北海道紀行1 (1994年8月3日〜1994年8月24日)

第20日目

 

   ライダーハウス出発前の図

 

今日も良い天気だ。管理人はどちらかと言うと晴れ男の部類に入ろうか。一人の時は大抵晴れる。さて、どうしたものか。そういえば、まだ札幌を訪れてはいなかったので、時計台を目指す。北海道に来てまで、渋滞は嫌だ。そもそも札幌は名古屋を真似て造られた街だ。そんなものどうでもよい。時計台に向っていると、なにやら大きなモニュメントらしき物体を発見。どうやら開拓記念館らしい。有料なのでパス。日程が終わりに近いので、残金も終わりがちかいのであった。さて、時計台についたものの、中は工事中。結局外からその見慣れた外観を見て終わった。

 

  

            開拓記念館の建物                                                 ご存知時計台

 

さて、今日は早めに宿を探そう。同じ札幌市の豊平区に大自然の家というものがある。決定したのはよかったが、やたらに道が混んでいてなかなか進まない。仕方ないので、給油して気を取り直した。そのスタンドで現金カードを作る書類に記入を頼まれたので、明日帰る旨を伝えたが、とにかく書いてくれと言うので、書いておいた。ノルマがよほど厳しかったのであろうか。さて、その大自然の家だが、尖った屋根の建物でなかなか良い、と思ったら中は汚いぞ。しかもハエが多いではないか。今更宿変えも面倒だったので、さっさと風呂に入った。五右衛門風呂で、釜茹の気分が味わえた。このライダーハウスには「クマサン」と呼ばれる人が連泊していた。連泊長とも呼ばれていた。ライダーハウスの連泊者は普通横柄な者が多いそうだが、彼は米を炊いたり、晩飯の代金500円を徴収したり、風呂の湯加減を調整したりとかいがいしく働いていた。どうやら連泊の代金を働いているようだ。他にもヘルパー2号、3号と呼ばれる人達もおり、同様に連泊していたようだ。この日の晩飯はジンギスカンの炭焼きで、200円プラスでビール1本だった。最後の夜なので、珍しくもビールを飲み、ジンギスカンを食らった。クマサンの炊いた飯も旨く、ついつい食べ過ぎた。当日の宿泊者は20名ほどで、にぎやかな宴会となった。

 

 五右衛門風呂が珍しくて、おもわずニンマリ

 

この宿のオヤジがまた面白く、冬は沖縄で過ごすらしい。驚くことに還暦近いというのに、子供をつくったそうだ。羨ましいやら呆れるやら。さらに飯が終わって皆で後片づけをし終わり、建物内で盛り上がっていると今日小樽に上陸したというオフ車に乗る女性が独りで登場した。驚くこと勿れ。北海道ではさほど珍しいことではない。彼女は荷物を降ろし、身支度を整えると我々との歓談に参加した。しかも、たまたま管理人の居た4人程集団に参加し、大いに盛り上がった。管理人は当時は彼女イナイ暦が21年で、女性と話すことは楽しいにもかかわらず、恥ずかしさいっぱいであった。しかし、前述のビールが回っていたせいか、驚くほど饒舌に会話をしていた。北海道最後の夜の良い思い出となったことは言うまでも無い。ところで、女のバイク乗りは非常に変わり者が多いことをご存知であろうか。管理人の経験上、10人いたら7人は変わり者と思って間違いない。このことは前述の彼女が言っていたし、よくよく考えるとその通りであった。特に北海道に単独で来る者なんてのは、さらに変わり者であることは言うまでもなかろう。何が変わっているかって??それは実際にお会いして、話してみればすぐに解ります。また、現在バツイチの管理人はよく「同じバイクを趣味とする女性を探したらどうだ」と進言されるが、トンデモナイ。もう女性とは深い関わりを持つ気は毛頭ないが、仮にあったとしても絶対にバイクには乗らない人がよい。と付け加えておこう。

 

第21日目

 

北海道の最終日がやってきた。このライダーハウスではコーヒーを出してくれる。インスタントであるが、有難い一杯だ。ここで料金を徴収される。700円だったかな?さて、出発準備をして記念撮影をする。SRX6の方がキック一発始動でマシンに火を入れた。素晴しい、感激だ。試しに管理人も挑戦するが、NS50F以外にキック付車は乗ったことが無いので、エンジン始動どころかキックを踏み降ろすことさえできなかった。「ケッチン」を恐れていたためだ。因みにケッチンとはkicking backがなまったれっきとした日本語あることを紹介しておこう。

 

  仲良くなった面々と記念撮影

 

管理人は19時30分の小樽発のフェリーに乗船するので、17時頃に港に到着していればよいことになる。午後からは洗車したり、土産を調達、発送したりと忙しいので、余裕を持って午前で走行は切り上げる予定だ。結局支笏湖、オコタンペ湖に行って、そのまま小樽港手前のスタンドに立ち寄り、給油ついでに洗車した。

 

  オコタンペ湖にて

 

北海道の汚れのみをきれいに洗い流して再び本州の地に戻る儀式だ。想い出は満載だ。ところで、北海道でも街中は結構暑い。とくに1994年は猛暑で有名な年だったので、汗をかきかき洗車した。この間、全行程を思い出していた。途中天気は崩れたが、概ね良好であった。出会った人たちは面白い方達ばかりで、和琴キャンプ場で宴会をした人には隣の町の人もいた。(彼とは翌年の春に偶然再会した。)温泉で写真を撮ったのはこの時以外には2007年現在でもない。とても貴重な体験であった。洗車後は土産を調達した。タンクバックを贈呈してくれた梅澤氏には特大の白い恋人を購入し、自分用にも小さいものを加えた。さらに当時好意を寄せていたI朋子氏にラベンダーの香りのする入浴剤を用意した。我ながら大胆な考えであったと思うが、旅の恥は掻き捨てであると勝手に納得していた。さて、小樽港に到着したが、まだ時間があるので、運河をブラブラして時間を潰した。

