北海道紀行1 (1994年8月3日〜1994年8月24日)

 

第5日目

 

さて、爽快に目覚めた。風もなく、気温も高くなかったことが幸いだ。しかし、この年の猛暑は全国的な現象であり、札幌でも35度を超える日があった。撤収作業のイロハを昨日からのにわか仲間に教わりつつ作業開始。フライはタオルで拭く。本体は解体する前に床面を干す、丁寧にたたまないとパッキングで苦労するなど。何とか出発して五稜郭へ向う。いろいろと見たかったが、あまりの暑さのために簡単な観光に終わった。その後は海岸沿いをなぞりながら走行。風が気持ちいい。

 

    快適ロードを快走。遠くに見えるは恵山であろうか

 

ここで、旅の友GPXのことについて考える余裕ができてきた。エンジンは排気量750ccながら、ややロングストローク気味で、2000rpmくらいからでも十分にツイてくる。やや荒削りな振動が男カワサキを感じさせる。上はレッドゾーンまできっちり回り、それ以降もいってしまいそうだ。ビュイーーンといい音させて加速する。結構いけますねこのバイク。

さて、昨日は風呂に入っていないので、鹿部温泉にて入浴。その後、「長万部」を通過して洞爺湖へやってきた。本日は洞爺湖の中洞爺キャンプ場でテント設営だ。丁度土曜日だったので、やけに人が多い。なんだか発電機を持ち込んで、カラオケやってる人までいる。不便さを楽しむ行為がキャンプと信じる管理人はかなりの興ざめだ。結局テントはトイレに程近い場所に張ることとなってしまった。

 

第6日目

 

今日も良い天気だ。さっさと撤収して出発する。途中昭和新山へ寄る。戦時中に噴火した新しい火山で、アメリカの爆撃隊も札幌へ向う際の目印にしたらしい。今も湯気を出している。噴火したらやだなぁと思い、出発する。

 

  インスタント火山、昭和新山にて

 

海沿いを室蘭まで走り、地球岬へ。管理人の親父は某製鉄所に勤務していた。同じ会社の室蘭工場がある所だ。子供の頃に、転勤で我が町にもかなりの数の人たちがここからやってきた。さらに、我が家の包丁は「地球岬ブランド」であったことも付け加えておこう。岬を見物したら温泉に入りたくなった。登別へ向い、温泉に入り、地獄谷を見物する。

 

  地獄谷にて、思わぬ地獄に遭遇 トホホ

 

尚、ここで入湯した「さぎりの湯」は12年後の訪問時にも楽しんだ。さて、一路東へ、目指すは最東端納沙布岬だが、、、、。ん、財布がないぞ。えええええ????大パニックになりつつ来た道を戻るも、手ががり無し。仕方なく登別市の鷲別派出所のお世話になる。巡査殿のアドバイスで「郵便局間送金」制度を利用することとした。これは口座の有無にかかわらず、郵便局間で送金ができ、身分証明書があれば受け取りができるという優れものだ。さっそく親父にコレクトコールで送金を依頼。本日の走行は終了となった。

まだ昼過ぎなのであるが、住宅街の公園で佇む。ここを今夜の幕営地と決定した。近所の人たちが話しかけてきてくれるので、暇はしなかった。夕方にテントを張り、手持ちの食料で夕飯にする。すると近所の子供達がやってきて、「あーー、テントが張ってある。ご飯食べてる人がいるよぉ」と騒いでる。勘弁してチョウス。ラジオを聴きながら8時ごろ就寝。トホホな日であった。

 

第7日目

 

早朝、朝飯を食べていると犬の散歩をしているおじさんが、「おーい、起きてるか?」と声をかけてくれ、「ばあさんが持っていってやれと言っていた」とトマト数個とコーラ2本を差し出してくれた。おお、ありがたや、ありがたや。この世知辛い世の中でこんなことあっていいのだろうか?有難くいただきました。それにしても北海道は旅行者には本当に親切な土地だ。上陸してから毎日そう思う。

