでいるところを目にする。その顔は結構精悍な顔をしており、哲学的な目をしている。こんなに近くで見るのは初めてのことだけに、嬉しい発見であった。
お、燃料が残り少なくなってきたな。というわけでスイカップならぬ新冠で、お決まりの「ホクレン」のスタンドに入り給油する。値段的には地元と大して変わらない。苫小牧に製油所がある関係だろうか。ホクレンに入ったのは言うまでもなく、旗とスタンプが目的であるが、今年は旗が無いらしい。ハタと我に返ってがっかりとした。まあ、スタンプ帳はあるのでよしとしよう。ところで、スイカップといえばF瀬絵里という人だったと記憶しているが、どこへ行ってしまったのか?
さらにそこから40km程進んだところで昼飯とする。丁度道の駅みついしという施設があった。雨も完全に上がったのでカッパを脱いでみると、な、なんとズボンのマタが濡れているではないか。ありゃ〜、補修できないほど合羽が痛んでいたのね。おいおい、また何時雨が降り出すかわからないこの状況では、直ぐに新しいものを調達しないといけないではないか。ああ、なんたること。ともかく腹が減っていては冷静な判断ができない。ツーリングにおいては、失敗を嘆いていては何にもならないのだ。いかに対策を施し、体制を立て直すかが重要なのである。
ひとまず飯にしよう。北海道なので味噌ラーメンを注文する。道の駅なので、味はソコソコだが、この際仕方ない。隣の建物にゆでとうきび(とうもろこし)の看板も出ているが、そんな気分ではない。地図を眺めつつ大きな街がどこにあるかを検索してみる。すると、「浦河」がこの先にあることが判明。バイク用のものは無いとしても、漁業関係者が用いるような重使用に耐えうるものならばきっとあるはずだ。そう思うとラーメンも旨く思えてくるから不思議だ。よくよく窓の外を見てみると、この道の駅裏手はキャンプ場のようだ。また、国道の向こうには馬が走っている姿が見える。落ち着くと急に周囲が見え始めたのだった。
普通の味噌ラーメン 奥の柵向うに馬が数頭見える
人間とはかくの如く、精神的な要因が思考力や行動様式に大きく影響を与えるものらしい。少々下衆な話だが、旅行に出てからというもの快眠・快便なのだ。大した仕事をしているわけでもないと思っているのだが、それなりの不自由を感じているらしい。自分でも気が付かなかった。
マタの部分に加え、やはり靴下も濡れてしまっている。適当に馬なぞを眺めつつ、風に当たって乾かす。駐輪場をみてみると数台のバイクが停車してあるのみだ。今日は雨だから少ないのか、はたまた盆も終わりに近いのでライダーは帰ってしまったのか、どちらにしても近年バイクに乗る人の数は、以前と比べて横ばい程度なのであろう。
ソフトクリームを食べて、糖分を補給し再出発する。とりあえずは浦河の街で合羽を調達しないといけない。ところで、管理人は海沿いの道は単調なので苦手だ。お陰で疲労感も倍増というところである。まあ、天気の都合上こちらに来ているので贅沢は言えないし、ここは北海道はサラブレットロードなんだ。気楽に馬を眺めつつ走ろうではないか。
話は逸れるが、浦河の街は当日お祭りがあるらしく、浴衣や派手な服を着た若い女性が闊歩していた。別に北海道では管理人のような荷物満載のツーリングライダーは珍しくないはずだが、何かジロジロと見られている。恐らく髪の毛がボサボサで小汚いからであろうと推測される。ところで、小奇麗なロングツーリングライダーっているのだろうか。
合羽の方は大型店舗の雑貨コーナーに数種類のものがあり、その中で軽量素材を用いた、かつ防水対策の比較的しっかりしたものを2990円で購入した。これでひとまず心配事は消えたので、襟裳岬へ一直線。
襟裳岬までは特に何もないが「アポイ岳」なる山があったので、ジャイアント馬場の「アッポ」という句が頭の中に浮かんでは消えた。それにしても天気が回復して嬉しいぞ。
襟裳岬には14年振りにやってきたのだが、記憶とほぼ違わない姿である。風の館という建物があったかどうかは覚えていない。ひとまず丘の上に上ってみよう。確か14年前も夕方到着し、こうして岩場を見たような気がする。ああ、この看板があったなぁ。思わず懐かしくなり、パチリ。
襟裳岬の看板にて(表情が写らなくて残念) 岬より様似方面を見る
本当は岬の先端まで行くことができるのだが、遠くから見るだけで満足してしまい終了。さらに今夜の宿泊地を決定しなければならない(別に焦ることもないんだけどね)。よくよく考えてみるとこの近くに百人浜キャンプ場があるじゃあないですか。結局14年前と同じ様式で決着した。
