北海道紀行1 (1994年8月3日〜1994年8月24日)

第17日目

 

今日も寒さで目が覚める。昼間は結構いい気温になるが、夜は冷える。気温差には注意が必要だ。さて、足寄から茶路川沿いに下るのもよいが、ここは10日程前に走っている。イッチョ道東林道を走ってみよう。ここはオン車でも走れる道だ。GSが少ないとあるので、補給を済ませておく。なかなか趣のある道だ。荷物が重いのが残念だ。ハルニレの木へ寄り道する。天然記念物だったっけな?

 

  ハルニレの木

 

浦幌から音別へと再び太平洋側の道を走る。今回も曇りであるが、霧も無いので景色もよい。白糠からキリタップ岬を経由して再び釧路へやってきた。途中涙岩に寄ってみる。数日前にも通過はしているが、霧と動揺で素通りしてしまったのだ。この涙岩とは、女性の泣いている横顔に見える岩で、それだけのことだ。

 

  涙岩

 

昼はまた和商市場へ行ってみる。今回はにわか友達のNEWCB氏と一緒になった。氏と二人でウニとイクラを購入し、半分ずつ分けて2色丼とした。豪華な昼食であり、値段も豪華だ。さて、このまま根室経由で、前回見ることができなかった北方領土を見に納沙布岬を再び目指す。到着後まずはここで、秋刀魚丼を食べることにした。どうも昼飯が足りなかったようだ。鈴木食堂の秋刀魚丼は生姜醤油に漬け込んだ秋刀魚の刺身が絶品であり、魚にうるさい管理人も納得の味であった。それに比べ、和商市場はやはり観光客相手の商売であるから値は張る傾向にあるし、商品もそれなりなのかもしれない。有名観光地とはそういうものだ。うだうだとくだらないことを考えながら岬の向こうに目をやると、見えますよ、歯舞諸島の島影が。本当に目と鼻の先だ。ロシアの軍艦もウロウロしている。この当時拿捕事件がしばしばあったのだが、こういう光景を見て初めてその真相がわかった。そりゃ捕まるわけだよ。管理人が訪れた数日前にも拿捕事件があったことを付け加えておこう。

 

 うっすらと貝殻島らしき島影が見えた

 

納沙布岬には北方領土返還を願うモニュメントがある。説明を読んでみると、第二次大戦末期、旧ソ連が不可侵条約を破棄して北方領土を占領してきたそうだ。もっとも、当時は千島、樺太交換条約で千島列島は日本の領土だったわけである。それに対して、4島だけでも返して、いや2島だけならすぐにでも返してやるよ。そういう議論をしているのが北方領土問題らしい。なんとも良くわからない議論なので、管理人は事実のみを記しておこう。

さて、北西に針路を取る。そこかしこの道に北方領土返還のやや過激とも見える看板が立っていて、不気味な気がした。まるで大砲でも飛ばしてやろうか!!と言わんばかりだ。

 

  島は奪われたと書かれた看板前にて

 

気を取り直して風連湖に立ち寄る。ここは鶴の繁殖地として知られている。もちろん訪れた際は何もいなかった。

 

  淋しい熱帯魚ならぬ風連湖

 

さらに野付半島を目指す。この半島は釣り針型の小さな半島で、立ち枯れた木が立っている殺風景な半島だ。往復で1時間強かかり、宿泊地を半島付根の尾岱沼キャンプ場とする。本当は海沿いのキャンプ場は嫌いだが、近くに温泉があり、便利なので決定とした。ここでは意外な出会いがあった。偶然隣接したチャリダーの方が地元が同じと判明。さらに話を進めると、なんと大学の友人の友人であった。世の中とは分からないものだ。ミカンの缶詰が出たのは言うまでも無い。

 

             

      隣のチャリダーさんと。友人の友人とは驚き                                管理人食事をするの図

 

第18日目

 