 

   小樽運河とGPX

 

小樽運河の両岸にはレンガ造りの倉庫が並んでおり、風情がある。これだけ大規模なものは日本では少ないであろう。そんなことを考えながらふと今回の旅の意義を考えてみたり、感傷にひたってみたりと忙しかった。なんにしても今日で北海道を去ることがあまりにも寂しい。本州よりもはるかに早くから吹く秋風もそれに拍車をかける。管理人はこういう状況には非常に弱い。北海道にツーリングでやってきて、そのまま居つく人がいるという事実にも頷ける。仕事は腐るほどある。畑の手伝い、漁師の手伝い、牧場の手伝い、スキー場、数えたらキリが無い。ただとても大変な仕事であることが決断を鈍らせるのであろう。地元の人でさえ、流出していくほどだから。

そうこうしていると乗船時間となる。大抵フェリーは出航1時間半前までに手続きをする。フェリーにはバイクの他にも乗用車、一番多いのはやはりトラック、トレーラーの荷台だ。バイクは端っこの方に整列して固定される。そのあとトラック、乗用車が入ってくるという寸法だ。つまり、バイクは一番最初に乗船できるのだ。管理人は長距離フェリーは初めて乗船した。長さが100m位あって、16000psのディーゼルエンジンを2基搭載している。今回は一番安い2等船室をとった。ここは30人くらいの人達が雑魚寝で過ごす。プライバシーは無いが、その分周りとの交流は増える。

19時30分、蛍の光で出航する。もう辺りはすっかり暗くなっており、小樽の街の灯りが点々と星の如く光っている。次にここに来られるのはいつのことか。一ヶ月近く滞在していた訳だが、結局積丹半島と知床峠の南半分と羅臼は宿題となった。先にも書いたが、本当に名残惜しい。

まあ、そうは言っても腹が減ったので食堂で飯にする。高いのは仕方ない。コンビニの弁当を買いこんでいる輩も多いが、管理人はどうもあの薬臭い食べ物と呼ぶにはあまりにも粗末なものは好かん。食い物はケチらない、これが政策だ。次は風呂だ。風呂は時間が決まっていて、確か2時間位しか開いていない。行ってみるとかなり込んでおり、湯船も洗い場も満員、イモ洗い状態だ。湯船のお湯も船の揺れと一緒にタプンタプンしている。なんとか一通りの儀式だけ済まして船室に戻る。やることも無いし、第一疲れが溜まっている。早々に寝ることにした。エンジンの細かい振動が船全体に響いている。当たり前だ。エンジンは船にマウントしてあるからだ。解っていても気になるが、慣れてきて眠りについた。

 

第22日目

 

船のエンジンの振動で目が覚める。航海は35時間かかり、新潟に寄港する。2晩を過ごさないといけない。なんとなく船の中をブラブラする。デッキに出て、潮風に当たる。やることは無いし、いや、無いことはないのだけどこうしていたい。北海道の余韻をできるだけ多く残したい、それだけだ。それに飽きたら眠くなってきた。昼寝しよう。昼に寝すぎると夜に寝れなくなるのであるが、仕方ない。3回これを繰り返していたら夕方だ。新潟に寄港していたようだが、寝ていたのであまり覚えていない。夕日を見に4度デッキに出る。進行方向に対して右手に夕日が落ちる。デッキでは最終日の夜に泊ったライダーハウス大自然の家にヘルパーとして滞在していた方達と再会。写真を撮って夜中まで語り明かす。こっちは暇な大学生だが、お二人とも会社を辞めてこのツーリングをしていたそうだ。個人的にはその価値は十分あると思っているが、周囲の人たちからはいろいろ言われ、社会復帰も考えないといけないらしく、結構大変そうだ。今どうしておられるだろうか。

 

 ヘルパ2号さん、管理人、ヘルパ3号さん?と共に夕日の差すデッキにて

 

第23日目

 

フェリーもだんだん飽きてきた。今日の早朝に敦賀港に到着だ。早くから起きて下船準備を整える。因みにバイクは一番最後だから焦る必要はない。大体到着して1時間は待たされるそうだ。慣れた人たちは全く焦っている様子が無い。ぎりぎりまで寝ている作戦をとる輩もいるくらいだ。大丈夫か??とこっちが気を揉んでしまう。

ほぼ20日振りに本州に上陸した。なんか地面が揺れている。これがうわさの陸酔いだな。少し慣らしてから出発。そのまま北陸道の木之本ICに。途中なぜか雨に降られたが、無事に家に着いた。これにて全日程が終了した。それにしても暑いなぁ。風呂にでも入ろうか。ん??なんで水が貯めてあるんだ??水道から水が出ないよ??ああ、断水がどうのってラジオで言っていたなぁ。一気に現実に戻された。幸い飲み水は冷蔵庫に用意してあり、不自由なかったことを家族に対する感謝の意と共に付け加えておこう。

その後、しばらくしてカゼを引き、そのまま入院してしまった。どうやら疲れが相当きていたようだ。なんにしても無事帰宅できたことが一番嬉しい、それがロングツーリングの究極の目標であることを実感できた。

 

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