北海道紀行2(2006年7月29日〜8月4日)

 

第7日目

 

7時ごろ起床し、トイレに行くと談話スペースではすでに宿泊者同士の交流が始まっていた。私も参加し、笑い話等を披露する。ツーリングライダー同士はお互いに打ち解けるのが早い。いや、昔から友達だったのかというくらいに見えると思う。おそらく孤独な性分故になせる業であろう。たいていの場合はその場限りで、二度と会うことは無いが、極まれに住所などを交換する場合がある。今回は京都府在住のニンジャ氏とメールアドレスを交換した。12年前はパソコンも携帯も普及しておらず、ほとんどが住所であったことを思い出した。前回の北海道ツーリングはふた昔前のことなのだ。

いよいよツーリングも終盤に入ってきた。クレッセの管理人のおじいさんと出発前に記念写真を撮る。

 

 クレッセのご主人とR1-Z氏 お世話になりました。

 

他の宿泊者も同様に出発していった。さて、今日は南下してできるだけ小樽に近いところまで進みたい。R1-Z氏は「登別の湯」というフレーズにかなりご執心であるので、登別が目標だ。尚、12年前のツーリングでは同所で財布をマルゴト落としてしまったのを付け加えておく。さて、南下していくが、どうもおかしい。太陽を左横から受けて走行するはずが、太陽に向って走っている。道を間違えた。このままでは襟裳岬方面へ行ってしまう。悪くも無いが小樽に少しでも近いところにいないと、あとで慌てることになるので、泣く泣く引き返し、映画「鉄道員」の舞台となった幾寅駅へ向う。高倉健と広末涼子が主役級で、志村けんなんかも出演しているらしい。同駅には撮影の様子を写した写真や、建物も保存してある。地元の人も一大イベントであったのだろう。全面的に撮影に協力しているようであった。管理人も駅のトイレで用を足す。「高倉健もここで用を足したのであろう」とひとりほくそえむ。

幾寅駅は現役の駅だが、列車はほとんど来ない。無人駅なので、線路に下りて写真を写していてもまったく問題は無さそうだ。ただし、事故には十分注意する必要があることを申し上げておこう。

 

   

 

鉄道員ロケ地「幾寅駅」の様子。線路に降りてはいけません。まねをしないように。

 

正規のルートに戻り、南下を続ける。だんだんと街になってきた。そろそろ昼飯の時間なので、例のセイコーマートでおにぎり等を調達する。この店舗にはたまたま屋根つきの即席休息所があり、そこでくつろぐ。二人でだべっているとカワサキTR250に乗るうら若き女性がやってきて、ご一緒することとなった。普段は女性には全くと言ってよいほど縁のない管理人は何か落ち着かない。彼女は登録制の派遣看護士で、今は苫小牧の病院に勤めているらしい。話の流れから当方が軽い不整脈であるということになり、「診てあげましょう」ということでやわらかな手で脈をとってもらう。相当に脈拍が上がってしまったと思われるが、「問題ないですね」ということであった。このツーリングの思い出ナンバー1に匹敵する出来事であった。R1-Z氏は写真をとってやると意気揚々であったが、当方は恥ずかしいので丁重に断った。今思えばもったいないことをしたが、恥ずかしいものは仕方がない。彼女は今どこに勤めておいでか?

さて、いよいよ苫小牧にやってきた。苫小牧は製油所などもある北海道では大きな都市である。12年前は東へ向ってここを通過している。今回は逆の西へ向って走り出す。街の渋滞を避けるためにバイパスを通り、海沿いの道へ出てきた。潮風爽快、天気も上々でこの上ない状況だ。海岸にバイクを止めてしばし寝転がって休息す。上空を千歳にアプローチする飛行機が続々と通過していく。さて、恒例の今晩の宿探しにかかった。北海道最後の夜になるので、ライダーハウスに決定した。10km程のところに虎杖浜の若湯温泉がある。ここに決定し、早速予約を入れると、今日は我々だけで個室を利用できるというおまけ付であった。ばんざ〜い。

宿で落ち着いてからR1-Z氏の要望で「登別温泉」へ出かけた。宿の温泉にももちろん入るつもりだ。ご主人から「さぎりの湯」をおしえてもらい、出発する。同湯は実は12年前にも入浴している。白濁した湯で、相当に硫黄分が含まれているものと思われる。我々は温泉といえば、しょうもないことをうだうだと話し、長湯するのが常であるが、北海道ではどうも勝手が違う。温度が高いのだ。こちらの方々の好みなのであろうか。はたまた、冬を基準に考えているのであろうか。カラスの行水よろしく、さっさと上がり、サイダーで乾杯。胃の検査よろしくゲップも豪快に。

 

 登別温泉「さぎりの湯」にてR1-Z氏の図

 