 今日も良い天気そうだ。ただ、海沿いのキャンプ場のためか、霧が多く湿っぽい。撤収に時間がかかったわけだが、そう焦っているわけでもない。友人の友人を見送って出発する。残りの日程が少なくなってきたので、小樽目指して西へ向う。開陽台には行かないで、そのままはマリモで有名な阿寒湖へ向う。今思うと行っておけばよかった。実は一回目の道東の時に寄っているのだが、霧で何も見えなかったのだ。リベンジ果たせず。途中の道路はまさに北海道と言う感じだ。草原、牧場の中を一直線に貫いている。本州ではまずお目にかかれまい。もっとも単調で眠くなるのには勘弁してほしぃの宣言。阿寒湖は別に何の変哲もない湖だ。同じ湖ならその雄大さ、形の奇抜さから朱鞠内湖の方が印象深いように思える。その先にオンネトー湖という湖もあったので寄ってみた。原生林の中にあり、やや神秘な感がある。さらに足寄から士幌へ向う。余談であるが、親父の再婚相手はここ士幌の出身だそうだ。5年後にお会いして、士幌に行ったことがある旨話すと大いに喜んでもらえた。本日は糠平湖畔の国設糠平キャンプ場に再びテントを張る。湖の一日であった。

 

 

     真っ直ぐな道がどこまでも続く               オンネトーにて 右が管理人

 

第19日目

 

昨日のキャンプでは結局ライダーと話すことは無かった。8月も後半に入ってしまい、数が激減していることは明からだ。ここからは、ほとんど移動のみになりそうなので、富良野に行くことにする。ご存知北の国からのロケ地である、麓郷地区があるのは富良野だ。富良野にはラベンダーをはじめとして、様々な花畑がある。しかし、この時期はすっかり枯れ果てていた。

 

  

   富良野のスキー場を利用したラベンダー?畑              燃えてしまった家

 

もう北海道は盛秋といってもよい。地元ならば10月の下旬くらいであろうか。ところで、前出のドラマであるが、管理人はあまり知らない。宮沢りえが元AV女優出演していたり、10年以上後になって有名となる横山めぐみも出ていたようだ。田中邦衛は超有名だ。かれは地元に程近い岐阜県は土岐市出身で、俳優になる前は教員をしていたことが後日判明する。富良野はなんだか田舎に人が集まっているという印象だった。無料ということで、ロケのセットを一つ見てきた。これまた後日判明するのであるが、どうやら吉岡扮する純が誤って燃やしてしまった家らしい。富良野の後は夕張だ。ここもご存知幸せの黄色いハンカチのロケ地がある。途中で速度の取り締まりをしていたのは驚いた。今更ながら、散々気をつけるように色々な人から言われていたことを思い出す。ロケ地は特にどうこういうこともなかった。あと夕張といえば炭鉱であろう。日本の石炭産業はすっかり衰退してしまっており、夕張の炭鉱も例のガス吐出事故がきっかけになり、とうの昔に閉山していた。いったいどうなっているのかと思い、足を伸ばしてみると、石炭の歴史村というテーマパークとなっていた。平日ということを割り引いても人の入りは少ないようだ。コンクリートで塞がれた坑道跡と石炭を引き上げる施設が往年の輝きの面影というところであろうか。

 

     

            石炭の歴史村に建つ炭鉱の名残                              直線道路日本一の看板

 

さて、時間が中途半端だ。終わりには早いし、先へ行くにはやや時間が足りない。しかし、なるべく小樽に近いところまでと行くことが必要だ。札幌の街中をかすめて西へ進む。途中に直線道路日本一の国道12号線を通る。街中なので、大したことはなかった。そうこうしているうちに石狩まで来た。ガソリンもギリギリだった。地図にあるキャンプ場を探したが、見つからないので、石狩浜ライダーハウスという簡易小屋に宿泊を決め、テントやめた。無料であったことも付け加えておこう。同宿者はチャリダー氏と同郷のライダーの2名のみ。もう一人いたようだが、他へ行ってしまったらしい。恐ろしく無口なチャリダーであった。今思えば相当に疲れていたためだろう。夜になって近所の人がノートンに乗って遊びに来てくれた。手土産に「ウニ」をもっていた。ナイフで割ってすくって食べる。ミョウバンで処理していないし、新鮮だから全く臭みは無い。管理人はウニはあまり好きではないが、このホンモノなら好きだ。これがウニなら、いままで食べていたのはナンだ??ノートン氏は饒舌で、若い頃の旅をいろいろ話してくれた。一番うけたのは「平凡パ○チ」の増刊号を持って旅をしたということだった。そういえばこのツーリング中はエロ本を見ていないなぁと急に恋しく思えた。とても楽しい夜となった。

 

 

   往年の英国車ノートンに股がる管理人

 

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