北海道紀行1 (1994年8月3日〜1994年8月24日)

第13日目

今日も天気が悪い。なかなか晴れてこない。困ったものだ。早々に連泊を決めた。ゼファー氏とGSXR氏を見送る。さて、どうしたものだろうか。ウダウダしていたら、若干晴れ間が見えてきた。そうだ、カムイワッカの滝へ行ってみよう。何キロもダートを走らなくてはいけないので荷物を置いていきたい。どうやら午前は天気が回復するようだ。早速出かけてみる。初オホーツク海だ。さわやかな風も吹いてきた。いやいや、いい気分だ。オホーツク海はどこか哀愁が漂っている。風も冷たい。途中オシンコシンの滝へ寄る。国道沿いなので、迷うことは無いが、あまり有名なスポットではないらしい(2007年現在は相当数の観光客が訪れているらしい)。なんてことない滝を見て、さらにバイクを進める。いよいよダートの始まりだ。乗用車はもちろん、観光バスも走っているぞ。対向車に気をつけ、前走車と車間を十分とり、押しハンでコーナリング。おっと、リアが流れているジャン。こんなところで、限定解除の練習が役に立つとは思ってもみなかった。何かいるぞ。キタキツネだ。何回か見ていたが、こんなに近くで出会ったのは初めてだ。周りに車がいないので、バイクを止めてパチリ。「スネオ」よろしく口が尖っている。

  キタキツネ 触らないように、また餌付けをしてもいけない

さて、10km程ダートを楽しんだら到着。知床半島はここまでしか道がなく、開発されていない日本最後の秘境だ。この先は観光船に乗るしかない。カムイワッカの滝は真ん中に滝があり、横から温泉が流れ込んでいて、滝つぼが丁度よい温度になっている。だが、滑りやすい岩を登らねばならず、少々怖い。ところで、日本人は抜け目の無い人種だということは既存の事実であるが、ここカムイワッカの滝でもそれに変わりない。「わらじ」のレンタルがある。早速借りて滝つぼを登る。わらじの威力で全く滑らない。一番上の滝つぼ温泉でゆったり。いや、なかなか風情ある。もう少し人が少ないとうれしんだけどな。ところで、風呂で顔を洗うのは当たり前だが、ここカムイワッカの滝は強酸性の泉質であるからそれはできない。目にしみるのだ。管理人はにわか仲間のライダーから情報を得ていたので助かったが、周りにはそういう人がたくさん居た。

  カムイワッカの滝 カムイとは「神」のことらしい

さて、のぼせてきたので、下に降りて湯冷ましだ。サイダーなんぞを飲んで一服。気持ちを整えて元来た道を戻る。ん?雲行きが怪しくなってきたか。知床横断道路で羅臼方面へ回ろうと思っていたが、取りやめてそのままフレンド札弦へ帰還。今夜は自分ひとりらしい。経営者の商店でパンを購入して晩飯として、早々に寝た。

第14日目

今日も天気が悪いが、北の方は良いらしいとの情報を得た。いつまでも道東にいるのでは旅が進まないので、今日は一気に北を目指す。フレンド札弦のおじさんにお礼を言って出発。

 ライダーハウス フレンド札弦前にて

途中、「荒木さん家前」だとか、「鈴木さん家前」なんてバス停があって驚きつつ、オホーツク海へ出る。途中網走を通過。同地は網走刑務所で有名だ。一応門の前でパチリ。

 決して収監されていたわけではありません

早々に切り上げて、サロマ湖を右手に見て北上を続ける。しかし何もないなぁ。荒涼とした一本道をひた走る。昔、ここにも鉄道があったらしい。線路が無残にも残されている。興部と浜頓別を結ぶ興浜北線、南線があったそうだ。広尾線同様に誰が乗るのか疑問に思う。延々と走っていると天気が良くなり、風が変わった。どうやら前線を越えたようだ。空には巻き雲、爽やかな乾いた風。まさしく秋の風だ。

  いつの間にか季節が変わっていた

気分も乗ってきたので、どんどん走り、結局稚内まで来てしまった。そして、日本最北端の地、宗谷岬に立った。おりしも16:00現在で気温は20.9度とかなり涼しい。地元なら3月下旬から4月上旬といったところだろう。ついに最北の地へ来てしまった。隣の土産物屋に「最北端の地証明書」があるので購入した。因みに本当の最北端は弁天島とかいう無人島(岩)らしい。

                               