宿に戻ると近所のおばさん連中が湯に入りに来ていた。どうやら地元の銭湯として機能しているようだ。晩飯は今日捕れたマグロの刺身だ。うまいのなんのって、当方刺身にはめがありませんので。そうこうしているとGSXR氏の登場。彼は仕事休みの前日に室蘭から通ってきて、温泉に入り、疲れを癒していると言う。毛がにを持参しており、我々にも勧めてくれた。そんな高いものいいのかと思いつつ、遠慮なく頂く。同氏はマッサージ師で、以前は物書きをしていたらしい。我々も一応物書きであるので話が盛り上がり、結局日にちが変わる頃に就寝と相成った。

 

本日の走行 300km

 

第8日目

 

いよいよ北海道最終日が来てしまった。本当に楽しい時間は過ぎるのが速い。宿の前でGSXR氏等と共に記念撮影。

 

  

            管理人とGSXR寺井氏             R1-Z氏          R1-Z氏、若湯を手伝うおばちゃん、管理人

 

あと、R1-Z氏が事務所に上納金を、いや土産を送るということで、宿のご主人が知り合いの海産物店を紹介してくれた。この店は猟師さん直営店で、50cmはあろうかというホッケの一夜干しが200円???嘘でしょうという値段で売られていた。ともかく激安店の上をいっている。まさに「シンジラレナァーイ」。

フェリーは今日の夜中に出航するが、最後の日を慌てるのは嫌なので、余裕を持って走行したいのだが、、。まずは室蘭の地球岬へ。また余談だが、当方の地元には新日本製鉄名古屋製鉄所があり、私の親父をはじめとして、近所の人はほとんど製鉄所に勤めている。小学校時代にも室蘭等からしばしば転校生が来ていたことを思い出す。

 

  

 三枚ともに地球岬にて

 

北海道の太平洋側は霧っぽいのが常であるが、この日はかなり恵まれていた。また、芝が青く、風になびいている光景はまさに「風が見える」というものであった。我々ライダーは風をきっているが、風を見る機会は少ない。R1-Z氏は今日もハイテンションだ。

この後、山を越えて北上して小樽へ向う。ジェット浪越の銅像や、細川たかしの真狩村を通過。この頃から霧雨が降り出し、このツーリング二回目のカッパの登場と相成った。

 

 ジェット浪越氏に癒される管理人

 

管理人は12年前の宿題である積丹半島周回を希望していたが、雨と時間の都合でまたも断念した。次はいつになるのであろうか。小樽に入る頃には雨も上がり、晴れ間も見えていた。せっかくなので、おしょろのご主人にも挨拶をしていよいよ港へ。北海道の走行は終了した。

最終日は軽くと思っていたが、結局いい距離になってしまった。予定は未定である。

 

本日の走行 350km

 

第9日目

 

フェリーではおととい富良野で同宿であったニンジャ氏と偶然再会。どこからともなく数人のグループができ、大反省会となった。フェリーは寝るのがほとんどだが、大変楽しい時間を同じライダ同士で共有できたのは嬉しい。

フェリーは夜中に舞鶴に接岸。にわかグループで記念撮影後解散となった。

 

  舞鶴港にて、管理人、ニンジャ氏、R1-Z氏他フェリーの仲間達と共に

 

第10日目

 

フェリーを降りて、後は家に戻るだけだ。行きのような走りをする必要もない。無事に帰ることのみに集中して帰宅。

 

本日の走行 250km

 

まとめ

 

12年ぶりの北海道はまさに最高であった。今回は道北メインとなったが、次回は是非に道東へ行きたい。宿題の積丹半島も終えたいものだ。それにしてもライダーの数は確実に減っているようだ。これは他の北海道常連ライダーも同様に感じているようで、若い人たちがこのようなツーリングを好まなくなり、オートバイをファッションとして捉えていて、ロングツーリングには出ないからであろう。また、ライダーハウスもその形態を変えつつあるようだ。12年前は500円程度で雑魚寝というスタイルが多かったが、近年は食事付きで1500から2000円、場合によっては数名の相部屋であることが多い。これは上記要因に加え、ライダーの年齢層の変化も関連しているようだ。これは400cc以上のオートバイに乗れる免許、いわゆる大型自動二輪免許が自動車学校で取得できるようになり、リターンライダーが増えている、つまりある程度資金的に余裕のある人たちが趣味としてオートバイを楽しむ傾向が強くなってきたからであろう。ライダーハウスもそうした方々の趣向に合わせて展開されているようだ。

ともかく、ライダーはとかく白い目で見られがちだが、こうした楽しいものである、決して反社会的な乗り物ではないということを主張しつつ、今後も北海道をはじめとする各所で楽しくロングツーリングをできる環境が整備されていくことを、そして永続することを願って止まない。

 

総走行距離 2300km

 

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