そうと決まれば早速出発だ。道道34号を北上してキャンプ場へ向うわけだが、この道がなかなか良い。というのも、周囲が熊笹で覆われており、その左手は山、右手は海とあまり本州では見かけない不思議な光景が広がるからだ。時々牧場なんかも現れる。0円マップにも掲載されているスポットだ。
百人浜オートキャンプ場には15分程で到着し、受付を済ませる。サイトは記憶よりも小さく感ずるが、雰囲気はそのままだ。既にテントを張り、洗濯まで干している方も見える。テントを張るべく、とりあえず奥のエリアに用地を確保・設営を行う。14年前はもっとギチギチに混んでいたと思うが、今日はスカスカだな。嬉しい限りだ。
百人浜オートキャンプ場の様子(一番奥の小さいテントが管理人のもの)
テントを張り終えて、風呂に出かけようと思ったが、先に晩飯の買出しに出かけないといけなかった。コンビニがたくさんある国道沿いで何か買っておくべきだった。管理人は何事も後回しにする習性がある。そういうことも時に必要であるが、基本はやれる時にやるべきことをやっておく方が後々になって何かと都合が良い。今回もその一例だ。さて、キャンプ場の案内図によると、この近所には襟裳岬方面に5km程戻った場所に商店があるらしい。なんだ、戻るのか、と益々落ち込んでしまうが、気分良い34号線をもう一度楽しむ気持ちで行って見よう!
商店に到着し、フルーツ缶やレトルトカレー、ついでに明日の朝飯のカロリーメイトも購入しておく。ところで、商店の周りには漁師さんの家と思しき集落があり、お母さんが赤ちゃんをあやしていたり、浴衣を着たお姉ちゃんがいたりする。どうやら今日は花火があるようだ。それにしてもこの辺りのお母さんは若い方が多いなぁ。婚期が地元よりも5年以上は早いのではないかと思われる。こちらが本来の姿なのだろうか。
またまたキャンプ場に戻る為に道道34号線を北上する。お、キツネがゴミをあさっているではないか。だめだよぉ、こんな所にゴミを捨てては。キツネが人間の食べ物の味を覚えてしまい、狩りをしなくなっちゃうじゃん。それは冬に死んでしまうという可能性を含むことになるんじゃあないか。北海道では特にゴミの捨て方には気をつけないといかんな、と再認識しておいた。
キャンプ場に戻り、すぐに風呂へ出かける。幸い歩いて行くことができる距離内に、高齢者センターなる施設がある。そこに銭湯が併設されているわけだ。料金も300円と安い。キャンプ場にもシャワーがあるが、やはり湯船に浸かって疲れを癒したいと考えるのが人情ってもんだ。風呂は簡素な造りで、大きな湯船に洗い場が6、7席ある。ただ床面積が広いので窮屈感はない。洗い場には石鹸しかないのであるが、たまたま隣の方が同じライダーであり、親切な方であったのでシャンプーを頂戴した。彼は色黒で、ガタイの良い、一見すると怖そうな様相を呈していたが、その内面たるや非常に穏やかな方であった。
風呂に入ってさっぱりした後はいよいよ飯だ。管理人の場合、米をコッヘルで炊くわけだが、この時点で既に19時近くになっている。一日の走行を終えているので腹ペコだ。そこで登場するのが「魚肉ソーセージ」である。今回は太いものを4本購入し、そのうち2本をかじりながら米を炊いた。同ソーセージは日本人に不足しがちなカルシウムやDHC(デハビランド・カナダではない)ことドコサヘキサエンサンという「頭が良くなる」と言われる栄養分を含んでいる。こうして先に栄養素を補給しておくと何かと冷静に考えがまとまることが多い。特に旅行では様々な状況に対して冷静に対処する必要があるので、完全なすきっ腹は避けた方がよいと思われる。ご飯が炊けた後はお湯を沸かして味噌汁を作る。今日の晩飯はこれでおしまい。この後、黄金週間の紀伊半島ツーリング時に購入していたココアを入れて、一息ついた。
本日は生憎の曇り空で星はぜんぜん見えない。もっとも北海道の太平洋側は夏は霧が出やすいので、完全な晴れ状態は少ないと思われる。それにしても天候の変化と、慣れない泊まりツーリングで疲労困憊である。向こうのほうでは、先ほどシャンプーを分けて頂いた方がその隣の方と飲んで、語っているが、今日は合流するのは止めにしよう。そうして明日のフライトプランの作成もそこそこに21:30頃に寝てしまった。
本日の走行 250km