さて、宿はどうするか。少々時間が押してしまったので、今日もライダーハウスとしよう。一度味を覚えてしまったので、どうもテントが面倒になってきた。イカンイカン。今日はミツバチの家に決定。駐車料金という名目で500円徴収。中は30畳ほどあり、壁にはベッドもある。さらに開業時からの写真がびっしり張ってある。なんか歴史を感じる。しばしゆっくりしていると、和琴半島キャンプ場で一緒になった方に再会した。彼は足に火傷をしてしまって、少々困惑気味であったが、かなりよくなったので旅を続けているという。二人で近所の銭湯へ出かけ、汗を流した。気温が低くさらりと湿度が低いので爽快だ。やや寒いといっても良いかもしれない。飯を食べ、二人で旅について語り散策する。最北端の地というのは何か良い響きである。目眩にもにた感動を覚えた。さて、続々とライダーが到着し、およそ30名ほどはいるであろうか。全員で記念写真を撮る。1994年の8月15日は史上一回限りだ。その瞬間にたまたま最北端みつばちの家に居合わせた人達。途方も無い低い確率であるがここに集結したのだ。なんとも言えない。ところで、北海道では我々ライダーは別名みつばち続と呼ばれているらしい。オートバイでビービー走るからであろうか。

  最北端みつばちの家にて。 歴史に参加できた

第15日目

寒いぜ。早朝に目が覚めてしまった。ライダーハウスの管理人によると10度位が平年値らしい。10度っていったら地元の冬のちょっと高めの最高気温だぞ。稚内では気温が25度を超える日はあまりないらしく、それを超えるなんてのは暑くて仕方がないらしい。要するに地元の10度マイナスと考えればよさそうだ。出発準備を整えて、管理人にお礼を言い出発する。テントと違い、撤収時間が無いので有難い。ライダーハウスとはなんと良い施設なんだとしみじみかみしめる。さて、朝飯を食いたい。稚内の駅前にやってきた。早朝にもかかわらず、食堂が開いている。「かにめし」を注文する。どうやらカニチャーハンと同じようなものらしい。うまいぜ。永O園のチャーハンの素とは大違いだ。腹も膨れて準備完了。まずは納寒布岬を目指す。程なく到着する。宗谷岬とは20km位しか離れていないが、こちらは簡素な看板が立っているだけで大した物は無い。訪れる人もまばらだ。もっとも現在では様々なモニュメントが建てられたそうだ。

  閑散としたノシャップ岬

このまま南へ針路を取り、日本海オロロンラインを南下する。左は原野、右は海、遠く利尻富士を眺め快走する。一直線の清々しい道だ。

            

        おお、地平線まで真っ直ぐだ                                          あれに見えるは利尻島

その後遠別町から西へ針路変更をし、道道119号を走るが、10km程のダートにつかまる。当時、限定解除を一年前の11月に済ませたばかりでそれなりに自信を持って、押しハンドルでコーナーを曲がる。案外といけるものだ。途中でカタナに乗る方が転倒して、エンジン再始動に手間取っていた。助けてくれと言わんばかりの眼差しでこちらを見ている。相棒の方もお手上げという様子だった。ニューギニア6級の知識を活かして押しがけ、再始動に成功し、えらく感謝された。今頃彼はバイクに乗っているだろうか。そのまま道道118号線を南下してまたもやダートにつかまる。ここでは出会い頭に正面衝突している車に出会った。気を引き締めて走行を続ける。やっと美深に出てきた。美深といえばヒマワリだが、期待して行ってみると既に終わっていた。今日は朱鞠内湖キャンプ場に宿を決めた。ここは北海道最大の人造湖である。因みにキャシャーンは「新造人間」である。間違えてはならない。いつものようにつつがなく儀式を済ませ、明日の天気を確認する。問題はないようだ。

第16日目

またまた寒さで目が覚める。気温は10℃程らしい。露が乾かないので、テント撤収に時間がかかったが、7時30ごろには出発した。盆を過ぎたこの頃になるとライダーがぐっと少なくなる。北海道はすっかり秋だ。なんでも9月初めには内陸では紅葉がはじまり、10月末には初雪が降るそうだ。まあ地元とは2ヶ月差があると考えるとよいだろう。幌加内から鷹栖、旭川を抜けてきた。このあたりは冬の最低気温を記録することで知られている。この年の夏は非常に暑かったが、さすがにこの頃になると猛暑もおさまっていた。この鷹栖は後年ホンダのテストコースが造られ、その機能を遺憾なく発揮することとなる。さて、どうしようか。南に下りてしまっては時間が余る。もう一度天気の悪かった納沙布岬を目指すこととした。層雲峡で温泉に入り、一息入れる。いい眺めだ。あと半月もすると紅葉が始まるらしい。そのまま糠平キャンプ場を今日の宿泊地とした。この頃、地元では大変な水不足で、断水が行われていたようだ。ラジオの情報によると一日5時間しか水が出ないらしい。いやはや、困ったことになっているようだが、失礼ながらこちらは他人事であった。

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