午前9時になり、早速鷲別郵便局へ出かけた。事情を話すと「届いてますよ」と10万円を受け取った。これで旅が続けられる。有難や、親父殿。さて、元気を取り戻した管理人とGPXは再び東へ向う。海岸沿いは同じライダーがたくさん走っており、ピースしまくり。立ち上がってくれる方もいた。苫小牧を過ぎ、競馬の牧場でお馴染みの浦河町へ。確かに馬ばかりだ。当方は興味がないので、通過。そして有名な襟裳岬へ。岬の駐車場からさらに歩くこと十数分、岬先端へやってきました。荒々しい波しぶき、点在する岩、断崖絶壁。いや、北海道ってすごいな。丁度夕暮れ時であり、人も少なく、堪能できた。

 

       

                        襟裳岬にて                                                          波しぶきも豪快

 

本日のキャンプ地はこれまた有名な百人浜キャンプ場だ。このあたりは開発時に多くの人が亡くなっているそうで、「出る」と評判だが、管理人はまったく気にならない。人は死ねば灰になる。これが自分教の教義だ。いつものようににわか仲間とたのしくキャンプできた。一人でここ北海道に来ているが、一人きりの日は上陸後全くないと言っても差し支えないだろう。バイク乗りの聖地北海道、いよいよ盛り上がってきましたよ。

 

第8日目

 

百人浜キャンプ場では洗濯をした。夜のうちに併設のコインランドリーで半乾燥の状態にしておく。翌朝はなんとか取り込めるという寸法だ。朝飯を食べ、パッキングをして出発する。このあたりになってくると要領が分かってきて、いい状態に荷物を固定できる。走行中の荷崩れは不快なだけではなく、命を落とすことにもなるので十分に気をつける必要がある。実際、そういう事故がしばしばあるらしく、地元の警察官がビラを配りに来たこともある。本当に事故を減らそうと思うなら、こういう地道な活動をするべきだろう。善良な市民を杓子定規的に取り締まっておいて、「わるいねぇ」なんて言っている。全くと言ってよいほど意味を成さないことは言うまでもなかろう。

さて、この百人浜を走る道路は別名黄金道路と呼ばれているそうだ。なんでも開発して、道を通すにはアスファルトの代わりに金を敷いてもよいほどの金を使ったらしい。当然、多くの方が亡くなられている。そういう恩恵を受けて楽しまさせてもらっていることを忘れまじ。

今日も良い天気だ。気持ちの良いツーリングが続く。海べりも飽きてきたので、内陸に入ってみよう。丁度十勝平野に入ってきたことだし。そうだ、昔ここには鉄道が走っていて、愛国、幸福という駅があった。一丁行ってみよう。地図で調べてまずは幸福駅を目指す。線路と駅舎が残っており、土産物屋も健在、いや廃線前よりも繁盛しているんじゃあなかろうか?と思える程だ。早速中に入ってみると、往年の汽動車が展示してある。型式等の詳しいことは分からないが、今にも動き出しそうな、なんとも不思議な趣である。それにしても周りには何もない。乗客は牛か馬だったのだろうかと思える程だ。廃線になったのもいささか止むを得ない気もする。さて、次は愛国へ行ってみよう。ここは過去の鉄道関連の用品等が展示してあり、なかなか見応えがある。管理人はものの根源、歴史を辿ることが好きなので、こういう展示は大好きだ。

 

        

                              愛国駅                                                       幸福駅

 

ここで、ガスボンベの予備を購入するついでに帰りのフェリーの切符を購入しておいた。なんでも、フェリーは早めに切符を手に入れないといざという時に乗れないことがしばしばあるそうだ。当分帰るつもりはないが、残金や体力を計算して2週間先のフェリーを予約しておいた。

 

今思うと随分安いのね

 

これでこころおきなく、奥菜恵。目指すは最東端、納沙布岬だ。今日は浦幌でキャンプ。

 

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